ブルースだってただの唄  藤本和子  2021.6.25.

 

2021.6.25. ブルースだってただの唄 黒人女性の仕事と生活

 

著者 藤本和子 1939年生まれ。早大政経卒。67年渡米、ニューヨークの日本総領事館に勤務した後、イェール大のドラマ・スクールに学び、その後リチャード・ブローティガンの作品をはじめ、多くの翻訳を手掛ける

 

発行日           2020.11.10. 第1刷発行      2021.4.10. 第3刷発行

発行所           筑摩書房 (ちくま文庫)

 

本書は、1986年朝日新聞により刊行。文庫化に際し、一部用語の表記を修正し、『水牛通信』1987910月合併号掲載の『13のとき、帽子だけ持って家を出たMの話』を新たに収録

 

 

1980年代、アメリカに暮らす著者は、黒人女性の聞き書きをしていた。出かけて行って話を聞くのは、刑務所の臨床心理医やテレビ局オーナーなどの働く女たち、街に開かれた刑務所の女たち、アトランタで暮らす104歳の女性・・・・。彼女たちは、黒人や女性に対する差別、困難に遭いながら、仕事をし、考え、話し合い、笑い、生き延びてきた。著者はその話に耳を澄まし、彼女たちの思いを書きとめた。白眉の聞き書きに1篇を増補

 

 

はじめに

北米の黒人女性からの聞き書きを始めたのは6年前。その結果を数章の物語のようにして発表してきたが、今また、新たにいくつかを追加

女性作家で活動家のトニ・ケイド・バンバーラの長編小説『塩喰う者たち』の塩を喰うとは、「黒人は塩を喰うような体験を共有して初めて人々は互いに信頼する仲となる」から来ている

塩にたとえられる苦くつらい経験であり、塩は傷を癒すもの、魔除けにも使われ、毒を中和する力もある。塩を共に喰う共同体は持続して再生することを願う。持続して再生することは生き延びること、生き延びるとは人間としての威厳を失わずにという意味が含まれている

アメリカの黒人と呼ばれる集団にそれが出来たのは、彼らには独自の完結した精神の世界があって、その上、それを健全なものと考える姿勢があったからだろう

集団の歴史を11人その身に負いながら、女たちは自らの生をいかに名づけるのだろうか

女たちが自らの体験を言語化しようとするとき、それを可能にしてくれる言語がない。それを「さわやかな欠如」と表現したのは森崎和江。「さわやかな欠如」から出発すればいい!

出会った黒人女性の多くが、言葉を探し求めつつ語っているようだったが、彼女らの背後にアフリカ系アメリカ人固有の精神世界の遺産を窺うこともできる。それは世界の女たちの「さわやかな欠如」の中身が普遍的なものではないことを示している。普遍性の中に安らぎを見出すよりも、他者の固有性と異質性の中に、私たちを撃ち、刺し貫くものを見ること、そこから力をくみ取ることが必要

民俗学者で作家のゾラ・ニール・ハーストンは、69歳で貧困と病と失意のうちに死ぬが、彼女が黒人女性の状況を定義していったのが「この世の騾馬」で、黒人で女性ということは、この世で最も虐げられた存在であり、倒れるまで労役させられる。それでも彼女は「黒いことは悲劇ではない。悲劇的に黒いのではない」といい、民族の根源的な健全さを疑ったことがない

私的な場で出会う女たちも、自分たちを「この世の騾馬」だった集団の中に位置付けると同時に、「黒人であることの喜び」について語る

2年前から聞き歩くことを始め、ウィスコンシン州懲治局に働く臨床心理医と彼女の「女性グループ」、それに彼女が担当している刑務所の女たちに関するものとして本書にまとめた

 

第1章      たたかいなんて、始まってもいない

ウィスコンシン州懲治局に働く臨床心理医ジュリエット・マーティンにあって、刑務所担当の心理医から見た今日のアフリカ系アメリカ人の状況を聞く。同時に彼女を囲む友達グループ4人にも会って聞く。彼女たちの共通項は、黒人であることと、黒人であることについて熾烈な意識を持っていること、絶望もしないが、幻想に寄り掛かることもしない。私的な友情のネットワークであると同時に、黒人の状況に関わる地域運動のネットワークに変身する土台を持つ

4人は生まれも育ちも異なるが、黒人が人間としての威厳を守るためにアメリカの社会は良くなったかという点については、「たたかいなんて、まだ始まってもいない」ということで意見は一致、黒人がアメリカで生き延びていくためには、黒人の精神世界の遺産を根拠にするよりほかに道はない、ということでも互いに同意。一番年長が41年生まれの44歳、年少が50年生まれなので、黒人の民族としての集団的な尊厳を主張するたたかいを経てきた。その間中流化したといわれる黒人の層が少し厚くなったが、同時にアンダークラスである最下層は固定化。中流の彼女らの答えは、「同化」ではなく、黒人らしさを捨てたら生きのびることすらできないというもの

 

Ø  おれたちはまっ裸よ。それなのに、そのことに気づいてもいないんだ

1946年生まれのジュリエットは心理学の博士。大学院を終えてから12年間、ウィスコンシン州懲治局管轄の刑務所所属の臨床心理医。独自の診療所も持つ。夫は大工で子供が3

教育さえ受ければという神話を信じない。キーウェストに生まれ、ヴァージニアの私立女子高へ行ったとき、最下層で苦しんできたが、同化が黒人の精神世界を絶えず侵食すると語る

自分には、へこたれるもんか、という弾性がある。土台を作ってくれたのはキーウェストの老婆たちだった。自分を支えているのは静かな怒りだという。怒りこそ動機を生み出すエネルギーであり、それを方向付けすることさえできればいい

教育は子供を洗脳する。洗脳とは自己の何であるかを無視したり捨てたりして自己から遠ざける

黒人の共同体はいつの時代にも教育を重視。あらゆる集団で教育は個人の社会的な地位の維持や向上を勝ち取るための手段だと教えられてきたが、黒人集団ではさらに強調された

黒人の場合、男はより大きな危険があるとして教育から遠ざけられ、女に重きが置かれた

黒人の中でも、肌の色は常に大きな問題で、白人でも通ると自慢する白い肌の黒人もいる一方、漆黒の黒は軽蔑

麻薬中毒で、密売で勾留されていた囚人が言った言葉、「おれたちはまっ裸よ。それなのに、そのことに気づいてもいないんだ」

 

Ø  大声でいうんだ、おまえは黒い、そして誇り高いと

ジュリエットの友人のジャニス。1950年生まれで12歳の娘のシングルマザー。刑務所から仮釈放になった者たちを担当する保護観察官。資格はソーシャルワーカー

ジュリエットよりもさらに膚が黒いが、もっと黒い子どもが生まれて、彼女は変わった。その頃の唄の歌詞に、「大声でいうんだ、おまえは黒い、そして誇り高いと」というのがあった

当たり前に教育を受けたが、白人との混合で、ずっといじめられていた

娘が生まれ、「黒いことは美しい」と大声でいわれる時代が来て、このような膚の色から出発すると割り切ることができるようになって変わり、公民権運動にも深く関わり、放校にも

 

Ø  離婚したことが、あたしを支えてきたのよね

リビーはまだ44歳だが2度の結婚、離婚を経験して孫もいる。父が黒人で母は先住民

秘書養成学校から放送学院に行き、様々な仕事を経験、現在は仮釈放者の保護監察官

髪が長く綺麗だったのでいじめられ、家族の中で自分だけが大事にされたので他の兄弟から反感を買った

人種偏見で苦労したことはなかったが、42になって仕事上政府の官僚主義的な傾向とぶつかって初めて経験

離婚して子どもがいたからきちんと生きのびられた

 

Ø  わたしはもし自分が5倍くらい黒くなれるなら、どんなことだってすると思ったものだった

メアリは、母が白人で膚の色が白く、もっと黒くなれたらと願っていた

黒人自身にとっては、単なる黒だなどという色はない。無数の形容詞を使って、彩の差異を表現していたし、ブルースの歌詞を調べてもそれがわかる

証券ブローカーの仕事についたばかりで、2人の子供のシングルマザー

色白ゆえに特別待遇を受けてきたが、一方で馬鹿にされ、虐待もされてきて、いつもアウトサイダーだという気持ちを抱いてきた。もちろん白人からもただの黒人という扱い

母親は、黒人と結婚したことで30年以上も勘当され、実姉が死んだ時初めて連絡がついた

 

Ø  じつをいえば、白人がそれほどたいした人たちだと思ったことはなかったのね

デブラは、50年生まれ、大学で社会学を取り、法科大学院に行くが、放送局でアルバイトしたら面白くなって、そのまま放送の世界に入り、現在は有線テレビ局の経営者

両親が大学に行けなかったので、夢を娘に託した。人種問題が大きな困難になることはなかったが、バイオリンを習ったり、ラテン語を取ったりと、普通の黒人がしないことをしていた

父はいつも黒人の偉人について話してくれた。彼らこそがおまえの先祖で、素晴らしい集団に属しているのだと教えてくれた

白人がそれほどたいした人たちだと思ったことはなく、今でも白人で自分の理想の人物を言えと言われても思いつかない

既婚かどうか聞きそびれた

 

Ø  討論 たたかいは終わっただなんて。まだ始まってもいないのに!

いつだって同化を強いられ、多くの黒人が主流社会の価値観や報酬に注意を向けるべきと考え始めるが、その代償は集団として所有してきた歴史的な対応の能力を捨ててしまうこと。そうなったら生きのびることの実質はすっかり変貌してしまい、生きのびはするが、死に近い

もうたたかいは終わったという者もいるが、彼女たちは現在の状況を奴隷解放戦争の後に来た連邦再建の、黒人にとっての大きな危機の時代に似ていると考える。奴隷制度は廃止されたが、経済的にも文化的にも黒人はさらに苦しい立場に追い込まれている

「黒人であることの喜び」をテーマに討論してもらう

ひどい状況を切り抜けてきたことを思い出し、我々は独特の対応装置を備えていることを理解する。それは素晴らしい対応装置で、有色人種でない集団にはない種類のもの

失望してうんざりして周囲を見ると、もっとひどい状況の人がいる。自分はどん底ではないと知ってまた頑張ろうっていう気になり、心に誇りが満ちてくる

絶え間ない衝撃に対応しつつ、何とか生きのびていくエネルギーの根源がどこにあるのか、その力の源は過去の歴史の中にあって、それが11人の精神の中に、生きのび、かつ生きのびる以上のことを可能にする風土を養う

現実には同化なんてことはあり得ない、平行線のまま。主流社会に溶け込むことが成功を測る尺度になるかといえば疑わしい

自分が成功したと感じている者たちは、たたかいは終わったと信じている。同化させようと懸命になっている抑圧者たちと同じ衣裳を着ける者たちだけがたたかいが終わったと信じるが、あくまで個人的なたたかいの終わりに過ぎずナンセンス

マルカムXが講演で聴衆に、「黒人で博士号を持つものは何と呼ばれるか?」と聞く。答えは「ニガー」。街角で白人の子どもたちが寄って来て自分たちを「ニガー・ビッチ」と蔑む

個人的にたたかいが終わったと思う連中は、持続しているたたかいから超然としていると表明するだけで、黒人である限り逃げることなどできない

歴史の中で、黒人が経済的にも文化的にも現在ほどの危機に出会ったのは、奴隷解放戦争の後の連邦再建の時代だった。だがその時にこそ、黒人の知識人たちが黒人の兄弟姉妹のためにたたかいを始めた。偉大な教育者が黒人ブルジョワ層に向かって、「教育は君らを、君らの集団から引き離してしまう」と警告しているが、自分の属する集団との関係を保つことが出来なければ絶望

 

第2章      あんた、ブルースなんていったって、ただの唄じゃないか 刑務所から外を見る

Ø  刑務所の仕事 臨床心理医としてのジュリエット

黒人が伝統的、歴史的なストレス対処法を放棄してしまった。黒人は情動を表現することにおいて優れているし、情動を表白(言葉に表す)する方法を多く持っている。様式的にも、黒人は白人よりずっと表現力を持っている。困難に対処する伝統的な方法の1つは、信仰活動の中で情動的表現を用いること。踊りは情動的表現の好例

たたかいが終わっていないことを直視するのは、生きる指針として役に立つ

個人の成就したことのみならず、集団が過去にどのような業績を持っているかを知らなければ、特に黒人の場合はより容易く人種差別や性差別に屈服してしまう

1976年の暴動以降、刑務所の中に様々な組織が生まれ、囚人同士で集まって学ぶ機会が出来たし、立派な図書館もある

 

Ø  女たちの家 刑務所をたずねる

正式名称は「釈放前の女たちのセンター」、通称「女たちの家」

刑期の終わりかけている女たちや、仮釈放が決まった女たちを収容、刑務所滞在の最終地点で、社会復帰への衝撃を和らげる準備期間。警備は最小限で逃亡の成功例はない

収容されているのは黒人とは限らないが、6割が少数民族

彼女たちのたたかいは、言葉探しのたたかい。彼女たちの困難は圧倒的だが、言葉探しのたたかいを通して、彼女らは彼女ら自身の存在を回復する

 

Ø  あたしはあたしの主になりたいんだから! ブレンダの物語

ブレンダは麻薬の密輸で逮捕、釈放を繰り返す

混血ゆえに軽蔑と侮辱を受けて育つ。白人の容貌をしていたため、白人のフリをして生きるのがいいと親に言われたが、嘘の人生を生きるなんてと反発し、結局は黒人と結婚

今女たちの家から夜間勤務で未成年の犯罪者を収容している施設で少女たちのカウンセラーをしていて、仮釈放になればその仕事を続けたいという

 

Ø  牢獄は出たけれど、わたしの中の牢獄をまだ追い出すことができない ウィルマの物語

42年生まれのウィルマは、69年第1級殺人罪で終身刑宣告。嘆願書を書いて恩赦となり第2級殺人で刑期は50年に減刑、さらに仮釈放となる。その間6人の子供を失う

母親が早く亡くなり、父親が再婚するため彼女は13歳で家から追い出され、16歳で結婚するが、夫から暴力を振るわれ、夫の浮気相手と喧嘩になり刺し殺す

14年刑務所で過ごしすべてを失う。ときどき神経の発作がある。明日のことはまだ考えられない。1日づつひとまず生きてみよう。自分の中の牢獄を追い出すことができるまでは

 

エビの漁場で働く太った女たちが、「ブルースなんていってもただの唄じゃないか。かわいそうなあたし、惨めなあたし。いつまでそう歌っていたら気がすむ? こんな目にあわされたあたし、おいてきぼりのあたし。ちがう。わたしたちはわたしたち自身のもので、ちがう唄だってうたえる。ちがう唄うたってよみがえる」といいながら笑いさざめきながら家路を辿る

 

エピローグ そして、わたしを谷へ行かしめよ ある黒人女性の100年の生

1980年夏、南部では死者も出るほどひどい暑さの続いた年に、アニーという104歳の老婆とインタビュー。2年後死去

視力を無くしたのに1人暮らし。看護婦が世話に通っていた

1876年アトランタ生まれ。戦後の荒廃の中、放り出された奴隷たちを助けてくれたのは北部からやってきた白人

両親とも元は奴隷。若くして結婚するが、父は早く死んで祖母に育てられる。スペルマンの学校に行ったが、25で祖母が亡くなった後は働きながら弟妹の面倒を見る

荷馬車屋の夫と一緒になり、8年ほどで夫が死去。養女を貰ったが先に死なれた

最も困難で辛かったことは何かとの質問には、あまりにもいろいろあり過ぎてどう答えたらいいか分からないが、ごく普通の生と死だったといい、神に感謝する

黒人民族に起きた素晴らしいことをありがたいと思う。黒人民族は機会も持たず、大多数は下層にいる。たたかい続け、祈り続ければ、いつかは良くなる

100歳になるまで対価を貰って働き続けた

南部にはまだまだ憎しみが残るが、やがては良くなると信じている。アトランタは全く変わった。今では州政府の仕事についている黒人女性もいる。市長は黒人

公民権運動にも参加、演説をしているのが地元の新聞にも載ったが、あまり語ろうとはせず

別れ際に小学校で覚えた気にいっている詩を朗読してくれた、「谷へ行かしめよ うるわしい花を見るために そこで私は学ぶだろう つつましく育ち 大きくなることを」

 

あとがき

特別収録 13の時、帽子だけ持って家を出たMの話

ミセスGの家を掃除するようになってから15年、Gの主人が急逝、母も最近93で亡くなる

子供が3人、長男は日本人と結婚して20年になるが、その日本人女性が8年前に黒人女性の人生について話を聞かせて欲しいといって来たので応じた

 

解説 斎藤真理子(翻訳者)

一昨年、本書の先行作に当たる『塩を食う女たち――聞書・北米の黒人女性』が岩波文庫に入ったのに続き、今回本書がちくま文庫に入る。前者が数か所を移動しながらの聞き書きの記録であるのに対し、本書はウィスコンシン州懲治局の臨床心理医と彼女の女性グループ、彼女が担当する刑務所の女性たちの話が中心。話者は4050年代生まれで、6070

『塩を食う女たち』が82年に刊行された時、まだ藤本の誰だかも知らず、表紙のアフロヘアの女性の写真を見て今買わねばと思っただけだったが、1ページ目から虜に

「わたしたちがこの狂気を生きのびることができたわけは、わたしたちにはアメリカ社会の主流的な欲求とは異なる別の何かがあったからだと思う」

藤本の聞き書きは、語り手だけでなく、聞き手の何かがどくどくとこちらの血管に注ぎ込まれるような本だった

聞き書きというのはとても不思議で、聞き手のそれまでの来歴というのか全旅程というのか、その人の見てきたこと、考えてきたことの総和が溶け込んでいる。表面には出てこなくても、内側で語りを支える。たぶん、単なる人生経験というより、どれだけ内的な欲求を持って他者と関わり合ってきたかが現れるのだと思う

藤本の聞き書きを遡ると、北米黒人女性への聞き書きを一番奥で支えているのは、ユダヤと朝鮮であることがわかる。1977年に夫のデイヴィッド・グッドマンと共にイスラエルに行き、8カ月にわたってヘブライ語のことを書いた本を出版しているが、なぜヘブライ語を? と聞かれても、「自分で意識しようとしまいと、歴史的な力が働いていると考えている」といい、それは本書が生まれるのも、同様に歴史的な力が働いた結果、藤本が北米の黒人女性に引き寄せられ、彼女たちの言葉を引き出したのだと思う

ユダヤ人を偏見や差別の犠牲者という枠に閉じ込め、「この巨大な異族の全体像」に意を払わないのであれば、死者の遺品を弄ぶことにしかならないとし、日本で企画された「アウシュヴィッツ展」の薄っぺらさに藤本は怒っていた

ユダヤ人を朝鮮人に置き換えても同じこと

その際に最大の刺激となったのが森崎和江の著作。森崎は朝鮮に生まれ育ち、日本にも日本語にももたれかかることのできない苦しさを足場にして日本を広く俯瞰した詩人であり、思想家。朝鮮を欠落させては日本の近現代を測り損ねるのだし、藤本はそのことをよく知っていた

藤本こそ、森崎や石牟礼道子の仕事の正統的な継承者と改めて思う

日本とイリノイ州を行き来しながら、女性のための緊急シェルターの夜勤の手伝いをしたり、精神病院に60年もいて喋れなくなっている日本人男性の聞き手を務めたり、異なる原理を持つ他者の、異なるからこその尊厳をたっぷりと吸収した暮しに見える

本書の「はじめに」にある「集団の歴史を11人その身に負いながら、女たちは自らの生をいかに名づけるのだろうか」という文章に、藤本のスタンスがよく現れている

本書で印象的なのは、言語化できないことを言語化できないと真っ直ぐ語り、言語化できたらそれを共に喜ぶ女たちの肖像

2020年の今、本書を読むことは戦慄を伴う

本書と深く関連する藤本の仕事に、『女たちの同時代――北米黒人女性作家選』(198182年)の企画・編纂がある

在日コリアンは生きのびている。だがヘイトスピーチも生きのびている。それは本書が書かれた34年前には辛うじて身を潜めていたが、今は言論の表舞台にすら立っているのだ。日本人は、日々もたらされるブラック・ライヴズ・マターの情報を、不安と義憤めいた感情で眺めて終わるのか、それとも、この国に生きるマイノリティが「この狂気」を生きのびることに、何等かの力を添えることができるのか

本書は2つの意味で、古くなっていない。1つはエピローグに書かれたアニーの気高さであり、もう1つは藤本の「普遍性の中に安らぎを見出すよりも、他者の固有性と異質性の中に、私たちを撃ち、刺し貫くものを見ること。そこから力をくみ取ること」との一言

これを読んだ私たちが自分の言葉を作り出すことで応えるしかない、そういう種類の大切な1

 

 

筑摩書房 紹介

ブルースだってただの唄 黒人女性の仕事と生活

藤本 和子 

アメリカで黒人女性はどのように差別と闘い、生きてきたか。名翻訳者が女性達のもとへ出かけ、耳をすまして聞く。新たに1篇を増補。解説 斎藤真理子

1980年代、アメリカに暮らす著者は、黒人女性の聞き書きをしていた。出かけて行って話を聞くのは、刑務所の臨床心理医やテレビ局オーナーなどの働く女たち、街に開かれた刑務所の女たち、アトランタで暮らす104歳の女性。彼女たちは、黒人や女性に対する差別、困難に遭いながら、仕事をし、考え、話し合い、笑い、生き延びてきた。著者はその話に耳を澄まし、彼女たちの思いを書きとめた。白眉の聞き書きに1篇を増補。

第1章     たたかいなんて、始まってもいない(おれたちはまっ裸よ。それなのに、そのことに気づいてもいないんだ

大声でいうんだ、おまえは黒い、そして誇り高いと

離婚したことが、あたしを支えてきたのよね

わたしはもし自分が五倍くらい黒くなれるなら、どんなことだってすると思ったものだった

じつをいえば、白人がそれほどたいした人たちだと思ったことはなかったのね)

討論 たたかいは終わっただなんて。まだ始まってもいないのに!

第2章     あんた、ブルースなんていったって、ただの唄じゃないか刑務所から外を見る(刑務所の仕事臨床心理医としてのジュリエット

女たちの家刑務所をたずねる

あたしはあたしの主になりたいんだから!ブレンダの物語

牢獄は出たけれど、わたしの中の牢獄をまだ追い出すことができないウィルマの物語)

エピローグ そして、わたしを谷へ行かしめよある黒人女性の百年の生

特別収録 十三のとき、帽子だけ持って家を出たMの話

 

 

黒人女性たちの声なき声 「ブルースだってただの唄」など堀部篤史さんが薦める新刊文庫3冊

朝日新聞20201219日掲載

堀部篤史が薦める文庫この新刊!

『ブルースだってただの唄 黒人女性の仕事と生活』 藤本和子著 ちくま文庫 990円

『文章読本』 吉行淳之介選 日本ペンクラブ編 中公文庫 990円

『私的読食録』 堀江敏幸、角田光代著 新潮文庫 693円

 (1)はリチャード・ブローティガン作品などの名訳で知られる著者が、アメリカ在住の黒人女性たちの来歴や暮らしぶりを聞き書きしたもの。19世紀には南北戦争により奴隷制が廃止され、1960年代の公民権運動によって市民権を獲得したはずなのに、今なお「ブラック・ライブズ・マター」が叫ばれるのはなぜか。本書を読めば、未(いま)だ根本的な問題は解決していないことがよく分かる。問題は主流社会との同化ではなく、彼女たちを「生かしつづけてきた」独自性、歴史を失わずにいることだと著者は投げかけている。

 (2)古今東西「文章読本」は数多いが、本書は作家たちによる文章指南テキストを編んだアンソロジー。面白いのは選者、吉行淳之介によるあとがきと対談。収録した作家たちに、文章について書くことに対する「厄介な原稿を引受(ひきう)けてしまった」という気配を感じ取り、結局はとりとめもないものとして懐疑的な姿勢を崩さない。要するに文章指南は実用ではなく、それぞれの作家自身を知る上では非常に面白いテキストだと考えられる。

 (3)も同様に、数多(あまた)ある食にまつわる随筆や短編のアンソロジーではなく、それらを二人の作家が読み、その味わいを綴(つづ)ったエッセイ集。本書の中で角田光代は『小公女』の甘パンを引き合いに、「本に出てくる食べものというのは、読むことでしか食べられない」と綴る。なるほど、食の本を読むことは空腹をまぎらわす代用行為ではなかったのだ。=朝日新聞20201219日掲載

 

 

 

 

 

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