探訪 名ノンフィクション  後藤正治  2014.4.9.

2014.4.9.  探訪 名ノンフィクション

著者 後藤正治 1946年京都市生まれ。ノンフィクション作家。『遠いリング』(12回講談社ノンフィクション賞)、『リターンマッチ』(26回大宅壮一ノンフィクション賞)、『清冽』(14回桑原武夫学芸賞)

発行日           2013.10.10. 初版発行
発行所           中央公論新社

初出 『中央公論』連載(17回、2012.1.2013.5.)に沢木耕太郎との対談、書下ろし1章を加えたもの


1.        柳田邦男『空白の天気図』(単行本1975.9.)
柳田邦男 ⇒ 1936年栃木県生まれ。NHK記者を経て作家活動に入る。『ガン回廊の朝(あした)』で講談社ノンフィクション賞、『犠牲(サクリファイス)』で菊池寛賞
原爆直後の天気予報空白時代の広島を襲った枕崎台風の様子を、広島気象台にいた気象官の目から見て記録したもの。NHK時代に3年間広島にいて書くべきものを書いていないという借財を背負っている気がして、その"返済として書いたノンフィクション
戦時中気象台は軍の管轄下に置かれ、気象観測データの公表が抑えられたために38か月に渡り天気予報の空白期間があったが、その復活直前に襲来したのが枕崎台風で、特に広島は原爆直後で情報が全く途絶、市民に伝える方法もないまま、上陸した九州全体での死者400余人の5倍もの犠牲者が出た

2.        本田靖春『不当逮捕』(単行本1983)
本田靖春 ⇒ 1933年京城生まれ。読売記者を経て独立。『不当逮捕』で講談社ノンフィクション賞
57年、売春防止法の審議中、赤線業者と政界の汚職が広がり、代議士2人の収賄容疑をスクープした讀賣の記者が、逆に名誉棄損で逮捕され、讀賣が権力に屈して誤報を認める
事件の裏には次期検事総長を巡る権力抗争があり、戦前の公安検察系に特捜検事系が敗れたもの
本田は、失意の中で自ら命を絶った讀賣の先輩記者に自分を重ね合わせる

3.        澤地久枝『妻たちの二・二六事件』(単行本1972)
澤地久枝 ⇒ 1930年東京生まれ。ソ連占領下の滿洲での難民生活を経て帰国。中央公論経理部勤務の後、『婦人公論』編集部へ。退社後五味川純平の資料助手として『戦争と人間』の脚注を担当、本の刊行後独立。『火はわが胸中にあり』で日本ノンフィクション賞、『記録 ミッドウェ―海戦』で菊池寛賞
軍法会議で処刑された者19人。後に14人の「叛徒の未亡人」が遺されたが、事件後30数年して、残された妻たち、および関わりのあった女たちのその後を辿る
事件の首謀者となった男たちがそれぞれの女の前からふいに立ち去ったことだけが残酷なのではなく、女に愛の刻印を押したままに去ったことが残酷 ⇒ 女の側は、男の想いを断ち切れないままに、新しい人生に踏み出す決断を逡巡した

4.        鎌田慧『逃げる民』(単行本1976.6.)
鎌田慧(さとし) ⇒ 1938年青森県生まれ。高卒で上京、カメラ試作工場の見習い工で全員解雇に抗する労働争議を体験。業界紙『鉄鋼新聞』の記者。フリーとなって、労働現場に密着したルポを多数発表。『六ヶ所村の記録』で毎日出版文化賞
弘前や枕崎の出稼ぎ労働者に自らの過去を重ね合わせ、それぞれの故郷を訪ね歩く

5.        ジョージ・オウエル『カタロニア讃歌』(原文1938.4.、翻訳1966.4.)
ジョージ・オウエル ⇒ 190350年。英領インド生まれ。ジャーナリスト、放送記者、作家
内戦勃発のスペイン取材のためバルセロナに行くが、すぐに市民軍に参加してペンを銃に持ち変える。間もなく共和国軍内部の内紛に巻き込まれてバルセロナを去るが、その間の「内戦従軍記」もしくは「内紛考察記」という体を成す

6.        立石泰則『覇者の誤算』(単行本1993.6.)
立石泰則 ⇒ 1950年北九州市生まれ。経済誌編集者、週刊誌記者などを経てフリーに。『覇者の誤算』で講談社ノンフィクション賞。『三和銀行香港支店』(97)
IBM vs 国産コンピューター・メーカーの戦いの跡を辿る大河ノンフィクション
松下幸之助の評伝を書いた際、松下がコンピューターから一時撤退したのは幸之助の判断ミスという話を何度か聞かされたのがコンピューターに関心を持つきっかけとなる
富士フィルム小田原工場のエンジニアが、レンズの数値計算のために考えた計算機の話や、MIT卒の通産省工業技術院の初代電子部長がトランジスタを回路としたコンピューターを作った話などを通じて、日本におけるコンピューターの黎明期を担った人々の声を記す
『覇者の誤算』とは、IBMというより、今日の覇者が必ずしも明日の覇者ではない、群雄割拠の留まるところのないカオス状態にあるコンピューター産業の渦を表象したもの

7.        沢木耕太郎『一瞬の夏』(単行本1981.7.)
沢木耕太郎 ⇒ 1947年東京生まれ。『テロルの決算』で大宅壮一ノンフィクション賞、『一瞬の夏』で新田次郎文学賞、『バーボン・ストリート』で講談社エッセイ賞、『凍』で講談社ノンフィクション賞
将来を有望視されたプロボクサー・カシアス内藤が突然無気力になってチャンピオンの座から落ちるが、5年後漸く挑戦者魂が頭をもたげてきてから1年後の夏まで、沢木との間の濃密な交流を日々綴ったノンフィクション
沢木は、復帰戦の費用として、大宅賞受賞作品の増刷分の印税を充当
ところが、因縁の相手の韓国のチャンピオンは引退、変わりの若いボクサーとの試合を「王座決定戦」と認定してもらうためにひと悶着、精神的に脆さのあった内藤は緊張の糸が切れて夜の世界に舞い戻り、内藤のトレーナーを引き受けていたエディ・タウンゼントも匙を投げ、何とか試合には出たが負けて、「夏」は終わる
本格的なノンフィクションが新聞(朝日)に連載された最初

8.        野村進『日本領サイパン島の一万日』(単行本05.8.、旧題『海の果ての祖国』87.6.)
野村進 ⇒ 1956年東京生まれ。『コリアン世界の旅』で大宅壮一ノンフィクション賞、講談社ノンフィクション賞、『アジア 新しい物語』でアジア太平洋賞
サイパンに存在した30余年に及ぶ日本人社会に生きた人々の足跡を辿ることで、「日本領サイパン」という空白の地図と歳月を埋めつつ、もう1つの近現代史を描いたノンフィクション
一攫千金を夢見て仲間と大海原に出帆した山形出身の男が、1915年サイパンに漂着。第1次大戦で日本の委任統治領となり、日本人が進出する中で男は「南洋成金」と呼ばれるほど商いを伸ばす
著者が、知人の編集者からこの男の娘を紹介されたのが本書を書く契機

9.        田崎史郎『梶山静六 死に顔に笑みをたたえて』(単行本04.12.)
田崎史郎 ⇒ 1950年福井県生まれ。時事通信社政治部で田中派、竹下派担当、同部次長、編集委員を経て解説委員
私が初めて政治家に関するものとして『AERA』の現代の肖像で小沢一郎を書いた際、多くの政治家本を一歩超えた本として、さらには「政治とは何か」「政治家とは何か」という命題に答えを与えようとしているように感じられた
茨木県議からの叩き上げ・梶山は異名の多い政治家。「田中角栄の親衛隊」「商工族のボス」「武闘派」等々。角栄出所の際は拘置所に出迎えに行ったことが野党とマスコミに叩かれ、そのこともあってかその年の暮れの総選挙で落選
角栄後の政党が離合集散を繰り返す時代、政争の基軸となったのは小沢と梶山
ノンフィクションの生命線の1つは細部の正確さだが、本書もしっかり書き込まれている
本書を書く契機は、竹下内閣誕生の少し前、梶山自身から「俺の足跡を纏めてくれ」との依頼があったものだが、1200枚の大部の評伝が完成を見たのは、最初の依頼から17年後、梶山の死後だった
梶山を軸としながら、小沢との渡り合いを縦糸にした権力闘争の大河ドラマ
田崎によれば、政治家個人に肉薄することは大いに努力したが、情報収集者であるとともにジャーナリストとして公への伝達者であることを常に意識。政治家との密なる関係の下、書けない話もしばしば耳にするが、いつか社会に還元する、歴史に対して正直であれと自身に言い聞かせていた
田崎には学生運動歴があり、時事通信に潜り込んだものの前歴がばれて地方に飛ばされ、社を相手取って訴訟を起こす。社と和解後政治部に所属、中枢派閥を担当したのは思わぬことだった。政治部デスクの時期、かつての小沢の「オフレコ発言」を公にしたという理由で出勤停止処分を受け8年間整理部に。この頃本書の初稿を書き始めた
穏やかな中に反骨の気性が埋められている。本書を成立せしめたのは、永田町の情報や人脈にも増して、政治家を見つめる視線の深さ。それを養ったのは、氏の個人史に由来する部分があるのだろう
梶山が周辺の数多くの政治記者たちの中から、なぜ田崎という記者を選んだのか。人として保持しているものを梶山が感じ取ったからだろう。やはり修羅場に生きる政治家の眼力は確かだった

10.    小関智弘『春は鉄までが匂った』(単行本79.7.)
小関(こせき)智弘 ⇒ 1933年東京・大森の生まれ、育ち。都立大附属工業高卒。渡り職人として職安で仕事を探しながら町工場の旋盤工を51年。傍ら文学少年の原点に戻って文筆業に手を染める。『大森界隈職人往来』で日本ノンフィクション賞。大田区産業振興課が所管する「大田の工匠100人」の選考委員
中年になった旋盤工と、大田区大森周辺の町工場に棲む人々の物語
何か強いインパクトを受けたというわけではないが、ここに真っ当で確かなものがある
元原稿は『IE(インダストリアル・エンジニアリング、日本能率協会発行)という専門誌に『町工場たのし、かなし』と題して連載
「仲間まわし」とか「ちゃりんこネットワーク」と呼ばれる大森界隈特有の仕組み(職人の仲間内で誰かに入ってきた注文の価格を競り合う)
小関にとって本書は、他者を描いた初めてのノンフィクション

11.    佐野眞一『カリスマ――中内功とダイエーの「戦後」』(単行本98.7.)
佐野眞一 ⇒ 1947年東京・葛飾生まれ。生家はよろず小売屋。出版社勤務を経て作家。『旅する巨人』で大宅壮一ノンフィクション賞、『甘粕正彦』で講談社ノンフィクション賞
佐野の精力的な仕事の通底にあるものは、人間の営みを凝視する視線であり、そのエネルギーをしかと掌握せんとする希求
佐野が中内の原点に思いを巡らせるようになったのは、三中(現長田高)・神戸高商時代の旧友たちが口にする中内像(文学青年)と戦後のそれがまるでかけ離れていたから
元原稿は、9798年『日経ビジネス』に連載、中内とダイエーから名誉棄損の訴え、後に和解するがそれでも佐野が中内を追い続けたのは、一代で絶頂から奈落の底に転落し歴史から消え去ろうとしている中内の末路に心が傾くから

百戦錬磨のジャーナリストは、なぜあえてタブーを犯したのか?

橋下・朝日騒動、筆者佐野眞一を暴走させた良心とカラクリ

「週刊朝日」(朝日新聞出版社/1026日号)
 衆議院が解散され、橋下徹大阪市長率いる「日本維新の会」に、石原慎太郎前東京都知事が急造で立ち上げた「太陽の党」が合流して、「第3極」を呼号する新党ができた。世間の注目は、この新党が果たして政界にどれくらいの勢力を築くことができるかに移った。
 一時は暴言もあるがメリハリある発言で期待を集めた橋下氏だが、学校教育問題や職員のイレズミ問題など、保守的で強引な施策や発言が重なるにつけ人気離散。その焦りが、原発政策をはじめとする諸政策で少なからず乖離する石原氏と合流させたとの見方が広がっており、野合批判もあって、このままでは第3極は名前だけのものに終わるとの見方も浮上してきている。
 その、あえて言えば落ち目の橋下氏を一時的にしろ同情の対象にしてしまったのが、「週刊朝日」(1026日号)の『ハシシタ 奴の本性』とタイトル付けられた、ノンフィクション作家・佐野眞一氏の手になる緊急連載記事の第一回だった。
 いささか十日の菊になるが、記事を少しトレースしてみると、「日本維新の会」旗揚げパーティの描写から入り、壇上に立った橋下氏の挨拶振りを「テキヤの口上」と揶揄し、そのうえで女性占い師細木数子氏を引き合いに出し「田舎じみた登場の仕方といい、聴衆の関心を引きつける香具師まがいの身振りといい、橋下と細木の雰囲気はよく似ている」と書く。もちろん細木氏を引き合いに出すのはネガティブな意味合い以外何物でもない。他にも「この男は裏に回るとどういうことでもやるに違いない」「橋下の言動を動かしているのは、その場の人気取りだけが目的の動物的衝動である」云々と各所で酷評する。
 橋下氏嫌いには溜飲の下がる記事だったかもしれないが、読んだ人の多くがそう感じたに違いないと思われたのは、いささか橋下氏攻撃の意図があからさまに出すぎていて、そのあとに続く記事も含めて、客観性に欠けるのではないかということだった。週刊誌という媒体特性があるにしてもだ。記事構成もいささか単調にすぎる。冗長と感じるほど複線的重層的な書き方が佐野氏の特徴だから、ちょっと違うなという感じもした。

佐野氏らしくない書き方

 雑誌編集者時代、筆者は何度か佐野氏と仕事をしたことがある。例えば、佐野氏の代表作の1つである『遠い山びこー無着成恭と教え子たちの四十年』(新潮社)の巻末にはこの本の端緒を作った人間として名が載っているのだが、今回の朝日の記事のようなバランスの欠けた性急な書き方も、佐野氏らしくないと率直に思ったものだ。今回も「60人近い人々に取材した」と報じられているが、馬に食わせるほど材料を集め、取材し、そこから書くべきことをじっくり拾い上げていくのが佐野氏流だからである。
 また雑誌編集者は多かれ少なかれ部落問題に関する扱いの難しさを経験あるいは教えられており、今回のこうした書き方は大丈夫かなというより、佐野氏を知る者として問題が起きないといいがなあと思ったのも事実である。
 よく「部落(あるいは開放同盟)がうるさいから、差別に関わる記事は避ける」という言い方をする人がいるが、筆者はそうではなく、部落問題を扱う際の出版コードとでも言うべきものは、メディアと差別される側の人たちとの長い遣り取りの中で構築された慣習法のようなものであり、それはやはり守るべきだし、その上できちんと書くべきことは書くということが重要だと考えている。
 例えば、今回の記事で最も問題になった町名や地番をストレートに書き、同和地区を特定できるような表現は、そのコードにまったく反する行為だと言っていい。だから、記事を読んで「編集者は何をしていたのだろうか」とも思ったものだった。さらには花田紀凱氏や元木昌彦氏らも指摘しているように、なぜメディアの世界において百戦錬磨の佐野氏が、その点に十分に留意しなかったのかという点も大いに疑問とするところだった。
 結果はご存知の通り。連載は中止になり、1112日、出版元である朝日新聞出版は、橋下市長連載記事に関する第三者委員会の見解を踏まえ、この記事が「(橋下市長の)出自を根拠に人格を否定するという誤った考えを基調にして」おり、また記事の中心をなすインタビュー部分も「噂話の域を出ておらず、(その一部は)信憑性がないことは明白」と断じ、社長が引責辞任、編集長が停職3カ月及び降格などと発表したのである。
 同時に、篠崎充社長代行が、記事掲載・事後対応の経緯報告書と再発防止策などに関する文書を携えて大阪市役所に橋下市長を訪ねて陳謝した。この間、橋下市長の、親会社である朝日新聞に対する取材ボイコット発言などもあったが、形の上では朝日新聞出版側の全面敗北で事は終わったわけである。

避けるべき表現

 それにしても、なぜこうした記事が出てしまったのだろうか?
 経緯報告書によれば『ハシシタ 奴の本性』というタイトルは担当デスクの提案で、以前「週刊ポスト」に連載され、書籍化され小学館から刊行された『あんぽん 孫正義伝』に影響されたという。このタイトルを聞いた佐野氏が、いかつい顔を獲物を見つけた猟師のようにほころばせた様が筆者には想像された。
 しかしそうであっても、佐野氏がこのタイトル案を聞いたとき、「これは仮タイトルならいいが、本タイトルだとするには無理がある」と編集サイドに釘を刺さなかったということが疑問なのである。「ハシシタ」「奴」「本性」といった言葉は、売らんかなの週刊誌であるにしても、いささか乱暴で侮蔑的な言葉遣いである。私自身の感覚で言うと、ソフトバンクグループの総帥である孫氏は確かに公人ではあるが、それでも「あんぽん」というタイトルは氏にとって侮蔑的で差別的なものだし、やはり避けるべきだったろうと思うのである。最近の学校現場におけるイジメと同様、思いやる心のなさや鈍感さなどと通低する問題意識の欠如が、そこにはあるように思われてならない。
 筆者の印象では、佐野氏は面白がる人である。ノンフィクションを書くエネルギーは、やはりテーマが書き手の意欲を掻きたてるかどうかにある。佐野氏も同様にテーマに面白さを求める。面白さというのは、単なるエンターテインメント的なそれを言うのではないことはもちろんである。佐野氏は橋下氏という格好の材料を、タイトルが意図する書き方で料理することができることに、大いに興趣が湧いたのであろう。もちろん編集部サイドも面白がり、熱が上がり、相乗効果でつっ走ってしまった。佐野氏自身は率直な意見を喜ぶ人だが、ノンフィクション界に佇立する大家と言ってもいい氏が機関車のように動き出せば、若い編集者、デスクは遠慮もあり、止めることができなかったという事態も想像できる。
 ここ数年、佐野氏は健康に不安があり、まだ老け込む年ではないが、持ち前の性急さがさらに性急になったのかとも思った。これはあくまでも、筆者の危惧でしかないのだが。
 記事を読む限り、佐野氏の橋下氏嫌いは徹底しているようだ。それ以上に橋下氏の登場を促した日本政治の今日的状況に、危機感を抱いているということのほうが正確かもしれない。いずれにしろそうしたことから、橋下氏の本性を徹底的に描き出してやろうと考えたに違いない。あわせて紙背からは、かつて漫才師横山ノック氏を大阪府知事に据え、今また橋下氏を日本政治の救世主扱いするような大阪的ポピュリズムに一泡吹かせてやりたいという意欲も満々に見えた。佐野氏のその強い意欲が、差別や人権問題などに関しては瞬時、何も見えなくしたのかもしれない。

表現と報道の自由への強い意欲

 もうひとつ、こういうことも考えられる。先ほど部落問題に関するコードの話をしたが、一時期、部落問題に絡んで差別的言辞を弄したメディアや関係者が糾弾されたり、吊るし上げられたりすることが頻繁にあった。一方で部落問題に絡んで怪しげな利権の話がずいぶん流れたこともご存知の通りである。しかし、それらのことを含めて部落問題を扱うことはタブー視され、メディアの多くが触らぬ神にたたりなし的に扱ってきたことも否定できない事実である。
 佐野氏がこの記事を書くに当たって考えたもうひとつのこととは、部落問題を含めてメディアにはタブーがあってはならないということではなかったかと思う。橋下氏という公人を題材とすることでそのタブーを打ち破り、報道と表現の自由をあらためて確認したいという強い意欲が佐野氏にあったのではないか? 佐野氏が「言論の自由と表現の自由」に強い危機感を抱いていることは、多くの人の知るところだからである。そのことが今回の遠因であるようにも思う。
 さらにもうひとつ挙げるとすると、佐野氏は『私の体験的ノンフィクション術』(集英社)という著書にも記しているし、朝日新聞出版が今回の一連の事件を総括した際に出した「見解とお詫び」にも書いているように、「生まれ育った環境や、文化的歴史的な背景を取材し、その成果を書き込まなくては当該の人物を等身大に描いたとは言えず、ひいては読者の理解を得ることもできない」として、このことを、評伝を書く上の鉄則としているという点である。確かに正力松太郎を描いた『巨魁伝』(文藝春秋)にしても、中内功を取り上げた『カリスマ』(新潮社)にしても、この鉄則が貫かれている。
 ただそこに落とし穴があったと言うべきだろう。「見解とお詫び」にいみじくも佐野氏自身が書いているように、取材態度としてそうであり、また事実その点まで徹底して取材の網を広げたとしても、「取材で得た事実をすべて書くわけではありません」ということはノンフィクションといえども普通のことである。少しテクニカルな話になるが、とすれば部落問題の複雑性にかんがみ、佐野氏は、橋下氏の出自はともかく、氏の父親の出身地を特定できるような書き方は避けるべきではなかったかと思われるのだが、どうだろうか? 佐野氏は自らの鉄則、それはこれまで成功してきた方法論に他ならないのだが、それに自縄自縛になってしまっていたように思えてならない。
 いずれにしろメディアにはタブーがあってはならない、橋下氏は公人中の公人である。だから佐野氏は自らの鉄則に従い、橋下氏の出身地をあからさまに書いた。ただその際、のちに自らが反省しているように、現実にそこに住んでいる差別される側の人たちに対する温かい配慮が抜け落ちていたということでもあろう。
 それにしても、いまやノンフィクション界の巨人とも言うべき佐野氏は面倒な問題に絡め取られ、しばらくは表立った動きがしづらい位置に立つことになったようだ。この間、東電OL殺人事件の犯人とされたネパール人のゴビンダ・プラサド・マイナリ氏の無罪が確定したが、同名のノンフィクションで氏の無罪を早くから訴え、当然、多くのメディアにコメントを求められてしかるべき佐野氏だったが、私の知る限りまったく露出がなかった。
 であるにしても、タフな佐野氏のことである。不死鳥のように、新たなテーマでメディアに再登場するにちがいない。多くのファンがそれを待ち望んでいるし、古い知人の1人として筆者自身そのことを疑っていない。
 また今回の一件に関しても、朝日側の経緯と検証だけでなく、佐野氏自身の経緯と検証を明らかにしてほしいものだとも思う。いかに苦しい作業であるとしても、佐野氏が言う「言論と表現の自由」のためには、それは欠かせないと考える。

猪瀬東京都副知事の振る舞い

 最後に、この一件を機に佐野氏の剽窃事件なるものが、一部メディアで話題になっている。契機となったのは、東京都副知事の猪瀬直樹氏のツイッターでの指摘である。猪瀬氏がなぜこの時期、その話を持ち出したのか、その真意はわからないが、少なからぬ人が想像したのは、橋下氏と前都知事で猪瀬氏の後見人ともいうべき石原氏が盟友であり、その橋下氏を攻撃する佐野氏は許しがたかったからだろうということである。さらに佐野氏が『てっぺん野郎』(講談社)で石原氏の本質をかなり辛らつに描き出していることもあり、親分に代わって子分の俺が敵をとってやろうと思ったのかもしれない。ノンフィクション畑の出である猪瀬氏は政治の世界に絡め取られ、いまやノンフィクション界での評価では佐野氏と雲泥の差がついた。その焼餅の裏返しだろうと類推するマスコミ関係者もいる。
 先に挙げた佐野氏の『遠い山びこ』は、出版した年の大宅壮一ノンフィクション賞の最有力候補だったが、深田祐介氏の作品と内容構成が近似した作品が過去にあったとの理由から受賞は見送られた。これは事実である。私は多少の関係もあり、とても残念に思ったことを記憶している。しかしその後、佐野氏は深田氏に説明陳謝し、この問題は和解落着したと文藝春秋関係者から聞いている。それゆえに、1997年には『旅する巨人』(文藝春秋)で大宅賞を受賞できたのである。しかもその後の佐野氏の活躍は多くの人がご存知の通りだし、もちろん盗用と誤解されるような原稿など一切ない。
 佐野氏はもちろん犯罪者ではないが、仮に更生した人が何年も何十年も前の犯罪で糾弾されるようなことがあっていいものだろうか? そうした類の正義派ぶった人間が少なくない、社会のゆがみ、非寛容さが、犯罪者の更生をしづらくしているのではないか?
 仮に都知事選挙にも立候補しようとする人物が、そうした行動に出るのは、余りにも狭量で温かみに欠けると思うがいかがだろうか。所詮その程度の品性の人間だと言えばそうのなのだろうが。加えてそれを面白がって追従し、「佐野氏のパクリ」などと書くメディアもメディアであると、筆者はその貧困さを憐れむばかりである。
(文=清丸恵三郎)

12.    デイヴィッド・ハルバースタム『ベスト&ブライテスト』(76.1.)
David Halberstam ⇒ 193407年。ニューヨーク生まれ。ハーバード大卒後ミシシッピ州の新聞記者からスタート。ニューヨーク・タイムズのコンゴ、ベトナム、ポーランド特派員などを経て作家。記者時代ベトナム戦争報道で64年にピュリツァー賞。北加メンロパークで交通事故により死去
英知を集めた米国の政策決定集団がなぜベトナムの泥沼化を見抜けなかったかを描く、ニュージャーナリズムの傑作
ケネディが大統領就任を前にして自宅に陰の実力者だった元国防長官を招いて、財務、国務、国防いずれかの長官就任を要請したが、病身を理由に断りつつ代わりの人材をアドバイスするところから始まる
原書刊行は1972年、なお泥沼に喘ぎ続けていた年で、当然ホワイトハウスの主には気に入らないものだった
本書を読んで思ったことは2つ、1つは俊英と言われる人々が道を誤るのは何もこの戦争ばかりではないこと、もう1つは戦争とはいったん始めれば止めることがいかに困難か
名著が、個別を描いて普遍に届くものとするなら、本書はそう呼ぶに相応しい
ハルバースタムはその後多岐にわたるテーマを選択するが、ジャンルは何であれ、共通する調べは、移りゆく時代を見つめつつ、あるべきアメリカとは何か、という視線と希求であり、その主調音にこそ強く惹きつけられる

13.    柳原和子『百万回の永訣』(単行本05.12.)
柳原和子 ⇒ 195008年。東京生まれ。『「在外」日本人』は世界各地に異郷を終の棲家と定めた108人の日本人の肉声を収録したインタビュー・ノンフィクションの大作
元原稿は中央公論の043月からの連載、原題は『残照――がん再発日記』
誰もが治癒を楽観していた6年半前の卵管がんが再発
闘病する中で、自分のできる唯一のこと、しなければならない唯一のことはあらゆるものに対して最後の総決算をすることだということに思いつく
斯界の高名な医者をドクター・ショッピングし、あらゆる治療法に挑戦、最後は緩和ケア病棟で最期の日々を過ごす
柳原は、辟易としただろう医者と本音で渡り合い、現時点でのがん治療の最前線を解きほぐしていった治療手段の探究者であり、さらに自身の内面を凝視する実存者だった

14.    保阪正康『昭和陸軍の研究』(単行本99.11.)
保阪正康 ⇒ 1939年札幌生まれ。個人誌『昭和史講座』主宰。一連の昭和史研究で菊池寛賞
西南戦争勃発による政府軍編成から筆を起こし、太平洋戦後に積み残された軍人恩給やシベリア抑留などの問題に言及した軍というものから見た近現代史の総ざらい
1人の作家による手作業のノンフィクションというところに本書の特徴がある
500余人にのぼる被取材者の主体は戦争の第一線を担った士官、下級兵士の直接証言ということを考えると、空前絶後の仕事
体験者に直に接し、事実を拾い上げ、書き残すべきものを記し、審判は歴史に委ねる、というのが本書を貫く視点
戦争を語る姿勢は「一、一、八」 ⇒ 1割は自身が体験したことを誠実に語る人(代表的な人は軍務局にいた石井秋穂)1割は虚偽ではないが聞き手が知らないであろうと判断して粉飾を交える人(代表的な人は瀬島龍三)8割が歳月の中で多分に美化したり脚色して語る人
本書は、朝日新聞書籍編集部から陸軍を徹底的に解剖して欲しいという要望に心を動かされたのが始まりで、元原稿は『月刊Asahi』で2年余り連載。執筆中長男を病で喪ったことが、戦場で身内を喪った人々の悲しみを本当に理解する一助ともなった、と言っている

15.    最相葉月『星新一――1001話をつくった人』(単行本07.3.)
最相葉月 ⇒ 1963年東京生まれ。神戸市育ち。『絶対音感』で小学館ノンフィクション大賞、『星新一』で大佛次郎賞、講談社ノンフィクション賞、日本SF大賞
作家というものがいかにして生まれ、書き続け、やがて晩年を迎えて人生を閉じていくか、を描いたノンフィクション。ノンフィクションとしての評伝
中学の頃から関心を持って読んだ最相が、星の作品を媒介に考察した作品
日本におけるSF史、SF文壇史ともなっている
星の作品が直木賞候補になったことがあるが、「文芸性云々」の評もあって選ばれなかった。作家にとってなによりの報酬は多くの読者を得ることであり、果実は十二分に享受しながら正当に評価されないという思いを星は抱き続ける
晩年、1001編へのカウントダウンを自身に課して執筆に励み、83年から26年、57歳で達成。ほとんどのエネルギーを使い果たし、燃え尽きたかに見えたが、それでも文学賞の授賞式などによく足を運んだのは、この殻を抜けてさらに先を目指す意気込みを見せたかったからではないか

16.    大崎善生『聖(さとし)の青春』(単行本00.2.)
大崎善生 ⇒ 1957年札幌生まれ。日本将棋連盟に入り、『将棋世界』編集長などを経て退職。『聖の青春』で新潮学芸賞、将棋ペンクラブ大賞、『将棋の子』で講談社ノンフィクション賞、『パイロット フィッシュ』で吉川英治文学新人賞。『13-03 赦す人』
5歳でネフローゼという難病に罹りながら病床で覚えた将棋に熱中しA級に上り詰めながら29歳で夭折した若き天才棋士・村山聖の生涯を描く。大崎はこの本(処女作)の刊行後作家に
ノンフィクション、フィクション双方とも読んで面白い稀有の作家
本書から伝わるのは「物語」というものの力。本筋のみならず枝葉にもいい「小物語」がちりばめられている

17.    河原理子『フランクル『夜と霧』への旅』(単行本12.11.)
河原理子(みちこ) ⇒ 1961年東京生まれ。朝日新聞社会部記者、『AERA』副編集長、文化部次長、現在編集委員。
フランクルはウィーンに在ったユダヤ系精神科医、戦時中アウシュヴィッツほか4つの強制収容所を潜り抜けて生還するも、妻、両親、兄を失う。戦後間もなく自身の体験を踏まえて『夜と霧』を刊行。極限的な受難を蒙りつつ、告発を封じ、人間存在への深い考察を記した
河原は、フランクルの家族や周辺、翻訳者、出版人、研究者、読者たち、そして収容所跡やゆかりの地を訪ね歩き、書の意味するものを探る。本をめぐるノンフィクション
『夜と霧』は、46年ウィーンで刊行(原題『一心理学者の強制収容所体験』)されたが、2刷されて絶版。アルゼンチン、日本と訳出された後、英語版が出てから世界に広がる
英語版のタイトルは『人間の意味への探求』 ⇒ 日本語訳の『夜と霧』は、当時フランスのアラン・ルネ監督の、ナチスの蛮行を伝えるドキュメンタリー映画『夜と霧』が評判になっていたことから連想してつけたもの
元原稿は、11年朝日新聞の『日本人脈記 生きること』で連載
河原の扱う、事故や犯罪に遭遇し、家族を失い、理不尽で不条理極まる状況に身を置いた人々にとって、フランクルの著が一つの支えとなり拠り所となっていることを知ったのが大きい

18.    立花隆『田中角栄研究 全記録』(単行本76.10.)
立花隆 ⇒ 1940年長崎生まれ。文藝春秋勤務を経てフリーに。『日本共産党の研究』で講談社ノンフィクション賞、『脳死』で毎日出版文化賞、『精神と物質』で新潮学芸賞
元原稿『田中角栄研究 その金脈と人脈』は、文藝春秋の7411月号に掲載された日本ジャーナリズム史に残るエポックなレポート
本書は、それ以後2年間に雑誌に発表された田中関連のレポートをまとめたもの
田中の莫大な金を使った金権選挙の金はいったいどこから出て来るのか、そんな素朴な疑問が本書執筆の契機
元原稿は、雑誌ジャーナリズムにおいても、従来の取材は編集部が担い、纏めを作家に依頼するやり方から、事実の掘り起こしにまで作家が関与する、「調査報道」の先駆けともなった

対談 沢木耕太郎x後藤正治
鋭角と鈍角――ノンフィクションの方法論について
連載に取り上げた基準は、読んでインパクトを受けた作品
沢木 後藤作品の中で選ぶとすれば、『スカウト』(広島カープの黄金時代を支えたスカウト・木庭教の仕事ぶりを書いたもの)
沢木 ある人物が最も「鋭角的」になるところを捉えて、その瞬間に向かって物語を構築し、取材した資料を添わせていくというのが僕の方法的な好み
後藤 どこかで対象に対する肯定感があると前に進める。「鈍角的」な仕事をやってきたのかもしれない
後藤 近著『キャパの十字架』でも沢木氏流のエッジは際立っている
沢木 自分の定義するノンフィクションとは、広義には「自分が事実ではないと知っていることを事実として書かないもの」であり、狭義には「その事実を取材という方法によって手に入れることで成立する書き物」
狭義のノンフィクションに必須なのが検証可能性で、別の人が、書かれたものから遡行して、取材の事実性をきちんと確かめることができる



日経 2013.11.17. 書評
探訪 名ノンフィクション
著者 後藤正治
『遠いリング』『リターンマッチ』などで知られたノンフィクション作家が、「これまで読んできた中でインパクトを受けた」18作品を選び、その魅力を綴った。取り上げるのは柳田邦男『空白の天気図』、本田靖春『不当逮捕』、沢木耕太郎『一瞬の夏』、野村進『日本領サイパン島の一万日』、立花隆『田中角栄研究 全記録』など。巻末に収めた沢木との対談では、ノンフィクションの定義や互いの作風の違いなどについて語り合っている
(中央公論新社、1900)


探訪 名ノンフィクション 後藤 正治 著
 東京新聞 20131124

写真
人間はすごいと思う
[評者]玉木明=ジャーナリスト
 優れたノンフィクションの要件として、著者は次の三点を挙げる。「主人公が魅力あること」「背景に<時代>を物語るものが込められていること」「書かざるを得ない内的な必然があること」。その要件をみたす内外の名作十八編を紹介し、その成立過程を取材を交えて<探訪>したのが本書である。
 柳田邦男『空白の天気図』は原爆と台風で壊滅した広島が舞台。また、本田靖春『不当逮捕』は権力に翻弄(ほんろう)される辣腕(らつわん)記者の物語。どちらも日本のノンフィクションの草創期を代表する作品で、新しい表現ジャンルを切り拓(ひら)こうとする熱気が感じ取れる。これをD・ハルバースタム『ベスト&ブライテスト』と比較すると興味深い。後者はホワイトハウスの内側からベトナム戦争を描いた作品で、アメリカのニュージャーナリズムの代表作の一つ。日本のノンフィクションに与えた影響の大きさが見て取れよう。ほかに、混血のボクサーの苦悩と挫折を描いた沢木耕太郎『一瞬の夏』、「巨怪伝・中内功」ともいうべき大作、佐野眞一『カリスマ』などの作品も挙げられる。
 著者は「人間ってすごい」と何度も思ったと書いている。それは物語の主人公たちに向けられた言葉だが、同時に、取材・執筆に力のかぎりを尽くした作者たちにも向けられていよう。ノンフィクションの醍醐味(だいごみ)を凝縮した一書である。
(中央公論新社・1995円)
 ごとう・まさはる 1946年生まれ。ノンフィクション作家。著書『清冽』など。


探訪 名ノンフィクション/中央公論新社

1,995
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ノンフィクション作家、後藤正治氏が「これまで読んできたなかでインパクトを受けた作品」について評論した1冊。柳田邦男『空白の天気図』をはじめ、本田靖春『不当逮捕』、沢木耕太郎『一瞬の夏』、野村進『日本領サイパン島の一万日』など、18のノンフィクションの名作を独自の視点で見つめています。どの作品にも後藤氏の思い入れが溢れていて、自分が読んだことのない作品でも興味をそそられ、ぜひ手に取ってみたいと思えるものばかりでした。
本書を通じて、後藤氏なりのノンフィクション論が随所に垣間見られることも非常に勉強になりました。最後に収録されている沢木耕太郎氏との対談も見逃せません。
各作品を読んだあと、再び読み返したくなる1冊です。

ニュージャーナリズムという言葉の解釈はさまざまにあるが、従来の客観的記述という固定観念にとらわれず、手法としては取材対象に深く立ち入り、表現としては〝主観〟に染まることを忌避しない、あたかも書き手がその場にいたごとくにという点において意識的な作品群を指していわれた。
心中、漠としてあたためているものがスタートするには契機が必要である。
ノンフィクションの作品力は、ストーリーの展開とともに、小さな情景の挿話にもある。
柳田邦男は「事実」という言葉にこだわった作家だった。世の中は常に推移し、それとともに時代的な価値観やイデオロギーは容易に変容していく。動かないものは「事実」しかない。
多くの素材のなかから結晶を取り出し、全体像ととらえ直すなかで物語化することそれがノンフィクション作品であると語っている。
ノンフィクションといいフィクションといいつつ、究極の目的性は同じであって、異なるのは「援用」の主従においてであること。ノンフィクションにとってそれは、より本質を掌握して浮かび上がらせるための手段であって、もとより「虚偽」に甘くあっていいということではまったくない。
もし問いが、「もっとも好きなノンフィクションの書き手はだれですか」ということであればこう答えたろう。本田靖春、と。
この世界に参入する前夜、『不当逮捕』『誘拐』『私戦』『警察回り』などの作品を繰り返し読んだ。
私にとってノンフィクション作品を書く上での教科書的愛読書ともなっていた。
時間を置くことによって、真に意味するものにたどり着くこともしばしばある。
文体とは、書き手自身、自覚し得ない無意識下の泉より湧き出てくるものだろう。
すぐれた作品の共通項は、個別のテーマ、個別の出来事を取り扱いつつ、人生のあり様としてそれが普遍へと及んでいることである。
ノンフィクションの生命線のひとつは細部の正確さ
情報を得、人に食い込むのは〈術〉ではない。大切なことは、それ以前、人として保持しているもののなかに潜んでいる。
体験者に直に接し、事実を拾い上げ、書き残すべきものを記し、審判は〈歴史〉にゆだねる。
ノンフィクション作品を読んでいると、枝葉の部分であれ、取材行の難しさがしのばれるところで立ち止まる。優れた作品ほど立ち止まる箇所が多い。
自分にとっての事実を物語化してきた

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