1R1分34秒 町屋良平 2019.3.13.
2019.3.13. 1R1分34秒
著者 町屋良平 1983年東京都生まれ。本作で第160回芥川賞受賞。ほかの著書に『青が破れる』(2016年、文藝賞)、『しき』(18年、159回芥川賞候補)など。
受賞のことば
いつしか生きることと書くことが接近し、区別できないようになっていた
芥川の『トロッコ』では、登場人物の良平は始めのうちトロッコを押すことの素朴な楽しさ、下りを駆け降りる際のドライブ感だけを頼りにトロッコを進めていたところ、いつの間にか戻るきっかけが分からなくなっている。自分の筆名はそこからとったわけではないが、『トロッコ』には愛着があった。小説を書くということにもトロッコを1歩ずつ押すが如き素朴な喜びがある。そのうち元来た道がわからなくなってしまった
そうした行くばかりの道中に賞をいただけた。さらに進む先に何があろうと、戻れる安全な道などもうない
デビュー戦を初回KOで華々しく飾ってから、2敗1分けと敗けが込んできている
次の相手にKO負け
iPhoneを使って趣味で映画を撮っている唯一の友達と会う
5日後に病院で敗戦のダメージの検査
ジムに戻って軽く汗を流すと、フィットネス目的の女性が体験希望で飛び込んできて、付き合い始める
トレーナーに見捨てられ、先輩の現役ボクサーが代わりにつくが、あまり気が乗らない
次の対戦が決まるが、その前のスパーリングで、プロを狙う高校生を倒す
次の対戦が決まると、唯一の友人が小旅行に連れて行ってくれる
倒される恐怖を感じながら、新しいトレーナーと2人3脚で試合に備える
3日後に1ラウンド1分34秒にTKOであっさり勝つ、その呆気ない結末のためだけにこの夜をあと2回
第160回芥川賞直木賞贈呈式 上田さん・町屋さん・真藤さん
朝日 2019.2.27.
第160回芥川賞直木賞の贈呈式が21日、東京都内で開かれた。芥川賞は上田岳弘さんの「ニムロッド」(群像12月号)と町屋良平さんの「1R1分34秒」(新潮11月号)、直木賞は真藤順丈さんの『宝島』(講談社)に贈られた。受賞スピーチは、作家としての決意をそれぞれ個性豊かに語るものとなった。
上田さんは「文学賞に限らず、新しい作家や作品を顕彰することはある意味でシステム。参加する人間を従わせることにもなる。流れに反抗するのが作家である。反抗していたい。受賞作のタイトルは『バベルの塔』の提唱者。塔を作ることは神への抵抗であり、ニムロッドは作家そのもの」と話した。
町屋さんは「登場人物は、ボクシングがただ好きで、続けていきたいという気持ちだけで壁にぶつかる。自分が小説を続けていくことについても、もう一度考えないといけないという気持ちが体の中にあって、それが言葉になったのだと思いました。この先も、傲慢(ごうまん)さとしっかり向き合って書き続けていきたい」。
受賞決定時のジャージー姿とは異なり、スーツ姿で登壇した真藤さんは「会見後ジャージーが6着くらいお祝いで送られてきた。すげえな直木賞、と思った」と会場の笑いを誘った。
受賞前の執筆活動は「惰眠と果報待ちの日々だった」。「戦果アギヤー」と呼ばれる、基地から物資を奪った受賞作の登場人物になぞらえて、今後は「間違いを恐れず、フェンスを越えて小説をつかみ取りにいくような書き手でありたい。書くことで新しい時代の書き手の肥やしになれたら」と話した。
贈呈式の3日後には、米軍普天間飛行場の移設計画をめぐり、辺野古の埋め立ての是非を問う沖縄県民投票が控えていた。「この間イベントで沖縄に行ったとき、賛成か反対か明確に声を上げてほしいと述べてきた。もし、示された民意と正反対の施策が進められてしまったとしても、以前と以後とでは違う世界が待っていると思っている」(中村真理子、宮田裕介)
1R1分34秒 町屋良平著
闘争心なきボクサーの青春
日本経済新聞 朝刊 2019年3月9日
日本人男性の腕の長さ(リーチ)は、平均で74センチだという。超ヘビー級のボクサーでない限り、ボクシングという格闘技で、相手への攻撃の最大の身体距離はだいたい74センチ以内ということになる。1ラウンド3分間の闘いは、この身体的距離内で行われる。これ以内だと、相手にパンチを喰(く)らわせ、相手からも拳を叩きつけられる。相撲やレスリングのような接触型の格闘技とは違い、ボクシングは、相手との身体距離を常に測らねばならない。
では身体距離ではなく、精神的距離はどうか。『1R1分34秒』の主人公の「ぼく」は、試合前に相手選手のことをSNSなどで調べ、調べるほどに「親友」になってしまう。奇妙な倒錯的(観念的)な友情(精神的な近さ)だ。拳闘はリング上での「闘い」であり、相手を殺す(倒す)ほどの「闘志」や「戦意」がなければ、勝つのはおぼつかない。「ぼく」は、最初から敵としての相手を打ち負かすだけの精神的距離を保てず、ファイト(闘争心)のないファイト(闘争)に終始せざるをえないのだ。
他人との接触を嫌う若者たちを"草食系"と呼び、一種の社会現象とされるようになってから久しい。「ぼく」は、セックスフレンドの女の子とも、トレーナーの「ウメキチ」とも、精神的距離を縮められず、一定以上の"距離"を保ち続ける。今時の若者の一人として。
「ぼく」の唯一の友人に、iPhoneで映画を撮っている男がいる。小さなレンズを通して眺める世界は、世界との違和感、距離感そのものだ。
相手の身体との距離感をもっとも敏感に感受しなければならないボクサーが、他者との身体的(精神的)距離をうまく取りきれない。そんな状態の若者を主人公に、ボクシング小説を書くことが可能なのだろうか。そこには勝利の歓喜も、敗退の屈辱もない。ただ、日常のトレーニングの感情と心理の起伏があるばかりだ。しかし、それが新しい世代のアスリートたちの普遍的な心情なのだろう。
人間や社会との接触を嫌いながら、接触を求める。現代の若者の空漠な心情の青春が、歯切れのよい、スピード感のある文体で描かれる。このパンチ(衝撃力)は、鮮烈だ。
《評》文芸評論家川村 湊
(新潮社・1200円)
まちや・りょうへい 83年東京都生まれ。本作で第160回芥川賞受賞。ほかの著書に『青が破れる』『しき』など。
(書評)『ニムロッド』上田岳弘〈著〉 『1R1分34秒』町屋良平〈著〉
2019.3.18. 朝日
■平成ラスト飾る仮想空間への抵抗
仮にいま「平成の文学」を振り返るとするなら、この30年で大きく変わったことのひとつはバーチャルな空間の出現だろう。
かつて小説における「私」は代替のきかない絶対的な存在だった。ところがインターネットが日常のツールと化した今日、「私」は「インストール」したり「プロデュース」したり「なりすまし」たりできる不確かな存在にすぎず、彼らの世界も現実感の薄い仮想的な空間と地続きだ。
「平成最後の芥川賞受賞作」であるこの2作にも、平成らしさは色濃く影を落としている。
上田岳弘『ニムロッド』は、システムサーバーの保守を業務とするIT関連企業が舞台。語り手の「僕」こと中本哲史は38歳。仮想通貨・ビットコインの採掘を命じられ、数字を相手に日がな一日パソコンに向かっている。
その中本と頻繁にメールのやりとりをしているのが、名古屋に転勤した先輩社員の荷室仁である。小説家志望だが新人文学賞に何度も落選しており、中本には、ネット上の「まとめサイト」に着想を得た「駄目な飛行機コレクション」なる断片的な文章を送り続けている。荷室のハンドルネームは旧約聖書の登場人物と同じ名前のニムロッド。はたして荷室が書きはじめた小説は……。
一転、町屋良平『1R(ラウンド)1分34秒』はプロボクサーの物語である。「ぼく」は21歳。デビュー戦でKO勝ちした後は負けが込み、崖っぷちに立たされている。研究肌を自任する彼は対戦相手の情報を集めすぎ、ビデオを見すぎて、試合の相手と「親友になった」ような錯覚に陥るのだ。
試合相手との距離感がつかめない彼に新しいトレーナーのウメキチは奇妙な提案をした。「おまえ、研究魔だろ? おれもおまえになったつもりでビデオみてやったぜ。だからおれは、おまえの対戦相手に成りきってみる」
身体感覚を描く能力の高さが評価されての受賞だったが、同時に「ぼく」が映像などのバーチャルな相手と常に向き合い、常に戦っていることも見逃せない。
余談ながら1988年下半期、「昭和最後の芥川賞受賞作」は、南木佳士『ダイヤモンドダスト』と李良枝『由熙(ユヒ)』だった。『ダイヤモンドダスト』は信州の病院で働く看護師を、『由熙』は韓国に留学した在日の女性を描いており、それぞれアイデンティティのゆらぎを含みながらも、私小説の伝統に乗った作品だった。
新受賞作は、あきらかにテイストがちがう。だけど彼らは、バーチャルな空間への懐疑と抵抗も示している。仮想的な現実が、抑圧として働く世界。平成のラストを飾るに相応(ふさわ)しい感覚だろう。
評・斎藤美奈子(文芸評論家)
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『ニムロッド』 上田岳弘〈著〉 講談社 1620円
『1R1分34秒』 町屋良平〈著〉 新潮社 1296円
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うえだ・たかひろ 79年生まれ。「太陽」で新潮新人賞、「私の恋人」で三島由紀夫賞▽まちや・りょうへい 83年生まれ。「青が破れる」で文芸賞。「しき」で芥川賞と野間文芸新人賞の候補。
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