ルクレツィアの肖像  Maggie O’Farrell  2023.11.30.

2023.11.30. ルクレツィアの肖像

The Marriage Portrait          2022

 

著者 Maggie O’Farrell 1972年北アイルランド生まれ。ケンブリッジ大卒。2000年『アリスの眠り』でデビューし、ベティ・トラスク賞受賞。05年『The Distance Between Us』でコスタ賞受賞。17年には幾度にもわたる臨死体験などを綴ったメモワール『I Am, I Am, I Am,: Seventeen Brushes with Death』がベストセラーに。20年『ハムネット』で英女性小説賞と全米批評家協会賞、ドーキー文学賞を受賞、映像化も決定している。本書はサンデー・タイムズ、ニューヨーク・タイムズ、アイリッシュ・タイムズのベストセラーリストに入り、タイム誌はじめ様々な紙誌で2022年のベストブックリストに挙げられている

 

訳者 小竹由美子 1954年東京生まれ。早大法卒

 

発行日           2023.6.30. 発行

発行所           新潮社

 

l  歴史的背景 

1560年、15歳のルクレツィア・ディ・コジモ・デ・メディチは、フェラーラ公アルフォンソ2世デステとの結婚生活を始めるべくフィレンツェを後にした

1年も経たないうちに、彼女は死ぬことになる

死因は公式には「発疹チフス」とされたが、夫に殺されたとの噂があった

 

l  人里離れた荒野――1561年、ボンデノ近郊のフォルテッツァ()

狩猟に行くと連れられ、領土の北西にある荒野の砦に入り夕食のテーブルに座ると、夫がすぐそばに坐る。ルクレツィアは夫が自分を殺すつもりなのを覚る

l  ルクレツィア懐胎時の嘆かわしき状況――1544年、フィレンツェのパラッツォ(宮殿)

エレオノーラは5番目の子供を身ごもる。フィレンツェの地図を見ながら、土地利用に考えを巡らす。彼女の体は強健で多産。去年洗礼も受けさせないままで失った子のことを忘れるためにも次の妊娠が必要

9カ月後に生まれてきた女の子は、絶えず動いていないと気の済まない子で、目を常に見開いている。ほかの4人の子への悪影響を恐れたエレオノーラは、ルクレツィアを厨房の料理女を乳母にして育てる

兄弟とも交わらず、蛮族のように走ったり、不服従に終始、15歳で死んだ姉の婚約者と結婚するために姉の衣装を着ることに腹を立て大声で喚く

l  トスカーナで最初の虎――1552年、フィレンツェのパラッツォ

異国の要人が大公に虎の絵を贈呈。大公は実物を所望、やって来た時の鳴声を聞いたルクレツィアは、大公に頼んで見せてもらう。檻の柵越しに背を撫で目を合わせ、背を撫でる

l  葡萄酒に浸して焼いた鹿肉――1561年、ボンデノ近郊のフォルテッツァ

妻の命を奪うたくらみを秘めながら、夫はルクレツィアに優しい言葉をかけ、もっと元気を出すようにと、葡萄酒に浸して焼いた鹿肉を勧めるが、食欲はない

3年前、ルクレツィアは父に、アルフォンソと結婚したくないと告白したが、一蹴される

l  金を積んだ7隻のガレー船――1550年代、フィレンツェのパラッツォ

ルクレツィアは子供のころ、両親に彼等の最初の出会いの話を聞かせてくれと頼む妙な癖があった。それぞれから聞いた話を聞き比べて全体像をつかみ、結婚とはどういうものかを解き明かそうとした

15歳でただの騎士見習いだった父が、ナポリで神聖ローマ帝国のスペイン人副王の家で見かけた13歳の末娘を、4年後トスカーナ大公に選ばれて王朝の長となった時、結婚相手とした。エレオノーラは、ナポリからガレー船7隻に金銀財宝を積んで嫁入り

l  食事の終わり――1561年、ボンデノ近郊のフォルテッツァ

食後、夫の腕に抱かれながら、夫の愛を再認識する

l  すべてが変わる――1557年、フィレンツェのパラッツォ

ルクレツィアの兄姉4人は、幼年期の終わりには将来について綿密な計画が立てられていた。マリアはフェラーラ公爵の子息と、イザベッラはローマのパオロ・ジョルダーノ・オルシーニと婚約、フランチェスコはいずれ父を継いでフィレンツェの大公に、ジョヴァンニは枢機卿に就くことになっている

結婚が決まっていたマリアが肺の感染症で突然死去。死期の間近に迫っていたフェラーラ公爵は、息子の縁組を急ぎ、ルクレツィアに白羽の矢を立てる

l  この旅の真の目的――1561年、ボンデノ近郊のフォルテッツァ

夫が彼女をここへ連れてきたのは単純な理由から、ここが夫の子供の頃からの大好きな場所で、それを妻にも見せたかったから

l  本で読んだこと――1557年、フィレンツェのパラッツォ

乳母は、生理が来るまでと嘘をついて結婚を1年遅らせる

さらに、アルフォンソがフランスとの戦いに行くために、結婚式は1年遅れる

婚約の贈り物といえば肖像画か宝石と決まっているのに、結婚が決まった時にアルフォンソからは、動物好きのルクレツィアのことを思って胸白貂(むなじろてん、ラ・ファイーナ)の絵と、同名の祖母がつけていたという豪華なルビーの首飾りが贈られてきた

l  暗闇のどこかで――1561年、ボンデノ近郊のフォルテッツァ

途中で目を覚ましたルクレツィアは、頭痛と腹痛が起きて胃が痙攣し嘔吐(えず)

l  結婚式の日のルクレツィア公爵夫人――1560年、フィレンツェのパラッツォ

婚礼衣装が寝台の上で彼女を待つ。老いた公爵は亡くなり、アルフォンソがフェラーラ公爵となったので、ルクレツィアは結婚した瞬間から公爵夫人(ドゥケッサ)

l  焦土――1561年、ボンデノ近郊のフォルテッツァ

夫に殺意がないと思おうとしたが、病床にあって考えを改め、使用人に夫の殺意を打ち明ける

l  眠る男、休息する支配者――1560年フィレンツェのパラッツォとヴォギエーラのデリツィア(別荘での悦楽)

ルクレツィアは、初夜が済んで隣に眠る男をゆっくりと眺める

l  川は曲がりくねって流れている――1561年、ボンデノ近郊のフォルテッツァ

頭痛をおして起き上がり、今の状況から抜け出すための助けを求めて、実家にいる乳母に手紙を書こうとするが、届ける手段がない

l  蜂蜜水――1560年、ヴォギエーラ近郊のデリツィア

ルクレツィアにとって、デリツィアでの生活で不思議なのは、ほとんど何も要求されないこと。娘時代に課せられた規則正しい日課がない。アルフォンソはすぐにでもフェラーラに戻ることになるだろうし、ルクレツィアも同行し、カステッロに彼の母や姉妹たちとともに住むことになるが、どんな風に迎えられるのか彼女には見当がつかない

母は新教に傾倒、教皇から改宗を迫られ、娘たちを連れてフランスに帰ろうとするが、アルフォンソは面目にかけても抑えつけようとする

l  頭を高く上げて――1561年、ボンデノ近郊のフォルテッツァ

ルクレツィアは、昨日とは違う人間になり澄み切った正義の怒りをもって、頭を高く上げてあの部屋に入っていくつもり

l  遠くから目にしたアルフォンソ2世の妹たち――1560年、フェラーラのカステッロ

いよいよフェラーラのカステッロでの生活を始めるためにデリツィアを出発

カステッロでは、年増で義姉妹のエリザベッタとヌンチャータに紹介されるが、母と長姉マリアは既にフランスに行ってしまっていない

妹から、アルフォンソは種なしだと聞かされ、いずれルクレツィアがその責任を取らされると警告。エリザベッタの近衛隊長との恋がアルフォンソの知るところとなり、隊長はエリザベッタの前で絞首刑に

l  フェラーラ公爵夫人ルクレツィアの結婚記念肖像画――1561年、ボンデノ近郊のフォルテッツァ

出来上がった肖像画が運び込まれてくるが、画家の弟子がルクレツィアに、身の危険を知らせ、逃げ道を用意してくれる

l  凶悪なものが獲物を狙っている――1561年、フェラーラのカステッロ

アルフォンソは、ルクレツィアがなかなか解任しないことに苛立ちを示し始める

医者の処方はうまくいかず、転地療養がいいと言われ、ボンデノ近郊の砦に向かう

l  下絵と上絵――1561年、ボンデノ近郊のフォルテッツァ()

ルクレツィアは、深夜に小間使いの服装で厨房にある使用人たちの秘密の出口から砦の外に脱出に成功。一方アルフォンソと信頼する部下は闇の中を寝て居るはずのルクレツィアを襲って窒息死させ、病没と発表。コジモは娘の突然死を怪しんで医者を送るが、すでに腐乱していて本人とは確認できず。暫くすると、フェラーラの街には公爵がオーストリアのとある一族の娘に結婚を申し込む交渉をしたとの噂が流れる

ルクレツィアは、砦の外で待っている画家の弟子と共に逃げ、後にある町である画家の作品が大層な人気を呼ぶ。小さな絵で、ほぼすべてが動物の絵で、塗り方は薄いが、塗り重ねられた絵具を薄く削ぐと下に別の秘密の下絵が隠されている

 

 

著者あとがき

フェラーラ公アルフォンソ2世デステは、ロバート・ブラウニングの詩『先の公爵夫人』の着想の源であると広く認められている。フェラーラ公夫人ルクレツィア・ディ・コジモ・デ・メディチはこの小説の着想の源である

彼女の短い人生について知られている僅かばかりのことを使おうとしてみたが、フィクションであるということを名目に多少改変している

ルクレツィアはフィレンツェの生まれ。155813歳でアルフォンソ2世と結婚、父親が払った持参金は20万スクード金貨(現在では約50百万ポンド)という驚くべき額。続く2年の間フィレンツェに留まり、アルフォンソはフランスへ赴いてアンリ2世のために軍事作戦の指揮を執る。1559年、父の死によってアルフォンソは公爵となり、1560年夏ルクレツィアを迎えにフィレンツェに来る

コジモ1世は、1537年、17歳でトスカーナ大公国の支配者となり、1569年大公に任ぜられた。宮殿地下に珍しい外国産の動物を集めていた

アルフォンソ2世の2人の妹の実名は、ルクレツィアとエレオノーラだが、紛らわしいので架空名にした。近衛隊長の恋愛事件の結末は1575年のことで、1561年ではない

本書執筆時点で、ヨーロッパで展示されているルクレツィアの唯一の肖像画は、ロバート・ブラウニングのフィレンツェの住所近くのパラティーナ美術館で見ることができる。ハードカバーほどの大きさで、ルクレツィアがフェラーラへ発つ前に彼女の両親が注文したもの。ウフィツィ美術館には同じ肖像画の他のいくつかのバージョンが保管庫にあるほか、ノースカロライナ美術館にも存在。ルクレツィアの結婚を紀念する肖像画、ブラウニングの詩の基盤となっているあの肖像画は、知る限り全くのフィクション

ルクレツィアの家族における妻殺しについて、彼女の姉イザベッラは157633歳で突然死。白昼主人によって絞殺されたと噂された。その数日前、彼女の末弟のピエトロの妻ディアノーラ(従妹同士)も別荘で突然の不審死。絞殺の噂が立つが、家族内での暗黙の承認があったようで、いずれの夫も不審死の責任を問われることはなかった

アルフォンソ2世はその後さらに2人の妻を娶ったが、子供は1人も出来なかった

 

 

訳者あとがき

シェイクスピアの妻を、巷間に流布していたのとは全く違う魅力的な姿で描いた前作『ハムネット』で、英国の人気作家から英語圏全体の人気作家となったオファレルの9作目

主人公は、メディチ家の絶対君主制を確立して初代トスカーナ大公となり300年に及ぶ大公国の政治基盤を固めてフィレンツェの今日の景観を作り上げたコジモ1世の3

彼女について後世に伝わるのは、生没年と、アルフォンソ2世に嫁いだが16歳で急死、夫に毒殺されたとの噂があった、という程度。肖像画がフィレンツェに残され、19世紀英国の詩人ブラウニングの、いわゆる「劇的独白」による名高い一作『先の公爵夫人』は、このルクレツィアを題材としているとされる

ブラウニングの『先の公爵夫人』は、フェラーラの貴族が、新たに迎える妻の実家からの使者に、亡き先妻の肖像画を見せながら得々と語る、という設(しつら)えになっている。肖像画は垂れ幕で覆われ、公爵だけが覆いを取り除ける。今の彼女は夫だけのもの、垂幕の陰で完全に夫の支配下に置かれてる、と言わんばかりの公爵のしたり顔が目に浮かぶような詩。オファレルは、隠された物語や見過ごされてきた歴史に惹かれる、というように、この女性を垂幕の陰から引っ張り出すことにした。パラティーナ美術館の隅に架けてあったあった小さな肖像画を見つけ、訪れる人もいない墓に詣でる

 

 

 

 

(書評)『ルクレツィアの肖像』 マギー・オファーレル〈著〉

2023812 500分 朝日

『ルクレツィアの肖像』

 奪われて屈せず、少女の眩い生

 本作の主人公、ルクレツィア・ディ・コジモ・デ・メディチについて判明していることは乏しい。1545年生まれ。15歳でフェラーラ公アルフォンソ2世に嫁ぎ、翌年死亡。夫に殺されたとの噂があったとの事象が、歴史学的には彼女にまつわるほぼ全てである。

 しかし本書を繙いた読者は、この薄幸の少女が作中に生々しく息づいている事実に驚嘆するだろう。本作はルクレツィアの死の前夜、彼女が夫の殺意を感じつつ食卓に着くシーンより始まる。自らの死を間近にしながらも、「上手におやりなさいね」と内心呟くルクレツィアは、己の身に起こる事柄を全て観察しようとするかの如く冷静である。

 幼少時のルクレツィアはその鋭い感性ゆえ、周囲からは風変わりな子と見なされる。家族の愛を求めつつも、自らの裡(うち)なる声に背けず心引き裂かれる姿は痛々しい。ある日、父公が異国より取り寄せた雌虎と対峙した彼女は、言葉を持たぬ獣の悲しみを肌で感じるが、周囲はそれが分からない。尾を一振りして檻の暗がりに戻り、その後ライオンたちに殺される虎は、姉の代理としてアルフォンソの妻となり、子供を産む女であれと強いられるルクレツィアと重なる。

 だが夫によって、愛する絵画を、幼い頃より伸ばし続けた髪を――彼女の人生そのものを奪われながらも、ルクレツィアの魂は決して何者にも屈しない。筆者がそんな彼女に与えたラストは、常に自分自身であることを手放さぬ彼女ならではの救いとともに、拭いがたい苦みに満ちている。

 著者のあとがきにある如く、本書には恣意的に史実を変更している箇所が複数ある。だが史書に記録があろうがなかろうが、遠い過去から現代までの間に、有名無名数え切れぬ数の人々がそれぞれの時代で生を全うしたことは間違いない。歴史に埋もれたルクレツィアに光を当てると共に、一人の少女の眩(まばゆ)い生を描き切った物語である。

 評・澤田瞳子(小説家)

     *

 『ルクレツィアの肖像』 マギー・オファーレル〈著〉 小竹由美子訳 新潮クレスト・ブックス 3080円

     *

 Maggie O’Farrell 72年生まれ。2020年刊の『ハムネット』で英女性小説賞や全米批評家協会賞などを受賞。

 

 

Wikipedia

ルクレツィア・ディ・コジモ・デ・メディチ(イタリア語: Lucrezia di Cosimo de Medici, 1545214 - 1561421)は、モデナおよびフェラーラ公アルフォンソ2世・デステの最初の妃。

生涯[編集]

のちにトスカーナ大公となるコジモ1と妃エレオノーラ・ディ・トレドの三女(第5子)として、フィレンツェで誕生。姉はイザベッラ、兄にフランチェスコ1世・デ・メディチがいる。1558年にアルフォンソと結婚したが、1560年にフェラーラへ移った翌年に急死した。子供はなく、夫に毒殺されたと、広く噂された。

ブロンツィーノによる肖像画が残り、彼女にちなんで19世紀のイギリスの詩人ロバート・ブラウニング“My Last Duchess”を書いた。

 

 

新潮社 ホームページ

ルクレツィアの肖像

マギー・オファーレル/著 小竹由美子/訳

優しくしてくれる夫。でも、今夜、あなたは私を殺そうとしているでしょう?

15歳で結婚し、16歳で亡くなったと、わずかな記録しかイタリア史に残されていない主人公ルクレツィア・ディ・コジモ・デ・メディチ。『ハムネット』でシェイクスピアの妻を鮮やかに蘇らせた著者が、政略結婚の末に早世した少女の「生」を力強く羽ばたかせる。スリリングな展開と大胆なラストで、イギリス文学史に残る傑作長篇小説。

 

一枚の肖像画の、その先に   南沢奈央(女優) 『 20237月号より

 南沢奈央については、『今日も寄席に行きたくなって』参照

 美術館に行くのが好きだ。特に絵画に惹かれる。平面の上の、額縁の中に収められた、一つの世界。画家の目を、手を通して描き出されたその世界は、そこにしか存在しない。そして見る者をどこか違う場所へ連れていってくれる。知識は無いなりに少しは絵の魅力を知っているはずだが、これまであまり興味が向かなかったものがある。それが、肖像画だった。風景画、歴史画、静物画、風俗画とさまざまな絵画の種類がある中で、肖像画だけは描かれている対象に興味が湧かず、よっぽど有名な作品でない限り、足を止めることはなかった。

 それが今回、こんなに一つの肖像画と向き合うことになろうとは。時間をかけて、深く、深く、そしてその先まで――。その作品が、本書のタイトルと表紙になっている、ルクレツィアの肖像だ。〈不安げで心細そうな表情が何かを語りたがっているように思え、ならば小説で語らせよう〉と、本書は一つの肖像画から生まれた壮大な物語だ。

 ルクレツィア・ディ・コジモ・デ・メディチ。今日のフィレンツェの景観を作り上げたとされる初代トスカーナ大公・コジモ一世の三女である。のちに、ロバート・ブラウニングの詩「先の公爵夫人」のモデルにもなるほどの人物。にも拘わらず、著者はその肖像画を見つけ出すのに苦労したという。彼女の両親やきょうだいの肖像画が展示されている美術館にはなく、他の美術館の小さな部屋に、消火器の陰に隠れるようにして壁の下の方に掛けてあったのだ。

 謎めいているのは、彼女について残っている史実も同様。1545年に生まれ、1560年フェラーラ公アルフォンソ二世と結婚するも、一年経たずして、1561年に16歳で急死。死因は病気とされたが、夫に毒殺されたという噂もあった。
 物語はこの1561年の場面から始まる。人里離れた砦での夫と二人きりの食卓、ルクレツィアは、夫に殺されるのだと予感を超えて確信している。夫を観察する。恐れおののきながらも〈上手におやりなさいね〉と妙な冷静さを持ち、二人の様子が細やかに描写される。3ページちょっとの短い場面だが、いきなり読者は緊張感と不穏な空気に震えることになる。

〈エレオノーラはこの先ずっと、五番目の子を身ごもったときのことをいたく悔やむこととなる〉。時代は1544年に移り、ルクレツィアの母の受胎にまつわる話から、ルクレツィアの人生を辿っていく。野生児のように誕生し、他のきょうだいと離れて育った幼少期。親から見向きもされず、きょうだいにも馴染めず、その中で類まれなる絵の才能が開花していく。やがて結婚が決まり、新しい生活が始まる――

 この随所随所に、ルクレツィアの運命を予感させるようなエッセンスが入ってくる。たとえば、古代学の授業の内容。ギリシャ船団が先へ進めるよう神々に追い風を吹いてもらうために、結婚するのだと娘を騙して生贄に差し出すというもの。亡くなった姉の代わりに結婚することになるルクレツィアの未来をも感じさせる。また、宮廷での結婚の祝宴の席で演じられた歴史劇が、妻を毒殺してしまう王の話。これまたルクレツィアの最期と重ねてしまう。

 さらにそこに、例の1561年の場面が合間に短く差し込まれるのが、構成の妙。迫りくる死を背後で常に感じながら、読み進めていくことになる。だから、出会った頃のアルフォンソが紳士でユーモアもあり優しいことも、結婚して手に入れた、好きなときに出歩いて絵を描けるという自由な生活も、やけに不気味に感じられる。そしてついに、1561年のまさにその日に追いついたとき、ぞくりと背筋に寒気を感じた。

 この物語で生きるルクレツィアは、鋭い感覚と豊かな感性を持っている。人々の表裏、さまざまなものを見てしまう。だが事実や本音は隠しておくことがすべて。檻に入れられた雌虎のように、彼女は窮屈な世界で心に持つ炎を隠して生きていく。その炎を下絵にして、その上からまた別の絵を描き重ねて誰の目にもつかないようにすることは、彼女にとって生き延びるための術だったのだろう。

 やってのける。強い意志を持ち続けた彼女は、自らの力で一歩踏み出す。その物語の最後がこの上なく煌めいていて、涙が堪えられなかった。

 本を閉じた時、あらゆる思いを持って表紙のルクレツィアを見つめることになる。もしかしたら、ルクレツィアの切実な願いに一つだけ応えられたのかもしれないと思うと、彼女が少しだけ微笑んだように見えた。

〈誰かに、特別で貴重な存在であるかのように見つめてもらいたい〉。


The Boston Globe ボストン・グローブ紙

最後の展開はじつに意外で見事なので、読んでいて涙ぐんでしまった。オファーレルはかような具合に、フィクションの持つ力を行使して、一般に認められている歴史に反論し、我々の前に豊かな想像の世界や身震いするような可能性を広げてみせてくれるのだ。


The Globe and Mail ザ・グローブ・アンド・メイル紙

権力、力関係、そしてひとりの女性による主体性確立のための戦いを描くこの素晴らしい物語は、『ハムネット』の作者の新たな傑作だ。


The Christian Science Monitor クリスチャン・サイエンス・モニター紙

オファーレルの最新作は、自分が閉じ込められた金ぴかの檻を破ろうと、断固たる決意を固める女性の絢爛たる肖像画を描き出す渾身作だ。

 


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