花嫁のアメリカ  江成常夫  2022.12.30.

 2022.12.30. 花嫁のアメリカ

 

著者 江成常夫 1936年神奈川県相模原生まれ。東京経済大卒。毎日新聞社入社。写真部員。'74年フリー。'77年日本写真協会新人賞。'81年木村伊兵衛賞。日本写真家協会、日本写真協会会員

 

発行日           1981.8.20. 第1刷発行

発行所           講談社

 

 

外務省旅券課の資料によると、日本の敗戦からベトナム戦争にかかる30年間に、海を渡った日本人花嫁は10万人

彼女たちの消息を、北米・カリフォルニアに訪ねる

 

l  チエコ・ゲイニー

1925.1.2.蒲郡市生まれ。’48年父の土産物屋で知り合い、'51年横浜で結婚、'57年渡米、’62年夫と死別。現在ハウスメードをしながら13女と暮らす

旧制高女卒業と同時に大東亜戦争が始まり、蒲郡の軍需工場で働く

戦後、蒲郡と竹島ホテルが接収されたのを機に、父が漁師をやめて進駐軍向けスーベニアショップ開店

'49年頃、空軍伍長の夫が来店、沖縄嘉手納駐留で34歳。既婚で子供もいたが離婚。父の反対を押し切って同棲、長男を身籠って結婚、朝鮮戦争直前で、上野の旅館の夫婦が媒酌

'50年除隊願いが通って軍属となり銀座のPX勤務となるが、解雇され渡米

サンディエゴに住み、職を転々。夫はアル中で心臓麻痺で死去。ハウスメードや皿洗いをしながら子供を育てる。姉もアメリカに嫁ぐ

l  ケイコ・マクマリン

1922年台湾生まれ。'41年結婚するが離婚。'61年再婚し渡米するが、’67年離婚。'68年再々婚し、現在2人暮らし。夫は海兵隊出身で日本軍の捕虜となるが、戦後解放され現在は魚市場支配人(今年61)’54年夫が朝霞の極東放送の仕事をしている時に知り合う

父は宮城県出身で台湾総督府の警察官。戦後台湾から引き揚げて朝霞に勤務、同僚と結婚。アル中の夫から逃げるように離婚。サンフランシスコについて旧知で妻を亡くしたばかりの夫に連絡を取り再婚

 

 

 

あとがき

戦争花嫁に興味を持つきっかけは、'75年に妻方の親戚でオクラホマに永住するヨシコ・ブーンさん家族を訪ねてから。ヨシコさんは、埼玉県のジョンソン基地勤務の頃、米空軍少尉の夫と知り合い結婚して、’55年渡米

彼女の家で1週間逗留するうちに見たのは、青春と敗戦が重なった日本人の、戦後の冬の時代をひたむきに、しかも必死に生きてきた女の姿

敗戦まで、鬼畜米英の教育を植え付けられながら、負けて間もなく、家族の担い手として、米軍の下で働かなければ生きられなかった時代の不条理。その過程で米軍士官と結ばれたが故に投げかけられた、周囲の日本人の揶揄偏見――そうしたヨシコさんへの認識が、花嫁たちへの関心を掻き立てた要因

取材地をカリフォルニア州に決め、日本を発ったのは’78年。ロス郊外のガーデナシティに単身、居を定める。ジャパニーズ・ヴィレッジの異名もある人口45千の衛星都市

11人伝を頼りながら輪を広げていく中で、教えられたことは、平和な家庭を築いてきた彼女たちの、戦争花嫁という言葉に対する嫌悪と強い反発。それは純血に拘る日本人の差別意識、あるいは、かつて彼女たちに仕向けたれた謂れのない侮辱への抗議ともとれた

最初に印象付けられたのは、花嫁たちのほとんどが日本人同士、連絡を取り合い、父母の国への心の渇きをお互いに埋め合って生活していること。その形は、県人会や極めて日本的な趣味のサークルや信仰の場だったりする

各人各様、優しい心の持ち主だった。かつて、日本への渇きに涙したことのある日本人の優しさなのだろう

日本を離れて久しい、花嫁たちの母国への記憶は、歳月に比例して美化され、記憶の中のふる里は、まるでメルヘンのように響いた。肉親への思慕は遠ざかる母国への感傷か

1年間で100人を超える花嫁に会い、走行距離3.5km。とりわけ胸に響いたのは、太平洋戦争からベトナム戦争にかかる約30年間、日本を離れた花嫁たちが、言語、習慣、風土・・・・・母国とすべて異質の土地に、生の根を下ろし、そこに日本人の血を受け継いだ2世たちが育っていること。そして、初陣の花嫁たちの2世は、すでにアメリカの新しい力になっている。純血主義という古い習慣と狭い島国を振り捨て、1人、異境に真の自立を果たしてきた日本の女を見ることが出来た

彼女たちに「戦後」や「日本」について正面から問うことはしなかった。日常をそのまま語り継ぐことも、人間同士の誤解や偏見を解きほぐすのに、無益ではないはずだし、結果として、「歴史」や「国」を顧みることとも重なると思ったから

 

 

論創社 ホームページ

刊行日 202234

日本を離れ、アメリカで暮らす「戦争花嫁」。 数奇な運命をたどった女性たちを1978年に取材した江成は『花嫁のアメリカ』を、そして20年後に再び女性らの元を訪ねて『花嫁のアメリカ 歳月の風景 1978-1998』を刊行。 本書では、この2冊を合本することにより、戦争花嫁たちの人生をたどる。著者紹介

江成常夫(えなり・つねお) 1936年、神奈川県相模原市生まれ。写真家・九州産業大学名誉教授。1962年、毎日新聞社入社。64年の東京オリンピック、71年の沖縄返還協定調印などの取材に携わる。74年に退職し、フリーに。同年渡米。ニューヨーク滞在中に、米将兵と結婚して海を渡った「戦争花嫁」と出会い、78年カリフォルニアに彼女たちをたずねて撮影取材。以後、アジア太平洋戦争のもとで翻弄され、声を持たない人たちの声を写真で代弁し、日本人の現代史認識を問い続ける。また、写真と文章を拮抗させた「フォトノンフィクション」を確立する。写真集に『百肖像』(毎日新聞社、1984年・土門拳賞)、『まぼろし国・満洲』(新潮社、1995年、毎日芸術賞)、『花嫁のアメリカ 歳月の風景』(集英社、2000年)、『ヒロシマ万象』(新潮社、2002年)、『鬼哭の島』(朝日新聞出版、2011年)、『被爆 ヒロシマ・ナガサキ いのちの証』(小学館、2019年)など。著書に『花嫁のアメリカ』(講談社、1981年、木村伊兵衛賞)、『シャオハイの満洲』(集英社、1984年、土門拳賞)、『記憶の光景・十人のヒロシマ』(新潮社、1995年)、『レンズに映った昭和』(集英社新書、2005年)など。写真展に『昭和史の風景』(東京都写真美術館、2000年)、『昭和史のかたち』(同、2011年)、他にニコンサロン特別展など多数。

目次

第一部 花嫁のアメリカ 1978
第二部 花嫁のアメリカ 1998

[解説1]富岡多恵子
[解説2]昭和の記憶の風景が明滅する 伊藤俊治

あとがき 1978
あとがき 1998
あとがき 2021

 

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