ネバーホーム  Laird Hunt  2018.4.15.


2018.4.15. ネバーホーム
Neverhome  2014

著者 Laird Hunt 1968年シンガポール生まれ。作家。現在はデンヴァー大英文科教授。第5作『優しい鬼』(2012年刊行)PEN/フォークナー賞最終候補

訳者 柴田元幸 1954年生まれ。アメリカ文学研究者、翻訳家、文芸誌『MONKEY』編集人。東大特任教授。『生半可な學者』で講談社エッセイ賞、『アメリカン・ナルシス』でサントリー学芸賞、トマス・ピンチョン著『メイスン&ディクスン』で日本翻訳文化賞受賞。17年第6回早大坪内逍遥大賞受賞

発行日           2017.12.30. 第1刷発行
発行所           朝日新聞出版

初出 『小説トリッパー』2017年夏季号・秋季号に前半を連載、その他は訳し下ろし

翻訳文は9割がた平仮名で、会話文が多い

私は強くてあのひとは強くなかったから、私が国を守りに戦争に行った
サムター要塞から1年過ぎたころ、インディアナを越えてオハイオに入り北軍に志願
軍隊の訓練を受けた後南に向かって行軍と、反乱軍との戦闘が続く
腕に傷を負って連隊から離れ、看護師の家で養生、女であることがわかり、北軍兵士に脱走兵として拘束されスパイの嫌疑をかけられるが、元の部隊の大佐が助けに来てくれる
他の潜り込んでいた黒人女性兵士と一緒に北へ向かって脱走
2年ぶりでやっと辿り着いた自分の農場は、ならず者たちに乗っ取られ、亭主は使い走りをやりながら納屋に住まわせてもらっていた。持って帰った銃を使ってならず者たちを撃った時、亭主も一緒に殺してしまう
新しい生活を始めもう一度家族を作ろうと戻ってきたが、あの人はもう死んでしまった


訳者あとがき
ハント6冊目の長編小説。男のふりをして南北戦争に参加した女性という、実在した、しかし意外な存在に焦点を当てることで、今までとは違う角度から歴史に、戦争に迫り、さらには家(ホーム)とは何か、あるいは人は自分を巡ってどのように物語を組み立てるのかといった普遍的な問題にも触れ、その結果21世紀アメリカの最高の小説と言われる『地図のなかった世界』にもひけを取らない素晴らしい作品となっている
現実に男に扮して南北戦争に参加した女性の数は400とも1000ともいわれ、様々な記録が残っているが、ハントにとりわけ霊感を与えたのはウェイクマンという女性。男性兵士ライオンズ・ウェイクマンとして戦い、ライオンズ・ウェイクマンとして埋葬されたのち、夫にあてた30通余りの手紙が発見されている
ハントが何より力を注いだのが、男性兵士としてふるまう主人公に独自の声を与えること、その声に命を吹き込むこと。素朴で、文法的にも怪しく、だが時たまハッとするような比喩やイメージが忍び込む、それでいて自分の雄弁を意識している気配は微塵もない語り。前作同様、女性の声を見事に立ち上がらせた著者ならではの力強さと叙情が本書にも一貫して漲っている
主人公がいかなる人物か、読者が組み立てていくべきだろうが、参考までに作者の発言を引用、「私にはこんな幻影が見えている。中年から晩年に差し掛かったアッシュ(主人公)が、着古してはいるがしなやかな革の服を着て、肌は褐色に焼け、唇はひび割れて血を滲ませ、家から遠く離れて歩いている姿が」
Neverhomeという作者の造語には、人がhome=/故郷と呼べる場所はどこまで確かなものなのか、という問いが聞き取れるし、主人公がどのような境地に行き着いたかの「答え」が明記されているわけではない




(書評)『地下鉄道』コルソン・ホワイトヘッド〈著〉 『ネバーホーム』レアード・ハント〈著〉
20181280500分 朝日
 差別を体感させる言葉と語り
 アメリカ合衆国は1776年の建国時から自由州と奴隷州に分かれていた。リンカーンが奴隷解放を宣言するのが1863年のことであり、日本でいえば江戸中期から幕末あたりの時代ということになる。
 1861年にはじまる南北戦争と現在との時間的なへだたりは、日本の歴史における戊辰戦争との距離感に近い。
 「地下鉄道」の語はもともと、奴隷州から自由州やカナダへ逃れようとする人々を支援した組織やその逃亡路を示した。「地下」の語は奴隷自身の移動が非合法であることを、鉄道は自由への道を意味しており、実際の地下鉄を指すわけではない。
 だがしかし、本当に地下に鉄道が走っていたとしたならばという奇想を発端として書かれたのがホワイトヘッドの『地下鉄道』であり、奴隷の少女コーラの逃亡劇が描かれる。
 発想からして虚構性の高い作品だが、扱われるテーマは重く、息苦しさに満ちている。
 人間が人間を差別するとき、当人は自分が人間を差別しているとは考えない。差別ではなく人間とは違うものとの区別だと信じて疑わない。
 他者の痛みを感じることは想像以上に難しい。作中、白人が黒人のかっこうをして演じる黒人劇の場面がある。奴隷制からの逃亡、その幇助(ほうじょ)が死罪を意味する町で、自分の過ちを認め許しを乞いながら処刑される奴隷の役を、顔を黒塗りにした白人が演じるという行為のおそろしさは本を閉じたところで消えるようなものではない。小説によってはじめて可能となる種類の力といってよいと思う。
 レアード・ハントの『ネバーホーム』は『地下鉄道』の時期からほぼ30年が経過した南北戦争期が舞台であり、こちらの主人公は、夫のかわりに兵士として戦場にでることにした女性である。
 特徴的な一人語りは背景をはっきりと示さないまますすむが、男性の兵士であるという偽りによって彼女は人間扱いされ、偽りが破れ本来の姿があらわれた時点でそれは終わる。
 奴隷であることも性の選択も自分で自由にできるものではない。自由にできないのは当然なのだという理屈を言うのは常に自由である側の人々である。
 言葉は誰が発しても同じ内容を伝えるというものではない。人間とは異なるとされた者が発する言葉は、言葉とみなされないからだ。
 だからそこでは様々な言葉や語りが工夫される。事実を目にし、耳にするだけで他人の苦しみを理解し、あらゆることは自らにも起こりうるのだと理解するだけのかしこさを、人間は備えていないのだ。
 評・円城塔(作家)
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 『地下鉄道』 コルソン・ホワイトヘッド〈著〉 谷崎由依訳 早川書房 2484円
 『ネバーホーム』 レアード・ハント〈著〉 柴田元幸訳 朝日新聞出版 1944円
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 Colson Whitehead 69年生まれ。アメリカの作家。この本でピュリツァー賞、全米図書賞など受賞
Laird Hunt 68年生まれ。アメリカの作家。『インディアナ、インディアナ』『優しい鬼』など。


ハックも抱えた偏見、今と呼応 柴田元幸さん訳「ハックルベリー・フィンの冒けん」
20181311630分 朝日
 米国の作家マーク・トウェイン(18351910)の代表作を翻訳家柴田元幸さんが新訳した『ハックルベリー・フィンの冒けん』(研究社)が刊行された。なぜいま『ハック・フィン』? 19世紀の作品をあえて手がけた理由を、柴田さんに聞いた。
 トウェインと言えば『トム・ソーヤーの冒険』。日本では児童文学とみなされることが多いが「マーク・トウェインは児童文学にとどまらない、アメリカ文学の最重要作家」だと柴田さんは言う。
 なかでも『ハック・フィン』は『トム・ソーヤー』の続編として構想されながら、まったく違う性質の輝きを放つ文学として高く評価される。最大の魅力は文章の語り口。「何が書いてあるかよりも、どう書いてあるかが大事なんです」
 原文は文法の間違いだらけ。句読点の使い方もなんだかおかしい。「つまり、ハックが書いてるってことなんですよ。だから訳すときも、ハックが日本語書いたらこの漢字書けないよなとか、そういうことを考えた」
 新訳のタイトルを『ハックルベリー・フィンの冒けん』としたのも、ハックなら「冒」は書けたとしても「険」は難しそうだと考えたから。「『冒険』だと普通の純文学になるし、『ぼうけん』だと児童文学。この小説はそのどちらでもない。マーク・トウェインは、文学的な気取りをそぎ落として文学を作った人だから」
 作中ではハックが、逃げ出した黒人奴隷のジムと旅をする。ハックの黒人に対する偏見と人間的な友情の両方を描いていることが、小説に深みを加えている。「黒人への偏見をハックも抱えていて、偏見と人間性が葛藤しているわけです」
 ノーベル文学賞を受賞したカズオ・イシグロさんはストックホルムでの講演で「人種差別主義が再び台頭している」と述べた。日本では、お笑い芸人が年末の番組で顔を黒く塗って黒人俳優に扮したことが批判されたばかり。『ハック・フィン』は百年以上前に書かれた物語なのに、現代の社会状況にも呼応するかのようだ。
 「僕は高度成長期に育ったので、世の中は基本的に右肩上がりで、偏見や差別もいつかはなくなると思っていたけど、全然そうじゃなかったわけです。この本はまったく古びていない。古びていないことを、悲しまなきゃいけない」
 ほぼ同時期に刊行された『ネバーホーム』(レアード・ハント著、柴田訳、朝日新聞出版)も、南北戦争期のアメリカを舞台に、ある状況に置かれた人間の残酷さを見つめた小説だ。
 「残酷なやつがいるから世の中だめだみたいな話じゃなくて、主人公自身も残酷さに汚染されている物語。そういうものが、少しずつでも受け入れられたらいいなと思っています」
 (柏崎歓)


[日本経済新聞夕刊201836日付]
米文学、奴隷制や南北戦争に脚光 不穏な「今」を問う
 米国の文学界で19世紀の奴隷制や南北戦争が注目されている。この時代を扱った小説が多数出版されているのだ。歴史ドラマとしてではなく、不穏な「現在」を描く意図があるようだ。
 19世紀の米国には、南部の奴隷州から北部へ逃れる黒人を支援する「地下鉄道」という組織があった。もしもこれが文字通り、地下を走る本当の鉄道だったら――
 昨年末邦訳が刊行されたコルソン・ホワイトヘッド著「地下鉄道」(早川書房)は史実から想像を膨らませた奴隷少女の逃亡劇だ。ピュリツァー賞や全米図書賞などを受賞した話題作。著者は米デジタルメディアのインタビューに「奴隷を巡る物語はまだ十分にあるとはいえない」と語っている。
 翻訳を手掛けた作家の谷崎由依は「19世紀の雰囲気を感じる凝った文体や言い回しが多い小説だが、決して遠い世界の話ではない」と語る。英文学者の藤井光も、小説の内容が米国の現状と重なると指摘する。「トランプ大統領支持・不支持州の価値観が相いれず、分断が顕著になっている。その論理的延長線上には(南北戦争のような)内戦という言葉が浮かぶ」
人の暴走過程描く
 昨年4月に米で発売、9月に早くも邦訳が刊行されたオマル・エル=アッカド著「アメリカン・ウォー」(黒原敏行訳・新潮文庫)は、2074年に始まる第2次南北戦争を描く。化石燃料の使用禁止に反対する南部が独立宣言をするという奇想の物語だ。
 カイロで生まれカナダで新聞記者としてアフガニスタン戦争などを取材した著者は「小説の照準は過去や未来ではなく、現在起きていることにある。拷問、ドローンによる殺人、難民キャンプ。人々が極度の不正義にどう反応するのか、人間がどのようにしてモンスターとなってしまうかを描いた」と語る。
 昨年末に邦訳が出たレアード・ハント著「ネバーホーム」(柴田元幸訳・朝日新聞出版)は、南北戦争を舞台に男装した女性兵士が故郷を目指すストーリーだ。女たちや子ども、そして死者ら、歴史から取り残された者の声を拾う。弱者が追い込まれるさまを、時代を限定しないテーマとして響かせる。
 英文学者の上岡伸雄が翻訳中のジョージ・ソーンダーズ著「LINCOLN IN THE BARDO」(河出書房新社から8月に刊行予定)は、南北戦争のさなかに病死した、リンカーン大統領の息子の霊を巡る小説だ。様々な階級・人種の霊が登場する。この著作は、英国の権威ある「ブッカー賞」を昨年受賞した。
大義掲げる危うさ
 上岡は「偉大な大統領と言われるリンカーンが、戦争を長期化し多くの死者を出したと強い批判を浴びていたことが分かる」と話す。「民主主義という大義を唱え大統領が主導する『アメリカの戦争の手本』が、あの時代に生まれ、今に続いている」(上岡)ことに気づかされる作品だ。
 南北戦争を題材にした小説といえばマーガレット・ミッチェル著「風と共に去りぬ」が思い浮かぶ。この小説が当時の南部の人々の姿を記録しようとしたとするなら、近年の小説は歴史を見つめながら、想像力豊かに、今を問う。
 上岡は「トランプ大統領の時代だからと言いたくなる誘惑はある」と語る。「作家たちは排他的な動きを感じるからこそ、差別の歴史に目を向けているのかもしれない」
 これらの作品はトランプ政権発足前に書かれ、深刻化する米国の分断を映したものとして脚光を浴びる。藤井は「今後、分裂する二つのアメリカをつなぐ物語を書かなくてはと考える作家が出てくるのでは」と期待している。=敬称略
(文化部 桂星子)



ネバーホーム レアード・ハント著 歴史からこぼれた人々の声
2018/1/20付 日本経済新聞
 「わたしはつよくてあのひとはつよくなかったから、わたしが国をまもりに戦争に行った」。忘れがたい書き出しで始まるこの小説の語り手は、女性だ。南北戦争期のアメリカ、コンスタンスは夫を農園に残し、アッシュ・トムソンという名前で男として北軍に志願した。頑丈な脚はどこまでも駆けてゆくことができるし、銃の腕前なら誰にも負けない。
著者は68年シンガポール生まれ、米在住の作家。邦訳書に『優しい鬼』など。
 野卑な兵士たちのあいだにあって、女性にも優しい彼女は「伊達男(だておとこ)アッシュ」とあだ名される。捕虜にされかけるが、機知を発揮し切り抜け、仲間のことも助け出す。
 だが激戦地で九死に一生を得たあと、部隊とはぐれたあたりから物語に射す影は暗さを増す。森をさまようコンスタンスの思考に死者のまぼろしがつきまとう。また出身地と性別を偽っていたためだろう、スパイの嫌疑を掛けられてしまう。悪夢のような収監の日々の果て、彼女はとうとう家に帰ることを決意する。
 家を求めるのはコンスタンスだけではない。誰もが帰りたくても帰れず、また帰ってくるはずのひとを待ちあぐねている。夫を亡くした女や親を亡くした子どもが彼女を引き止めようとする。家にいながらにして家を失ったひとたち。数々の出会いと別れがあるが、戦時のそれは必ずしも生きた相手との再会を意味しない。
 そうした物ごとを綴(つづ)っていくのは、あまり言葉を知らないコンスタンスの筆だ。朴訥(ぼくとつ)な文体は美しいリズムを持ち、慣用表現に頼らないために、思いもよらない詩的な響きを帯びる。強い立場の視点で書かれた歴史からは零(こぼ)れ落ちてきたひとびとの声だ。
 自然と調和し、伸びやかに広がるその声は、けれど矛盾をはらんでもいることが明らかになっていく。戦争は周囲の者たちだけでなく、コンスタンスの何かをも損なってしまったのかもしれない。
 彼女がすべてを語ることはない。戦争に参加した本当の理由も、言葉の端々から推し量るしかない。死んだ母親のこと、そして赤ん坊のこと。「こわがる心はいずれひとを見つけます」とコンスタンスは手紙に綴った。読み終えてしまったいまも、旧(ふる)い友人の無事を祈るようにして、彼女のことを考え続けている。
《評》作家・翻訳家 谷崎 由依


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