名門再生 太平洋クラブ物語 野地秩嘉 2022.11.19.
2022.11.19. 名門再生 太平洋クラブ物語
著者 野地秩嘉(つねよし) 1957年東京都生まれ。早大商卒後、出版社を経てノンフィクション作家に。人物ルポルタージュを始め、ビジネス、食や美術、海外文化などの分野で活躍中。『TOKYOオリンピック物語』でミズノスポーツライター賞優秀賞受賞
発行日 2022.7.16. 第1刷発行
発行所 プレジデント社
経営破綻した太平洋クラブを買収した遊戯業界のトップのマルハン
社長の韓俊は気落ちしていた人間たちを元気づけ、力を引き出し、数年で同社を再生させた。そして、一度は地に落ちた太平洋クラブというブランドは今や価値を向上させている
「ゴルフのことなど何もわからないくせに」と陰口をたたかれながらも、同社の全てのコース(18カ所)を黒字化した
突然、現れたアウトサイダーが、ゴルフ業界の慣習を打ち破り、会社と働く人間を再生させた名門復活ストーリー
プロローグ 2021年 三井住友VISA太平洋マスターズ最終日
l 富士山と反省
富士山の圧倒的存在から逃れるために、とにかく反省して生きていこうと思ってしまう
2021年の太平洋マスターズの最終日、太平洋クラブについて取材するために現場に
発端は電通の元専務高橋治之。スポーツ界のゴッドファーザー、2020年東京オリンピック招致で活躍、サッカー、ラグビーのワールドカップの招致にも主導的に関わった
高橋から、「ノンフィクションの主人公は運の強い人がいい。それならゴルフ。コロナに負けずに競技人口が増えているのはゴルフだけ。選手や試合の様子は専門家に任せて、潰れたゴルフ場再生のビジネスストーリーを書けばいい」と言われ、太平洋クラブの韓俊を紹介される。会って1つだけ、他のクラブとの違いをきいたところ、「うちはキャディが転勤する」と聞いて、これは物語になると直感した。太平洋クラブは人事異動をしてキャディサービスの質を高めて全コースのそれを平準化するという
l 富士山と水切りショット
高橋は、「御殿場コースに行ったら、富士山を見ろ。見ているだけで運が強くなる」と言う
優勝は谷原秀人。6mのバーディーパットを決めて優勝したが、その前に観客の歓声が上がったのが幡地隆寛のビーチバンカーに沈んだボールの水切りショット
l グリーンキーパーに100点満点はない
ビーチバンカーは常にボールが半分から1/3は上に出るようにメンテナンスされている
試合の応援に他のコースからグリーンキーパーを呼び集め、コース管理の経験を積ませる
一旦水を抜いて、砂全体を完全に同じ高さにしてからまた水を入れるが、何度やっても100点満点の仕上がりになったことはない
l バンカーに伏せるキャディ
太平洋クラブにはアルバイトも含めて361名のキャディが在籍、A~Gまでランク付け
キャディは、選手の目線に入らないよう、バンカーを均している時でも伏せの姿勢が基本で、プレーヤーの背中側やお腹側に回って自分の気配を消さなくてはいけない
l カレーと桜と西陣織
2014年、クラブはマルハンのグルプになり、社長はマルハン創業家の俊
レストランでは、食材の共同仕入れはしても、出す料理は各クラブの料理長がつくる
料理長の個性が表れるのがカレーライス
太平洋クラブが誕生したのは1971年、会社更生法適用を受け、2014年マルハンがスポンサーとなって再生に向けスタート、8年の改革を経て経営は上向きになった
俊が再生に成功した根本的な理由は、従業員をクリエーターと考え、さらに尊敬したからではないか。1人1人を仕事をクリエイティブと捉え、自ら働くよう応援した
第1章
太平洋クラブとその歴史
l 日本のゴルフ場
2020年2216か所、前年比16減。ピークは2002年の2460
記録の始まりは1957年で116カ所、’80年代に急増
2019年世界のゴルフ場は、アメリカが14640、カナダ2265、日本2227、イングランド1936、オーストラリア1532、ドイツ736
l 太平洋クラブの民事再生
1971年、平和相互の小宮山英蔵が、「日本全国に25のゴルフ場をつくる」、「環太平洋100コース構想」を掲げて、共通会員制を謳う太平洋クラブ設立したが、途上で挫折。その当時の数は17
マルハンが経営に参画して1カ所増え、単独運営の金乃台がグループ入り。韓は20まで増やすと会員に約束
1972年、太平洋クラブは西鉄ライオンズのメインスポンサーとなり、球団名を太平洋クラブ・ライオンズとして、4年間通したが、'79年小宮山英蔵が亡くなると迷走し、’86年には住友銀行に吸収合併され、太平洋クラブも同銀行の管理下に入る
その後、太平洋クラブは、東急不動産、三井住友フィナンシャルグループ、大和証券グループの3者共同出資の投資会社の傘下に入り営業を続けたが、業績不振から'12年民事再生となり、負債総額1276億を抱える
l 一転して会社更生法適用へ
会員の多数派は「太平洋クラブ会員の権利を守る会」を結成、総会員数20680人に対し、投票権を持つのは13650人。東京地裁でアコーディアをスポンサーとする会社案への賛否が問われ否決、会社は更生法適用を申請
2013年、マルハンとスポンサー契約を締結、マルハンは270億円を投入
マルハン創業者の韓昌祐(ハンチャンウ)は、三男の俊を社長とし、グリーンキーパーに責任を持たせることとキャディ教育を指示
l マルハン、太平洋クラブを傘下に
マルハンが参入するきっかけは「守る会」会員たちからの要請
2014年、債権者への弁済をすませ更生手続き終了、再スタートを切る
第2章
韓俊の挑戦
l 名門コースへ
2013年、来場者数は67.3万人、売上88.3億円
8年後、コースは18のままで、来場者数83.2万人、売上123.6億円
国内の他のクラブとの違いは、共通会員制と、海外の提携クラブでの会員並でのプレー
太平洋クラブは、「Top
of the Top 日本が世界へ誇るゴルフクラブへ」という目標を掲げる。海外の一流クラブとの提携も含め、クラブハウスでの社交スタイルを志向
l 韓俊の決断
東日本大震災はパチンコ業界にとって大きな転換点、電力の使い過ぎとの批判に始まり、当局も規制を強化、コロナ禍の2020年には14.6兆円と10兆円も売り上げ減
創業者は、パチンコ専業に固執していたが、2代目の息子たちは異業種への展開を模索
太平洋クラブの会員数の多さと、守る会が見せた存続への熱い思いに再生の可能性を見る
l 倒産におびえた幼少期からマルハンに入社するまで
俊は1965年神戸の生まれ。父親は韓国から来たが、母親は日本人。ファミリ―ビジネスは丹後半島のレストランから始まり、ボーリングに手を出して失敗、父親は自殺を考える
昌祐は、姫路と神戸の郊外型駐車場付き大型店舗で成功し、'75年パチンコ業に専念
俊は、’89年中央大卒後、在日の信組、大阪興銀入社。’91年マルハン入社、店舗数35で静岡と兵庫だけのローカルパチンコチェーン
マルハンに入ったのはパチンコ業界に対する危機感からで、兄と共に改革に挑む
l 不良店長を辞めさせる
技術革新が進み業界は発展、'95年のピーク時には店舗数18千、市場規模は30兆円となるが、その頃からパチンコ依存症の問題や、駐車場での幼児置き去りなどの問題が大きく取り上げられ、また監督官庁の規制が強化される
兄弟は協力して全国展開を始め、現在は314店まで拡大するが、反社会勢力にいたような人たちが店長をやっていたり、金にまつわる不正が絶えなかったこともあって、改革には時間がかかる。人材の教育から始めなければならなかった
l エンタメビジネスの要諦とは
仲間だけでモデル店舗を作り、積極的に金を使って経営を回していくスタイルに変える
l マルハン、全国に出店へ
モデル店舗を基準に、次々に店舗展開を進めるとともに、大卒の採用を積極化
'05年、売上1兆円達成
l 入社させてください
‘93年から新卒を採用、教育を始める
l ビッグプロジェクト「マルハンパチンコタワー渋谷」
旧店舗の改装と従業員改革を進める傍ら、東京進出を決意。'95年業界の常識を破って空中店舗に50億円投資したところ、初日から客が殺到、女性も40%を占める。ゲームセンター的な遊技場に変えたコンセプトで業績を上げたことが日本経済新聞社に評価され、’95優秀先端事業所賞を受賞。’16年には閉店しドン・キホーテに代わっている。高額家賃を払う必要がなくなったからで、店舗のイメージを洗練させたのが成功して各地に拡大
2020年には改正健康増進法が施行され、店内は全面禁煙となり、店内の雰囲気が変わる
l マルハンイムズ
1997年、人材育成システム「マルハンイムズ」プロジェクト立ち上げ
採用と働く風土作りから始める。労働環境を整備し、サービスは現場の人間が自立して考えて実行する、そういう風土を経営者がつくる
l イズムを太平洋クラブにも導入
マルハンイムズは主に7つの項目から成り立つ――企業理念に加えて、具体的な行動指針を入れたものであり、従業員が自ら意識改革して仕事をするためのツールで、信仰の対象ではない
l 高級フレンチ「ひらまつ」の筆頭株主に
マルハンイムズの浸透で出店も抵抗が少なくなった
2021年にはひらまつのスポンサーとなる――施設型エンターテインメントの経営を志向
第3章
イズムとクリンリネスから始まったこと
l あってはならないことがいくつもあった
2013年、太平洋クラブの事業家管財人となってから全コースを見てプレーしてみて、想像以上に施設が痛んでいることに気付き、イズムの導入が不可欠と思う
l 変われる人、変われない人
経営陣が乗り込んでいって最初に感じたのは、イズムとパチンコの会社に対する抵抗感
マルハンの人間が経営すること、イズムをツールとして使うことが嫌だと思った人たちはやめていく。残った人たちとビジョンと価値観を共有していく。新たな人材の採用も開始
現在の全従業員は1500人。毎年新卒を60~80人を採用
l イズムとはいったい何か
経営理念――人生にヨロコビを:人に生きる喜びと安らぎの場を提供し、心身のリフレッシュと明日への仕事の糧となることを念願し、幸せで希望に満ちた明るく楽しい社会づくりに貢献する
ビジョン――Top
of the Top 日本が世界へ誇るゴルフクラブへ
経営コンセプト(ブランドメッセージ)――Our Club, Our Course
社訓――創意と工夫、誠意と努力、信用と奉仕
企業姿勢――業界のリーディングカンパニーであり続ける
事業方針――高級な共通会員制クラブを創造、ゴルフファンを創造
組織方針――スポーツマンシップ、サービスマンシップ、クラフトマンシップ
社会貢献方針――ジュニア層の育成
行動指針――判断基準はお客様、競争ではなく共創など
l クリンリネスとは
接客サービスの基準作り――身だしなみ、挨拶、クリンリネス(清潔な状態の維持)
評価項目は、外から見えない所を中心に444項目あり、評価を数値化して改善を目指す
l タオルは積み過ぎないこと
掃除にもサービスの3つの基準が適用され、徹底される
第4章
改革は続く
l 年会費の重要性
社員の給料もアップ
新たな収入になったのは新たに設定した会員の年会費――新規に3.6万円(後に6.6万円に値上げ)の年会費を徴収すると通告したら1万人退会
各コースの1日のプレー適正人数は各支配人と相談して決める
l 高級路線で行くという決断
太平洋クラブのキャラクターを「共通会員制の高級ゴルフ場」と位置付けたが、日本では富裕層ビジネスに対して根強い抵抗感がある――曖昧な位置付けが破綻の原因だった
l 星野リゾート、レクサスの教訓
差別化戦略をとった企業はコロナにも負けずに成長している――北杜市のひまわり市場、スーパーの成城石井など、勇気をもって変化に挑んだのが成功につながっている
l 成長ストーリーを描く
高額の会員権を持つ人の気持ちに応えるにはどうしたらいいか
インフォマーシャル(CMより長い時間で詳細情報を提供するコマーシャル)を流して、新生太平洋クラブがスタートしたことを伝え、新規会員募集に繋げていく
l 勇気と客単価
施設型サービスで高級化を志向するのであれば、安くして人数を入れるよりも単価を上げる方を選ぶ
2019年買収の八千代ゴルフクラブの場合は、まず単価を上げてからクオリティを上げるためにミシュラン星付きの中華料理店「桃の木」の小林武志シェフの監修を委嘱
l アウトサイダーだからこそ再生できた
太平洋クラブが再生した大きな要因は「高級」というコンセプトの設定
施設型エンターテインメントは、常に新しいものが登場するので、よほど他との差別化が出来ていないと生き残れない
アウトサイダーだから業界の目を意識せずに済み、独自の路線を走ることが出来た
l トーナメントを誘致する意義
トーナメントの誘致も新生太平洋クラブをアピールするための手段
2015年には江南コースで日本プロゴルフ選手権を、2016年には美野里コースでUSLPGAツアー唯一の日本公式戦TOTOジャパンクラシックを開催
クラブにとっては、仕事の発表会のようなものなので、全体の仕事のレベルが上がり、クラブの箔がつくし、会員にとっても無料観戦のメリットがある
l 海外の名門コースとの提携
会員は、提携している海外の名門コースでプレーできる
香港のクリアウォーターベイとの提携を第1号として、次々に提携先が広がる
現在15のレシプロ契約と11のアフィリエイトを保有――フランスのレシプロ先ル・ゴルフ・ナショナルは'24年パリオリンピックの会場
l セレクト・ザ・クラブ
売店をプロショップに格上げし、その名も「セレクト・ザ・クラブ」とし、御殿場、軽井沢など7店舗に拡大、売上アップにも注力
フレグランスが半年で300個も売れたのには驚き
PINGブランドのクラブとアパレルの両方を扱っている店舗は日本で2店しかなく、江南コースはその1つ。PINGクラブだけで年間20百万円を売り上げ、世界1のショップ
キャディはスタート前のクラブ確認で、メーカー名もメモ、色や製造年も確認する
l 厳しかった料理改革
組織としての目標設定が確立したので、各コースはそれぞれに目標を持って動いている
料理も各コースの料理長がオリジナリティを出す
2020年銀座の太平洋クラブがオープン
第5章
改革の仕上げと町なかのコース銀座
l 買収以後の出来事
2014年 シンボルマーク刷新、グループの冠名称を「太平洋クラブ」に統一、2コース追加
2015年 プロショップ「Select The Club」開設
2016年 太平洋マスターズの主宰者として復帰
2018年 御殿場コース全面改修
2019年 八千代ゴルフクラブ経営権取得
2020年 GINZA GOLFING SOCIETY設立、「太平洋クラブGINZA」オープン
2021年 金乃台カントリー経営権取得、独立運営に。ひらまつの株式取得・資本業務提携
ひらまつは、レストラン23カ所、高級リゾート7カ所を保有、コラボが期待される
l 難問だった札幌コースと高崎コース
札幌コースは、セルフプレーで市の北にあって会員の利用率は3%と低かったため、友の会制を導入、施設の補修などを内製化し5年でようやく黒字化
高崎もセルフプレーのコースで旧い従業員が多く意識改革が進まなかったが、9年目にしてようやく黒字化。マルハンにいたイズムの女性伝道師の貢献が大きい
l DXを導入
今ではゴルフ場予約サイトよりゴルフ場のホームページにアクセスする人の方が多い
2015年、基幹システムを一新、リアルタイム予約がスタート、同時に予約可能なコースが複数表示されるので共通会員制のメリットが活かされる
l 町なかのコース、太平洋クラブ銀座
並木通りとみゆき通りの角、「サンモトヤマ」のショップの後に会員制クラブをオープン
l 理事長に聞く
「守る会」の事務局長、古川潔は、1962年大田区の生まれ、父親が会員。観光専門学校卒後太平洋クラブ入社、独立して現在もゴルフ場関係の仕事に就く。'18年理事長就任
経営は株式会社太平洋クラブ、会員の集まりは一般社団法人太平洋クラブ
理事会の活動の重点は、環境問題とジュニアゴルファーの育成
l 太平洋クラブは変わった
リクルートホールディングスの会長、峰岸真澄はマルハン買収前から太平洋クラブの会員だが、マルハンが人材教育に熱心な会社だと知っていたため、マルハンによる買収を悪くないと思ってみていたが、その通りになったという
l 再生できる会社とできない会社
違いは2つ、1つは経営者のビジョンと人材への投資――経営者が高いビジョンを設定し、入ってきた人間は経営理念に共感し、自らもまた成長することで、企業は再生、変革する
第6章
達人たちの改革体験
l コース管理の仕事
改革はコース管理にも及ぶ
公園と同じで、二酸化炭素の削減にも寄与し、気候変動の防止にも貢献している
l ゴルフ場の芝
稲順和(いなよしかず):美野里コースのグリーンキーパー――グリーンは30㎝以上の深さのある円筒形の砂地。プロ仕様は、スティンプメーターでは11フィート以上で各グリーンの誤差が0.5フィート以内、コンパクション23~25㎜
鳥居孝廣:六甲コースのチーフ――トーナメントの開催がグリーンキーパーを成長させる、ギャラリーの動線まで考えて安全性を守ることが必要。関西では松の根に土をかぶせて露出させないよう配慮
阿佐比一:御殿場コースチーフ――グリーンキーパーの命は手、自らの感触が重要。エアレーションの代わりに砂を厚く撒き棒で作った穴にブロワーで砂を入れ込む
l キャディの仕事
総勢361名のキャディは5段階に分類。トップのGクラスは4名
客観的な評価基準があって、各コースで共有され、技術によって昇給もある
第7章
改修の話 御殿場、八千代と金乃台
l 御殿場コースの改修
再生の第1歩はコースメンテナンスとキャディサービスの向上、既存コースの改修
'18年、改修の第1弾が御殿場――IPをチャンピオンティーから280ヤードに設定し、アマチュアのためにティーグラウンドを増設
改修設計はリース・ジョーンズに依頼、バンカーの形と位置を変え、グリーン周りのデザインにバリエーションを付加
2016年に松山が23アンダーで優勝したのを見て、国際水準にすることを決意、松山に監修を依頼。加藤俊輔の意志を受け継ぎながらも、トーナメントコースに変えた
l 八千代コースを回って
2019年には八千代の改修を実施。1961年開場のパブリックコースだったが、クラブハウスとコースを共に改修、スループレーを推奨するように変更
改修を担当したのは、井上誠一の最後の弟子、嶋村唯史
l オリジナリティとクオリティ
2021年、金乃台の経営権を取得したが、独立運営
翌年改修するが、オリジナリティを明確にして、クオリティを上げる工夫をした
第8章
ゴルフ場の経済学
l ゴルフ場の仕事について
キャディ、レストラン、売店の販売係、フロント、清掃、コース管理などなど
l 成田コースのユーチューバー
ゴルフ業界における新しい産業の1つがユーチューブを使ったゴルフエンターテインメントの提供――ゴルフ動画を製作するユーチューバー
「わっほーとまっちゃんの日常」は、2020年からプロの岩男健一と研修生の松本雄友が成田コースを舞台にしたユーチューブ動画を提供
エピローグ 富士山とゴルフと林の中の男
ブランドを確立し、価値を向上させた
ソーシャルクラブを目指す ⇒ Our
Club, Our Course
Wikipedia
株式会社太平洋クラブ(たいへいようクラブ、英: Taiheiyo club Corporation)は、東京都千代田区に本社を置くゴルフ場・リゾート開発会社である。
概要[編集]
平和相互銀行の創業者である小宮山英蔵が全国に27のゴルフ場チェーンをつくるとの構想に基づき1971年に設立[2]。
直営コース8ヶ所、関連会社の太平洋アソシエイツ運営コース2ヶ所、太平洋クラブ&アソシエイツの共同経営コース7ヶ所の、合計17ヵ所の会員制リゾート型ゴルフコースを展開している他、パブリックコース(一般利用可)のラ・ヴィスタ・ゴルフリゾート(千葉県)とも提携している。またアメリカ合衆国のペブルビーチ・ゴルフアカデミーと提携して、将来の有望なゴルファーを育成する組織「太平洋クラブゴルフアカデミー」も行っている。
1972年、経営難のプロ野球球団・西鉄ライオンズを買収した福岡野球のメインスポンサーとなり、球団名を太平洋クラブ・ライオンズに変更したが、1976年をもってメインスポンサーからは撤退した[注 1]。
平和相互銀行事件が発覚後、太平洋クラブは住友銀行管理下のゴルフ場として運営され、2007年に東急不動産と資本業務提携を締結。新たに、東急不動産、三井住友フィナンシャルグループと大和証券グループ本社が共同で設立した投資会社、エヌ・アイ・エフSMBCベンチャーズなどと共に、持株会社・太平洋クラブホールディングスを設立し、太平洋クラブはその傘下に入った[3]。
だが、その後、土地買収を含めた設備投資に伴う金融債務の負担に加え、法人客の減少・客単価の下落などゴルフ事業の環境悪化によって、資金不足に陥り、2012年1月23日、同社および子会社計7社は民事再生法の適用を東京地方裁判所に申し立てた[4](負債額1260億円)。同年7月、太平洋クラブは東京地裁に再生計画案を提出した。しかし、一部会員から再生計画案への反対が起こり、会員を中心とした債権者有志で再建を目指すとして、同9月28日に会社更生法の適用を申し立てた。これを受け、東京地裁も同10月3日に再生手続き廃止決定。こののち太平洋クラブ側も会社更生法の適用を申請。同10月31日に東京地裁は更生手続き開始を認め、永沢徹弁護士が管財人に選任された。
2013年5月に太平洋クラブは、パチンコ店最大手のマルハンとスポンサー契約を締結した[5]。この方針によって、太平洋クラブが新たに発行する株式をマルハンが引き受け、その資金で会員への預託金の一部返還を行うほか、別途提供される資金で設備投資などを進めるとした[6]。
毎年11月に「三井住友VISA太平洋マスターズ」を三井住友カード及びTBSと共催しており、同社御殿場コースで開催されている[7]。上述の通り2012年に民事再生法を申請したことにより、一時共催から撤退した[注 2]が、2016年に復帰した[8]。
脚注[編集]
1. ^ 但しメインスポンサーがクラウンガスライターに変更された1977・78年も、ユニフォームスポンサーとしてロゴを入れていた。また2010年に「ライオンズ・クラシック」において太平洋時代のユニフォームが復刻された。
2. ^ ただし大会名は現状維持、会場も引き続き御殿場コースを使用している。
出典[編集]
1. ^ “松山プレート”の設置検討 太平洋クラブ社長「何か残したい」 - スポーツニッポン新聞社、2016年11月10日配信、同日閲覧
2. ^ 『銀行の墓碑銘』p.506
3. ^ 『銀行の墓碑銘』p.521
4. ^ “太平洋クラブ、民事再生手続き申し立て”. 読売新聞. (2012年1月23日) 2012年1月23日閲覧。
5. ^ ■ マルハンが太平洋クラブの再建支援企業に -
月刊グリーンべると・2013年5月14日
6. ^ “太平洋クラブグループ、マルハンが再建支援企業に”.
日本経済新聞. (2013年5月13日) 2018年10月25日閲覧。
7. ^ 『銀行の墓碑銘』p.522
8. ^ 大会概要 -
2016三井住友VISA太平洋マスターズ公式サイト、2016年11月10日閲覧
コメント
コメントを投稿