背高泡立草  古川真人  2020.2.15.


2020.2.15. 背高泡立草

著者 古川真人(まこと)  1988福岡市生まれ。横浜市在住。高校時代に小説を書き始め、國學院大学では近代日本文学の研究会に所属した。2016年、『縫わんばならん』で新潮新人賞を受賞しデビュー、芥川賞候補に。今回で4度目の候補

発行日             2019.10. 『すばる』10月号
発行所             文藝春秋

20年以上も前に打ち捨てられてから、誰も使うものもないまま荒れるに任せていた納屋の周りの草を刈るために、老婆の子ども3人の家族が島にわたって草刈りに精を出す
戦前、夫婦が住んでいた家は、次男だった夫が所帯を持つにあたって、妻の大叔母が住むこの家を買い、子供を4人育て、実家から譲られた耕地から得られるもので暮らしていた。大叔母の家族が皆大阪に移り住んでしまったため、先の短い老婆を看取ることが暗黙の条件となって、夫は家を安く譲り受けた。その老婆は1年前に死んでいた
夫は、このまま大叔母のようにここで死ぬまでいることを思うと鬱屈するものがあって、最初の子どもができた後、大阪に出ないかと言い出し、次いで妻の親類から来た手紙に、奉天で成功した知り合いのことが書いてあるのを読んで、滿洲へ渡ろうと言い出す
妻の実家を介して、近くに住んで酒屋を営んでいた男に空き家を買わないかという話が持ち掛けられ、統制が厳しくなって酒屋の看板を下ろしたばかりの男は手狭な家を売って引っ越して移り住むことに決めた(この1段落のみ何の脈絡があるのか不明)
戦時中働かされていた本土の工場から、終戦直後に船で釜山に逃げる
鯨漁のとどめを刺す刃刺(はざし)の話。江戸時代松前に出稼ぎに行った男が島に帰ってきた
漁師で飲んだくれの父親と暮らす中学生の男の子。かつ上げを繰り返したテニス部の先輩たちの共犯として捕まり、父親と大喧嘩。母はとうに家を出て、兄も横浜でバーテンダーとして働く。父親から30万持たされ、カヌーで行けるところまで行って来いと言われ、海に出るが、すぐに近くの浜に上がって佐世保に行ってしまう
実家の草刈りに行く一族の話の合間に、時間的にも人間関係も関連性のない話が織り込まれている



選評
Ø  選評:山田詠美 同じ場所に確実に存在する異なった時の流れを交錯させるのは、この作者の真骨頂。今回は、そこにさまざまなドラマを挟み込み厚みが出た。それらはもう過去に置き去りにされた物語だが、読み手の心には現代の情景の補色のように残像を残す。もっと、現代と過去を結ぶキーワードのような言葉(例えば、ヨシジュウ、ジュウザブロウのような)を出しても良かったかも
Ø  選評:吉田修一 これまでの作品同様、少し大袈裟な昭和臭を漂わせる作風には相変わらず違和感を覚えるが、市井の1家のファミリーヒストリーと見せかけて、その土地自体を物語る手腕は高く評価したい。生い茂る草を刈るごとにスケールの大きな土地の物語が見えてくるように、もう少し文章も刈り込んだ方がいいような気もしたが、4度目の候補での受賞、心からお祝いしたい
Ø  言葉以前の言葉で:小川洋子 最初の投票の後、議論を重ねてゆく中で本書が不思議な静けさを湛えて浮上してきた。場所はとある島の1点に留まりながら、大胆に時間をかき回すことで、海から逃れられない人生を背負わされた人々が立ち現われてくる。しかも彼らが直接結び付くわけではない。彼らを繋ぐのはただ時間の流れだけ。この作品には、はっと心を掴まれる瞬間がいくつもあった。例えば密航船が難破し、島の漁師に助けられた男が、見ず知らずの子どもの口に、蓮華で掬った粥を運んでやる場面。なぜか印象深く、いつまでも忘れ難い。作者は今、目の前にいる親しい誰かと、会えるはずもない遠い過去にいる見知らぬ誰かに、等しい距離感で視線を送れる書き手なのだろう
Ø  正直な感想:奥泉光 九州の島嶼を舞台にした連作風小節の1篇で、これまでも3作が候補になった。前回の選評では「九州の方言を語りの柱に据える独自の文体を追求しながら、1つの『物語』を連作風に書き継いでいて、その貫徹ぶりには感心させられる。実際、前作に較べても文章スタイルはより一層の『洗練』があると思え」と評しているが、今回『洗練』についてはむしろ後退していると感じた。物語上の要請もあってか、方言の使用は減じて、読みやすくはなってるが、そうなればなったで、全体が平板になった感がある。「読みにくさ」は魅力の源泉でもあったので、そこをむしろ徹底することで、壁を突破してほしかったというのが正直なところ。受賞は受賞なので、今後は賞に「煩わされる」ことなく、独自の道を歩んで欲しい
Ø  心地よい読書:川上弘美 小説の中の時間と空間を広げてゆこうという作者の試みが感じられたのは確かだが、うまくいったかどうかは微妙なところ。揺らぎ、たゆたい、おぼろとなってゆく小説世界の中で、いつの間にか時間や空間が歪んだり行ったり来たりする作者独特の手法を広げようとしたことは、大いに買いたい。今回の受賞で、さらに自在な心もちで新たな小説を書いてくれることを期待する
Ø  人間の逞しさ:宮本輝(選者として今回が最後) 長崎県平戸の小さな島を舞台に、よく似た家族を主人公にした小説はこれで4作目。シリーズものかというと、どうもそうではない。それぞれが別個のしつらえで独立。その中でも本書は重層性と作品それ自体の生命力によって、これまでの3作をしのいでいる。作品中、3つの異なる挿話が不意に挿入されるが、これをどう評価するかが難しいところ。私はいささか親切過ぎる読み方をして、古い家の雑草刈りに集まった主人公たちが生まれ育った平戸の島そのものの「血」を象徴するメタファだと解釈した。そのように読むと、俄然、この小説に生命力が付加されて、受賞作として推したくなった。緻密さと冗漫さがないまぜになった作者の才能が今後どのような世界を作っていくのかを楽しみたい
Ø  意匠は様々ながら:島田雅彦 一族集合して草刈りという現在時制の出来事に、その土地に根付いている重層的な過去を絡めた物語。単調な風景の中に埋没している記憶の発掘を試みたともいえる。作者が書き継いできた「サーガ」の一部をなしているが、スピンオフといった人がいて、同意した。長崎の平戸は隠れキリシタンや海賊、鄭成功とスピンオフの素材には事欠かない。しかし島から離れて、全く別の世界を描く自由もある
選考会初っ端の投票結果から、危うく受賞作なしになりそうだったが、選考会で十分に議論が尽くされた結果、酷薄な結果に陥らずに済んでよかった
Ø  一般性と特異性:松浦寿輝 本書には一般観念はなく、ただひたすら特異性の記述しかない。作者なりの企図や構想があり、方法の追求があるのかもしれないが、彼は結局はただわけもわからぬままに書いているように見える。そこから生まれる読みにくさは、肯定的にも否定的にも評価できるが、いずれにせよ中上健次の文章のような「花」があればと惜しむ気持ちは残る。残酷にして官能的なその「花」と強度によって、中上の「路地」は背中合わせの「賤」と「聖」とをともども帯びることになったのだが、作者の「島」のトポスはそれて較べて如何にもフラットだ。これもまた今やそういう時代なのだと言うべきか
Ø  近さの回復:堀江敏幸 九州の島を舞台に、吉川家の歴史と現在を語る大河小説の一部。声は変わっていないが、過去と現在の二項対立ではない「傍らにいる」記憶を辿る言葉の密度が、これまでの作より薄いという印象を受けた。カヌーの挿話と捕鯨の話もどこか中途半端。代が若くなればなるほど、記憶の「そばにいる」のは困難になる。その近さが回復される日は必ず来ると期待して、デッドラインのないサーガの行方を引き続き追っていきたい



2020116 500分 朝日
 第162芥川賞・直木賞日本文学振興会主催)の選考会が15日、東京・築地の「新喜楽」で開かれ、芥川賞に古川真人さん(31)の「背高泡立草(せいたかあわだちそう)」(すばる10月号)、直木賞に川越宗一さん(41)の「熱源」(文芸春秋)が選ばれた。副賞は各100万円。贈呈式は2月下旬、東京都内で開かれる。2面=古川さんの「ひと」
  受賞作は一貫して書いてきた九州の島に本家がある一族の物語。濃密な方言を多用しつつ、草刈りに来た家族の意識と、その島にまつわる江戸時代から現代までの記憶を交互に描いた。
 選考委員を代表して島田雅彦さんが「草刈りという退屈な作業を描く中で、その土地の歴史的な重層性を巧みにすくいあげたことが評価された」と講評した。
 古川さんは受賞会見で「同じことをくどくどと遅い歩みの書き方しかできないと思っていた。延々とこれを書いていこうという気持ちと、いつか通じるだろうという気持ちがありました」と緊張気味に語った。
 川越さんは1978年、大阪市生まれ、京都市在住。龍谷大学文学部史学科中退。18年「天地に燦(さん)たり」で松本清張賞を受賞しデビュー。19年、2作目の「熱源」が本屋が選ぶ時代小説大賞を受賞。初めて直木賞の候補となった。
 受賞作は、樺太(サハリン)で生まれ南極探検に赴いたアイヌ民族の男性と、ポーランドの文化人類学者を主人公にした歴史小説。ともに故郷を奪われた2人の生涯を描き、文明がもたらす理不尽な側面を浮き彫りにする。
 選考委員を代表して講評した浅田次郎さんは「1回目の投票から一歩飛び抜けていた。近年まれにみる大きなスケールで小説世界を築き上げた。登場人物も生き生きと魅力的に描かれていた」と話した。


(ひと)古川真人さん 「背高泡立草」で芥川賞に決まった
2020116 500分 朝日
 受賞会見にあたり、ネクタイを一人で結べなかった。大学をやめて以来、兄と暮らす。家事の担当だ。カレーを大量に作っては何日も食べる。「あとは全力でごろごろ」。学生のころに1年間アルバイトをした経験をのぞけば、28歳で作家デビューするまで仕事をしたことはなかった。「これからどうなっちゃうんだろう」。会見で漏らした感想だ。
 一貫して書き続けるのは、自分の一族がモデルの物語だ。長崎県の小島に本家があり、子や孫たちは福岡市などに散っている。濃密な方言が飛び交い、女性たちが寄り集まって咲かせる世間話。その裏側で漂う人間の意識・無意識を丹念に文字に落とし込む。
 中学で三島由紀夫を読み、一瞬の美を切り取る世界にはまった。長じては、トルストイの「戦争と平和」に、小説は人生をすべて描ける、と衝撃を受けた。「書きたいのはそっちだった」
 芥川賞は「通りたくないけど、通らなければいけない関門」と受け止めていたが、「なめていた。あわあわしてます」。勤め人の経験がなく「これならば書ける」と家族を題材にしてきたが、「島のことだけを書いていると、ふれたくないものを無視してしまう。今後は不慣れなもの、まったく未知の他者を書きたい」。受賞に戸惑いながらの会見だったが、その決意はしっかりと語った。
 (文・興野優平 写真・林敏行)


背高泡立草 古川真人著
一族の歴史と島の物語重ね
日本経済新聞 朝刊 2020229
162回芥川賞受賞作である。玄界灘の島を舞台に、雑草に埋もれた納屋の草刈りに海を渡ってやってくる一族の話と、島に縁のある者たちの時代を異にした物語が交錯する。
母から草刈りに駆り出された奈美は不平たらたらである。無人の母の実家の納屋の草を、なぜわざわざ刈らなければならないのか納得できないのだ。母とその兄姉たちが、奈美と歳の近いいとこも交えて島へ行くと、一人暮らしの80代半ばの「敬子婆」が迎えてくれる。母は姉との大声のおしゃべりが止まらない。久しぶりの一族再会に敬子の家は大にぎわいだ。
郷里に集う血縁同士の遠慮のない、開放的なかまびすしさ。私の年代では郷愁を覚えるが、その鮮やかな再現を平成育ちの若い小説家から読むのは何だか新鮮だ。
島には敬子の家とは別に、「古か家」「新しい方の家」と呼ばれる二軒の家があり、納屋と倉庫もある。いずれも20年以上も前から打ち棄てられている。母は「古か家」で生まれ育った。それらの家の由来を奈美は少しずつ聞き出していく。ちょうど草を刈ったら姿を現わす建物と土地のように、一族の歴史が見えてくる。
一方で、奈美からは窺い知れない、時間軸を異にした物語の断片が差し挟まれる。3人の子供を抱える妻が、大陸の満州へ渡って成功したいという野心を抱く夫に気を揉む話。終戦後、帰国の船が遭難し島の住人に救護された朝鮮人徴用工の話。もっと時代を遡って、捕鯨業の若者が「蝦夷」より北の島の調査について行った話。そして現代に戻り、父に反抗してカヌーで家出した少年が島に流れ着く話。どれも当事者の視線に立って、臨場感豊かに活写される。
舞台となった島は「的山(あづち)大島」らしいが、かつて島の暮らしは海と船によって成り立っていた。現代文明に覆われて見えなくなった日本人の暮らしの像を、本書は鎌の切断面のように見せる。草刈りを終えた奈美たちが、刈った草の名前を次々挙げていく場面が終盤に用意されている。「背高泡立草」もその一つだ。名のない「雑草」などはない。辺境の草のように生きている人間への愛が、むせかえる草の匂いとともに読む者に届く小説だ。
《評》文芸評論家 清水 良典 (集英社・1400円)

ふるかわ・まこと 88年福岡県生まれ。16年「縫わんばならん」で新潮新人賞を受賞しデビュー。本作で第162回芥川賞受賞。

紀伊国屋書店
162 芥川賞・直木賞の受賞作が決定! 芥川賞は古川 真人さん『背高泡立草』、直木賞は川越宗一さん『熱源』
2020115日、第162 芥川龍之介賞・直木三十五賞の選考会が行われ、受賞作が発表されました。
おめでとうございます!
草は刈らねばならない。そこに埋もれているのは、納屋だけではないから。
記億と歴史が結びついた、著者新境地。
大村奈美は、母の実家・吉川家の納屋の草刈りをするために、母、伯母、従姉妹とともに福岡から長崎の島に向かう。吉川家には<古か家>と<新しい方の家>があるが、祖母が亡くなり、いずれも空き家になっていた。奈美は二つの家に関して、伯父や祖母の姉に話を聞く。吉川家は<新しい方の家>が建っている場所で戦前は酒屋をしていたが、戦中に統制が厳しくなって廃業し、満州に行く同じ集落の者から家を買って移り住んだという。それが<古か家>だった。島にはいつの時代も、海の向こうに出ていく者や、海からやってくる者があった。江戸時代には捕鯨が盛んで蝦夷でも漁をした者がおり、戦後には故郷の朝鮮に帰ろうとして船が難破し島の漁師に救助された人々がいた。時代が下って、カヌーに乗って鹿児島からやってきたという少年が現れたこともあった。草に埋もれた納屋を見ながら奈美は、吉川の者たちと二つの家に流れた時間、これから流れるだろう時間を思うのだった。




【第162回芥川賞受賞作】古川真人『背高泡立草』はここがスゴイ!
古川真人『背高泡立草』の受賞が決定した第162回(2019年度下半期)芥川賞。その受賞候補となった5作品を、あらすじとともに徹底レビューします!
2020115日に発表された第162回芥川賞。古川真人さんの『背高泡立草』が見事、受賞を果たしました!
今回の受賞候補作は、木村友祐(ゆうすけ)『幼な子の聖戦』、髙尾長良(ながら)『音に聞く』、千葉雅也『デッドライン』、乗代(のりしろ)雄介『最高の任務』、古川真人(まこと)『背高泡立草』の5作品です。
受賞発表以前、P+D MAGAZINE編集部では、受賞作を予想する恒例企画「勝手に座談会」を今回も開催。1月某日、シナリオライターの五百蔵(いほろい)容さん、ライターの菊池良さんをお招きして、『背高泡立草』を含む芥川賞候補作5作の徹底レビュー、そして受賞作予想を行いました。白熱した座談会の模様をどうぞお楽しみください!
参加メンバー;トヨキ:P+D MAGAZINE編集部。詩歌と随筆が好き。特に好きな小説家は絲山秋子、今村夏子。
五百蔵 容:シナリオライター、サッカー分析家。3度の飯より物語の構造分析が好き。近著に『サムライブルーの勝利と敗北 サッカーロシアW杯日本代表・全試合戦術完全解析』(星海社新書)
菊池 良:ライター。近著に、歴代の芥川賞全受賞作を読みレビューした『芥川賞ぜんぶ読む』(宝島社)。
【あらすじ】
大村奈美は、母の実家・吉川家の納屋の草刈りをするために、母、伯母、従姉妹とともに福岡から長崎の島に向かう。吉村家には「古か家」と「新しい方の家」といういまは空き家になってしまったふたつの家があり、奈美は家族たちからそれらの家にまつわる話を聞くのだった。
トヨキ:続いて古川真人さんの『背高泡立草』です。古川さんはここ数回、芥川賞候補の常連になりつつありますね。今作も、これまでの候補作である『縫わんばならん』、『四時過ぎの船』、『ラッコの家』に続く同じ一族のお話として読めると思います。一貫して記憶残されたものについての物語を、非常に高い筆力で書き続けられていますよね。
菊池:そうですね。今作も、これまで古川さんが書かれてきたテーマを踏襲しつつ、それをさらに一歩進めたような印象を持ちました。
五百蔵:同じテーマを描きつつも、その奥行きをどんどん深めていっていますよね。物語のはじめのほうは一見これまでの作品と同じような構成にも思えますが、読み進めていくと、最初に登場した家族と直接的にはつながりのない人々の話が唐突に始まる。最初は現代日本を舞台にしているのに、満州や江戸時代の話まで出てきますからね。けれど、それぞれのエピソードがぶつ切りになっているようには感じられず、きちんと効果的な意味を持つよう構成されているというのはさすがの筆力だなと思います。
菊池:古い家の奥にぽつんと置かれているひとり用のカヌーとか、ふつうなら見逃してしまうような非常に些細なものにも歴史の厚みがある、ということを説得力を持って書ききっていると思いますし、そういった壮大な物語が草を刈るというあまりにも日常的な行為に収斂していくのもすごいですよね。日常の見方が変わるような作品だと思います。
トヨキ:直接は関係のない断片的なエピソード同士をゆるくつなげることによってその土地の記憶を描く、という手法からは、2018年のノーベル文学賞を受賞したオルガ・トカルチュクの『昼の家、夜の家』を連想しました。その作品も、語り手自身のエピソードや近所の噂話、料理のレシピといったさりげない挿話が重なってゆくことでひとつの土地の物語が浮かび上がってくるようになっていて……。『背高泡立草』には『幼な子の聖戦』のような現代性はないけれど、それがかえってこの作品に強度というか、普遍性を与えているんじゃないかと感じます。
五百蔵:それから、最後のシーンでは彼らが刈った草の名前が列挙されますが、その中には日本の地場の雑草もあれば外来種もあるんですよね。家族の物語の間に挟まれた挿話の中に登場する人たちも皆、島の外からやってきたり、外からやってきた人を迎える人たちで。草を刈った張本人たちは最後に島から帰ってゆくわけですが、歴史というものは実際には個人で背負って生きていくことのできない、どこかで刈り取らざるをえないものだということ、でも草(人々の歴史)はそこにあり続ける、ということも示唆していると感じました。
見事な小説だと思うのですが、古川さんの過去の候補作では『四時過ぎの船』が素晴らしかったので、個人的にはどうしてもあの作品と比べてしまうというのもありますね。
トヨキ:『四時過ぎの船』も傑作でしたね。ただ、前回(第161回)の芥川賞を受賞された今村夏子さんも、この座談会では『星の子』で受賞間違いない! と話していたところ『むらさきのスカートの女』でやっと、ということもあったので……()
五百蔵:たしかに、古川さんもこれまでの候補作がどれもハイレベルなので、今作で受賞してもまったくおかしくないですね。

総評
トヨキ:今回もありがとうございました。ずばりお二方は、第162回の芥川賞はどの作品が受賞すると思いますか?
菊池:僕は今回の候補作の中でもっとも好きなのは『音に聞く』なのですが、いま議論になったような衒学性や美学的な雰囲気がそこまで歓迎されない可能性もあるなと思います。受賞は古川さんの『背高泡立草』じゃないかな、と思いますね。
五百蔵:僕も同じく、文芸としての純粋なクオリティでは『音に聞く』が抜きん出ていて、このすごい才能を採ってほしいなとは感じるのですが、実際に受賞するのは『背高泡立草』かなと。
トヨキ:なるほど…… 個人的には『背高泡立草』も好きなのですが『デッドライン』がとにかく面白かったので推したいですし、やはり作者の千葉さんがこういった物語を書くことに強い説得力を感じるので、受賞するんじゃないかと予想します。
今回も編集部での意見が分かれる形になりました。115日の芥川賞の受賞作発表が、いまから待ちきれません!





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