宇宙の果てまで  小平桂一  2021.6.26.

 

2021.6.26. 宇宙の果てまで

 

著者 小平桂一 国立天文台長。1937年生まれ。59年東大理学部物理学科卒。博士。ドイツ・キール大理論物理学研究所、カリフォルニア工科大、東大理学部等での教育・研究歴を経て、82年東大天文台教授。80年より大型望遠鏡をハワイ・マウナケア山頂に建設するプロジェクトを推進。94年より現職、その完成まで漕ぎ着けた。ドイツ人のウタ夫人との間に3

 

発行日           1999.3.30. 第1

発行所           文藝春秋

 

 

²  大望遠鏡の夢

1980年、チリのセロ・トロロ汎米天文台の4m望遠鏡に3晩の観測時間を確保できたのを機に、他の4台の望遠鏡の時間も合わせ2週間の割り当てを貰う。北部チリは乾燥している砂漠地帯、23000m級のアンデス高地は、太平洋側に屹立した絶壁で、空気が乾いている(湿度5)うえに風が乱れず、天文観測に適している

今回の観測は、南半球から見える球状星団の化学組成を決めるのが目的。球状星団は天の川銀河系の中でも古い天体と考えられていて、重い元素は太陽よりも少ない。10万個近い星が球状に密集しているので、個々の星を区別して正確な分光解析をするのが難しい上に、遠方にあって暗い。そのため大望遠鏡を使わなければできない

併せて、大望遠鏡の実物を見て、それを支える組織についても調査

アンデス高地には、セロ・トロロのほかにも、米カーネギー財団の「ラス・カンパナス天文台」、ヨーロッパ連合の「ヨーロッパ南天天文台ESO」がそれぞれ世界1級の望遠鏡を運用

当時日本には、天文学科のある大学院は東京、京都、東北の3大学のみ、恒星の本格的な観測的研究を行える望遠鏡を備えていたの東大の東京天文台だけ

東京天文台は、1978年創立100周年。同年大型電波望遠鏡を野辺山に建設する予算承認。次の計画が大型光学望遠鏡の具体化

大気が宇宙からの放射を通す「窓」は、波長が0.5μ辺の可視光と、1㎝辺の電波で、それぞれに光学望遠鏡と電波望遠鏡で観測。それ以外の波長のエックス線や紫外線の天体観測や、その他の波長でも大気の影響を完全に避けて観測したい場合には、気球やロケット、人工衛星を使って大気圏外に望遠鏡を上げる

光学望遠鏡も、大型になるとレンズではなく鏡を使った反射鏡で、筒の直径が24m、長さ10mもあり、建設費は数十億にもなる。日本の最大の望遠鏡は60年に建設された岡山天体物理観測所の188㎝で、当時世界6位だったが、世界は4mクラスに進んでいて、暗い天体の観測には力不足であり、次期計画では3.5mを前提に検討

問題は2点。1つは厚く重い鏡と赤道儀という古典的なものとするか、薄く軽い鏡や電子計算機制御による経緯儀式の「新技術望遠鏡」とするか。もう1つは設置場所を天候や桐生条件のいまいち優れない日本とするか、海外適地にするか

当時の天文学には、本格的な工学者が未成熟。さらに海外設置となると費用の面でも人材の面でも至難の業

1979年、アインシュタインゆかりの地、プリンストン高等学術研究所で、口径4mのスペース・テレスコープ(ST:軌道望遠鏡)計画のシンポ。光学望遠鏡を大気圏外に打ち上げる構想。成層圏気球望遠鏡実験をやっていたので感動

6164年、西独学術交流会留学生としてキール大理論物理学研究所勤務。恒星のスペクトル分析の新方法論を修得

65年、東京天文台助手

68年夏、カリフォルニア工科大の客員研究員として、ウィルソン・パロマ―天文台の100インチ望遠鏡を使う。パサデナに本部。山には男性専用の「僧坊」があり、使う望遠鏡の大きさで食事の席順が決まる。60インチ望遠鏡の観測者が夜食の缶詰の入った重い籠を夜食小屋まで運ぶ役と決まっている

1981年、初めてハワイ大学天文研究所を訪問、マウナケア山頂の天文台を見学

ハワイ側は受け入れ用意あり。マウナケア山頂一帯は、州有地だが、科学保護地区としてハワイ大学に貸与。学術的貢献と環境アセスメントが関門。電気は環境規制内のディーゼル発電で、水はタンクローリーで運ぶ

 

²  国境を越えて

1982年夏、DAADの「再訪問プログラム」を利用して訪独。スペインのカラ・アルトに3.5mの大望遠鏡設置計画に伴って新設されたマックス・プランク光学天文研究所に3か月滞在

既に稼働しているカラ・アルトの3.5mと対をなす1.5m望遠鏡で観測させてもらう

1982年、野辺山に大型電波望遠鏡完成

中国に出張し、大型望遠鏡の候補地を見学

3人の混血娘はオイラジアンらしい可愛らしさがある

834月、天文台教授に専念、分光部を担当。いよいよ海外大望遠鏡設置の可能性を探る

文部省に打診すると、行政簡素化により天文台が大学の付属研究所から直轄の国立研究所として整備されれば、大学共同利用機関として国家プロジェクトを担うことが出来そうだという感触を得る。既に先例として「高エネルギー物理学研究所」が筑波に設立

自民党議員でアマチュア天文家の与謝野馨が加藤紘一を表に立てて「大望遠鏡計画推進議員連盟」を発足させていて、一緒に議論したが、政治的活動を始めることはなかった

83年夏、ハワイ大の2.2m望遠鏡での観測が実現。同時に、設置条件の調査を行う

同年、アリゾナ大のローエル天文台も実地調査。ハニカム鏡の大々的な開発実験を見学。キットピークの国立天文台も訪問し、アメリカの大望遠鏡計画の現状を視察。半導体の光検出器を使った電子カメラが主流になることを見分。日本は完全に立ち遅れ

アリゾナのホイップル山天文台ではスミソニアン協会の支援で6本の望遠鏡を束ねたマルチミラー・テレスコープMMTの実験機が稼働しており、観測に付き合う

84年、人類初の宇宙遊泳が行われ、NASAからスペース・ステーション計画への参加の誘いが来る。文部省の学術国際局研究機関課に情報を伝えると同時に、ハワイの大望遠鏡計画を説明。これを機に、7.5m望遠鏡のハワイ設置の目標が固まり、議員連盟にも説明。予算総額300億。野辺山の電波望遠鏡は100億だが前代未聞の巨額

 

²  先端技術への挑戦

東京天文台が調査開始を正式決定し、著者が調査室の総括責任者に就任

銀河の定量解析の研究は続け、表面輝度を定量的に測定分析し、客観的で定量的な分類法を確立することを目的とする

846月、ハワイ大と覚書交換。国設大型望遠鏡JNLT計画として正式発表、学術会議天文学研究連絡委員会からも推薦を受け、国内外の企業に協力の可能性を打診

応募してきた中からコーニング(鏡材)とコントラヴェス社(研磨、元オーエンス・イリノイ)を選定して研究を進める

反射望遠鏡の鏡では、自重変形と温度変形が問題

マウナケア山頂には、今世紀末までに望遠鏡設置個所として許される13の場所が指定

うち4カ所は、ハワイ大、イギリス、仏・加・ハワイ、NASA24mが稼働中

あと、0.6mの小型望遠鏡が2カ所

さらに、英蘭の15mミリ波望遠鏡と、CalTec10mサブミリ波望遠鏡が建設中

手つかずで残った場所は5カ所。1つは電波望遠鏡の予定、もう1つがCalTec10m望遠鏡TMT(寄付者の名を冠してケック望遠鏡となる)に決定していて、最終的にTMTの西側に決定し、86年正式覚書を交わす

日本の国有財産が外国の地にあるケースは稀で、唯一フィリピンの戦没者慰霊塔があった

薄板型の1枚鏡は厚さ20㎝ほどの反りの強い凹面鏡(メニスカス型鏡)で、最大の課題は支持機構。自身の形を保てるだけの硬さがないので、部分部分を支えてやる必要がある

三菱電機の協力を得て、足掛け5年がかりで実験、パテントも申請

ヨーロッパでもここ頃独仏伊が中心となって、欧州大陸7か国連合で運用するヨーロッパ南天天文台が、チリに300インチ級4台を造る超大型望遠鏡計画VLT推進中

1987年には、建物の設計検討開始。地表乱流の影響回避のためには望遠鏡の水平軸と垂直軸の交点(不動点)が高いほどいいが費用との兼ね合いのほかに、望遠鏡を支えるコンクリートの支柱の揺れを抑えなければならないという問題がある。山頂の平均風速は7m/s

300インチ級では筒の長さが15m。建物自体が望遠鏡を内蔵して回転するので建物の最低の半径が筒の長さになる。さらに望遠鏡の基台は、最低でも建物の半径程度持ち上げるのが望ましい。現地で実測の結果、不動点は23mに、望遠鏡を載せる円柱は高さ14m

望遠鏡本体は、主鏡が20tに支持機構が20tで、機械構造が200300tとなり、これを内蔵して回転する建物の上部は600t。機器1t当たり1億が相場なので、総額300億。いドル=230円換算で、世界の相場となり、それに建屋や基盤施設などなどが加算される

 

²  禁じる法律はない

1988年、国立天文台創設。古在由秀が初代台長。東大には代わりに木曾観測所の付いた理学部付属天文学教育研究センターが設立。古在は国際天文学連合の会長にも就任

大蔵省の友人に予算承認の可能性を打診したところ、文部省から上がってこないことにはといいながら、海外設置を禁じる法律はないと、好意的な返事が返ってくる

90年度の予算に、ハワイ大望遠鏡の設置調査費が計上され、国として計画を推進しようとする姿勢が打ち出される

 

²  「人類の眼」を創ろう

90年夏、大望遠鏡建設計画の概算要求を文部省から提出することが決まり、初年度6.5億円を計上。反射鏡はメートル法で世界一となる8mに拡大。工期8

主契約者は三菱電機が落札。鏡材メーカーはコーニングに決定。岩波が記録映画製作

正式名称は「大型光学赤外線望遠鏡」だが、愛称を「すばる」とする。100個以上の若い星の大集団(プレアデス星団)、年齢は10百万年。牡牛座にあって冬の星座に輝く目立つ存在

9276日、マウナケア山頂で起工式。鳩山邦夫文相夫妻が立ち合い

隣ではケック望遠鏡が工事中、すばるより1年遅れでスタートするアメリカの国立天文台の新世代望遠鏡(NGT)計画に基づくジェミニの8mの計画が進行中

細川政権からウタさんに立候補の誘いが来たが、永住許可だけで国籍がないため白紙に

起工式の前に日本で「国際化シンポジウム」を企画、大望遠鏡計画の背景や問題点を知って貰うのが狙いで、「すばる」は「人類の眼」を目指すと訴える

94年、恒久的な財源拠出のための学術助成財団「天文学振興財団」の設立につき文部省の認可取得、三菱電機片山会長に発起人、古在台長が理事長

資材や機器の輸入関税は日米政府間交渉で免税、州際のユース・タックスもなんとかクリア

94年、古在台長の後を引き継ぐ。4年任期で、2年単位の留任が認められる。暫くは研究生活から退く

 

²  アストロ・ハート

94年夏、コーニングから主鏡材の出荷式。直径8.3m、厚さ約20

台長として初めての予算の概算要求では、桂子アネットの父の自己紹介と、シューメーカー・レビ第九彗星が木星に衝突するという世紀の天体ショーで天文学の重要性に理解が高まっていたので、すんなりいった

ここ数年間活躍中のハッブル・スペース・テレスコープHSTが提供する素晴らしい宇宙映像のお陰で、すばるへの関心が高まる

94年末、総胆管結石で緊急入院し手術、翌年夏には胆嚢摘出

機械構造は、神戸の川崎マシーアンリーや日立造船桜島工場で組み立てられ、作動テストの後分解してハワイに送られる(96年秋)

961月、すばるドーム内で溶接工事の火が引火して火災発生、現地作業員の死者3人を出す。(我々がマウナケアに登ったのは7)

山麓基地は、ヒロ市内のハワイ大キャンパスの一角に建設

「主鏡の反転」 ⇒ 凸面を上にして300近い穴を穿ちロボットの腕を差し込んで制御する世界初の試みで、最後に反転して最終研磨にかかる

すばるを、文部省令によって設置する「省令施設」にできないか、それも、その所在地を勤務地として勤めることのできる「在勤官署」にできないか。南極の昭和基地は、南極条約にのみ縛られ、後は日本法に基づいて活動が可能だが、すばるでは外国法に規制される

97年の内閣調査室予算に、在勤官署としての「ハワイ観測書」の設置が含まれた

最後に残された派遣所員の赴任手当の問題も人事院の尽力で法改正に目途が付く

ケックはすでに10mの分割鏡の大集光力を活かして稼働開始

人間の「内にある宇宙」と、自然科学の「外にある宇宙」が融合されて、もっと雄大な世界観に統一されていくに違いない。自然科学は、人間の精神活動のごく一部に過ぎない

 

²  変革の風の中に

98年、台長留任。10周年を機に、「第2期整備計画」策定。目玉はチリの海抜5千mの未開の砂漠地帯に日本初となる国際共同での超大型の「電波干渉アレイ」を構築すること

主鏡の研磨作業が工期から遅れ、さらに最後は手作業で研磨し、5カ月遅れで完成

98年度予算は行財政改革の余波を受けて15%削減、さらに国立の研究機関の独立行政法人化の問題までが降りかかる

9811月、パナマ運河経由で主鏡が到着。前日自動車事故で4人負傷のおまけつき

8mの凹面主鏡に入る星の光は、反射されて15m先の望遠鏡の先端部に集まる。そこに凸面副鏡をつけてもう一度反射させ、主鏡の中央の穴を潜り抜けて主鏡を支える能動支持台の裏側に集まって結像する

12月には岩波映画が自己破産、すばるの記録は旧社員が続けてくれた

年末に試験観測の映像が届き、年初には天文学的な映像取得の目途がつく

試験画像には、肉眼で普通に認められる6等星の1億分の1ほどの明るさの星まで、びっしり画面を埋めている。ハッブルを凌ぐ画像に感激

991月末、ファースト・ライトの画像を記者発表

 

 

あとがき

本書は日本が初めて外国領土に造ることになった大型科学施設、ハワイの大望遠鏡「すばる」ができるまでの計画推進の軌跡を、著者の目から綴ったもの。漏れのない客観的な記録とはいえないが、計画推進の背景にあった心情の流れを自分なりに伝えたかった

「海外設置」構想は1970年代後半に開始、91年着工、99年完成、00年春から観測開始予定。日本が戦後の経済成長期を経て変革の時代へと進む中での「1人の天文学者の歩み」としても読んでいただきたい

「計画推進」の物語はこれで終わるが、大望遠鏡の永い一生と「ハワイ観測所」の新しい歴史は始まったばかり。成長にはさらなる努力が必要で、若い世代が引き継ぐことを期待

各章扉のスケッチは、計画推進中に折にふれて著者が描いたもの

 

 

 

 

 

Wikipedia

小平 桂一(1937220 - )は、日本の天文学者理学博士。専門は天文学・銀河物理。英国天文学会・海外フェロー会員。元日本学術振興会ボン研究連絡センター長。

人物[編集]

東京府(現・東京都)出身。少年時代はアマチュアとして天文活動を行っていた。東京都立日比谷高等学校を経て、東京大学理学部物理学科卒業、東京大学大学院数物系研究天文学専攻修士課程修了、キール大学大学院物理学専攻博士課程修了。カリフォルニア工科大学客員研究員、東大理学部助教授、ハイデルベルク大学客員教授を経て1982に東京大学東京天文台教授となり、1988国立天文台教授(東京大学教授・併任)、1994古在由秀の後を継いで国立天文台の2代目台長に就任。すばる望遠鏡の建設に尽力した。

20004月まで国立天文台長を、2001から2008まで総合研究大学院大学学長を務めた。

妻は、キール大学留学中に知り合ったドイツ人女性。娘はスポーツキャスター小平桂子アネット

略歴[編集]

川崎市立元住吉小学校5 初めて東京天文台を見学

中学校 川崎天文同好会入会(箕輪敏行先生の紹介)

1955 - 都立日比谷高等学校普通科卒業

1955 - 国立東京大学理科2類入学

1957 - 東京大学理学部物理学科入学

1959 - 東京大学大学院理学系研究科物理学専攻入学

1961 - 東京大学大学院数物系研究科天文学専攻修士課程修了

1964 - キール大学(ドイツ)物理学科博士課程修了(理学博士号)

1965 - 東京大学大学院理学系研究科物理学専攻博士課程修了(理学博士号)

1965 - 東京大学助手

1967 - 東京大学 理学博士 論文の題は「Spectroscopic study of the A-type peculiar star HD221568(A型特異性HD221568の分光学的研究)[1]

1961 - ドイツ・キール大学大学院物理学専攻博士課程に留学(ドイツ学術交流会DAAD奨学生)[2]

1974 - 東京大学理学部物理学科助教授

1980 - 東京大学理学部物理学科教授

1988 - 国立天文台理論研究部教授

1994 - 国立天文台台長・総合研究大学院大学・天文学科専攻長

2000 - 国立天文台長退任、東京大学名誉教授、国立天文台名誉教授、ハワイ大学特別連携教授、ベルリン工科大学客員

2001 - 総合研究大学院大学学長

2008 - 総合研究大学院大学学長退任後、名誉教授

2008 - 日本学術振興会ボン研究連絡センター長(2018年まで)[3]。世界天文年2009日本委員会・募金委員

20174瑞宝重光章受章

業績[編集]

最大の業績は、日本の研究機関としては初めて海外に研究施設の建設を行ったこと(国立天文台ハワイ観測所)。前例主義で、中々動かなかった文部科学省や関係省庁を説得して、プロジェクトマネージャーとして大型望遠鏡計画を実現させたこと。

研究者としては、活動銀河核の観測を提唱したり恒星の位置天文学領域での研究をはじめとして、恒星進化論などにおいて精密な観測方法を探究。

著書[編集]

『恒星の世界』(恒星社厚生閣 現代天文学講座1980

『恒星と銀河』(産業図書 物理学の廻廊 1982

『現代天文学入門』(中央公論社 中公新書 1985

『新しい宇宙像の探求』』(岩波書店 1990

『現代の宇宙像・銀河と活動的銀河核』(培風館 1991

『宇宙の果てまで』(文藝春秋 1999

編書[編集]

『新しい宇宙の探究』(岩波書店 1990

訳書[編集]

『きみたちも科学者になれる』(ドン・ハーバートム 荒地出版社 1961

『現代天文学』(A.ウンゼルト著 岩波書店 1968

監修書[編集]

『カラー天文百科』(ハーマン原著 平凡社 1976

『天文の事典』(平凡社 1987

脚注[編集]

1.    ^ 博士論文書誌データベース

2.    ^ 小平桂一「半世紀を隔てて」Echo編集委員会 Echo35DAAD友の会、2019,115-9頁。

3.    ^ ドイツ学術交流会との協力よる日独学術交流への尽力により、同交流会からEhrenmedaille(名誉メダル)を授与された。小平桂一「半世紀を隔てて」Echo編集委員会 Echo35DAAD友の会、2019,115-9頁、とくに7頁。

 

 

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ホームページより

アメリカ・ハワイのマウナケアの頂上にある「すばる望遠鏡」は、自然科学研究機構国立天文台ハワイ観測所が運用する口径 8.2 メートルの光学赤外線望遠鏡です。

国立天文台ハワイ観測所の概要

ハワイ観測所の概要

ハワイ観測所は、標高4,200mのマウナケア山頂にあるすばる望遠鏡と、研究・開発・事務を行うヒロ山麓施設から成る日本の国立天文台が運営する天体観測施設です。

国立天文台ハワイ観測所は 1997 ヒロ山麓施設の完成とともに発足しました。山麓施設には、実験室、機械工作室、図書室、計算機室などがあり、120人程度のスタッフが望遠鏡の運用から天文学の研究や次世代の観測装置開発など広範囲の業務に携わっています。標高 4200メートルのマウナケア山頂での作業は困難と危険を伴うため、望遠鏡から離れてできる作業は、この山麓施設で行われています。

すばる望遠鏡は、太平洋の中心、ハワイ島マウナケアの山頂に設置されています。ここは、天体観測に最適な場所のひとつとして知られています。標高 4200 メートルのマウナケア山頂は、気圧は平地の3分の2しかなく、地上の天候システムに影響されない高さにあるため、快晴の日が多く、乾燥しています。貿易風がハワイ諸島上空を滑らかに吹き、雲が山頂まで上ってくることは稀です。近くに大きな都市もなく、天体観測をさまたげる人工的な光はほとんどありません。

これらの好条件を求めて、マウナケアには 11 ヶ国が運営する 13 の望遠鏡が集まっています。すばる望遠鏡もその一員です。すばるのほかにも、ジェミニ望遠鏡、二つのケック望遠鏡という8- 10 メートル級の望遠鏡があります。

マウナケアは、天体観測に適しているのと同時に、自然としても、また文化的にも貴重な資源であり、自然保護地区として、その開発は注意深くコントロールされています。

すばる望遠鏡の仕様

すばる望遠鏡の本体

口径8.2メートルの主鏡

すばる望遠鏡の主鏡は口径8.2メートルの世界最大級の滑らかな一枚鏡です。望遠鏡が光を集める能力は、主鏡の面積に比例します。これは人の目と比べると100万倍以上。それだけ遠くの微弱な光をも集めることができます。また、口径が大きいほど、分解能が上がり、より細かいところまで見ることができます。

すばる望遠鏡が達成する最高分解能を視力に例えると1,000以上にもなります。これは、富士山頂に置いたコインを東京都内から見分けられるほどの視力です。

口径8.2メートルの主鏡

望遠鏡が光を集める能力は、主鏡の面積に比例します。すばる望遠鏡の主鏡は有効口径8.2メートル、厚さ20センチメートル、重さ22.8トンのULEガラス(超低熱膨張ガラス)を使用した世界最大級の単一鏡です。

6等星までしか見えない人の目と比較すると100万倍以上の面積集光力で、およそ27等星まで観測することができます。主鏡のガラス材が製作されたのはニューヨーク州、研磨されたのはペンシルベニア州、望遠鏡を設置するのはハワイ州。7年の歳月をかけて綿密に製作され、運送にも細心の注意が必要でした。

 

 

Wikipedia

国立天文台ハワイ観測所すばる望遠鏡

すばる望遠鏡(すばるぼうえんきょう、: Subaru Telescope)は、アメリカハワイ島マウナ・ケア山山頂(標高4,205m)にある日本国立天文台の大型光学赤外線望遠鏡である。

概要[編集]

19991ファーストライト(試験観測開始)。建設総額は400億円。システム設計・建設のほとんどは三菱電機が請け負った。国立天文台が建設準備を進めていた当初のプロジェクト名は「日本国設大型望遠鏡」(英語: Japan National Large Telescope, JNLT)だった。建設が始まった1991年に望遠鏡の愛称の公募が行われ「すばる」が選ばれた。

主鏡に直径8.2m、有効直径(実際に使われる部分の直径)8.2mという当時世界最大の一枚鏡をもつ反射望遠鏡であった。主鏡はアメリカのコーニングコントラベスに於いて7年以上の歳月を費やして製造された。

20154月時点で世界最大の一枚鏡望遠鏡は、アメリカアリゾナ州にある大双眼望遠鏡で、8.4m2枚の合成直径は11.8m。また分割鏡では、スペインラ・パルマ島ロケ・デ・ロス・ムチャーチョス天文台にあるカナリア大望遠鏡(有効直径10.4m)である。

すばる望遠鏡には高度な技術が多数使われている。例えば、コンピュータで制御された261本のアクチュエータにより主鏡を裏面から支持することにより、望遠鏡を傾けた時に生じる主鏡の歪みを補正し、常に理想的な形に保たれている(能動光学)。また、天文台の建物そのものの形状を工夫することで空気の乱れを防ぎ星像の悪化を防いでいる。採用された円筒形のドーム形状は、特に内部からの放熱による乱流を防ぐ観点で、通常の半球形のドームより適しているとの理由によって採用された。

天体の観測は、観測装置のセットアップ以外は、山頂の望遠鏡からのデータを約30キロ離れた、ハワイ島最大の町ヒロにあるセンターで観測者が受ける形で行われる。[1]

性能[編集]

方式:光学式リッチー・クレチアン式望遠鏡/ナスミス式望遠鏡

望遠鏡設置場所

緯度 北緯 194943

経度 西経1552850

海抜 4,139m

架台

架台形式 経緯台

望遠鏡本体

高さ:22.2m

最大幅:27.2m

重量:555t

主反射鏡

有効直径:8.2m

厚さ:20cm

重量:22.8t

素材:ULE(超低膨張ガラス)

平均表面研磨誤差:14nm

焦点距離15m

焦点[2]

主焦点F値:2.0収差補正光学系を含む)=焦点距離16,400mm

カセグレン焦点F値:12.2=焦点距離100,000mm

ナスミス焦点F値:12.6(望遠鏡本体の左右に2つ)=焦点距離103,320mm

ドーム

望遠鏡連動円筒型エンクロージャ

高さ:43m

基本直径:40m

重量:2,000t

全体はアルミニウムパネルで覆われている。

観測装置[編集]

近赤外線分光撮像装置 IRCS(地元ハワイ大学との共同開発)

コロナグラフ撮像装置 CIAO

冷却中間赤外線分光撮像装置 COMICS

微光天体分光撮像装置 FOCAS

広視野主焦点カメラ Suprime-Cam[3]

超広視野主焦点カメラ Hyper Suprime-Cam (ハイパー・シュプリーム・カム, HSC)[4][5]

高分散分光器 HDS

多天体近赤外分光撮像装置 MOIRCS 東北大学理学部天文学教室との共同開発

これらの観測装置によって可視光から赤外線領域をカバーする観測が可能な仕組みとなっている。撮像を目的にした装置と分光観測を目的とした装置を、観測対象に応じて4つある望遠鏡焦点のいずれかに取り付けることで、広い範囲の波長をカバーする[6]。なお、新しい観測装置は、各大学や国立天文台にて開発研究が進められている(国立天文台の項を参照)。[7]

HDS:高分散分光器」、「IRCS:近赤外線分光撮像装置」及び「Suprime-Cam:広視野主焦点カメラ」が、国立天文台ハワイ観測所開設の最初の時期に設置した観測装置である。その後、岡山天体物理観測所等で行われた開発に基づき新たに開発された機器「COMICS:冷却中間赤外線分光装置」や「FOCAS:微光天体分光撮像装置」を設置し観測に利用している。また、太陽系外惑星発見などを目指して開発された「CIAO:コロナグラフ撮像装置」によって、「連星系」や「太陽系外惑星系」の観測が行われる。また、大規模光学系を有効に活用するために、東北大学のチームが中心となって開発した「MOIRCS:多天体近赤外分光撮像装置」が設置されて現在にいたる。

20128月には、「Suprime-Cam:広視野主焦点カメラ」に代わって新開発の「超広視野主焦点カメラ Hyper Suprime-Cam (ハイパー・シュプリーム・カム)」が設置され、20137月にファイストライト画像が公開された。Suprime-Camでは、アンドロメダ銀河の一部 (満月よりやや広い視野) を撮影できていたが、Hyper Suprime-Camは、満月9個分の広さの天域を一度に撮影できる世界最高性能の超広視野カメラとなった。独自に開発した 116 個の CCD 素子を配置し、計87000万画素を持つ巨大なデジタルカメラの持つ広い視野により、すばる望遠鏡はアンドロメダ銀河のほぼ全体を1視野で捉えることに成功した[8]

観測機器にアップデートに関しては、太陽系外惑星をピンポイントで観測するために、コロナグラフフィルターの精度とともに、補正光学系を改良した「HiCIAO」の開発し、2009年より利用されている[9]

観測補助装置としては、浜松ホトニクスの開発した波面センサーによる補償光学装置や理化学研究所にて開発されたレーザーガイド星装置などがあり、高分解能かつ高精度(レイリー限界やドーズ限界に限りなく近くする)の観測が可能なように配慮している。ただし、波面センサーの分解能に関しては、これからも研究開発が進むことによって、将来更に解像度を上げた装置になる予定でもある。

用語補足[編集]

高分散分光器と低分散分光器の違いについて。

高分散分光器は、分光像を焦点レンズなどを用いて拡大することによって、精密な分光像が得られる装置。難点は、焦点レンズによって拡大されるため、分光像が暗くなってしまうことである。そのため、有る程度の口径か、もしくは高感度のセンサーが必要となる。後者の場合には、暗電流等の問題があるため、通常は用いられない。 低分散分光器は、分光像をそのまま撮影できるようにした装置のこと。具体的には、光学プリズムや解析格子などを用いて得られたスペクトルをそのまま表示もしくは撮像できる装置である。特に、太陽観測や惑星科学観測などで用いられる。

観測技術[編集]

直径8.2mに対して厚さが20cmしかない反射鏡の精度を維持するために、動的支持装置 (Active Support) を搭載している。この支持装置は、鏡面精度を常に 100 nm ({\displaystyle 10^{-7}m} ) の桁に保つための装置である。コンピュータで制御された261本のアクチュエータにより主鏡を裏面から支持することで、望遠鏡の姿勢変化による主鏡の変形を0.1秒に1回の頻度で自動的に微調整している。

地球大気の乱流などもっと速い変動に起因する星像の揺れを実時間で直す装置(補償光学: Adaptive Optics)は200012月よりカセグレン焦点に設置されている。これにより近赤外線では回折限界 (Diffraction limit) に迫る星像が得られている。さらに赤外ナスミス焦点に人工星(レーザーガイド星)を使った更に高精度な補償光学系を開発し、200610月にファーストライト(初観測)に成功した。

これらの技術によって天体の解像度の高い画像を得るとともに、遠方にある微かな光を放つ銀河や星雲などの観測性能を大幅に向上させる。

すばる望遠鏡による成果[編集]

すばる望遠鏡は日本の国立天文台の施設であるが、国際共同利用観測所であるため世界中の天文学者が観測提案を提出することができ、審査に合格した観測提案だけが実行に移される。観測提案は年に2度募集される。

単独観測[編集]

宇宙の大規模構造の元となる、フィラメント状星雲の発見。また、銀河系10倍以上の質量を持つ、銀河団の元となる星雲を発見。

赤外線によって、宇宙の最遠の超新星爆発を捉える。

太陽系外にある微惑星のリングを捉える。

20052 くじら座の方向に観測史上最遠の銀河団を捉える。距離128光年

20065 ガンマ線バーストの解析により、宇宙の再電離はビッグバン後9億年まで遡ることを確認。

20068 かに座の方向に日本人の発見したものとしては最遠となる127億光年離れたクエーサーを発見。

20069かみのけ座の方向に、天体観測史上最遠となる1288000万光年離れた銀河を発見する。

201411月 すばる望遠鏡にとって最も遠い宇宙をこれまでにない感度で探査し、ビッグバンからわずか7億年後 (131億光年先) の宇宙にある銀河を7個発見[10]

国際連携観測[編集]

NASAの探査機ディープ・インパクトと連携し、彗星への衝突時の光を捉える。

なお、この観測はマウナケア山頂の望遠鏡群全体でも行った。

ヨーロッパ南天天文台でも観測を行う。

NASA及びESAの探査機カッシーニと連携し、土星の衛星タイタンのジェット流の観測を行う。

NASAと協力し、冥王星-エッジワース・カイパーベルト天体探査機ニュー・ホライズンズの探査目標天体の捜索を行う。

欧州宇宙機関 (ESA) と共同で、すばる/XMM-ニュートン・ディープサーベイ (SXDS) と呼ばれる深宇宙撮像サーベイを行う。

ハッブル宇宙望遠鏡スピッツァー宇宙望遠鏡超大型干渉電波望遠鏡群 (VLA)VLTXMM-NewtonGALEXChandraUKIRTNOAOCFHT等と共同で、ハッブル宇宙望遠鏡基幹プログラムであるCOSMOSプロジェクトに参加。X線、紫外線、赤外線、電波の全波長帯で宇宙の大規模構造を観測する。

撮影画像と天体カタログの公開[編集]

2004年、国立天文台・東京大学・宇宙航空研究開発機構・英国ダーラム大学・英国レスター大学の研究チームは、「すばる/XMM-ニュートン・ディープサーベイ」 (SXDS) により取得された深撮像サーベイ画像と検出された天体カタログを全世界へ公開した[11]

出来事[編集]

望遠鏡を収めるドーム施設の建設中に火災が発生した。この事故によって4名の作業員が死亡した。

20117月、すばる望遠鏡の主焦点部から冷却液が漏れ出す事故が起きた。液は主鏡を含めた広範囲に飛び散り、機材も浸水したため、観測利用が行えない状態となった[12]。その後、原因究明と復旧作業が進められ、20119月までにナスミス焦点、カセグレン焦点、および赤外用主焦点での観測を再開した。損傷の大きかった可視光用主焦点の復旧には時間がかかったが、2012715日に共同利用観測を再開することができた[13]

脚注[編集]

1.    ^ Hilo Base Facility for Subaru Telescope

2.    ^ 観測機器を取り付ける焦点は4箇所ある。なお、主焦点ならびにカセグレン焦点は可視光・近赤外の焦点系であり、ナスミス焦点は片方が可視光焦点であり、もう片方は近赤外焦点である。

3.    ^ 20137月、より広い視野と高い解像度を得ることを目的とした、Hyper Suprime-Camに置き換えられた。これは、近赤外線領域から可視光をカバーするモザイク型CCDカメラ(計87000万画素)と光学補正レンズからなる。

4.    ^ “キヤノン,浜松ホトニクス,三菱電機ら,すばる望遠鏡の超広視野カメラを開発” (日本語). OPTRONICS ONLINE オプトロニクスオンライン. 202142日閲覧。

5.    ^ “新型の超広視野カメラが開眼、ファーストライト画像を初公開 | トピックス・お知らせ” (日本語). すばる望遠鏡. 202142日閲覧。

6.    ^ 正確には、大型観測装置がナスミス焦点に取り付けられ、小型の広視野主焦点カメラ (Suprime-Cam) が、主焦点観測室に取り付けられる。特に大型の観測装置によっては、重量数tに達するものもある。またカセグイン焦点には日本放送協会 (NHK) のスーパーハープ管型カメラが取り付けられ、すばる望遠鏡から生中継が行われたこともある。科学観測的には、コロナグラフ撮像装置や微光天体分光撮像装置などが取り付けられ、連星系の伴星の観測なども行われている。

7.    ^ 新規に開発された新しい観測機器に関しては、岡山天体物理観測所や各大学の保有する天文台での実験観測を経て、観測計画に基づき設置利用が可能である。この場合には、その観測機器は開発した大学や研究室によって保有されることになる。なお、国立天文台における大型機器の開発研究に関しては、自然科学研究機構ならびに文部科学省、さらには財務省の許可が要るため、時間がかかる例もある。例外として、MOIRCSの開発が挙げられるが、この場合には、科研費単年度での開発が必要だったため、非常に短期間で開発が実施されることになったのである。

8.    ^ 新型の超広視野カメラが開眼、ファーストライト画像を初公開. すばる望遠鏡. (2013730) 2013811日閲覧。

9.    ^ “HiCIAO | 国立天文台 太陽系外惑星探査プロジェクト室”. exoplanet.mtk.nao.ac.jp. 202142日閲覧。

10. ^ すばる望遠鏡の限界に挑んだ最遠方銀河探査 宇宙初期に突然現れた銀河を発見 . 国立天文台ハワイ観測所 (すばる望遠鏡). (20141118) 20141123日閲覧。

11. ^ 「すばる望遠鏡 銀河形成の歴史に迫る」 -すばる/XMM-ニュートン・ディープサーベイ(SXDS) 画像データ公開-

12. ^ すばる望遠鏡が冷却液漏れで観測中止. AstroArts. (2012719) 201176日閲覧。

13. ^ すばる望遠鏡、主焦点カメラでの観測を再開. AstroArts. (2012719) 2012730日閲覧。

 

 

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