危機と人類  Jared Diamond  2020.6.19.


2020.6.19. 危機と人類  上下
Upheaval: Turning Points for Nations in Crisis               2019

著者 Jared Diamond 1937年米ボストン生まれ。カリフォルニア大ロサンゼルス校UCLA地理学教授。ハーバード大で生物学(首席卒業)、ケンブリッジ大で生理学を修める(博士号取得:生理学?)が、やがてその研究領域は進化生物学、鳥類学、人類生態学へと発展していく。UCLA医学部生理学教授を経て、同校地理学教授。アメリカ芸術科学アカデミー、アメリカ哲学協会会員。アメリカ国家科学賞、タイラー賞、コスモス賞、ピュリッツァー賞、マッカーサー・フェロー、ブルー・プラネット賞など
82歳の現在も大学で学部生向けに地理学を教え、引退の予定はない。余りの博識ぶりと研究対象範囲の広さに、ある書評に「ジャレッド・ダイアモンドというのは、匿名の専門家グループが使うペンネームではないかと疑われている」と書かれたほど。自宅近くの渓谷で毎日バード・ウォッチングをし、週何回かはジムでバーベル・トレーニングをこなし、週1度はイタリア語会話のレッスンを受け、クラシック音楽の室内楽団でピアノを演奏している。ロサンゼルス在住

訳者 
小川敏子 翻訳家。東京生まれ。慶應大文学部英文科卒。小説からノンフィクションまで幅広いジャンルで活躍
川上純子 津田塾大学芸学部国際関係学科卒。出版社勤務を経て、シカゴ大大学院人文学科修士課程修了。フリーランスで翻訳・編集の仕事に携わる

発行日           2019.10.25. 11
発行所           日本経済新聞出版社


遠くない過去の人類史から何を学び、どう将来の危機に備えるか?
ペリー来航で開国を迫られた日本、ソ連に侵攻されたフィンランド、軍事クーデターとピノチェットの独裁政権に苦しんだチリ、クーデター失敗と大量虐殺を経験したインドネシア、東西分断とナチスの負の遺産に向き合ったドイツ、「白豪主義の放棄とナショナル・アイデンティティの危機に直面したオーストラリア、そして現在進行中の危機に直面するアメリカと日本・・・・・・・。
国家的危機に直面した各国国民は、いかにして変革を選び取り、繁栄への道を進むことができたのか? ジャレド・ダイアモンド博士が、世界7か国の事例から、次の劇的変化を乗り越えるための叡智を解き明かす!

日本、アメリカ、世界を襲う現代の危機と解決への道筋を提案する!
国家的危機に直面した国々は、選択的変化によって生き残る――では、現代日本が選ぶべき変化とは何か?
現代日本は数多くの国家的問題を抱えているが、中には日本人が無視しているように見えるものもある。女性の役割、少子化、人口減少、高齢化、膨大な国債発行残高に関心が寄せられている一方で、天然資源の保護、移民の受け入れ、隣国との非友好的関係、第2次大戦の清算といった問題には、関心が低いようだ。現代日本は、基本的価値観を再評価し、意味が薄れたものと残すべきものを峻別し、新しい価値観をさらに加えることで、現実に適応できるだろうか? 博覧強記の博士が、世界を襲う危機と、解決への道筋を提案する


プロローグ ココナッツグローブ大火が残したもの
1942年のココナッツグローブ大火 ⇒ 満員のナイトクラブでの火事により死者492人、負傷者数百人。心理療法の転機
195661年のイギリスでは、海軍の戦艦がすべてスクラップとなり、初めての人種暴動勃発によりアフリカの植民地の相次ぐ独立を認めざるを得なくなった、スエズ危機によってイギリスには世界的大国として単独で行動を起こす力がないという屈辱的な事実が露呈
危機と変化への圧力は、11人とその人が属する集団に突き付けられる
キーワードは「選択的」 ⇒ 危機に直面した個人と国家にとって難しいのは、機能良好で変えなくていい部分と、機能不全で変えなければならない部分との分別。そのためには自身の能力と価値観を公正に評価する必要がある
本書は、7つの近代国家において数十年間に生じた危機と実行された選択的変化についての、比較論的で叙述的で探索的な研究。個人的に関わりを持った国を取り上げた
エピローグでは、7か国及び世界についての観察を、12の要因に照らし合わせて再確認していく。国家が大きな変革を行うには、危機という刺激が必要なのか? 急性の危機を抱えた患者のために心理療法を改良するには、ココナッツグローブ大火という衝撃を必要とした。先々の研究の方向性をいくつか提案したい。さらに歴史研究によって現実的に得られるであろういくつかのタイプの教訓も示す。過去の危機をよく考えてみようと思ってくれれば、過去を理解することが、私たちの現在と未来の危機克服の役に立つかもしれない

第1部     個人
第1章    個人的危機
1959年、21歳の時に人生最大の危機を経験 ⇒ ケンブリッジの1年を終えたところで、生理学者としての研究に行き詰まりを感じ学業を諦めようとしたが、父親のあと1年やってみてから決めてはとのアドバイスで立ち直る
個人的危機の帰結に関わる要因 ⇒ 問題解決の成功率を多少なりとも上げる要因
    危機に陥っていると認めること
    行動を起こすのは自分であるという責任の受容
    囲いを作り、解決が必要な個人的問題を明確にすること
    他の人々やグループからの、物心両面での支援
    他の人々を問題解決の手本にすること
    自我の強さ
    公正な自己評価
    過去の危機体験
    忍耐力
    性格の柔軟性
    個人の基本的価値観
    個人的な制約がないこと
国家的危機の帰結に関わる要因
    自国が危機にあるという世論の合意
    行動を起こすことへの国家としての責任の受容
    囲いを作り、解決が必要な国家的問題を明確にすること
    他の国々からの、物質的支援と経済的支援
    他の国々を問題解決の手本にすること
    ナショナル・アイデンティティ
    公正な自国評価
    国家的危機を経験した歴史
    国家的失敗への対処
    状況に応じた国としての柔軟性
    国家の基本的価値観
    地政学的制約がないこと


第2部     国家――明らかになった危機
第2章    フィンランドの対ソ戦争
フィンランドの対ソ戦争による死者は10万人に迫る
1100年前後以降、フィンランドの領有権はロシアとスウェーデンが争ってきた
1809年ロシアが併合する前は、スウェーデン支配下が多かった。併合後も、ロシア皇帝は大きな自治権を認めていたが、1894年ニコライ2世に指名された総督が圧政的で1904年暗殺、17年のロシア革命の勃発とともにフィンランドは独立を宣言 ⇒ 内戦勃発
ドイツ帝国で訓練を受けた白衛軍と呼ばれる保守派がと、社会主義革命を目指す赤衛軍および駐留ロシア軍が衝突。1918年白衛軍が勝利し、赤衛軍は28千の死者を出す
この内戦の記憶がロシアと共産主義に対するフィンランドの恐怖心を掻き立て、その後のソ連に対する姿勢を決定付けることになる
ソ連は国境に空軍基地を置き鉄道を敷設したのに対し、フィンランドも陸軍を強化、国境のカレリア地峡を横断する形で防衛線を築く
1939年の独ソ不可侵条約を契機に、スターリンはバルト3国とフィンランドに対し最後通牒を出し、バルト3国はソ連軍の領内通過を受諾したが、フィンランドは島嶼部の割譲と空軍基地建設を拒絶 ⇒ 3911月ソ連が攻撃開始(“冬戦争開戦)。フィンランドは戦車も近代兵器も持たなかったが予想外の善戦で、ソ連は全土征服を断念し翌3月に停戦
41年の独ソ開戦では中立を宣言するが、ソ連の空爆に対抗して宣戦布告(“継続戦争”)。人口の1/6を動員したのは世界最高。結果的にドイツの「共戦国」となったが、ドイツがフィンランドに要求した国内のユダヤ人の一斉検挙とナチスと一緒にレニングラードを挟撃する要求は断固拒否。これが戦後スターリンがカレリア州以外への侵攻を放棄した根拠に
戦後の和平交渉では、ソ連に対して大幅に譲歩。46年からの2人の大統領による「パーシキヴィ=ケッコネン路線」という現実的解決によりソ連側の信頼を勝ち得て西側との関係進展をさせることに成功
国家的危機の帰結と関わりがあると仮定した12の要因のうち、2,3,6,7,9,10,11は有利に働き、欠けていた要因4,5,12が解決を妨げた

第3章    近代日本の起源
国家的危機の帰結と関わりがあると仮定した12の要因のうち、5は日本こそ典型例、7も好例、1,3,4,6,9,10,11も重要で、12はプラス、マイナス両面で機能

第4章    すべてのチリ人のためのチリ
東はアンデスでアルゼンチンから隔離、北は世界で最も不毛は砂漠で、ペルー、ボリビアから隔離された結果、独立以来183639年と、187983年の2回しか戦争していない。相手はボリビアとペルー。地理的特性から、農業生産性の高さと、疾病負荷の低さを誇り、国民1人当たりの所得は南米トップレベル
アジェンデ ⇒ 共産党よりさらに左寄りの社会党に属し、民主的な手法でマルクス主義政府樹立を狙い、1970年に4回目の大統領選で勝利。アメリカは議会に承認しないように圧力をかけたが失敗。銅鉱山の米国所有権の無償接収ほか大手企業の国有化を推進したが、経済の混乱と暴力の蔓延とハイパーインフレから、73年クーデターにより失脚
軍事クーデターで政権に就いたのがサンティアゴを含む軍区の司令官だったピノチェットが、軍の政治介入に反対していた総司令官を辞任に追い込み、代わって総司令官になったばかり。CIAも無害な人物として承認したが、一旦権力を握ったピノチェットは、アジェンデ以上に不可解な人物で、先ず左派勢力を消滅させるため、秘密警察を創設して弾圧を始める。周辺国とも連携して反対派の残虐の限りを尽くした粛清を実行
88年の大統領任期延長の国民投票では、反対派が共同戦線を張って「ノー!」運動を展開、「すべてのチリ人のためのチリ」建設を表明して勝利、90年の大統領選挙で左派政権樹立に成功。以後民主主義が機能を回復、目覚ましい経済復興を遂げる
ピノチェットの影は尾を引き、軍の最高司令官を務めたこともあって民政移行後も影響力を温存し、最終引退したのは98
国家的危機の帰結と関わりがあると仮定した12の要因のうち、3,4,5,6,9,10,12が様々に影響
国家に特有の要素としては、第173年の危機は国内の問題であり、第2に暴力に訴える革命的な変化が起きて長く続いた後、武力行使の伴わない抵抗運動で退陣へと追い込まれている。第3に突出した指導者の存在で、ピノチェットは突出した悪人

第5章    インドネシア、新しい国の誕生
1945年独立を宣言したのはスカルノ ⇒ 今でも国をまとめるための包括的なイデオロギーとして大切にされている5原則を打ち立てる。唯一神への信仰、人道主義、インドネシアの国家的統一、民主主義、すべてのインドネシア人に対する社会正義の5項目
自前の政府を持った経験が全くないままに独立したため、民主主義が機能せず、57年スカルノは戒厳令を発令し、議会をスカルノに相互協力する機関として機能させる「指導性民主主義」に切り替え。スカルノは終身大統領となる
65年軍内部の左派系分子によるクーデター勃発。陸軍戦略予備軍司令官のスハルトが軍を掌握してクーデターを制圧、反対派の大量殺人を始める
67年、スハルトは大統領代行となり、翌年から30年大統領の座にとどまる
国家的危機の帰結と関わりがあると仮定した12の要因のうち、3,4,6,7,8,11,12が関係

第6章    ドイツの再建
1953年、東独でストライキが暴動に発展,ソ連軍により鎮圧 ⇒ 61年、壁構築
ナチスの犯罪はごく一部の邪悪な指導者個人の責任であって、ドイツ国民の大多数は無実
58年、西独の全州の法務大臣がナチスの犯罪追及に総力を結集するための中心的機関を設立し、ごく普通のドイツ人も追及の対象として、自らによる裁きを開始 ⇒ 大戦中デンマークに逃れていたドイツ系ユダヤ人の法律家フリッツ・バウアーによって主導されたアウシュヴィッツ裁判が有名。60年代の法廷では被告たちは次々に無罪となったが、バウアーの真の業績は、ドイツ人であるバウアーがドイツの法廷で、ナチス時代におけるドイツ人の信条や行為を事細かに論証し、ドイツの一般の人々に繰り返して見せたことで、ナチスの犯罪行為は邪悪な指導者だけでなく多数のごく普通の兵士や役人がナチスの命令を実行したが、それは人道に対する罪
60年代、アメリカの学生運動が世界に伝播したが、ドイツでは特に世代間の対立が激化。ナチスに関与していた旧世代の権威主義に若い世代が激しく抵抗、互いに軽蔑し合い、68年には非ユダヤ系の若い女性が元ナチ党員だった首相キージンガーに向かって「ナチ!」と叫んで平手打ちした。71年からは若い世代によるテロ活動へと発展し77年にピーク
同時並行的にリベラル化の動きも加速、69年ブラントが社会民主党党首として初の左派首相に就任、学生の要求を実現していく。東ドイツを認めるとともにその他東側諸国とも国交を回復、オーデル・ナイセ線をドイツの国境線として認め、その東にあるドイツの旧領土全てを恒久的に放棄することを認める。70年にはワルシャワを訪問し、ゲットーに膝まづいて赦しを求めた。東西両ドイツの交流が始まり、90年の統一へと進む
82年、ドイツ人のナチス時代に対する見方が変わってきた ⇒ 70年以降ドイツでは子どもたちにナチスの残虐行為を詳しく教えている。過去の罪への責任を真剣に受け止めている国は他にない
ドイツに顕著は要因としては、①地政学的な制約により主導権を取りにくかったこと(要因12)、②自己憐憫と被害者意識(要因2、第1次大戦では自らを被害者として認識したが、第2次大戦では明らかに加害者)、③リーダーシップの役割、④公正な自国評価の欠如(要因7)
2次大戦後のドイツにははっきり選択的変化が見られる(要因3)。ナチス時代については徹底的に再評価を行い、社会的にも大きな変化を遂げ、中でも権威重視の傾向と女性の地位に関する変化は著しい。その一方で、伝統的なドイツ社会の核となってきた価値観の多くはほとんど変わっていない。政府による芸術支援、全国民を対象とした政府による医療制度と退職手当、個人の権利を無制限に認めるよりも共同体としての価値を重視する点などはかつてのまま
他国からの支援(要因4)については、マーシャルプランを有効に活用して奇跡の経済的復興を遂げ、ナショナル・アイデンティティの強さ(要因6)が役立っている。要因8,9についても同様
ドイツ近代史で興味深いのは、敗北のあと20数年で敗北に対する激しい反動が起きるケースが4回も起きていること ⇒ 1848年の革命から23年後の71年に統一。第1次大戦の敗北から21年後には第2次大戦を引き起こす。敗戦から23年後の68年には学生運動が起こり、その22年後には再統一を果たす。世代が変わるごとに重要な出来事に遭遇

第7章    オーストラリア――われわれは何者か?
オーストラリアの危機は、ドイツの場合と同様第2次大戦の経験がきっかけとなって展開
1788年、最初のヨーロッパの入植者(囚人)がイギリスから渡来 ⇒ 囚人護送は1868年まで続く。アボリジニは軍や首長を持たずに集団として暮らしていたため、入植者は勝手に土地を自分のものとして住み始める
1860年代からは、クイーンズランドでの砂糖プランテーション拡大に伴い、新たな移民が流入。イギリスは、アメリカの経験に懲りて自治を認める
元々6つの別個の植民地だったが、19世紀後半太平洋に各国が勢力を伸ばし始めたのに対抗して、連邦形成に走り、1901年連邦国家が宣言
白豪主義を取り、人種差別主義から非白人を締め出す
オーストラリア人のアイデンティティの中心にあったのはイギリスの臣民という意識で、それ故に19世紀末以降国益とは無関係のイギリスの戦争に参加して一緒に戦うことに意欲を燃やした ⇒ いまだにアンザック(オーストラリアとニュージーランド軍)・デーが国民の祝日として大切にされる
2次大戦のシンガポール陥落、英軍の撤退が契機となって、自己防衛に走りアメリカに頼る
72年労働党内閣の誕生。急激な改革に着手(選択的変化) ⇒ 徴兵制廃止、ベトナムからの軍の撤退、中国承認、パプアニューギニアの独立宣言、人種差別的基準で選出されたスポーツチームの入国禁止(南アのラグビーチームを想定)、イギリス叙勲制度の廃止と独自制度の導入、白豪主義政策の撤廃など
白豪主義撤廃については、49年に日本人戦争花嫁受け入れ開始が先行。移民法改正が次ぐ
86年、最高裁判決をイギリスの枢密院に上訴する権利を廃止、完全な独立を果たす
オーストラリアの中心的問題は、ナショナル・アイデンティティと基本的価値観(要因6,11)であり、今なお議論は継続。公正な自己評価(要因7)にも関連

第3部     国家と世界――進行中の危機
第8章    日本を待ち受けるもの
日本の強み ⇒ 経済、人的資本(人口)、文化、環境
深刻な問題 ⇒ 国債残高、女性の役割、少子化、人口減少、高齢化、中国と韓国での反日感情、自然資源の管理

第9章     アメリカを待ち受けるもの――強みと最大の問題
外交に関する問題 ⇒ 中国の脅威
地理的優位性
政治的優位性 ⇒ 民主主義の優位性
社会的流動性の高さ ⇒ アメリカン・ドリーム
人口の中に移民がいることの基本的な優位性 ⇒ アメリカ人ノーベル賞受賞者の1/3が外国生まれ、1/2が移民あるいはその子ども
政治の2極化 ⇒ 政治的妥協が加速的に衰退している恐れ
不寛容、暴力的な言動の増大など、政治以外の社会の様々な分野で拡大している

第10章    アメリカを待ち受けるもの――その他の三つの問題
アメリカの民主主義と経済力にとって最も深刻な脅威となっているのは;
選挙 ⇒ 投票率の低下、有権者登録制度
不平等 ⇒ 格差と停滞。経済格差が倫理的大問題へと発展

第11章    世界を待ち受けるもの
世界に暮らす人間やその生活水準を脅かす要因とは何か?
世界文明の存続を脅かすのは何か?
核兵器の使用
世界的な気候変動
世界的な資源枯渇
世界的な生活水準における格差の拡大

エピローグ 教訓、疑問、そして展望
1.    国家的危機の帰結に影響を与えると仮定した12の要因が、サンプル的に採り上げた7か国に実際にどのように当てはまるか
    自国が危機にあるという認知 ⇒ 外部的事象によって否認の局面は終了するが、何が問題なのかについては意見が分かれることもある
    責任の受容 ⇒ 第2次大戦後のドイツと日本は極端な好対照
    囲いを作る/選択的変化 ⇒ 変化の受容に差
    他の国々からの、物質的支援と経済的支援 ⇒ 正負の両面がある
    他の国々を問題解決の手本にすること ⇒ モデルがあるか否かに大きな差異
    ナショナル・アイデンティティ ⇒ 危機の解決に大きく寄与
    公正な自国評価
    国家的危機を経験した歴史
    国家的失敗への対処
    状況に応じた国としての柔軟性
    国家の基本的価値観
    地政学的制約がないこと

2.    このサンプルを使って、危機について人々がしばしば問う2つの一般的な疑問を検討 ⇒ 国家が大きく変化を遂げるためには、危機を引き起こす急激な大変動が必要なのか? 歴史が辿る道筋は特定の指導者に大きく依存するのかどうか
克復すべき惰性や抵抗が多く存在している場合は、大きな悪いことが突然起こる方が、ゆっくりと進む問題よりも、また、何か大きな悪いことが将来起こりそうだという見通しよりも、人々に行動を促す
指導者によって違いが生まれることもあるが、それは指導者のタイプによって、また検証される影響のタイプによって左右される

3.    危機をより深く理解するための戦略を提示
もっと数多くのサンプルを作成し、計量的分析として展開することが必要

4.    その理解から弾き出せる未来への教訓
ある特定の国の歴史を理解すれば、それに基づいて将来その国が取りそうな行動を予想し易くなる
過去にうまくいった変化、うまくいかなかった変化を知っておくことは、私たちの導き手になる





危機と人類(上・下) ジャレド・ダイアモンド著 日米など7国の危機克服術
2019/12/21付 日本経済新聞
著者ダイアモンドはいま、世界で最も高名な著述家の一人だろう。『銃・病原菌・鉄』(2000年に邦訳)では、人類史を自然史の知見と結びつけ、地球的視野で環境と歴史を結びつける新たな人類史の地平を開き、その後の人類史ブームのきっかけを作った。続く『文明崩壊』(05年に邦訳)では環境破壊への適応力が文明の岐路をなすと主張し、これも大いに注目を集めた。
原題=UPHEAVAL:Turning Points for Nations in Crisis
(小川敏子・川上純子訳、日本経済新聞出版社・各1800円)
▼著者は37年米ボストン生まれ。カリフォルニア大ロサンゼルス校教授。
※書籍の価格は税抜きで表記しています
(小川敏子・川上純子訳、日本経済新聞出版社・各1800円)
著者は37年米ボストン生まれ。カリフォルニア大ロサンゼルス校教授。
本書が扱うのは、200年ほどの7カ国なので、上述2著ほど壮大ではないが、それでも今日の社会科学の基準で言えば十分に幅広い。本書の目的は、国家がいかに危機に対応し、克服しうるかについて、歴史的比較分析によって探求することである。具体的には、日本を含めた6カ国の事例について1章ずつ記述され、著者の母国アメリカに関する記述もある。
日本の読者には明治維新が国際環境に起因する危機への成功した対応事例として扱われていることに興味を引かれるだろう。ただ、記述内容は日本人にとってはそれほど斬新ではないかもしれない。むしろ著者が一定期間居住した日米以外の5つの国に関する叙述に著者らしい視野の幅広さを感じることができる。ソ連からの圧力を生き抜いたフィンランド、冷戦下の国内危機から生じたクーデタを経験したチリとインドネシア、戦後西ドイツの戦争認識の変容、19世紀以来の白豪主義を放棄していったオーストラリアに関する各章では、著者の回想と歴史記述が組み合わされた記述が興味深い。
他方、著者が依拠する、個人の精神的危機の克服に関する心理学的研究を、国家の危機克服にあてはめる手法には疑問の余地があるように思う。著者自身も暫定的な分析と断っているのでさほどこだわる必要はないだろう。
むしろ印象的なのは第3部に示された著者の危機意識である。日米が直面する高齢化や政治的分裂といった危機に加えて、人類全体の危機として核、気候変動、エネルギー、格差が指摘される。この認識が本書執筆の主たる動機だろう。本書は、かつて文明史の観点から人類の危機を指摘したトインビーのひそみにならった、ダイアモンドの警世の書と見なすことができよう。
《評》京都大学教授 中西 寛



危機と人類
2020.1.25. 朝日
(売れてる本)『危機と人類』(上・下) ジャレド・ダイアモンド〈著〉
 愛と良識で語られる近現代史
 大部の本なのに読みやすいのは、データ重視の自然科学的研究ではなく、「比較論的で叙述的(ナラティブ)で探索的な研究」、つまり「お話」だから。人類文明史の大家が、日本、米国、ドイツ、フィンランドなどの近現代史に着目し、国家が危機をどう乗り越えたのか考察している。
 対象は7カ国のみ。著者自身、住んだことがあるなど、個人的になじみのある国を選んだ。なかでも、旧ソ連と長い国境線を接するフィンランドの章に、著者の愛がこもる。「超大国(略)に恐れをなした近隣の弱小国が、浅ましくも主権国家としての自由を譲り渡すという、みっともない状況」が「フィンランド化」だといわれるが、とんでもない誤解である。フィンランド化とは、誇り高き小国が、歴史の厳しい現実を耐え、学んだ、オリジナルな危機解決戦略なのだった。
 第2次世界大戦で壊滅的な敗北を喫した日独だが、ドイツはいま、EUの盟主である。「ドイツの手法がかつての敵国をおおむね納得させているのに対して、日本の手法は(略)中国と韓国を納得させ損ねているのはなぜだろうか」。著者の良識的な答えが、腑に落ちる。
 ところで本書随一の特徴は、国家の危機を「個人的危機というレンズを通すことで」理解しようというアイデアだ。失業や離婚など個人的危機の解決には「・危機に陥っていると認める・他人を手本にする・公正な自己評価・忍耐力」などが有効とされる。危機に陥った国々は、その観点からみてどう対処したのか述べるのだが、なにやら歴史書が一気に自己啓発本になるようで、正直、鼻白む。
 ただしこれも、正統的な歴史書が読まれず、自国に都合のいいえせ歴史書がベストセラーになるといった、まさに「歴史の危機」を認め、自己啓を手本に、良識的な歴史記述にも多くの読者を呼び込もうという「危機解決術」なのかも知れず、とすればその手並みは鮮やかというほかない。脱帽である。
 近藤康太郎(本社編集委員)
     *
 小川敏子、川上純子訳、日本経済新聞出版社・各1980円=上4刷3万4千部、下同3万1500部。19年10月刊行。『銃・病原菌・鉄』の著者の最新作。30代以上の男性に読まれている。


争いの時代 協調こそ解 生物地理学者ジャレド・ダイアモンド氏
コロナと世界(5
2020/4/13 23:00 (2020/4/14 2:37更新) 日本経済新聞デジタル
――人類は過去に多くの危機に直面してきました。新型コロナウイルスの感染拡大をどう位置付けますか。
14世紀の黒死病(ペスト)では欧州の人口の約3分の1が死亡し、経済が回復するまでに1世紀の期間を要した。世界恐慌は回復までには1012年かかったが、今回はより短いだろう。それでも誰もが認める危機であり、若い人はもっとも深刻と感じるはずだ」
「黒死病は影響が大きかったものの、感染が広がったのはユーラシア大陸だけだった。1918年のスペイン風邪は致死率は11%と新型コロナの2%よりも高かったが、感染拡大のペースは緩やかだった。一方、(輸送)技術の発達が不利に働き、今回は4カ月ほどでパンデミック(世界的な大流行)となった」
――備えは十分だったといえますか。
「不十分だった。過去50年にわたりエイズや重症急性呼吸器症候群(SARS)、中東呼吸器症候群(MERS)といった新たな疾病と向き合ってきたにもかかわらず、米国政府は担当機関を解散してしまった。十分な数量のマスクを用意していたフィンランドのような例外はあるものの、多くの国は準備不足だ」
SARSは野生動物が感染源となり、中国の動物市場から広がった。市場を閉鎖すべきだったが中国政府は見送り、同じパターンで新型コロナが拡大した。中国は伝統的な医療のために野生動物の利用を続けている。このままでは確実にパンデミックが再発する」
――歴史にどのような影響を及ぼしますか。
「新型コロナの封じ込めは世界各国が足並みをそろえないと困難だ。戦いに勝つには国際的な協力体制が要る。世界的な問題を解決するモデルになり、核や気候変動、水産資源の保護といった課題に国際社会が協調して取り組む契機になるのが最良のシナリオだ」
――楽観的すぎませんか。
「不足している人工呼吸器やマスクの購入で複数の国が争うなど悲観的になる理由はたくさんある。一方、ワクチンの開発などで世界中の科学者が連携し、米国と中国も多くの分野で手を携えるなど協力の兆候もある。世界的な問題が解決される可能性は51%と主張してきたが、新型コロナはもっと高いはずだ」
――中国が影響力を強める契機となるとの指摘もあります。
「状況は変わらない。中国は意思決定は早いものの、2000年以上続く独裁的な政治体制は誤った決断を下すリスクを内包している。市民は批判したり、選挙で意思を示したりできない。新型コロナも当初は存在を認めず、公の議論を禁止した」
――日本の現状をどうみますか。
「自国だけは例外と考えることが危機を乗り越える障害となる。米国に加えて日本もこうした傾向がある。都市封鎖や感染経路の追跡にそれほど前向きではないように感じるが、中国や米国と同様に感染者や死者が増えるリスクがある。重篤な症状に陥りやすい高齢者の割合が世界で最も高いことを考慮すべきだ」
(聞き手はシリコンバレー=奥平和行)
Jared Diamond 1937年生まれ。米カリフォルニア大学ロサンゼルス校教授。13000年に及ぶ人類史を描いた「銃・病原菌・鉄」でピューリツァー賞を受賞した。近著に「危機と人類」。




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