世界史を狂わせた女たち  渡辺惣樹  2023.2.28.

 2023.2.28.  世界史を狂わせた女たち 

~ 第2次大戦のスパイと、共産主義と寝たレディの物語

 

著者 渡辺惣樹 日本近現代史研究家。北米在住。1954年静岡県下田市出身。77年東京大学経済学部卒業。30年にわたり米国・カナダでビジネスに従事。米英史料を広く渉猟し、日本開国以来の日米関係を新たな視点でとらえた著作が高く評価される。著書に『日本開国』『日米衝突の根源1858-1908』『日米衝突の萌芽1898-1918(22回山本七平賞奨励賞受賞)(以上、草思社)、『アメリカ民主党の欺瞞2020-2024(PHP研究所)、『英国の闇チャーチル』『公文書が明かすアメリカの巨悪』『教科書に書けないグローバリストの近現代史(共著)』(以上、ビジネス社)など。訳書にハーバート・フーバー『裏切られた自由(上・下)』、スティーブン・キンザー『ダレス兄弟』(以上、草思社)など

 

発行日           2022.10.16. 第1刷発行

発行所           ビジネス社

 

現実の社会は、セオリー通りには動かない

人間の好き嫌いや思いつきで、間違った方向によく動く

 

まえがき

近現代史資料を渉猟し通史を書いてきた過程で、多くの女性がスパイ活動に関わってきたことに気付いたが、そのことに関する記述は最小限に留めざるを得なかった

英国は1940年カナダ出身の実業家ウィリアム・スチーブンソンをニューヨークに遣り、米国世論工作を仕掛け、最終的に日本の真珠湾攻撃に結実、米国の裏口からの参戦を実現させた。スチーブンソンはジェイムズ・ボンドのモデル

狭義ではスパイに定義されない、歴史学的には第5列と呼ばれる一群の女性も登場

チャーチルの2人の娘も、米国参戦のためのハニートラップとして利用される

 

1章       ベティ・パック(191063)007が頼りにしたスパイ

1. 生い立ち

ミネアポリス生まれ。父親は米海兵隊士官、母親は州上院議員。ワシントンの社交界にデビューし、19歳年上の英大使館書記とできちゃった結婚

2. スペイン内戦

1936年内戦中のスペインに転勤、共和国政権幹部に取り入って拘束されていた反政府軍を何人も解放。人民戦線の政権は共産主義者のピカソを動員して《ゲルニカ》を描かせて、ファシズム陣営の爆撃の悲惨な状況を世界に訴えたが、非戦を訴えたイギリスを尻目にナチスの支援したフランコが内戦を制して独裁を築く

3. ポーランド高官籠絡とエニグマ暗号解読

1938年ワルシャワに転勤。ベティはナチの侵攻を憂えて英諜報機関MI6のハニートラップの工作員として働き始める

最初のターゲットは、ポーランド外相の首席顧問格のルビエンスキ伯爵で、すぐにポーランドがエニグマ暗号解読の手掛かりが数学にあると気付いていたことを察知、アラン・チューリングの暗号解析に繋げた

4. イタリア海軍暗号

夫はチリに転勤。ベティはジャーナリストとして活動を開始、反ナチスの新聞に寄稿

British Signal Corp.のスチーブンソンの指示で、ベティは駐米イタリア大使館付海軍提督が持つイタリア海軍の暗号入手を画策、恋に目がくらんだ提督は暗号表を手渡す

暗号解読により、1940年イギリス海軍は軍港タラントに集結するイタリア海軍を奇襲し、エジプトへのロジスティックス確保に成功。この時の英海軍による艦載機からの大型艦船攻撃作戦は日本の強い関心を惹き起こし、後の真珠湾に繋がる

5. フランス(ペタン政権)海軍暗号

歴史修正主義者(筆者も)は、ルーズベルトの対欧外交の右腕だったウィリアム・ブリット駐仏大使の暗躍(米国参戦の約束)があったと考えている

ヒトラーには英仏と戦う積極的な理由はなく、英仏との停戦実現後、東部侵攻を考えていたが、外交交渉に応じない英仏の態度に業を煮やして西部侵攻に踏み切り、パリ入城後ペタン元帥のフランスと講和条約締結

スチーブンソンは、ベティに仏駐米大使館の広報官の籠絡を命じ、ヴィシー政権の暗号表を入手。2人の関係は本物の恋に発展し、戦後広報官は離婚し、ベティとピレネー山脈の村に古城を買って移り住む

6. 非干渉主義政治家の籠絡

ベティは仲間とともに、米議会共和党の対欧非干渉主義者ヴァンデンバーグ上院議員を転向させている――何としてでもルーズベルトを3選させたかった英国は、大使館員の妻をハニートラップに活用、その後任がベティで、ベティの母親の学友が議員の妻だった関係もあって、議院はベティに無警戒、武器貸与法に賛成して周囲を驚かせたが、ベティの後任も大使館員の妻でさらに議員に攻勢をかける

正史では、ヴァンデンバーグは真珠湾攻撃を見て干渉主義に転向したと説明されるが、ハニートラップを歴史著述のファクターにしない正史の悪い「癖」

 

2章       エリザベス・ベントリー(190863):赤いスパイクイーン

美人とは言い難い容姿で、愛人のソビエトスパイにスカウトされて工作員となったが、最後は露見に怯えてFBIに出頭、NKVDの諜報網を暴露

1. 生い立ち

コネチカットの生まれ。ヴァッサー・カレッジ在学中にソ連の新左翼演劇に染まった演劇担当の教師の影響を受け、イタリア留学から戻り、コロンビア大で学び直した時に知り合った友人に誘われ、設立間もない反戦反ファシズム米国連盟という米共産党系組織に入る

2. 米共産党のオルグ

誘った友人は共産党員で、進められるがままにベントリーも入党。ニューヨーク市家庭緊急支援局に職を得て、そこに共産党支部としての労働組合を結成

3. 工作員の愛人に

1938年、ソビエトが作り上げた対米工作・諜報組織の元締め的立場にいた工作員ゴロスのアシスタントとして地下工作員になるよう勧められ、愛人関係を結ぶ

1939年のニューヨーク万博ではソビエト館に党員が参集、トロツキ暗殺計画が練られた

4. 独ソ提携の余波

反ファシズムだったベントリーにとって、独ソ不可侵条約は衝撃だったが、共産主義による世界制覇の最終目的は変わらないとゴロスに説得された

1933年、ルーズベルト政権がソビエトを承認して以来ソビエトの対米工作活動は本格化。最初の目的は科学技術の導入にあり、多くの科学者を留学させ、特に航空機製造技術に関心があり、大戦中短期間に優秀な航空機を開発生産できたのはこの時の活動の成果

独ソ提携とソビエトのポーランド侵攻により、ルーズベルト政権の共産主義組織に対する態度が一変、共産党関連組織への締め付けが厳格化、ゴロスも人身御供となって有罪に

5. 政府高官スパイ網のキーパーソン

1941年、ドイツのソ連侵攻によって、米政権の態度はまた一変。ベントリーは、ゴロスの下で対米諜報活動の元締めのアシスタントだったシルバーマスターの連絡員になる。彼の妻は、ポーツマスで小村寿太郎とやり合ったウィッテが大叔父で旧貴族

6. 筒抜けの米国政府機密

独ソ戦は、米政権の対共産党の脇を甘くさせ、中枢までソ連工作員が潜入。最高は、ルーズベルトの一番の相談相手だったモーゲンソー財務長官の右腕となったハリー・デキスター・ホワイト。シルバーマスター・グループの1人で、ハルノートの原案を財務省が書けたのもホワイトの実績。財務省を通じてあらゆる機密文書がソビエト大使館に流れた

シルバーマスターの解雇要請が出たときも、グループメンバーの影響力で凌いだ

7. NKVDとの確執とゴロスの死

1942年、物理学者のスパイグループを組織化し、マンハッタン計画の詳細を入手

NKVDはさらに活動をエスカレートしようとしてゴロスは抵抗したが死去

8. ベントリーの反逆 その1 NKVDとの決別

NKVDからはベントリーに別の仕事がわりふられるが、身辺にFBIの幻影を感じる

9. ベントリーの反逆 その2 FBI出頭

1945年夏、NKVDからも疑いをかけられていると錯覚したベントリーは、親しいスパイ仲間を救うためにもFBIに出頭しようと決心。生まれ故郷のFBI支局に出頭するが、最初は相手にされなかった。同じ頃駐カナダソビエト大使館の暗号担当員がカナダ政府に亡命を求め、それぞれから得られた情報に整合性があることから、ソビエトが米国内に大掛かりなスパイ網を構築していることをフーバー長官は確信したという

10. ヴェノナプロジェクトと下院非米活動調査委員会

FBIは、ベントリーの名指ししたホワイト(財務省)とヒス(国務省)に注目

ホワイトは既に戦後の国際金融体制を構築する大役を任され、英国のカウンターパートのケインズとともにIMFや世界銀行を設立。ヒスやヤルタ会談で事務方の実質トップで、常識を超えた対ソ譲歩や、国連の枠組みをソ連有利に仕切ったのもヒスの功績。FBIはすぐにMI6の協力を要請、MI6にいたNKVDのスパイのフィルビーによってその情報はNKVD本部に伝えられ、NKVDは全てのスパイ活動をストップさせた

米陸軍はヴェノナ計画を始動――1943年米国は独ソ単独講和を警戒し、ソビエトの暗号解読作業を開始、大量の暗号情報が米ソ間で行き来していることに気付くが、漸く解読の端緒が見つかったのは46年のこと。民主党政権の親ソビエト政策を警戒した米陸軍がルーズベルトやトルーマンにも秘密にされた。米政府はソビエトを信頼できる連合国の一員と説明してきたので、ベントリーらから露見したソビエトスパイ網は致命傷になり兼ねない

ベノナないしベノナ・プロジェクト(VENONA, Venona project)は、後のUKUSA協定国際的監視網の起源となるもの。19431980まで37年間の長期にわたり、アメリカ合衆国陸軍情報部(通称アーリントンホール、後のNSA/アメリカ国家安全保障局)イギリス政府暗号学校(後のGCHQ/政府通信本部)が協力して行った、ソ連と米国内に多数存在したソ連スパイとの間で有線電信により交信された多数の暗号電文を解読する極秘プロジェクト(シギント)の名称である。ヴェノナと表記したり、解読されたファイル群をヴェノナ文書、もしくはヴェノナファイルと呼称する事もある

NKVDが活動を停止したので、FBIは証拠を挙げられず、政権は密かにホワイトとヒルを異動させてスキャンダルの表面化を防ぐ一方で、スパイ網の摘発には至らず

政権は蓋をしたが、メディアがスパイ網の存在をリーク、46年下院非米活動調査委員会が彼女に接触。メディアは彼女を「Red Spy Queen(赤いスパイ女王)」と名付け、彼女は議会で証人喚問に応じ、大物スパイを実名で告白。彼らに対する大陪審も始まる

正史がスパイ網に触れることはない。ルーズベルト政権の政策の多くがスパイにより立案・実行されていたこと、ソビエトは彼らを通じて米外交軍事政策のほぼすべてを事前に知っていたこと、IMFや国際連合がスパイによって創設されたことを知る者はほとんどいない

1951年彼女の自伝が出版され、正統派歴史家は無視したが、1995年ヴェノナ文書が公開されると彼女の記述が正確だったことが判明

 

3章       エレノア・ルーズベルト(18841962):赤いファーストレディ(5列の女王)

スターリンは、ソビエトのために尽くす知識人や芸術家たちを「役に立つ馬鹿」と呼んだ。自らを進歩派と位置付け、伝統や常識を重んじる保守派を侮蔑し、彼らは共産党には入党せずリベラル(進歩派)と呼ばれることが嬉しい

歴史学的にはこうした人々を第5列と呼ぶ――スペイン内戦時にフランコ政権のモラ将軍が発した言葉で、将軍は4個部隊を率いてマドリードを攻撃するが、市内には反フランコの第5の部隊がいるという。将軍の攻撃に呼応して蜂起する隠れ部隊との意であり、自身が将軍側にいることを自覚していたが、民主主義国家内の第5列はその意識が薄く、自らの行為に内在する利敵性に鈍感。エレノアはその典型で、共産主義思想の友人を多く持ち、若き共産主義者を愛人にするとともに、彼らを要職に就け、大統領もそれを煽っていた

1. 批判者の圧殺:FBIの政治利用

NKVDは労働組合運動を核に米政権の内政干渉に没頭、ルーズベルト政権の労働長官パーキンスが左翼思想の持ち主だったことは好都合で、労働省の甘い移民政策をついて多くの移民をオルグし党勢拡大を試みたため、1938年下院は非米活動調査委員会(ダイズ委員会)を設置し、行政府の親ソ政策を監視。特にエレノアの行状には多くの保守派が眉を顰める

委員会メンバーによるエレノア批判に加え、評論家ペグラーも『ワシントン・ポスト』に寄稿し、大統領府の影響力をかさにした容共的な彼女の振る舞いに噛みついたため、エレノアはFBIに彼を国家反逆罪容疑で捜査させる(民主党の伝統である司法機関の政治利用)

2. 若き共産主義者の愛人

1933年、エレノアは大統領夫人になったあと、ダイズ委員会に対する暴力的なデモを積極的に支援するが、それを仕掛けたロシア系ユダヤ人の米国青年共産主義同盟書記長と愛人関係になる。両者がホテルで密会していた報告書がFBIの個人ファイルに残されている

3. 大統領の怒り

エレノアが監視されていることを知らされた大統領は激怒、陸軍防諜部解体を命じるとともに、すべての関係者を南太平洋戦線に遣り、Japに遣られるまで戦わせろと命じる

4. エレノアとNKVD

エレノアの情報は、愛人の書記長を通じてNKVDには筒抜けになっていたことはあきらか

彼が1964年愛人エレノアの評伝『ある友人のメモワール:エレノア・ルーズベルト』をエレノアの死後2年で上梓、72年のピュリッツァー賞を受賞する

5. エレノアのルサンチマン:夫への恨み

ルーズべルトは海軍省次官当時、エレノアの私設秘書と不倫関係になったのが原因で、夫婦仲は仮面夫婦に――ルーズベルト家を支えていたのは清へのアヘン密売で巨利を博した母方デラノ家が支えていたが、離婚によって息子の経歴に傷がつくのを恐れた母親が資金援助を断つとエレノアを脅したことから離婚は思い止まった

FDRは、ナチスのノルウェー侵攻でスウェーデンの実家に戻ろうとしたマーサ王女とその子を、中立だったスウェーデンが受け入れに難色を示したため、米国への亡命を勧め、ワシントンに引き取って、たちまち2人は恋愛関係になった

6. 国際連合と戦後のエレノア

国務省のアルジャー・ヒスは、国際連合設立にあたっても米国の代表として活躍したが、ソビエトのスパイだったことは確定。国際連合のみならず、左翼リベラル勢力は国際機関の要職を占めている。エレノアは死の1年前でもまだヒスを無罪を信じていた

1945年、国連憲章の第68条は人権委員会の立ち上げを規定、委員は9人でトルーマンはエレノアを委員に指名、委員長に推されたエレノアは人権憲章をまとめ、48年の国連総会で採択、エレノアはリベラル勢力のスターとなり、ヴェノナ文書が公開され彼女の悪行が暴露されてもエレノア礼賛は変わらない。さすがにオバマ時代、新20ドル札の候補となったが、最終選ばれたのはタブマンで、ソビエトの第5列が描かれた新札を米国民が手にせずに済むことになったのは幸い

 

4章    チャーチルの米国参戦工作の裏方となった2人の娘:サラとパメラのハニートラップ

ヒトラーとスターリンは天敵で必ず戦うと見たルーズベルトは、チェンバレン首相に圧力をかけ、ポーランド独立保障を約束させたが、ナチスがポーランドに侵攻したあと、ルーズベルトはカウンターパートを海軍大臣のチャーチルとして、米軍参戦の秘策を練る

米国が大陸問題非介入を選択したのは、英仏の宣戦布告が自国防衛ではなかったことから合理性を見出せなかったためで、チャーチルは米国の軍事支援を継続させるために、米国外交使節に対し自分の娘をハニートラップに使って籠絡しようとした

1.    真珠湾攻撃を聞いた夜の晩餐会と米駐英大使の喜び

真珠湾の報がロンドンに伝わったのは、チャーチルが米駐英大使ウィナントを招いた晩餐会の席、ルーズベルトの名代で対英武器供与の窓口だったハリマン(鉄道王の息子、後の駐ソ大使)も同席。「イギリスはドイツに勝てないので、講和の道を探るべき」と主張するジョセフ・ケネディに代わってウィナントを駐英大使に起用したところ、チャーチルの娘サラとダブル不倫関係に陥り、チャーチルはこれを歓迎、家族の一員のように迎えた

2.    ジョセフ・ケネディとウィナント

ウィナントは、ニューヨーク州知事を36年務め、共和党員だがルーズベルトのニューディールを熱烈に支持するリベラルで、ILOの議長も務めている

ケネディの駐英大使は、ルーズベルトへの献金の論功行賞だが、英国内の対独宥和派と親しい関係を築き、対独講和を模索させる――FDRはケネディに対し、干渉主義外交に転向するよう圧力をかけ、ルーズベルトの3選を見て、ケネディも辞任を決断

3.    サラ・チャーチル(19141982)

サラはチャーチルの次女。女優を夢見て、1936年オーストリア系ユダヤ人の喜劇俳優と結婚、翌年には念願の映画出演を果たすが、米国籍を取得していた夫は、米国政府による英国在住米国籍者の帰国命令に応じて帰国、サラは英国に残留し離別

国防に貢献したいと決め、父に頼って婦人補助空軍に入隊、航空写真解析班に配属

4.    出会い

英国外交の目的は、まずはルーズベルトの3選、次いで米国の参戦実現にあり、武器貸与法による英国への武器供与の総合調整のため訪英したハリマンの接待にチャーチルの長男の嫁パメラを使う

5.    恋人のような2人の破局とウィナントの自殺

ウィナントとサラの関係は続き、サラは正式に離婚、ウィナントも離婚を条件にサラに求婚するが、サラは拒否して、映画の仕事に戻る。傷心のウィナントはしばらくロンドンに留まったが46年帰国、回顧録3部作の第1部を上梓したところで自殺、享年58

サラの男性遍歴はその後も続き、1人は自死、1人は急死と薄幸に歎き酒に溺れる

6.    長男ランドルフとの結婚と不倫生活

当時ロンドンにいた英国支援=米国参戦に最も影響力を発揮したと思われる米国人男性3人、ウィナント、ハリマン、エド・マーロウに、チャーチルはハニートラップを仕掛ける

マーロウはCBS特派員、ヒッチコック2作目の映画《海外特派員》のモデルで、ドイツの空爆に耐え抜くロンドン市民の姿を米国民に伝え、対英支援中止の動きを牽制

マーロウとハリマンを担当したのが長男ランドルフの妻パメラ。貴族の家に生まれ、チャーチル家の世継ぎを生んで務めを果たした後、ハリマンの歓迎会で隣に座りすぐに不倫に陥り、マーロウにも接近して落とす

7.    パメラ(192097)の戦後

チャーチル自身が不倫の子で、母親のジェニーの相手は100人を超えるといわれ、国王エドワード7世もいた

1946年ランドルフと離婚後パリにわたり、フィアットのオーナーのアグネーリとの結婚を望みカトリックに改宗までしたが叶わず、59年にはアメリカにわたってブロードウェイミュージカルの大御所ヘイワードと結婚したが71年死別、翌日に79歳の寡夫となっていたハリマンと再会し同年結婚、15年後に死別し莫大な財産を相続、民主党最大級のスポンサーとなって92年クリントンを大統領に押し上げ、駐仏大使になって97年同地で死去

 

5章       中国共産党に尽くした2人の女:アグネス・スメドレーとアンナ・ストロング

中国共産党を称揚し、蒋介石政権をくさすことで米世論と米国の対中外交政策を中国共産党有利に変え、中国共産党に尽くした2人の女

1.    スメドレー(18921950)のルサンチマン

ミズーリ州の小作人の娘。荒れた家庭に育ち、西部開拓ブームに乗ってコロラドに移住、反ロックフェラー=反資本主義の風潮に染まる。1916年ニューヨークに移り、フェミニズム運動の魁サンガーの下で働き共産主義思想を深化、インド独立運動にも参加

コミンテルンの手引きで1929年ドイツ紙の特派員として上海入りし中国共産党活動家と交流。貧しい中国の民に同情し、彼らが共産主義社会建設に燃える姿を西欧社会に伝える

2.    ゾルゲとの出会いと別れ

西洋人女性ジャーナリストの顔を最大限利用、魯迅や宋美齢とも交友を深める

ソビエトのドイツ人スパイだったゾルゲは、上海に潜入するとスメドレーと接触、お互いを利用するようになるが、スメドレーが友人の朝日新聞上海支局長の尾崎秀美をゾルゲに紹介し、ゾルゲが1933年日本に赴任すると尾崎を中心にするスパイ網を構築

上海の後フィリピンに向かい、フィリピンの独立獲得に動く

3.    西洋人共産主義者とのプロパガンダ

1933年、ソビエトが対蒋介石外交を再開したことから、スメドレーを刺激、芸術活動を共産主義宣揚プロパガンダのツールとして活用。魯迅にも紹介され、中国の社会主義芸術作品の外国語への翻訳作業を始める

4.    中国共産党軍幹部との接触

1928年には上海に来たエドガー・スノーとも接触し、共産党礼賛をエスカレート

延安の共産党本部に招かれ、毛沢東以下の幹部と面談、典型的な第5列。長征に衛生兵として参加、従軍ジャーナリストもこなしたが、1940年香港で胆嚢の手術を受け帰米。以後中国に戻ることはなかったが、帰国後も第5列として、中国礼賛の言論活動は続けた

5.    スメドレーを支援していた国務省

戦後ソビエトとの冷戦が現実になると、米国は共産主義の拡大に神経質になり、スメドレーもソビエトのスパイではないかと疑われた。朝鮮戦争が始まると、議会保守派は米国の容共姿勢が中国を共産主義者に奪われたと憤慨、下院非米活動調査委員会は容共派実務官僚を厳しく尋問したが、その中で、コーデル・ハル国務長官の指示で中国共産党寄りと知ってスメドレーに特別な便宜を図っていたことが露見

中国共産党の成立は、ルーズベルト政権の容共的外交の失敗の結果と思われる

6.    スメドレーの死

帰国後のスメドレーは執筆活動に没頭、朱徳の伝記などを上梓

中国共産党が国民党を圧倒するようになると、米陸軍情報部が彼女はゾルゲグループのスパイだったとする報告書を発表。中華人民共和国の成立を祝って英国経由中国に行く途上、持病が悪化してロンドンに客死。遺灰は彼女の希望に従って中国に送られ埋葬された

7.    毛沢東を礼賛した女:アンナ・ストロング(18851970)

スメドレーと同時期に中国共産党を礼賛したのがストロング

ネブラスカ州出身で、哲学博士号取得。児童福祉行政の取り組むが、左翼勢力の強いシアトルに移り住んで左傾化、ソビエト式革命を訴え、192040年モスクワに住み、ロシア人農夫と結婚、西洋人ジャーナリストとして、スターリンの第5列となる

1925年訪中、何度も訪中を重ねて毛沢東とも親しくなり、46年に発表されたインタビューは、米国内の蒋介石支援勢力への牽制となり、スターリンはほくそ笑んだ

8.    地球温暖化CO2悪玉説を拡散したアンナ・ストロングの甥:モーリス・ストロング

ストロングの甥モーリス・ストロングこそ、地球温暖化CO2悪玉説を世界的なうねりに「昇華」させ、中国の利益を優先させる国際協定を結ばせた黒幕であり、稀代の詐欺師

カナダのマニトバ生まれ、彼女の共産主義思想を引継ぎ自ら共産主義者を公言、カナダ石油開発業界の重鎮となり、92年国連のリオ地球サミットで議長を務め、CO2排出権取引所を利用し、先進国だけにCO2排出削減義務を課し、富の再配分スキームを完成させる

06年公的資金横領で訴追されると、伯母の伝で中国に逃亡、15年死去

15年のパリ協定でも中国は30年までCO2削減義務はない

 

6章       カナダを赤く染めた女:マーガレット・トルドー(1948)

モーリスをカナダ石油の総帥に抜擢し、その後の国連人脈形成に尽力したのがピエール・トルドー首相(任期196879、現首相ジャスティンの父)。ジャスティンの中国好きは公知だが、カストロ好きだった母マーガレットのDNAで、風貌もカストロに似ている

1.    生い立ちとピエール・トルドーとの出会い

ノースバンクーバーの連邦議員の娘に生まれ、団塊世代に共通の反体制のリベラル思想の持ち主、29歳上の法務大臣だったピエールに旅先で見初められ、71年学業が終わると同時に結婚し、ピエールは首相になったため、いきなりファーストレディとなったため、極端な鬱と躁が交互に出る双極性障害を発症、マリファナも手放さなかった

2.    セレブとの交流と離婚

ピエールと別居しニューヨークに住みセレブ相手の奔放な生活が始まる。84年離婚成立。不動産業者と再婚するが、自殺願望と摂食障碍が現れる。息子や再婚相手に先立たれた後は、精神障碍を公言して、06年以降精神問題の啓蒙の人生を送る

3.    2人のフィデル・カストロ(キューバ)好き

息子のジャスティンは、2015年自由党党首として首相に就任、マリファナ合法化を公約にして支持を伸ばすとともに母親孝行したが、ジャスティンは母親の啓蒙活動のチャリティ組織に公的資金を注入、多額の講演料を母親に還流させ、大スキャンダルに発展

ジャスティンは、ネポティズム(縁故主義)の政治家として知られるが、全体主義では特に縁故主義が強く、彼の中国好きの性癖から来ているのではないか。2016年のカストロ死の直後からジャスティンがカストロの子であったとの疑惑が報じられ始める。彼はハネムーンベイビーとされるが、両親は2度目のハネムーンをカリブ海で過ごしている

両親ともカストロ好きで、76年にはNATO加盟国首脳として初めてハバナに入ったが、その前に密かに会っていた可能性がある

カストロもそれに応えてトルドー夫妻を大歓迎。ピエールの国葬にはめったに国外に出ないカストロも参列

4.    ジャスティンの「カストロ礼賛」スキャンダル

2016年のカストロの死に際し、カナダは政府公式声明を出し、カストロに哀悼の意を表したが、トランプをはじめ米共和党中心に怒りの声が上がったのを恐れて、首相の葬儀への参加は見送り。さらに22年には最も平和的だったトラックコンボイ排除を目的とした戒厳令を発令するが、お飾りだと思われた貴族院の反対が確実になると慌てて撤回、カストロを思わせるような強権的な行為だった

 

7章       エリゼベス(エリゼ)・フリードマン(18921980):暗号解読の女王

貢献が大き過ぎて米政府は彼女の存在を隠し続けていたが、2008年関連の機密文書解除

1.    生い立ち

インディアナ州生まれ。農園主の娘。シカゴで図書館の仕事に就いたころ、綿紡績で巨利を得た知日家の富豪ファビアンのシェイクスピアの真の執筆者探しのプロジェクトに参加

2.    ウィリアム・フリードマンとの出会い

同じプロジェクトに1年前、遺伝学の応用で貢献が期待され参加していたフリードマンと出会う。ウィリアムの両親はロシアのポグロムから米国に逃れたユダヤ人

1次大戦で、英国はドイツのインド独立支援を警戒、両者間の交信解読ができず、ファビアンのチームに協力を求める。チームも「シェイクスピア=ベーコン説」の立証に苦闘していた矢先に、米国軍部に暗号解読部署がないことを知り、自らのチームを売り込む

3.    陸軍通信部隊(Army Signal Corp.)、酒類取締局(禁酒法)の時代

米陸軍は暗号解読部署を拡充、2人はワシントンDCに新設された陸軍通信部隊に採用

禁酒法下の1925年、米財務省からエリゼに密売組織の交信傍受の協力依頼があり、解読に成功。2年後には酒類取締局を発足させ、エリゼを正式採用。唯一の暗号解読者として活躍したが、30年には鬱の症状が出始める。精神疾患は暗号解読者の職業病でもある

4.    ウィリアムとSIS(Signal Intelligence Service:米陸軍通信情報局)

1922年、ワシントン会議で主要艦船の保有比率を日本側の7割の主張を蹴って5:5:3にしたのも、日本側の暗号電を解読して日本の最終ラインを知っていたからで、解読したのは陸軍のヤードリー率いるブラック・チェンバー

5.    紫暗号(日本外交暗号)解読

1939年、日本が暗号をレッドからパープルに変更、1年半かけて解読に成功、さらに40年末までには暗号文を平文に直す暗号解読機も製作

6.    風暗号傍受とフリードマンの曖昧な態度

米国参戦のためには、自身が攻撃されることが必要だったため、日本を唆して真珠湾に向かわせた。開戦前月半ば、東條内閣は各国の在外公館宛に風暗号で日米交渉決裂の場合の暗号関連資料の破棄を命じたが、その内容は、世界の天気予報を伝えるニュースの最後で、日米交渉破綻の場合は、「東の風雨」を2度繰り返すというもの

真珠湾攻撃後、ルーズベルト政権は守備隊の職務怠慢を追及、最高裁判事に調査委員会を発足させ、すぐに政権による裏工作の存在を消し去った

軍は、調査報告書に反発、風暗号が政権上層部に伝えられたことを主張、フリードマンもその内容をメモ書きにして残していたが、証言では曖昧な態度を取ったため、政権のメンツは守られたが、1980年に秘密解除された文書では政権に伝えられたことが明らかに

7.    エリゼとフリードマンの戦後

戦後米陸軍は、フリードマンの貢献を可能な限り矮小化しようとして、フリードマンは軍主流との確執から自殺願望が悪化、精神科でショック療法を受けて回復、52年新設の国家安全保障局の顧問就任。死後、彼の資料はジョージ・マーシャル基金図書館に寄贈

真珠湾攻撃をルーズベルト政権があらかじめ知っていたかどうかの論争はいまだ決着せず

戦時中のエリゼは、海軍に所属し暗号解読に当たったが、その1つが南米のナチススパイ網の通信傍受。傍受した交信メッセージをスパイ網捜査担当のFBIに渡し、44年にはスパイ組織壊滅に成功。フーバー長官はエリゼの痕跡を消したため、彼女の貢献が知られるのは21世紀に入って彼女の伝記が出版(2017)されてからのこと

戦後彼女は、財務省ナンバー2にまでなったソビエト内務人民部スパイのハリー・デキスター・ホワイトが設立した国際通貨基金の使用する暗号システムの構築を任された

 

 

 

 

 

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内容紹介

共産主義者をサポートしたルーズベルト大統領の妻。アメリカの要人を手玉に取ったチャーチル首相の娘。第二次世界大戦時の謀略に加担した女たちの真実を掘り起こす。

アメリカ大統領の妻=エレノア・ルーズベルト、

イギリス首相の娘=サラ・チャーチル、

中国・毛沢東のお気に入り=アンナ・ストロング、

007」が頼りにした女スパイ=ベティ・パック、

カナダ首相の母=マーガレット・トルドー。

暗号解読、親ソ世論の形成、軍事戦略の立案、冷戦世界の構築・・・・・・

歴史を変えた濃厚なハニートラップの数々を、欧米で埋もれていた一次資料を発掘し、暴き出した力作! 

「歴史はセオリーどおりには動かない。人間の好き嫌いや思いつきで、間違った方向に動いてしまう」と認識させられる物語の書。

 

 

 

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