アメリカの歴史を知るための65章  富田虎男ほか  2022.10.23.

 

2022.10.23. アメリカの歴史を知るための65

 

編著者 

富田虎男 立教大名誉教授。専攻アメリカ史。

鵜月裕則 元立教大文学部(ママ)。専攻アメリカ史

佐藤円 大妻女子大比較文化学部。専攻アメリカ先住民史

 

 

発行日           2000.12.20. 初版第1刷発行         2022.9.30. 第4版第1刷発行

発行所           明石書店

 

はじめに(初版)

アメリカ史を理解する上で鍵となる事象について、最新の研究成果を踏まえて簡潔に書いたが、各執筆者の自由に委ねられ、一定の史観に基づく通史にはなっていない

各執筆者には以下の点についての共通の認識があるといえる――これまでのアメリカ史の叙述が、しばしば白人男性中心の視点に偏っていたこと、そのためアメリカ史を担ってきた少数民族集団や社会集団の人々が果たしてきた主体的役割が軽視されたり切り捨てられたりしてきたこと、したがってこれらの諸集団の役割と相互の諸関係を見直すとともに、世界史との関連の中でアメリカ史を位置付け、その全体像を構築する必要があること

4版出版に当たって

'09年に2章追加、’15年に1章追加、今回女性史を補強する第43章とトランプ政権成立の歴史的意味を解説する第64章「異例な大統領トランプ」を増補

 

I.     先住アメリカ人の世界――1492年以前

第1章        最古のアメリカ人――モンゴロイドのアジアからの移動

1925年、黒人カウボーイで考古学愛好者ジョージ・マクジャンキンのフォルサム尖頭器(ポイント)の発見がきっかけとなって、1万年以上も前の氷河期にモンゴロイドがアジアからアメリカに移動したことが判明。さらにクロ-ヴィス文化遺跡が発見され12000年前まで遡及

アジアからの最後の移動の波であるアリュートとエスキモー(イヌイット)がベーリング海から北極海と亜北極地方へと拡散し、独自の文化を築き始めたのも4000年前ごろからと推定

 

第2章        先住アメリカ人の文化――その地域的広がりと多様性

BC1000年頃、メキシコではメソアメリカ文明の母体となるオルメカ文化が花開いた。その影響を受けて、現在はアメリカ合衆国となった地域でも農耕や土器の製作が始められ、特にミシシッピ川支流のオハイオ川流域では、埋葬用のマウンド(土を盛った塚)を特色とするアデナ文化が成立。BC300年頃からはより大型のマウンドを建設するホープウェル文化がミシシッピ全域で栄え、さらに紀元後700年頃からは神殿マウンドを特色とするマウンド文化が各地に栄える

メソアメリカ文明の影響は合衆国南西部から拡散したが、ヨーロッパ人の到来を待たずして衰退したとされていたが、実際には各地で多様な先住民文化が数多く存在していた

極北文化圏、亜極北文化圏(太平洋沿岸)、北西海岸文化圏、カリフォルニア文化圏、高原文化圏(北西内陸部)、大盆地文化圏(ロッキー山脈西側の砂漠地帯)、大平原文化圏など

 

第3章        1492年の先住民人口――異なる推定値が意味するもの

合衆国の先住民人口は19世紀末にはわずか25万人、現在は370万にまで回復

先住民人口の学問的推定は20世紀に入ってからで、合衆国以北では100万前後から1800万まで幅がある――歴史認識によって異なる

 

II.   先住アメリカ人・ヨーロッパ人・アフリカ人――14921775

第4章        ヨーロッパ人の植民活動――それは大西洋岸からのみ始められたのか

北米地域への植民活動は、アメリカのほかにスペイン、フランス、オランダ、スウェーデン、ロシアも参入、アメリカ合衆国成立や発展に少なからぬ影響を与えている

l  スペイン――16世紀前半にメキシコを征服、同時にフロリダから南西部を探検、1781年のロサンゼルスまで、先住民をカトリック化することで支配を徹底

l  フランス――16世紀前半に北米大西洋岸を探検、1608年のケベック建設を皮切りにミシシッピ川流域に進出。先住民との毛皮交易が中心だったため、先住民とは友好関係を維持、他ヨーロッパに対抗するためにも彼らの軍事的援助が不可欠

l  オランダ――1609年ハドソン川流域の探検で本格化、フランスに対抗して先住民と毛皮交易を拡大させたが、1664年の英蘭戦争でオランダ領はイギリス領に併合

l  スウェーデン――1637年デラウェア川を探検、毛皮交易を展開したが、オランダに駆逐され、植民地は消滅

l  イギリス――15世紀末には大西洋岸を探検、1584年ロアノーク入植を契機として拡大。黒人奴隷の導入で農業が発展、土地の領有をめぐって先住民との争いが絶えず

l  ロシア――18世紀半ば以降シベリア経由でアラスカ南岸に進出し、先住民と毛皮交易を行い、19世紀初期にはカリフォルニアまで進出したが、1841年撤退

 

第5章        ヴァージニア植民地の建設――先住民インディアン側から見ると

1622年、ボウハタン・インディアンが突如入植者を襲うオペンチャンカナウの蜂起により、インディアン根絶の凄惨な報復戦が始まり、1644年和平条約成立し両者の居住区に境界線が敷かれた

 

第6章        ニューイングランド植民地の建設――「友好」の神話

1620年、ピルグリムは、伝染病で絶滅した先住民の土地に入植

1675年、入植者の急増により先住民との軋轢が増し、インディアン連合軍対植民地連合軍の一大決戦に発展(メタコムの戦い)

 

第7章        ベーコンの反乱とインディアン奴隷制――赤人と白人と黒人

ヴァージニアでは勅任総督の寡頭政治に対するベーコンの反乱勃発

年季が明けて自由になった入植者が、自分の土地を求めてインディアンの討伐を迫ったもので、次々に先住民が征服され奴隷として売買の対象とされ、南東部海岸地方のインディアンは奴隷狩り戦争の犠牲となって壊滅、この地方が白人入植者に開放され、黒人奴隷制度が根を下ろすことになる

 

第8章        黒人奴隷制と奴隷貿易――北米のアフリカン・ディアスポラ

16世紀にヨーロッパ人がアメリカ大陸に導入したアフリカ人黒人奴隷制は、ステイプル(輸出用商品作物)を生産するプランテーションという大規模な農業的企業と結合して、16世紀のブラジルから、17,8世紀のカリブ海地域と北米南部へ展開し、「プランテーション・アメリカ」という独特な経済社会地域を西半球に出現させた。このうち、北米南部植民地のプランテーションを形成させた基本ステイプルは、ヴァージニアなどのたばこと、ジョージアなどの米で、プランテーションの黒人奴隷制が急速に発展

イギリス王立アフリカ会社の奴隷貿易独占が1689年に解除されると、北米への奴隷輸入が急増。奴隷貿易が、ヨーロッパや北米とアフリカ、西インド諸島を結ぶ三角貿易の動脈として、資本主義生成期大西洋システムの基軸となり、約1000万人のアフリカ人を南北アメリカ大陸に強制連行するアフリカン・ディアスポラの手段となる

 

第9章        神聖な実験――ウィリアム・ベンの先住民友好政策

1681年、英国王チャールズ2世の勅許状を基にウィリアム・ペンが創設した植民地ペンシルヴェニア(ペンの森の意)では、「神聖な実験」と称する植民地諸政策実施

プロテスタント一派のクエーカー教徒だったペンは徹底した平等主義と平和主義、信仰の自由、政治的自由を掲げた植民地づくりを宣言、先住民に対しても友好政策をとろうとしたが、先住民の土地を狙ったクエーカー教徒以外のヨーロッパ移民を数多く招くことになり、実験は成功したがペンの平和友好政策は失敗

ペンの目指した理想的コミュニティ構想は、今日の多民族多人種からなる合衆国社会の原点とのもなっている

 

第10章     大いなる覚醒――アメリカ最初の信仰復興運動(リヴァイヴァル)

アメリカを代表する会衆派神学者牧師アメリカ先住民への宣教師であったジョナサン・エドワーズ(170358)のカルヴィニズムと敬虔主義に基づく説経が「大いなる覚醒」を引き起こす1つの誘因となったことは間違いなく、移民が信じる教派が多様で人口の割には空間が広すぎたため、教会と関わりを持たない人々を多く抱え込んだアメリカでは、信仰心が極めて低い状態だったところから、信仰復興運動が伝統を壊し、全く新しい型の教会を生み出した

独立革命前のニューイングランド、中部、南部に広がった第1次リヴァイヴァルと共に、19世紀初頭のフロンティアを舞台に繰り広げられた第2次リヴァイヴァルは有名

こうした福音主義の流れは、ムーディー、グラハムへと引き継がれていく

 

第11章     イギリス重商主義体制――「中核」と「周辺」構造の形成

近代西ヨーロッパ諸国は、その成立期に国家による商工業の統制や保護・育成手段である「重商主義」によって富国強兵を目指した

イギリスの重商主義体制下の北米植民地は、南部ではタバコ、米、藍などの換金作物の栽培によって本国市場依存の近代奴隷制プランテーション社会が展開、奢侈的なジェントリ文化を模倣するとともに本国商人への負債に縛られる。一方、北部と中部では高い出生率と移民によって人口が急膨張し、イギリス商品の重要な市場となっていく

こうしてイギリス重商主義体制における「中核」と「周辺」の基本的な対立構造が明確に形成され、1764年以降、本国が植民地に対して新たな課税を開始したことが植民地人の抵抗を促し、独立革命への道を切り開く契機となる

 

第12章     イギリス帝国のための戦争――近代世界システムにおける覇権闘争

本章のタイトルはイギリスが新大陸において戦ったフレンチ=インディアン戦争(175463)、それに連動したヨーロッパ、アフリカ、インドにおける7年戦争(175663)をさし、それは世界的分業体制におけるイギリスのヘゲモニーの確立を意味し、それに続くフランスのアメリカ独立戦争支援もナポレオン戦争もフランスによるイギリスからのヘゲモニー奪取の企てだったといえる

新大陸においてイギリスがフランスおよびその同盟軍インディアンと最初に戦ったのは、ウィリアム王戦争(168997)。続くアン女王戦争(170213)、ジョージ王の戦争と続きイギリスによる世界支配が拡大し、1763年のパリ条約によってイギリスの「第一帝国」が完成する。しかしそのツケは高価で国債は倍増、利子支払いだけで歳入の6割を超えた

 

III. 解放と抑圧の連鎖――17631910

第13章     対英抵抗運動の展開――エリートと民衆の「自由」への目覚め

176365年、アメリカ13植民地が、イギリスの重商主義の強化政策に対して一連の抵抗運動を行い、独立革命へと突入する前段階

膨張した帝国の防衛と統治という新たな問題に直面した入木素は、国王宣言線を設けて植民地人のアパラチア以西への移住を禁じる一方、諸税を賦課して植民地からの収奪を開始

抵抗運動は、大西洋の海港都市を中心に開始――「代表なくして課税なし」のスローガンは独立を要求するものではなく、政府を非難はしたが国王へは忠誠を誓う

1773年、イギリス議会が茶の過剰在庫を抱える東インド会社に、アメリカにおける茶の独占販売権を付与したことが、抵抗運動を一段と激化

1775年、レキシントンとコンコードでイギリス軍とマサチュセッツ民兵が衝突

 

第14章     アメリカ独立革命――解放と抑圧の戦い

戦端のきっかけは愛国派のアダムスとハンコックの逮捕、8年に及ぶ独立戦争が始まる

1776年、独立宣言――各植民地ごとに憲法が制定され国王の大権が否定された

ヨーロッパ諸国にとってもイギリスの覇権を挫く絶好の機会となり、’78年の米仏同盟は植民地の独立戦争勝利に寄与したし、スペインも対英宣戦布告、他の中立同盟も貢献

愛国派の白人男性の多くは自由と独立を獲得したが、黒人奴隷の多くは自由を約束されながら反故にされたり、女性も重要な役割を果たしながらその地位は抑圧されたまま放置去れたし、領土保全を目指してイギリス軍に与した先住民の多くは徹底的に抑圧された

 

第15章     新しい国づくり――国家連合から国民国家へ

13の植民地がそれぞれに憲法を作って、国王との法的・政治的関係を断ち、新しい13の共和国としてスタート。同時にジョン・ディキンソンを中心に連合規約の起草が始まる

1781年、連合規約が各国の批准を経て発効――13の共和国の友好連盟として発足

批准に4年も要したのは、アパラチア以西の領土を巡る争いで、共有が連合の前提条件であり、西方領土の管理とインディアン問題の処理が課題

単一の中央集権国家を要望するフェデラリスト(連邦派)は、ハミルトンらが徴税権と軍隊を持つべきと主張、’87年に合衆国憲法会議招集に成功。種々の反対を押し切って合衆国憲法案を作成、翌年には各国に批准され発効

わずか10年で、国家連合から、単一の主権を持った国民国家へと大転換

1789年、ワシントンが大統領に選出され、新しいアメリカ合衆国がスタート

 

第16章     領土膨張の仕掛け――公有地条令と北西部領地条令

アレガニー山脈からミシシッピ川までの地方は古くから先住民インディアンがマウンド文化を築いた地方。そこにフランスが入植、イギリスに譲渡、1783年のパリ条約でイギリスはインディアンに無断でアメリカに譲渡

インディアン連合は、オハイオ川以北を彼らの共有財産と主張したため、フォールン・ディンバースの戦いとなり、’95年グリーンヴヴィル条約でオハイオ川の遥か北西にまで追放

1785年、公有地条令――オハイオ川北部の公有地の分割売却の方法が決められ、西部移住者の流れを加速するとともに、北西部領地条例によりそれらの土地を5つに分割、段階的に準州(自由な成年男子5千人以上)から州(6万人以上)へと昇格させ連邦に加入させる方式が決められた

 

第17章     アメリカの2つの未来像――リパブリカンとフェデラリスト

ジェファソンの農本主義的な未来像と、ハミルトンの産業主義的な未来像が対立

ジェファソンは、農業と工業の国際分業を唱え、アメリカは白人男性による農業国に徹すべきと説き、中央政府の権限は弱いほどいいとし、レパブリカン党を結成

ハミルトンは、殖産興業、農業と相俟って国民経済を保護育成するため、強い政府の設立を希求、フェデラリスト党を結成

ジェファソンは、ナポレオンの大陸封鎖例に対抗したイギリスの逆封鎖の煽りで、農産物も売れず、工業製品も入ってこなくなり大打撃を受けたため、政策を転換して、国内の農工業分業を唱える

ジェファソン以降324年にわたりレパブリカン政権が続くが、両党の主張に差はない

 

第18章     1812年戦争――誰と誰の、何のための戦争であったのか

1812年、対英宣戦布告――イギリスの逆封鎖に対抗して立ち上がったが、第2次独立戦争ともいわれ、共謀して立ち上がったインディアンを駆逐して、北西部と南部で広大な土地を奪取し、「自由な」農業地帯と「不自由な」黒人奴隷制を縦横に拡張していく。それは北部、南部、西部というセクション間の対立を増す一方、北部工業に原料と食糧を供給することでアメリカの発展を促すという基本構造を準備したといえる

 

第19章     市場革命――アメリカ的工業化

19世紀前半、工業化が南北に奴隷制と「自由労働」制という2つの制度を内包して発展し、運輸革命に助けられて西部における商業的農業の急激な全面的展開をもたらす

工業化過程の政治、社会、文化を統一的に説明するキーワードが「市場革命」

最初は水力紡績工場、次いで金属加工業。大量の労働者階級の形成も工業化を後押し

問屋制マニュファクチャーは、農村工業のみならず、大都市の金融やファッション産業でも進み、市場による労働力の商品化も含んだ「市場革命」となり、運輸革命でさらに促進

工業化の過程で、人生を自らの努力と才覚で切り開く競争の場と見做す新たな中産階級的社会意識をも生み出した――西部農民の子リンカンこそその象徴的存在

 

第20章     セクションの対立――孤立する南部の反撃

1820年代までに合衆国には北東部、南部、西部という3大セクションが形成

建国当初からの自由州と奴隷州の対立が顕在化したのは1820年にミズーリ州の連邦編入の際で、ミズーリ州の奴隷制を認めるが、今後は同州以北での奴隷制を禁止

対立が頂点に達するのは1830年代、工業化に伴う諸矛盾に直面した北部に新しい進歩的思想が広がり改革を歓迎する社会に変貌、奴隷制廃止の議論が白熱化、'46年の米墨戦争で獲得した領土や、’48年のゴールドラッシュによって人口が急増したカリフォルニアの連邦編入問題を巡って政治バランスが崩れることから一触即発の事態に

 

第21章     モンロー宣言――J.Q.アダムズの「保守的」現実主義外交

1823年、第5代モンロー大統領が年次教書で発言した内容がアメリカ外交の伝統として神話化された

181020年代初頭、中南米諸国の独立機運に対し、ヨーロッパ諸国による神聖同盟はスペインを擁護、同地域の市場確保を目指すイギリスは合衆国と共同して対抗しようとしたが、アメリカは自らの独立と、他国内政や諸国間の戦争に不介入の方針を宣言

モンロー時代国務長官だったアダムズは、次期大統領になると中南米諸国間のパナマ会議への代表派遣を決定するが、黒人支配下にある国家の代表と同席することを忌避する南部連合に屈し野に下ると、戦闘的な奴隷制反対論者として活発に活動

南北戦争後に中央集権国家体制が確立し、19世紀末にかけて合衆国が世界第一の工業国家へと発展していく過程で、西半球における列強排除の国策が徐々に形成・定式化し、その神話化が完成する――その後のアメリカの対外政策はモンロー宣言とは異質なもの

 

第22章     インディアン強制移住――不実な「父親」、抗う「子どもたち」

1830年、連邦議会がインディアン強制移住法可決――ミシシッピ以東のインディアンを、同川以西のテリトリー(オクラホマ周辺)に移住させ、以後10万人以上が強制移住

インディアン掃討者の異名を持つ第7代ジャクソン大統領は、あくまで家父長主義的姿勢で臨んだが、一部は武力衝突など激しい抵抗に遭う――インディアンは大統領に「偉大な父よ」と呼びかけ、大統領は自らを「わが子インディアンの後見人」と称したが、歴史は「不実な後見人」であったことを如実に物語る

 

第23章     綿花王国――プランター層の支配するピラミッド型社会

南東部の先住民族が駆逐された後にプランターが広がり綿花の生産量は倍増

大プランター層が支配するピラミッド型の社会を形成

黒人奴隷制度は、奴隷を管理する社会制度でもあり、アフリカン・アメリカン文化を育てつつも、最も殺人件数の多い暴力的で非民主主義的な社会を管理していた

 

第24章     奴隷制廃止運動――漸進主義から即時解放主義へ

黒人奴隷制に反対する動きは植民地時代から存在

1830年代以降、信仰復興運動の影響下に新たな奴隷制廃止運動が起こる――奴隷制そのものを悪とするアボリショニズム(廃止の意)で、1833年アメリカ奴隷制廃止協会設立

1850年代、北部人の間に反奴隷制感情が高まったのは、西部の自由地を奴隷所有者が独占することに対する反感や黒人に対する人種的偏見からで、人々に幅広く支持されたのは、奴隷制の悲惨さを描くと同時に黒人のアフリカ植民に賛成したストウ夫人の『アンクル・トムの小屋』だった

とくに北部の自由黒人は早くから同胞の奴隷の解放のために戦おうとした

 

第25章     アメリカの知的独立――エマソンの知的独立宣言から大衆文化まで

アメリカが文化的・思想的・知的独立を果たしたのは、1837年ハーヴァード大学同好会で思想家ラルフ・ウォルドー・エマソンが「アメリカの学者」と題した講演をしたのがきっかけで、自国の自然から学び、躍動的な魂を持って行動を起こせと説いた

既存信仰に不満を抱き、本能や感情を大事にして、個人の無限の可能性を信じる自己信頼と自己決定を重視

ウォルト・ホイットマンはエマソンが待ち望んでいたようなアメリカ詩人

19世紀前半には大衆文化も台頭――蒸気印刷機の発明により廉価な新聞が多数発刊され、様々な雑誌も発行され、知的・文化的独立を勝ち取っていく

 

第26章     セネカフォールズ――女性の権利宣言大会

1847年、ニューヨーク州セネカフォールズで第1回女性の権利大会開催――禁酒運動や奴隷制廃止運動などの社会改革運動で活躍の場を与えられなかったことに不満を抱く女性が集まって意見交換。元逃亡奴隷のフレデリック・ダグラス以外はほとんど中産階級の若い白人男女で、男女平等や参政権を主張。州法では女性の権利を認める法律も散見されたが、合衆国憲法において女性参政権が認められるのは72年後のこと

 

第27章     マニフェスト・デスティニー――誰の、どんな運命が明白であったのか

1845年、ジャーナリストのオサリヴァンは、年々増加する国民の自由な発展のために、神が割り当てたこの大陸を覆って拡大していくのは、我々の明白な運命の達成だと宣言し、テキサス併合やオレゴン領有などを正当化した

1848年のゴールドラッシュは、マニフェスト・デスティニーが誰の、どんな運命を示すのかを物語る。白人が先住民から生命・土地・文化を奪い取ることで達成された

マニフェスト・デスティニーは、19世紀末の帝国主義的海外進出をアメリカの使命であると主張する際にも用いられ、領土拡張に加えて異文化改造のイデオロギーをも生み出した

 

第28章     ペリー艦隊の日本遠征――鯨が開いた鎖国の扉

1853年、ペリー率いる米国東インド艦隊が江戸湾来航、フィルモア大統領の親書を渡す

捕鯨船への補給と通商条約の締結を目的としたが、原因は漂流漁民に対する日本の扱いの酷さにあった

 

第29章     南北対立の激化――奴隷制の西方への拡大をめぐって

南北戦争の直接の諍いは、新たに獲得した西方領土に奴隷制を導入するか否か

それまで南北各15州と均衡していたが、カリフォルニアの自由州編入に続き、ミネソタとオレゴンも加入が予測され、政治バランスが大きく崩れるところから1850年には妥協が成立したが、4年後には「流血のカンザス」事件にエスカレート、’57年のドレッド・スコット判決で連邦最高裁が黒人の市民権否認の判決を下し、さらに’59年には奴隷の反乱を促すアボリショニストの武器庫襲撃が起こる中で、’60年の大統領選挙で共和党のリンカンが当選すると、南部諸州は順次連邦から脱退、'61年には7州が南部連合国を結成

 

第30章     南北戦争――戦争による変化と民衆生活

1861年、リンカンは南部に連邦復帰を呼びかけたが、南部連合軍が連邦のサムター要塞を砲撃して戦争に突入

自由黒人が真っ先にリンカンの募兵に応じたが、連邦政府は黒人の軍隊参加が奴隷解放へと繋がることを恐れ、'62年まで黒人の軍隊編入を拒否

南部では女性の役割が大きく変わり、男手を兵士にとられ、代わりに女性が銃後を守る

北部では戦争景気に沸くとともに、連邦政府と大統領権限が増大、'61年初めて所得税が導入、不換紙幣を発行して法貨と定め、国の統一通貨の基礎を築き戦費の調達を行う

リンカンが大統領として奴隷制問題を最初に切り出したのは開戦の翌年で、まだ各州による自主解放、解放奴隷の国外植民など保守的な解放を考えていた

‘62年後半になって、合衆国に対して反乱状態にある州の奴隷を永遠に解放すると宣言し、南北戦争を連邦維持のための戦争から奴隷解放のための戦争へと変え、'65年に奴隷制度を明確に禁じた憲法修正13条として確定

戦争末期、南部では各地で食糧暴動が勃発、北部では徴兵暴動が起こる

 

第31章     南部の再建――解放黒人の処遇と南部反乱州の連邦復帰

再建期アメリカが抱えた2つの重要問題が、解放された400万近い黒人の処遇と、南部諸州の連邦復帰問題

リンカンに代わって大統領になったのは南部人の民主党ジョンソン副大統領で、南部宥和策をとったため、議会の急進派と対立。その最初の成果が'66年のアメリカ初の公民権法で、さらに憲法修正14条により解放黒人に市民権が与えられ、正当な法手続きなしに何人からも生命・自由・財産を奪うことを禁止したが、南部諸州は批准を拒否。ジョンソンが閣内の反対派を解任したため、議会は弾劾で臨むが、1票差で弾劾は否決。’70年には黒人男性に選挙権を保障する憲法修正15条が成立

1868年、黒人が南部史上初めて州議会に選出

1870年代初めまでに北部では人種的平等への関心は薄れつつあり、南部では民主党が次々と州政府の支配権を回復。連邦軍の撤退は、北部の南部監視放棄を象徴し、解放黒人の運命を民主党一党支配に委ねた点で再建の終わりを明確に示している

 

第32章     西部の開拓――フロンティアの前進と先住民の抵抗

南北戦争開戦時のフロンティアはミズーリ川沿いの西経95度付近だったが、30年後にロッキー山脈に至るグレート・プレーンズ(大平原)からさらにシェラネヴァダ山脈に至るグレート・ベイスン(大盆地)まで広がるも、両者は「アメリカ大砂漠」と呼ばれる乾燥地帯で、最初に来たのが金銀採掘の山師たちで、一時は賑わったが、ゴーストタウン化

南北戦争後から、グレート・プレーンズには漸く牧畜業者が進出、公有地で牛を育てて、開通したばかりの鉄道を使って東部に出荷、大きな利益を上げた

1869年、大陸横断鉄道が全線開通、'90年代までには4本の大陸横断鉄道が建設され、支線も整備され大量輸送が可能になった

農業もウィンドミル(風車ポンプ)の開発で水が確保されると、農機具や品種改良と相俟って1870年代以降入植が進む

東部の工業化、都市化の進捗と歩調を合わせるように西部の開発が進むが、西部の開発は先住民インディアンの生活を破壊したため武力衝突が頻発、1890年スー族の虐殺で終焉

 

第33章     工業の発展と巨大企業の出現――「世界の工場」の座へ

19世紀後半のアメリカの工業化は爆発的で、20世紀的アメリカ資本主義の原型を示す

南北戦争期からその仕組みが作られており、戦後急速に進展――保護関税、公有地の開放、鉄道建設への支援、先住民の制圧など、政府が積極的な役割を果たす

土地、水、鉱物資源などの天然資源に恵まれていたこと、労働力不足を補い機械化や技術革新が進んだこと、大量の移民が到来して労働力となったこと、国内外から豊富な資金がもたらされたことなどの条件が揃った結果でもある

中でも鉄道の果たした役割は決定的で、総延長は’60年の3万マイルから40年で19.3万マイルに拡大、東部・五大湖沿岸などの工業地帯と、西部・南部の食糧、原燃料の生産地域を結び、広大な国内市場が形成された。資金調達のために株式発行を始めたのも鉄道

大衆・大量消費時代の幕開けでもあった――大量流入する移民が労働力であると同時に消費者層でもあり、10年に1度の恐慌を経験しながら成長していった

企業の統廃合も進み、複数企業が協定を結ぶプール(カルテル)、弱い企業が強い企業に事実上経営を委ねるトラスト、複数の企業の株式を1つの会社に集中して保有させる持株会社などの形態の「独占体」が現れ、全米企業の1%が全生産の33%を占めるまでになり、巨大企業による市場支配が進む

 

第34章     労働運動・農民運動・人民党――自由労働イデオロギーの終焉

南北戦争後のアメリカの労働者の運動で最も注目されるのは、ホームステッド(=フロンティア)での土地獲得の要求が盛り込まれていたことで、労働問題の解決を土地を獲得して自営農民になって自立を果たすことの中に求めるもので、草創期の共和党員に共通して見られた「自由労働イデオロギー」の思想に繋がるもの

この運動は賃金労働を否定するか受け入れるかの二者択一だったが、一方で農業革命の進行により農地の集約化が始まり、凶作なども相俟って自由労働の夢が敗れつつあった

 

第35章     インディアンの隔離と同化――「インディアン」は殺せ、「人間」は救え

1870年代、西部でインディアン戦争が激化する中、東部の白人社会ではインディアンに対する人道主義的関心が高まったが、彼らの考えは総じて保留地を個人所有地に細分化しインディアンを強制的に自営農民に仕立て上げようとするもので、農業に不慣れなインディアンは零細地主に転落し、次々に保有地を手放していった

白人改革派の合言葉は、「「インディアン」は殺せ、「人間」は救え」という身勝手なもので、結果的には保留地が1/3に減少、「滅びゆくインディアン」を増大させた

インディアン文化を野蛮と決めつけ、同化教育も推進したことと相俟って、1890年には25万まで減少したが、その後自文化に根差した自己実現を目指した結果250万まで回復

 

第36章     黒人の隔離と抵抗――「どん底時代」の黒人指導者たち

連邦軍の南部撤退後、南部黒人にとっては「どん底時代」が到来――南部白人による仕返しが黒人に集中し、合衆国憲法修正条項(1315)で得られた権利は次々に剥奪された

白人至上主義者のみならず、一般市民までが暴徒化して黒人へのリンチが繰り返される

19世紀末は黒人運動の胎動期――代表的な黒人指導者は、経済的自立を唱えたブッカー・ワシントンと、「才能ある1/10」の知識人による解放運動を唱えたW.E.B.デュボイス

 

IV.  「アメリカの世紀」――18982000

第37章     米西戦争――民族解放戦争と帝国主義戦争との交錯

1898年の米西戦争は、ボーア戦争と並んで帝国主義時代の開幕を告げた帝国主義戦争

キューバの独立戦争でもある――世界最大の砂糖生産地として繁栄、奴隷制廃止を実現、最も多くの貿易利害を持つアメリカが介入してスペインに宣戦布告、フィリピンでスペイン艦隊を撃破しマニラを占領、キューバでも革命軍と協力してスペイン軍に勝利

スペインは、フィリピン、キューバ、プエルトリコ、グアムを放棄

アメリカはフィリピンの独立を認めず、戦闘は3年続いた後、アメリカはフィリピンを軍政から民政に転換、植民地として統治を続ける

 

第38章     ハワイ併合――無視された先住ハワイ人の声

1795年統一されたハワイ王国は立憲君主国家だったが、白人が砂糖産業に進出し政治への影響力を強め、1893年米国全権大使らを巻き込んだクーデターと、米国住民保護を口実とした米軍上陸で女王は退位、翌年共和国設立を宣言、地元住民の反対を押し切って1897年米国議会に併合を求める。翌年の米西戦争勃発を機に、アジア進出の足場としての戦略上の重要性から米国による併合が一気に進む

 

第39章     帝国主義時代の到来とアメリカ――踏みにじられたマイノリティの声

1873年の世界恐慌は90年代まで長引き、その間先進各国の工業化が進み、保護政策、生産の集積・集中をはかって、海外市場・植民地の獲得を競った結果、世界分割が進行

アメリカも1890年代以降海外膨張主義に走る。反対派を押し切って環太平洋を臨む強大な海洋帝国を築き、中国に進出し門戸開放通牒を発出、「アメリカの世紀」が始まる

 

第40章     新移民の流入と排斥――ネイティヴィズムと移民法の整備

南北戦争から第1次大戦までの間、アメリカへの移民は急増したが、戦前の北・西ヨーロッパに代わって戦後は「新移民」と呼ばれる東・南ヨーロッパが多数となり、さらにアジアからの移民も流入

新移民は、急成長する産業に低廉な労働力を提供したが、アメリカ社会に不慣れで出身地域ごとにスラム街(ゲットー)を形成、連邦による規制を求める世論が強かった

1882年、最初の包括的な移民(規制)法、中国人移民排斥法制定

1917年、アジア人の移民禁止、’24年にはジョンソン=リード法により国別割り当て

WASPを理想的なアメリカ人とする人種差別的な排外思想に基づいているが、それをネイティヴィズムと呼ぶ。「有色人種」以外のヨーロッパ人を「白人」としてアメリカ人にし、アメリカを白人の国だとする意識を生み出そうとしたもの

 

第41章     「革新主義」の展開――巨大企業支配と改革政治

急激な社会の変貌に対し、新秩序の模索が始まり、科学と効率を追求し、階級協調と国民統合とを進めることが基本課題となった

新興の都市中産層を中心に革新主義者が台頭、巨大企業の支配体制を規制し、安定した新秩序を打ち立てようとした――現状を肯定した上での効率化と調整を目指す

 

第42章     1次世界大戦とアメリカ――新しい「ヘゲモニー」への道

1次大戦でウィルソン政権は当初中立を表明していたが、ドイツの潜水艦攻撃を口実に1917年参戦。衰退するイギリスに代わって新しい「ヘゲモニー」への道を歩み始める

門戸開放通牒は、アメリカ初の世界新秩序宣言――自由主義と国際主義を主柱

「米独30年戦争」(191445)の第1ラウンド終了で、「ヘゲモニー」国家に相応しい権力をすべて持っていたにもかかわらず、戦後はその責任遂行を躊躇う

 

第43章     合衆国憲法修正第19条――女性参政権の獲得

1920年、合衆国憲法修正19条により、性別による市民の投票権制限の撤廃

もともと合衆国憲法には規定がなく、州レベルで投票権が男性に制限されていたもの

1869年のワイオミングを皮切りに女性参政権が広がり、1916年にはモンタナ州で初の連邦議員誕生、修正19条で全米に広がった

白人中産階級の女性たちのネットワークが有効に機能、20世紀に入ると大規模なデモを組織、第1次大戦での戦争協力もあって修正19条成立に持ち込む

政党の政治活動において女性は周縁化されがちで、今日でも連邦議員の女性比率は27.3%と先進国中では相対的に低い

女性参政権を支持・容認した男性たちの大半は、ジェンダー平等を支持していたわけではなく、また白人女性たちも南部の人種隔離体制下での黒人女性の投票権問題には沈黙

 

第44章     大衆消費社会の出現――際限のないファッション・ショーの世界

フォードは車の大衆化を目指して標準化と省力化を追求、1908年モデルTを発売

大量に出版される定期刊行物を広告媒体として、「虚栄心への訴え」により全国市場形成に向かい、国民の均質化によって大衆消費社会が育成され、移民のアメリカ化を促す

その指標となったのが生活賃金理念の出現で、生活水準の維持を労働者の権利と見做し、彼らの消費文化への統合を物語る。同時に商品の普及が差異化の要求となり、大衆車も頻繁なモデル・チェンジを強いられ、再現のないファッション・ショーの世界を現出

 

第45章     大恐慌とニューディール――バブル崩壊から未曽有の社会的危機へ

「ニューディール体制」は、長い間現代アメリカにおける政治・経済の基礎を形成してきたといわれるが、それは「ニューディール体制」の下で、リベラルな政策理念や多元的な社会システムが定着し、第2次大戦後もアメリカ社会に活力と柔軟性を与えてきたから

ニューディール政策は、政府の役割や行政権を飛躍的に拡大させ、その機能は、経済の規制・統制と利益(利害)の調整・分配という2つの側面に集約的に表れた

制度的な規制や統制を経済のあらゆる分野に広げるとともに、利害調整を行う機能を社会システムとして定着させようとし、社会保障法によって「福祉国家」への第1歩を踏み出したこともあって、行政機能の比重と役割を飛躍的に拡大させた

 

第46章     2次世界大戦とアメリカ――民主主義陣営の中軸として

2次大戦では中立を宣言したが、反ファシズムの世論に押される形で「民主主義の兵器廠」の役割を担い、民主主義側の理念を鮮明に示し、41年には参戦

経済の戦時動員を行い、生産力は長年の不況から抜け出して国際経済の中で圧倒的な力を持つに至る。大規模な徴兵による労働力不足を補う形で女性の職場進出が顕著に

 

第47章     原爆投下問題――投下は不可避だったのか

1995年、原爆投下50周年事業としてスミソニアン協会の航空宇宙博物館が原爆展を企画したが、投下への賛否両論噴出で中止となり、戦後50年経っても原爆投下の是非をめぐる深刻な対立が存在することが端的に示された

投下の目的にしても、日本の降伏には必要なく、戦後の対ソ関係におけるアメリカの優位確立のためではないかといわれ、投下方法についても人口密集地に無警告で投下したのは、新兵器の効果確認のためではとの疑念が残る

開発責任者も「実戦テスト」と断言したように、実験の一環という性格を強く帯びるとすれば、一層深刻な問題を孕む

 

第48章     トルーマン・ドクトリンと冷戦の開始――米ソ対立と局地紛争

冷戦は第3次大戦には繋がらなかった一方で、中東はじめ世界各地で局地的熱戦が発生

2次大戦で協調した米ソが、非妥協的な国家間対立に発展したきっかけは、1945年の国連創立総会におけるポーランドの代表権問題で、亡命政権と共産党政権の連合政権が樹立され妥協。次いでトルコの海峡問題で、'46年ソ連がボスポラス・ダーダネルスの共同管理を主張したが取り下げで決着。'47年にはギリシャを実効支配するイギリスがアメリカに肩代わりを要請、トルーマンは議会に対し「自由な諸国民を援助することこそアメリカの政策でなければならない」とするトルーマン・ドクトリンを提案し、ソ連との関係は悪化

同時にアメリカは「マーシャル・プラン」により欧州復興のための大規模な経済援助供与を発表。ソ連は不参加を発表するだけでなく、東欧諸国を締め付けるため、共産党単独政権樹立を強行し、米ソ対立は決定的となる

 

第49章     アイゼンハワー政権の外交――マッカーシズムから軍事超大国へ

1950年、マッカーシー上院議員が国務省内に205人の共産主義者がいるという発言によって、アメリカ人の反共イメージが強固なものとなり、アイゼンハワー大統領も原爆のスパイ容疑で死刑を宣告されたローゼンバーグ夫妻の減刑を認めず、’54年には共産党統制法にも署名。'50年の朝鮮戦争はアメリカ人に反共主義を植え付けるのに有効だったが、マッカーシーの行き過ぎは陸軍に挑んだことで’54年上院での非難決議となり失脚

アイゼンハワー政権は、新国家建設に取り組む第三世界諸国に政治的・経済的に介入

軍事封じ込め政策は、アメリカを軍事超大国に邁進させたが、その主柱には核兵器を置き、核の抑止力に頼る外交を展開

1952年からは米ソの各事件が繰り返され、’57年には人工衛星の打ち上げ競争が始まる

1953年のスターリン死後、アイゼンハワーは原子力の平和利用を提案し、’55年にはお互いの軍事施設を空から監視する「オープン・スカイ」を提案、民間レベルの東西交流も開始

核軍拡競争を加速させ、巨額の軍事支出によって国家財政に大きな負担を残すとともに、軍産複合体という強力な利益集団を生み出したことへの警告を残して大統領を辞任

 

第50章     「豊かな社会」――その光と影

1950年代のアメリカは、経済成長と繁栄という最も安定した時期

戦後のアメリカ経済の好況の原因は、高い生産性と需要の増加にある

アイゼンハワーは、福祉国家政策を引継ぎ、社会保障の適用範囲を拡大

アメリカ史上最大の公共事業となった’56年のハイウェー法は、310億ドルを投じて4.1万マイルのハイウェーを建設する計画で、郊外の発展に拍車をかける

戦後のベビーブームも経済繁栄に貢献――’50年代には新生児が年間400万を超えた

同時に貧富の格差も拡大

‘54年のブラウン対トピーカ教育委員会訴訟での最高裁判決は、「分離すれど平等」の原理は公立学校には適用されないというものだったが、南部での抵抗は続く

経済政策に取り残された中には先住アメリカ人がいる。連邦補助金が打ち切られ、保留地を出た多くのインディアンは都市の貧困層に加わる

 

第51章     黒人解放運動の系譜――キング牧師登場の背景

1次大戦は、北部の労働力不足と南部綿花の輸出不振により、農村的南部から都市的北部への黒人の大移動をもたらし、人種問題が全国レベルの組織で取り上げられるに至る

2次大戦では、労働力需要はさらに高まり、南部農業の機械化による余剰労働力を北部にひきつけ、’60年代後半には大都市で人種暴動が続発する素地となった

ウィルソンの「民族自決」宣言も黒人奴隷解放運動に影響

2次大戦後も、アジア・アフリカの植民地の有色人種による独立運動が高揚すると、アメリカ政府も対外イメージを気にかけるようになり、アフリカ系アメリカ人も自らの権利獲得のために立ち上がることで世界の流れに合流するよう刺激を受ける

「黒人解放」の課題は連邦政府による「上からの」圧力として取り組みが開始されたが、南部の抵抗は強く、’60年代以降に「下からの」差別撤廃運動が奔流となって本当の意味での「黒人の解放」に留まらず「アメリカの解放」が始まる

 

第52章     ケネディの登場――アメリカの若さと自信の光陰

ケネディは選挙で選ばれた最も若く、カトリック系初の、被差別体験を持つアイルランド系で初の大統領であると同時に、成功した移民としてのエリート。移民3代目

「ニュー・フロンティア」を掲げる一方、現実問題に敢然と取り組んだ若くかつ自信に満ちた政治指導者として強く支持される。キューバとベルリンの危機を乗り越え、ソ連と部分的核実験禁止条約で核軍拡競争に歯止めをかけ、国内でも南部の差別隔離体制と闘う

戦後アメリカが頂点を極めた時代として多くのアメリカ国民の心に刻印され続けていく

 

第53章     ヴェトナム戦争とアメリカ――アメリカの最も長い戦争

8年に及ぶ「アメリカの最も長い戦争」の始まりは、1950年のアメリカによるインドシナの仏軍に対する援助に遡り、その背景には西独再軍備に対するフランスの支援の必要があった。中国の共産革命以後、インドシナが共産主義拡大阻止の前哨と位置付けられ、「東南アジアの均衡に重大な支障が生じるという「ドミノ理論」が直接介入の論理とされた

反共の論理に固執して、ヴェトナムの抵抗運動の民族主義的側面を見落としたことが介入拡大を招いた大きな要因

1955年には親米政権が誕生するが、'60年には南ヴェトナム解放民族戦線が結成され、ケネディ政権はピッグス湾侵攻作戦失敗の失地回復と、ベルリンの壁構築への対応を兼ね、ヴェトナムでアメリカの決意を示そうとして支援を増強、続くジョンソン政権もヴェトナムの安定化を目指すが、'64年末親米政権が軍事的危機に直面すると恒常的北爆を開始、

'73年和平協定締結、'75年解放勢力によるサイゴン武力解放により戦争終結

「冷戦」政策の転換が促進され、世界経済上の相対的地位が低下。国内では「冷戦コンセンサス」が崩壊、黒人などマイノリティの自覚を促してアメリカ社会の多元的統合が追求される契機となった

ヴェトナム症候群(対外軍事行使に警戒的な姿勢)を生み出し、現在も「ヴェトナムの記憶」が依然としてアメリカ社会の底流に根強く残る

 

第54章     激動の1960年代――それは黒人学生の「座り込み」から始まった

1960年のノースカロライナを皮切りに、黒人による人種隔離体制に反発する「座り込み」が全南部に波及

世界的にも、反体制運動や既存の権威に反発する「対抗文化」運動が高揚したが、その背景には、アジア・アフリカ植民地の独立や先進国内での人種やジェンダー、障碍の有無等を巡る差別解消という国民的意識の高揚がある

1963年のキング牧師による「私には夢がある」演説を皮切りに黒人の市民権運動は一気に高まりを見せ、'64年には公民権法が成立、「法の下での平等」を達成

さらに実質的平等化を目指して北部に活動拠点を拡大するが、人種暴動が頻発、キング牧師も「貧者の行進」を展開する中で’68年暗殺され「非暴力的統合」の夢が挫かれる

 

第55章     2波フェミニズム運動――「個人的なことは政治的なことだ」

1960年代後半、市民意識の高まりの中で生まれたのが第2次フェミニズム運動で、「個人的なことは政治的なことだ」と主張し、個々の女性が私的に抱える問題は、女性であるがゆえに不可避的に直面する女性たちの共有する社会的問題であり、それらは政治的に解決されるべきと主張。女性集団固有の価値と利益を認識し、「シスターフッド」の概念を発展

女性参政権とともに始まったフェミニズム運動は、奴隷制廃止運動の中から生まれ、市民としての政治的権利を持たなかった女性たちが、男性と同等の市民の権利を求める運動

憲法修正19条で一旦収束するが、第2次大戦後女性の職場進出が進展する中、家事労働と市場労働の二重の重荷を背負った女性を悩みから解放する動きが第2次フェミニズム運動の火付け役となる

リベラル・フェミニズム運動が「社会の主流」に女性を組み入れることを目的にする一方で、ラディカル・フェミニズムは既存の社会秩序は男性によって女性を支配するために作られたものであると主張し、女性的価値による新しい社会の組み替えを目指した

1973年、連邦最高裁は、ロウ対ウェイド判決で、妊娠中絶を女性の権利として認めた。キリスト教社会の女性政策を反転したこの判決は、その後アメリカ社会を分断する契機に

 

第56章     カウンター・カルチャー・ムーブメント――「30歳以上の大人を信用するな」

1960年代に入ると、学園紛争やヒッピー化現象などに表象される若者たちの既成の社会に対する異議申し立てが、アメリカ社会を根底から揺り動かす勢力となっていく

高度に産業化され「人間性を喪失した」社会で疎外感を抱く白人の中産階級の若者たちが、彼らの両親たちが築き上げた伝統的なWASP的社会と文化の欺瞞性を批判し、「より人間らしく生きるため」の新しい社会と生活のスタイルやモラルを模索

彼らの運動を総称してカウンター・カルチャー・ムーブメントといい、多様な運動を内包するが、記念碑的なスローガンであり共通のテーマが「30歳以上の大人を信用するな」

ヴェトナム反戦の「政治派」と、より個人的な生活を追求する「ドラッグ派」に大別

 

第57章     ウォーターゲート事件――苦悩するアメリカ

1972年、民主党本部に侵入した男達たち逮捕、ニクソン再選委員会のメンバーだったためホワイトハウスの関与疑惑が持ち上がるも、ニクソンは潔白を主張して再選を果たす

'73年に始まった裁判では次々にホワイトハウスの関与と隠蔽工作が暴露され、『ワシントン・ポスト』の衝撃的な調査報道と相俟って、辞任を求める世論が高まる中、議会による弾劾を避けるようにニクソンは辞任

国民の大統領に対する信頼を喪失しただけでなく、大統領側近の持つ強大な力とニクソン政権の秘密政治を浮き彫りにし、三権分立の伝統的な民主主議の制度が、第2次大戦以来肥大し続けていた行政権によって危機に晒されていることを表徴していた

報道の自由と国民の知る権利が行政によって侵される危険性を示唆――政府は国家の安全保障を盾に、新聞を攻撃。この事件への反省から、連邦機関の会議は全て原則公開となるとともに、一連の法改正を通じて伝統的な民主政治に危機意識を持ったアメリカが情報化時代におけるデモクラシーの制度を再び強化したことを示した

 

第58章     アメリカとカリブ海・中南米――屈折した近隣関係史

   19世紀両者がヨーロッパの植民地から独立して各々が新しい国家形成に努めていた――モンロー宣言により、中南米諸国へのヨーロッパの不干渉を謳った

   1920年代まではアメリカが覇権的な立場を確立――ヤンキー帝国主義の印象を植え付け、反米民族主義を生む原因となる

   196070年代は、反米民族主義的な政権が出現――’59年武力革命で成立したキューバ反米政権を皮切りに、ペルーやチリ、グレナダ、ニカラグアでも反米政権誕生

   1980年代には中南米諸国が未曽有の経済危機に遭遇し、パクスアメリカーナによってアメリカが覇権的地位を取り戻す

   21世紀に入って対米自立化が進む――民衆が支持する革新的政権が出現し、アメリカ主導の覇権的な地域主義政策に対抗、アメリカの指導力、影響力は大きく後退

 

第59章     アメリカとアラブ世界――メイド・イン・USAの中東和平

アメリカが中東情勢に介入したのは、第1次大戦中の’18年にウィルソン大統領がオスマン・トルコ支配下のアラブ人にも民族自決の原則適用を主張したが、英仏間で分割

1930年代、アメリカはアラビア半島の石油開発に着手、サウジに対しアラブ側に不利になることはしないと確約したが、戦後トルーマンは真っ先に新生イスラエルを承認。さらにエジプトへの武器供与を拒否してナセルの反共政権をソ連陣営に押しやり、中東地域での米ソ対立の端緒を作る

アメリカが中東の和平に直接関与したのは1978年――エジプトとイスラエルの間にキャンプ・デーヴィッド合意成立、’79年講和条約に調印、イスラエル占領下のパレスチナ・アラブ人に5年の自治を与えて、その間にパレスチナの最終的地位を決定するはずだったが期限切れに終わる

1990年、湾岸戦争でアメリカは中東地域安定のためにはパレスチナ問題の解決が必須と悟り、ソ連とともに中東和平会議を主宰、1993年ホワイトハウスでイスラエルとパレスチナが和平協定に調印――'79年合意と同様5年の経過期間を置いたが、またも期限切れ

2017年、反イスラーム、反アラブのトランプ政権の登場で元の木阿弥

 

第60章     アメリカとアジア――太平洋を「アメリカの湖」に

戦後の冷戦構造の中で、開発途上地域への技術・経済援助が始まり、アジアの広い範囲が冷戦の枠組みに組み込まれていく

冷戦期のアメリカは、アイゼンハワーの言葉によれば太平洋を「アメリカの湖」にすることを目指し、フォード政権の「新太平洋ドクトリン、ブッシュ政権の「太平洋共同体」構想、クリントン政権の「新太平洋共同体」構想などもその延長線上にあり、大西洋国家から太平洋国家への性格を強めてきたが、そこに中国が立ち塞がってきた

 

V.    21世紀のアメリカ――2001年~現在

第61章     テロとの戦い――W.ブッシュ政権の外交

クリントン政権による国際社会の変革を目指した介入政策を、アメリカの国益とは言い難いと批判したのは、他ならぬブッシュ政権に加わったリアリストたちだったが、彼らが掲げた「謙虚な」外交とは裏腹に、アメリカの主権を絶対視する外交が目立ち、9.11事件を「戦争」と捉えたブッシュ政権は、テロとの戦いに対し大統領には絶対的な権限が与えられていると主張、内外の政策遂行に当たって民主的な手続きやアメリカ自身が大切にしてきた人権や公正さという理念から逸脱するのを人々はテロへの恐怖から許容

ブッシュ政権を最も特徴付ける政策がイラク戦争――開戦の理由となったフセイン政権によるテロへの共謀も大量破壊兵器の存在も根拠がないことが明らかになってもなお、アメリカにとって望ましくない体制をアメリカの価値観に沿うように転換しようと固執

アメリカの他地域への外交も、テロとの戦いが通奏低音となって展開――東欧諸国を取り込んだNATOの拡大は石油価格高騰により息を吹き返したロシアとの間に新たな緊張を生み、途上国への関心にもテロとの戦いが影を落とし、政府が機能していないことがテロの温床をなすという論理から、アフリカを中心とする最貧国への援助をおこなう「ミレニアム・チャレンジ・アカウント」が提唱されたが、援助を受けるための政府の透明性や説明責任などの厳しい条件は最貧国の実態に合うものではなかった

アメリカは軍事力では解決できない問題を力で抑え込もうとしたことで反米感情を煽り、同時に軍事力そのものも薄く引き延ばされたことで弱体化。アメリカの内側からしか世界を見ようとしなかったブッシュ政権の8年で、アメリカのソフトパワーは雲散霧消

 

第62章     「アメリカの世紀」の終わり――アメリカに映し出される資本主義の栄光と悲惨

「アメリカの世紀」の幕開けの象徴となった自動車産業は、世紀が変わるころには深刻な経営不振から存亡の危機に立たされていたし、経済のカジノ化を推進してきた金融業界も世界同時不況の引き金を引いた

20世紀末期の歴代政権による新自由主義路線の推進により、アメリカの誇る分厚い中間層「ミドルクラス」の基盤が失われた結果、貧富の格差、特に経済上の人種間格差が拡大、人種間分裂は進ム。アメリカが外に派遣を求め、経済のかじ取りを詩情に委ね続ける限り、都市とその住民は等閑にされ、都市の荒廃は深刻化の度を加え、マイノリティに犠牲を集中させつつアメリカ社会の亀裂がさらに進行するのは十分予測されたこと

2008年、オバマ大統領の誕生はアメリカ国民の抱く再生への夢が掛かっている

 

第63章     バラク・オバマの登場――多様化するアメリカを象徴する初の非白人政権

オバマ大統領誕生の歴史的意義は、初の黒人というより、グローバル化の進展によりますます多様化が進むアメリカ社会の象徴としての意義が大きい

「有色人」という言葉はポリティカル・コレクトネスに抵触、複数の人種カテゴリーを選択する人は若い世代を中心に900万を超える

オバマ政権を誕生させた直接の要因は、’08年のリーマン・ショックに端を発する経済不況と共に高まった「変革」への国民的期待とともに、アメリカ社会における人種をめぐる社会情況に本質的変化が起こり始めたことも無視できない

オバマが多文化的価値観を確立するまでにはかなりの葛藤があったとされるが、彼の思想の基盤を形成したのは恩師たちの知的影響と共に濫読した古典的書物、とりわけ注目されるのは米国産哲学のプラグマティズムで、社会において公正さを実現するためには「アンダークラス」と呼ばれる最貧困層の絶望的な現実の改善が必須との確信であり、熟議に基づく合意の形成こそが不可欠で、それはアメリカの民主主義の歴史を貫く基本的価値観であるというのがオバマの哲学

2012年の再選時には人種の亀裂は深まり、白人の支持は43%から39%へ低下、議会の議席も選挙のたびに減らし、’14年には上下両院とも共和党が多数派となりレームダック状態を強いられる。直後にアフリカ系アメリカ人の誤射殺事件を起こした白人警官を不起訴とした決定に抗議する暴動が起こり、全米に拡大。オバマ・ケアも「ティー・パティ―」という草の根運動の妨害に遭って頓挫、対外政策でも未解決問題が山積

 

第64章     異例な大統領トランプ――分断の深まるアメリカ

トランプ大統領は、公私の区分や国家としての対外的な責務を軽視するだけでなく、アメリカが建国以来培ってきた理念である人権を軽視し、差別や暴力すら助長する異例な大統領像を提示。草の根で支持が広がると、共和党内でも世論追随が起こり、アメリカ社会の分断はさらに深まるが、トランプ現象はトランプ個人が引き起こした一過性のものではなく、それに先行するアメリカ社会の変化が生んできた亀裂の表面化と見るべき

政策面と個人的な言動の両面で異例のトランプが、党派を超えて惹きつけたのが従来は民主党支持だった労働者階層の白人男性であり、その背景にあるのはグローバル化

マイノリティを敵視し、キリスト教保守派の立場を代弁

アメリカ社会で、これまで大切にしてきた規範に逆行する動きが広まった背景には、情報伝達手段の変化も影響。ソーシャルメディアにより信憑性が疑われる情報でも瞬時に拡散し、大統領までがツイッターで情報を頻繁に発信、事実確認されないまま世界中に拡散

アメリカ国内の分断には出口が見えず、トランプ現象がトランプに先立って存在したアメリカ社会の課題を表面化したものであるだけに、それを乗り越えるためには、社会全体での理念や価値を再考する時間が必要だろう

 

第65章     変わりゆくアメリカ――多文化社会に向けて

アメリカ史は、現在のアメリカ社会を構成している様々な人種・民族集団とその祖先たちが築き上げてきた歴史である

1790年の国勢調査では、総人口393万のうち8割がヨーロッパ系の白人で2割がアフリカ系の黒人だったが、ヨーロッパ系移民の増大で1920年には91に変化する中、アメリカ解体の危機だと警戒感を強めた人々は、WASPこそ100%のアメリカ人だとして移民の制限、非白人移民の排斥、反カトリック、反ユダヤ、反共産主義などを唱える

2次大戦後は人種差別撤廃の動きも加わって、白人比率が60%強まで減少、人口の多人種化が進行、特に増加が著しいのはヒスパニック系(18)とアジア系(6)だが、さらに激増したのは多人種(混血、10)

異文化間の相互理解を増進させる多文化教育が行われ、多文化主義が強まる

白人が少数派に転じることは確実とされており、長らく白人中心の多人種・多民族国家であり続けてきたアメリカは、新しい国家の姿を模索しながら大きな転機を迎えている

 

 

 

明石書店ホームページ

2000年の初版以降、アメリカの最新事情やトピックを増補してきた本シリーズが待望のリニューアル。今回は、新たに女性史を補強する合衆国憲法修正第19条に関する章と、トランプ政権の歴史的意味を解説する章を追加。これぞアメリカ史入門書の決定版! 

【執筆者一覧】
池本幸三 龍谷大学名誉教授 専攻:アメリカ独立革命史、大西洋奴隷貿易史

岩本裕子 浦和大学社会学部 専攻:アメリカ黒人女性史 

大石悠二 元日本学術振興会カイロ研究連絡センター 専攻:中東現代史

大塚秀之 神戸市外国語大学名誉教授 専攻:アメリカ経済史、アメリカ現代史 

大津留(北川)智恵子 関西大学法学部 専攻:アメリカ政治・外交 

兼子歩 明治大学政治経済学部 専攻:アメリカ社会史、ジェンダー研究 

加茂雄三 青山学院大学名誉教授 専攻:中南米近現代史、米州関係史 

河内信幸 中部大学名誉教授 専攻:アメリカ現代史、国際関係史  

川島正樹 南山大学外国語学部 専攻:市民権(公民権)運動史  

粂井輝子 白百合女子大学名誉教授 専攻:アメリカ文化、在米日本人移民史 

近藤淳子 長崎ウエスレヤン大学非常勤講師 専攻:アメリカ外交史 

齊藤直一 共愛学園前橋国際大学国際社会学部 専攻:アメリカ合衆国南部地域研究

白井洋子 日本女子大学名誉教授 専攻:アメリカ史

新川健三郎 東京大学名誉教授、フェリス女学院大学名誉教授 専攻:アメリカ現代史

進藤久美子 東洋英和女学院大学名誉教授 専攻:現代アメリカ社会、ジェンダー・スタディーズ、市川房枝研究

高木(北山)眞理子 愛知学院大学文学部 専攻:アメリカ研究、社会学 

高橋章 大阪市立大学名誉教授 専攻:アメリカ史

竹中興慈 東北大学名誉教授 専攻:アメリカ社会史・黒人史

竹本友子 元早稲田大学文化構想学部 専攻:アメリカ黒人史 

常松洋 京都女子大学名誉教授 専攻:アメリカ史 

西出敬一 徳島大学名誉教授 専攻:アメリカ史 

野村文子 元川村学園女子大学人間文化学部 専攻:アメリカ宗教史 

藤本博 元南山大学外国語学部 専攻:アメリカ外交史 

松岡完 筑波大学人文社会系 専攻:アメリカ外交史

安武秀岳 愛知県立大学名誉教授 専攻:西洋史学

谷中寿子 共立女子大学名誉教授 専攻:アメリカ史

油井大三郎 一橋大学・東京大学名誉教授 専攻:米国現代史、世界現代史

横山良 神戸大学名誉教授 専攻:アメリカ政治文化史

 

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