シネマ免許皆伝  瀬戸川猛資  2020.2.1.


2020.2.1. シネマ免許皆伝

著者 瀬戸川猛資 1948年東京生まれ。文芸評論家。現在『毎日新聞』書評欄執筆メンバー。『サンデー毎日』に『シネマ免許皆伝』を連載中
著書の1冊目が『シネマ古今集』で2冊目が『シネマ免許皆伝』

発行日           1998.4.1. 初版第1刷発行
発行所           新書館

初出誌 / 『サンデー毎日』1995101日号~97316日号(連載タイトル『シネマ古今集』)97323日号~105日号(同『シネマ免許皆伝』)

20-01 ほんの数行』の89『今日も映画日和』で紹介

Ø  うれしい傍役たち――《真昼の決闘》(1952)
自分たちが選んだ保安官が、外からの暴力によって危機に晒されているのを見るや、あっさり見捨てて、暴力に屈しようとする民衆の物語で、民主主義批判の映画だが、素晴らしい西部劇でもある

Ø  「おもしろさ」の型――《ナバロンの要塞》(1961)
冒険活劇の最高傑作
ギリシャ神話を意識した、数千年昔の神話英雄譚、叙事詩が隠れているからこそのおもしろさで、おもしろさには昔から型があるので、型破りというのは実は面白くない

Ø  大統領は大スター――《アメリカン・プレジデント》
大統領が美人ロビイストに恋をする変型シンデレラ物語
レーガンは、大統領というアメリカの大スターが銀幕のスターと重なるケース

Ø  人造人間コンプレックス――《トイ・ストーリー》
史上初の3D完全コンピュータ・グラフィックス映画
画面の明るさに目をみはる。隅々まで晴れ晴れとして翳りがない。こういう澄明感は通常のフィルム劇映画やアニメでは味わえない
ドラマ作りがすごい。自分を玩具だと思っていないバズが、ある時真実を知り衝撃を受ける。自らを人形と知った人形、人造人間であることを自覚した人造人間。これはSF及び幻想文学の不滅の主題であり、その歴史は《フランケンシュタイン》に遡る

Ø  難解映画論――《地獄の黙示録》(1979)
ジョセフ・コンラッドの《闇の奥》を下敷きにしている
なぜ日本の批評家及び観客にこの映画がわからないのか。立花隆は、翻訳の字幕が大幅に間違っていることを上げると同時に、見る側に基礎的な知識が欠けているからだという
全体は、T.S.エリオットの『荒地』を下敷きにしている
コッポラは、映画は文学たり得るかと考え、それを試みたと発言。莫大なハリウッドの金を使って自分の文学趣味を満足させる作品を作った

Ø  《ジェーン・エア》が好き――《ジェーン・エア》(194419701995)
サイレントの時代から6回も映画化。うち本邦公開は2回。最初が47年封切りのロバート・スティーヴンスンの作品で、2回目が71年公開のイギリス版。今回のゼフィレッリ版で3回目
近代ゴシック・ロマンの元祖

Ø  アメリカを撃つ――《陪審員》
久しぶりに出会う本物の問題作。マフィアのボスが殺され、対立する親玉が殺人罪で起訴されるが、陪審となったシングルマザーが、陪審を無罪に導かないと息子の命はないと言って脅され、陪審団を説得して無罪にする。昨年のO.J.シンプソン裁判を連想させる陪審批判のように見えるが、最後は息子の危機と見るや陪審となった母が銃をもって立ち上がる場面では銃規制への批判ともなっている
警察も検察も市民を暴力の手から守ってくれない、凶悪犯罪者を裁判にかけても、弁護士の詭弁と「疑わしきは罰せず」で無罪になるし、大量殺人者は精神鑑定で罪に問われないように厚い人権の壁で守られている、殺されてバカを見るのは一般市民だけ、という状況の集大成ともいうべき映画
原作は実話がモデル

Ø  耳に残る名セリフ――《ワン・ツー・スリー》(1961)
洋画は字幕より吹き替えで見た方が良くわかる ⇒ 台詞は耳で聞くものだから当然
台詞は役者の声色によって生きるものであり、強調があり、抑揚があり、間がある。字幕はそれをすべて遮断することになり、文字を読むのに集中する結果、人物の性格や主題の把握が疎かになる
映画館で字幕で見た後、ビデオ化された際に日本語吹き替え版で楽しむと、字幕で見た時には気にも留めなかったことが、吹替では強烈に耳に残ったりする。この耳に残るというところが大事

Ø  「緊急」は彼のモチーフ――《ER 緊急救命室》
ハヤカワ・ポケット・ミステリ、略してポケミス。53年以来続く翻訳ミステリの叢書
70年の刊行1000点を誰にするか、早川編集部の意外な演出は、エラリー・クイーンやアガサ・クリスティ、現代最高のロス・マクドナルドなどは直前に刊行し、肝心の記念作品にはジェフリイ・ハドスンという無名の新人の小説『緊急の場合は』を当てた。ハーヴァード大医学部在学中の学生が書いた医学ミステリーで、ファンは驚いたがスケールの大きな内容に納得
ハドスンこそ、その後次々にアメリカを沸かせるベストセラーを欠き、映画や制作にも乗り出し、世界的なスーパースターになったマイケル・クライトン
彼のTVドラマ《ER》は爆発的な人気。医学生のインターンが自画像。死ぬ時は死ぬ。病院を明確に「死の世界」であると捉えているところにこのドラマの卓抜さがある
処女作から「緊急」がモチーフ。その頃から《ジュラシック・パーク》や《ライジング・サン》などの構想も練っていたのでは。栴檀は双葉より芳し!!

Ø  巨大なるもの――《ジャイアンツ》(1956)
テキサス州の総面積は791,207㎢、日本の2倍以上。その中にある神奈川県より広い牧場を舞台にしたこの映画が評価も得られず、ジェームズ・ディーンの主演映画の1つとしてしか記憶されていないのはそのスケールの大きさのせい
屈折した牧童が、女主人から遺贈された土地で石油を掘り当て石油王へとのし上がる
形としては牧場主の女の一代記であり、大河メロドラマだが、牧童のサクセス・ストーリーを物質文明の虚しさを強調して描き、逆に牧場主一家の凋落の物語に貧困と人種問題を絡ませることによって、そうした通俗性を突き抜けた巨大な主題が浮上する。それは「資本主義社会という文明」というものであって、原題も複数ではなくただの《ジャイアント》

Ø  永井荷風と《やさしく愛して》――《やさしく愛して》(1956)
先ごろ読売文学賞を受賞した川本三郎著『荷風と東京』(96年刊)に荷風と映画の関わりを考察した独創的な1章がある ⇒ 荷風の映画嫌いを日記の行間から読みとる。映画や映画人に対する悪口が満載。愁眉は亡友の遺女、儒家の孫娘が女優になったというので怒り狂っているし、自作の映画化も断固拒否していたが、戦後は一転してよく映画を観るようになる。特に仏映画が多い。戦争の最中にオペラ座の踊り子と《モスコーの夜》を観に行ったのがきっかけのようだ。『あめりか物語』の作者のことだから、ハリウッド作品を観るときも、字幕は見ることもまずなく、映像芸術にも関心がなかったに違いない。荷風は台詞を自在に聴き、ドラマを楽しむことのできた観客だった。時代の反逆者にして第1級の文明批評家は、第1級の映画鑑賞者でもあったのである。それにしてもなんでまたエルヴィスの西部劇まで観に行ったのか? 思うに家風には音楽に対する鋭敏な感覚がある

Ø  戦争映画願望――《インデペンデンス・デイ》
『シネマ免許皆伝』に改題した第1
日本公開後610万人動員、アメリカでも興行収入史上第2
映画通の多くが作品の単純さを揶揄し「見どころは巨大スペースシップのSFXのみ」と片付けているが、本質的にSF映画ではなく戦争映画
戦後は世界中で膨大な数の戦争映画が作られ、反戦メッセージなどはかけらもなく、好戦映画が陸続と登場。敗戦国の国民が、自らやっつけられる映画に押し寄せるとはグロテスクだが、戦争映画の魅力とは本来そういうもの。大戦後半世紀もすると戦争映画受難の時代で、戦争映画に押し寄せたお客はどこに行ったのか、と思っていたら、今回SF映画の外装を凝らしてどっこい作られていた
作り手の自己満足に終始する陰鬱な反戦映画よりも、派手に撃ち合って観客本来の戦争映画願望を一気に噴出させる方が有意義なのではないか

Ø  様式美の時代――萬屋錦之助追悼
裕次郎やひばりの時は大騒ぎしたくせに、錦之助の訃報の扱いは冷淡で憤りを覚える
代表作は《宮本武蔵》シリーズ第2作の《般若坂の決斗》
当時は東映時代劇黄金時代で、歌舞伎役者出身も多く、歌舞伎の様式美を映像で楽しんだ
が、リアリズム礼讃の時代風潮に従い、様式美がどんどん壊されていき、やくざ映画に取って代わられ、現代はそれも崩壊、様式そのものが消滅している
邦画なのに横文字やカタカナの題名が氾濫、アメリカの猿真似をしたい、過去の文化は忘れたい、という願望が露骨に表れていて、戦後日本の軌跡を見る思いがする。「錦之助死す」の報道が小さくなるのも当然か

Ø  政治と文学と映画――《追憶The Way We Were(1973)
ロバート・レッドフォードとバーブラ・ストライサンドの恋愛メロドラマだと思っていたが、後年ビデオで見ると、バーブラのアジ演説は36年スペインのフランコが対象だし、51年のハリウッドの騒動はマッカーシズム、最後の水爆反対はビキニ核実験と、核時代の政治状況がきちんと描かれている
一方レッドフォードは文学的人間で、政治も含む世界総体を文章で表現しようとしており、人間の心に目を向けている
政治的人間と文学的人間。その乖離が主題で、昔からの文学の宿題である「政治と文学」を映画でやってのけている
脚本は《旅情》の劇作家アーサー・ローレンツ。これは彼の青春賦であろう

Ø  昔々、銀河の彼方で――《スター・ウォーズ 帝国の逆襲 (特別篇)
1作の日本上陸は78年、映画界を挙げての興奮だった
明るさと健全性に満ちた「よい子主義」では、冒険活劇のスリルが出ないと思っていたら、第2作《帝国の逆襲》を観てガラリと評価を改める
冒険怪奇の極致が描かれる ⇒ 小惑星帯に棲む超巨大な生物に飲み込まれる場面は、『聖書』の大魚に呑まれたヨナの話や『ピノキオ』の鯨に呑まれるエピソードのSF

Ø  ジミーさんの秘密――《素晴らしき哉、人生!(1946)ほか
97年、ジェームズ・スチュアート逝去。享年89
この20年映画に出ていないが、クリントンが「米国は国の宝を失った」と異例の追悼声明を発表するほどの大物
ジョン・フォード一家の一員でありながら、ヒッチコックお気に入りのスター。まるで帝国主義と共産主義を同時に信奉するようなもの
対立の極にある2大監督の個性を併せのんで平然としているというのは、普通の役者ではない
男性的魅力ゼロで当代の西部劇スターの後塵を拝しているが、アメリカでの人気の高さは別格で、あの独特の口調のパロディがよく出てくるし、日本では口の端にも上らなかった《素晴らしき哉、人生!》が毎年クリスマスになると全米のテレビで放映される
「アメリカの良心」とか「古き良きアメリカ」といった概念で説明されているが、彼の軍隊経験にも注目したい ⇒ 第2次大戦に従軍したハリウッドスターの中で最高位の准将。ヨーロッパ戦線で爆撃機のパイロットとして20回以上も出撃して帰還。勇敢な軍人がわざと弱っちい奴に扮して賢明に頑張る姿を描いたところにジミー映画の持つ意味がある
クリントンの追悼声明に「彼は真の愛国者だった」とあるのはこのことを示しているのでは


あとがき
欧米では、常に文学や演劇は映画の基礎として尊重され、敬意を払われている。そこがわからないと、西欧の映画のかなりの部分はわかりえない
したがって、文芸映画や、文学・演劇関係の映画が多くなるのは当然の成り行き



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