〈内戦〉の世界史  David Armitage  2022.12.27.

 2022.12.27. 〈内戦〉の世界史

CIVIL WARS A History in Ideas           2016

 

著者 David Armitage 1965年ストックポート(イングランド)生まれ。ケンブリッジ大で博士号取得。コロンビア大教授を経て、現在米ハーバード大歴史学部教授。専門は思想史、国際関係史。著書に『思想のグローバル・ヒストリー』『独立宣言の世界史』『帝国の誕生 ブリテン帝国のイデオロギー的起源』など。共著『これが歴史だ!』は2014New Statesman誌の「ブック・オブ・ザ・イヤー」、2018Chronicle of Higher Education誌の「過去20年間で最も影響力があった本」に選出

 

訳者 

平田雅博(序章、第3,4) 1961年青森県生まれ。東大文卒。現在青山学院大文教授。専門はイギリス帝国史。主著『英語の帝国――ある島国の言語の1500年史』

阪本浩(1,2) 1954年宮城県生まれ。東北大大学院文学研究科博士課程退学。青山学院大文教授。同大学長。専門はローマ史。主著訳書『ソシアビリティの歴史的諸相』

細川道久(5,6章、結論、あとがき) 1959年岐阜県生まれ。東大大学院人文科学研究科博士課程退学(博士)。現在鹿児島大法文教授。専門はカナダ史、イギリス帝国史。主著『ニューファンドランド――いちばん古くていちばん新しいカナダ』

 

解説 成田龍一 1951年大阪府生まれ。早大大学院文学研究科博士課程修了(博士)。現在日本女子大教授。専門は近現代日本史。主著『近現代日本氏との対話』

 

発行日           2019.12.19. 第1刷発行

発行所           岩波書店

 

ヴィクトール・ユゴー『レ・ミゼラブル』(1862)~「内戦? それはいったい何の意味であるか。外戦というものが存在するか。すべて人間間のあらゆる戦争は、皆同胞間の戦いではないか

ハンナ・アーレント『革命について』(1963)~「どんなに人間が互いに兄弟たり得ようとも、それは兄弟殺しから成長してきたものであり、どんな政治組織を人間が作り上げてきたにせよ、それは犯罪に起源を持っているのである」

 

序章 内戦との対峙

グローバル・ノース(北の先進諸国)における最近の国際平和は、ナポレオン戦争からクリミア戦争までや普仏戦争から第1次大戦まで約40年という過去の平和な時期よりも20年以上長くなっているが、世界は未だに極めて暴力的な場所であり、2016年にはアフガニスタンからイエメンまでの至る所で49件の武力紛争が進行中であり、国家間こそ平和を保っていても、住民たちは紛争の影響を受けており、長い平和はいまだに暗い影を引きずっている

1990年代初頭に、「歴史の終わり」の理論家たちは、資本主義と民主主義が地球全体に行き渡り、貿易の繫栄や確保された諸権利を享受する全ての人々を結びつけることになるだろうと確信をもって述べ、いわゆる民主主義的平和を主張した

だが、我々の周囲は死と破壊に溢れており、我々の平和はむしろ墓場の平和にも似ている

近年、他のいかなる紛争にも増して墓場に溢れ返っている紛争は内戦であり、最も広範囲に及び、最も破壊的で、最も特異な組織的対人暴力となっていった

1989年以来、国家内の戦争が年に平均20回起きており、第2次大戦後のこうした戦争における死者総数は25百万人となり、第2次大戦の戦死者の半数に匹敵する上、内戦の代償の物質的経済的損失は年約1230億ドルであり、発展途上国への援助総額に匹敵

国家内の戦争は、国家間の戦争よりも約4倍長期化する傾向があり、さらなる内戦を再発しやすいにもかかわらず、国家間の戦争ほど研究されていないし、内戦の理論化はいまだできておらず、戦争学・平和学はあっても内戦学はない

内戦の問題をさらに難しくしているのは、内戦が通常それほど長く「国内(シヴィル)に留まっていないこと

国内の戦争は外敵に対する戦争よりも破壊的になると考えられ、人間だけが霊長類の中でも特殊なことに、自身の同類を計画的に、大規模に、かつ熱狂的に殺戮する

私の目的は、内戦の歴史を掘り起こすに留まらず、我々の世界観を作り上げるうえで内戦が持つ意義を強調すること。内戦は、その破壊性にもかかわらず、歴史を通じて多くの概念を生み出してくれた。民主主義、政治、権威、革命、国際法、世界市民主義、人道主義、グローバル化などという概念は内戦が突き付けた挑戦なくしては、かなり貧弱なものとなっただろうし、内戦の経験を通じて今日までの共同体、権威、主権をめぐる我々の考え方が形成されてきたし、考え方への着想も与えられ続けている。ある戦争を「内戦」と呼ぶことは、敵を同じ共同体の構成者とみなす親近性を認めること

内戦の定義は、その概念が多くの異なる歴史的背景の中で議論されてきたものの、一義的には定まらず、失敗した側からいえば「反乱」であり、成功した側からは「革命」となる

内戦のような複雑な概念にはそのいずれにも多種多様の過去がある――知的系譜論

内戦は、哲学者が本質的に論争的な概念と名付けるものの1事例――内戦の概念が適切な使い方かどうかをめぐって果てしない論議が起きるのが避けられない

本書の副題を「思想の歴史」ではなく「思想における歴史」としたのは、西洋の議論、かつグローバルな論議において鍵となる思想を、複数の歴史的背景において検証することで、新しい歴史に参加する。起点をローマにおいて、それ以前のギリシャにまでは遡らない

本書で扱う過去2000年にわたる内戦の歴史は、意図的に焦点を絞り、第1に古代ローマ、第2に初期近代のヨーロッパ、第319世紀半ば以降に分けて、内戦の変容を描く

1部では、BC1世紀~AD5世紀の内戦を追う。内戦をめぐる諸々の概念が形作られた

2部では、1618世紀のヨーロッパで、内戦と革命が分離し相互浸透し続ける

3部では、南北戦争から今日までの内戦概念の遺産を追う。法の領域に持ち込むことによって内戦の熾烈さを緩和しようとした。内戦の文明化は国際的な法共同体の目的であり続けている

結論では、内戦をめぐって論争になった過去は複数の未来を生み出し続けることを示唆する。歴史のお陰でそうした未来に向き合えるようになる、その理由を理解するためにはまず共和政期ローマにおける内戦の発明を見なければならない

 

第1部        ローマからの道

第1章        内戦の発明――ローマの伝統

内戦は発明されなければならないものであり、人間の文化が創り出したもの。BC1世紀に遡って、ローマ人が初めて経験――何が「civil(同胞市民間のという意味で)なのかを最初に明らかにした。自分たちの最もこじれた紛争を政治的な用語で、戦争のレベルまで達した市民間の対立と理解したが、その要素は以後内戦の認識の核心的部分であり続ける

Civil(市民の)を定義した上で、それを戦争の観念と結合し、civil warを創造

ローマ人にとって戦争とは、伝統的に明確に定義された事柄で、正しい目的のために外敵に対して行われる武力紛争を意味したことから、内戦の観念は意図的に逆説的なものとなり、戦争としてはあり得ない戦争、真に敵ではない敵との戦い

この種の戦争を「civil(市民の)と呼ぶことは、自分たちの戦っている相手によって戦争の名前を付けるローマ人の慣例に従っている――「ポエニ戦役」もカルタゴ人がポエニというフェニキア人の子孫だったからその名がついた

ローマ人にとって内戦は、都市(ポリス)を拠点とする文明の破壊だった

内戦のイメージを呼び起こす最初の実例とみなされているのは、トゥキュディデス描くところのスパルタとアテナイの戦争の過程で、コルキュラ(イオニア諸島の1)はアテナイ側に寝返ったが、その際のコルキュラ内部が2派に分裂して闘争を繰り返したのが、政治的転覆と社会的秩序転倒の歴史的見本とみなされる――19世紀になって初めてcivil war (内戦)という訳語が使われた

多くの著述家は、ペロポネソス戦争を大きな内戦と呼ぶ

市民権の概念なしに、市民間の「戦争」はあり得ないので、civil warもあり得ない

ローマ神話は、ローマそれ自体が殺人行為から生まれたと語っている。ローマ創建者の兄弟が、新しい都市をどこに創るかをめぐって争う

ローマ共和国は、理論上は自由で法の支配に従うものだったが、現実は問題のない平和な状態とは程遠かった――身分闘争が護民官の殺人行為に発展、後知恵で内戦の兆候とされ、さらに1世紀後のカエサルの暗殺、その翌年のキケロの処刑へと繋がる

内戦は親しい敵に対する闘争――市民は市民法の保護を受けるとともに、諸権利義務が明示されたが、内戦はこれらのルールを全て覆してしまう

ローマで内戦が始まるのは、BC88年護民官による市民権拡大の動きに反発した執政官スッラがローマに向かって進軍した時で、市民と兵士が衝突回避に努めたため流血はなかったが、その後の市民間の暴力の連鎖の始まりに繋がり、BC27年アウグストゥスの皇帝即位まで続く――内戦と他の国内の騒乱と区別するのは、武器の所持と戦争規則の適用

この区別は後世、内戦=単一の政治的共同体の境界内で起こる戦争という観念をもたらす

 

第2章        内戦の記憶――ローマ人の描く心象

「内戦に対する最良の防御は忘却である」――抑圧本能/トラウマ

カエサルとポンペイウスはBC60年、元老院の共通の敵に対抗して便宜的に提携したが、BC49年元老院が軍指揮権剥奪を決議したのを機にカエサルはルビコンを渡りポンペイウスとの間に内戦が勃発、BC44年元老院議場で暗殺され内戦は終わるが、内戦はAD60年代まで100年以上にわたり繰り返され、その先も続く。平和と安定のアウグストゥス時代ですら内戦は続き、暴君の支配は他の手段による内戦の継続だったといわれる

ローマ市民権がより広く付与されるにつれ、内戦の範囲もより広くなる

内戦は、短期的には偶然の出来事だが、長期的には根の深い原因に遡ることが出来るCivilized(文明化)することでcivil warに弱くなるため、ローマ文明が続く限り、内戦は不可避的に起こる。ローマの詩人と歴史家が思い起こされている限り、忘却は内戦に対する実行可能な防御とはならない

 

第2部        初期近代の岐路

第3章        野蛮な(アンシヴィル)内戦――17世紀

ローマ人の内戦の説明は、ヨーロッパや南北アメリカの教育制度を通じて後世に伝えられた古典の伝統の中心となり、後世に用語を伝え、彼らが自分たちの紛争に応用できるような物語も与えてくれた――17世紀に始まるイングランドの最初の内戦を十分説明できた

ローマの内戦史があったために、ヨーロッパの遥か彼方の紛争を認識することも出来た――スペイン人征服後の両アメリカではローマさながらに戦われた一連の内戦を示す証拠が豊富にあった

ローマの一連の内戦は、中世末期から初期近代のヨーロッパにおける最も創造的ないくつかの思想や文学にとって着想の源となった。マキャヴェッリは『リウィウス論』(1517)で、自らの時代に当てはまる教訓を探そうとローマの紛争を詳しく調べたし、内戦というテーマはシェークスピアの全作品の要となっているが、17世紀に最も人気を博したイングランドの悲劇は、シェークスピアの作品ではなく、サルスティウスの「カティリナの陰謀」の物語を基にしたベン・ジョンソンの『カティリナ』(1611)

内戦の歴史書は急増――ばら戦争について書いた『イングランドの内戦史』や『フランスの内戦史』『スペイン内戦史』『ネーデルランド戦争史』などなどで、「国内の野蛮な戦争」という位置が確かめられた

 

 

 

 

 

第4章        革命の時代の内戦――18世紀

内戦と革命が区別されなければならないことは、近代政治の基本的な前提――内戦は卑しい動機と意味のない暴力によって突き動かされるが、革命は高度の理想と変革の欲求に駆り立てられる。革命の概念が出てきたのは18世紀末の英仏での革命による

研究が進むにつれ、最も偉大な近代革命の核心は内戦だったことが明らかに

内戦の3つの形態――①継承権争奪型(君主政の欠点)、②統治権奪取型、③離脱型

革命と内戦が相互に関連しているかどうかを見る上で重要なテストケースとなるのはフランス革命――フランス人はこの年に人間の自覚的な意志によって達成された、過去との根源からの根絶、および無期限の未来に向けた変化と転換のドラマが開始された瞬間を想像

自然で、不可避的で、人間の統制を超えたものに代わって、自発的で、計画された、繰り返されるものになった。革命は、集団としての想像という不屈の偉業を遂げて、権力と主権の分配に関する根本的な変化を第一にもたらし、不可逆的に政治的なものとなった

フランス革命は、アメリカ革命のような離脱の道は進まず、継承権を争うこともなかった

 

第3部        今日への道

第5章        内戦の文明化――19世紀

1863年、ゲティスバーグで有名な演説を行ったリンカーン大統領は、「国家の存続を賭けた大いなる内戦」といい、両軍の戦闘員が同じアメリカ合衆国の政治体のメンバーであり、紛争で問題になっていた一方的な離脱の非合法性や国民の統一という憲法の不可侵性を際立たせた――南部連合から言わせれば、その点こそが争点で、戦争そのもの

内戦という用語の意味は、19世紀半ばの特殊な状況に晒され、グローバルな繋がりが強まる中、「内」戦が意味していた旧来の範囲が疑わしくなっていた時代。ヴィクトル・ユゴーは『レ・ミゼラブル』(1862)の中で、コスモポリタンな世界にあっては内戦の意味が変わりつつあることを主人公に熟考させ、「人間のあらゆる戦争は皆同胞間の戦いではないか。戦いはただその目的によってのみ区別されるべき」といわせている

19世紀半ば、暴力がグローバルに拡大する中で起こったアメリカの南北戦争の影響は、全世界に拡散――太平天国の乱、ペルーとボリビアがチリに対して共闘した太平洋戦争、クリミア戦争、インドの反乱、メキシコのレフォルマ戦争、日本の戊辰戦争、普仏戦争など

分離の企てが内戦に至るのは必然で、多くの場合武力紛争になる――18162001年、世界で起きた戦争は484件、うち296件が「内」戦と分類され、その109件は新しい国家を創るために戦われたもの

1863年の赤十字社の創設は、残酷な戦争に対する恐怖がもたらしたもので、最もよく知られた人道的対応策だが、当初は内戦の戦闘員を保護の対象から外していた

近代の国際秩序は、根本的かつ両立できない2つの原理の上に成り立っている――1つは主権の不可侵性/独立性であり、境界内では外部のいかなる国家も干渉できない支配的な権威と管轄権を有しているというものであり、もう1つは人権は尊重されなければならず、国際社会は権利を行使しようとしたり、それが侵害されていると感じたりしている人々のために介入する権限を持つという考え方

 

第6章        内戦の世界――20世紀

グローバル化した社会では、戦闘は同じ市民同士、同胞同士の戦闘であるともいえる

1960年代以降、アメリカの社会科学者を中心に、「国内紛争Internal warfare」の考察に没頭するようになる

グローバルな内戦という見方は、国家横断的なテロリズムの台頭によってさらに広まる

 

結論 言葉の内戦

「ジェノサイド」と同様に「内戦」は、今や政治的な意味だけでなく、国際社会の行動を引き起こせるような法的な意味を持っている

戦争に関して”civil”であることはあり得るのか? “civil”は形容詞であり、civil war以外では良心的な形態の人間活動を修飾している

言葉は、我々が自分たちの世界を構築する手段である。仲間との会話を通じて世界を築く手段である。内戦ほど、名称だけで論争を引き起こす戦争の形態はない。内戦という言葉を用いること自体が紛争そのものの一部なのだ。紛争の名称をめぐる争いは、紛争が終わってからも長く続き得た。第2次大戦期のイタリア・レジスタンスとファシスト政権との争いを「内戦」と表記するかどうかはいまだに決着がついていない。「内戦」と呼べば、両陣営が同等であることを意味するとみられるからだ

「ジェノサイド」とするか「内戦」というか、政治紛争とするか民族紛争とするか、どのカテゴリーに当てはめるかには、政治的だけでなく、道義的な重要性もある。それは、戦争で分裂した国内外の人々に対して政治・軍事・法律・経済的な影響を及ぼし、何万人もの人々の生死にかかわる問題となり得るからだ。国家が崩壊し、続いて人道的危機が起きた後に、介入を認めるために内戦のレッテルを貼ることも出来れば、関与を避けたいために内戦として部外者は口を出すべきではないということもできるように、動機においても対応においても両極端があることも、内戦の概念が持つ逆説的な性質の一端を表している

内戦というレッテルを貼るかどうかによって、法律上も戦争法や国際人道法のどの規定を適用するか決定することにもなり、財政的にも人道的援助をするかしないかの判断基準となるし、「内戦」という名称そのものが暴力の形態に合法性をもたらし得ることにもなる

内戦は、人間が避けることができないものかもしれない遺産――人間が本質的に競争好きということではなく、内戦が不可欠な概念の1つ、つまり、ひとたび創られると、驚くほど翻訳可能になるということなのだ。古代ローマ人が考案したものが各国語に翻訳され、19世紀に至るまで確固とした概念となった。あらゆる政治思想から内戦を追い払うことは出来ず、発明されたのではなく、あたかも発見されたかのような魔力を手に入れた

イラクやシリアでの紛争に関する近年の論争で見てきたように、内戦を1つの定義に限定する試みは、複雑さや論争を増すだけ。内戦の定義はどれも、必然的に状況によって変わるし、論争的特徴を備えている。内戦は経験の範疇にある。言語や記憶によって屈折した経験であり、継承されるとともに議論の対象ともなる思想の分野で理解されるべきもの。その意味をめぐる争いが明らかにするのは、将来も多くの内戦が、これまで論争的だったのと同じくらい論争を呼び、さらに変容するということなのだ

 

あとがき

本書は、内戦をめぐる2つの戦いが、時を越えて鳴り響く偶然から生まれた――ブッシュの対テロ戦争の中で、イラクでの内戦の用語の適用を巡って混乱していたことと、アメリカが世界に自由を輸出する使命を語るより内戦の持つ陰鬱な歴史こそ必要なのではないかと考えた結果、長年を費やして完成したのが本書

 

解説 「内戦」の再定義――あーみていじ『〈内戦〉の世界史』の位置と意義  成田龍一

0     内戦の時代

21世紀の暴力がテロと内戦として現象している

著者は、本書で「内戦」を再定義し、そのことによって〈いま〉の認識とあわせて、歴史認識を組み替える試みを実践する

著者は、「内戦は本質的に論争的な概念である」という。「civil(市民/文明的)」と「war」というそれぞれの「属性」自体が問われ、議論の対象となるとした。「内戦のどういう特徴を優先させるのか、個々の紛争にどのように適用するのかといった点についても、まったく合意はない」といい、逆に、「はっきりした定義を用いているという点で、厳密であることが政治的になるのは避けられない」といい切る

1     アーミテイジのグローバル・ヒストリー

本書は、新しい歴史家世代の著者による「2000年にわたる内戦の変容を描く最初の試み」であり、暴力のグローバル・ヒストリーとして提供される

著者の関心の重心は「帝国」の考察にある。帝国をグローバル・ヒストリーの対象として論じ、グローバルな時間と空間の中で帝国を把握することが関心の核心にある

2     「内戦」を問題化すること

本書の主張は明晰。著者の関心は、「内戦の歴史」の世界史認識―「我々の世界観を作り上げる上で内戦が持つ意義」の自覚とその検討にあり、「内戦」の概念の推移が本書で描き出され、考察される。「内戦の発明」から説き起こし、「内戦の記憶」(ローマ)を探ることが方法となり、「野蛮な内戦」(17世紀)と「革命の時代の内戦」(18世紀)が扱われる。「内戦の文明化」(19世紀)にいたり、今や「内戦の世界」(20世紀)となり、さらに「言葉の内戦」が問題化される状況に至っているという認識によって、文字通り内戦の世界史を論じる

本書は、2000年にわたる内戦の変容を描く最初の試みであり、ローマ期の内戦概念の遺産をその後の数世紀にわたり追跡したが、この言葉の意味が変わった3つの重要な転換期を明らかにすることも併せ行う――まずは18世紀末で、内戦と革命との区別に着目、次いで19世紀末における法の語彙を検討、さらに第3の転換として、冷戦終結期の現在にも思考の射程を及ぼす。国民国家=主権国家の相対化が図られ、国際法と国内法という「内戦」を考察する主題の方法化がなされての分析

著者の論旨を追うと、ギリシャの伝統という「スタシス」の検討から始まる。「内紛」などを意味し、これを踏まえ第2の伝統―「内戦」(ベッルム・キウィレ)というローマ人の考察を重視

議論の核は、1718世紀の啓蒙期以後に、「内戦」と「革命」の概念が互いに「距離」を置くようになり「対峙」するようになったことに向けられ、両者が全く異なる「道徳的政治的な意味合い」を持ち、前者は過去思考で、破壊的・後退的なのに対し、後者は未来志向で、生産的・進歩的とみなされ、成功した「内戦」は「革命」として「イメージチェンジ」されるとした

他方、19世紀には、内戦が「法の領域」に持ち込まれ、「文明化」される。また、20世紀には、「内戦」に巻き込まれる共同体の範囲は、国家や帝国の境界を超えて拡大。その拡大の様相は、人間同士の戦争は全て内戦である、という「様々な潮流の世界市民主義的な思想」へと遡ることが出来るかもしれないともいう

こうした分析と叙述は、「内戦」の再定義を手掛かりとしたヨーロッパ思想史の再解釈であり、世界史認識の組み替えが時間的・空間的な拡大の中で実践される。著者が示すのは、同時代的な認識の差異であるとともに、現時の歴史認識に他ならない

力点の1つがアメリカ独立革命への言及。これをイギリス化/アメリカ化のいずれを目指したかと解釈することによって、事態の認識・把握が異なる。彼が論点とするのは「帝国」と「内戦」の動きで、南北戦争を「内戦」とするがゆえに、独立戦争は「内戦」ではないとする歴史認識に目を向ける。近年の歴史家たちはアメリカ独立革命を「内戦」として再検討しており、大西洋をイギリス植民地帝国の「内海」であると把握するが、著者によれば「内戦」の概念を補助線とすることにより歴史認識が一層明瞭に説明されるとする

こうした解釈により、18世紀における「内戦」の概念も作られる。ローマと同様、共同体の境界―競合する友愛の絆がくっきりと姿を現すのは「内部の分裂と崩壊の時」である

アマリカ独立革命をイギリス帝国に対する「内戦」として把握することにより、帝国史―内戦史として融合的な歴史像が可能となる

「主権」を前提とすることへの問題提起も、著者の論点の1つ――帝国の下での抗争のありかとして主権を再考し、18世紀のイギリス帝国における具体的な様相を探った

3     日本の「内戦」

本書は、中国語・日本語における「内戦」概念――「国内の戦争」という理解を相対化する試みとして享受することが出来るとどうおじに、日本の歴史の中での「内戦」の再解釈も促す

「磐井の乱」(527)の位置付けが、「日本国家の成立」に関わる論点を形成している

「内戦」の概念は、いまだ検討の途上にある

「内戦」の英訳は「civil war」で、日本語の感覚では「市民戦争」であり、士族の反乱としての西南戦争を「civil war」と訳されることは抵抗がある。日本語の使用法では、「内戦」は国民国家内部での抗争とされ、「日本の近代」の理解に関わってくる

1920世紀の近現代日本史では、国民国家形成期にまたがる「内戦」ついては戊辰戦争と西南戦争が取り上げられてきたが、一連の出来事を「内戦」という視点からどのように整合的に把握するのかという課題が、アーミテイジによって提起されたといえる

「内戦」-「革命」の視線は、国民国家形成にかかわることが、戊辰戦争にも窺われる

内部における抗争と対外的な抗争を、同時に解決するための根拠が主権で、①最終的な意志決定権が一元化され、②対内的な統合がなされ、③意思決定権が領土内に留まることが主権国家の条件とされ、その文脈で戊辰戦争―明治維新―西南戦争の過程が記されてきたが、一連の過程をどう考察するかが改めて浮上

韓国の三・一運動(1919)や台湾の霧社事件(1930)を「内戦」として把握することが可能か

植民地の抵抗運動を「内戦」といった時には、大日本帝国の植民地領有を肯定的に前提としてしまう

「内戦」を主題とするとき、叙述をする立場―記述者の歴史認識が問われる

 

 

訳者あとがき

過去の3部作では「複合国家」や「国家建設」を論じていたが、本書では一転して「国家解体」論に転じたが、その契機は昨今の中東などの内戦にあふれた世界情勢

前著を踏まえたもう1つの姿勢は、グローバルな視野で、内戦をテーマにして長期的にしてかつグローバルな試みをしている

原著の副題は「思想における歴史」であり、長い伝統のある思想史とは区別して、思想をその担い手から切り離さず、思想が置かれた脈絡を重視する繊細で複雑な「新しい思想史」

 

 

 

2020.2.15. 朝日

(書評)『〈内戦〉の世界史』 デイヴィッド・アーミテイジ〈著〉

 複雑な思想的格闘の軌跡を追う

 内戦とは何か? 錯綜するその思想的系譜を追った本書は、重厚かつ読みやすい。それは、時代や事例を大胆に取捨し描き切る筆致にもよるが、何よりもその叙述が、今日の内戦に対する鋭い問題意識に支えられているからだろう。

 とはいえ政治思想史、話は古典古代に遡る。ギリシャでは同族間の内紛はスタシスと呼ばれ、外敵との戦いと区別されていた。しかし、支配権をめぐり共同体を割る戦いがはじまるのは、スッラやカエサルのローマ進軍からである。内戦(ベッルムキウィレ)という言葉を後世に残したのはキケロ。抗争は繰り返され、帝国僻地に拡大し、タキトゥスやルカヌスらによる数多(あまた)の歴史叙述が生まれた。内戦の残虐さや循環が語られ、ローマは内戦に呪われたと言われるようになる。

 17世紀、内戦の時代のイングランドでは、混乱の中から新たな政治哲学が誕生した。内戦と無政府状態との回避こそが統治の目的だと考えるホッブズは、主権の不可分性を主張することで内戦を阻止しようとした。他方、ロックは、支配者による不法な権力行使に抵抗して人民が引き起こす抗争は、内戦ではなく正当な権力回復のための手段だと見た。そして、起こったアメリカとフランスでの革命。新時代を切り開く革命は、内戦の循環を断つとの期待も高まった。

 しかし、これらの革命が、帝国からの離脱や統治権奪取を求めた点で、内戦だったことも否定できない。また、ナポレオン戦争からも窺えるように、革命、あるいは内戦は、国際戦争をも伴っていた。反乱、分離、内戦といった言葉の定義や、外国の干渉の正当性をめぐり、ヴァッテルやJS・ミルらが思想的格闘を繰り広げる。その中で浮き彫りになるのは、内戦という呼称の論争性だ。一方が反乱戦争と呼び、他方が独立のための戦争と主張する中で、アメリカ南北戦争が正式に内戦と呼ばれるまでには40年が必要だった。

 そして今日。際立つのは「グローバルな内戦」だが、その意味するところは一様ではない。国家横断的テロリズムとのグローバルな対決もあれば、内戦が国際的介入を受けてグローバル化する場合もある。複雑さは増すばかりだ。

 「すべて人間間のあらゆる戦争は、皆同胞間の戦いではないか」。作中人物にこう語らせたのはユゴーである。問題は、この普遍的人間愛が、グローバルな戦争を身近に感じさせることによって「グローバルな内戦」を生み出しかねないという逆説である。さらに、戦争や紛争を法の統治下に置き、文明化する試みが、文明の及ばない「野蛮」への暴力を野放しにしたことも忘れてはならない。内戦と向き合うために、歴史的省察がいかに大切かを教えられる。

 評・西崎文子(東京大学教授・アメリカ政治外交史)

     *

 『〈内戦〉の世界史』 デイヴィッド・アーミテイジ〈著〉 平田雅博、阪本浩、細川道久訳 岩波書店 3520

     *

 David Armitage 65年生まれ。米ハーバード大歴史学部教授(思想史、国際関係史)。著書に『思想のグローバル・ヒストリー』『独立宣言の世界史』『帝国の誕生 ブリテン帝国のイデオロギー的起源』など。

 

 

 

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