GE帝国盛衰史 Thomas Gryta 2022.10.3.
2022.10.3. GE帝国盛衰史 ――「最強企業」だった組織はどこで間違えたのか
~ 巨大企業が崩壊するとき 内部では何が起こるのか?
Lights
Out ~ Pride,
Delusion, and the Fall of General Electric 2020
著者
Thomas
Gryta 『ウォール・ストリート・ジャーナル』ニューヨーク支局記者。2017年よりGEを始めとするコングロマリットを担当。ロンドンでコピーエディター、報道記者として働いたのち、ダウ・ジョーンズでバイオテクノロジーや製薬業界を担当。その後ウォール・ストリート・ジャーナルに移る。マサチューセッツ大アマースト校(歴史学)卒、ダウ・ジョーンズ在職中にコロンビア大ナイトバジョット・フェロー(ビジネス・ジャーナリズム)。1年間のドイツ留学経験もある。妻と子どもたちと共にニュージャージー在
Ted Mann 『ウォール・ストリート・ジャーナル』ワシントンDC支局記者。企業及び政府担当チーム所属。ザ・デイで政治担当記者として経験を積んだのち、ウォール・ストリート・ジャーナルに移籍。'17年までニューヨーク支局の企業局でGEを始めとする産業界を担当し現在に至る。ニューヨーク大(英米文学)卒。妻と息子と共にワシントン在
訳者 御立英史(みたちえいじ) 翻訳者
発行日 2022.7.12. 第1刷発行
発行所 ダイヤモンド社
カバー裏:
発明家・エジソンに起源を遡ることができるイノベーションに支えられた巨大企業・ゼネラル・エレクトリック。本書は、100年以上にわたって輝き続けた同社が、なぜ、どのように凋落したのかを記した歴史的著作
1.
「君は知っていたのか?」
2017年、ジョン・フラナリーは、11人目のGEの次期CEO。産業分野のリーダーが重視された中で、元バンカーのトップ就任は異例。新しい信条は「見せかけの成功を追うな」
ニューヨーク州スケネクタディは電気の街で、GEの前身であるエジソン・マシン・ワークス発祥の地。失敗に終わった発明家たちのアイディアをビジネスに結び付けた銀行家たちによって1892年設立。現在はGEの最大かつ最古の部門GEパワーの本社がある
CEOとして各事業部門を見直すと、すぐに本丸のGEパワーはキャッシュ不足に陥っていることが判明――発電用タービンの販売とその保守サービス契約によって、帳簿上利益が上がっているようになっているが、実際の現金は入ってきておらず、さらに市場の縮小により完成品と部品の在庫が膨れ上がっている
GEパワーでは、数十年に及ぶサービス保証を販売、その契約履行のための将来のコストの推計を操作することで目標通りに利益を嵩上げすることができた
これらの事実を知ってフラナリーはCFOのボーンスタインに対し「君は知っていたのか?」と睨みつけた
2.
ザ・ミートボール
円形のコープレートロゴの正式名称は「モノグラム」だが、昔の人は愛着を込めて「ミートボール」と呼ぶ
人々はGEに米国政府と同等の信頼を置き、GEは国の成長と共に成長し、時代とともに進化し、創業以来最大の力を蓄えて21世紀に歩みを進めた。2000年のピーク時には企業価値は6000億ドルに迫る
それから20年も経たないうちに想像できないほど衰えてしまった
ある重要な1点で、GEの終焉には株価では表せない深い意味がある。従業員や幹部社員、その家族の痛みや失望をも超える、深い意味だ。何世代にもわたって米国企業に優れた経営の意味を教えてきた企業の崩壊は、それほど大きな問題を提起しており、それはまだ解決されていない。GEを追いかけ、模倣してきた他の多くの企業の成功は、どこまでが本物なのか? どこからが彼らの想像の産物なのか?
GEで語り継がれる伝説によれば、不滅のGEは発明家エジソンが点した火を受け継いだことになっているが、誕生からその後の歩みを含めて、発明の才よりも資金力によるもので、電気技術の開発には莫大な資金が必要なことを知っていた金融界の大物が電気の分野の先駆者たちを取り込んだ結果だ――GEの生みの親はエジソンではなく、ジョン・ピアポント・モルガンで、資金力にものをいわせて競合する複数の会社を合併させた。エジソンは会社の財務状況が悪化していたため買収に応じざるを得ず、名前だけの初代取締役になったもののほんのわずかな期間だけで、失敗に終わる鉱山開発に必要な資金を得るためにGE設立後数年で株を売却している
それでも発明家のレガシーは、GEのマーケティング・メッセージに頻繁に登場するだけでなく、問題解決を仕組み化し、チームで発明に取り組むという、研究開発の文化にも受け継がれている。エジソンが体現したインスピレーションの価値は、エジソンという人物以上に大きく、GEの成功と名声を確立する上で意味があった
テレビの黄金時代には生放送のスポンサーとして大衆文化の世界にも参入。宣伝のために有名人を雇い消費者に自社製品を買わせ、従業員を鼓舞して世界を変えるイノベーションを起させた。落ち目の俳優だったロナルド・レーガンをCMに起用したことは有名
労組と厳しく対峙、攻撃的な姿勢で工場労働者との交渉に臨むスタイルを確立したのは副社長のレミュエル・ブールウェア。会社の提示は1回限りで、従業員はそれを呑むか、会社を辞めるしかなかった。この強硬姿勢はGEのイメージとして定着し、「ブルワリズム」と呼ばれ、彼の薫陶よろしきを得て民主党支持のハリウッドの大部屋俳優が米国初の右派大統領になれたという伝説があり、GEは自分たちがレーガンを育てたことに誇りを持っている
3.
ニュートロン・ジャック
破天荒な成功を牽引したのがジャック・ウェルチだが、その足元には危機が忍び寄っていたのに、それに気づいた者はいなかった
大恐慌の最中、鉄道車掌と家庭の主婦という高校も出ていない両親の間に生まれたウェルチは、ずけずけとものをいう野心家の母親の血を引き、母親に自信を植え付けられた
マサチューセッツ大アマースト校に入学、化学工学を学び、イリノイ大で修士・博士号を取得。1960年GEプラスチックスに入社。世界は勝者とそれ以外の者に分かれると考える彼は、何事にも正面からぶつかり、マッチョな競争意識を発揮。本社企画戦略部門から、さらに昇進してコンシューマー・プロダクト事業の責任者となり、'70年代末CEOのレグ・ジョーンズの目に留まって後継候補に追加され、’81年入社わずか20年でGE史上9人目のCEOに就任
無駄なコスト削減のため官僚主義を排除し、組織の簡素化に努める。戦略会議では5年計画ですら無意味と決めつけ、経営陣には不要な階層を除去するという任務を与える
市場で1位か2位になれる事業に集中すべきとして、利益を求めて新しい分野に積極的に進出。NBCを傘下に持つRCAを65億で買収したのもその一環だが、関連性のない会社を所有するメリットは、今日では事業の集中を評価するウォール街では否定される
ウェルチ指揮下でGEは急速に変化。在任20年で約1000件の企業買収を行い、総額は1300億を超える。在任5年で工場のロボット導入と自動化のために80億を投資する一方、GECCという新たな収益源を掴み、100億を投じて不動産やビジネス機器をリースする事業を開始、全社の収益シェア7%を最盛期には50%超にまで引き上げる
ウェルチの輝かしい業績の影で社員は大きな痛みを受け、’80年代には全従業員の1/4に当たる10万人の首を斬り、数万人の雇用を海外に移転。労組や反対派は、建物はそのままなのに中で働く人間だけを消滅させてしまう核兵器に準えてウェルチのことを「ニュートロン・ジャック」と呼ぶ
「ランク&ヤンク」という戦術も有名で、従業員をパフォーマンスでランク付けし、下位10%には通告して改善がなければ解雇した――ウェルチは、会社の競争力の源泉は社員にあり、個々のパフォーマンスを維持することは永遠の課題だと力説
労働者もウェルチに好意的なのは株価が上昇し続けたからで、20年間で40倍以上となるライバルのウェスチングハウスの凋落や、AT&Tの分割などの中にあっても、GEの解体など考えられなかったが、気前の良い配当のせいで投資家はGEの問題に気付かなかった
'85年の政府調達ビジネスでの虚偽タイムカードによる人件費の水増し請求での有罪判決や、’94年キダー・ピーボディの債券スキャンダル、ハドソン川のPCB汚染への対応など、不名誉な事例は散見されているが、ウェルチのキャリアにますます箔がつき、GEの好業績が続くにつれ、彼の考えに異論や疑問をぶつけることは難しくなっていった
世界初の企業内ビジネススクールといわれたニューヨークのクロトンビルのGE研修センターではウェルチ好みのリーダーたちが生まれ、他社の幹部も研修所詣でに暇がなかった
取締役会も、ウェルチに任命された取締役の集まりで、「拍手喝采」だけがその役割
最後に自らの強いエゴで失敗。CEOの座を明け渡した後も取締役会会長に留まり、ハネウェルの買収に執着、EUの規制当局の抵抗にあって断念、GEの株価も最後の1年で33%下落。はたしてGEとウェルチは、本当に言われているほど価値があったのか?
ウェルチがCEOに選ばれた際の後継者選考方法は、3人の候補が取締役副会長に任命され競争を強いられたが、選外の2人も副会長として残留できると言い渡されたが、ウェルチがやった後継者選びは、候補者を内外に知らせて競わせる公開バトルロイヤル方式で、GEパワーのボブ・ナルデリ、GEエアクラフトのジム・マックナーニとGEヘルスケアのジェフ・イメルト
4.
ビッグ・ジェフ
イメルトは、GEアビエーション管理職の父と学校教師の母の間に生まれ、ダートマス大でフットボールで活躍、’78年応用数学と経済学の学位を得て卒業しP&Gに就職、’82年ハーバード・ビジネス・スクール卒業後GEに入社。GEプラスチックスで営業マンとして活躍、社内結婚。’80年代後半、冷蔵庫のコンプレッサーの不具合問題が発覚、100万台の修理が必要になった際、ウェルチから出向命令を受け欠陥品の交換作業をこなして認められる。’94年GEプラスチックスのCEOとなるが、数値目標達成のため在庫を操作して利益を捻出していたことが発覚するも、公表する代わりに隠蔽し、海外子会社間での売買で売り上げ目標を達成する方法を考えつく
5.
後継者選び
電話1本で昇進に必要な業績をつくることを覚えた後、GEヘルスケアのCEOに転出
機器を売ると同時に、保守サービス契約を併せて販売することに注力
イメルトの経験不足を指摘する声もあったが、ウェルチは若く攻撃的なイメルトに惚れ込み、ウェルチらしく直感に従ってイメルトを後継者に選ぶ
後継者レースに敗れたナルデリはホームデポのCEOに、マックナーニも3Mへと去る
2001年9月7日、ウェルチはオフィスを去り、イメルトがGEの頂点に立つ
6.
同時多発テロ
9.11の朝、ウェルチは著書『ジャック・ウェルチ わが経営』の販促のためNBCの《トゥデイ》に出演するためロックフェラーセンターで生放送のため待機しているところで、6番街の歩道に情報から遮断されて放り出され、自分の本の発売が「これ以上なく愚かで、どうでもいいこと」に思えた
イメルトは苦境に追い込まれたが、GEキャピタルが良いタイミングで業績悪化を補ってくれた
7.
会計トリック
世界最大級のノンバンク金融機関となったGECCを通じてあらゆる業種に融資先を拡大していく
1年後、ムーディーズはGEが発行する164百万ドルの資産担保証券を、「問題含みの貸付債権の割合が増加している」として評価引き下げの監視対象とした
イメルト時代に急増したのが不動産取得
「今後ともウォール街を失望させることはない」と豪語する裏で、会計処理への依存度を高め、四半期末が近づくと土壇場での調整や目まぐるしい事業部間取引を行ったが、’84年からCFOとなったダマーマンに言わせれば、「収益に一貫性があることとサプライズがないことが重要だ」と嘯いた
GEでは最初に業績目標が決められ、どうやってそれを達成するかは二の次
高評価を維持するための工夫の1つが、会計規則を捻じ曲げて、買収による利益を膨らませること。エジソン・コンデュイットという特別目的会社を使って恣意的な売買価格を設定。GEが実質支配し、GECCが保証しているが、GEのB/Sには載っていない。CPを販売するために広く用いられている仕組み。GEでは不動産を高値で販売するために利用されたが、当時は会計上も合法
2001年のエンロン事件後の会計制度の改革により、特別目的会社が違法となり、GEも整理に奔走
年金基金も収益を膨らませる1つの手段として活用――将来の年金債務を現在価値に割り引いて、必要な支出額を算出するので、割引率を高く設定すれば引当金は少なくて済み、その分を利益として計上できる
2002年の企業改革法(サーベンス・オクスリー・アクト)によって企業統治と内部統制のあり方が大きく変わる――会計検査と情報開示の強化、不正行為に対する罰則の強化が図られ、企業幹部には会計報告の正確性を保証することが求められ、企業の透明性が要求
イメルトにとっては、9.11以上に打撃となる
8.
GEを見る目の変化
エンロン事件は、GEの安定した収益構造にも劇的な変化をもたらし、投資家が疑いの目を向けるようになり、GEの将来性にも不安を抱く
イメルトが透明性向上への新方針を発表すると、世界最大の債券投資会社PIMCOが「GEの誠実さが疑われる」としてGEの社債10億ドルを売却し、GE幹部に冷水を浴びせる
過去の15%という利益成長は企業買収の産物であり、その原資は自社株とコマーシャルペーパーだと指摘、GEの長期債も短期債も今後は買わないと宣言
ムーディーズも、GECCのCPと短期債務が1270億ドルに達し、うち銀行融資によって裏付けられているのは24%に過ぎないと報告。PIMCOもGEの債務と危機発生時の返済能力の間には巨大で危険なギャップがあると考えた
これらの疑念に対し、イメルトはコングロマリットが不況に強いことを反論するばかりで、投資家が求める透明性のレベルを見誤っていた
9.
封じられた最後の手段
ウェルチには財務の知識があったが、GEの財務は複雑すぎて自分の手に余ることも理解していたので、運営はキャピタルのCEOゲイリー・ウェントと、CFOのダマーマンに任せたが、イメルトはキャピタルの内容に目を光らせようとして、人員削減と部門再編成を行い、各部門をイメルトの直轄とした
ウェルチ時代は格付けを維持するために、キャピタルへの依存度を40%に抑えると格付け会社に約束していたが、イメルトは業績維持を優先させるあまり40%の上限を撤廃。工業系事業の不調を何とか糊塗して来たGE流の金融工学への投資家の不満が高まる
2002年、取締役会の中に置かれていた財務委員会を理由もなく解散
2002年秋、四半期決算の赤字転落が確実になった際、電子取引部門の売却による3億ドルの収益で利益目標を達成しようとしたが、GECCが取引成立に必要な資金を買い手に提供した結果で、ウェルチが創造力と財務的狡猾さを発揮して行っていたのと同じやり方だった
10.
買収と売却
株価の低迷が始まり、イメルト就任の2年間で23%も下落。2003年秋には3件の大型買収を3日続けて成立させ、ウェルチ同様収益拡大の手段を企業買収に求める
最初はフランスのメディア・通信企業ヴィヴェンディの映画・テレビ資産を140億で買収、NBCに統合してNBCユニバーサルを設立。GE史上最大の買収
翌日はフィンランドの医療機器メーカーを24億ドルで、翌々日は英国のライフサイエンス企業を95億ドルで買収
買収は各事業部門にとって戦略的な意味があったが、買収価格や買収資金調達のための自社株発行による希薄化・配当負担増などアナリストたちは疑問視
積極的な事業の売り買いには社内の反対もあったがイメルトは無視
売却の最大のものは保険事業、再保険に進出したものの、受再保険料の算出を見誤って行き詰まり、巨額の資金を投じたのち売却したが、買い手に魅力的に見せるため、損失を生むかもしれない再保険は自社に残した
11.
ブランド再構築
ウォール街の懸念に対しイメルトは「オーガニックな成長」という新たなマントラを唱え始める――買収によらず、既存事業の強化による成長を目指す
2003年、CMO(最高マーケティング責任者)にベス・コムストックを抜擢。9.11の後GEの愛国心と復興支援を表明するために、周囲の反対を押し切って、自由の女神が腕まくりして働く姿をCMに使って名を上げた
新しいタグライン(CMで使うキャッチコピー、当時はWe Bring Good Things to Life)やジングル(CM曲)でGEのブランドイメージを変えようと試みる――新たなタグラインはGE: Imagination at Work
各事業部のマーケティング部門主導で売上1億ドル規模の新商品やサービスの創出を要求
本社に研究開発、販売、情報テクノロジー、管理の機能を統合したハブ(Borg)を設立し、社員には境界のない営業活動を求め、GEの全製品を売ることを要求したが、結果的には間接コストを増大させるとともに、ウェルチが除去した官僚機構の階層を元に戻した
イメルトのもう1つのビジョンが海外市場の開拓。特に中国に着目。イメルト自ら1/4は米国以外で仕事をこなす
12.
買収による拡大
イメルトは、投資家が心配する会社の業績や成長や透明性に向き合うのではなく、セールストークに注力。株価に拘り、株式市場がGEの真の価値を評価していないと腹を立てた
イメルトの楽観的ビジョンは投資家に受け入れられず、世界のGDP成長率の2~3倍を達成するとの目標も非現実的と切って捨てられた
GECCは次第にハイリスクハイリターンを求めるようになり、2006年にはサブプライム住宅ローンに進出
それまでにGECCは海外にまで手を伸ばし、あくなき買収を繰り返して資産を急増
13.
歴史的事業からの撤退
GECCが成長し続ける一方で、工業コングロマリットとしてのGEは変化
前任者が大きな賭けに出たような事業はさっさと売却
特殊素材部門や、GEプラスチックスも116億ドルで売却
14.
帳尻合わせ
GEは結果重視で、トップダウンの数値目標が与えられ、達成に向けて差額を埋めるために奔走――GECCが保有する膨大な資産から、換金できるチップがふんだんに提供された
年末には締切直前の契約変更や注文処理に追われた
2007年、SECがGEのCPの金利変動リスクのヘッジ方法についての調査開始を決定。CPで調達した資金を超長期融資に流用していたとの疑惑で、調査はGEの会計処理全般に及び、会計規則の拡大解釈や、逸脱、無視が摘発された
15.
住宅ローン
イメルトは、人種やジェンダーの多様性の価値を重視し、GEの多様性に関する実績を改善するために真摯に取り組む
ウェルチは、’80年代にキダー・ピーボディの経営権を取得して金融仲介業に進出したが、インサイダー取引のスキャンダルなどで’90年代半ばに会社の大半をペイン・ウェバーに売却、最終的に12億ドルの損失を蒙っている
‘99年にはフォーチュン500がGEの分類を「電気機器」から「多角的金融サービス」に変更
イメルトの下でも、工業系事業とGECCの間には、ブルーカラーとホワイトカラーのギャップが存在、両者の分断は徐々に拡大
不動産事業はさらに拡大
16.
収益エンジンの停止
2005年フラナリーは、GECCのアジア太平洋地域の責任者として日本に赴任
ウォートンを卒業、GECCの内部を渡り歩く
10年前に買収した消費者金融のレイクが、’06年の貸金業法の改正で貸金の上限金利が引き下げられた上、過払い利息の返還義務を負うことになり、高収益のビジネスモデルが一転して違法行為となった
フラナリーは、救世主となった新生銀行にレイクの事業を54億ドルで売却、返金請求の費用について新旧オーナーで損失分担契約を締結し、無事危機を乗り切る
2008年第1四半期の実績が目標に大きく届かないことが暴露される――ベアー・スターンズの破綻の煽りでGECCの業績が悪化、GEの業績維持エンジンが停止
追い打ちをかけるようにウェルチがテレビに生出演し、「ジェフはしくじった」と公言
ウォール街にはGE解体論まで囁かれ、株価は下がり続け30ドルを割る
17.
質の低い利益
JPモルガンとGEには、トップ同士の間でも深い関係があったが、モルガンでGE担当のセルサイド(投資先の危機を感知して売りを推奨する立場)の優秀なアナリストがGE株を「オーバーウェイト」(多く組み入れを推奨)から「ニュートラル」に格下げし、「目標達成の結果責任が最優先され、闇雲に収益だけを追い求め、業績維持のために問題が隠蔽されている可能性がある」と指摘
18.
リーマンショック
'08年9月11日、イメルトはポールソン財務長官に、GEのCP販売に問題が生じていると電話で伝える――オーバーナイトより長期のCP販売が困難に
15日にはメリルリンチが売却され、リーマンが破産を宣言
イメルトは、会社の健全性やバランスシートの頑丈さについては心配ないと繰り返し強調したが、資金調達を支えていた銀行の融資限度枠に手を付けたカントリーワイド・ファイナンシャルが破綻したことで、融資限度枠の意味がなくなり、GEですら破綻の危機に直面
19.
政府による救済
市場が混乱し、次のドミノ倒しの憶測が飛び交う中、救済に動いたのがバフェット。ゴールドマン・ザックスに50億ドル投じ、次いでGEの優先株30億ドル(利率10%)を購入し、さらに5年にわたって普通株を@22.25ドルで30億ドルまで購入する権利を要求
ただそれまで強気の姿勢を貫いたイメルトは新規の資金調達は必要ないと強調し、さらには180億ドル以上を投じて自社株買いをしたが、バフェットの支援に意を強くして120億ドルの株式公募に踏み切った結果、自社株買いとほぼ同数の株式を2/3の価格で発行したことになり、せっかくのバフェットからの取引で得たキャッシュの2倍以上を失ない、CEOの言葉の信頼性を失った上に悲惨な株売買というしかない
10月にはFRBがCP資金調達制度(CPFF)を創設、格付けの高い企業の3カ月物のCPの購入ができる制度で、GEも1億ドルの手数料を払って参加
さらにFDICが暫定流動性保証プログラムTLGPを開始した際には、FDIC加盟の銀行のみを対象としたためGEは除外され、そのことをポールソンから聞かされた際イメルトは2つ返事で賛同しポールソンを感激させたが、直後に部下からこのプログラムから除外されればGEはさらに苦境に追い込まれると言われ、イメルトはFDICに泣き付く。たまたまソルトレイクシティに産業銀行を傘下に保有していたためその関連会社として保証対象として認められた。外からの助けは必要ないと繰り返し主張していたGEだが、政府保証を利用した最も多くの債券を発行し、突出した1310億ドルもの資金を調達
20.
トリプルAからの転落
イメルト就任時の株価38ドルは、’09年1月末12ドル、さらに翌月は一桁に下落
機会があるごとに後任への不満を口にしたウェルチに対し、イメルトも不満を爆発させ、「彼の犬でも経営できた」と発言、そのまま新聞に暴露された
業績降下に伴い業績予想の発表を停止、大企業が減配をする中、依然として減配を否定し続けたが、2月末には1/3への減配を発表、70年以上の不倒記録に泥を塗る
株価は6.66ドルを底に回復に向かったが、3月S&Pとムーディーズは格付けを引き下げ
GEは「当社の健全性が確認された」として重視しなかったが、格下げがGEの精神と神話の域に達した卓越性に歴史的打撃を与えたことは間違いない
結局GEを救ったのは、GECCの窮状をありのままに投資家に語った透明性だった
21.
メディア事業からの撤退
キャッシュ不足解消の第1弾がNBCユニバーサルの売却
22.
監視
GEが守られたのは連邦政府の助けがあったからで、その代償として規制当局の厳しい監視下に置かれ、過去2年半以上にわたって財務目標達成のために複数の不正行為を行っていたことが露見――投資かをミスリードする文書の発出、正確な記録と内部統制を怠ったことなどの違反が指摘され50百万の罰金
'10年、オバマによるドッド=フランク法の成立は、銀行ビジネスに地殻変動をもたらす
GEもFRBの監視下に入り銀行と同様の規制を受け、財務状況のストレス・テスト実施
23.
環境重視のブランド戦略
GEはEPAとの間で数十年にわたりハドソン川に堆積した有毒物質の処理責任を巡り確執
GEの2つの工場が排出した有害化合物は数世代にわたって100万ポンド以上に達し、ハドソン川は全長200マイルにわたってスーパーファンド法(汚染された環境の浄化や補償責任等を定めた法律)の対象となった。GEは全面禁止となる2年前の1977年には河川への投棄を中止したが、汚染された土壌からの浸出は20年以上にわたって続いていた
ウェルチ時代の1998年の株主総会で、河川の浄化対策に注力すべきとの株主提案をウェルチが否定したことで、すでにGEが環境の敵と見做されていただけでなく、ウェルチはテレビのインタビューで苦し紛れにPCBが人体に有害だとは信じていないとまで言い放ったため、ますますGEのイメージを貶めた。イメルトはそれを挽回するべく、既にB2B企業に変身しつつあったGEだが、自社製品が環境重視の条件に当てはまることを喧伝、ある程度の効果を上げていたこともあり、今回もEPAと妥協し、不完全ではあるがハドソン川の浚渫作業実施に踏み切る
24.
124歳のスタートアップ
負のイメージが焼き付いたGEを刷新するためにCMOのコムストックが中心となって、イノベーションそのものを生み出す融通無碍なイメージに修正しようとしていた
メディアも、GEを「124歳のスタートアップ」だと報じる
GEは自らを、シリコンバレーで羽振りを効かせる企業と同じ様な存在だと捉え直し、スタートアップ企業に強い関心を示す
25.
買収ターゲットを探せ
金融企業から本来の工業企業への脱皮を期して事業の売却買収に注力
GEの経営陣が最も重視する指標がマルチプル(評価倍率)で、その代表的なものが株価収益率だが、何をやってもほかの金融企業と同水準に留まり続け、現役組も引退組も保有するストックオプションは権利行使価格を下回ったまま
イメルトとボーンスタイン、M&Aを仕切るフラナリーの3人は、金融依存を断ち切ることのできる巨大企業の買収に向かう。ボーンスタインはGECCのCFOとして債務不履行を回避しGEを救った功績で新任のCFOとなっていた
26.
「簡素化」の追求
市場の監視を受けて、工業系事業の効率化に取り組んだGEは、2013年に「簡素化」と銘打った改革プロジェクトに着手――本社機能の見直し、事業ごとの管理の共通化を目指す
27.
テック企業への転進
テクノロジーのリーダーとして躍進するべく、それに相応しいイノベーションを目指す
既存メディアや新しいソーシャルメディアにも革新的なイメージを売り込む
その努力が報われて、2016年『ビジネスウィーク』は、「GEはいかにしてウェルチの亡霊を祓い、124歳のスタートアップになったか」と題する記事を掲載
28.
GEキャピタル vs FRB
その間もFRBがGECCに常駐
GECCには与信検討の標準的プロトコルが存在せず、信用供与の絶対的基準をどこに置いているのか不明。融資対象となる業界についての豊富な知識と、返済が焦げ付いた時に担保を差し押さえるワークアウトの能力を武器に、中堅企業に際限なく突っ込んでいくビジネスモデルでは、全社のリスクのコントロールなどできるはずもなく、危機から5年経っても帳簿に大きなリスクが残っていると指摘するFRBの監査チームと真っ向から対立
金融危機の際GECCのCEOだったマイク・ニールは、危機を免れた数カ月後の講演で、反省も謝罪も口にせず、次はもっとうまく市場の兆候を読み取らなければならないと言っただけで、危機から何も学ぶことはなかった
29.
極秘会議
株価収益率が改善されないジレンマと、金融危機後のGECCの役割低下により、GECC保有の必要性に疑問が提起され、主要事業を徐々に切り離していく方向を模索
30.
GEキャピタル売却
2015年、GECCが保有する不動産と住宅ローンの膨大なポートフォリオをブラックストーンに売却、航空機とジェットエンジンのリース事業や発電システム開発や医療機器購入のための融資以外はすべて売却へ
プレスリリースをすると株価は急上昇
同時に各工業部門の「事業開発チーム」に対し最大級のM&A案件の発掘が命じられた
31.
GEデジタル
イメルトは、工業企業の未来はソフトウェアとハードコア・コンピューティングにかかっていると考え、デジタルセンサーが極限まで小さくなれば、全ての機械にセンサーが組み込まれ、あらゆるデータを収集するようになり、ソフトウェアによってそのデータを活かせば世界制覇に繋がるとした
シスコからスカウトして後のGEデジタルとなる事業を本格化
GEのマーケティング活動はデジタル一色となり、新しいソフトウェア「プレディクス」だけで年間40億ドルの売り上げを確保するとぶち上げた
GEが実現した技術革新の中には見た目ほどには現実味のないものがあって、掛け声と実態の乖離が見られた
取締役会も、イメルトの強い労働倫理、楽観的な精神、先を見通した戦略を模索する熱意に心酔し、ほとんど異議を唱えようとはせず、具体的な約束を強いることもなかった
32.
奇妙な計算
2014年、買収の最大のターゲットとなったのがフランスの複合企業アルストム
トムソン・ヒューストンという電気会社を軸に、エジソンとトムソンが合併してできたのがGEで、GEがフランスに設立した子会社のトムソン・フランセーズとフランスの企業が合併してできたのがアルストムであり、お互い又従兄弟のような間柄で、買収の最大の魅力は、ガスタービン市場での圧倒的優位の獲得
買収は、現金不足で凋落にもがくアルストムから声が掛かる
企業価値を積み上げるより、アルストムの30%の大株主の合意を得られる金額から買収価格の検討が始まる
33.
株主総会直前の合意
2014年の株主総会には「簡素化」という名のコスト削減プログラムを立案した経営陣に対する抗議のデモに囲まれた中で開催
総会の直前、アルストムの135億ドルでの買収に合意
34.
企業と国家
アルストムとの合意がブルームバーグの端末に載ったが、アルストムの取締役会への報告もなく、肝心のフランス政府にも断りを入れていなかった
フランス政府は激怒し、正式にシーメンスにオファーを要請
GE取締役会もアルストムの電力事業買収を承認、アルストムの取締役会も承認したが、フランス政府は「アルストム法」を通過させ、売却に政府の関与を強めた
35.
フランス政府の抵抗
シーメンスはGEより企業価値を高く見積もった提案をしてきたため、GEも提案を改訂し、合弁事業の形に見直し、企業価値も引き揚げた
フランス政府も、アルストムの実態を考えるとGEの提案を受け入れざるを得ず、雇用の維持と合弁事業の仕組みを引き出して承認
36.
石油事業の失敗
重厚長大部門の刷新と再構築の作業が続く
石油事業では、金融危機以前から買収を進め短期間のうちに石油・ガス機器市場に進出
イメルトもウェルチを継いで140億ドルを投じてGEオイル&ガスを設立、2013年にはテキサスの老舗掘削会社ラフキンを33億ドルの高額で買収。明らかにイメルトの環境に対する発言と食い違っている
石油・ガスの需要の高まりとともに掘削・開発需要は高まり、1バレル100ドルが手堅い「ベースケース」の前提とされていたが、発表直後の105ドルから徐々に下がり始め、翌’15年には50ドルを割る。受注残の切り捨てや調整に追われ、ラフキンにも人員削減の鉈が振り下ろされ、工場は閉鎖。買収から閉鎖までわずか868日、4000人超の雇用が消滅
GEオイル&ガスも油田大手のベーカーヒューズと統合、株式の大半をGEが保有、「選択肢が増えた」と説明されたが、その後何をしようとしているのか説明はなかった
37.
プログラマー募集
GEデジタルでは、世界中の重機を接続してセンサーが発するデータを収集し、エネルギー効率を最大限まで高めるためのソフトウェアの開発が待たれたが、OSもクラウドも必要なインフラが揃っていなかった
当然他社と組むのが近道だったが、イメルトは勝利の鍵は「専門知識domain knowledge」で、必要なデータを持っているのだから、あとは自前でできると主張
2014年産業界初の強力なプラットフォームを標榜した「プレディクス」を発表したが実態が伴っていなかった
ジェット機のクリーンエンジンの開発費の半分にも相当する50億ドルがつぎ込まれたが、それに見合う成果があるかどうかは全く未知数だったが、イメルトは自身の残りのキャリアを賭けて、’18年には1株当たり少なくとも2ドルの利益を生み出すと宣言
38.
プレディクス
昔ながらのサービス契約より、ソフトウェアで「ソリューション」を提供する方が、投資家やアナリストにアピールすることが分かってきた
2016年、GEヘルスケアのCEOになったフラナリーは、競争激化で低迷する事業の再建を任され、同時にプレディクスの可能性も売り込んだが、プレディクスは機能せず
カストマイズされたものは稼働しても、他には広がらない
39.
「いまさらあとには退けない」
アルストム買収をEUの規制当局に認めさせるためには、一部を切り離さなければならなくなる
米司法省はアルストムのフロリダの子会社がGEとの合併により、タービンの部品供給で反トラスト法に違反すると指摘。さらにアルストムが海外で電力開発の契約獲得のために常習的に賄賂を払っていることが判明、組織的かつ体系的に海外腐敗行為防止法違反で、賄賂の総額は75百万ドル超に上り、罰金の額は10億ドル近くになると買収価格を超える
様々な譲歩の要求を積算していくとコストが利益を上回り、GEパワーとしては買収断念の結論を出したが、「これはジェフの案件だ。いまさらあとには退けない」と却下
40.
反対意見はなかったのか
後にイメルト以下アルストム買収を支持した経営陣は、買収が期待した効果を上げなかったと批判されると、「タイミングが悪かった」といって責任を否定。天然ガスによる発電の安定的増加を信じていた世界が、こんなにも早く再生可能エネルギーや蓄電池に注目するようになるとは、誰にも予想できなかったと言い訳した
反対意見を許さない組織とのGE批判が内外に噴出
アルストムとの買収交渉は71週間かけて漸く2015年決着したが、米国司法省の要求で収益の柱になったであろうフロリダの子会社はイタリアのアンサルドに売却され、欧州の規制ではタービン開発の技術を欧州企業に残すためアンサルドに譲渡され、その技術は最終的にはアンサルドの大株主だった上海電気に渡る
海外腐敗行為防止法違反の罰金も、GEが買収価格に上乗せ調整して支払う
41.
アクティビスト
GECCの大半の資産売却を発表したときからアクティビストのトライアン・ファンド・マネジメントとの協議が始まる
アクティビストは企業を解体することで各ピースの価値を高め、1つの企業である時よりも全体としての価値を高めるという戦略を好むが、お互い競合は避ける
イメルトが共同創業者を以前から知っていたこともあって、トライアンは25億ドルを投資しながらイメルトの戦略を全面的に支持
2015年末、トライアンはGEのアルストム買収を称賛し、借り入れを増やして200億ドルの自社株買いを推奨(結果的には失敗に終わる)。イメルトはお墨付きを得たと理解
42.
本社移転
GEの本社は40年来コネチカット州フェアフィールドにあったが、州選出の議員がこぞって同州内に工場を持つプラット&ホイットニー社に肩入れすることに反発して、本社をボストンに移転、州から145百万ドルの支度金を引き出す
イメルトは、GEがインダストリアル・インターネットをリードするデジタル工業会社であると高らかに宣言
GEパワーは、次世代の天然ガスタービンの開発に取り組み、空冷式で素材の融点を超える温度で運転する「驚異の工業技術と呼ぶマシンだ――もともと1949年に米国で初めて発電用天然ガスタービンを製造、’80年に解体されるまで稼働。世界初のガスタービンはGEの10年前にスイスで運転されていたが、その会社は2000年にアルストムに買収され、そのアルストムも今やGEの傘下にある
43.
グロース・プレーブック
GEパワーは、将来のメンテナンスの必要が減り効率が上がるとして契約のアップグレードを積極的に進めていたが、先々のメンテナンスを将来の収益源としていたGEにとっては将来利益の先取りのようなもの。それもあってJPモルガンのセルサイドのアナリストは、初めてGEを売り推奨銘柄に指定しようとしていた
2015年の社内の主要8部門を集めて収益計画を発表するグロース・プレーブック(成長戦略会議)でGEパワーのCEOボルツは将来はガスが主流になるとして驚異の年間売り上げ成長率5%という目標を掲げる――誰もがイメルトの設定したゴールを目指して精一杯ストレッチした目標を挙げた
44.
攻撃的会計処理
化石燃料で動く発電機の販売不振と再生可能エネルギーの追い上げに直面したGEパワーの経営陣は、航空部門で長年の慣行だったジェットエンジン販売のスタイルを導入。赤字でエンジンを納入し、メンテナンスなどのサービス契約で収益を上げるやり方で、サービス契約に関する会計ルールでは、将来利益を自由に見積もることができ、それを現在の会計期間中に計上することが認められる。研究開発やイノベーションの多くは契約の長期的収益性の向上を目指して行われ、改善を契約に上乗せすることで収益が確保される
2016年、GEパワーは全ての契約をチェックし、機械のアップグレードを割引価格で提供することと引き替えに契約期間を延長、帳簿上の利益を作り出すとともに、今後は全ての契約を毎年見直すこととした――収益達成という投資家への約束は果たしたが、将来利益の先食いに過ぎない。違法ではないが、意図的で攻撃的な利益調整と見做されかねない
市場の現実を反映しない目標に現場からも疑問の声が上がったが、握り潰された
45.
ヘッジファンドとの合意
トライアンは、GEが投資1年目にして目標未達に終わることが分かってアクティビストの本領をむき出しにする――GEもコスト削減目標の倍増と業績評価の目標値を設定、未達であれば経営に介入することを約束
46.
権力との距離
イメルトは、オバマから「雇用と競争力に関する大統領諮問委員会」の委員長を委嘱されると、公的な義務の1つとして受け入れたが、景気低迷が続く中成果が上がらず、「共和党中道右派」を自認するイメルトだったが「オバマの手先」とこき下ろされる
トランプが大統領になってGE上層部は戦慄したが、楽観論もあった
‘90年代、GEが差し押さえ物件として取得したコロンバスサークルのG&Wビルの再開発でトランプのアイディアを買ってプロジェクトを成功させた経験がある
イメルトも、GEが傘下のNBCで《アプレンティス》を立ち上げ落ち目のディベロッパーというトランプのイメージを回復させ、成功者としての彼を新世代の米国人に紹介したときからトランプと親しく交わる
トランプに勝利をもたらした選挙戦略と政権初期の動きは、米国だけに利益をもたらす重商主義的人気取りに根差しており、GE改革に挑むイメルトの世界観とは正反対で、'17年初には株主への手紙で、GEが国の政策に左右されない大きな存在であることを強調
業績に思わぬ綻びが出たのが’17年第1四半期のGEパワーで、1期で16億ドルのキャッシュが減少、さらに業績不振の原因の大半がGEパワーのサービス契約にあることが判明
47.
変更が許されない公約
投資家に約束した1株当たり2ドルの利益目標の達成が困難視される中、株価は市場の動きと反対に下がり始め、投資家への説明でもイメルトの自信のなさが現れ、自らの役割の終わりを自覚していないことを露呈。トライアンも取締役の席を要求
48.
新しいボス
漸くイメルトは自身が代わらないとGEが変わったと認められないことを自覚し、ウェルチの時とは異なり完全な秘密主義で後任選びを始め、候補者にも知らせなかった
最終候補者は、CFOのボーンスタイン、GEパワーCEOのボルツ、GEヘルスケアCEOのフラナリー、GEオイル&ガスCEOのシモネリの4人で、取締役会で最終面接が行われたが、事前にフラナリーに決まっていた。ボーンスタインもCFOとしての残留が決定
フラナリーとの決定は驚きをもって受け止められた――会社や部門を経営した経験が十分とは言えないとの評価
フラナリーは、イメルトのようなカリスマ性はなかったが、銀行マン的センスで投資家マインドを持ち、苦もなく数字を把握し、GEの事業が生み出すキャッシュに拘った
イメルトの失敗を反面教師として、GEの文化を変え、議論を尽くして集中する集団にしようと考え、合理的なGEの姿を思い描く
49.
隠蔽体質
イメルトは、コーポレートジェットで世界を飛び回ったが、常に2機帯同で、問題を指摘されたイメルトは'14年に知ってやめたと弁明したが、実際は続いていた
何度か内外から告発もあったが、フラナリーがCEOに就任するとWSJが暴露
2機使用問題は、フラナリーが以前から感じていたGEの問題の反映
全ての現場の視察によって見えてきたGEの問題を、ボーンスタインが知っていたのかどうかが分からなかった。現場で問題のある処理がこっそり続けられていたのかも
キャッシュ不足も深刻な問題――投資家からも速く動けとの強い要望を聞く
'17年第2四半期決算発表での最も不吉な瞬間は、準備段階でボーンスタインが、とうに売却したはずの保険の見直しに言及した時
50.
見えてきた現実
フラナリーの初期のコスト削減策は、社用機の売却ほか会社持ちの冗費の削減、各地に散在していた研究センターの統合
イメルトの在任中1000億ドルを自社株買いにつぎ込んだが、大半が含み損を抱えている
'17年には120億ドルのキャッシュが必要と発表したが、配当原資の80億ドルはおろかほとんど調達できていない
51.
CFOの涙
'17年央の幹部を集めた研修会で、フラナリーが会社の現状を詳しく説明、そのあとに立ったボーンスタインは檄を飛ばした後、言葉に詰まって涙した
フラナリーが常に取締役会に諮り議論を促しながら、決定も優柔不断な所に不満が湧き、彼を支える経営陣に辞職が相次ぎ、ボーンスタインも退任
トライアンの共同経営者が取締役に就任。投資の損失をカバーするためにまずは取締役会の議論を活発化させる
52.
自社株買い
第3四半期決算の頃には株価が下落、工事系事業からのキャッシュも通年で70億ドルに留まるとの予想。損失の大半はGEパワーで、契約見直しにより売上と利益は増えていたがキャッシュは入らず、需要の読み違いから在庫を抱えていた
'18年計画の発表の席で、過去数年フリーキャッシュフローを上回る配当をしてきたことを告白、配当を半減させるとした
自社株買いも、イメルトの退任を機にストップ
53.
リセットの年
‘18年を「リセットの年」と宣言、1株当たり2ドルの利益という幻想も取り下げ
GEパワー、アビエーション、ヘルスケアの3事業に集中し、ディーゼル機関車の運輸部門とライティングというエジソン以来の伝統ある2部門も売却を検討。イメルト最大最悪の失敗プロジェクトの石油・ガス事業からも撤退
フラナリーは透明性と誠実さを強調、「見せかけの成功は追うな」とのメッセージを社内に浸透させ、GE神話からの脱却を目指す
54.
スタブ保険
GEは保険事業からの撤退を明言していたが、事業の最悪の部分を誰も引き取ってはくれなかったため、大きなリスクを抱えていた
問題は介護保険で、商品設計のミスから準備金積み増しには150億ドルもの資金が必要と判明――30万件の契約の再保険を引き受け、130億ドルの信用限度額を確保、カンザス州の規制当局と話し合い、何とか7年間に繰り延べることで妥協
2004年、保険事業を統括するジェンワースを新規上場させる際、介護保険の存在が障碍になっていたのは明らかだったが、GEはあらゆる損失を負担することに合意、'12年の年次報告書から介護保険関連の負債を削除し、’17年まで元に戻さなかった
'17年初頭からボーンスタインは「スタブ保険」の存在を口にし始める。「スタブ」は切株とか半券の意、保険ビジネスの専門用語で、全ての事業から撤退した後に残るリスク部分を指し、事業を傘下に抱えるGECCは最大30億ドルと推定されるGEへのキャッシュの支払いを停止しただけでなく、規制当局から要求される150億ドルの準備金にも備えなければならなくなった
巨額の隠れた損失が、誰にも認識されることなく何年にもわたってGE内部に潜んでいたことに関係者は一様に驚愕
55.
コーポレートガバナンス
保険騒動によって投資家の間にわずかに残っていたGEへの信頼は消滅
取締役会会長にCEOがなることはコーポレート・ガバナンスの基本原則に反するが、GEはその形式に固執
取締役は、年間30万ドル以上の報酬を得、GEの家電製品が提供され、取締役が慈善団体に寄付を行う際はマッチングファンドが設定されてGEから同額が寄付される。退任する際は当人の名前でGEから慈善団体に100万ドルの寄付が行われた
イメルトの時代、取締役会はイメルトの提案を無条件で承認し、2016年JPモルガンの元CEOサンディ・ワーナーが、イメルトの後継者決定を急ぐべきとか、せめて退任の時期について議論ぐらいはすべきと提案したが、任期満了を理由に追い出された
56.
正直すぎた経営者
'18年、業界のカンファレンスでフラナリーはGEの置かれたポジションに関し実情を話したが、あまりにも正直すぎ、流動的な状況の中で将来の約束をして自分を窮地に追い込むことを避けたともとれたことから、株価はさらに下がった
57.
GE解体
'18年、GEがダウ・ジョーンズ工業株平均から外された――1907年30銘柄で構成されたダウ平均の当初から残る唯一の銘柄で、代わって登場したのは時価総額でGEの1/2以下のドラッグストア・チェーンで卸売業のウォルグリーンズ・ブーツ・アライアンス
年央にはヘルスケアを分社化してベーカーヒューズに売却、債務を削減すると発表
最新の大型ガスタービン・ブレードに故障が発生、納入先の発電所を閉鎖させたことや、過去の買収の費用償却のために200億ドル以上を計上しなければならなくなったことなどの責任を取る形でフラナリーは解任、在任期間14カ月はGE史上最短
代わってCEOとなったのは、年初に取締役に加わり、筆頭取締役担っていたダナハーの元CEOのラリー・カルプで、オペレーションの達人とされた
カルプは、配当を1セントまで下げたほか、やることはフラナリーと一緒で、発言するたびに株価は下落。刑事と民事の両方でGEパワーのサービス契約の取り扱いや介護保険やアルストム買収の評価損の適切開示などについて当局の調査が続き、格付けは引き下げられた
フラナリーは、退任後もGEの問題解決には時間がかかるとの考えを変えていない。プライベート・エクイティ・ファームに第二の職場を得る
イメルトは、テック系の投資やスタートアップの支援などをしているが、今でも離脱を余儀なくされたことからの傷は癒えていない。未だに自らの戦略の正しさを語り、ハーバード・ビジネス・レビューには勝利者のスピーチを掲載。GE株の保有を続けている
'19年後半になってもSECと司法省の調査は継続、元経営幹部は不安と弁護士費用を払いながら、新しいビジネスや引退後の趣味に専念する
GRパワーのボルツはブラックストーンに職を得、ボーンスタインはベンチャー投資ビジネスを始める
ウェルチは、今でも自分のGE経営はA評価、後継者選びはF評価と言いたがり、イメルトに怒りを隠さない。戦略の失敗、過剰な自社株買い、GEパワーの経営不振、イメルトに長くしがみついた取締役会を非難。’20年没、享年84
カルプの下で、GEは運輸交通事業を売却、石油・ガス事業からも撤退。ヘルスケアのバイオ医薬品事業を210億ドルで売却して膨大な債務を軽減、ライトニング事業も売りに出す
カルプは、ウェルチ時代のGEの文化を目指すと宣言。卓越したオペレーションを追求し、リーン生産方式で生産効率を高めていた時代の文化。カルプが成功すれば、皮肉にもGEが最も大切にしてきた信念が否定される。GEはどんなビジネスでも成功させる秘訣を知っているし誰にでも教えることができると豪語していたが、肝心な時を救ったのは外部の人材だったことになる
58.
エピローグ 1つの時代の終わり
イメルトは、冷酷な反面思いやりや励ましを示したので、リーダーの近くにいた人々は、GEの大惨事について振り返る時に共通して「ジェフは友だちだよ」と付け加えた
GEの凋落の16年間、トップにいたのはイメルトであり責任は重大だが、責められるべきはCEOを監督するための取締役会。多くの取締役が破綻を目にして「わかるはずがない」と言い訳するが、それでは取締役の職務を全うしたことにはならない
会長が自分の好みに合わせて取締役を選び始めたら、取締役会は劣化する一方
GEのトップダウン文化にも大きな責任がある――トップはこの文化を自分に都合よく利用。少々のミスなど簡単に覆い隠せる巨大組織において、目的のためには手段を選ばないメンタリティと、規律なきコスト感覚を社員に植え付ける。規模の優位性が最大の弱点になってしまった
株価や投資に対するリターンだけで評価すると、イメルトはどうしようもない経営者ということになるが、GEを多様で革新的な企業にし、株価以外の何かで知られる存在にしようと努力したことは間違いない
側近ですら、イメルトの根っからの温かさと楽観主義のせいで、GEの勲章であるはずの厳格なプロセスと熟慮が疎かになっていたと振り返る
GEはマネジメントと人材育成の能力を誇っていたが、少なくとも自分たちの責任と真剣に向き合って経営に関与する取締役会を持っていなかった。石油大手コノコの元CEOが取締役にいながら出口戦略もないまま軽率に石油事業に参入し、原油価格の下落であっさり失敗したのか
イメルトが去った後の1年間で1400億ドル以上の市場価値が消滅
GEは時代に取り残された
20世紀後半から今日まで、GEは作り出したもの以上の何かを意味する存在だった。それは資本主義的な実力主義の象徴であり、単なる成功を超える、ある種の美徳を追求する場の象徴でもあった。目標を定めそれを超え、収益を上げ市場を獲得するための努力を通じて培われる美徳である。会社と自分の富を追求することは真っ当な行為であり、人生の道標にもなるという、漠然とではあるが広く浸透している考えを象徴する存在でもあった
GEには同時に、出自の良い組織にありがちな傲慢さもあった――目標を達成しようとする意志は客観的な計算に勝つと信じていた。恣意的に決めた1株2ドルという配当を達成することがすべてであり、そのためには何でもする会社になった
それがGEを違法スレスレの攻撃的な会計処理、男性至上主義の文化、戦争の言葉で戦略とマネジメントを語る組織へと駆り立てた。イメルトの経営者としての最大の強みは、最後に勝つのは気合と根性だという、フットボールのコーチのような精神論にあった。敵に突進する時のように、前を見て姿勢を低くして強い思いでぶつかれば数字も動くと考えた
いわゆるインスピレーショナル・リーダーシップはもう通用しない。現実は体育会系スポーツの練習場ではない。想像力だけではうまくいかないこともある
59.
その後のGE
コロナのパンデミックはGEアビエーションにとって青天の霹靂。直前にもボーイング737MAXが2機墜落して350人の犠牲者を出し、同機の生産が停止。さらにはGECCの航空機リース事業は壊滅。反面パンデミック前から計画していたリストラが抵抗なく進められた。バイオ医薬品事業をダナハーに売却して200億ドル以上を調達、全ての債務の返済期限を2024年まで延ばす
SECの調査は、’20年末に2億ドルの和解金を払って終了したが、和解命令には調査結果が詳細に記され、そこに表れたGEの姿は、人材を適切に管理する会社でも、事業を効率的に進める会社でもなく、規制当局への提出書類や公式声明の中で投資家に噓をつき、増大するリスクを無視し、リスクを隠蔽するために奔走した企業の姿だった
基本的に、SECが争おうとしたGEの不正は、計上した利益額そのものは正当だが、その意味を正直に説明しなかったことにあった――GEパワーについては、長期サービス契約の推定コストを引き下げ実体のない利益を計上したにもかかわらず、どこにも報告せず隠していたことを問題視し、経営陣もその事実を知っていたと断じ、保険事業でも保険数理の操作や会計処理によって損失の拡大を隠蔽し、全体的な準備金の見直しを回避していたが、問題の深刻化を一切公表しなかったと指摘
GEにとってこの事件は終わったが、SECの調査はまだ継続中で、個々の幹部やチームが訴追される可能性は残っている
訳者あとがき
2020年にハードカバー版が発行され、翌年その後のGEをカバーする59章が追加されペーパーバック版が発行された
断片的な情報やひそひそ話の形でしか表に出ることがなかった凋落の全容を、WSJの2人の記者が、深く内部に分け入る取材で明らかにしたのが本書
ビル・ゲイツが自身のブログに推薦図書として取り上げたことでも、本書は注目を集めた
「知りたかった崩壊の理由が分かった」と高く評価、「巨大化した組織の文化、意思決定、会計に関する詳細な洞察を与えてくれた。何らかの形でリーダーの役割を果たしている人であれば、この本から学べることは多いはず」とレビューを締めくくる
(書評)『GE帝国盛衰史』 トーマス・グリタ、テッド・マン〈著〉
2022年9月10日 5時00分 朝日
■白日のものとなった凋落の内実
ゼネラル・エレクトリック(GE)は、米国そのものであった。GEの拡大は米国の成長と共にあり、その歴史はエジソンまで遡る。
社員になることは人生の当たりくじ、GEへの投資は負けない賭けを意味した。
ところが2000年代に入ると、1株あたり2ドルあった配当は、セントの単位まで暴落、何千人もの社員が解雇された。ビル・ゲイツも注目した本書では、GE凋落の内実が語られる。
工業製品を皮切りに、テレビ番組や保険も手掛ける超巨大コングロマリット(=複合企業)に成長したGEは、次第に金融業者のごとくなっていた。勝ち得た信頼を足場に企業売買を繰り返し、住宅ローンを販売した。金融部門は、GEの利益の半分を稼ぎ、9.11で抱えた巨額の負債、他部門の失敗を補填した。
加えて、法律違反すれすれの帳簿操作が繰り返された。ないはずの利益が計上され、表向きの輝きは保たれ続けた。
しかし、リーマン・ショックなどで金融部門が打撃を受けると、その綻びがとうとう白日のものとなる。
強大権力を持つボスの顔色をうかがい、イエスマンになる上層部。課せられた数字のためなら手段を厭わない社員たち。問題が発生しても責任の所在が追えなくなるほど巨大化、複雑化した組織。顧客に場当たり的な安心を与えるため、多用されるレトリック。苦境は気合で乗り切れと発破をかけるリーダー。
読みながら、これは日本のことかと何度も疑った。しかしこれは太平洋の向こうの話なのだ。
年を重ねると、正直であること、誠実であることの価値を疑ってしまうことがある。しかしGE凋落の顛末を知ると、この二つは何かを存続させる上で、とても大切な姿勢のように思えてくる。だが、巨万の富を得て勝ち逃げするGE取締役たちの記述をみると、すぐさまその思いには、影が差してしまうのだ。
評・磯野真穂(文化人類学者)
*
『GE帝国盛衰史 「最強企業」だった組織はどこで間違えたのか』 トーマス・グリタ、テッド・マン〈著〉 御立英史訳 ダイヤモンド社 2200円 電子版あり
*
Thomas
Gryta 米ウォール・ストリート・ジャーナル紙記者▽Ted Mann 同紙記者。
Wikipedia
ゼネラル・エレクトリック(英語: General Electric Company、略称: GE)は、アメリカ合衆国を主な拠点とし電気事業をルーツとする多国籍コングロマリット企業である。世界最大のアメリカ合衆国の総合電機メーカー。
概要[編集]
以下の幅広い分野などでビジネスを行っている。
航空機エンジン
医療機器
産業用ソフトウェア
各種センサ
鉄道機器
発電及び送電機器(火力発電用ガスタービン、モーター、原子炉[注釈 1])
水処理機器
化学プロセス
鉱山機械
石油・ガス(油田サービス、天然ガス採掘機器、海洋掘削)
金融事業(法人向けファイナンス、不動産ファイナンス、各種リース、銀行、信販)
ダウ平均株価の構成銘柄のうち、1896年5月26日の算出開始時の銘柄中唯一残存していたが、2018年6月26日に業績不振による時価総額の減少のため除外された[2]。入れ替わったのはウォルグリーン・ブーツ・アライアンスである[3][4]。
長らく世界屈指のコングロマリットとして事業拡大が行われてきたが、2001年にCEOとしてジャック・ウェルチの拡大路線を引き継いだジェフ・イメルトは、主な事業の取捨選択に失敗しており、GEがかつてのITTと同様な道のりをたどるかも知れないという見方も出ている[5]。2017年8月1日にCEOに就任したジョン・フラナリーは11月13日、事業の絞り込みを行うことを表明[6]。2021年11月には航空、ヘルスケア、エネルギーの3部門を分社化して上場する計画を発表した[7]。
沿革[編集]
1878年 - トーマス・エジソンがアメリカで新しい実験室を開く。
1878年 - トーマス・エジソンがエジソン電気照明会社を設立。
1889年 - 電流戦争。上記会社を吸収し、エジソン・ゼネラル・エレクトリック・カンパニーを設立。
1892年 - ドレクセル・モルガン&カンパニーの助けでトムソン・ヒューストン・エレクトリックと合併し、エジソンの名前を外した「ゼネラル・エレクトリック」が誕生[8]。トムソン・ヒューストン社社長のチャールズ・A・コフィンが初代社長に就任。
1896年 - GE、ダウジョーンズ工業平均にコンポーネント。
1905年 - 東京電気(現・東芝)株式の51%を保有し、特許も東京電気へライセンス[9]。役員も派遣。持株会社としてエバスコ設立[注釈 2]。
1909年 - 芝浦製作所(現・東芝)株式の24.8%を保有し、特許も芝浦製作所へライセンス[9]。役員も派遣。
1918年 - アメリカ海軍向けに無線用の200キロワット交流発電機を開発。
1919年 - 東京電気と芝浦製作所へGE発明の日本での特許出願権を譲渡[9]。後に関東大震災を経て2社名義でのGE出願数が倍化。
10月 - ゼネラル・エレクトリック、AT&T、ウェスティングハウスの3社がオーウェン・D・ヤングの提案により、共同出資でグリエルモ・マルコーニのアメリカ支社を買収、ラジオ・コーポレーション・オブ・アメリカ(RCA)を設立[10][11]。
1927年 - テレビ放送の実演を実施。
1928年 - テレビ放送を開始。
1929年 - オーウェン・D・ヤングがAEGの監査役に就任。
1930年 - 芝浦製作所がGEタービン関連発明を日本で出願するようになる[9]。以降、GEの主導により東京電気・芝浦製作所2社間の特許割当・移管が進む。
1939年 - 東京電気無線(1945年に東京芝浦電気株式会社となる。以下、東芝)誕生。
1941年12月22日 - 太平洋戦争下に敵産管理法が施行され、GEが日本に保有する資産は横浜正金銀行の管理下となった。GEの日本特許は東芝の名義で出願登録されていたので、工業所有権戦時法による取消を免れた。1939年から1941年までの3ヵ年で、GEは東芝に501件もの外国人発明を出願させていた[9]。
1944年 - 東芝のGE技術(特に真空管製造技術)を日本軍が他社へ公開するよう圧力をかける。技術は東芝のバックアップにより、日本電気・日本無線・川西機械製作所などが受け継いだ[9]。
1951年 - サンフランシスコ平和条約。GE、日本での事業を再開。
1953年 - インベスター・リレーションズ担当部署を設置。
1955年 -
人工ダイヤモンドの合成に成功。
非営利法人Nuclear
Power Group Inc. を編成。参加企業は次の8社。Commonwealth
Edison、American
Electric Power Service Corporation、Central Illinois Light Company、Illinois Power Company、Kansas
City Power & Light Company、Pacific
Gas & Electric Company、Union
Electric Company、ベクテル(Bechtel)。
1956年 - 資本金1000万ドル超え。
1959年 - GE-200シリーズ発売で、メインフレーム事業に参入。1960年代を通して、アメリカの8大コンピュータ企業の一つであった。
1961年 - 戦前から電気機器市場カルテルを結んでいたことにより、43万7500ドルの罰金刑を受ける(反トラスト法#裁判例)。
1963年 - 大型メインフレームGE-600シリーズをリリース。
1964年 - 日本の東芝とのコンピュータ技術提携契約。2月15日、フランス企業Groupe
Bull の株式51%を取得。
1970年 - メインフレーム事業から撤退。ハネウェルに商用コンピュータ部門を売却。
1971年 - 日本の三井化学と長瀬産業の3社合弁で日本ジーイープラスチックスを設立。
1981年 - ジャック・ウェルチが最高経営責任者(CEO)に就任。ところで現在のGEはどのビジネスもその産業分野でのシェアが1位か2位であることをビジネス存続の条件としている[注釈 3]。この方針はジャックの就任以降に打ち出された。彼は一連のGE改革の成果から“20世紀最高の経営者”と呼ばれた。
1983年~1984年 - ピーター・キャリントン男爵が会長をつとめた。
1986年 - CEDビデオディスク事業の失敗により経営危機に陥っていたRCAを64億ドルで買収。当時最大規模のM&Aとなる。これに伴いRCAが保有する三大ネットワークの一角であるNBCやその本社ビルのGEビルディングも傘下に収める。但し、RCAレコードについてはRCAが西ドイツのベルテルスマンへ分割売却した。別件でKidder,
Peabody & Co.も買収。
1994年 - 米国GEキャピタルの子会社として設立したゲートファイナンス株式会社が、日本の機械メーカーミネベアからミネベア信販を買収。NCカード仙台のクレジットカード事業も取得し、日本において信販事業に参入。
1995年 - ゲートファイナンスはゼネラル・エレクトリック・キャピタル・コンシューマー・ファイナンス(GECF)株式会社へ社名変更
1996年 - 新京都信販を買収
1998年 - 日本における保険・金融事業を拡大
経営危機に陥っていた日本の東邦生命保険と米国GEキャピタルが提携し、共同出資によるGEエジソン生命保険を設立。東邦生命は既存契約の維持のみ行い、保険の新規募集に伴う営業職員はエジソン生命へ移管。エジソン生命の保険契約を東邦生命へ再保険させる事(一定の収益移転)で経営再建を目指す。
幸福銀行子会社のコーエーローンをGEキャピタル子会社のゼネラル・エレクトリック・コンシューマーローンが買収。日本での消費者金融事業に進出。
経営危機に陥った同族経営による消費者金融大手のレイクが新旧分離し、ゼネラル・エレクトリック・コンシューマーローンが事業会社を買収し吸収合併[12]。
日本リースを買収、GEキャピタルリーシングを設立。
1999年 - 東邦生命保険が経営破綻。再建スポンサーに名乗りを上げ、東邦生命の生命保険契約はGEエジソン生命が承継。仏トムソンにRCAブランドを売却。
2000年 - 日本GE・エンジンサービス設立。また、旧・新京都信販の資産を活用する形でクレジットカード「GEカード(ICBAのライセンスによるVISAブランド付帯)」の新規募集を開始。
2001年 - ジャック・ウェルチが引退、後任としてジェフリー・イメルトが最高経営責任者(CEO)に就任。以降、GEは「世界最高のインフラストラクチャー企業」を目指し、工業部門の拡充および金融部門の縮小、非中核部門の分離・売却を進めている。たとえば大きな利益を上げていた保険事業をスイス・リーへ、メディア&エンターテイメント事業のNBCユニバーサルをコムキャストへ売却した。
2002年 - GEキャピタルが設立した有限会社オー・シーが、GECC株式会社を合併し、GEコンシューマー・クレジット(GECC)有限会社とする。また、GEウインド・エナジーを設立。
2003年 - GECF株式会社がGECC有限会社を吸収合併する。
2004年 - プロミス子会社の信販・クレジットカード会社ジーシー(旧:日本総合信販)を、GECFを通じて買収。ジーシーのGCカードと従来からのGEカード部門が併存。また、GEキャピタルがGEエジソン生命保険の株式をAIGに売却し、日本での保険事業から撤退。AIGエジソン生命保険となる。
2005年 - 経営は当時いたって好調であった。
日本のGECFが「GE Money」ブランドで、住宅ローン・カードローン・クレジットカード等の消費者金融事業を開始。
2008年開催の北京オリンピックの公式スポンサーとなる。
連邦倒産法第11章を適用し経営再建したデルタ航空の再建スポンサーとなる。
新たに開発したエボリューション・シリーズと名づけられた最先端のディーゼル機関車を中国から大量受注する。
2006年 - GEの保険事業をスイス・リーへ譲渡。日立製作所とGE双方の原子力部門を統合し、日立GEニュークリア・エナジーを設立。
1月 - プラスチックス部門を入札方式で売却すると発表
5月 - プラスチックス部門の売却先を入札によりサウジアラビアSABIC(Saudi Basic Industries Corporation)に決定。TOBにより事業者金融主体の三洋電機クレジットを買収(後にGE三洋クレジットへ改称)。
8月 - プラスチックス部門をSABICに116億ドルで売却。またこれに従い日本ジーイープラスチックスを発展的解消することを合意。
2008年 - 北京オリンピックでは公式スポンサーを務めた。世界金融危機の影響で、金融事業を中心に大きな打撃を受けた[13]。創業以来の基幹事業であり、前年度決算で初めて減益を記録した家電部門の売却を検討。
9月 - GEコンシューマー・ファイナンスと同社の全事業(レイク・GEカード・GE Moneyなど)を新生銀行へ売却(現:新生フィナンシャルおよび新生カード)。
2009年 - GEフィナンシャルサービス(旧:GEキャピタルリーシング)がGEフリートサービス・GE三洋クレジットと合併。
3月 - 米スタンダード&プアーズ(S&P)による債務格付けが、長年保持してきた最高格付けである「トリプルA」から「AAプラス」に一段階引き下げられた[14]。
8月 - GE横河メディカルシステムがGEヘルスケアバイオサイエンスと合併し、GEヘルスケア・ジャパンに改称。
12月 - 10月から12月期までの決算が8四半期連続連続減益となる[15]。NBCユニバーサルの経営から撤退(2013年3月に完全売却)。
1月 - 日本GEとGEフィナンシャルサービスが合併。
10月 - 日本ドレッサー(旧:ニイガタメーソンネーラン)を買収。
12月 - ハドソン川汚染により罰金支払。
2015年 - GEキャピタルの売却に着手。JPモルガン・チェースが売却プロセスを監督。また、アルストムの電力事業を買収。
12月 - アメリカ合衆国司法省の提訴でエレクトロラックスへの売却を撤回[16]。
6月6日 - 1月の合意に従い[17][18]、家電部門とブランドを中国ハイアールに売却[19]。本社機構をコネチカット州フェアフィールドからマサチューセッツ州ボストンへ2016~2018年に移動することを発表 [20]。
10月 - GEオイル&ガスとBaker Hughesが合併交渉中であることを発表[21]。
12月11日 - GEグループとドイツのソフトウェア大手SAP社はIoT(Internet of Things)分野で協業を発表。GEは2016年現在、IoT分野における主導権獲得と規格の国際標準化に注力している[22][23]。
4月、GEは新本社の名称を"GE Innovation Point"とすることを発表。2017年5月8日に起工式が行われ、2019年半ばに竣工予定[24]。
7月3日 - GEオイル&ガスとBaker Hughesの経営統合が完了[25]。
8月 - ジョン・フラナリーがCEOに就任。
9月 - GEはインダストリアル・ソリューションビジネスをABBへ売却することを発表[26]。
10月 - GEオイル&ガスは水処理ビジネス(Water & Process Technology部門)をスエズへ$34億で売却[27]。
5月 - GEトランスポーテーションをワブテックに売却すると発表[28]。
6月26日 - 110年以上続いたダウ平均株価の銘柄から外れた[7]。
6月30日 - インダストリアル・ソリューションビジネスをABBへ売却完了[29]
10月1日 - ジョン・フラナリー会長兼CEOが退任し、米産業機器大手ダナハー元CEOのローレンス・カルプ氏(55)が就任する人事を発表した[30]。
2月25日 - GEトランスポーテーションをワブテックに売却完了[31]
l 事業部門・関連会社[編集]
現在の主要事業部門
GEエナジー・マネジメント事業部門(電力変換、電力制御、電力機器、スマートグリッド)
GEパワー事業部門(原子力発電、石炭発電、タービン、ボイラーなどの関連ビジネス)
GEリニューアブル・エナジー(風力発電、太陽光発電、水力発電などの関連ビジネス)
GEオイル&ガス事業部門(石油およびガス関連ビジネス)
GEアビエーション(エンジンの製造ビジネス)
GEヘルスケア(医療用機器の製造ビジネス)
GEトランスポーテーション・システム(鉄道車両の製造ビジネス)
GEデジタル(産業用ソフトウェア)
GEキャピタル事業部門(金融サービス、リース、不動産ビジネス)
GEエナジー・ファンナンシャル・サービス(エネルギー・インフラ関連プロジェクトへのファイナンシング)
GEキャピタル・アビエーション・サービス(航空機のリース)
l 過去の事業部門
GEエアロスペース(航空宇宙部門)
1993年にマーティン・マリエッタに売却された
GEインフラストラクチャ
2008年、GEテクノロジー・インフラストラクチャとGEエナジー・インフラストラクチャ(GEエナジー)に分割
2012年、GEアビエーション、GEヘルスケア、GEトランスポーテーション・システムに分割
2012年、GEエナジー・マネジメント、GEオイル&ガス、GEパワー&ウォーターに分割
GEパワー&ウォーター
2017年に水処理事業を売却し、GEパワーとなる
GEコンシューマー・プロダクツ(1905年 - )
GEインダストリアル・システムズ(1930年 - )
上記2部門は2004年、GEコンシューマー&インダストリアル(GEホーム&ビジネス・ソリューションズ)に合併
GEエンタープライズ・ソリューションズ(2007年 - 2014年)
2009年、ファナックとの提携を解消しGEインテリジェント・プラットフォームスに。
現在はGEエナジー・マネジメント部門下
現在はGEエナジー・マネジメント部門下
2010年売却
GEデジタルエネルギー
現在はGEエナジー・マネジメント部門下
GEホーム&ビジネス・ソリューションズ(GEアプライアンスイズ&ライティングス)
2007年 - 2014年
2016年にハイアールに売却されたが、GEアプライアンス名義のブランドとして販売されている
GEライティング(照明部門)
2014年、Growth and Innovation部門下へ移動。2020年5月27日、サバント・システムズへの売却を発表[32][33]。GEブランドの継続使用のためのライセンス契約が締結される。
l 日本での事業[編集]
日本GE(日本での本社機能・金融サービス・不動産関連事業)
GEファナック・インテリジェント・プラットフォームス(制御ソフト関連事業。ファナックとの合弁)
GEフィナンシャルサービス(金融サービス事業)
2010年1月 日本GEと合併
GEコンシューマーファイナンス(「レイク」などの消費者金融事業。)
現在消費者金融は新生銀行本体が新生銀行カードローン レイクという商品ブランド名で継続している
日立GEニュークリア・エナジー(原子力関連事業。日立との合弁[注釈 4])
グローバル・ニュークリア・フュエル・ジャパン(原子力燃料事業。東芝・日立との合弁(※間接出資))
日本メジフィジックス(医薬・化学関連事業。住友化学工業[注釈 5]との合弁)
日本GE・エンジンサービス(全日本空輸・石川島播磨重工業[注釈 6]と合弁会社)
GE・ホンダ・エアロ・エンジン(エンジン関連事業。Honda(本田技研工業)との合弁)
GEヘルスケア・ジャパン(医療機器事業。横河電機との合弁)
GE富士電機メーター(メーター[注釈 7]事業。富士電機ホールディングス[注釈 8]との合弁)
2011年2月1日設立[34]、2016年8月31日付で合弁解消(全株富士電機に売却)。
GEブランドの光学機器部門の日本法人(アグファブランドも扱っている)
GEエジソン生命(生命保険会社)
旧・東邦生命保険破綻に伴い、その受け皿として設立。後にAIGへ譲渡され「AIGエジソン生命保険」を経て、現在はジブラルタ生命保険に吸収・統合された
脚注[編集]
注釈[編集]
1.
^ 第二次世界大戦中に原子爆弾開発プロジェクトである「マンハッタン計画」に参加している。
3.
^ テレビ・VTR部門は3位または4位に甘んじたが、家庭で誰もが日に数時間見る家電はテレビだけで、そこに貼り付けられるロゴが失われること、また米国でほとんど最後となったテレビの生産が失われることから、1987年仏トムソンに売却されるまで維持された。テレビの部品は主に日本で調達、基板への組み上げはシンガポール工場、外枠と最終組立生産は米国工場と分担された。VTRは日本から完成品OEM調達でGEブランドは松下寿電子工業から、RCAブランドは日立製作所であった。また多くのGE製品や技術導入が米国から日本に行われたがテレビ、ラジオ、VTRの部門は大量に日本から米国に向けられた唯一と言ってよい商品分野であった。
4.
^ 日立製作所とは、他にも照明部門(日立GEライティング→日立ライティング)で提携関係にあったが、2003年までに解消している。
7.
^ スマートメーター
8.
^ 現・富士電機
9.
出典[編集]
10. ^ “General Electric Revenue 2006-2021 | GE”. 2021年12月25日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年12月25日閲覧。
11. ^ GE、ダウ平均から除外ドラッグストア大手と交代へ 日本経済新聞 2018年6月20日
12. ^ “米GEがダウ平均から外れる、110年ぶり 株価低迷で” (日本語). CNN.co.jp. 2021年11月10日閲覧。
13. ^ 「ダウ平均GE外す」 読売新聞2018年6月21日13版8面
14. ^ What the Hell Happened at GE? (Fortune, May 24, 2018)
15. ^ 焦点:米GEが「選択と集中」、待ち受ける長く厳しい道のり ロイター通信(2017年11月14日)2017年11月26日閲覧
16. ^ a b “米GEが3社に分割へ 巨大な複合企業に欠点? 分割進む可能性:朝日新聞デジタル” (日本語). 朝日新聞デジタル. 2021年11月10日閲覧。
17. ^ “FAQs: How did the firm impact the advent of
electricity?”. J.P.
Morgan. 2013年2月3日閲覧。
18. ^ a b c d e f g 西村成弘「国際特許管理契約と日米開戦:GEの対日事業と敵産処分」『関西大学商学論集』第54巻第6号、關西大學商學會、2010年、 39-56頁、 ISSN 04513401、 NAID 120005684077。
19. ^ 今道潤三 『アメリカのテレビネットワーク : 機能と運営』広放図書、1962年、33-34頁。 NCID BN05867226。
20. ^ 水野道子「アメリカにおける放送の公共性 : 放送法の起草過程からの一考察」『メディアと社会』第2巻、名古屋大学大学院国際言語文化研究科、2010年、 9頁、 doi:10.18999/stums.2.7、 ISSN 1880-0831、 NAID 120002989190。
21. ^ 同社はレイクに社名変更後、2000年にジー・イー・コンシューマー・クレジット(GECC)株式会社となる
22. ^ 色あせるGEの輝き 金融子会社の不振で経営改革も手詰まり - 日経ビジネスオンライン 2009年4月21日
23. ^ 米GEを「AAプラス」に格下げ、見通しは安定的=S&P - ロイター 2009年3月13日
24. ^ http://www.nikkei.co.jp/news/kaigai/20100122ATGM2203P22012010.html[リンク切れ]
25. ^ “GE、家電事業のエレクトロラックスへの売却を断念 ”. ウォール・ストリート・ジャーナル (2015年12月7日). 2016年1月16日閲覧。
26. ^ “中国ハイアール、米GE家電事業を買収へ-約6400億円で (1) ”. ブルームバーグ (2016年1月15日). 2016年1月16日閲覧。
27. ^ “米GEが54億ドルで家電事業売却へ、中国の青島ハイアールと合意 ”. ロイター (2016年1月16日). 2016年1月16日閲覧。
28. ^ “ハイアール、GE家電部門の買収を完了”. CNET Japan (2016年6月7日). 2016年7月8日閲覧。
29. ^ GEはディジタル時代に即して本社をボストンへ移動(ニューヨーク・タイムズ紙) (英語)
30. ^ “GE to Combine Oil and Gas Business With Baker
Hughes”. The
Wall Street Journal. 2016年10月31日閲覧。
31. ^ GEデジタルとSAP、産業IoT(IIoT)分野で提携
32. ^ 独SAPと米GE、産業用IoTで提携強化 プラットフォーム「標準」狙う
33. ^ Carlock, Catherine (2017年4月27日). “Why is GE naming its Boston headquarters
'Innovation Point'?”. Boston
Business Journal 2017年4月28日閲覧。
34. ^ http://www.oedigital.com/component/k2/item/15708-baker-hughes-ge-complete-merger
35. ^ Editorial, Reuters. “ABB buys GE business for $2.6 billion in bet
it can boost margins”. 2018年6月20日閲覧。
36. ^ “GE Power Sells Lucrative Water & Process
Technologies Division to SUEZ in $3.4B Deal” (英語). POWER Magazine. (2017年10月2日) 2018年2月7日閲覧。
37. ^ Ltd, DVV Media International. “Wabtec to merge with GE Transportation”. railwaygazette.com. 2018年6月20日閲覧。
38. ^ “ABB completes acquisition of GE Industrial
Solutions” (英語). New.abb.com. 2018年7月13日閲覧。
39. ^ “米GE:1年でトップ交代 後任はダナハー元CEO - 毎日新聞” (日本語). 毎日新聞 2018年10月9日閲覧。
40. ^ “Next Stop, Wabtec: GE Completes Spin-Off And
Merger Of Its Transportation Unit”. General Electric. 2019年4月28日閲覧。
41. ^ “GE to Sell Lighting Business to Savant
Systems, Inc.”. GE
(2020年5月27日). 2020年6月2日閲覧。
42. ^ “創業者エジソンが発明 「祖業」照明を売却 米GE”. 日刊工業新聞: p. 3. (2020年5月29日)
43. ^ GE、富士電機とメーター事業の合弁会社設立に関する覚書を締結、GEと富士電機、国内のメーター事業に関する合弁会社設立契約を締結、メーター事業の合弁会社設立時期の決定について
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