ギャラリーストーカー  猪谷千香  2023.12.4.

 2023.12.4. ギャラリーストーカー 美術業界を蝕む女性差別と性被害

 

著者 猪谷千香 東京都出身。東京育ち。明治大学大学院修了。博士前期課程考古学専修修了。産経新聞文化部記者を経た後、ドワンゴのニコニコ動画ニュースを担当する。13年からハフポスト日本版でレポーターとして様々な社会問題を取材。17年から弁護士ドットコムニュース編集部で記事を執筆している。おもな著書に『つながる図書館』(筑摩書房)『町の未来をこの手でつくる 紫波町オガールプロジェクト』(幻冬舎)などがある

 

 

発行日           2023.1.10. 初版発行

発行所           中央公論新社

 

まえがき

ギャラリーストーカー。画廊で作家につきまとう人たちのこと

多くが中高年男性で、ターゲットは美大を卒業したばかりの若い女性作家

本書では、彼らがどのように作家を追い詰めていくのか、被害に遭った女性作家たちに取材し、その手口を明らかにした

ギャラリーストーカーの問題は氷山の一角に過ぎず、この問題が放置され続けた背景には、美術業界そのものにハラスメントの温床になる特殊な伝統と構造、体質があることが浮かび上がってきた

美大受験のための予備校や美大時代から続く、滅私奉公が求められる徒弟制度の伝統も無関係ではない。徒弟の関係性が、卒業後に作家として独立した後も継続する

労働環境も、十分に法的に整備されているとは言えない。多くの作家がフリーランスで、ハラスメントの相談窓口などの制度やサポートの欠陥が、加害を助長している

どうしたら負の連鎖を止めることができるのか

 

第1章        作家に付きまとう人々

l  「画廊で会った時、運命だと思った」

中年の美術コレクターの男性から声を掛けられた美大大学院生の女性。あるグループ展に出展していて知り合って以来、作品を購入してくれる客となるが、どんどん距離感が短縮

l  「カーナビに実家の住所を登録したい」

2年以上も付きまとわれた彼女を救ったのは、ギャラリーのオーナーの機転

l  華やかな美術業界の舞台裏で

遠くから見れば華やかで輝いて見える美術業界

裏に広がる暗闇の一つがギャラリーストーカー

作家は画廊に滞在し、自ら接客したり、作品の解説を行ったりする――「在廊」と呼ばれ、創作活動に加えて行う重要な活動

l  「作品を買ってあげたんだから食事くらい」

l  警告を無視してギャラリーに現れる

加害者は、作家と相思相愛だと思い込んでおり、加害意識がない

l  ギャラリーストーカーになる客とは

コレクターにも階層があって、底辺の一般コレクターにストーカーが多い

l  つまりは無料のキャバクラ嬢扱い

ストーカーのブラックリストもある

l  東京藝大に出現する「藝大おじさん」

学内の展覧会・卒展にも出没するストーカーがいる。もともとは音楽学部から始まった

美大では、表現すべきことの意味を問い、美術史の文脈の中でどのような新たな挑戦をするのか、作品との向き合い方は教えてくれるが、卒業後に作家活動をするうえで降りかかるさまざまなリスクから身を守る術は得られないまま、美術業界に放り出される

l  調査で明らかになった被害の多さ

2021年、毎日新聞が初めてギャラリーストーカーによる被害の実態をリポート

「表現の現場調査団」が、1449人の過去10年のハラスメント経験を公表。ギャラリーストーカーの実態が、特に2030代の女性から生々しく訴えられていた

 

第2章        ギャラリーストーカーが野放しになるワケ

l  背景にある美術マーケットの特殊な構造

作家はギャラリーの客やコレクターからの誘いを断りにくい。その理由は、現在の美術マーケット独自の構造にある。ギャラリーは新人を発掘して、有力なコレクターに作品を購入してもらう。有力なコレクターはその作家の作品を自らのコレクションとすることで、作家の市場での価値をさらに上げる。オークションに出品して高額落札されれば自らの資産運用にもなる。これが欧米中心の美術市場における人気アーティストの誕生プロセス

日本でも、精神科医の高橋龍太郎コレクションは有名

l  若い作家を「利用」する画廊

早く売れたいと思う若い作家の気持ちを客やギャラリーが利用することもよくある

画廊には貸し画廊と企画画廊の2種類。企画画廊なら作家を守ってくれるケースもある

l  ギャラリーという名の密室で

日本最古の画廊は、1931年オープンの銀座資生堂ギャラリー

作家にとって在廊は、創作活動の一分でもありながら、誰にでもアクセスが許され、作家側は無防備なケースが多い

l  40台以上の中高年男性に多いギャラリーストーカー

l  「善意」でストーキング

現在のストーカー規制法は、加害者側に恋愛感情や好意があるということが要件になっていて、被害者に立証責任を負わせているため、刑事事件として扱うことを難しくしている

ストーカーの類型―拒絶型、憎悪型、親しくなりたい型、相手にされない求愛型、略奪型

l  ギャラリーストーカーを衝き動かすもの

善意の場合もなくはない、親しくなりたい型、相手にされない求愛型など

l  対策は「対症療法」

経験や知識を作家同士で共有するなど、美術業界で問題意識を持つことが大事

l  美術家からも絶賛された、画廊「くじらのほね」の取り組み

千葉の企画画廊「くじらのほね」では、2020年のオープンに先立ち、作家に対する迷惑行為禁止をツイッターで公表。作家の安全を守ることを画廊の責任とした。①在廊作家と2人きりになろうとする、②作家にプライベートな誘いをする、③執拗に連絡先を訪ねる、などの行為を禁止し、作家への被害がある場合には退去を求めるとした

l  被害者は泣き寝入りの「ブラックボックス」

l  被害に遭った先輩作家たちからのアドバイス

連絡先は、作家活動向けの公式サイトやSNSを開設して逃げられる連絡先を作り、プライベートと切り離す。1人で抱え込まずにギャラリーの人に相談する

 

第3章        美術業界の権力者による性被害の実態

l  憧れの著名美術家が豹変する

美術業界の内側にいる人たちはさらなる脅威になる危険がある。特に著名作家やキュレーター、有名美術館の学芸員などは、若手作家の成功を左右するキーパーソン

l  電話で罵倒され続ける

l  打算があるから被害を訴えられない

l  著名なキュレーターが展覧会開催と引き換えに

l  有名美術館の学芸員の手口

l  学芸員に作品を蹴られる

 

第4章        教育現場で横行するハラスメント

l  東京藝大の新歓での「一発芸」

学生時代から同じ大学の先輩や教員からハラスメントを受けているケースも少なくない

根底には極端に偏ったジェンダーバランスがあり、男性に都合がいい価値観が再生産され続けてきたのではと疑われる、歪な構造も浮かび上がる

藝大の彫刻科では、毎年20人の新入生の歓迎会が教員も含め全員で行われ、新入生は一人一人一発芸をやらされ、大きな杯を飲み干さないといけない

l  「藝大でもこれか」と落胆した男子学生

l  東京藝大からの回答

学内ハラスメント相談員による相談体制に加え、2021年から外部の相談窓口も設置

コロナ前には前記のようなハラスメントの新歓が行われていたようだと事実を認める

l  被害者意識が強い加害者

加害者からの相談もあるが、彼等はハラスメントに対する意識が低く、被害者意識が強い

l  天才は型破り――という美術界の神話がハラスメントを助長する

美術業界はハラスメントに対する意識が希薄

女性遍歴をやめようとしないピカソとの関係に傷つき、疲れた女性の1人がフランソワーズ・ジロー。21歳の画学生ジローは60のピカソと同棲後、ピカソを捨てた唯一の女性

l  被害者意識も希薄になる美大の特殊事情

若い頃からハラスメントを咎められず、見逃されてきた体験が、その後の助長に繋がる

 

第5章        美術業界の異常なジェンダーバランス

l  「女子学生を教えてるなんて言えない」

日本の美術界は圧倒的に男性優位の構造が残ったままで、教育現場にまで女性差別意識が残り、女子学生を教えている事すら学外で公言するのを憚られる雰囲気がある

アカハラのほか、美術業界など表現にかかわる分野で見られるのがテクスチュアルハラスメントで、作品や作家に対する論評をする際の相手を貶める嫌がらせや誹謗中傷

l  ハラスメントと徒弟制度

l  「所詮あなたの作品はお嬢さん芸だから」

l  女子学生が多いが、女性教授は少ない美術大学

教授・准教授、講師を含む常勤教員男性率は大幅に女性を上回るのに対し、助教・助手では女性率が男性率を上回る学校が多い

l  ハラスメントを黙認する美大の体質

美大は、美術業界の権力構造の縮図。ハラスメントを訴えた被害者にはリスクしかない

l  著名な賞の審査員や大賞受賞者は7割が男性

自浄作用も働きにくい

2010年代の10年間に全国の15美術館で開催された個展でも、男性318人に対し女性は58人で、その間7館で買った7割超が男性作家で、作品では8割以上が男性のもの

2019年のあいちトリエンナーレでは、参加作家のジェンダーバランスが均等との配慮

美術館の学芸員では女性が66%占めるが、館長職では女性はわずか16

l  《加恵、女の子でしょ!》が投げかける問題

映像分野で活躍する作家・出光真子のビデオ作品《加恵、女の子でしょ!(1996)は、高村光太郎と知恵子の関係を参考にしながら、美術界での性差別を描いた作品、美大の男女学生が結婚するが、女性は作家としてよりも主婦や母親としての役割を負わされる

出光は、佐三の娘で、男尊女卑の中で育ち、作家となってからもその刷り込みは呪縛に

 

第6章        歴史から消えた女性芸術家

l  大学とマーケットの間で消える女性

1862年生まれのスウェーデンの女性画家ヒルマ・アフ・クリントの生涯が映画化。カンディンスキーが1910年代に抽象画を誕生させる前に独自の手法で抽象画を描いたが、大学とマーケットの間で「何かが起きた」ために歴史から欠落した。美術業界が歴史的に女性をどのように位置付けて来たか、美術業界は誰によって誰のために構成されてきたのか、という難しい問題に対峙することが求められた

l  女子学生に門戸を閉ざした東京美術学校

日本では伝統的に「嫁入り前のお稽古事」として日本画を学ぶことは許されてきた

西洋美術も、1876年日本で初めて創設された官立の工部美術学校は女子の入学も認め、6人の女子がいたが、1883年閉校され、’89年東京美術学校の募集は男子のみ

1900年私立女子美術学校(現女子美)が創設されるが、世間の理解は薄く、女性洋画家の草分け三岸節子も女子美を首席で卒業したが、夫とともに独立美術協会に参加するも正式会員にはなれなかった。'19年入学の深澤紅子も「不良同然」呼ばわりされた

l  「描く」男性、「描かれる」女性

日本が西洋美術を受容する過程で、ジェンダーロールが固定化された

「日本近代洋画の父」黒田清輝の裸体画が起こした論争は、昭和初期になって漸く「芸術」として認知されたが、プロレタリア画家排除のための便法として利用された

l  「女は一流の画家になれない」

女性の描く対象が家族や静物ばかりなのは、ジェンダーロールの押し付けに他ならない

美術団体が女性会員を認めたのは戦後のこと。戦前は女性だけの団体が散発的にあるのみ

l  東京美術学校の共学化

戦後、GHQの指導により1946年度から美校も共学を果たし、36人の女子が入学。平山郁夫夫人は年上の日本画の同級生で、母の言いつけで結婚を機に筆を折る

l  「平和」を担わされた裸婦像

人々の意識が変わらない象徴的な存在が彫刻

戦後、鎮魂や平和への祈りを象徴するモニュメントが設置されたが、多くは裸婦像

1951年三宅坂に設置された《平和の群像》は、公共空間に初めて誕生した裸婦像。電通創立50周年の広告功労者顕彰碑だが、なぜ「平和」が裸婦像という表現に繋がるのか不詳

公共空間の女性裸体像は日本特有の現象。ヨーロッパでは、ギリシャ神話の女神を表すもので、美術館などの私的な空間に設置されている

宝塚大橋の《愛の手》(裸婦が手の上に立つ)は設置されたが、2022年改修時に撤去

l  女は裸にならないと美術館に入れない?

1989年米匿名アーティスト集団「ゲリラ・ガールズ」が美術館のジェンダー不平等を告発、名画の裸婦にゴリラのかぶり物を被せたポスターに「メットに入るには裸にならなければならないの?」と書いた

日本でも’90年代後半、女性学芸員が相次いでジェンダーをテーマにした展覧会を企画したが、著名な男性評論家を中心に、「ジェンダー論は欧米からの借り物の思想で、日本には適合しない」とか「ジェンダーという思想が美術を窮屈にさせる」といった強い批判が出た

今、美術業界では様々なハラスメントが表面化、その多くが業界のジェンダー格差に起因。長い伝統と歴史の裏側で、業界はハラスメントの温床になってしまったことも否めない

 

第7章        変革を求めて

l  美術評論家連盟が動いた

2021年、美術評論家連盟の元会長(上智大教授林道郎)がセクハラで教え子に訴えられ、会長を辞任、大学も懲戒解雇。連盟は国際美術評論家連盟の日本支部として、国際美術展に出展する際の選考などを国内で組織的に対応するべく1954年創設。急遽ハラスメント防止のガイドライン作成、4人の相談員配置など対応に追われた

l  女性作家たちからの声で生まれたガイドライン

2019年、EGSA Japan設立、芸術分野の環境改善を目指し設立。ジェンダー・セクシャリティ教育やハラスメントの実態などの調査研究を行う。被害者女性の声を反映した「芸術分野におけるハラスメント防止ガイドライン」公表

美術業界での評価の価値観は、歴史的に西洋の白人男性によって作られたもの。日本移入時も男性知識人の価値観へとそのままスライド。批評家は男性中心で、彼らが評価する作品は男性有利になるという構造があり、それが美術・芸術界ではハラスメントに直結

l  「表現の現場調査団」がハラスメントを可視化

可視化のきっかけを作ったのが表現の現場調査団の活動。美術分野の作家らで構成される団体で、ハラスメント問題に取り組み、『「表現の現場」ハラスメント白書2021』『ジェンダーバランス白書2022』を公表。民間企業などより、具体的で深刻なことが暴露

l  ハラスメント撲滅には法整備が急務

2022年、文化庁が「文化芸術分野の適正な契約関係構築に向けたガイドライン」策定

l  被害体験が継承されない

美大のアカハラが目立つ。フリーランスが多い業界故に、ハラスメントに対する知識も共有されず、先人の被害や体験が集団的に継承されていない

l  自分たちの権利を守るネットワークを

l  低賃金、長時間労働、ハラスメントが当たり前の業界

l  声を上げ、一歩を踏み出した若い世代

2020年、多摩美での卒業制作の中間発表で、女性特有の現象をテーマにした作品の講評を男性教員が分からないと拒否したことをきっかけに、学生53人が体質改善の要望を提出。全教員が男性で大半が50代以上

l  「すごく時間はかかるかもしれないけど変えていける」

学生のうち3人が卒業制作展でトークイベント「メディア芸術とジェンダー」を開催。教員と問題を共有し、解決に向けた「共同作業」を企図したが、教員の一部から拒否反応が示され、大学からの回答は漸く1年後、遅れたことへの謝罪と教員構成の多様化を約束

 

 

あとがき

被害者の思いに突き動かされて書いてきた。煌びやかな美術業界の暗闇の一部を照らしただけに過ぎないかもしれないが、この問題を1人でも多くの方に知っていただき、若い作家たちが自由な表現の世界で活躍できるよう、力を貸していただければと思う

 

 

 

好書好日 2023.03.19

「ギャラリーストーカー 美術業界を蝕む女性差別と性被害」猪谷千香さんインタビュー 根深く見えづらい構造、対策は?

猪谷千香さん=篠塚ようこ撮影

 東京駅から大手町方面に歩くと、某通信会社のビル前に「飛躍」という名の裸婦像がある。1923年にパリに渡った日本彫刻界の第一人者・清水多嘉示によるものだ。曲線や表情は確かに美しい。でもやっぱり思う。「なんで裸で飛翔なの?」と。モヤモヤを抱え、猪谷千香さんの『ギャラリーストーカー 美術業界を蝕む女性差別と性被害』(中央公論新社)を読むと、女性美術家が作家生命を断たれるほどのハラスメントが起きているというショッキングな事実を知った。そこには美術業界の歴史的・構造的な背景があるという。街中の裸婦像への「なんで当たり前に裸なの?」のモヤモヤにもつながる話ではないか。さっそく、会いに行った。(文:朴順梨 写真:篠塚ようこ)

l  美大生は約75%が女性、教授は男性が80

――「ギャラリーストーカー」とは、画廊などでおもに女性作家に付きまとう男性とのことです。そもそもなぜ、ギャラリーストーカーについて取材をしようと思ったのですか?

 もともと美術が好きで、いち美術ファンでもあったんですが、津田大介さんらによる「あいちトリエンナーレ2019」の記者会見に出まして。そこで美術業界のジェンダーバランスが非常に男性優位で、女性が弱い立場に置かれていることが発表されました。薄々は感じていた違和感が、データ化されたことで確信になりました。その後、作家や監督たちでつくっている「表現の現場調査団」という団体が、表現のジャンルに関わるハラスメントの被害調査を実施して、2021年3月に会見をしました。その結果は、本当にひどいハラスメントが横行しているという、衝撃的な内容だったんです。

――表現の現場調査団が発表した「ジェンダーバランス白書2022」によると、美術大学の学生は約75%が女性なのに、教授は80%が男性です。学長に至っては9割以上が男性という状況で、声をあげにくい部分があったのではないでしょうか。

 ジェンダーバランスの偏りはとても影響していると思います。映画や演劇の世界では、これまで泣き寝入りをしていた被害女性たちが、相手を実名で自分も実名で告発する#MeTooムーブメントが起きましたが、美術業界には波及していません。人間関係がとても狭いんです。美術予備校時代から先輩後輩という上下関係があり、それが美大・芸大でも続きます。

 また美大・芸大の先生方って、教員なだけではなくて作家でもあるんです。卒業生が美術業界で仕事をしようとした時に、やはり大学の先生の影響力はとても大きくて。先生のツテで仕事を頂くことも結構ありますので、実名で声を上げづらい。実名で告発したら、その後の作家人生に関わってしまうと恐れて泣き寝入りせざるを得ず、表面化しなかったというのが大きいと思います。だから本でも登場する被害者の方は、全員匿名になっています。

――個展にやってきて「君の作品ってすごいね」と近づき、恋人のように作家に絡んでくる人を私も目撃したことがあります。これがギャラリーストーカーですよね。

 残念ながら、無料キャバクラみたいに若い女性作家に接待を求める人もいますね。ただ、ギャラリーストーカーの場合は悪意を持っているわけではない人も多くて、自分が加害をしている意識がなく、むしろ善意で作家を助けているんだって思い込んでいる。これが問題なんですよね。また、若い作家にとって、いかに有力なコレクターとつながるか、自分の作品をコレクションしてもらえるのかってすごく大切ですから、無碍にできない。そこに付け込んだコレクターが「作品を買うから愛人になれ」と関係を迫ったりするので、性被害にもつながりやすい

――権力の差から生まれるハラスメントや性暴力についても、じっくり取り上げていますね。

 美大・芸大の学生には女性が圧倒的に多いのに、大学の教授や各賞の審査員、美術評論家、キュレーター、美術館の館長も男性ばかりです。彼らが作家をピックアップする際に男性作家を選びがちという傾向があります。選ばれた作家は業界で権力を持つようになり、「選ぶ側」を男性が占めるという状況が再生産されていく。なかなか女性が選ばれたり、ポジションを与えられたりしない構造が、美術業界にはあります。

l  近代美術の発展の中で固定化したジェンダーロール

――権力者は男性、学生は女性が多い一方、芸術・美術のモチーフとして裸婦像がありますよね。もちろん男性の像もありますが、「平和」とか「青春」を表現するのに、なんで裸婦なのかなってずっと疑問で。

 私は昔からあれがすごく謎で、どうして街で見かける銅像は裸婦が多いんだろうと。今回改めて調べてみると、彫刻って素材が大きかったり重かったりと力仕事なので、男性作家が伝統的に多い。そうした中で表現として、女性の裸体を選ぶことが多いのかなと。とくに裸婦のデッサンは、日本では大学の入試や教育課程で重視されてきた伝統があります。

 1889年に東京藝大の前身である東京美術学校が開校するのですが、その募集広告には「男性に限る」とありました。女性が入学できるようになったのは、第2次世界大戦が終わってから。教員は男性、学生も男性、卒業して活躍する美術家も男性という中で、日本の近代美術が発展し、男性は「描く側」、女性は「描かれる側」というジェンダーロールの固定化がなされました。その歴史ゆえに、「平和」や「青春」といったポジティブなテーマで、自分たちの理想とする裸婦像で表現してきたのではないかと思います。

――なるほど。すっきりしました! でも日本だけではなく、カンディンスキーによって抽象画が生まれる前に、独自の手法で抽象画を描いていた女性作家がいたにもかかわらず、歴史的に無視されたことに触れてますね。「美術史の表舞台に女性は皆無だった」とありますが、海外でも日本と似た状況だったのでしょうか?

 今回、本を書くにあたり何度も書店に足を運び、どんな本が出てるのか、どんな作家がいるのかをジャンルを問わず見ていたのですが、紹介されている作家は国内外も問わず男性が圧倒的に多いんです。女性も表現しているのに、どうしてこんなに男性が多いのか。そのアンバランスさに、私も驚きました。

――昔から芸術家の男性って私生活が破天荒でも、「あの人は芸術家だから」で許されてきた部分が、あるのではないかと思います。それが被害拡大につながった部分もあるのでは?

 本の中でもピカソの女性遍歴に触れていますが、仕事は一流だからと今でも評価が高い。やっと最近になって、彼のプライベートについての批判が出てきましたが、芸術家は良い作品さえ作っていれば、あとは何をやっていても許される風潮は確かにこれまであったと思います。でも今は、他人の人権を踏みにじった上に成立している表現は許されるのか、見る側の意識も問われると思います。

l  女性だけではない、労働の搾取も

――演劇や映画業界では、ハラスメントや性暴力をなくす動きが進んでいます。美術業界でも、変わりつつあると感じることはありますか?

 千葉市の「くじらのほね」という企画画廊が「こういう行為は禁止です」と、ストーカー対策を明文化して発表したんですね。作家にとっては安心して、発表できる場になるのではないでしょうか。禁止行為を表明するギャラリーは、大阪にもあると聞いています。変えていこうという動きは、少しずつですが生まれています。

 加害行為をしている権力者たちは、多分若い頃から同じようなことをしても、誰にも止められることなく来てしまっているのではないかと思います。でもハラスメントや性暴力はしてはいけない行為なんだと、次世代を担う人たちには意識を持って頂きたいと思いますし、「ハラスメントは許しません」というステートメントを出したり、防止策を実施したりしている美術館やギャラリーを応援するようにしていけば、変わっていくはずです。

 ただ、大学の場合は、ハラスメントの相談窓口担当の教員がハラスメントする側だったりすることがあります。そうなるときちんとした調査がされにくいので、学外の専門家を入れて、学生が安心して相談できるようにしていただきたいと思いますね。

――ジェンダーバランスやジェンダーロールはいますぐ変えられなくても、ハラスメント対策はできると思います。それには何が必要だと思いますか?

 美大・芸大の教員は作家やキュレーターが多く、卒業生にも多大な影響を与えています。その影響を小さくするために、定期的に教員を入れ替えるとか、教員として勤めている間は教育だけに専念していただくとか、そういう対策を取らない限り、今ある権力構造はなかなか変わっていかないと思います。

 また、美術業界には伝統的に徒弟制度が残っていますが、男女問わず、師匠作家の仕事を無償で手伝わされたり、口約束だったためにタダ同然で働かされたりする。そこにハラスメントが生じやすくなります。しかし、美術業界の労働問題に取り組んでいらっしゃる先生や専門家は少なく、学生は何も知識を持たないまま美術業界に放り出されています。まずはそれぞれの教育機関で、ハラスメントについてだけでなく、契約をきちんと結ぶなど、基本的な労働についての知識も教えてほしいです。

――女性だけではなく、男性も搾取される構造があるわけですね。この1冊だけでは、被害を語りつくせない気がします。

 この本を出した後、私のところに「自分もこんな被害に遭いました」という連絡を頂くことがありました。SNSでも「自分も同じような経験をしました」という声があって。本当に2冊目が必要なんじゃないかっていうぐらい、被害の根は広くて深いと私も思っています。

 

朴順梨(ぱくすに)ライター

『離島の本屋』(ころから)とか、まあ色々書いてます。モー娘。ももクロ ZOCと約10年サイクルでアイドルにハマる。

篠塚ようこ(しのつかようこ)フォトグラファー

1978年東京都生まれ。AERA写真部を経てフリーランス。日本写真家協会会員。仕事終わりの生ビールを生き甲斐に日々活動中。

 

 

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