毒の水 Robert Bilott 2023.12.9.
2023.12.9. 毒の水 PFAS汚染に立ち向かったある弁護士の20年
Poisoned
Water, Corporate Greed, and One Lawyer’s Twenty-Year Battle against DuPont 2019
著者 Robert
Bilott タフト・ステッティニアス&ホリスター法律事務所パートナー弁護士。1987年フロリダ州サラソタのニュー・カレッジ卒。1990年オハイオ州立大大学院モリッツ・カレッジ・オブ・ロー修了。PFAS曝露被害訴訟の第一人者として、何れも初となる個人訴訟、集団訴訟、大規模不法行為訴訟、及び広域係属訴訟を指揮。PFAS汚染被害者救済活動に関して「もう1つのノーベル賞」といわれる「ライト・ライブリフッド賞」を受賞したほか、法律および環境関連の受賞歴多数。市民団体「レス・キャンサー」と「グリーン・アンブレラ」理事を務める傍ら、世界各地のロースクール、大学、カレッジ、地方自治体その他団体にて講演や講義を続ける。ライト・ライブリフッド・カレッジ教員、イエール大公衆衛生大学院環境健康科学部講師、アルゼンチン・コルドバ国立大名誉教授
本書は、マーク・ラファロ主演の映画《ダーク・ウォーターズ》(2019)の原作となる
訳者 旦(だん)祐介 1956年生まれ。東大教養学部、米国アマースト大教養学部卒。東大大学院総合文化研究科国際関係論修士課程修了、博士課程満期退学。東海大教養部教授、同ヨーロッパセンター所長、同国際本部長。東洋学園大副学長・学長歴任。この間イギリス・ケンブリッジ大クレアホールとオーストラリア国立大客員教授。日本人間の安全保障学会会長も務めた。現在同学会特別顧問・同学会英字誌編集委員。専門はイギリス帝国史、人間の安全保障。民間軍事安全保障会社、地球温暖化の科学、サイバーセキュリティ、内分泌攪乱物質・添加物や有機農法に関心。趣味は音楽・室内楽演奏、モータリゼーションの文化と歴史
発行日 2023.4.5. 初版第1刷発行 2023.5.25. 初版第2刷発行
発行所 花伝社
日本語版への序文 Robert
Bilott
『エクスポージャー』が2019年米国で出版されて以来、このストーリーが提起したグローバルなインパクトを目の当たりにして身が引き締まる思い
1998年にウェストバージニア州の小農場の1人の農場主が、何十年もの間隠蔽されていた秘密を暴いたことは、世界に向けて明らかになり、漸く対策が世界規模でとられ始めた
米国環境保護庁は、この種の毒物の少なくとも2種類について、全米飲料水基準を設定することを表明し、さらに連邦浄化法の「有害物質」に指定する計画になっている。2022年同庁は飲料水ガイドラインを改定して、これらの化学物質は如何なる検知可能な濃度でも健康被害をもたらすとした。特に人間の免疫機能を阻害し、ワクチンの効力を減少させることさえあり得るとされている。各州が「永遠の化学物質」の使用禁止と規制に乗り出し、これら有害物質の大半を発明した3M社も、2025年までに製造の全面的中止を表明
本書に基づく映画《ダーク・ウォーターズ》は、2021年日本でも公開され、日本のメディアも、様々な形での人口の「永遠の有害物質」による汚染を報道し始めた
残念ながら、日本では何十年もの間、日本でどのようにして特定の組織がこの汚染問題を隠蔽してきたかをほとんど問題にしていない。アメリカと同じ会社が静岡市清水区で操業し1990年代初めから同一の有害物質で駿河湾を汚染してきたことを自覚し、社員の血液検査をしてきたが、ほとんど報道されていない
『エクスポージャー』の日本語版刊行により、アメリカの農場主の話が、前例のない規模のグローバルな汚染の話であることを日本の皆さんにも理解していただきたい
私たち一人一人が、将来のためにこの問題を解決する力と能力を持っていることを分かっていただきたい
著者まえがき
この本に出てくる事実と出来事は、過去何十年かの私の努力に基づいている。その努力は、デュポン社及びその他の企業の行動から生じた、過去から現在に続く一般市民に対する危険を警告するためのものである。これらの企業は、PFOAと関連するPFAS化学物質への曝露によって、個人と一般市民の利益を大きく害する可能性をもたらしている
登場人物はすべて実名で実在。本書の出版は、オハイオ連邦裁判所、終結した上訴裁判所の陪審員裁判の終了後に実現
第1幕
その農場主
第1章
ドライ・ラン川――1996年7月7日 ウェストバージニア州ワシントン
小川が時々乾燥して干上がるためにドライ・ランと呼ばれていた。昔は透き通っていたが、今では泡が石鹼の膜のように出来ている。アール・テナントの牧場で放牧された牛は牧草地を流れるドライ・ランの水を飲み、いくら飼料を食べさせても痩せこけるようになり、この2年で100頭の子牛と50頭の雌牛を失う。鹿や鳥などの野生生物もドライ・ラン近辺で次々に死んでいく。自然資源局と環境保護局に相談するが調査をすると言うだけ。猛禽類で死骸を好むバザードですら食べようとせず、川にいた魚は全滅
ドライ・ランの汚染の源は、産廃地の下っ端の集積地から流れ出る廃水。投棄ピットは防水加工されていない
死んだ牛を解剖すると、腫瘍、異常な臓器、不自然な異臭が発見され、何本かの歯は石炭のように黒く、黄色い液体が心臓に溜まり、胆嚢・腎臓が肥大
第2章
電話――1998年10月9日 オハイオ州シンシナティ
私のところに助けを求める電話がくる。私は企業法務の弁護士。祖母のいる町郊外の牧場で、産廃埋立地から漏れ出る化学物質で家畜が毒殺されているのは明らかだったが、埋立地の所有者がデュポンだと聞くと、弁護士はみな依頼を拒絶。祖母が牧場主に私の電話番号を教えた。私の顧客は、汚染する側の企業だったが、牧場主の情熱に絆されて話を聞く
私は、デュポンの環境担当弁護士と一緒に、汚染された土地と水域を浄化する政府主導のプロジェクトである様々な「スーパーファンド」埋立地に関して仕事をしていた
最初に被害の訴えを聞いた時は、行き過ぎた陰謀論のように聞こえたが、祖母の紹介を無碍に断ることはできず、証拠書類を見ることを約束
私は32歳で赤ん坊が1人、あと少しで老舗のタフト法律事務所のパートナーになると決まっていた。90年に事務所に入り、環境実務グループに所属、連邦政府のスーパーファンド法に基づき、汚染された有毒物廃棄施設を除染する企業クライアントの仕事に忙殺
テナント夫妻の持ち込んだ証拠書類を見て助けたくなったが、話を聞く中ではっきりしたのは、アール本人が病気だったこと。だが依頼人は事務所にとっては真逆の立場。一緒に話を聞いた環境法の先駆者でもある事務所のパートナーは、企業の非を確信し、時折小さな原告裁判をすることで、我々がより良い企業弁護士になれると言ってくれたが、問題は原告弁護はしばしば成功報酬が一般的なことで、裁判で負けるとコストを被らなければならない。化学物質と基準値の超過具合を特定すれば裁判の時間と労力はかからないと判断
第3章
パーカーズバーグ――1999年6月8日ウェストバージニア州パーカーズバーグ
関連機関に自由情報法に基づき資料請求したが、あまり進展がなかったため正式にデュポンを提訴するため、現地の弁護士の支援を受けて現場を視察。デュポンの埋立地では、危険な化学物質を豪雨時に漏出させない対策は講じられていなかった
第4章
農場――1999年6月8日 ウェストバージニア州パーカーズバーグ
テナント一族は、非有害廃棄物に限るとの条件付きでデュポンに埋立地用の土地を売却
ウェストバージニア州の連邦裁判所に訴状提出。所有物の損害に関する過失請求及び一族の健康被害に関する人身傷害も含める
デュポン側の弁護士は、一緒に仕事をしたことがあり、お互いに敬意があった
既に調査は、環境保護庁とデュポンとの共同作業として始められ、近々報告書が出ることになっていたので、徹底的な証拠開示はそれまで延期
何時までも報告書は出てこず、資料から廃棄物は分かったが、農場の被害の原因は出てこなかった。公判予定が2000年中頃に確定したが、出て来た家畜チームの報告書は、化学物質汚染の証拠はないと結論付けた。農場主の管理欠如、動物虐待とまで判断されたため、慌てて全面的証拠開示請求に取り掛かる
事務所の環境グループが全面的に理解してくれたのは幸い
開示請求に対し、デュポンが猛然と異議申立したのみならず、事務所に圧力をかけてきた
第5章
秘密の原材料――2000年8月2日 オハイオ州シンシナティ
デュポンから開示された資料の中に、ワシントン・ワークス工場の応用毒物学・健康部長から環境保護庁化学物質管理課汚染予防・毒物室宛の手紙があり、環境保護庁からのアンモニア・パーフルオロオクタノエイトAPFOの曝露可能性に関する質問に対する答えで、ワシントン・ワークス工場の従業員の血液検査データが記載。化学産業の工場労働者は「炭坑のカナリア」で、真っ先に健康被害が出るため、デュポンも曝露を懸念して調査していた
APFOは、化学物質辞典にも載っていない。似たような名前にPFOSがあり、環境保護庁の規制対象化学物質のリストにはなく規制基準もないのに、直近で発明者の3Mが製造中止を公表、同社の成功した主力商品スコッチガードを含む多様な製品の製造補助剤として使用されていたが、持続可能なイノベーションを加速させるためにリソースを再配置すると書いてある。PFOSの別な化合物がAPFOで、デュポンはAPFOを界面活性剤(滑りやすくする物質)として大量に使用しテフロンを製造していたが、規制物質の対象外。3Mの製造中止公表で環境保護庁が調査に乗り出したことが判明
1938年ニュージャージー州ジャクソン研究所で、デュポンの若い化学者が冷蔵庫の新しい冷媒(後のフロン)を合成する過程で偶然発見した工業用化学物質がテフロンで、マンハッタン計画のプルトニウム製造に使用され、戦後はナイロンに次ぐ有力な化学物質として開発され、その製品化に寄与したのが3Mの界面活性剤PFOA(PFOSの異形の化合物)
第6章
紙の手がかり――2001年1月 オハイオ州シンシナティ
PFOAの文献は産業界での研究だけで出版されないため、裁判所に追加資料提示請求を認めさせ、その中に、1989年工場の下流の町(リューベック)に水道を供給している地域をデュポンが買い取った際、住民に水道水の安全について説明した資料を発見。資料では、これも初耳のFC-143という物質の毒性について説明があり、界面活性剤として使用されていた。1991年にも酷似の資料が作成され、その際の物質名はC8で、発がん性に関する記述があり、証拠はないが良性の睾丸腫瘍が少し増えたとある。発がん性の研究では、いかなる腫瘍の発生も極めて悪い情報とされる。同地域にいた友人が10歳で人工肛門をつけ、2人もがんで早逝しているのを思い出す。何れの物質も同じPFOAの類似化合物だが、デュポンはその危険性を10年以上も隠蔽、2000年末になって漸く水道局が住民に化学物質の混入を通知
第7章
科学者――2001年1月31日
証拠を基にデュポンの化学者を尋問。有機化学の博士号を持ち、工場の職場健康衛生の責任者で、それ以前は10年以上にわたってテフロン生産に関わる研究に従事。飲料水については1984年からデータがあり、疫学調査は4年毎、動物実験はデュポンと3M両社で1960年代まで遡って実施されていたことが判明。高投与のサルが死亡しており、PFOAに関連しているとの意見が付されていた。1976年米国科学学会で血液中に工業実験室で人工的にしか製造されないはずの有機フッ素化合物があり、広く使われている界面活性剤と化学構造が一致しているとの科学論文が出版され、デュポンと3Mが慌てて血液検査を始め、全米の血液銀行の検査から、一般市民の血液からも検出され、全米での拡散が判明
第8章
手紙――2001年3月6日 オハイオ州シンシナティ
テナント家の被害の責任を取らせる以上に、幅広いPFOAの脅威を止める必要があった
調停概要書を書くだけでなく、連邦及び州の規制機関宛てに告発する手紙を書く
市民訴訟法は、通常なら規制機関だけしか企業に遵守させることの出来ない法令違反に関して、規制機関が法令を遵守させていない汚染者を市民個人が直接的に追及することができる。連邦環境法はそのような訴えを認め、原告勝訴の場合は弁護士費用まで被告負担
第9章
会議――2001年3月26日 ウェストバージニア州チャールストン 地方裁
環境保護庁はPFOSの規制のための検討集会を開催、私も話をすることになっていたが、デュポンが発言禁止のため裁判所に緊急招集を申請するも却下
1976年、有毒物質管理法(TSCA法)成立前は、新しい化学物質は危険と証明されるまで基本的に安全と見做されたが、新法によって製造前の検討が要求され、製造業者は毒性や環境インパクトの情報を環境保護庁に提出しなければならなくなった。PFOSやPFOAは新法成立以前の物質だったので対象外であり、製造業者の自主管理・自主申告に任されていたが、デュポンのPFOA問題の通知義務違反は、社内で懸念の声が上がりながら規制当局に全くデータを提供しなかった点で悪質。規制制度全体が機能しなかったことが明確に
検討集会は、残存するPFOSのサプライチェーンのどこかで働く人たちが集まって、3Mが製造を中止しても、自社や自業界を今後の規制から免除して欲しいと主張しに来ていた
PFOSは様々な業界で様々な用途に使われていて、全ての企業が不可欠であり、有効な代替物がないと主張したが、当局はPFOSに加えてPFOAの検査も予定すると発言
3MがPFOS製造中止を発表、1回限りで2億ドルの損失が発生すると説明したが、化学物質が連邦環境法の下で「リスト化され規制対象となる」物質の仲間入りをし、「有害物質」として連邦スーパーファンド法に基づき自動的に浄化対象になると、賠償は厳格で遡及的な責任を負うことになり、過失や故意や実害の証明は不要なので、無制限な責任を負うことになりかねない。難分解性で高生体蓄積性の人工の化学物質が半世紀にわたって自然環境に投棄された場合、浄化と補償の費用はトップの大企業をも倒産させかねなかった
第10章
雌牛が帰ってくる――2001年4月23日 ウェストバージニア州パーカーズバーグ テナント農場
訴訟が始まるとテナント家は、周囲から中傷と攻撃を受ける。地域に貢献するデュポン相手に、個人的な攻撃をすることを非難が集中し、村八分状態に。アールの病状は悪化、家畜が減り続け、牧畜をやめる
デュポン側弁護士からは、金で解決しようとの示唆があったが、さらにデュポンは雌牛がPFOAを飲んでいると知りながら、家畜チームと環境保護庁に伏せていたことが判明
和解交渉が始まるが、デュポンに非を認めさせるのは和解では困難。テナント一家全員の血中PFOA濃度が3Mの血液銀行研究での平均的米国人より3~10倍高かった。アールはほとんど息が出来なくなり、健康の回復は諦めたが、デュポンが彼に何をしたかすべての人に本当のことを知らせたかった
第11章
和解――2001年7月13日 シンシナティ
和解案提示――和解案に関するクライアントへの法律的助言は公表できない
テナント一家の議論は分かれたが、最後はアールが説得され和解に応じることに
第2幕
町
第12章
岐路――2001年8月
和解を進めながら、アールは正義を説き、私も真剣に、地域社会全体のために何らかの法的措置を講じることこそ正義だと考え始めたとき、リューベックの住民が架けてきた電話で原告弁護士を続ける決断をする。その1年前、リューベックの住民が、周囲で睾丸腫瘍が続けて発生し、犬も何匹か多数の腫瘍が発生しているのを不審に思って、水道局からの通知を精読し、環境保護庁にも照会すると、私が同庁に出した告発文が送られてきたことから、住民が私に電話してきたもので、私は挑む義務を感じた
未規制の化学物質による潜在的な被害に基づく集団訴訟は過去に例がなく、狂気の沙汰に近い。事実の確定から始まって、専門家の証言、因果関係の立証等関門が立ちはだかり、そのうえ、住民が求めているのはお金ではなく、リスクに関する真実ときれいな水
テナント家の訴訟より遥かに労力の必要な裁判だったが、事務所は応援を約束
第13章
最初の血
集団訴訟に強いウェストバージニア州の弁護士事務所を表に出し、2001年8月提訴
原告13名、提訴地はデュポンの本拠地を避けて「ケミカル・バレー」の一部を選択
デュポン側は、州規制当局が調査中であることを口実に訴訟の却下を求めたが、不法行為の追及はブロックできないため動議は却下し、集団訴訟に認定される
第14章
特権化――2002年2月11日 オハイオ州ビンセント
別の町でも公共水道水にPFOAが含まれているとのニュースが流れ、デュポンを呼んで住民集会が開催され騒然となる
開示請求に対しデュポンが提出した資料から、テナント家の訴訟開始時、すでにデュポン側弁護士が、PFOAが問題だと知っていたことが判明
第15章
代替データ――2002年5月 オハイオ州シンシナティ
同意命令により州規制当局の監視下でデュポンに水質検査をさせ、毒性評価チーム(CATチーム)に新しい安全基準を作らせることになる。各地の水質検査の結果は、デュポン設定の基準値を大きく上回り、住民の怒りと苛立ちが高まる。州最大の新聞がPFOAを取り上げ始め、気づきと警告を新しいレベルに引き上げたが、CATチームの結論は従来の基準値の150倍というもので、PFOAによる健康被害はないとの公式見解だった
生データからどうして150倍の基準が出て来たのか、CATチームの州政府側責任者に宣誓のもと記録される証言録取で私が質問する
第16章
破壊欲――2002年6月 ウェストバージニア州チャールストン
政府責任者は検討過程を証する書類を破棄したと証言、同時にチームに属していたPFOA毒性学責任者も弁護士の指示に従って破棄したことが露見、全面的な開示を強制され、デュポン側が何を隠そうとしていたのかが一目瞭然となり、ピンポイントで証言録取が可能に
第17章
ネズミとヒトについて――2002年7月 オハイオ州シンシナティ
デュポンの社内科学実験所のハスケル研究所は、内部管理の一環として10年以上もの間、毒性学研究で先駆的な業績を残していた。1940年代後半には、生物に対する有害物質の影響を評価する動物テストの標準的な手順を確立。研究所は年間予算の半分を使ってまで従業員と公衆、そして会社の最終利益を守るうえで毒性学研究を重視
PFOAの毒性についても、3Mから入荷が始まった3年後の1954年頃には調査を開始、従業員に対し皮膚への過度な曝露を避け、埃や煙を吸い込まないようアドバイスしたが、本格的に動物実験を始めたのは、テフロンが消費者調理器具に認可され幅広く流通し始めた62年のこと、巨額の利益が予想された。同社にしては珍しく製品開発を焦っていた
ラットでわずかな兆候が出た後、3年後にはイヌでも毒物による肝臓の損傷が現れる。イヌに進んだだけでもデュポンが強い懸念を持ったことが分かる。72年には海洋保護研究聖域法が成立、化学物質の海洋投棄が規制され、テフロンからの固形ゴミの投棄が出来なくなった。デュポンは埋立地に投棄すると地下水に滲出することに気付いていたために、何年にもわたってドラム缶にPFOA廃棄物を詰めて海洋投棄していた。78年には3Mがデュポンとの会合で自社の従業員の血液にPFOAが発見されたことを伝えたが、その2年前には全米の血液銀行の検査の結果一般市民の血液に有機フッ素が検出されたことが明らかにされていた。デュポンの医療部長は、直ちに従業員の血液検査を実施、作業を全面的に見直す。結果はデュポンでも高濃度のPFOAが確認され、肝臓機能に「明らかに高い」異常数値が見られ、3Mにも周知されたが、統計学的には重要でないと見なされ、環境保護庁に報告しなかった。2年前には有害物質管理法が成立、既存の化学物質に関しあらゆる「重大なリスク」の報告を義務付けていた。デュポンは全米の血液検査の結果が報告されたことをもって報告義務は免除されたと主張。自らの毒性テストや血液検査の結果は隠蔽
80年には、体内で分解しにくく、わずかな量でも長年体内に蓄積する生体蓄積性が高いことが判明。同年成立の包括的環境対策補償責任法(スーパーファンド法)は有害物質を出す企業にとって巨額の賠償責任という形でコスト負担の可能性を押し上げたため、未規制のまま放置させておく必要があった。決定的な証拠もなく、説明も出来ないが、有毒性の医療研究から手を引く一方、従業員には有害なものとして扱い始め、器具や設備も変更
社内では「継続的な曝露は看過できない」としつつ、対外的には「健康への影響はない」と定型句を言い続ける。81年には3Mのラット実験で胎児に先天異常が確認され、有毒物質管理法に基づき当局に報告。デュポンの従業員にも周知され、妊娠調査を再開。最近出産した7名中2人にラットと同じ目の障碍が見られたが、当局に報告せず、後のラット実験で同じ目の異常が見られなかったため、前の実験結果は間違いだったと指摘、当局も受理
88年、新たなラット実験で睾丸腫瘍の発症を確認、93年には肝臓と膵臓の腫瘍も生じると判明し、97年同社の科学者は共著論文で人間の発癌リスクを軽視できないと認める
第18章
テフロンの歩兵たち
2人の目の障碍の内の1人は24歳で乾燥機の残留物の処理を担当、最初の出産で、現在2歳半、生まれた時から左目の瞼が二重で涙腺が歪んでいた
もう1人は33歳で、テフロンの残留廃棄物の処理を担当、30年テフロンを担当していた父を持ち、3人目の出産。父は時々「テフロン・フルー」の症状に苦しむ。症状がインフルエンザに似ていたが、必ず収まった。川に何かを投棄したのが見つかって、もう一度見つかったら部門が閉鎖されるとの噂を聞いていた。短期間臨時の業務だったが、その間に妊娠し、7カ月過ぎから体内がカオスでどうにも動けなくなり、帝王切開で生まれた男児は顔の右半分が形成不良、専門の小児科医も見たことがないといってお手上げ
第19章
現実的悪意――2002年夏 オハイオ州シンシナティ
1984年、医療部長の懸念が現実化した証拠を基にデュポン社内での最高意思決定機関で議論がなされる。密かに疫学調査も実施した結果、近隣の水道水汚染も明らかとなる
議論の結果は、科学より経営が勝ち、リスクを知りながら行動した「現実的悪意」(34章参照)が存在し、地域住民の救済に加え、懲罰的損害賠償の対象になる
第20章
アベ・マリア(神の助け)――2002年秋 オハイオ州シンシナティ
毎日化学物質の曝露に晒されている地域住民のリスクを考え、裁判全体を迂回し、略式判決を求めるべく、2003年3月に郡裁判所の判事宛てに動議を提出、動議は却下されたが、代わりに差し止め命令による救済が発動され、住民の血液検査実施と共に、デュポン社内で証拠書類を破棄したことに対し公判で「負の陪審員推論」(破棄された資料を有罪になる情報と見做す)に直面すると決定
第21章
言説戦争――2003年春 全国
無作為の環境保護庁に圧力をかけ続けた結果、漸く有毒性の「優先的見直し」のための内部調査を開始。同庁のネット上の公開窓口に、デュポンから得たデータを一般化して情報提供。非政府組織の環境ワーキング・グループEWGも2003年春「体内の汚染」のシリーズでPFCsを特集。PFCsはPFOAとPFOSを含む一群の化学物質PFASのことで、DDT、PCBs、ダイオキシンを凌駕して、最も悪名高い世界的な汚染物質になるとまで言われた
EWGの記事の直後に環境保護庁も再評価実施を通知、テフロンによる健康被害のリスクが全国ニュースになり、世論がデュポンを攻撃。デュポンは「データの誤認」だと反論
地元テレビ局は、欲張りな原告団弁護士と無能な判事が地元経済を破壊しようとしているとし、牽制しないと町だけでなく皆の生活を台無しにすると非難
デュポンは、株主総会でも社長が「健康や環境への被害は確認していない」と繰り返したため、社長の証言録取が浮上。デュポンは、判事が汚染水の地域の住民故に利益相反だとして忌避し却下されたが、何れもデュポンが最高裁に控訴。裁判は一時的にストップしたが、長年拒んできた従業員の医療データの提出命令は残り、貴重な資料に
第22章
疫学――2003年7月1日 ウェストバージニア州パーカーズバーグ
動物実験の毒性学的データと検査結果と同じ影響が人間に起きたと証明するためには、PFOA曝露と人間の疾病に関する実際の研究結果が必要で、それが疫学的データ
実際に原告側の人たちへのPFOAの影響を示すために、パシフィックG&Eの六価クロムの汚染裁判で疫学調査をした専門家に依頼
同時に、従業員の医療データを精査、癌発生率が公表値とかけ離れていることが判明
第23章
「知られざる健康被害」――2003年11月 全米
ABCニュースがテフロンを特集、バーバラ・ウォルターズが調理器具の危険について考え心配すべき理由を述べた後、目の障碍をもって生まれた最初の子の結婚式の画が出て、30回の手術のせいで顔にはピンク色の手術跡が残っていた。デュポンの研究担当副社長が登場して、常套句を繰り返していた
疫学調査の結果は、癌発生率が8.65%で、全米平均の3.43%の倍以上となり、学会でも報告されたが、デュポンは「不正確」「方法論が非科学的」だと一蹴
第24章
企業の知識
初公判は2004年10月に延期
ホリディ社長の証言録取開始。ホリディが社長の時、自社でのPFOA製造開始。デュポンの社内資料から得たデータを突き付けると、大半は知らされていないことが判明。終った後には握手を求めてきて「ありがとう」とまで言った
第25章
急転直下
2004年6月、環境保護庁が報告義務違反でデュポンを訴える
汚染された町では、水道協会が自らの損害を減らすために、顧客へ水道水にPFOAが存在することを伝え、今後水を飲むのは「自己責任」でと警告
ウェストバージニア州の上訴裁判所は、判事忌避を却下しただけでなく、デュポンの資料提出に関わる特権化の権利放棄を認定、全ての資料の閲覧が可能に
デュポンの社内訴訟弁護士が、地域住民にきれいな飲料水を提供することを履行していないという指摘を無視したことが分かり、懲罰的賠償の議論が確実となったところで、デュポンから、調停協議に応じる代わりに社内弁護士の証言録取延期の申し入れ
第26章
ビッグ・アイディア――2004年9月4日 マサチューセッツ州ボストン
ボストンで調停交渉開始。2日にわたるやりとりで基本合意に――原告団の曝露濃度が特定の疾病を引き起こすと証明するのは至難。即座の救済と、長年汚染水を飲んだ後の救済があり、前者については「原告の福祉に関わる費用として」現金70百万ドル支払い、後者については独立の科学パネルを設置してPFOAの影響を正確に確認・記録、その費用はデュポンが負担、曝露と疾病との関連の可能性を認定した場合は、デュポンの負担で医療パネルを設置し、最終的な医療モニタリングも行う。判定には、ウェストバージニア州医療モニタリング法での基準を使う。弁護士費用は、和解した現金額に加え、水浄化コスト推計10百万+健康調査コスト5百万を加えた85百万ドルの25.5%を限度として支払う
7万人の原告で分けると1人715ドルにしかならず、代わりに全額を原告団が使って健康調査への参加者を集めることになる。参加した人には1人400ドル払うことに
第3幕
世界
第27章
調査――2004年9月 ウェストバージニア州パーカーズバーグ
地域社会で、理知的で実績のある病院の代表者だった2人は最近現役を引退、PFOAのニュースに愕然とし、生データの収集への協力を確約
米法務省環境犯罪部がデュポンを召喚、全国的な動揺を巻き起こすが株価への影響は軽微
健康データ提供は翌年2月から、オンラインのアンケートに始まり、そのあと採血となるが、2カ月で目標の半分を達成
第28章
第二波―2005年8月ウェストバージニア州、ニュージャージー州、ミネソタ州
裁判のせいでPFOAに関する科学的関心が爆発的に増え、新研究プロジェクトが世界中で始まる一方、似非科学が公共政策に使われていると批判する勢力もあった
フロリダでも集団訴訟が提起され、カナダではPFOAを含むPFAS族全部の禁止を検討
弁護団は最初の大きな賞として、「公共的正義を目指す裁判弁護士たち」から2005年の「今年の裁判弁護士賞」をトロントの授賞式でもらう
年末には、環境保護庁が、初期のPFOA有毒研究と飲料水汚染データを報告しなかったとしてデュポンに罰金1025万ドルと「環境プロジェクト費」として625万ドル拠出を義務付け、同庁が獲得した史上最大の民事行政的制裁金となった
2006年1月には、環境保護庁が新しいPFOA管理プログラムを発表、製造業者に対し排出を削減し、製造過程で使われる化学物質の量削減を要請。目標を2000年レベル比で10年後までに95%の削減と’15年までに全廃すると設定。ただ、有害化学物質排出目録制度で報告を義務付けられた化学物質リストに加えられることはなかった
従来の基準値150ppbはデュポンとの新たな同意協定で0.5ppbに引き下げられ、集団訴訟和解条項でも適用されることに合意
次々に他州での集団訴訟への協力要請が舞い込み、弁護団に加わることによって、デュポンや3MなどがPFOA問題で何をしようとしているかモニターし続けることができた
第29章
腹黒い科学――2005~6年 オハイオ州シンシナティ
環境保護庁は、事実上のPFOA全廃10年計画を自画自賛、連邦法で何もする必要のないこの計画は、規制なしに企業の協力が進む輝かしい前例となる。参加8企業に「100%の参加と約束」を売り込み、参加企業を「地球規模の環境リーダーシップの模範」と称賛
直後に同庁の動きは突然止まり、以後2016年までほぼ休眠状態に。デュポン等は、同庁によるリスク評価が完成するまでPFOAの規制政策を打ち出さないと約束させ、リスク評価は何年もかかることに
しかし、デュポン社内では異議申し立てが起き、同社に正しいことをするよう求めていたし、社内の疫学検討委員会が強い怒りの調子で広報戦略の核心部分について、健康リスクを生じないと主張する公式声明に疑問を呈した
第30章
証明責任――2007~10年 オハイオ州シンシナティ
新しい独立の研究がPFOAの危険性と普遍性を明らかにし続けたのに環境保護庁は動かなかった。そのうちリーマンショックが到来
7万人の健康プロジェクトは06年末に成功裏に完結したが、デュポンは証拠を疑い弱体化するため外部の力を使い始める
集団訴訟が和解したことで、住民はきれいな水を飲めるようになった。公共水道水の新濾過設備が建設され、原告住民に家庭用濾過システムが提供されたが、他の州や地域でも飲料水にPFOAが発見され、住民は暴露していた
新規排出は抑えられたが、既存の「残留」汚染は無期限に環境中に留まるうえ、消費者向け製品の一部のポリマー樹脂は、環境中での劣化によりPFOAに分解することが判明。毒物への継続する曝露を即座に緩和するためには、粒状活性炭フィルターを使用すればいい
ミネソタ州は、飲料水ガイドラインの限度を0.3ppbに設定、ニュージャージー州ではさらに厳しい0.04ppbとした。環境保護庁はリスク評価の結論を出さないと表明、代わりに短期曝露の暫定的な基準値として0.4ppbを公表
あらゆるところからPFOAが検出されるようになり、発生源も飲料水だけでなく、包装紙など絶えず拡大。さらにはミネラルウォーターからも検出
新たな研究は広範な疾病との関連性を突き止める。暴露した新生児の出生時の低体重や低頭位、甲状腺障碍、子供のADHD(注意欠如)など
2年後に科学パネルは住民向けに予備的な結果報告を開始、「顕著に高い」濃度のPFOAが7万人近くの住民の血液から検出されたが、中央値が全米平均の6倍。最高は22412ppb
ミネソタ州では、検事総長が、広範なPFAS汚染による天然資源の損害賠償を求めて3Mを訴えた。世界でも広がり、カナダはPFOAを含む製品の輸入を禁止した最初の国になる
州によっては集団訴訟を、連邦債の管轄として却下したり、医療は個人的なものとして医療モニタリングを認めなかったり、否定的な対応も見られた
2009年、アール・テナント死去。死因は「突然」の心臓麻痺だったが、長い闘病の末だった
第31章
痙攣――2010年5月 ケンタッキー州クレセント・スプリングズ
2004年の集団訴訟での和解後、いくつもの新しいPFOA訴訟に飛び込んだために、事務所の私の名前には「未請求」や「回収不能」の巨額の費用が累積していった
そんなある日脳卒中的な症状で倒れ、ひどい痙攣が来たが、しばらくすると収まり、原因は不明だったが、いつも通り仕事に没頭する生活に戻ると、程なく2度目の発作が来た
症状を周囲に知られたくなくて、北ケンタッキーの小さな事務所に移籍
2011年9月、待ちに待った科学パネルの電話かいぎが設定されるが、痙攣発作が頻発する中で仕事を続ける
第32章
報いへの道――2011年冬 ウェストバージニア州ビエナ
2011年12月、科学パネルが最初の「まず確実な関連性」の報告書を公開、妊娠高血圧症との関連性を認め、翌7月には最終結果が出て、6疾患との関連性を認定。妊娠高血圧症の他肝臓癌、睾丸癌、潰瘍性大腸炎、甲状腺疾患、高コレステロールで、証明責任を果たす
和解条項に従って、12年4月医療パネルが設置され、6疾患について原告全員を対象に医療モニタリングを開始することになったが、デュポンの嫌がらせもあって、応じたのは8千人、さらに個人の怪我と死亡の訴えは3500人が個別訴訟として立ち上がる
1962年に19歳でデュポンに入社、テフロンの実験室の技術者になった1人は、化学物質を扱う場合の内規を厳格に順守していたが、PFOAは規制対象外。汲み上げた茶色に濁った地下水でコーヒーを入れていた。30代で潰瘍性大腸炎の手術を受ける。81年職場から女性がいなくなるのを不審に思ったが、男には影響ないと言われる。妻も具合がおかしくなり小腸を2/3切除すると人が変わったように癇癪持ちになり、離婚を請求し、1人暮らしとなって、パーカーズバーグの郊外のビエナに転居。定年間近になって腹部の痛みが前よりひどくなって再発、痛みで仕事に支障をきたし早期退職、進行性大腸癌と判明
2013年、裁判所は公式集団訴訟通知を承認、誰でも無料で提訴できることになったが、デュポンの提案で広域係属訴訟としてすべての訴訟を一括して対応することになった
大規模不法行為を専門とする法律事務所に依頼して裁判が始まったが、デュポンはひとかけらの悔恨も見せず和解の基礎まで含め、裁判手続きを遅らせるよう次々と動議を提出
第33章
公判――2015年9月15日 オハイオ州コロンバス地方裁判所
代表的な試訴に選んだのはパーカーズバーグ生まれの59歳の女性で17年間汚染水を飲んで腎臓がんと診断されたケースで、公判で証明したのは以下の4点
①
デュポンは原告に障碍を生じないようにする適正な注意義務を有したか?
危害の予見性について、1984年までにデュポンはPFOAの危険性を知っていながら、当局への報告を怠り、政府と市民に対し水質汚染の真実を隠蔽
②
違反があったか。デュポンは似た状況にある適正な企業と同じように行動したか?
デュポンの違反は言語道断の不作為を通り越して、隠蔽行動までとった
③
損害。原告は実際上の障碍や損害を受けたか
④
主因。デュポンの行動/不作為が原告の癌をもたらしたか
既に科学パネルで因果関係は証明されており、争点にはならない
デュポンは、特殊因果関係を争点にした。癌の主因は太り過ぎだと主張し、原告を辱めた
陪審員を連れて3週間デュポンのハスケル毒性研究所を見学
10月7日、陪審員の結論が出る。原告の請求を認め、過失請求に対し110万ドル、精神的苦痛への請求に対し50万ドル、計160万ドルの支払いが命じられた
第34章
報い――2015年 ウェストバージニア州パーカーズバーグ
評決の後もパーカーズバーグでは、デュポン派の住民からの冷たい目線が向けられていた
2016年正月の『ニューヨーク・タイムズ・マガジン』誌のカバーストーリーのタイトルは『デュポンの最低の悪夢になった弁護士』。一番予想外だったのは、手紙でありがとうと言ってくれた人の多さで、それに報われた
試訴の原告は、他に比べてPFOAの血中濃度が低く、癌は早期発見でその後20年再発していなかったが、デュポンは懲罰的損害賠償がなかったことで自らの正当性を主張し控訴
2016年春、次の試訴を陪審員に訴える。今回は睾丸癌を経験した男性。懲罰的損害賠償の追加を念頭に、デュポンが意識的にリスクを無視したため結果的に誰かを傷つけた法律上の「悪意」があったことを強調。評決は510万ドルを裁定し、その上「現実的悪意」を認定し50万ドルの懲罰的損害賠償を付加
3件目の試訴は、56歳の男性で、進行した睾丸癌があり、被害補償に200万ドル、懲罰的賠償に1050万ドルを認める
何れもデュポンが控訴、判事からは時間短縮のため2017年末までに40の癌訴訟を終了するとの要請が付記され、遂にデュポンが一括終結に同意。3500以上の裁判について、総額670.7百万ドルの支払いに同意し、原告間ではランク付けにより配分額が決まる
長い時間かかったが、PFOAの被害に苦しんだ人たちに何らかの補償をもたらすことができたのはせめてもの慰みだったが、先天異常は関連性が認められず救えなかった
和解の後、連日のように新しい裁判の問い合わせや講演依頼があり、オランダのデュポンの拠点の住民からも支援の要請が来た
もう1つのノーベル賞として知られる「正しい生き方」賞受賞
米国防総省は、全米49州700カ所以上の米軍基地と空港周辺の飲料水がPFOAに汚染されていると地元市民に警告を出し始め、環境保護局も有害リスト入りを検討開始
化学物質があらゆる人の血液に入っているという事実に注目、犠牲者は我々全員で、化学物質を生み出す会社に対し必要な科学的研究に資金を出させ、PFAS全体の健康被害を確定させる必要がある――2018年、化学会社8社を相手に、PFASに汚染された米国の人たちを代表する集団訴訟を、同じ判事が担当するオハイオ州南部地域の米国連邦地方裁判所に提起
エピローグ
PFAS対策に行動や期限が伴わないことに業を煮やした上下院議員は、超党派法案を提出、連邦政府のPFAS規制の制定を模索。2019年にはスーパーファンド法の危険物質リストに加える法案も上程。環境保護庁もその他多数のPFAS化学物質について、「科学で解明されていない部分をできるだけ早く充実させる」と約束
東京新聞 2023.7.2.
◆有害性の事実暴く戦い
[評]近藤雄生(ノンフィクションライター)
最近、全国各地の河川などから、基準より高濃度の有機フッ素化合物(PFAS)が相次いで検出されている。PFASは自然界ではほとんど分解されることがない上に、体内に蓄積すると健康に重大な影響を及ぼす可能性がある。そのため近年、世界各地で急速に規制が進んでいるが、問題が始まったのは決して最近のことではない。
発端は1990年代、アメリカの一つの農場
で家畜が次々に死んでいったことである。その原因が付近の川の水の汚染にあると確信した農場主は、近隣の工場から川に何らかの有毒物質が流れ込んでいるに違いないと考えて、訴えを起こした。それが全ての始まりとなった。
本書は、その農場主の言う物質がPFASであることを突き止めた弁護士ロバート・ビロットが、問題の責任を負うべき巨大企業と20年にわたって戦い続けた自伝的記録である。
その巨大企業・デュポンは、80年代にはすでに、PFASが人間に深刻な害を与えうることに気づいていたが、自社の利益を優先させ、問題の物質を使い続けた。
著者はその事実を、気の遠くなるような膨大な調査によって暴き出す。ただし法的な責任を問うための壁は高く、数々の困難が立ちはだかる。それでも著者はあきらめることなく追及を続け、巻き込まれた人たちを救うべく、力を尽くし続けるのである。
本書には、著者とデュポンとの争いの経過が緻密に記されているが、同時に著者は、不条理な相手への怒りを率直に吐露し、巨大企業に翻弄される人たちへ寄せる思いも丁寧に描く。時に現実の冷酷さに啞然とするが、著者のその情熱と執念が決して徒労に終わらないことは、評者自身、勇気をもらい、背中を押された気持ちにもなった。
ビロットが途中で戦いをあきらめていたら、PFASの危険性はさらに長い間、知られないままだったかもしれない。いまと密接に繫がる記録として、そして、信念を持った人間のドラマとして、本書は広く読まれてほしい。
(旦(だん)祐介訳、花伝社・2750円)
米国の弁護士。PFAS曝露被害訴訟の第一人者。
好書好日 2023.5.13.
「毒の水」書評 幸せか、正義か 生々しい葛藤
評者: 小宮山亮磨 / 朝⽇新聞掲載:2023年05月13日
一度体内に取り込まれると消えることなく蓄積し、がんや潰瘍性大腸炎などの原因となるPFAS(有機フッ素化合物)。長年隠されてきた事実を暴き、巨大企業を告発した一人の弁護士の…
「毒の水」 [著]ロバート・ビロット
世界的大企業のデュポンが、猛毒の化学物質を工場外に垂れ流していた。広がる健康被害。巨悪に気づいた米国の弁護士が、市民のため、訴訟に挑む。18年の戦いの末に6億7千万ドルもの和解金を勝ち取り、政府も規制に乗り出した――。
本書はその弁護士本人によるノンフィクション。問題の化学物質は、日本でも注目が高まりつつある「PFAS(ピーファス)」という有機フッ素化合物だ。
もうこれだけで「映画化決定」の面白さなのだけれど(実際、されてます)、読みどころはもっとある。「自分はこの問題にどこまで関わるべきか」という、著者の生々しい葛藤だ。
彼はもともと、とくに気合の入った人権派弁護士ではなかった。むしろ逆。環境がらみの裁判で、大企業を弁護してきた。
無難なキャリアから外れてしまったのは、電話で助けを求めてきた男性が、著者のおばあちゃんの知り合いの知り合いで、頼みを断り切れなかったから。ウチの牧場の牛が毒で死んでいると方言でまくしたてられ、「この人、陰謀論者なのでは」と心配するくだりは、実に味わい深い。
戦いは無謀そのものだ。デュポンは知らぬ存ぜぬで時間を稼ぎ、政府の役人も証拠を隠す。原告にはお金がないので、裁判に負けたら報酬ゼロ。会社は給料を払ってくれているけれど、肩身は日々、狭くなる。
終わらぬ残業。育児は妻まかせ。クビにされる不安。心も体もぼろぼろ。
そして、ついに。
裁判が大詰めに入り、新聞に大きな記事が載ると、感謝の手紙がたくさん届いた。著者が苦労をかけ続けてきた妻は、それを読んで「すべて報われたね」と言ってくれたという。
個人の幸せと社会正義、どちらを取るべきか。小市民の自分だって、もしかすると……?
一歩踏み込んだときのしんどさを容赦なく教えられた一方で、勇気も(少しだけ)もらった気がした。
Robert
Bilott 弁護士。PFAS汚染被害者救済活動に関して「ライト・ライブリフッド賞」を受賞。
小宮山亮磨(こみやまりょうま)朝日新聞デジタル企画報道部兼科学みらい部記者
1978年生まれ、東京・八丈島育ち。2003年に朝日新聞入社。科学医療部などを経て現職。数字からニュースのネタを見つける「データ報道」に取り組んでいる。2023年4月より書評委員。
福岡県弁護士会
毒の水 (霧山昴)
著者 ロバート・ビロット 、 出版 花伝社
この本を原作とするアメリカ映画「ダーク・ウォーターズ」をみていましたから、アメリカの企業弁護士がデュポンという世界的大企業の公害かくしと長いあいだ戦った苦闘の経過があわせてよく分かりました。
テフロン加工するときに使われていたPFASの強烈な毒性は牧場の牛たちを全滅させ、そしてもちろん人間にまで悪影響を及ぼす。デュポンの工場で働く女性労働者が出産したとき7人のうち2人も、目に異常が認められた。PFASは水道水にも入っていて、大勢の市民が健康被害にあった。
このPFASは、いま、日本でも東京の横田基地周辺そして沖縄の米軍基地周辺で大問題となっています。泡消火剤に含まれているのです。日本政府は例によってアメリカ軍に文句のひとつも言えません。独立国家の政府としてやるべきこと、言うべきことをアメリカには言えず、ただひたすら実態隠しをして、必要な抜本的な対策をとろうともしません。
アメリカでも出発時は今の日本と同じでした。環境庁も及び腰だったし、マスコミもデュポン社の主張するとおり、健康被害は出ていないというキャンペーンに乗っかっていました。
アメリカの企業弁護士として、働いていた著者(このとき32歳)は身内の縁で依頼を受けるに至りました。でも、通常のような時間制で請求なんかできません。依頼者は大企業ではありませんから、成功報酬制でいくしかないのです。この場合は、着手金がない代わりに獲得額の20%から40%のあいだで弁護士報酬がもらえます。
大きな企業法務を扱う法律事務所にいて、デュポンのような大企業を相手とする裁判なので、パートナーの了解が得られるか著者は心配しましたが、そこはなんとかクリアーしました。
アメリカの裁判では、日本と決定的に異なるものとして、証拠開示手続があります。裁判の前に、相手方企業の持っている証拠を全部閲覧できるのです。デュポン社からは、ダンボール19箱の資料が送られてきました。これを著者は他人(ひと)まかせにせず、全部読みすすめていったのです。箱に入っていた書類をオフィスの床に全部広げる。次に一つひとつを年代順に整理する。そして、トピックやテーマ別に色つきの付箋を貼りつける。
テフロンはデュポン社の重要な主力商品であり、APFO(PFOA)は、テフロン加工に欠かせない薬剤だった。テフロンは他のプラスチック樹脂と異なり、製造が厄介だった。テフロンが効率的かつ安定的に製造できるようになったのは、界面活性剤(PFOA)のおかげだった。
著者の部屋は、ドアからデスクまでの細い通り道のほかは、資料が読み上がり、その下の絨毯は隠れて見えなくなった。著者は箱の壁に囲まれながら、床に座って仕事をした。映画にも、その情景が再現されていました。
この裁判は集団訴訟(クラス・アクション)と認定されて進行した。日本では集団訴訟の活用が今ひとつですよね。私も残念ながら、やったことがありません。
デュポン社による健康被害の疫学調査をすすめるため、デュポン社に7000万ドルを出させ、7万人を対象として、アンケートに答えたら150ドルを、採血に応じたら250ドルが支払われる(計400ドル)という方式が提案された。アンケートに答えるのは、79頁もの質問なので、記入するだけで45分はかかってしまう。
著者は企業法務を専門とする法律事務所の弁護士として、請求できない時間報酬と経費が累積していくのを見ながら事件に取り組んだ。その7年間のストレスと不安は相当なものがあった。このストレス過剰のせいで、著者は2回も倒れています。幸い脳卒中ではなく、後遺症もなかったようです。
いま日本で問題となっている、アメリカ軍基地由来のPFASはヒ素や鉛などの猛毒より、さらに比較できないほどの毒性を有している。がんや不妊、ホルモン異常などの原因になっている疑いがある。アメリカが日本を守ってくれているなんていう真実からほど遠い幻想を一刻も早く脱ぎ捨て、日本人は目を覚まさないと健康も生命も守れないのです。北朝鮮や中国の「脅威」の前に、差し迫った現実の脅威に日本人がさらされている。強くそう思いました。
(2023年5月刊。2500円+税)
日本経済新聞
PFASとは4730種を超える有機フッ素化合物の総称。自然界で分解しにくく水などに蓄積することがわかったほか、人への毒性も指摘されており、国際条約で廃絶や使用制限しています。PFASのうち「PFOS」と「PFOA」は水や油をはじき、熱に対し安定的な特性があることから、消火剤やフライパンのコーティング剤などに使われてきました。国内でも2021年までに法令で製造と輸入を原則禁止。21年度に実施した河川や地下水の調査では、31都道府県のうち13都府県81地点で暫定的な目標値を上回る高い濃度が検出されました。PFOSやPFOAが混ざる水を飲まないよう自治体が井戸の所有者に指導や助言をしています。
脱PFAS、三菱ケミカルなど動く 素材業界図に影響も
日経産業新聞 2023年12月4日
国内素材メーカーが半導体や電池などに欠かせない有機フッ素化合物(PFAS)の代替品開発を急いでいる。環境への影響があるとして欧州が規制する方針で、三菱ケミカルグループがスマートフォンに使える樹脂を開発した。米3Mは2025年に生産や使用を全廃すると宣言しており、グローバルな素材の業界地図が変わる可能性がある。
PFASは水や油をはじき、熱などに強い。半導体や電気自動車(EV)、燃料電池の原材料などに広く使われる。フライパンのコーティングなど身近な用途もある。
PFASのうち一部(PFOSやPFOA)はがんや高脂血症のリスクを高めるとして、すでに製造や輸入が禁止されている。欧州はPFASを幅広く規制する方針を打ち出している。23年1月に公表された規制案が早ければ25年に発効し、世界の産業に影響を与える可能性がある。
燃えにくい性能を保つ
三菱ケミカルは規制の流れを受け、スマホの筐体(きょうたい)や電池周辺に使う燃えにくい樹脂を開発した。エンジニアリングプラスチック事業部の菊地達也マネージャーは「長く研究してきた技術を応用し、樹脂の構造から見直すことでPFASフリーが可能になった」と話す。
スマホなどに使う樹脂には、半導体や電池の周辺が高温になっても発火したり、燃えたりしない性質が求められる。同社は工業用ポリカーボネート樹脂のうち難燃性の高いグレード「V0」を使っており、その添加剤としてPFASを利用していた。
同社は原料となるモノマー(単量体)を2種類以上使ってポリマー(高分子)にする共重合技術に強みがある。樹脂の組成を工夫し、グレード「V0」の難燃性を実現した。スマホなど消費者向けの製品を扱う企業は環境保護への関心が高く、欧州の規制に先んじてPFASフリーの製品を求める声が届いていた。スマホメーカーなどから数十件の問い合わせがあり、25年の量産を見込む。
「PFASを使っていないことが1つの売りになる」。日産化学環境エネルギー材料開発部の若林誠部長は、開発したポリマー電解質「アイオノマー」についてこう語る。電解質は燃料電池の触媒層に含まれ、水素イオンの移動を助ける役割を果たす。
PFASを使う従来品は耐久性やガスの反応のしやすさなどのバランスが優れている。だが同社は14年ごろから樹脂の構造や組成のバリエーションが多く、工夫の余地が多い炭化水素系の材料で開発に挑んでいた。
新たな材料は使用量が従来より2〜3割少なくても同程度の性能を発揮する。材料費の低減につながる点を売り込んでいたなか、PFASフリーな点が注目されるようになった。
開発品のサンプル提供を進めており、27年にも事業化を目指す。燃料電池では、触媒層だけでなく電解質膜にもPFASが使われている。他社との協業なども視野に電解質膜の代替品開発も検討する。
欧州への輸出、影響額1兆円
フッ素製品を開発するメーカーの業界団体、日本フルオロケミカルプロダクト協議会の試算によると、欧州規制によって日本の欧州向け輸出の1割にあたる66億ドル(約1兆円)が影響を受ける。半導体などデジタル関連で15億ドル、自動車分野では8億ドルとなっている。半導体や電池の業界団体は議論の成り行きに神経をとがらせる。
米国では素材メーカーがPFASを巡って事業戦略を大幅に見直す動きがある。
公共水道システムからPFASが検出されたとして、米3Mや米デュポンが多額の和解金を地方政府に支払うことで合意した。3Mは25年末までにPFASの生産や使用を全廃すると宣言している。同社は様々な製品でPFASを使い、先端半導体の生産に不可欠なドライエッチング装置の冷媒では約8割の世界シェアを持っている。
規制などの動きをきっかけに、日本の素材メーカーは欧米素材大手の顧客企業に対して代替品を積極的に提案していく。半導体分野などで使う界面活性剤をフッ素を使わずに開発したDICは、デュポンから独立した米ケマーズや3Mのシェアが高い市場を攻める。
界面活性剤は回路基板形成で用いるフォトレジストの添加剤などとして使われる。固体や液体の表面張力を下げる効果がある。シリコーンを使った界面活性剤が普及しているが、要求性能の高い分野ではほとんどフッ素系の材料が占めていた。
同社はフッ素を使わず、表面張力を抑えたり、平滑な薄膜を形成したりする性能で従来品を上回る。インキ製造で蓄積してきた分子を制御する合成技術を生かした。
代替品を探すため社内に横断組織を立ち上げたのはセントラル硝子だ。
同社は肥料の生産に使うリン鉱石からフッ素を取り除く技術を起源に、フッ素を扱う技術を蓄積してきた。欧州の規制対象となる有機物だけではなく、無機のフッ素化合物の開発にも強みを持つ。「代替品を生み出しやすい材料もあり、そういうものは早く切り替えられる」(同社)
フッ素樹脂1キログラムの流通価格はポリカーボネート樹脂などと比べ10倍以上になる。コストが高いうえ、扱いが難しく製造できる企業は多くない。それを逆手にとってPFASフリーの素材が開発できれば、業界の勢力図は一気に塗り替えられる。ピンチとみるかチャンスとみるか。規模で劣る国内メーカーが好機ととらえて開発を急ぐ。
PFAS代替、フロンの教訓
欧州化学物質庁(ECHA)は9月25日、規制案に対するパブリックコメントを締め切った。企業や政府、個人から集まったコメントは5600件にのぼる。「通常は2桁くらいで、異常な関心の高さだ。産業界を中心に規制がもたらす影響が非常に大きいことを示す証拠だ」と経済産業省の浜坂隆・素材産業課企画官は話す。
数字以上に注目されるのが欧州発の規制案にもかかわらず、お膝元のドイツから産業界を中心に多くのコメントが寄せられていることだ。特に独政府がPFASを一括して規制することに対して反対している。
さらに米政府も独と同様に規制にネガティブな意見を寄せている。米国ではバイデン政権が一部のPFASへの規制強化を公約に掲げているのにもかかわらずだ。
日本でも関心は高い。欧州委員会ではパブリックコメントなどを寄せない場合、欧州案を是認したものと見なされてしまうことも異例のコメント数になった背景にある。しかし、半導体や電池などは製造業の生き残りをかけて官民一体で日本が力を入れていく分野だ。「経済安全保障にも密接に絡むこれら重要物資に規制がかかることは、なんとしても避けたい」(経産省の浜坂氏)として積極的に働きかけていく考えだ。
速攻デュポンが生産先行の歴史
PFASと同様、地球環境に与える影響から規制が強化された分野にフロンがある。1987年のモントリオール議定書でオゾン層を壊す特定フロンを規制し、代替フロンへの移行を決議した。その後、2016年の同議定書のキガリ改正では先進国は代替フロンの生産量や消費量を24年に11〜13年比で40%、29年に70%減らすことが義務付けられた。
代替フロンはエアコンなど空調用の冷媒として使われている。1970年代から始まったオゾン層の破壊をどう防ぐかという議論の中でも今回のPFASと同様に米デュポンが登場する。
同社は規制案に対し、代替品がないなかでフロンに規制をかければ業界への打撃が多く混乱を招くとして、まず有害であることを示す証拠を求めた。米航空宇宙局(NASA)と協力してその証拠を実証させる一方で、代替フロンの開発に着手した。そして88年、NASAがフロンを有害とする結論を出した直後にフロンの生産中止を決めた。
中止を決めたデュポンだが、そのかたわら約20の特許を取得し、いち早く代替フロンの生産を始め、膨大な利益を得たとされる。モントリオール議定書を先取りする形でこの分野をリードすることになった。
日本も技術力発揮の好機再び
当然、同分野で世界的に高いシェアを誇る日本の電機各社もこぞって対策を打った。今ではパナソニックや三菱電機が、冷媒にプロパンを使った「脱代替フロン」のヒートポンプ暖房の新機種を発売している。現在、検討が進められている欧州の「Fガス規制」では、温暖化係数が150を上回る冷媒をつかった空調機器の新製品の発売が現地で禁止されるからだ。
さらにダイキン工業は、化学品を混ぜて燃えにくくした「グリーン冷媒」の開発を急ぐ。新エネルギー・産業技術総合開発機構(NEDO)の支援を受けて、温暖化係数が10以下の冷媒を30年ごろに開発したいとしている。こうした各国の企業の努力でオゾン層は徐々に回復することになった。
フロンも度重なる規制の強化を迫られたなかで、日本勢も新たな材料などの開発で販路を開拓してきた蓄積がある。今回のPFASを巡る動きでも3Mやデュポンも水面下ではPFASにかわる代替品のめどをつけている可能性もある。
地球環境保護への規制強化は、一時的に勢いが衰えることはあっても中長期的に後退することはない。言えるのは、PFASの代替品を生み出す企業に大きなビジネスチャンスがあるということだ。世界に勝てる産業分野が減るなかで、日本の素材各社がポテンシャルを発揮する時だ。
(藤生貴子、藤本秀文)
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