音楽力が高まる17の「なに?」  大嶋義実  2013.2.15.


2013.2.15. 音楽力が高まる17の「なに?」 だれも教えてくれなかった音楽のヒミツ

著者 大嶋義実 1981年京都市立芸術大卒。84年ウィーン国立音楽大学を最優秀で卒業。プラハ放送交響楽団首席フルート奏者。群馬交響楽団第1フルート奏者を経て、現在京都市立芸術大学・大学院教授。日本音楽コンクール、日本管打楽器コンクール他内外のコンクール入賞入選。毎年海外公演を行うほか、オーケストラとも共演。日本人フルーティストとして初めて「プラハの春音楽祭」に出演。各地の主要音楽祭より招聘。08年にリリースした11枚目のCD「モーツァルト・フルート四重奏曲全曲 協奏曲第1番」はヨーロッパの主要音楽誌上においていずれも最高票を獲得。平成10年度京都市芸術新人賞受賞。日本フルート協会理事、アジア・フルート連盟常任理事を歴任

発行日           2011.12.20. 初版発行
発行所           共同音楽出版社

初出             『季刊ムラマツ』0411年 「超極私的演奏論」より抜粋、加筆修整
村松楽器 ⇒ フルート専門の楽器店

「音楽用語の解説を演奏家の立場から書いて欲しい」というフルート屋からの依頼で書いたもので、お店の会員向け情報誌に掲載。いまだに連載が続いている
書いている間、オルゲルプンクト(持続低音)のように纏わりついて離れないのは、西洋のクラシック音楽が極東の島国で生き残り続けていることへの驚嘆と不思議

1.    オーケストラってなに?
フルート吹きにとってオーケストラは憧れの存在
オーケストラは、音楽の1つの理想的な形を示す
その土地に育まれた古典音楽に携わる人々にとって、ヨーロッパ音楽が「より優れた音楽である」などと感じられることはないだろう
ヨーロッパに始まる近代合理主義は、音楽にまで説明と能率を要求。近代社会を受け入れた人々にとって、オーケストラは合理的に営まれる社会の模範となるものだった。これこそがオーケストラが世界に広まった秘密
ただ、ヨーロッパといっても、それぞれが独自の文化を育んできており、音楽の分野では、基準となるピッチひとつとっても18世紀のパリとウィーンでは半音近く違っていた
同じ街でも教会と宮殿では違う。その違いが街の特徴であり、アイデンティティだった
移動の多い音楽家たちは、どこでも合せられるように替え弦を持ち歩き、調弦をし直した
今でもウィーン・フィルの使うウィーン式オーボエや、フランスのオーケストラにまだ僅かに残るバッソンに、地方ごとに求められる音色感が受け継がれている
ところが、近代合理精神がそれを許さなくなり、ヨーロッパ自身が地域や民族の培った多様性や重層性を放棄するよう自らの音楽に迫った。その結果生まれたのが近代的なオーケストラの姿
標準ピッチを統一する会議が何回も開かれ、1939a1=440hzに決められた
音律も加速度的に平均律化 ⇒ 「調性」の項参照
リズムも、必ず音符として説明できることが求められる
同じパートを複数で弾く弦楽器奏者にとって、隣に誰が座るかはそれぞれの奏者の音楽観の生き死にに関わる問題で、ほんの少しのずれがストレスになり、許容できるズレと、憎悪を抱かざるを得ない神経に障るズレがある
奏者にとって一番辛いのは、そんな相手と隣り合った時、相手も同じことを自分に対し思っているだろうと感じること
宇宙の中心に座っていると自負するオーボエにとって、それ以上に目立つフルートは天敵かもしれない。フルートはその華麗なソロを邪魔するクラリネットに「あっちに行け」と思うこともしばしば。そのクラリネットは、頭を直撃するトランペットの暴力に殺意を抱いているかもしれない
「美しくあらねばならない」という音楽自身からの問いかけにオーケストラは答える義務がある。それこそオーケストラの存在意義だ

2.    コンサートってなに?
18世紀後半から19世紀にかけてのコンサートでは、聴衆がそれぞれ好きなことをやりながら演奏を聴いていた
[芸術]としての音楽に耳を傾けるコンサート」の歴史は、19世紀半ばの近代の成立と軌を一にする。近代的オーケストラの成立もこの頃のこと
産業革命により共同体が崩壊、人々が都市に集中し、個を前提とする近代的自我が生まれる。見知った仲間同士の社交としてのコンサートは成立せず、互いに見ず知らずの個が集まった時、疎外し合う他者たちの孤独の魂がその拠り所として呼び求めるものこそが芸術であり、孤独と不安に苛まれる近代人の心に作用する精神性を音楽に見て取った
心の飢えが、音楽に集中できる場としての「コンサート」を求めた
コンサートは、1人では負担しきれないアーティストのギャラを割り勘にするシステムではなく、コンサートには近代が失ってしまった「心の繋がり」と「共同体の調和」を取り戻そうとする人々の願いが込められている
聴衆もまた創造の現場を担うアーティストとなった、それこそが現代の「コンサート」という場

3.    才能ってなに?
今では当たり前の「AA’BA’」という旋律の原型「ABA」を発明したのは17世紀イタリアの作曲家アレッサンドロ・スカルラッティ(ドメニコの父) ⇒ 2部形式の歌に「ダ・カーポ=最初に戻る」をつけたので「ダ・カーポ・アリア」と呼ばれた
ABA」は、「提示部-展開部-再現部」というソナタ形式の元祖でもある。ただし、提示部には調性の異なる2つの旋律があり、展開部では如何に最初の旋律を解体し発展させるかが腕の見せ所となり、再現部でも最初の異なる調性が同じ調性に統一されるという違いがある。こんなややこしいことを考えたのはハイドン
才能はなくても、一定の規則に従えば、いくらでも新しい曲を作り出すことが出来た
才能より、世渡り術の方が物をいう時代
音楽が才能あるものだけに開かれているなら、楽譜など誰も必要としなかった
12音を基準にしたお蔭で、音の高低差が明解に判るようになり、時間間隔を正確に示す音符によってリズムが伝わるようになった
それでもなお音楽の才能というものがあるとしたら、それは11人の「音楽を愛する心」そのものではないか

4.    古楽ってなに?
バッハが弟子や子どもたちをクラヴィコード(チェンバロの簡易版)を使って教育 ⇒ 当時の音楽家にとって最も身近にあった鍵盤楽器
偉大なオルガン奏者が、クラヴィコードを弾いた時、「この業界はみんな素人だ」と言ったが、誰もが奏法を忘れてしまった幾世代か前の楽器に取り組むことを言い得て妙
ヴィブラートをつけられる唯一の鍵盤楽器
クラヴィコードに関心が寄せられたのは、せいぜいここ15年のこと。17,8世紀の作曲家が曲作りに使った音を再現するのは当然であり、彼等の使った楽器で彼らの音楽を演奏してこそ楽譜の正しい読み方が出来るとして、古楽の復興に取り組んだ
現在では「古楽」とは言わず、「作曲当時の楽器による、作曲当時の奏法」という意味で、「ピリオド(同時代)楽器」「ピリオド奏法」「ピリオド解釈」という
先人たちのピリオドスタイルの研究の結果、現代のヨーロッパには、バッハやモーツァルト時代から続く演奏の伝統はないことが分かってきた
管楽器には金銀のものがなかったし、弦楽器でも弦1本に懸る張力は4倍にもなっているし、弓の形状も違う
メンデルスゾーンがバッハを再発見し、《マタイ受難曲》を100年振りに再演した話は有名だが、バッハの時代にはなかったクラリネットを使っていることだけをとっても、バッハの時代とは違う《マタイ》が上演されたことがわかる
断絶が起こったのは1789年のフランス革命で、それまでの限られた人々の音楽がみんなのものになった。その際、音が小さくて多人数には聴かせられないというただそれだけの理由でクラヴィコードはお蔵行きとなった

5.    聴くってなに?
「聴くための音楽」の歴史は意外に浅い
音楽は、種々目的を持った添え物、自ら奏することを楽しむために聴くもの
オペラだけは、歌(音楽)が主役
時代とともに変化する音楽を聴いていると思い込んでいるが、そうではなく、変化するのは音楽ではなく「聴き方」で、時代の「聴き方」が新たな音楽を作り出す
19世紀以降の人々が音楽を集中して聴こうとした態度によって、忘れ去られたバッハやモーツァルトが蘇った
現在録音の製作現場では、元の音楽が持っていた強弱を一定の音量幅に封じ込めてしまう技術が盛んに使われる。それによってノイズの多い屋外や車の中でも音楽が今まで以上に楽しめるが、本来の音とは違う ⇒ 「聴き取る」音楽から「聴かされる」音楽に変化

6.    演奏ってなに?
楽譜至上主義者のシューマンですら、「楽譜はやっぱり実際の音にしてみないとよくわからない」と言っている
同じ楽譜から、無数の演奏が生まれるので、絶対的な解はない
コンピューターを通して音符という記号は完璧な音に変換されるが、そうして得られた音楽に生命が宿ることはなかろう
究極の演奏は、作曲家が望む演奏ということになるが、作曲家がこの世にいない以上どんな演奏も、作曲家が求めたものかどうかわからない
古代ギリシャの人々も音楽の背後にある不思議な世界を察知していた。そこに住む女神が人間の世界に音楽をもたらすと考えた、その女神の名はムーサ。Musicの語源。音楽に接することは、作曲にせよ演奏にせよ聴くにせよ、ムーサの技に我々の心が共鳴することであり、音楽を奏する者たちはムーサの司る音楽の真理を世に伝える者たちだ

7.    呼吸ってなに?
循環呼吸 ⇒ 管楽器の奏法の一つ。呼吸の間も絶え間なく口から空気を吐き出すことによって息継ぎの無音時間をなくす演奏技法。最高記録は4547
音楽には2種類の呼吸がある ⇒ 音楽自身の呼吸と、奏者の肉体的呼吸
譜面から音楽の自然な息遣いを読み取って、奏者自身の呼吸を同化させるところにこそ演奏の醍醐味

8.    指揮者ってなに?
1984.10.大阪のザ・シンフォニーホールでのカラヤンの振り間違い事件 ⇒ オーケストラはリヒャルト・シュトラウスの交響詩《ドン・ファン》を演奏しているが、指揮棒は違う。2度止めて3度目で漸く気が付いた
指揮の歴史は、複数の奏者たちが音楽の拍を一致させる必要から始まる。「タクト」とはそもそもが拍を表す言葉。昔は物を叩いて拍を示した。床を打つはずだった杖で自分の足を突いてしまい、その傷がもとで亡くなったのがリュリ
現在のスタイルの指揮を、19世紀半ばに確信を持って始めたのはメンデルスゾーンで、オーケストラはゲヴァントハウス。シューマンはそれを見て、「真のアンサンブルが崩れる」と批判したが、結果的にはより精緻なアンサンブルを可能とした
専門の職業指揮者の第1号は、初代ベルリン・フィルの指揮者ハンス・フォン・ビューロー、リストの娘婿でワーグナーの弟子。チャイコフスキーを見出し、ブラームスの交響曲を理想的な形で演奏。ベートーヴェンの偉大さを世に知らしめたのも彼の功績。聴衆に対しても音楽を「芸術作品」として鑑賞することを要求、作品を解説して聴き手を啓蒙

9.    ピアノってなに?
元々ピアノは、音楽の流れの中で和音を補充するだけの補助的なもの(通奏低音)でしかなかった
1号は、1709年のイタリア人クリストフォリによる「弱音と強音を持つ大きなチェンバロ」で、初めて弦を打つ鍵盤楽器 ⇒ それまでは笛を鳴らすパイプオルガンか、弦を弾くチェンバロか、弦を押すクラヴィコードしかなかった
民族楽器のツィンバロムも、2本の撥で弦を叩いて音を出す同じ原理が使われている
金属フレームとスチール弦の開発によって強い張力に耐える構造が可能となって、大きな響きがもたらされた ⇒ 弦1本当たりの張力は90㎏、フレームは20tに耐えられる

10. 旋律(メロディー)ってなに?
メロディー ⇒ 「メロス(音の上下動のこと)+「オード()
メロディーは音楽の主導権を握りながら、リズムとハーモニーがないと成り立たない
時代ごとに、社会の旋律に求める役割が違う ⇒ 旋律は時代と社会を映す鏡

11. 調性感ってなに?
絶対音感 ⇒ 440Hzの音をa1(ピアノの真ん中の音「ラ」)と言い当てられる能力
音を聴いただけで調性が分かる
それぞれの調には性格がある ⇒ バッハも、それぞれの調性にふさわしい音楽の書き方があるとして作曲した集大成が12音すべてを主音として書いた《平均律(快く調律された)クラヴィーア曲集》
それぞれの楽器にも得意な調がある

12. 弟子ってなに?
学問や芸術の真理を手に入れることは、デパートで買い物をするのとは違う
「門をたたく」ことは、門の向こう側に入る許しを請うこと。閉ざされた門の向こう側に何があるのか、見えない世界に人は畏れを知る。その畏れに人はへりくだることが出来る。門を叩いて師に教えを乞うことからしか見えてこない世界がある、そのことを謙虚に受け止めたい
弟子が受け継ぐべきは、単に師の知識や技ではなく、その背後にある考え方であり、先人たちの思考の足跡
奏法や演奏習慣は、様々な時代の様々な人々の音楽に対する洞察と実践のなかから積み上げられた文化である
無名の音楽家だったバッハが「音楽の父」とまで崇拝の対象になるにいたった背景は、彼が多くの弟子を育てたこと ⇒ バッハを復活させたメンデルスゾーンの大叔母はバッハの次男エマヌエルの弟子。ベートーヴェンを教えたネーフェはバッハの曾孫弟子。ベートーヴェンの系譜を辿れば、ツェルニー→シェティツキ→シュナーベル→フライシャーと続く

13. 留学ってなに?
モーツァルト 「僕は断言しますが、旅をしない人は全く哀れな人間です」
地域性を超え普遍化したところに今日のクラシック音楽の世界への広がりがある ⇒ 本場に固執しなくとも学ぶことは可能だが、旅をすることによって自己のアイデンティティを確認する(自分を見つめ直す)ことが可能

14. 練習曲(エチュード)ってなに?
18世紀的教則本と、19世紀的エチュードの違い ⇒ 前者が感覚的訓練に重点を置くのに対し、後者は肉体的訓練を目的とする
訓練のためのエチュードのほかに、芸術作品としてのエチュードがある
エチュードの語源は、「熱意と情熱」

15. テクニックってなに?
技芸+技術=芸術
芸術のartと、技術のtechne(テクネー)の語源は同じ、どちらも人間による技を意味
表面からは見えない本質的な力を暴き、奥にあるものを引き出してくることがtechneの本来的な字義

16. 練習ってなに?
音楽を奏でるということは、奏でる「人」が主体ではなく、奏でられる「音楽」が主体
音楽を練習するとは、音楽に愛を告げるようなもの。音楽から愛されるために「音楽への呼びかけ」をすることが練習
ギルバート・キャプランは、マーラーの交響曲第2番《復活》を溺愛。いつか振って見たいという夢を抱き、必死で研究し指揮法も学ぶ。『インスティテューショナル・インヴェスター』の創刊で実業家として成功した後、エイヴリー・フィッシャー・ホールに自費でオーケストラを雇い演奏会を開いて大成功。さらにマーラーの自筆譜を入手してミスなどを修正して改訂版を出版、あまりに緻密な作業に感嘆したウィーン・フィルから招聘、CDもリリース。各地のプロオーケストラからも声がかかり、《復活》だけの指揮者として世界の第1人者となる ⇒ 音楽を愛し抜いた結果、音楽からの大きな愛を勝ち得た

17. 音大ってなに?
1番でなければ意味がないのは、オーケストラのソリストになれないから
単なる記号の集合体である楽譜から、生きた音楽を再創造する技術を研究する学問
音楽実技は、「知」を追求する大学で行う学問ではない

  



2012.2.5. 日経書評
芸術大学で教鞭を執るフルート奏者がつづったエッセー。オーケストラ、呼吸、旋律、調整感といった17のキーワードで音楽の奥深い世界を紹介する。アラブの音楽は西洋音楽よりも音階の区切りが細かく精緻な構造を持っている事や、ハ長調などの調性の違いが楽曲に固有の色彩感を与える理由、エチュード(練習曲)の音楽性など、多彩な話題を楽しく解説する。演奏経験に基づく具体的な記述は分かり易い。音楽を深く楽しむための手引書だ。




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