統計の歴史  Olivier Rey  2020.6.9.


2020.6.9.  統計の歴史
Quand le monde s’est fait nombre 2016

著者 Olivier Rey 数学者、哲学者、エッセイスト。1964年フランス・ナント生まれ。86年エコール・ポリテクニック卒。CNRS(国立科学センター)の数学部門所属。専門は非線形偏微分方程式。現代社会における科学の役割についての批評・考察を深めて、09年にはCNRSの哲学部門に所属。エコール・ポリテクニックで数学を教えた後、現在はパリ第1大学で哲学を教える

監訳 池畑奈央子 筑波大比較文化学類卒。ロンドン大修士課程修了。フランス文学翻訳家

監修 原俊彦 1953年東京生まれ。75年早大政経卒。人口学者・札幌市立大名誉教授

発行日           2020.3.26. 第1
発行所           原書房

人口、経済発展、犯罪、衛生、健康管理など、統計は形ないものに形を与え、把握、比較、分析するのにとても便利なツールである。ではその統計はいつ誕生し、どのように全世界に広まっていったのか。時には求められ、時にはひどく憎まれた、波乱万丈の統計の歴史を繙く


第1章        「数字」が支配する世界
数=数時を使って様々なものの量や価値を表す ⇒ 世界の「数量化」
世界を数字化するdigitization
情報科学では、計数化numeration ⇒ 情報処理の為にデータをコード化すること
人々は個人の経験では社会に対応できなくなった時、数字を判断の基準にしようとする
自己定量化により、個人の一番核となる部分まで数字の支配が及ぶ
社会の状態や政治の在り方について考えようとしたら、数字を基にせざるを得ない
統計の重要性が増す一方で、統計を重視しすぎることに対する批判も多い ⇒ 新しい指標を設定する
統計数字が1人歩きして、逆に現実が見えなくなる
統計は、現代という時代に固有の「知の枠組み」
統計に関して劇的な変化が起きたのは12751325年 ⇒ 機械式時計、大砲の製造、海図、絵画における遠近法、複式簿記、世界の数量化の理論的基盤など
計測器の精度の向上と共に、18世紀末頃には、電気・磁気・化学・熱などの研究分野で数量化が可能になる ⇒ 17世紀に起きた科学革命に続く、「第二の科学革命」
同じ頃、統計も先ず政治・経済の分野で始まり、他の分野に拡大 ⇒ 自然科学分野に応用されるのは19世紀後半、数学の1分野とされるのは20世紀前半
社会の仕組みと共同体の仕組みはどこか重なっていて、2つの集団のあり方が変化する過程で統計が必要になったのではないか
本書の目的は、統計の発達の歴史を辿ることで、ヨーロッパで統計が飛躍的に発展した理由を考察すること

第2章        統計の始まり
社会の状況と人間の行動に対する評価として統計が定着したのは、19世紀前半、統計がヨーロッパに爆発的に広がったころ
人口調査の最大の目的は徴税
17世紀後半のイギリスでは、「政治算術」という、社会現象を数値に置き換え、そこから計算と推論によって将来の予測を立てる手法が開発された
18世紀には、人口を基礎にした経済成長主義が社会で幅広く共有

第3章        個人の社会
統計は、もともとは人間に関わること、人の数と生活行動の調査から始まった
19世紀に出現した「個人の社会」が、統計が発達した理由の1
「個人」が特に人間の集団の「一員」を意味する言葉として使われるようになったのは17世紀だが、この時意味の逆転現象が起き、個人が集団の「分割の最後」だったものが、個人の集まったものが集団になる「出発点」に変化
共同体が個人の社会に変わり、産業革命と政治革命によって個人の社会が確立され、同時に個人の数が急増すると、人口爆発はそれだけで社会変動の原因となる

第4章        統計の爆発的な普及
183050年にかけて、ヨーロッパ全域で統計は大きな飛躍を遂げる
新しい国土区分と人口調査 ⇒ 新しい社会の出現と実態を把握する手段として統計による情報が必要不可欠となる
2つの画期的な表現方法の開発 ⇒ 数値化された情報と表の占める割合が圧倒的に増えて統計の主流になった

第5章        社会問題
「社会問題」という言葉が取り沙汰されるようになるのは1830年代 ⇒ 19世紀の時代病とまで言われ、新しい時代の到来によって引き起こされた慢性的な貧困をいかに解決するかが最大の関心事に
人口増加の功罪を巡る議論は、人口統計の比重を益々高める ⇒ 統計が貧困問題と密接に関わり発展。マルサスの『人口論』が2つを結びつけるのに貢献

第6章        統計と社会学
社会科学の確立と統計の関わり ⇒ 統計学を社会科学の基礎に据える
「平均人」というモデルを作り、平均が時代を体現するとした

第7章        社会科学から自然科学へ
最初に統計が応用された自然科学の分野は、生物学における遺伝の研究と、物理学における熱力学
遺伝学では、遺伝形質が世代を経るごとにどのように配分・拡散されていくのか調べる上で、統計的な処理が必要になる

第8章        統計に対峙する文学
一見無関係のように見える統計と文学でも、文学が世の中との関わり合いの中で育まれて行くものであれば、世の中の在り方や考え方を知るうえで統計が重要な役割を果たしているのだとすれば、文学にも当然その影響が反映されているはず

第9章        統計に対する愛憎
統計が躍進した理由は2つ ⇒ 1つは統計の発展をもたらした社会の特性――資本主義・貨幣経済による支配と、個人主義社会の到来が、時代とともに益々際立っていったことであり、もう1つは情報収集・処理の手段が拡大したこと
統計が人間の世界で占めている地位というのは、圧倒的な科学の発展の結果生じたのではなく、むしろ人間が社会を形成するときの新しい手法によって生じた
夥しい数の個人の行動が積み重なって社会の現状が形成されるが、統計はその実態を把握する手段を提供してくれるからこそ重要なのだ
個人の主体的な行動を数量化することで全体像を示すことができる
一般的に統計が好ましく思われていないのは、人間の尊厳が最大限主張されるこの世界で、統計はといえば、数字と集団としての人間と物事の方向性にしか興味がないからであり、個人の自由が基本原則であるこの世界では、その自由の個人の集合から今の現実が生み出されたのだということ、その現実に対して個人の意思など何の力もないのだということを、統計は何度でも思い出させるからだ
一方で、社会が自由になった半面個人は新たな責任を背負い込み、失敗への恐れを抱くようになったが、そんな時代に統計情報は羅針盤の役割を、更に、自由の負の側面によって引き起こされた不安に対する、強心剤の役割を果たし始めた
統計は目の前の世界に対する最適なアプローチであり、世界を完全なものにするために不可欠なもの


統計の歴史 オリヴィエ・レイ著 数量化で社会の実態を把握
2020/5/16 日本経済新聞
統計は、16世紀の政治理論家、ジャン・ボダンが言ったように、国王が効果的に国を統治するために生まれた。徴税のための人口調査はその代表例である。経済学の歴史を学んだ人なら、英王立協会の創設者の一人、ウィリアム・ペティが社会現象の数量化に関心を持ち、1670年代に『政治算術』を著したことを覚えているだろう。統計の社会への浸透には時間がかかったが、19世紀前半にめざましく発展する。1830年代に慢性的な貧困という「社会問題」が生じたからである。
(池畑奈央子監訳、原書房・3600円)
▼著者は64年フランス・ナント生まれ。エコール・ポリテクニック卒。数学者、哲学者、エッセイスト。専門は非線形偏微分方程式。
※書籍の価格は税抜きで表記しています
(池畑奈央子監訳、原書房・3600円)
著者は64年フランス・ナント生まれ。エコール・ポリテクニック卒。数学者、哲学者、エッセイスト。専門は非線形偏微分方程式。
英国で始まった産業革命以降の経済的な自由主義の普及によって社会は繁栄すると信じられていたが、新たに労働者の貧困問題がクローズアップされた。貧困は自然の法則だと主張する『人口論』のマルサスもロンドン統計学会の設立に主導的な役割を演じた。フランスでもナポレオン軍下の外科医が人口統計調査に乗り出し、病気の影響、地域、生活環境、収入、職業別の死亡率などを明らかにした。
医学が統計の飛躍に貢献したという著者の指摘は正しい。資本主義の枠内で社会問題を解決しようという「社会的経済」の支持者たちにとっても統計は実態把握の武器となった。
興味深いのは、統計学の基礎を築いたベルギーのアドルフ・ケトレー以降の流れである。19世紀に個人の社会が誕生すると、「平均」という言葉は歓迎されなくなったが、ケトレーは逆に「平均人」を完璧なモデルとみなし、物体の重心と同じように捉えた。統計によって個人の行動に規則性を見いだした仕事は大きな影響を与えた。
その後、確率を気体運動論に応用したマクスウェル、統計力学の先駆的な業績を上げたボルツマンらが登場するが、現代経済学の方法論を考えるときにも示唆に富む。マクロ経済学をミクロの論理で基礎づけようとするルーカスの方法論に反対し、マクロを統計力学の考え方を援用して理論化する「経済物理学」という分野があるからだ。
世界が数によって支配されることへの反発も無視できない。だが、「統計は目の前の世界に対する最適のアプローチであり、世界を完全なものにするために不可欠なものだ」という著者の主張を真っ向から否定することはほとんど不可能だ。世界が数量化されることの意味を考えるには必読の書である。
《評》京都大学教授 根井雅弘



総務省統計局
統計学習の指導の為に(先生向け)

統計の歴史を振り返る~統計の3つの源流~
我々が今日「統計」と呼んでいるものの歴史を振り返ると、その源流は以下のように大きく3つに分けることができます。
 国の実態をとらえるための「統計」
 大量の事象をとらえるための「統計」
 確率的事象をとらえるための「統計」
これらは別々のルートをたどって、19世紀半ば、ケトレー(Adolphe Quetelet 1796-1874)が社会統計を科学的に作成・分析するために確率論を導入したことで、社会現象・自然現象いずれも数量的にとらえる「統計」として形を整えました。ケトレーは、母国ベルギーの統計制度の整備や公的統計の改善に努めただけでなく、国際的な統計の比較可能性を高めるべく国際統計会議の設立にも力を尽くし、その功績から「近代統計学の祖」とされています。
以下では、ケトレーによって統合される3つの源流について振り返ります。
1 国の実態をとらえるための「統計」
の「統計」は、もっとも古くまで歴史を遡ります。
古来、為政者は、徴税、兵役などのために、その支配する領域内の実情をできるだけ正確に把握する必要がありました。明治初期に「統計」と訳されたstatistics(英)やその基になったstatistik(独)はラテン語の「status」(国家・状態)に由来していますし、19世紀のフランスの統計学者モーリス・ブロックは「国家の存するところ統計あり」という言葉を残しています。こうしたことからも、統計が国家経営に欠かせないものとして発展してきたことは容易に理解できます。
古代エジプトでは紀元前三千年にピラミッドを建設するための調査が行われたことが知られていますし、ローマ帝国では初代皇帝アウグストゥスの治世の頃に、人口や土地を調べる調査(Census)が行われました。今日、国勢調査のことを「人口センサス」と呼ぶのはその名残です。
16世紀以降、ヨーロッパでは各国が互いの勢力拡大を目指してしのぎを削るようになり、国家の繁栄は人口や貿易に反映されるという考え方から、17世紀になると産業や人口に関して数量的なデータを把握するための調査・研究が盛んに行われました。ドイツを中心に発展した「国勢学」がその代表です。この学派は、人口や土地面積、歳入歳出といった国家の基礎をなす事項(国家顕著事実)を記録し、比較を容易にするために表式で表すことを試みました。
イギリスでは、ウィリアム・ペティ(William Petty 1632-87)がその著書「政治算術」の中で、度重なる戦争で苦しい状況に追い込まれていた当時のイギリスの人口や経済の実態をオランダ、フランスと定量的に比較し、国政に役立てるよう国王に献上しました。その手法はドイツの「国勢学」とは異なるもので、後述するの流れに属しますが、国家の実情を把握し、国家運営の指標として用いようという意図において、互いに通じるものがあります。
このように、18世紀から19世紀にかけて、各国で国家運営の基礎として統計を用いることの重要性が強く認識されるようになり、そのための体制整備や統計調査が積極的に行われるようになりました。フランスでは、統計の重要性に着目したナポレオン(1769-1821)によって1801年に統計局が設置され、政府によって統計が整備されるようになりました。各国で最初の近代的なセンサス(人口調査)が行われたのも、この時期です(デンマーク1769年、アメリカ1790年、オランダ1795年、イギリス1801年など)。

2 大量の事象をとらえるための「統計」
の統計は、イギリスのジョン・グラント(1620-74)によってその道が切り開かれました。
グラントは、当時たびたびペスト禍に見舞われていたロンドンで、教会の資料を基にした死亡統計表を分析し、一見偶然とみえる人口現象に規律性のあることを明らかにしました。彼はまた、当時200万人と考えられていたロンドンの人口について、様々なデータや観察を通じて384千人と見積もり、限られた量のサンプルデータを注意深く観察することで全体の人口に関する推測が可能になることを示したのです。
グラントのこうした手法は、研究の基礎を数字に置きながら、単に物事の状況を描写することにとどまらず、一見不秩序に見える複雑な物事の間に横たわる規律の発見に努めた点で、前述した「国勢学」(国家の基礎を成す重要事実を対象としてそれをありのままに描写・記述することに終始し、因果関係を探求することはなかった)とは明らかに一線を画していました。前述のペティはグラントの友人でした。彼が著した「政治算術」は国の実態を明らかにするものでしたが、社会的な事象を数量的に観察し、その背後にある規則性を指摘しており、統計学上の位置づけとしてはグラントと同じ流れに属します。
グラントやペティに続いて、その手法を科学的に一層発展させたのが、ハレー彗星を発見したことで知られるエドモンド・ハレー(Edmond Halley 1656-1742)です。ハレーは、それまで偶然が支配するところと考えられていた人間の死亡に一定の規律性があること、すなわち集団的な人口に現れる死亡には、これを予測し得る一定の秩序があることを明らかにしました。当時のイギリスには、いくつかの生命保険会社がありましたが、合理的な保険料を計算する基礎を持たず、その経営はいわばギャンブルの一種であるかのように考えられていました。ハレーはグラントが手がけた生命表を更に発展させ、これによって初めて、生命保険会社が合理的な保険料金を算出できるようになったのです。その意味で、ハレーは今日の生命保険事業の基礎を築いたと言えます。

3 確率的事象をとらえるための「統計」
①②の統計の流れとは別に、確率的な事象をとらえる必要から、統計に関する重要な概念や手法が発展してきました。の統計は、サイコロ賭博のように偶然に左右されるギャンブルとの関わりの中から産み出されました。
今日、統計には欠かせない「標本空間」の基本的な考え方は、16世紀にサイコロ賭博やトランプゲームにおける偶然の仕組みを数学的に研究したイタリア人カルダーノ(Geloramo Cardano 1501-76)によっていますし、地動説を唱えたことで有名なガリレオ(Galileo Galilei 1564-1642)はトスカーナ大公から命じられて「サイコロゲームについての考察」という小論を書いています。
数学者パスカル(Blaise Pascal 1623-62)とフェルマー(Pierre de Fermat 1600年代初頭-1665)はサイコロ賭博の問題をテーマに書簡をやりとりし、その中から確率論の基礎が芽生えました。期待値、推定、検定、標本理論などは、そこから発展していったものです。
パスカル、フェルマーが基礎を作った確率論は、その後、数学における大きなジャンルとなり、18世紀に入り、ベイズ(Thomas Bayes 1702-61)、ラグランジュ(Joseph-Louis Lagrange 1736-1813)、ラプラス(Pierre-Simon Laplace 1749-1827)といった一流の数学者たちの研究を経て大成します。確率論の統計への応用としては、ドゥ・モアブル(Abraham de Moivre 1667-1754)の年金論、D.ベルヌーイ(Daniel Bernoulli 1700-82)による天然痘の罹病率、死亡率の計算などがあります。オイラー(Leonhard Euler 1707-83)とラプラスは抽出調査を基にした全体の推計方法を考案し、それはフランスの人口の推計に応用されました。


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