童謡の百年  井手口彰典  2018.4.5.


2018.4.5.  童謡の百年 なぜ「心のふるさと」になったのか

著者 井手口彰典 1978年広島市生まれ。阪大大学院文化研究科修了。博士(文学)。鹿児島国際大福祉社会学部講師を経て、13年より立教大社会学部准教授。専門は音楽社会学。著書に『ネットワーク・ミュージッキング』(09年、第25回テレコム社会科学賞奨励賞)

発行日           2018.2.15. 初版第1刷発行
発行所           筑摩書房(筑摩選書)


心に染みる曲と歌詞。ウサギを追った山、小川の岸やすみれやれんげ。まぶたに浮かぶ日本の原風景。2018年は、童謡が誕生して100年。心のふるさと、次世代に継承すべき文化財などとよく言われているけれど、仰々しい言い方だ。そもそも童謡とは何だろうか。わらべ唄や唱歌とは違うのか。人気を博した児童歌手やうたのおばさん、アニメソングにCMソング……。歌の流行とメディアの発達は密接に関わっている。時代や社会の変化で、どう歌われ消費されてきたのかを辿り、童謡がまとう権威の正体を明らかにする


序章 深くて不思議な童謡の世界
童謡の定義 ⇒ 一般的には、唱歌を克服して大正期に大きく花開いた童心讃美主義的な子供の詩歌のうち、音楽家によって作曲され「歌曲」となったもの
89年「日本のうた ふるさとのうた」という全国実行委員会ができ、歌の嗜好調査を実施、「長く歌い継がれてきた私たちの心の歌」を募集したところ、65万の応募があり、100曲が選ばれた
今日童謡や唱歌は、「日本」や「日本人」の「心」その「ふるさと」と密接に関連するものとして位置付けられている
同時にそれらの歌は今まさに衰退し失われつつあるものとして捉えられている
さらにそれらの歌は作為的な保護によって次世代へと継承されるべき文化財だと考えられている
我々がもつ童謡や唱歌のイメージは、いつの時代にも通用する普遍的なものではなく、今という時代に特有の、非常に偏ったもの
本書の目的は、今日「童謡」という言葉で捉えている一群の歌について、そのイメージがどのような経緯で形成されてきたのかを追跡的に探ろうとするものであり、童謡イメージの変遷過程を明らかにする
童謡観を分析することの意味:
    童謡に対する人々の認識を記録し、音楽文化の一側面を歴史的資料として残す
    社会学的に重要な「気づき」を得る ⇒ 自分たちの認識が、今という時代の枠組みの中でのみ通用する限定的なものでしかない
14章 時系列に沿って各時代の童謡の在り方を確認
第1章         大正時代までの童謡をめぐる状況 ⇒ 1918年の近代的な童謡の成立に先立つ明治時代の唱歌と大正年間に童謡がどのように登場して定着したのかを確認
第2章         昭和前期(50年代頃まで)におけるレコード・ラジオの普及に伴う童謡文化の変容を見る
第3章         195060年代の童謡を歌う主体を論点としつつ、童謡文化の更なる変質を追う
第4章         3章で現代の童謡イメージが決していつの時代にも通用するものではないことを明らかにしたうえで、60年代末頃に端を発する大きな社会意識の転換を指摘し、今日に連なる童謡イメージが醸成されていく過程を明らかにする
57章 個別の現象に焦点を絞って議論を展開
第5章         65年からの「ちびっこソング」に注目、それらの性質を明らかにするとともに、子供向けの歌をめぐる当時の社会状況の変容を検討
第6章         『二十四の瞳』の3つの版を論材に、それぞれの中でどう扱われているかを比較考察、各時代における童謡イメージを間接的に浮かび上がらせる
第7章         童謡の世界を特定の場所や人物に結び付けようとする今日的な欲望について、歌詞の抽象性にも目を配りつつ、そのメカニズムや特徴を分析
終章    全体のまとめでは、童謡文化の流れとその変質を再整理

第1章        童謡の誕生
1918年児童向け雑誌『赤い鳥』創刊を童謡元年とする ⇒ 児童文学者の鈴木三重吉が始めた童謡創作運動の盛り上がるきっかけとなった雑誌
『日本書紀』にもみられ、その時代は「わざうた」と読み、政治的な風刺や予言を盛り込んだ歌を指していた
近世でも、童謡は「わらべ唄」や「はやりうた」を意味する言葉としても使われた
唱歌に対する強い反発意識から、唱歌を乗り越えるものとして登場
1872年「学制」発布 ⇒ 唱歌が授業科目として割り振られたが、授業が始まったのは82年に『小学唱歌集』が出てから
明治時代の唱歌の特徴:
    「ヨナ抜き長音階」(ドレミソラのみ)を使ったものが多い
    明治政府が国家形成の手段として進めた
明治以前の童謡だった「わらべ唄」や「はやりうた」には社会的に好ましくない歌詞があって排斥の対象となった
鈴木の運動は、芸術として価値のある童謡を作って子どもたちに提供しようとするもので、キーワードは「童心」 ⇒ 明治末から大正期にかけて西洋から輸入されたロマン主義的な子供観に強く影響されたもので、エキゾティシズムやモダニズムの発露でもあった
童謡と旋律の関係 ⇒ 『赤い鳥』創刊号に掲載された童謡には旋律がついていない。北原白秋によれば、大人によって作曲されるのではなく、子供が自らの口で思い思いに「謡い出す」べきものとされたが、読者からの要望もあって9か月後には楽譜が掲載される
旋律の付されなかった童謡の大半は忘却されたが、例外が金子みすゞの作品で、26歳で離婚を機に自殺した短い人生故に作品が埋もれていたことが原因
童謡はすべての人に等しく流布していたというより、どちらかといえばエリートに分類されるような人々を中心に受容

第2章        サウンドとしての童謡と児童歌手
大正から昭和にかけて、レコードとラジオという音響メディアが社会に浸透し始め、音楽文化の在り方にも大きな影響力を持つ
1903年レコード輸入開始、09年国内生産開始 ⇒ レコードのラインナップの中で1位の浪花節に次いで童謡が2位であり、ドル箱だった
1925年ラジオ放送開始 ⇒ 子供番組の1/4が「童謡・唱歌」
レコードやラジオは、紙媒体に代わって童謡を広く世間一般へと浸透させる契機となる
児童歌手が登場、脚光を浴びる ⇒ 第1号は本居長世の長女みどり
サウンドとしての童謡は戦前・戦後を通じて大衆的な支持を集めたが、その結果としてこの時代の童謡は次第にある種の通俗性も帯びるようになり、「レコード童謡」という批判的な言葉も出て来た
童謡に合わせた舞踏も子供たちの間で盛んになる

第3章        童謡の同時代性
49NHKのラジオ番組「うたのおばさん」開始 ⇒ 30代の松田トシと安西愛子
童謡に「稚拙の美」などないと考えたNHKが、子供によいもの、正しい音程に馴染ませるべきとして大人に正しく歌わせて子供たちに伝えようとした
GHQの指導によりアメリカの「シンギング・レディー」という番組を模して制作
しばらくは児童歌手とおばさんが併存していたが、60年代に入ると児童童謡歌手のブームが衰退
美空ひばりの成功によって童謡という頸木から解き放たれた子供たちの歌は社会の中に広がっていく ⇒ 童謡⇔子供という従来の常識がぐらつく
50年代ごろから徐々に増加するラジオ・テレビの番組主題歌を児童童謡歌手が歌う例が少なくない ⇒ 民放の開始で番組のバラエティが増え主題歌も種々雑多に
アニメソング、コマーシャルソングの中でも童謡との境界が不明確に
「同時代性」 ⇒ 60年代半ば頃までの童謡は、古典的な童謡の需要が続く一方で、折々の時代に適合するようその都度新しく作り出されるものという性格を強く帯びている
テンポの速い時代に、大人の郷愁で悪い作品を子どもたちに遺すことはやめて、良い作品を生み出す方向に目を向けたい、との主張が強い
唱歌についても、その保護や継承は必ずしも自明の事柄ではなく、58年には多くの唱歌が歌唱共通教材に指定されたが、世代を超えた唱歌の継承を第1目標に置いていた訳ではなく、現場からは反対もあった

第4章        「古い歌」の成立
60年代末から童謡イメージが変容し、古く懐かしい「日本人の心のふるさと」としての性格を、徐々にかつ確実に帯びるようになっていく
①「日本人の心のふるさと」としての童謡、②衰退と消失が危惧されている童謡、③次世代に引き継いでいくべき文化財としての童謡、それらは即ち「古い歌」で、童謡が衰退していったのではなく、衰退に向かっていた「古い歌」が、周辺のより新しい歌から切り離されつつそれ単体で「童謡」と形容されるようになった
その背景には、「明治百年」を端緒とする社会全体の変化 ⇒ 伝統的なものの再発見
70年から始まる国鉄の「ディスカバー・ジャパン」のキャンペーンで、片田舎の風景が「美しい日本」として再発見も関係
60年代末~70年代初頭の「日本人論」ブーム ⇒ 経済大国化した日本が次の目標を喪失して、「自己確認」の要求がブームを支える
これらを背景に、古い童謡が、その古さゆえに保存すべき価値のあるものとして見出されていった
童謡と演歌の関係性 ⇒ 「日本人の心」的なイメージと結びつくようになる時期までもおおむね一致
74年以降、日本レコード大賞が「童謡賞」を廃止、「アニメソング」というジャンルで自立
85年頃からの「童謡ブーム」 ⇒ 日本童謡協会が『赤い鳥』創刊の71日を「童謡の日」に制定、安田姉妹による童謡アルバムシリーズ《あの時、この歌》が大ヒット
大人たちによる「古い歌」を対象としたブームで、唱歌やわらべ唄も含まれ、現代まで続く童謡イメージとその消費スタイルが、概ねこの時期までに社会のメインストリームとして定着。団塊の世代も1つの鍵
童謡という普遍的、不変的な音楽ジャンルが時代を超えて存在していたのではなく、それぞれの時代の社会的枠組みのなかで、「童謡」と呼ばれる対象はそのイメージを様々に変えている

第5章        「ちびっこのどじまん」は何を変えたか
ちびっこソングとは、6569年放送のフジ〈日清ちびっこのどじまん〉から生まれたオリジナルソングで、全部で5060曲、それまでの童謡とは異なる独自性を評価し得るものだったが、番組終了と共に消える
それ以前から存在していた子供向けの歌との対比において際立つ特徴は、「大人と子供との関係性」で、ちびっこソングは子供の側の欲望をより積極的に掬い上げようとする性格、つまり新時代の子どもである「現代っ子」が選択したのは大人が歌っている歌であり、それが子供らしからぬということで作られたのがちびっこソング

第6章        3つの「二十四の瞳」が伝えるもの
音楽は多くのコンテンツの中で様々な利用のされ方をして楽しまれてきたが、童謡や唱歌の応用例として広く知られる「二十四の瞳」に焦点を当てて使われ方を考察
壷井栄の児童向け小説 ⇒ 52年に連載、単行本化
木下恵介監督の映画 ⇒ 54年公開
朝間義隆監督のリメイク ⇒ 87年公開
いずれも複数の童謡・唱歌が重要なモチーフとして登場するが、機能的にはその扱いにかなりの差がある ⇒ 小説では童謡と唱歌は対立的な関係にあり、どちらに属するかがストーリーの中で大きな意味を持っているが、映画では両者の相違が不明瞭
小説では、先進的な大石先生vs保守的な男先生の対比同様、童謡vs唱歌の対比が提示され、最後は子供たちが童謡を選択するという、童謡優位の結末になっている
木下版では、童謡vs唱歌の構造を踏襲しながらも、大石先生が歌う歌は《七つの子》を除きすべて唱歌で、特に《仰げば尊し》は冒頭と最終場面で印象的に用いられる事実上の主題歌で、大石先生は唱歌によってもシンボライズされている ⇒ 音楽担当は監督の実弟・忠司で、恵介と相談しながら、日本に古くからある唱歌を使った効果、特に大人へのインパクトを考慮。すでに当時童謡と唱歌を区別しない方が一般的
朝間版ができた時代は瀬戸大橋が開通し小豆島の町興しの時期ではあったが、同時に85年頃からの「童謡ブーム」の開始時期でもあり、童謡・唱歌ともに「日本人の心のふるさと」として称揚され、需要・消費されていった時代で、童謡vs唱歌という対立構造は希薄化している ⇒ 大石先生と強く結びつく重要なテーマ曲が《七つの子》に代わって原作にある《烏(からす)の手紙》に戻るが、同時に唱歌も並列的に用いられ、以前は軍歌だったものも同様と自然に並べて使われている
木下版では、鑑賞者のノスタルジアを刺激し映画内時間へと誘う働きを、既に広く社会的に認知されている古い歌に求めたが、朝間版では、鑑賞者が既にそのつもりで見に来ているところから、三枝成彰に《烏の歌》を新たな映画主題歌として作曲させた結果、鑑賞者からノスタルジックな曲として受け入れられた
3つの作品の対比から見えてくることは、童謡にしても唱歌にしても、自律的・絶対的に存在しているのではなく、社会的枠組みを通して意味づけられるもので、社会的枠組みの相違に他ならない

第7章        具象化される「日本人の心のふるさと」
今日、童謡・唱歌の多くが「日本人の心のふるさと」的なものと位置づけら、さらに具体的な土地や人物に結び付けようとする説明が少なくない ⇒ 具象化
具象化に駆り立てられる背景 ⇒ 歌詞が抽象的であることにも由来するが、元々唱歌が共同体意識を確認・高揚するためであったことを考えると、共同体の成員全てに平等に受け止められるようなものでなければならないところから、半ば意図的に作られた。童謡についても、全ての子どもを対象とした「童心」を描こうとしたために歌詞が抽象化された

終章 童謡と社会
唱歌は、時の政府が望ましい国民を作り出すためのツールとして作成された実用目的
童謡は、子供の歌の世界に「芸術性」という評価軸を持ち込んだ
レコード童謡は、商品としての性格を持ち、世間一般からの人気を重視、大衆性を狙う
今日では、上記3つを新しい「日本人の心のふるさと」というフィルターで篩にかける
その弊害として考えられるのは;
恣意的な取捨選択の結果でしかない ⇒ 理想郷としての歌の世界がこの国の実際の過去として短絡的に結び付けられかねない。過去の不必要な美化に囚われるな
「古い歌」を重視するあまり、その範疇外の比較的新しい歌に対して関心がなくなる恐れ
将来的には、「日本人の心のふるさと」というフィルターが変形したりなくなることはあっても、現在「日本人の心のふるさと」として歌われている童謡がなくなることはない





童謡の百年 井手口彰典著 ほんとうに「心のふるさと」か
2018/3/24付 日本経済新聞
 童謡は日本人の心のふるさと――そんな言い方をよく耳にする。だが、ほんとうにそうなのか。そうしたイメージはいつごろに生まれたのか。本書はこの自明視された認識を問い直す意欲作である。
(筑摩書房・1600円)
 いでぐち・あきのり 78年広島市生まれ。立教大准教授。専門は音楽社会学。著書に『ネットワーク・ミュージッキング』など。
書籍の価格は税抜きで表記しています
 今年は「童謡誕生百年」とされているが、その「誕生」は児童誌『赤い鳥』の創刊(1918年)にさかのぼる。童謡創作運動が盛り上がるきっかけになった雑誌として知られている。
 そこで念頭に置かれていたのは、唱歌批判である。文部省が学校教育に取り入れた唱歌には、近代天皇制に基づく国民意識を涵養(かんよう)する意図が内包されていた。童謡は、こうした教訓的な唱歌から子どもたちを解き放ち、彼らの「純真無垢(むく)」な心性に見合うものとして、生み出された。さらに言えば、雑誌『赤い鳥』がそうであったように、童謡はモダニズムやエキゾチシズム、そして芸術志向とも結びついていた。「日本」的なるものとは、そもそも異質だった。
 だが、昭和期に入り、レコードやラジオが普及するようになると、童謡は大衆性を帯びていった。戦後になると、GHQの指導もあり、大人が子どもに歌って聞かせるスタイルが定着した一方、美空ひばりのような童謡を歌わない児童歌手もあらわれた。「子ども=童謡」という図式は融解し、童謡は大人にも受容され始める。
 唱歌と童謡の区別も、曖昧になった。高度成長が終焉し、従来の経済・社会のあり方への疑念が叫ばれると、「明治百年」「ディスカバー・ジャパン」が言われるようになった。「失われた過去」が発見されるなか、人々が幼少期に接した童謡や唱歌も、懐古の対象となった。
 そこに浮かび上がるのは、童謡に見出されている「日本人の心のふるさと」が、じつは幾多の恣意的な取捨選択を経たものでしかない、ということである。逆に言えば、「心のふるさと」でしかない以上、それは実態を伴うものではなく、都合よく過去を美化する危うさを帯びている。
 それにしても、本書は過度に図式化したり単純化したりすることなく、同時代におけるずれや錯綜を丁寧に描いている。資料に向き合う誠実さを感じられる良書である。
《評》立命館大学教授 福間 良明


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