綿(めん)の帝国  Sven Becker  2023.12.20.

 2023.12.20.  綿(めん)の帝国 グローバル資本主義はいかに生まれたか

Empire of Cotton: A Global History   2014

 

著者 Sven Becker ハーヴァード大学教授(アメリカ史)。資本主義の経済史、社会史、政治史について幅広く執筆するとともに「ハーヴァード大学資本主義研究プログラム」の共同議長ほかをつとめる。本作でバンクロフト賞、フィリップ・タフト賞、カンディル賞などを受賞、2015年ピューリッツァー賞最終候補作に選ばれた

鬼澤忍 翻訳家。1963年生まれ。成城大学経済学部経営学科卒。埼玉大学大学院文化科学研究科修士課程修了

佐藤絵里 翻訳家。東京外国語大学外国語学部フランス語学科卒業

 

発行日           2022.12.28 第1刷発行

発行所           紀伊国屋書店

 

 

はじめに

1860年、世界で最も工業化された都市マンチェスターの商工会議所の年次総会で最も幅を利かせていたのは、綿の商人とその製造業者。それまで80年にわたって周辺の田園地帯を、農業と商業と工業生産のグローバル・ネットワークの拠点に変貌させていた。商人が原料の綿花を世界中から買い集め、全世界の綿紡錘の2/3を擁するイギリスの工場群に持ち込み、夥しい数の労働者がその綿花から糸を紡ぎ、布を織る。完成した製品を卸売人が世界各地の市場に送り出す。史上初めてグローバルに統合された綿の製造複合体はまだ誕生したばかりだったが、100年後にはマンチェスターやミュールーズ()、バルメン()、ローウェル(マサチューセッツ)など、ヨーロッパが支配する地域では綿の帝国は崩壊

本書は、ヨーロッパ人が支配した「綿の帝国」の興亡の物語と同時に、グローバルな資本主義の構築と再構築の物語でもあり、現代世界の物語でもある

10001900年の間、綿業は世界で最も重要な製造業であり、未だに雇用と国際貿易の面で重要性を失っていない。2013年現在、世界の綿花の生産量は、世界中の人々に1人当たり20着のTシャツを作れる量に匹敵、綿のない世界は想像だに出来ないが、19世紀に至るまで、ヨーロッパでは綿は取るに足りない存在だった

18世紀後半の数十年を「大分岐」と称する。現在の世界を形作る巨大な分岐――工業国とそうでない国、植民地支配をした国とされた国、北の先進国と南の発展途上国といった分岐の始まりとされるが、本書では、グローバルかつ歴史的なアプローチによってこの起源の謎の解明に取り組む。そのためにはまず、「大分岐」が始まった時期に存在した産業を考察

綿業及びその非人間的な発展の経緯に焦点を当てると、違った歴史が見えてくる

本書は、グローバルな視座から迫り、いかにしてヨーロッパ人が資本の力と国家の力を統合し、暴力的な手段でグローバルな生産複合体を作り上げ、次いで、綿にまつわる資本、技術、ネットワーク、制度を駆使して、現代世界を定義するテクノロジーと富の著しい拡大に乗り出したのかを解明する。つまり本書は、資本主知の過去を検証することによって、今なお進行中の資本主義の歴史を提示しようとするもの。グローバルな枠組みの中で資本主義を捉える。資本、人間、商品、原料の地球規模での動きと、世界の遠く離れた様々な地域の間で築かれた諸々の関係が、資本主義の大変革のまさに中核にあるものであり、それはまた本書の中核にあるものでもある

これ程徹底的で急激な世界の改造は、生産、交易、消費をまとめ上げる新たな方法の出現によって初めて可能となった。その中心には奴隷制、先住民の土地の収奪、帝国主義的拡大、武装を伴う貿易、企業家による人間と土地に対する支配権の主張があった。こうしたシステムを戦争資本主義と呼ぶ。グローバル化した大量生産型の資本主義は1780年頃に産業革命とともに出現したと考えているが、16世紀に発展し始めた戦争資本主義は、機械や工場が現れるずっと以前から存在しており、畑で発展を遂げた。機械化されたものではなく、土地集約的・労働集約的なものであり、アフリカと南北アメリカ大陸における土地と労働力の暴力的な収奪を土台としていた。そこから莫大な富と新たな智識がもたらされ、それがヨーロッパの制度と国家を強化した。これらはいずれも19世紀以降のヨーロッパの並外れた経済発展にとって不可欠の前提条件だった

初期の資本主義はたいてい暴力と身体的強制を土台としていた。加えて確固たる所有権に劣らず大規模な収奪を特徴とし、個々の民間人の恣意的な行動に基づいていた。こうした極めて攻撃的で外向きの資本主義が次第に発達した結果、ヨーロッパ人は何世紀もの歴史を有する綿の世界を支配するようになり、それらを統合してマンチェスターを中心とする単一の「帝国」を作り出し、今日我々が当然視しているグローバル経済を発明した

戦争資本主義は、産業資本主義が発展する基盤となる。産業資本主義の特徴は、高度な能力を備えた強力な国家だが、当初は奴隷制や収奪された土地と密接に関連。産業資本主義の制度がすべて強固になってくると、新しい統合方式が可能となり、それが資本主義の革新を世界の隅々にまでさらに押し広げた・綿が世界貿易を支配し、綿花の栽培は19世紀の大半を通じてアメリカ経済を支配、製造業の新たな形が生まれたのも綿花の分野で、工場そのものが綿業の発明だったし、世界のあらゆる地域で工業化の揺りかごとなるとともに、ヨーロッパによる世界の綿業の支配が、結果的に世界での脱工業化を引き起こし、新たな形でグローバル経済が統合されることになる

資本家が国家に依存し、国家がその国民に依存するという状態が、労働者たちに力を与え、長い間かけて労働条件が改善されると、生産コストが上昇し、世界の他の地域のよりコストの低い生産者が参入する道が開かれ、綿業は発祥の地たるグローバル・サウスへと回帰

綿には、他の交易商品と違って、2つの労働集約的なステージがあり、1つは畑、もう1つが工場。それによって地球全体を巻き込み、甚だしい不平等やグローバリゼーションの長い歴史や変転極まりない資本主義の政治経済学を理解するための鍵を提供してくれる

主たる関心は多様性の統合にあり、19世紀のグローバル商品だった綿が、奴隷制と自由民の労働、国家と市場、植民地政策と自由貿易など、一見対極にあると思われるものを統合し、錬金術ともいうべき手法でそれらを富と化した。「綿の帝国」を支えていたのは、土地、労働力、輸送、販売のグローバル・ネットワークだった

職業としての歴史学は国民国家と手を携えて出現し、国民国家の建設に重要な役割を果たしたが、国家的な観点を取ることで、歴史家たちはしばしば国境を越える結びつきを過小評価し、特定の国家の領土内における出来事から導き得る説明で良しとしてきた。本書はこうした「国家的」視野と、政治的境界を越えるネットワーク、アイデンティティ、プロセスへのより広範な注視との均衡を図る努力に貢献しようとするもの

綿という1つの具体的な商品に注目することによって、特定の国境線に拘泥されない様々な人と場所の結びつきが分かってくる。その知見から世界の歴史について問いうる最も大きな問題のいくつかを探求し、極めて重要な資本主義の歴史を再解釈する

綿に着目することによって、人類5000年の歴史の起源を解明しようとする

 

第1章        グローバルな商品の誕生

ワタの栽培は、過去数千年もの間、世界中の亜熱帯にある様々な地域がそれぞれ別個に継続的に行って来た。植物を布に変える方法は、世界各地で独自の発明された

およそ5000年前のインド亜大陸で、綿の繊維から糸を紡ぐことを発見

世界で初めて綿を紡いで織ったのは、インダス川流域の農民

10世紀半ば、綿が初めて本格的にヨーロッパに浸透したのは、イスラム教が広まった結果

12世紀の北イタリアや15世紀の南ドイツでの綿製品製造業者の繁栄にも拘わらず、やがて破綻した原因の一端は、綿花の供給者を手懐けていなかったこと

 

第2章        戦争資本主義の構築

ヨーロッパ人が綿の世界で重要な存在になったのは、新たな発明や優れた技術のお陰ではなく、グローバルな綿業ネットワークを再編し、支配することができたため

1492年のコロンブスによるアメリカ大陸到達は、グローバル・ネットワークの再編における最初の画期的な出来事であり、世界最大の土地収奪の引き金となった

その6年後には、ヴァスコ・ダ・ガマが喜望峰を回るインド航路を開拓、インドの織り手の製品を直接入手できるようになる。ヨーロッパ諸国が競ってインド交易に参入し、アメリカとアフリカを加えた三角貿易にして暴力的に支配

南北アメリカに進出したヨーロッパ人は、十分な量の金銀を発見できず、新たなる富の手段として、砂糖、コメ、タバコ、インディゴ(染料)などをプランテーションで栽培して本国に送るが、そのための安価な労働力をアフリカに求める。アフリカの為政者はその代償に綿布を要求したため、インドの優れた綿織物を起点に3大陸にまたがる交易の輪が完成

ヨーロッパ人は大規模なプランテーション農業に乗り出し、世界を新たにつくり直した。帝国主義的拡大、土地の収奪、奴隷制が、新たなグローバル経済秩序の構築に中心的な役割を果たし、ついには資本主義の出現に道を開く

ヨーロッパ人の民間資本家は、国家の勅許を背景に暴力を中核能力の一つとして活動を活発化させ、確固たる財産権ではなく、労働力や土地の収奪を特徴とした

彼らのシステムの心臓部が奴隷制であり、戦争資本主義と呼べるもの。それを支えたのは、裕福で力のあるヨーロッパ人が世界を「内部」と「外部」に分ける才能で、「内部」の世界は国家が強制する秩序によって支配されていたが、「外部」の世界は、帝国主義的支配、広大な領地の収奪、先住民の大量殺戮、人間の奴隷化などを特徴としていた。戦争資本主義の「内部」に全く異なる社会と国家が出現する土台をもたらした。特に経済空間では、多極的な世界が徐々に単極的になり、ネットワークを通じて広がる勢力が、ヨーロッパの資本家と国家が支配する1つの中心点に向かって次第に集束していき、その中心にあったのが綿

最も重要な地理的変化は、綿製品製造業がイングランドに到来したこと。最初は1600年頃で、宗教的迫害を逃れたフランドル地方出身の難民がイングランド各地で綿布を織り始めた。綿の家内工業を組織化した商人が裕福な実業家に変身

ヨーロッパ人は、インドの綿織物業者を土地収奪や金融の力を使って圧迫し、綿貿易を支配しようとしたが、本国からは国内の業者の反発を受けて持ち込みを禁じられ、代わって技術を輸入して成長した国内綿産業が製品を輸出するようになる

新世界において、ヨーロッパ人は奴隷労働を土台とする農産物の生産体制を築き、ヨーロッパの土壌では綿花が育たないにもかかわらず、多くのヨーロッパ人が綿花栽培の担い手となるとともに、グローバル化した綿製品の広範にわたる需要を掌握

 

第3章        戦争資本主義の報酬

革命はマンチェスターで始まる。1784年サミュエル・グレッグ(17581834)は水力紡績機を数台据え付け、村々の下請け労働者を集め、カリブ産の綿花を運び込んで、人類史上初めて、生命を持たないエネルギー源で動く機械によって糸を紡いだ。製品はすべて奴隷貿易の対価として提供され、さらには大陸ヨーロッパの消費者の需要を満たした

グレッグこそ、戦争資本主義を体現、土地の収奪や奴隷労働の強制に関わり、帝国主義国家の力を頼りに新しいテクノロジーや市場を獲得していた。それは史上初めて製造業者という新たな役割の出現であり、機械を基盤とする生産の巨大なシステムへ労働者を組み込むために資本を使う個人を意味した。資本家と国家の新たな結びつきを生み、産業革命の発明にして革新をもたらす産業資本主義を活気づけた

やがて綿紡績の機械化によって、綿紡績工場が誕生。綿産業が飛躍的な発展を遂げる契機となり、18世紀後半~19世紀にはイギリス経済の中心となる

19世紀に入ると、イギリス綿業は輸出で真の急成長を遂げ、インド製品に取って代わる

商人や製造業者が世界の市場に参入する力を持つためには、特異で斬新な形の国家が重要な役割を果たすことになり、こうした国家はやがて産業資本主義にとって欠かせない要素となり、世界中に広まる。綿製品の輸出はイギリスの貿易ネットワークの力と、それを取り巻く諸制度――海軍や船荷証券まで――を土台に拡大。世界に変革をもたらしたのは、新しい機械装置ではなく、それらを取り入れた経済的・社会的・政治的な諸制度だった

新たに力をつけた製造業者と大幅に能力を増した国家によって構築された産業資本主義は、労働者・資本・市場を動員するために、戦争資本主義とは異なるアプローチを取る

綿を動力源とする産業革命は、不潔でやかましく、排水路から汚れた水を垂れ流す世界を現出しながら、世界を豊かにしていった。綿業は著しい進化を遂げ、帝国主義的拡大による多くの利得の1つとして始まり、綿製品は産業革命を推進する商品となる。他の産業でも発明やイノベーションが起こったが、グローバルな視野で、強制労働と結びつき、世界中で市場を獲得しようという国家の帝国主義的志向を格段に高めていたのは綿業だけ

 

第4章        労働力の獲得、土地の征服

1857年当時、イギリスに輸入された綿花の68%はアメリカからで、その大半が奴隷労働によって栽培されていたし、ヨーロッパを中心とする新興の綿業複合体も同様

新たに生まれたグローバルで、ダイナミックで、暴力的な形の資本主義の顕著な特徴は、土地と労働力の強制的な収奪であり、奴隷制に支えられた

18世紀末、機械に関するイノベーションが驚くべき速さで進んでいたにもかかわらず、綿花の大量供給手段は未だに発見されておらず、小規模な供給者の広域ネットワークから調達していた。紡績機の生産速度の急上昇に伴い、綿製品の需要も急激に拡大し、価格が高騰したため、気候と土壌が適したあらゆる地域で綿作が異常なまでに増加。そこに勃興したのがフランス領の多かったカリブ諸島のヨーロッパ商人の小規模農園主たちで、新たな「作物フロンティア」を開拓し、綿花の大きな供給源となる。暴力的に収奪した土地に、奴隷制によって大量の労働者をあっという間に動員し、綿花革命の先兵となるが、それを補強したのが本国政府からの支援で、新品種の開発や綿花栽培促進などの施策を展開

生産システムは、カリブから南米、ブラジルへと拡大。最初の奴隷の反乱は1791年のハイチ革命で、国際市場向け産品はほぼ生産を停止

 

第5章        奴隷制の支配

1794年、イギリスで綿製品製造業が急速に拡大すると、たちまち綿花の供給が追い付かなくなり、綿花栽培地として独立直後の合衆国が注目される。合衆国では、独立戦争の動乱期に、通常の作物だったタバコとコメの市場が突然失われ、余剰となった奴隷を働かせるために綿花の栽培を増やしていた

綿花景気が北米農村部の広大な土地を暴力的に変容させ、アメリカを「綿の帝国」において重要な地位へと押し上げ、19世紀前半のアメリカの輸出全体の半分以上が綿花

19世紀前半、アメリカで奴隷制の土台が揺るぎ始めると、イギリスはインドでの綿作農業の改善に着手、さらにエジプトへと広がる

 

第6章        産業資本主義の飛躍

1780年代にイギリスで水力紡績機が普及して以降、機械化された綿製品製造業は猛烈な速さで世界中に広がるとともに、世界の広範な地域を植民地化することに成功

注目すべきは尋常ならざる成長率で、機械化された紡績が桁外れの生産性向上をもたらす

そこに目をつけた裕福な商人が親族のネットワークを活用して積極的に投資することにより、綿業の本格的な工業化が始まる

戦争資本主義と工業化は相容れない存在であり、その後の産業資本主義では資本と国力の結合が必要であり、市場の創出と新たな方法による資本と労働力の動員に依存。そのため、その後数十年間に綿業の工業化が劇的に進んだものの、その速度が地域によって大きく異なったのは、グローバルな統合の内部で資本主義の形が一様ではなかったからで、国家権力の後押しを受けた労働・土地・市場・資本の新たな統合形式が出現し、植民地化が進む

産業資本主義の最大の制度的イノベーションは、賃金労働という新システムの創出で、大量の労働者を動員する新たな方法となり、労働に新たな法的・社会的・制度的基盤を与え、それを実現する能力が、世界の一定の地域をほかの地域と分けた要因だった

 

第7章        工業労働者の動員

人間労働の新たな組織化は重要で革命的。綿の帝国の中で無数の歯車の1つとして糸や布を作るという新たな世界は、それまでの労働の質を根本的に変えるものであり、綿製品製造業者の成否は、新たに現れた工場プロレタリアートを如何に強制できるかにかかっていた。機械そのものが驚異的で世界を変えた以上に、こうした労働のリズムの変化が重大

さらに、新たに権力を固めた国家が官僚制、軍隊、イデオロギー、社会制度などを領土内に浸透させ、賃金労働の法的仕組みを作り上げ、工場労働力の強制的集中の手助けをした

多勢の人々を工場労働に引っ張り込むために製造業者が取った方法が、家庭内の力関係で弱者たる女子供の活用。やがて劣悪な労働条件が社会問題化

労働者が機械による生産に対して反乱を起こし、労働条件の改善を要求するようになると、国家は労働者階級の団体行動の鎮圧に極めて大きな役割を果たし、産業資本も国家への依存を強め、産業資本主義の運命を決めるのは国家の能力であることがはっきりした

 

第8章        グローバルな綿業へ

19世紀、未来の綿貴族にとって世界の中心はリヴァプールだった。産業資本主義と戦争資本主義が出会った場所であり、貿易商たちが前者の理論を後者に当てはめ、その過程で双方を変えていった場所。彼らの強みは、対立するように見える要素――賃金労働と奴隷制、工業化と産業空洞化、自由貿易と帝国、暴力と契約――を組み合わせる能力にあった

彼らは、綿花の栽培、加工、販売の世界的ネットワークを取り仕切ると同時に、綿製品製造のサイクルを完全制覇し、支配した。ラスボーン家は直接綿花貿易に参入、ベアリング家は綿花事業に投資することにより巨万の富を手に入れる。これらに続いたのがブレーメンやルアーブル、さらにはアメリカのブラウン・ブラザーズなど

商人たちが作り上げた世界初の近代的製造産業の最大の特徴は、グローバルだったことで、世界各地の有力者と手を組んだ緊密なネットワークと信用システムを構築、情報を独占して、さらに競争力を高めた

 

第9章        戦争が世界中に波紋を広げる

アメリカの南北戦争が「綿の帝国」に危機をもたらす。アメリカの奴隷制は、綿業が盛んな南部独特の政治経済理論と、自由民の労働と国内工業化を柱とする北部の新しい政治経済理論の対立により、自らがもたらした繁栄そのものを脅かし始めていた

南北戦争は、グローバル資本主義が世界規模で奴隷労働に依存していることを巡る戦いであり、産業秩序全体にとって、厳しい試練となり、「綿の帝国」は荒廃

綿花の在庫が枯渇すると、大陸の生産は麻痺、工場閉鎖が続き、困窮は深刻化

商人と、製造業者と、帝国政府の間の結束をさらに固めるような動きが、世紀末までの「綿の帝国」の顕著な特徴。植民地の原料生産を後押しするための政府の介入が求められた

1865年、独立戦争終結により、ヨーロッパが支配した綿業の85年の歴史における最大の波乱は幕を閉じ、「自由民の労働」という労働動員の新たな仕組みが世界中で試される

世界は小さくなり、綿花が各地を結ぶ方法も大きく変わった。南北戦争は「綿の帝国」にとって一時的な危機ではあったにしても、同時に再建の予行演習でもあった。綿業資本家たちは本国で工業生産の再編に成功し、自信を持った。彼らは灰燼に帰した南部を見て、新しい土地と新しい労使関係、そして両者の新たなつながりによって綿花栽培に膨大な量の自由民の労働を取り込む新しい有望な方法を思いついた。だが、最も重要だったのは、綿業資本家が、自ら築き上げたうまみのあるグローバル貿易ネットワークを守り維持するには、国家のかつてない積極的な姿勢に頼るしかないと学んだこと。一方、政治家は、それらのネットワークが自国の社会秩序に不可欠であり、従って政治的正統性、資源、権力を守るのに欠かせない手段ともなることを理解した。「綿の帝国」は安泰だった

 

第10章     グローバルな再建

南北戦後のアメリカ南部の綿花生産能力の回復は一に掛かって労働力にあった

「綿の帝国」のグローバルな再建が必要とされ、土地と労働と資本と国家の力を全く新しい形で組み合わせる方法が模索された。1860年以降、30年毎に綿花消費量は倍増したが、それを補ったのは世界各地に拡散した紡績業であり、グローバル化を進める起業家と帝国の政治家の富と強制力が、世界中の人びとの労働も土地も商品化することにより、生産体制を変革しつつあった

解放奴隷が自立して分益小作農になって地主から生活物資を受け取り、自ら育てた作物の分け前を報酬として受け取るようになった時に起こったのが1873年の国際的経済危機で、綿花相場が下落すると、解放奴隷への弾圧が始まり、彼らの権利の剥奪へと走る

 

第11章     破壊

1865年以降の産業資本主義の急速な拡大は、世界の田園地帯のさらに多くの部分を変貌させる。「綿の帝国」の工場中心地の製造業者は、原料と労働力と市場を求めたため、ヨーロッパと北米の都市部から遠く離れた場所にも貪欲に進出。世界各地で農民は労働の新たなシステムに引き込まれて綿花を大量に生産し、彼らの労多くして報酬の少ない労働のお陰で、20世紀に入ってからも綿花・綿製品産業は圧倒的に最大規模の産業だった

「綿の王」達は、強力になった国家の威光を借り、創造的破壊という二重のプロセスを推進

 

第12章     新たな綿帝国主義

国家が新たな人民をグローバル綿業複合体に囲い込むためにインフラを整備し、新たな労働体制を創出し、地域の社会構造を再編。ヨーロッパの綿花消費国や日米は、綿花が栽培できる領土を支配し利用しようとして、「綿花ラッシュ」ともいうべき行動を起こす

「綿の帝国」の領土拡大は、特にアメリカ、中央アジア、エジプト、朝鮮で著しかった。アメリカやロシアに追われるように、ヨーロッパ諸国はアフリカに向かう

グローバル資本主義の新たな地理的再編は、ヨーロッパと北米の国家と資本家によって成し遂げられたが、それは同時に2本柱として「綿の帝国」を支えてきたヨーロッパと北米の100年を超える支配に終焉をもたらす。綿花栽培の著しい拡大によって、世界中に次々と建てられた工場に原料が供給され、次第にグローバル・サウスの町や村に広がる

 

第13章     グローバル・サウスの復活

20世紀に入り世界中に綿製品製造業が拡散したことで、北大西洋の国々が率いる「綿の帝国」の時代は終焉を迎える。1860年世界の機械式紡錘の61%を占めたイギリスでは、1930年には34%に激減、生産量はわずかに11

この1世紀の間で決定的役割を演じたのが、ヨーロッパ及び北米の労働者と、グローバル・サウスの野心的な綿業資本家。前者は同地域での生産に掛かる労働コストを増大させ、グローバル綿業の地理的配置の転換に資することになった

労働者が闘争に走った原因の1つは、労働・生活環境。工場は1世紀たっても騒音と汚染に満ちた危険な場所で、際限のない搾取労働が行われていた

綿製品製造業のグローバル・サウスへの移行は、アメリカの国内で始まる。アメリカ南部の綿製品製造業は、1920年代には北部諸州の綿業を抜き、65年には241まで圧倒するが、その原動力は豊富で安価な労働力。奴隷制廃止とそれに伴う田園地帯の変革によって、綿工場の低賃金労働者予備軍が大量に生まれ、先進国では稀有の例となった

ヨーロッパと北米というかつての綿業中心地の綿業資本家たちは、労働運動と民主主義国家という二重の圧力に喘ぎ屈したが、グローバル・サウスの資本所有者たちは、産業資本主義が秘める利益の可能性に目覚め、国内の低賃金労働という身近なチャンスに気付く

ヨーロッパの帝国主義にいかに抵抗するか、製造能力を上げて利益を得る新たな方法をいかに活用するかをめぐる議論が、世界中に広まる

ソ連、中国、独立したインドとエジプトが、国家と資本、工業化と政治的安定の徹底的な融合をそれぞれの形で代表してはいたものの、1950年代までは、資本はより一般的には国民国家に握られていた。産業資本家たちが特定の国家への昔ながらの依存を漸く断ち切り始めるのは、1970年代に入ってから。産業資本主義の事業を遂行するために強いおっかに長年頼ってきた資本家たちは、自らの最大の弱点である資本の領土帰属化を克服し始め、この時点で、「綿の帝国」は今日の姿になった

 

エピローグ――織り地と織り糸

ヨーロッパが「綿の帝国」に君臨した時代は尻すぼまりに終わる。1963年リヴァプール綿花協会が調度品の競売を終えて閉鎖され、122年にわたる業界支配から退出

今日、アジアの工場は世界の82.3%の綿花を織り上げ、綿花栽培の中心も製造業中心地の変遷とともに変わり、中国とインド、アフリカへと移っている

栽培者、製造業者、商人、政治家の力関係は、1970年代以降再び変化し、綿を様々なルートでやり取りする複雑なネットワークが構成され、巨大小売企業がサプライチェーンを支配し、製造業者、請負業者、労働者は最大のスピードと最小のコストを目指して鎬を削る

現代の商人である企業が注力するのは、糸、布の取引ではなく、衣料の分野。最も安い供給業者を探して調達、販路開拓に注力し、そのためにブランドイメージを構築。その代表例がGAP、アディダスであり、新たな小売形態を開発したのがウォルマートやカルフールで、特定の国家への依存から解放された。国家はそもそも資本家が富と力を得るのを助ける機構に他ならなかったが、今では資本家の投資の誘致に躍起になっている

地理的分布から労働システムに至るまで、「綿の帝国」の絶え間ない再編からは、資本主義の本質的要素が見えてくる。それは、適応し続ける能力であり、資本主義は永続的革命状態を求め、それを生み出し続ける

「綿の帝国」を繙いて分かったのは、文明と蛮行が分かち難く結びついていることであり、それは世界で最初のグローバル産業の変遷にも言えるし、それを手本にしたほかの多くの産業にも言える。暴力と強制は、それらが可能にする資本主義と同様に適応力に富み、今日まで「綿の帝国」で主要な役割を果たし続けている。とはいえ、この支配と搾取の大きな物語の内部では、解放と創造の物語も同時進行している。グローバル資本主義の進展と、過去250年に及ぶ見事な適応の結果、生産性は急速な進歩を遂げた

 

 

 

 

 

 

紀伊国屋書店 ホームページ

出版社内容情報

綿の歴史は資本主義の歴史であり、常に暴力と強制を伴っていた――

18世紀以降、綿産業の中心となった欧米の資本家と国家は、グローバルな綿のネットワークを形成、栽培のための労働力として奴隷貿易が定着するも、奴隷制廃止後には奴隷に代わる労働力の争奪戦が続き、現代の大手アパレルはコスト削減のため、国境を越えて工場を移している。

膨大な資料をもとに5000年、5大陸にわたる綿とそれにかかわる人々の歴史をたどり、今日私たちが直面している国家間・社会間の経済的不平等を含む現代世界の成り立ちを追究するとともに、国際協調のあり方についても示唆を与える、バンクロフト賞受賞作。

 

「傑作! グローバル資本主義の容赦ない拡大について新たな洞察を与えてくれる驚異的な成果」――ニューヨーク・タイムズ

 

内容説明

奴隷制、植民地主義、強制労働社会的・経済的不平等や差別は資本主義の歴史の例外ではなく、その核心だった。膨大な資料をもとに5000年、5大陸にわたる綿とそれにかかわる人々の歩んだ道をたどり、現代世界の成り立ちを追究した、バンクロフト賞受賞作。

 

 

(著者に会いたい)『綿の帝国 グローバル資本主義はいかに生まれたか』 スヴェン・ベッカートさん

20231216 500分 朝日

スヴェン・ベッカートさん

 「強要と暴力」の側面に光 ハーバード大学教授、スヴェン・ベッカートさん

 米国の通商政策を担当していた数年前、トランプ前大統領が仕掛ける「貿易戦争」を報じながら、いつももどかしく感じていた。トランプ氏の登場は、グローバル資本主義の課題の一つの表出にすぎない。その表面を追うだけでいいのだろうか。

 悩んでいた時にこの本に出会い、一気に視界が開けた。「綿(コットン)」抜きに米国の歩みは理解できず、資本主義に駆り立てられる世界のいまも捉えられない。そう痛感させられた。劇的な世界観を織りなす歴史家の原点は、故郷の町にあったという。

 冷戦のさなか西独オッフェンバッハに生まれた。歴史に魅了された少年は、高校生になると、ドイツ近代の負の側面を「ナチスのせい」と片付ける授業に疑問を持つ。町のユダヤ人社会の調査に没頭した。高校卒業後、町出身のユダヤ人に会うため数カ月間、イスラエルに滞在した。

 「故郷の町のきわめてローカルな研究から始まり、グローバルな視点の研究へと進んできた。たどり着いたのが、綿がグローバル資本主義の発展に果たした役割だったのです」

 綿というモノは人を心地よい感触で包み、絶え間ない生産性の向上と技術革新を生み出す一方、人をモノとして扱う奴隷制や植民地支配、戦争、共同体の破壊ももたらした。その「強要と暴力」の側面に光を当てる。「資本主義への移行は自然なものではなく、むしろ不自然な事業だった」「人間にとって天地がひっくり返るようなことだった」とみる。

 市場経済の発展を、非連続の「芋虫の変態」に例えた経済学者ポランニーの議論を思い起こさせる。今後も強要と暴力をはらみ、社会を駆動し続ける資本主義。我々は飼いならせるのか。「解決のための科学技術は持っている。それが私の悲観主義を少し、和らげています」と語る。

 (鬼澤忍、佐藤絵里訳 紀伊国屋書店・4950円)

 (文・青山直篤 写真・植田真紗美)

    *

 『綿(めん)の帝国 グローバル資本主義はいかに生まれたか』

 

 

「自由貿易」国ごとに異なる意味合い 総論では賛成だが

青山直篤 デザイン・米澤章憲2020619日  朝日

1

断層探訪 米国の足元 第一部

 我々は身につける服を眺め、それを織りなす繊維がどこから来たのか考えることなどない。しかし、ワタが自生しなかった中世欧州の人々は「羊が生える木」から生まれるのだと夢想した。綿は世界中で取引され、技術革新が巨大な富と成長を生む一方、奴隷労働や共同体の崩壊などの副作用をもたらした。その歩みは、現代につながるモノと人間社会との相克を映す。

 18世紀末、綿の繊維とタネを分離する綿繰り機が発明されると、米南部の黒人奴隷労働や無尽蔵の土地と結びつき、綿花は文字どおり「カネのなる木」と化した。19世紀末の南北戦争は、自由貿易を求めた南部と関税による工業の保護を求めた米北部との対決だったが、南部の「自由貿易」は黒人や先住民への暴力的な収奪を前提としていた。

 大著「綿の帝国」を著したハーバード大教授のスベン・ベッカートによると、英国などグローバル市場に向け、綿花を効率よく大量生産する米南部なしに産業革命の劇的な進展はなかった。ベッカートは「資本主義は自然な変化ではなく、暴力と強要を伴う非常に困難な事業だった」と語る。

516日、新型コロナウイルスの感染拡大でロックダウン(都市封鎖)を敷いたインドで、綿花の出荷を待つ労働者ら=ロイター

 冷戦終結後、綿花や衣料生産の中心は賃金の安いアジアやアフリカへ移ったが、人権や労働、環境への配慮は先進国より劣悪だった。それを暗黙の前提に、安価な衣服を求める先進国の需要が満たされてきた。

冷戦終結後、世界はグローバル化をひた走り、企業はサプライチェーンの効率化を前提として経済成長を追求してきた。膨大な富が生まれる一方、格差の拡大や地域社会の弱体化は、民主主義を弱めた。新型コロナウイルスがもたらした危機は、時代の転機を告げている。ただ、一国に閉じこもる保護主義も答えにはならない。収縮する市場と、統制色を強める国家とが織りなす「コロナ後」の世界。動揺するサプライチェーンの「断層」で針路を探る人々を訪ね、全5回で報告する。

 

l  取り残された地域社会

 アメリカン・ジャイアントは本拠を西海岸のサンフランシスコに置きつつ、カロライナでのサプライチェーン構築にこだわってきた。ウィンスロップは、従来の米企業の姿勢について「血も涙もなく、安い労働と緩い規制を追求し続けてきた」と指摘する。「その結果生まれたのは、東西両岸に住む金融やITエリートが高給を得ながら、その他大勢が取り残された『分断社会』だった。このままでは、社会も経済も深刻に行き詰まるのは明らかだ」

 1995年に発足した世界貿易機関(WTO)は先進国と新興国との貿易や知的財産を巡るルールを調整し、労働条件などについての不公正も是正する役割を期待されていた。しかし、01年にWTOに加盟して急速な経済成長を遂げた中国など、新興国との利害調整を十分に果たせなかった。

 各国とも総論では「自由貿易」に賛成だ。ただ、かつて米南部の「自由貿易」が奴隷制を前提としていたように、その内実は各国で異なる。貿易を巡る争いは、政治体制や価値観の問題と深く結びつかざるを得ない。それが如実に現れたのが米中貿易摩擦だった。

 米世論は、自由貿易を通じて中国を世界市場に統合すれば、中国が自由で民主主義的な国になる、との一方的な期待を抱いてきた。しかし中国は「世界の工場」としてグローバル化の恩恵を享受しつつ、民主化はしないまま成長し、国内外で強権的姿勢を強めた。

 さらに、軍民一体で人工知能(AI)などの先端技術の育成を進め、通信機器大手、華為技術(ファーウェイ)などが急成長した。米国は、中国による知的財産侵害で技術覇権が奪われているとの懸念を深め、激しい米中対立に発展した。

 米中貿易摩擦で、中国の労働実態や人権についてもより厳しい視線が向けられている。米政権は522日、中国・新疆ウイグル自治区の繊維企業を輸出規制の制裁対象に指定した。中国当局が厳しい統制下に置くウイグル族の強制労働に関与した、との理由だ。ウイグルの綿花生産は中国全体の8割を占める。戦略国際問題研究所(CSIS)は昨秋の報告で「強制労働は西側のサプライチェーンや消費者ともつながっている」と警鐘を鳴らしていた。

 本来、資本の論理の行き過ぎに歯止めをかけるのが、国家と、その国家を治めるための民主主義だ。しかしソ連の崩壊後、自由な市場経済が至上の価値とされる一方、先進国では民主的な政治プロセスの機能不全が目立つようになった。

 米国では2大政党の党派性が極端に強まり、自由貿易やIT革命がもたらす富を、教育や社会保障などを通じて行き渡らせる議会政治が行き詰まっていた。リーマン後の社会不安も追い風となり、16年には保護主義を掲げるトランプ大統領が、白人労働者らから幅広い支持を得て当選した。

 

l  国家と社会の「ダンス」を

 20年に起きたコロナ危機は、戦前の大恐慌に匹敵する世界同時不況を引き起こし、過去数十年間のグローバル化は明確な転機を迎えた。移動制限などの「大封鎖」(国際通貨基金のギタ・ゴピナス氏)により、20年の世界貿易は前年比で3割超も落ち込む可能性がある。金融や医療機器など幅広い市場の機能が損なわれ、各国とも民間経済や貿易への介入を強めている。

 国家の急膨張や保護主義に対し、グローバル化を推進してきた米金融界や多国籍企業の反発する力は弱まっている。そもそも、金融バブルの崩壊の結果として起きた08年のリーマン・ショック後、貿易の成長は勢いが鈍っていた。貿易の取引を裏打ちするマネーの膨張が限界を迎えていたことや、中国が技術の向上を背景に国内生産に切り替え始めたことなどが背景だ。

 国連貿易開発会議(UNCTAD)は、コロナ危機の影響で、20年は国境をまたぐ対外直接投資が前年比で最大40%も減る可能性があると予測する。世界2大経済の米中デカップリング(切り離し)も一段と進みそうだ。米政権は515日、華為への輸出規制の強化を発表。同じ日に、世界最大の半導体受託メーカーで華為の重要な取引先でもあった台湾積体電路製造(TSMC)が、米政府の支援を受け、米アリゾナ州に半導体工場を建設するとの方針を発表した。技術覇権のカギを握る半導体分野で、米国内のサプライチェーンを強化する姿勢は明確だ。

 ただ、性急な統制強化や保護主義が問題解決につながるとは限らない。30年代、大恐慌は資本主義の失敗と受け止められ、列強は保護主義とブロック経済化を推進。既存の国際秩序を否定し、国家統制を強めるナチス・ドイツやソ連が台頭し、自由の抑圧と第2次世界大戦につながった。

 マサチューセッツ工科大学教授のダロン・アセモグルは、自由を守るためには個人や企業の暴走を防ぐ「強い国家」と、国家の行き過ぎを抑える「強い社会」とが均衡しながら成長することが必要と主張してきた。米国では伝統的に国家の役割が弱く、建国当初、連邦政府の権力を強めようとする「フェデラリスト」が、南部の農園主らに対して譲歩を重ねたことはその好例だったという。アセモグルは「あたかもダンスを踊るかのように、国家と社会がともに強くならなければならない」と話す。(青山直篤、デザイン・米澤章憲)

 

 

 

 

 

 

コメント

このブログの人気の投稿

近代数寄者の茶会記  谷晃  2021.5.1.

新 東京いい店やれる店  ホイチョイ・プロダクションズ  2013.5.26.

自由学園物語  羽仁進  2021.5.21.