裁判官の爆笑お言葉集  長嶺超輝  2023.12.3.

 2023.12.3.  裁判官の爆笑お言葉集

 

著者 長嶺超輝(まさき)

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1975長崎県平戸市生まれ。3歳から熊本県で育つ。熊本県立熊本高等学校を経て九州大学法学部卒業。弁護士を目指し、塾講師や家庭教師の指導と並行して司法試験7回不合格となって懲りた後、2004に上京。法律分野を得意とするライターとして執筆活動を始める。2007に発表したデビュー著書『裁判官の爆笑お言葉集』が、30万部を超えるベストセラーとなる。大学生の頃、初めて最高裁判所裁判官国民審査に投票するに際し、投票用紙に記された裁判官の名前を一人も知らないことにショックを受けたことがきっかけで、最高裁判所に関心を持ち、2005の第20回最高裁判所裁判官国民審査から、審査対象となる裁判官のプロフィールや判決実績をまとめて、インターネット上のサイト「忘れられた1票」に公表している。司法試験ブログ「法治国家つまみぐい」、裁判傍聴メルマガ「東京地裁つまみぐい」。http://miso.txt-nifty.com/

 

発行日           2007.3.30. 第1刷発行                 2007.5.25. 第11刷発行

発行所           幻冬舎 (新書)

 

はじめに

2002年東京地裁山室恵裁判長の言葉:さだまさしの《償い》の、せめて歌詞だけでも読めば、君たちの反省の弁が、人の心を打たないかわかるだろう

傷害致死容疑の少年2人に35年の不定期刑を宣告した時の判決理由の冒頭の言葉

法の仕組みはデジタルで、「ある」か「ない」かの二項対立で、きめ細かい配慮には不向きで、融通が利きにくいのは法の宿命。そこにアナログの表情が見えることがある。それが裁判官の言葉

裁判官のメッセージを聞ける機会――補充質問、判決理由、付言・所感・傍論、説諭(刑訴法上は「訓戒」で法令行為)、閉廷後の言動(非公式)、その他法廷の外

判決理由の終わりのほうで裁判官から投げかけられる、世の中への提言などで、強制力はないが、時にこの付言に沿って、国や自治体が動くこともある

 

第1章     死刑か無期か?――裁判長も迷ってる

l  死刑はやむを得ないが、私としては、君にはできるだけ長く生きていてもらいたい

2005年前橋地裁久我泰博裁判長の言葉。暴力団幹部のスナック乱射事件、求刑通り死刑

遺族に謝罪を続けろと諭す

l  宗教に逃げ込むことなく、謝罪の日々を送るようにしてください

2000年東京地裁井上弘道裁判長の言葉:オウムのNo.4による殺人事件、死刑求刑に対し無期懲役の判決。この説諭以降井上被告は瞑想修行をやめた

l  控訴し、別の裁判所の判断を仰ぐことを勧める

2001年宮崎地裁小松平内裁判長の言葉:女性2人を殺害した強盗殺人犯に対し、求刑通り死刑判決。刑事裁判官がお互いに空気を読み合いながら積み上げてきた暗黙の了解が「量刑相場」。自らの手で始末することにためらいを感じたのか、涙ながらの異例の付言

l  尊い生命を奪った罪は、被告人の一生をもって償わせるのが相当で、仮釈放については可能な限り、慎重な運用がなされるよう希望する

2006年広島地裁岩倉広修裁判長の言葉:猥褻殺人のペルー人に対し、死刑を斥け無期判決。無期は現状1540年で、10年以上の服役囚を対象に、改悛の状を条件に社会復帰

l  はやく楽になりたい気持ちはわかるし、生き続けることは辛いかもしれないが、地獄をきちんと見て、罪の重さに苦しんでほしい

1999年大阪地裁大島隆明裁判長の言葉:放火殺人犯に、死刑を斥け無期判決。3人を殺し、死刑は当然だったが、被告人の「生きていても仕方がない」の言葉に向きの意味を諭す

l  犯人が人を殺すのは簡単だが、国家が死刑という判決を出すのは大変だということ。皆さんは納得がいかないと思うが、そういうことです

(後記参照)

l  科すべき刑は、死刑以外にあり得ない

2003年大阪地裁川合昌幸裁判長の言葉:池田小学校8人殺害事件。刑訴法では判決の確定ら6か月以内に法務大臣が死刑執行命令を出すよう義務付けているが、実際の運用は確定から執行まで平均75カ月

l  無期懲役でも仕方がないよね

2006年前橋地裁久我泰博裁判長の言葉:遊ぶ金欲しさの行きずり強盗致死事件、求刑通り無期。2人死者を出しながら、「殺害の意志がない」とのことで死刑にならず

l  コラム:裁判官が法廷で自分の考えを述べるときの主語は「裁判所」。私情を入れずに「法の声」の代弁者という意味合い

 

第2章     あんた、いいかげんにしなさいよ――あまりに呆れた被告人たち

l  しっかり起きてなさい。また机のところで頭打つぞーー後記参照

l  それは、あなたの思い込みではないですか

2000年千葉地裁小池洋吉裁判長の言葉:グルが信者の治療を放棄して死に至らしめた事件。不作為の殺人罪を初めて認める

l  この前から聞いていると、あなた、切迫感ないんですよ

2006年東京地裁川口政明裁判長の言葉:姉歯事件の被告人質問でのやりとり。まったく反省しない被告人の弁解に対し、30分にわたって被害者に代わって怒りを爆発させた

l  いい加減、これっきりにしてください

2006年名古屋地裁池田信彦裁判長の言葉:窃盗罪の母娘に対し執行猶予付きの判決を言い渡して、呆れ果てた裁判長が言った

l  交通事故裁判での、被害者の命の重みは、ポケットティッシュのように軽いーー後記

l  執行猶予を当然と思わないでほしい

2006年松山地裁前田昌宏裁判長の言葉:睡眠強盗事件に執行猶予付きの判決。被害者の減刑嘆願もあって、酌量減軽

l  もし、犯人でないのならーー後記参照

l  刑務所に入りたいのなら、放火のような重大な犯罪でなくて、窃盗とか他にも・・・・・

1993年静岡地裁某陪席裁判官の言葉:「そういいたくもなる」と裁判長がリカバー

l  生来気弱な性格で、刑事裁判にプレッシャーを感じていた。ストレスで息苦しく、法廷でイスから転げ落ちそうだった。意志の弱さと心の貧しさで、現実から逃避するようになっていった

2001年被告の元村木保裕裁判官の言葉:刑事裁判のプレッシャーから児童買春に走ったエリート裁判官の供述

l  タクシー乗務員には、雲助まがいの者や、賭け事などで借財を抱えた者が、まま見受けられる。こうしたことは、顕著な事実と言ってよいかと思われる

1999年京都地裁山本和人裁判官の言葉:タクシー運転手による乗客への強盗殺人事件で無期懲役と罰金。「顕著な事実」とは言い過ぎで、職業差別発言に批判が殺到

l  暴走族は、暴力団の少年部だ。犬のうんこですら肥料になるのに、君たちは何の役にも立たない産業廃棄物以下じゃないか

2003年水戸家裁富永良明審判官の言葉:暴走族から抜けようとした少年への暴行致死事件。審判官の発言には賛否両論あるが、志ある発言

l  飲酒運転は、昨今、非常にやかましく取り上げられており、厳しく責任を問われる。時節柄というか、そう簡単には済まされない

2006年大阪高裁白井方久裁判長の言葉:裁判官は憲法と法律以外の何物にも影響されずに自らの良心に基づいて判決を下すとされており、「時節柄」は量刑相場を逸脱し兼ねないが、この裁判長は後に「量刑の急激な変化は法的安定性を失わせ、特定犯罪の厳罰化は刑罰全体のバランスを崩す」と警鐘を鳴らしている

 

第3章     芸能人だって権力者だって――裁判官の前ではしおらしく

l  たとえ、鳥越被告が3割、35分打とうとも、山田被告が15勝あげようとも関係ない。社会人として、してはいけないことを忘れてしまうと、グラウンドで活躍できなくなります

1998年名古屋地裁川原誠裁判長の言葉:プロ野球選手脱税事件で中日選手に執行猶予付きの判決

l  「野球も人なり」という先人の言葉がある。この言葉は、選手としてのプレーはもとより、人間としての有り様を意味している。これがなければ、本当の意味でのフェアプレー、スポーツマンシップとは言えない

1998年名古屋地裁佐藤學裁判長の言葉:プロ野球選手脱税事件でベイスターズ、ホークスの選手に執行猶予付きの判決

l  逮捕後から一貫して罪を認めた。一流の格闘家らしい潔い態度は評価するのにやぶさかではないが、犯行の重大さを見ると実刑はやむを得ない、と判断した

2004年東京地裁飯田喜信裁判長の言葉:K-1の脱税事件に実刑判決。悪質性を強調

l  社会が今後、あなたを受け入れるかどうかは、あなた次第です

2001年大阪地裁飯島健太郎裁判官の言葉:大麻取締法違反のいいだ壱成に対する執行猶予付きの判決。飯島裁判長は、別件でも84歳の被告に対して、「次に同じことをしたら4,5年は服役して、刑務所で人生が終わってしまう」と言った

l  家族らの信頼を裏切ったが、多くの人たちが更生を期待していることは、十分わかっていると思う

1999年東京地裁久保豊裁判官の言葉:覚醒剤取締法違反の槇原敬之に対し執行猶予付きの判決。「あなたのCDを何枚か持っている、聞くと勇気が出る」との発言もあった

l  今後、タレントとしての活躍が、社会的に大きな影響を持つことをじゅうぶん自覚し、おごることなく、謙虚に責任ある行動をとってほしい

1987年東京地裁中山善房裁判長の言葉:傷害罪でビートたけしに執行猶予付きの判決

l  多少厳しいことを言いましたが、私は、犯罪をやめさせるのが仕事ですから

2006年東京地裁青柳勤裁判官の言葉:大麻取締法違反のイワンに対し、常習者の症状について説明した後に、「繰り返す人には刑務所に行ってもらいます」に続けて

l  少ない額でも、きちんと納税している人をバカにした行為だ

2006年東京地裁細田啓介裁判長の言葉:斎藤英四郎の相続税脱税で懲役の実刑判決

l  名古屋が「民主主義の後進地」ではないかと、全国の人に思われるきっかけになった。信頼を取り戻すよう社会で償ってください

2004年名古屋地裁伊藤新一裁判長の言葉:公選法違反の自民議員に対し執行猶予付きの判決

l  本当に謝るべきは、県民に対してではないですか

2002年甲府地裁山本武久裁判官の言葉:競売入札妨害税で被告が、「県職員や警察に迷惑をかけた」と述べたことに対し本質を見損なっているとした怒りの言葉

l  そういう線引きが出来ない人は、公務員をやってはいけない。「わかってもらいたい」と言っているということは、未だにそれが分かっていないということでしょう

2003年さいたま地裁山口裕之裁判官の言葉:競売入札妨害税で被告が、「後援者の頼みを無碍に断れない事情も分かってほしい」と話したことに対し

l  罪は万死に値する

2000年横浜地裁岩垂正起裁判長の言葉:県警が現職警部補による覚せい剤使用をもみ消した事件で執行猶予付きの判決だが、不自然なほど強い言葉で被告を責めた。量刑相場が重い刑を許さないときに、担当裁判官は一段と痛烈なメッセージを浴びせることがある

l  「鉄さびは、鉄より出でて鉄を滅ぼす」と昔からいう。心のサビがはびこらないよう、名誉欲に身を焦がすことなく、存在そのものの薫り高さから尊敬されるように

1999年千葉地裁小池洋吉裁判長の言葉:市議会議長選をめぐる贈収賄事件で執行猶予の判決。お釈迦様の教えを引用してまっとうな生活をするよう諭す

 

第4章     被告人は無罪――「有罪率99.9%」なんかに負けない

l  今、ちょうど桜が咲いている。先は分からないが、せめて一晩くらい平穏な気持ちで桜を楽しまれたらいかがでしょう

2006年東京地裁川口政明裁判長の言葉:日歯連絡みの政治資金規正法違反の村岡兼造に無罪判決。主文の「被告人」で法廷にどよめきが起こった

l  今年のゴールデンウィークは、家族と平穏な気持ちで過ごしてください

2006年甲府地裁矢野直邦裁判官の言葉:傷害罪の差し戻し審で一転無罪判決

l  刑事責任は不問だが、重軽傷を負わせたのは事実で、おわびの気持ちを忘れるな

2005年大阪地裁杉田宗久裁判官の言葉:居眠り運転の業務上過失致死事件で無罪

l  痛ましい事故で深い同情を禁じ得ない。誰も刑事責任を問われないことに素朴な疑問が生じるのは容易に想像できる。被告の冥福を祈る

2006年神戸地裁佐堅哲生裁判長の言葉:明石の人工海浜陥没による女児死亡事故で個人責任は問えず無罪判決。民事上の和解成立。花火大会の将棋倒し死亡事故直後のこと

l  被害を受けたと申告した女子高生を恨まないように

2000年大阪地裁山田耕司裁判官の言葉:痴漢事件の裏付け捜査不十分により無罪判決。訴えた女子高生の供述が二転三転したため、人違いの可能性ありとした

 

第5章     反省文を出しなさい!――下手な言い訳はすぐバレる

l  口では言うが本当に反省の態度が見られない。次回公判までに反省文を提出しなさい

2006年青森地裁渡辺英敬裁判官の言葉:酔っぱらいの器物損壊事件で二日酔いの状態で出廷した被告人に対し、見かねた裁判官が異例の一喝

l  獣の道に踏み込んだ。人間である以上、早く人の道に戻って出直しなさい

2005年札幌地裁遠藤和正裁判長の言葉:養女の準強姦罪で実刑判決。性犯罪の被告を責め立てる常套句が「人面獣心の所業」だが、諭される方が被告の心に響くのでは

l  仕事が忙しいのは当たり前。そんな言い訳が通ると思っているのか

2002年八王子支部岡村稔裁判長の言葉:娘の傷害致死事件での夫の証人尋問への答えに対して。裁判官は1人年129件受け持つ。都市部では300件以上で超多忙

l  立ち直らないといけないのはあなただ。国語教師なのに言葉を選べないのか

2004年富山地裁手崎政人裁判官の言葉:女子中生への強制猥褻事件の元教師の被告の反省の弁で、「被害者の立ち直りを考えたい」と言ったのに対し

l  嘆願書の有無で刑に差をつけていいと思うか。やったことで判断されるのが裁判

2005年福岡地裁平島正道裁判官の言葉:大麻密売事件で寛大な処分への嘆願書が出されたことに対して。人を裁くのではなく、行為を裁く

l  求刑も判決も、決して重い刑とはいえない

2002年福岡高裁岩垂正起裁判長の言葉:殺人事件で一審より重い判決。同じマンションに住む見知らぬ女性を無目的に殺害。遺族の気持ちに配慮し、被告に罪の深さを示唆

l  単なるロリコン、日本の司法の歴史の中でとんでもないことをしたというのは分かってるか

2001年東京地裁山室恵裁判長の言葉:児童買春の現役高裁裁判官に対する被告人質問で

l  誰が司法試験で差別するか。人のせいにせず、医師の指導で立ち直りを図れ

2001年東京高裁高木俊夫裁判長の言葉:法務省官房長を脅迫した司法浪人の35歳に保護観察付きの執行猶予判決。事実上「受験をやめろ」との勧告が原因

 

第6章     泣かせますね、裁判長――法廷は人生道場

l  自分も苛めに遭った。苛めは辛いだろうが、厳しく自分を律してやり直してください

2006年青森地裁室橋雅仁裁判官の言葉:公然猥褻罪の自衛官の犯行動機の陳述に対し諭したが、判決では情状酌量の余地なしとして執行猶予付き有罪判決(有罪確定なら失職)

l  今、この場で子供を抱き、顔を見て、二度と覚醒剤を使わないと誓えますか

1996年釧路地裁帯広支部渡辺和義裁判官の言葉:法廷の外から被告人の妻と赤ん坊を被告人席に呼び寄せ、泣き崩れる被告人に対して。裁判官の訴訟指揮権の範囲内だが珍しい

l  この時期あなたを見てディケンズの『クリスマス・キャロル』を思出す。知っているか

2005年青森地裁室橋雅仁裁判官の言葉:貸金業規制法違反に有罪判決。生活保護受給者に、生活保護費から天引き返済で貸し付けた悪徳商法。心を入れ替えて頑張れと諭す

l  傘の先端が尖っている必要があるのかどうか、皆さんも考えてみてください

2002年広島高裁久保真人裁判長の言葉:傷害致死事件の控訴審で執行猶予付きの判決。傘が狂気となった事件で、同じ様な事件が他にあったため再発防止の願いから呼びかけた

l  中国は歴史ある素晴らしい国。私は、若い人に親切にしてもらった思い出がある

1994年福岡地裁吉田京子裁判官の言葉:集団密入国事件の被告に対する質問の中で

l  生活保護行政の在り方に言及――後記参照

l  いい息子さんとお嫁さんなんだから、2人の面目をつぶすようなことは二度とするな

2002年佐賀地裁坂主勉裁判長の言葉:入水心中を図った老夫婦のうち一方が死亡した事件で執行猶予付きの判決。法廷内に息子を呼び寄せ握手をさせて言った

l  もうやったらあかんで。がんばりやーー後記参照

l  太郎くんが心配なので、出来るだけ軽い刑にした。真面目に務めれば、さらに早く出られる。フィリピンに帰ったらいいお母さんになって

2001年東京地裁某女性裁判官の言葉:在留期間超過と覚醒剤で実刑判決。ビザ切れ発覚を恐れ出生届を出さず5年後に発覚。量刑相場から罪は重いが、優しい説諭

l  現在は反省しており、むかし悪いことをした人には見えない

1993年大阪地裁七沢章裁判官の言葉:強盗傷害で保釈後に逃亡、再逮捕に実刑判決。20年に及ぶ逃亡生活の過酷さから出頭を決意。「心情的には気の毒と思わないわけではない」

l  11年もの裁判でようやく判決。健康被害をもたらす大気汚染が根くなることを願う

2000年神戸地裁竹中省吾裁判長の言葉:尼崎の公害訴訟で住民全面勝訴の判決。企業は和解に応じたが国が拒否、本判決までに132名の原告が死去、国も和解に応じる。竹中裁判長は大阪高裁に異動後、住基ネットを憲法違反とする判決した直後、定年直前で自死

 

第7章     ときには愛だって語ります――法廷の愛憎劇

l  2人で青い鳥を身近に探そう。腰を据えて真剣に気長に話し合うよう、離婚請求を棄却

1991年名古屋地裁岡崎支部宗哲朗裁判官の言葉:熟年夫婦の妻からの離婚請求裁判の判決理由。家裁の調停から正式裁判までもつれても、離婚が認められないのは全体の3.1

l  恋愛は相手があって成立する、本当に人を愛するなら、相手の気持ちも考えろ

2004年福岡高裁宮崎支部岡村稔裁判長の言葉:ストーカーの被告に対し控訴棄却。珍しい女性ストーカーへの実刑判決

l  母親の愛情は海よりも深い。この言葉を噛み締めてください

2000年千葉地裁田中康郎裁判長の言葉:保護責任者遺棄致死事件の母親への実刑判決。「母親としての愛情を身につけようとする自覚が見られる」と最後の期待を寄せる

l  子どもは、あなたの所有物ですか? 社会全体の宝でしょ

2005年大阪地裁堺支部坪井祐子裁判官の言葉:男児虐待死亡事件の被告人質問の中で。児童虐待防止ネットが府内のすべての市町村に構築されているので、事件も多い

l  性別変更も認められ婚姻も出来た。これを逃せば更生の機会はないと判断

2005年大阪高裁瀧川義道裁判長の言葉:覚醒剤事件で実刑の一審判決を破棄、保護観察付きの執行猶予判決。一審は男性、控訴審は女性として臨み、男性との入籍も果たした

l  この裁判で一番影響を受けているのは子供たち。彼等のためにも早期解決を切に願う

2000年大阪地裁藤田昌宏裁判官の言葉:被告には損害賠償を、原告には慰謝料を払うよう命じた判決で、「裁判所からのお願い」として。子ども同士の遊びで怪我した親が被告の責任を過剰に攻撃したための制裁

l  親友が真の友でなく、愛する妻は良い妻ではなかったが、殺害は許されない

2006年札幌地裁遠藤和正裁判長の言葉:結果は重大だが同情を禁じ得ないとして求刑13年に対し8年の実刑判決。妻と不倫した親友を脅すつもりが殺害

 

第8章     責めて褒めて、褒めて落として――裁判官に学ぶ諭しのテク

l  暴力団にとっては石ころを投げたぐらいでも、人の家に銃弾を撃ち込むと罪が重い

2005年前橋地裁久我泰博裁判長の言葉:殺人未遂幇助事件の被告に対し11年の実刑判決。最高刑は無期懲役。噛んで含めるようにイヤミを放つテクニックはなかなかのもの

l  また引っかかるかもしれないので、今後はよく注意するように

2003年東京高裁村上光鵄裁判長の言葉:酒気帯び運転の控訴棄却判決、その間に酒気帯びの基準が厳しくなったことに触れて

l  電車の中では、女性と離れて立つのがマナーです

2006年東京高裁白木勇裁判長の言葉:痴漢の有罪判決を破棄して無罪判決。比較的空いた車内での出来事で、「疑わしきは罰せず」の鉄則を適用

l  裁判所としても事件に関連する範囲で尋問して欲しいが。皆さんベテランだからわかると思いますが

1996年東京地裁阿部文洋裁判長の言葉:オウム松本の裁判で、核心から外れた質問を繰り返し引き延ばしを図る弁護団に対してイラついた口調で。弁護団長は死刑廃止運動がライフワークで、引き延ばし作戦こそが弁護の王道と確信していた

l  判決は、淡々と出します

2002年福岡高裁小林克己裁判長の言葉:川辺川利水訴訟の控訴審。一審では住民敗訴。当事者間での弁論展開の打ち合わせの場で。この後予想に反して住民側勝訴の判決で、国は上告断念。行政訴訟で住民側が勝訴する確率は3%前後

l  今回は子供の足を焼いたが、これからは我が身を焼く思いで、子どもにとっての最善を考えるようにしなさい

2001年旭川地裁遠藤和正裁判長の言葉:児童虐待の母親に執行猶予付きの判決。妊娠中の被告に服役させるのは長男の将来に有害として母親の立ち直りに期待した温情判決

l  美術館建設の意思は素晴らしいのに、名画の曇るようなことが行われたのは残念

1992年東京地裁松浦繁裁判長の言葉:地産の竹井の脱税事件で有罪判決。事業の成功と社会貢献を褒め上げながら、容赦ない実刑判決を結論づける。服役中は模範囚で図書係

l  ギリギリまで迷ったが、1年間懸命に働いた落合の契約金額が2億なんぼに比べて、あなたの会社の脱税額がいかに大きいか、わかるでしょ

1991年東京地裁松浦繁裁判長の言葉:不動産会社社長の脱税に対し実刑判決。被告の子どもが中学生になるまでに出所できるよう18カ月の実刑とした

 

第9章     物言えぬ被害者を代弁――認められ始めた「第3の当事者」

l  家族の愛情を求めながらその家族に虐待された児童虐待事件――後記参照

l  お母さんの顔を忘れないように

2006年大阪地裁宮崎英一裁判長の言葉:尊属殺人の少年に実刑判決。昔なら無期懲役

l  刑の多少の議論はあり得るが、殺された遺族の気持ちに変わりはない。被害者が亡くなったのが一番大事な事実。刑期を終えてもずっと償いを果たさなければならない

2003年横浜地裁小田原支部荒川英明裁判官の言葉:酒気帯び運転致死事件で求刑より少ない実刑判決。その分「過失の態様は極悪、被害者の無念さは察するに余りある」と付言

l  これはいわば、水咲ちゃんが与える罰です

2003年さいたま地裁若原正樹裁判長の言葉:両親による虐待死事件で母親に実刑判決。未必の故意を認めて殺人罪に

l  変態を通り越して、ど変態。普通の父親では絶対に考えられない、人間失格

2005年横浜家裁横須賀支部某審判官の言葉:7歳の長女に猥褻な行為をさせ、画像をネット経由で知人に送付。長女の育つうえでの影響を勘案したのか、執行猶予付きの有罪判決

l  君の今後の生き方は、亡くなった3人の6つの目が厳しく見守っている

1996年横浜地裁松浦繫裁判長の言葉:殺人の死刑求刑に対し無期判決。安楽死の4要件を示した裁判長で、論理性には定評。「医師活動で救った命より、事件で奪った命の方が遥かに重い」と諭す

l  被害者11人の様子を克明に披歴

2002年和歌山地裁小川育央裁判長の言葉:毒物カレー事件で死刑判決の判決理由の中で。被害者の11人の生活などについて言及するのは異例のこと。第3の当事者として、裁判参加が実現に向けて動き出す

 

第10章 頼むから立ち直ってくれ――裁判官の切なる祈り

l  321回にわたる公判で、被告人には疲労の影も色濃い

2003年東京地裁山室恵裁判長の言葉:リクルート事件で執行猶予付きの判決。公判前整理手続きがない時代、検察・弁護双方が争点を絞りたがらなかったために不必要に長引く

l  あなたのような動機で人を殺しては、社会は成り立たない

2003年宮崎地裁小松平内裁判長の言葉:放火と殺人に対し実刑判決。仕事のミスで叱責されてとの動機に対し

l  私があなたに判決するのは3回目

1998年福岡地裁陶山博生裁判官の言葉:覚醒剤事件で実刑判決。裁判官の移動先までというのは異例。「2回裏切られたが、強い意志を持ってこれを最後にしてください」と説諭

l  判決期日を2カ月先にするので、阪神大震災のボランティアなどすることを勧める

1996年神戸地裁姫路支部安原浩裁判官の言葉:無免許の公判結審後の判決期日延期宣言。涙ながらに「魔が差した」と改悛の情を示す被告に。ボランティアに向かう途中でまた無免許で逮捕実刑判決を受け、判決理由でも安原判事に厳しい評価が下されたが、他の案件でも被告にボランティアを勧め、新たな試みに挑み続ける。日本裁判官ネットワーク発起人

l  吸いたくなったとき、家族を取るか大麻を取るかよく考えなさい

2004年横浜地裁横須賀支部福島節男裁判官の言葉:執行猶予付きの判決

l  最後の機会を与える。返済というあなたの言葉を、だまされたことにして信用する

1991年名古屋地裁松永真明裁判官の言葉:詐欺罪で執行猶予付きの判決。空々しい被告の反省の弁を一喝、弁護士、裁判所、カード会社をだまし、積もり積もった借財は30百万

l  人間、誰も辛い思いをする。君には生きていく知恵が欠けていたかもしれない

2005年富山地裁手崎政人裁判官の言葉:「自殺サイト」での自殺ほう助罪の被告に対し。「パソコンの前にいたって新しいものは出てこない。孤立の原因は、人づきあいにある。心配してくれた周囲の人たちと、少しづつ繋がりをもって、心の弱さを克服して欲しい」と

l  だだっこ。それも個性だけど、そういう感情が優先してしまうところを、直せとはいわないが、気付いてほしい。社会人の先輩としてはそう思うけどね

2006年東京地裁村上博信裁判官の言葉:名物判事がアイドルストーカーの中年女に執行猶予付きの判決。名古屋から迎えに来た父親に配慮して、即日判決言い渡し

l  子どもに障碍があろうと、親には養育の責任があり、その放棄は大きな考え違い。ひとりで悩まないで、自分の弱みを見せ、人の力を借りるという生き方を考えてください

1997年東京地裁大谷剛彦裁判長の言葉:無理心中で死にきれなかった母親に執行猶予付きの判決。「あなたの手話を、障碍者の役に立てて」とも諭している

l  君には能力がある。巨大な悪を行わないか心配。自分がしたことをよく考えろ

2006年大阪地裁水島和男裁判官の言葉:ホストの借金を客に肩代わりさせた強要罪での被告人質問の中で。被告の「二度とこういうミスをしないようにしたい」との発言に、「事件を軽く考えている」と判事がツッコミ

l  ケガを負わせたわけではなく、50万円は高額とも考えられるが、裁判所の、学校教育の現場から体罰をなくしてほしいとの気持ちの表れです

1996年東京地裁園尾隆司裁判長の言葉:教師の暴行事件に、都と連帯して賠償命令を言い渡す。東大落研出身で弁が立つ。「感情に任せた暴行。教育の名に値しない」「体罰擁護論が国民の本音として聞かれるのは憂うべきこと」とも語る熱血漢

l  還暦の前には刑期を終えるが、その時には世間から後ろ指をさされずに胸を張って生活していけるよう、襟を正してほしい

2002年青森地裁山内昭善裁判長の言葉:アニータに貢ぐため14億余りを横領した被告に実刑判決。巨額の横領があっても青森県住宅供給公社はビクともせず

 

おわりに

裁判官の評価は、「判決や和解を出した数の多さ」に集約されるので、ここで紹介した例は裁判官のあるべき姿とは言えないかもしれない

誰かを裁く前に、「自分は何者なのか」を明らかにしいている、そんな裁判官が好き

法律という同じ道具を使っていても、裁く人が違えば、これだけ多様な裁き方があるのを知ることは、何かしらの意味がある

ネット上に裁判傍聴のメモを載せている人の中でお勧めは、名古屋地裁に通う「絶坊主」のブログ       「名古屋地裁 やじうま傍聴記 http://chisai.seesaa.net/

 

 

 

 

「犯人が人を殺すのは簡単だが、国家が死刑という判決を出すのは大変だ」長嶺超輝

裁判官は無味乾燥な判決文を読み上げるだけと思ったら大間違い。

人を裁くという重責を担っているからこそ、ときには厳しく温かく、人間として被告人に、被害者に、そして社会に語りかける場面も。

法廷での個性あふれる裁判官の肉声を集めた幻冬舎新書『裁判官の爆笑お言葉集』から、特に考えさせられる部分を抜粋しました。

*   *   *

l  「事件の悲惨さ」と「量刑相場」の板ばさみ

犯人が人を殺すのは簡単だが、国家が死刑という判決を出すのは大変だということです。皆さん、納得はいかないと思いますが、そういうことです。

殺人、未成年者略取などの罪に問われた男に、死刑の求刑をしりぞけた上で無期懲役の判決を言い渡して。閉廷後に、遺族のいる傍聴席に向かって、異例の言及。

前橋地裁 久我泰博裁判長 当時51 2003. 10. 9[閉廷後]

明日から夏休みが始まる、という日でした。学校の終業式を終えて帰宅する途中、車を運転中の男に道を尋ねられた高校1年生の女子生徒。次の瞬間、彼女はムリヤリ車内に押し込められ、さんざん連れまわされたあげく山中で絞殺されてしまいます。

男は女子生徒の自宅に電話し、両親に「50万よこせば娘を帰す」とウソを言い放ち、現金23万円を受け取りました。男は、別れた妻や子に会いたかったらしく、そのため、児童相談所を脅すための拳銃を買う資金がほしかったとのこと。理解に苦しむ動機です。

久我裁判長は判決理由で、犯行の残忍さ、卑劣さを繰り返し強調しています。遺族の心情を考えれば、今すぐ被告人の首を締めつけてやりたい。しかし「犠牲者数1名」「計画性に乏しい」というデータを、過去の重大事件における量刑相場に照らし合わせたとき、本件で死刑を下すのは全体のバランスを崩す、とお考えになったのでしょう。

被告人が何も考えていなかったぶん、裁判長は相当悩まれたのではないでしょうか。なお、東京高裁の白木勇裁判長は、一審を破棄。被害者1人の殺人事件としては異例の死刑判決が出ています。

 

l  飲酒運転での死亡事故に異例の求刑超え判決「加害者はあまりにも過保護である」長嶺超輝

裁判官は無味乾燥な判決文を読み上げるだけと思ったら大間違い。

人を裁くという重責を担っているからこそ、ときには厳しく温かく、人間として被告人に、被害者に、そして社会に語りかける場面も。

「全地球」か「ポケットティッシュ」か

交通事故裁判での、被害者の命の重みは、駅前で配られるポケットティッシュのように軽い。遺族の悲嘆に比して、加害者はあまりにも過保護である。命の尊さに、法が無慈悲であってはならない。

飲酒運転と赤信号無視によって発生した交通死亡事故で、被告人に懲役3年の実刑判決を言い渡して。

京都地裁 藤田清臣(きよおみ)裁判官 当時55 1996. 11[理由]

親子水入らずで、一緒に銭湯へ行った帰り道。「お母さん、先に行ってアイス買ってくるね」……。母の目の前で突然、幸せな日常が砕け散りました。警察で「お棺に入れてあげてください」と渡された茶封筒には、路上に散った息子の骨の破片が入っていたそうです。

戦後、最高裁が発足して間もなく、ある大法廷判決の理由で「生命は尊貴である。一人の生命は、全地球よりも重い」と宣言されたことがありました。藤田判事は、全地球より重いはずの被害者の生命があまりに軽んじられている交通事故裁判への憤りを、抑えきれなかったのでしょう。それにしても、なぜポケットティッシュ。判決文を考えている最中に、駅前でもらって、「なんて軽いんだ!」とビックリなさったのでしょうか。

この判決が画期的だったのは、ユニークな表現だけではありません。検察官の求刑は懲役26カ月。なのに判決は懲役3年。わが国の刑事裁判で非常に珍しい「求刑超え判決」です。

裁判官の量刑が検察官の求刑を上回ることを、法律は特に禁じていません。ただ、そんな判決を言い渡されたら、弁護人はもとより、検察官も立場がないかもしれませんね。

藤田判事は「一裁判官としての思いの丈は判決の中に込めた。そこから酌みとってほしい」という言葉を残すだけで、今は多くを語りません。

 

l  「黙秘権は被告人の権利。だが、あなたの声をもう少し聞いて判断したかった」長嶺超輝

「遺体なき強盗殺人」と呼ばれた事件

もし、犯人でないのなら、説明してくれればありがたかったとも思います。たしかに黙秘権は被告人の権利。だが、あなたの声をもう少し聞いて判断したかった。

強盗殺人の罪に問われ、逮捕当初から容疑を否認し続け、法廷では黙秘。最終陳述でも「身に覚えがない」と述べ、一貫して無罪を主張し続けた被告人に対し、数々の情況証拠を検討したうえで、求刑どおりの無期懲役判決を言い渡して。

京都地裁 上垣猛(うえがきたけし)裁判長 当時56 2006. 5. 12[説諭]

200210月、当時52歳の会社員が行方不明になり、そのキャッシュカードで現金300万円を引き出したとして窃盗の容疑で逮捕されたのはリフォーム業の50歳男性。やがて容疑は強盗殺人に切り替えられます。ただ、この事件が他の強盗殺人事件と大きく違うのは、「被害者の遺体が見つかっていない」という点です。

被害者の車の中に焼けた肋骨の一部があり、そのDNAが被害者のものと一致したことから、検察官は被告人が遺体を焼却したと主張。しかし、弁護側は「DNA鑑定は骨に付いた血液を調べたもの。その骨片が被害者の身体の一部とは断定できない」と、真っ向から争ったのです。

黙秘権などという権利がなぜ認められるのか、疑問に思う人がいるかもしれませんが、これは裏を返せば、裁判制度が「そもそも被告人のしゃべる内容(自白)を疑ってかかっている」ということです。犯人が「やっていない」と自分をかばうのは人として自然な感情。だから被告人のウソは罪に問われないのです。また、捜査官から圧力をかけられ「やった」と言わされているケースも少なくありません。被告人が何もしゃべらなくてもウソをついていても、物的な証拠さえあれば、合理的・科学的に審理はできるはず、というわけです。

とはいえ「話を聞かずに裁くのは気分が悪い」というのも、やはり人として自然な感情。上垣判事の声は多くの裁判官の本音でしょう。

 

l  生活保護が受けられず母子心中「行政の関係者は考えなおす余地がある」長嶺超輝

検察官まで同情した悲劇

本件で裁かれているのは被告人だけではなく、介護保険や生活保護行政の在り方も問われている。こうして事件に発展した以上は、どう対応すべきだったかを、行政の関係者は考えなおす余地がある。

実母との心中を決行し、自らは生き残ったために承諾殺人の罪に問われた被告人に、「献身的な介護で尽くした息子を、母親は恨んでいない」として、執行猶予つきの有罪判決を言い渡して。

京都地裁 東尾龍一裁判官 当時54 2006. 7. 21[付言]

京都市内の木造アパートに両親と3人で暮らしていた被告人。父の死後、母に認知症の症状が現れ、最初はデイケアを利用して働きながら介護をしていたのですが、母の症状が進み、昼夜逆転の生活を余儀なくされたため、退職して介護に専念することを決意しました。

生活保護を申請しようと福祉事務所を訪れましたが、失業保険を受けていたため認められず、職員から返ってきたのは「働いてください」との言葉。2004年度には生活保護の不正受給が約62億円超にものぼっており、申請に対して警戒を強めている事情は理解できます。とはいえ、失業保険が切れれば生活保護は認められる、とのアドバイスすらなかったのは、対応が冷たすぎたと批判されても仕方のないところでしょう。

家賃やデイケアの料金も支払えなくなり「人に金を借りず、迷惑かけずに生きろ」という父の言葉を思い出した被告人は、車椅子の母親を押して京都の街を散策した後、桂川のほとりで「もう生きられへんのやで。すまんな」と、母子心中を決行したのです。

「私の手は、母を殺(あや)めるための手だったのか」……被告人が法廷に残した言葉です。検察官の論告にまで「哀切極まり同情の余地がある」と加えられた、珍しい雰囲気の裁判になりました。

 

l  310カ月で虐待死した男児に「願わくば、その人生が悲しみばかりでなかったことを祈る」長嶺超輝

かまってほしかっただけなのに

家族の愛情を求めながら、その家族から虐待を受ける日々を、どんな思いで耐えていたのか。何を感じながら人生の幕を閉じていったのか。願わくば、その人生が悲しみばかりでなかったことを祈る。

310カ月の男児を虐待の末に死亡させたとして、傷害致死の罪に問われた被告人らに、懲役56カ月の実刑判決を言い渡して。

千葉地裁 小池洋吉裁判長 当時58 2001. 11. 20[付言]

この事件が通常の理解を超えるのは、幼児の義理の母親だけでなく、祖父・祖母、さらには曽祖父までが虐待に参加している点です。

曽祖父は、男児と一緒に留守番を押しつけられるのが嫌で、その不満の矛先を男児に向け、抱えあげて物干し台の支柱に顔面を打ちつけました。祖母は、男児をベルトで柱に縛りつけ、後ろ手にした手首にもヒモを巻いて逮捕罪に問われました。義母は、男児の頭を平手打ちして、弾みで石油ストーブに頭から激突させ、さらに祖父が頭を手拳で数回殴り、男児は6日後にこの世を去りました。彼が弱っていたのに漫然と放置したとして、実の父親も保護責任者遺棄で逮捕されましたが、起訴には至りませんでした。

検察官が刑事処罰を求めた虐待行為だけを挙げましたが、書いているだけでうんざりしてきます。いくら血がつながってないとはいえ、なぜここまで壮絶な弱者いじめができたのか。

被告人らによれば、妊娠していた義母の腹の上に男児が乗っかったために、義母が入院した出来事がきっかけだったそうです。それで怒りを買ってしまったわけですが、小池判事は、男児のこの行動を、新しく生まれる妹に母親を取られる寂しさによる「赤ちゃん返り」だったと認定しています。

 

l  「もうやったらあかんで。がんばりや。」長嶺超輝

そのとき、40センチの段差が埋まった

もうやったらあかんで。がんばりや。

窃盗の罪に問われた被告人に、執行猶予・保護観察つきの有罪判決を言い渡しての、閉廷後の出来事。被告人が退廷するときに、一段高い裁判官席から身を乗り出し、被告人の手を握りながら。

大阪地裁 杉田宗久裁判官 当時47 2003. 10. 29[閉廷後]

裁判官に励まされた本件の被告人は、その場に泣き崩れたといいます。育ち盛りの2人の子どもを持つ母親で、パートで働いてはいたものの、数年前に家出した夫の借金まで抱え込み、追いつめられた末に、スーパーで万引きを繰り返していました。

この杉田宗久判事、女性5人が被害に遭った強盗・強姦事件の判決公判において、「検察官の求刑は軽きに失する」として、求刑を2年上回る懲役14年を言い渡したことで有名です。最近も、ある酒気帯び無免許運転に「求刑超え判決」を下しておられます。

「求刑の8割」が、量刑相場として通用している司法業界。求刑を超えた厳しい結論を2回も出した裁判官は、日本広しといえど杉田判事ぐらいのものでしょう。

ある公判では、冒頭陳述(被告人のプロフィールや事件の背景などを語る手続き)で、被告人の前科や前歴の有無を記載しないように、あらかじめ検察官に指示したことでも知られます。「罪を犯した過去があること」と「本件を犯したかどうか」は、本質的には無関係ですからね。偏見や先入観を取りのぞいて、審理に正面から臨むという志に貫かれた、厳しさであり、優しさなのでしょう。

 

 

幻冬舎 ホームページ(現時点)

作品紹介

「死刑はやむを得ないが、私としては、君には出来るだけ長く生きてもらいたい」(死刑判決言い渡しの後で)。裁判官は無味乾燥な判決文を読み上げるだけ、と思っていたら大間違い。ダジャレあり、ツッコミあり、説教あり。スピーディーに一件でも多く判決を出すことが評価される世界で、六法全書を脇におき、出世も顧みず語り始める裁判官がいる。本書は法廷での個性あふれる肉声を集めた本邦初の語録集。これを読めば裁判員になるのも待ち遠しい。

 

「私があなたに判決するのは3回目です」同じ被告人に3回も判決を下した裁判官が思わず発した落胆の言葉

 

2007年の発売以来、30万部を超えるロングセラーとして多くの読者に笑いと感動を届けてきた『裁判官の爆笑お言葉集』。今年に入って全国の書店で再ブレイクしており、現在、なんと40万部を超えました。そんな本書の著者で、フリーライターの長嶺超輝さんに、本の中から裁判官の「お言葉」をいくつか紹介していただきました。

*   *   *

個性あふれる裁判官の「お言葉」

「しっかり起きてなさい。また机のところで頭打つぞ」

── 199810月、東京地裁・阿部文洋裁判長のお言葉です。これはどのようなシチュエーションだったのでしょうか。

オウム真理教の教祖だった麻原彰晃こと松本智津夫の第95回公判で、裁判長が居眠りしていた松本智津夫に注意した場面です。「また頭打つぞ」ということは、過去に打ったことがあるということですね。

このときは証人として、新実智光元死刑囚が発言していたのですが、そんな教祖の姿を見て、新実元死刑囚もがっかりしたのではないでしょうか。こんな人のために、自分はひどい犯罪を行なったのかと。

 

── 公判中の松本智津夫の様子はメディアでも報じられましたが、やはりひどいものだったんですか?

意味不明の発言をくり返したり、あぐらをかいたり、大あくびをしたり、行儀の悪い態度を取っていたので、裁判長も見るに見かねてということだったのでしょう。いきなり英語をしゃべり出したこともあったようです。裁判所法で「裁判所では、日本語を用いる」とあるので、そもそも違法行為なのですが。

「しっかり起きてなさい。また机のところで頭打つぞ」という言葉から、いかに裁判長が苦労されていたかよくわかる気がします。

 

「私があなたに判決するのは3回目です」

── 19982月、福岡地裁・陶山博生裁判官のお言葉です。3回罪を犯して、3回とも同じ裁判官に当たったということですか?

その通りです。3回とも覚醒剤で捕まっているのですが、1回目は93年、佐賀地裁で懲役8か月の実刑判決、2回目は95年、福岡地裁で懲役16か月の実刑判決、そして3回目が98年、同じく福岡地裁で懲役2年の実刑判決。

いずれも陶山裁判官が刑を言い渡しています。たまたまですが、陶山裁判官の異動先まで追いかけていることになりますね。なかなかのレアケースでしょう。

 

── このとき陶山裁判官は、「私は2回裏切られたが、強い意志を持って、これを最後に本当に覚せい剤をやめてください」とおっしゃったそうですね。

内心、落胆していたでしょうね。でも、「やめてください」と言われてもやめられないのが薬物なんです。それくらい薬物は怖いものだということも、このエピソードからわかると思います。おそらく自分の力だけではやめられないと思うので、いろんな人の支援を受けることも必要になるでしょうね。

無味乾燥な判決文を読み上げるだけではない

── ここまで紹介してきたような「裁判官のお言葉」は、どういうときに聞くことができるのでしょうか。

いちばん多いのは、刑事裁判の後半ですね。前半は、氏名や生年月日などを尋ねて本人かどうかを確認する「人定質問」など、形式的なやり取りが多いんです。

後半に入ると、「被告人質問」が行なわれます。まず弁護人からの質問があり、次に検察からの質問があり、そのあと裁判官からの「補充質問」がある。この補充質問の際に、裁判官の本音を聞けることがあるんです。

それと、判決理由を述べるときですね。厳しい言葉の場合もあれば、優しい言葉の場合もあります。判決理由は裁判所の記録に残っているので、調べようと思えば誰でも調べることができます。

 

調べるのが難しいのは「説諭」です。法律上では「訓戒」と言って、刑事訴訟規則第221条で「裁判長は、判決の宣告をした後、被告人に対し、その将来について適当な訓戒をすることができる」と定められています。決して、「気まぐれ発言」ではありません。

この説諭は、裁判所の記録には残らないんです。だから、傍聴席に座って実際に聞くか、マスコミの報道で伝わっているものを調べるしかありません。

 

「もうやったらあかんで。がんばりや」

── 他には、閉廷後に声をかけるパターンもあるそうですね。これは200311月、大阪地裁・杉田宗久裁判官が閉廷後、被告人にかけたお言葉です。

被告人は、育ち盛りの2人の子どもを持つ母親でした。家出した夫の借金を抱え、生活に追いつめられた末、スーパーで万引きをくり返していたんです。

そんな被告人に杉田裁判官は、同情の余地があるということで執行猶予を言い渡しました。そして閉廷後、被告人が退廷するときに裁判官席から身を乗り出し、「もうやったらあかんで。がんばりや」と声をかけたんです。

 

私はたびたび大阪地裁に足を運び、杉田裁判官の裁判を実際に見てきましたが、同じような光景を何度も目撃しています。執行猶予をつけたときは、こうして被告人を励ますことを、おそらく杉田裁判官は習慣にしているのだと思います。

裁判の世界には、「感銘力」という言葉があります。裁判によって、被告人のその後の人生によい影響を与え、二度と同じような罪を犯させない力のことです。杉田裁判官の声がけには、優れた感銘力があると感じます。

 

「爆笑」だなんてけしからん?

── 『裁判官の爆笑お言葉集』というタイトルは、編集部からの提案だったんですよね。このタイトルをめぐっては、私(編集担当)と長嶺さんの間でささやかなバトルがありました。

バトルというほどではありませんが(笑)、「えっ?」と思ったのは確かですね。「はじめに」の中に「爆笑」というフレーズがあるので、そこからのインスピレーションでつけてくださったと思うのですが。

ちなみに、私が提案したタイトルは、『裁判官は喋り好き』でした。いま思えば弱いですね。

 

── でも、本が出てから読者の方から「内容は素晴らしいけど、タイトルがよくない」「『爆笑』だなんてけしからん」といったご批判をいただくことになりました。タイトルをつけたのは編集部ですので、長嶺さんは無罪です(笑)。ただ、結果論かもしれませんが、タイトルの意外性と中身の面白さが相まったことで、多くの読者の方が手に取ってくださったと思うんです。

おっしゃる通りだと思います。このタイトルだったからこそ、多くの人に広まったのではないでしょうか。この本をきっかけに裁判傍聴をするようになった、という人もけっこういます。社会にある程度の影響を与えることはできたのではないか、と思っています。

ですから、いまでは感謝しています。ただ、発売から16年たったいまでも、「爆笑」という言葉が不謹慎だと言われることがあります。正直、もう勘弁してくださいと思うこともあるのですが(笑)。

以前、裁判官の会合に呼ばれたことがあります。そのとき1日中、裁判官のみなさんと語り合ったのですが、このタイトルについてのクレームはまったくありませんでした。また、本書で取り上げた事件の当事者の方にも、何人かお会いしたことがありますが、そのときもタイトルについてのご批判をいただくことはありませんでした。

 

── それを聞いて安心しました。この本を読むと、罪を犯すのも人間だけども裁くのも人間で、裁判官も悩んだり、迷ったりしながら判決を出しているんだなということがよくわかります。

最近では、やがてAIが裁判を行なうようになるとも言われています。しかし、AIが出した判決ではたして人間は納得できるのか。そこが問題です。判決はAIが出す、説諭は人間が行なう。そんな役割分担もありうると思います。

 

初心者は「新件」の裁判がオススメ

── 長嶺さんはいわゆる「裁判傍聴ブーム」の先駆けだと思うのですが、現在も裁判傍聴は続けているのですか?

2020年に、東京地裁の法廷で新型コロナウイルスのクラスターが発生して、しばらく足を運ぶのを控えていました。ようやく最近になって再開しまして、「ああ、こういう空気だったな」と喜びを噛みしめているところです。

 

── 何か追いかけている事件があるのでしょうか。

いえ、飛び込みで気になった裁判をはしごして見ています。裁判傍聴ってそれくらい気軽にできるものなんですよ。申し込みは必要ありませんし、平日の10時から17時までの間であれば、法廷にいつ入っても、いつ出てもかまいません。

 

── 裁判と言っても、いろんな裁判があると思います。初心者の人は、どんな裁判を傍聴したらいいと思いますか?

その日にどんな裁判があるのかは、たいてい裁判所のロビーなどに掲示されています。電子端末が用意されていて、気軽に調べることができる裁判所もあります。

裁判傍聴が初めてという方は、その中から「新件」と書かれている裁判を選ぶといいと思います。新件というのはその日から始まる裁判、つまり初公判のことです。

 

なおかつ、その日のうちに最後まで終わる裁判がいいでしょう。1件のみの起訴と思われる窃盗事件や詐欺事件、あるいは覚せい剤取締法違反や大麻取締法違反などの薬物犯罪ですね。

逆に、余罪がたくさんある事件だと、何度も裁判をくり返す必要があるので、その日のうちには終わりません。

その日のうちに終わる裁判を傍聴すると、全体の流れをつかむことができます。人定質問から始まって、冒頭陳述で事件の概要を理解する。さらに被告人質問、必要があれば証人尋問があり、運がよければ判決まで進むこともあります。

 

── 通っているうちに、この本に出てくるような面白いお言葉に出会えるかもしれませんね。

それはもう、運しだいです。面白い言葉に出会うコツは、私もいまだにわかりません。裁判というのは実際に行ってみないとわからない、ということですね。

 

── 最後にみなさんへメッセージをお願いします。

『裁判官の爆笑お言葉集』と、続編『裁判官の人情お言葉集』をまだ読まれていない方は、オーディオブックでもけっこうです、お皿を洗いながらでも、お風呂に入りながらでもいいので、ぜひ鑑賞してもらえたらと思います。

今後の予定としては、いま15冊めの本をつくっています。全国のいろんな「おもしろ条例」をまとめた子ども向けの図鑑で、今年中に出したいと思っています。こちらもぜひ、楽しみにしていてください。

 

本記事は、 Amazonオーディブル『武器になる教養30min.by 幻冬舎新書』より、〈【後編】長嶺超輝と語る「『裁判官の爆笑お言葉集』から学ぶ個性あふれる裁判官の言葉」〉の内容を一部抜粋、再構成したものです。

 

 

2023.06.06 好日好書

長嶺超輝「裁判官の爆笑お言葉集」 哀愁と温かみ、願いを込めて

 裁判官、検察官、弁護士からなる法曹三者だが、検察官は原告の、弁護士は被告人の代理人という第三者的立場。唯一、被告人と生きた言葉で対峙(たいじ)するのが裁判官だ。とりわけ判決言い渡し後、裁判長が有罪となった被告人にかける言葉(説諭)は、事件や裁判全体を締めくくる実感のこもったものが多く、語りかける側の人間性が現れる。

 説諭は必ずしなければならないものではないが、ひと声かけずにはいられなかった。本書は、裁判官の言葉を集めることで、被告人の人生がかかった現場の臨場感を浮き彫りにしている。書名には爆笑とあるが、著者にはふざける気などない。取り上げられているのは笑った後で考えさせられるものばかりだ。

 逆に裁判長の真剣さが笑いを誘発することもある。たとえば懲りない薬物使用者への言葉。

 「私があなたに判決するのは3回目です」

 短い中に、被告人の常習ぶりだけでなく、自分自身へのツッコミまで含まれた哀愁漂う名セリフである。裁判長も、自分の無力さを反省しているのだ。

 裁判は有罪か無罪かを判断し、前者なら量刑を決めるのが役割だと思われがちだが、それで終わりではない。有罪となった被告人が反省し、実刑ならば刑務所で罪を償い、出所後に社会復帰する。被告人が再犯することなく更生を果たして立ち直ることを裁判長は願っている。

 2007年に刊行された本書がいまなお売れ続けるのは、冷徹なイメージの強い裁判と、血の通った言葉とのギャップのせいかもしれない。

 私の気に入りは、大阪地裁の裁判長が窃盗犯に執行猶予付き有罪判決を言い渡した後の温かみのある説諭だ。たぶん、ちょっと身を乗り出しながら、裁判長はこう言った。

 「もうやったらあかんで。がんばりや」

 裁判は、人が人を裁くもの。判決だけなら下せるだろうが、こんなシンプルな言葉、AIは思いつきもしないだろう。=朝日新聞202363日掲載

    

 幻冬舎新書・792円=3441万部。2007年刊。担当者は「昨年末に書店店頭で再び火がついた」。今年の重版は計約95千部。

 

 

『裁判官の爆笑お言葉集』 初版は16年前、書店発で再ヒット

2023/7/8 08:00伊藤 洋一 産経

『裁判官の爆笑お言葉集』長嶺超輝著(幻冬舎新書・792円)

平成19年の初版から16年。今年5月、出版取次トーハンの月間ベストセラーで新書部門1位、全体で14位に入った。6月だけで2度増刷された3542万部のロングセラーだ。

年初までは30万部超だった人気作品に再び目を向けさせたのは、紀伊国屋書店さいたま新都心店だった。店員が昨年末、刊行から時間がたった書籍で今読んでほしい一冊に選定。文中に出てくる〝お言葉〟を抜きだし手書きポップで紹介すると、手に取る読者が増えたという。今年1月、3年半ぶりに増刷し同店の系列店や他書店でも同様の取り組みを実施すると、各地で売れ出した。

16年前に読んでいない方にとっては新刊と同じ。内容が古びているわけでもない。感情をこめず冷静に判決文を読み上げるイメージがある裁判官ですが、そうではない方がいることに興味を持っていただいたのでは」と版元の担当者は分析する。

新しい帯には「私があなたに判決するのは3回目です」とある。九州地方の別の裁判所で、覚せい剤取締法違反の罪で2度実刑判決を言い渡した被告に、またも懲役刑を下した際の説諭。転勤が多い裁判官の赴任先についていくかのような被告の依存症は、爆笑ではない。(伊藤洋一)

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