バッテリーウォーズ  Steve LeVine  2016.2.6.

2016.2.6.  バッテリーウォーズ 次世代電池開発競争の最前線
The Powerhouse      2015

著者 Steve LeVine 2012年創設のビジネスニュースサイト「Quarts(クォーツ)」のワシントン特派員として、エネルギー、テクノロジー、地政学に関するトピックスを中心に執筆活動を続ける。グーグルのシュミットCEOが会長を務める無党派シンクタンク新アメリカ財団NAFのフェロー。ジョージタウン大では准教授として安全保障学を教える

訳者 田沢恭子 1970年生まれ。翻訳家。お茶の水大学大学院人文科学研究科英文学専攻修士課程修了

発行日           2015.11.9. 第1版第1刷発行
発行所           日経BP

中国科学技術部が電気自動車で世界を制覇すべく、2015年までに1百万台を販売する目標を立て、2010年アメリカのアルゴンヌ国立研究所も万鋼(ワンガン)一行を派遣
アルゴンヌは、既にニッケル・マンガン・コバルト電池NMCの特許を持っており、充電1回で40マイル走る「ボルト」を開発
原油価格の高騰から、電気自動車への需要が高まる
リチウムイオン電池の世界市場は、日本が43%、韓国が23%のシェア
アルゴンヌは、エネルギー省が管理する17の国立研究所の嚆矢で、1942年マンハッタン計画が始まるのに合わせてノーベル賞受賞者のエンリコ・フェルミがシカゴに移った際にシカゴ大学の構内に創設。冶金実験室でプルトニウムの精製プロセスを開発した
60年代、原子力研究が悪者扱いされたときには予算が削減されたが、電池事業部はもともとあるかないかの存在
電池時代の幕開けは1799年、イタリア人アレッサンドロ・ボルタの発明に始まる
正極、負極、電解質の3つがあれば電池ができる。電池で使うのに真に魅力的な元素は限られている
20世紀初頭には、鉛蓄電池を動力源とする電気自動車のほうが、ガソリンを使う内燃機関を搭載した自動車よりも優れていると思われていたが、急速燃焼で作動する内燃機関の改良で優位が逆転
1966年 フォードが電気自動車の復権を試みるが、電池の作動が摂氏300℃付近のため危険すぎた  その後の石油ショックと相俟って、退屈な分野だった電池が脚光を浴びる契機に
スタンフォード大の若手化学者が、室温でリチウム原資を一方の電極から他方へ、どちらの電極にも極端なダメージを起こさずに電気化学的に移動させる方法を発見する。再充電を可能にするこの作用を説明するために化学から「インターカレーション」という用語を借用。リチウムは周期表で最も軽い金属で、空気と反応し、状況次第で発火するため、実用可能とするためには別の金属との合金にする必要があり、アルミと化合させて小型で強力な負極を作ることに成功したのがイギリスのホイッティングハムで、ソーラー腕時計に収められたコイン大の電池で、エクソンが巨額の報酬で社内に取り込み、史上初の再充電可能なリチウム電池となる
ただ、大型化を試みると何度も発火、合金でもリチウム金属は反応性が高すぎた
その後MITのグッドイナフが研究を進めた結果、現代の電池における重大な成果のほとんどは、彼自身がもたらしたか、彼が一役買ったものとなっていた
その後オックスフォードに移ったグッドイナフは、電極に硫化物の代わりに様々な金属元素と酸素を結合させた金属酸化物を使うことによって、より高い電圧で充放電を可能にし、生じるエネルギーも大きくした  酸化物のうちコバルトが最適であることが判明、1980年コバルト酸リチウムを正極としたリチウム電池の作成に成功
その後継に当たるのが、南ア出身のサッカリーがグッドイナフのアドバイスの下に発明したNMC技術
1970年代のエネルギー危機で高騰した原油価格が落ち着くとエクソンは蓄電から手を引き、ホイッティングハムの発明したリチウム電池の特許を社外に提供し始める
レーガンもサッチャーもエネルギー関連のプロジェクトを中止
大型化に伴う発火の問題を解決したのが吉野彰で、グッドイナフの考案したコバルト酸リチウムの正極に炭素の負極を組み合わせることに成功
91年ソニーが吉野の発明を基に小型電子機器用のリチウムイオン電池を発表
この発明によって様々な電子機器を扱う年間数十億ドル規模の産業が誕生したが、オックスフォードはグッドイナフの正極材料に関する特許の取得を拒否していたため、グッドイナフは特許権使用料を受け取っていない
80年代の半ばまで、ユニオンカーバイドがエバレディとエナジャイザーの両ブランドで世界市場の1/3を支配していたが、84年インドの工場でガス漏れ事故を起こし、数千人の死者を出したため、ラルストン・ピュリナに電池部門を売却、リチウムイオン電池は日本に売却
現在のハイブリッド車市場をリードするトヨタのプリウスが動力源としたニッケル水素電池も、デトロイトの発明家、スタン・オブシンスキが作ったもの。シェブロンの子会社が特許を買い取り、97年に世界初のハイブリッド車としてプリウスが誕生した際の特許料を得るが、シェブロンは最終製品のメーカーであるパナソニックやトヨタなどの日本企業に利益の多くを譲り渡した
93年にはNTTからグッドイナフ研究所に派遣された岡田重人がリチウムとリン酸鉄を組み合わせた電池の開発に成功して特許を出願、さらに中国人のMIT教授もグッドイナフの技術に改良を加えて新たな材料を作り新会社を設立、グッドイナフの特許無効を訴え勝訴、翌09年には上場、巨額の富を手にする
08年 ウォーレン・バフェットが、新しいリン酸鉄リチウム電池を動力源とする電気自動車を発表した中国の会社の株式10%230百万ドルで買ったことで混乱は頂点に。この会社の電池の出どころは不詳だが、業界はグッドイナフの発明だと憶測を抱く
グッドイナフはNTTとは和解してなにがしかの利益を手にしたが、上場には関与せず
94年 アルゴンヌに移ったサッカリーが、ニッケルに酸化マンガンを加えたNMC技術を開発。本来の物理学では電気化学的に不活性とされていた組み合わせだったが、工夫を施すことで克服、より多くのリチウムを取り込んで性能の向上を図る、01年には永続的な特許認可  GMがこの特許を買い取って電気自動車に搭載、1回の充電で40マイル走る「ボルト」の開発に成功。ただ41千ドルもしたので売れ行きは不芳
アルゴンヌは、特許の国際的な保護を費用の関係もあって認めていなかったが、NMC技術がGMなどの米国企業で使われることに絡んで、巨額の特許料を手にする
チームワークは、科学の探求のあるべき姿ではない。化学者というのは一般的に独立独歩の個人――独自に思考する人――であり、競争心が強い。しかるべき環境でのみ力量が発揮でき、成功すれば評価される
アルゴンヌは、チェンバレンの下にチームとしてまとまり、電池ハブと蓄電の技術である「エン・シーザー」を研究・開発し、自動車の電動化に全力を挙げる
2012年の電気自動車市場  プリウスが世界で4百万台で断トツ、ボルトは10千台に満たず。ただ、小型電池しか搭載していないプリウスのようなハイブリッド車が主流で、完全電気自動車の市場は未成熟
当時の相場でガソリンは$3.54.0/ガロンなので、4年分の燃料費の節約でプリウスとガソリン車の差額を取り戻せたが、日産リーフのような完全電気自動車の場合だと、車体価格差12千ドルは、ガソリンが$10/ガロンでなければ5年のローン返済期間中に差額が埋められない
電池と内燃機関は別々のイノベーションの道のりを進んでおり、内燃機関の改善による効率の高まりを上回る高い技術を考えないと、電池が内燃機関の代替の座を勝ち取ることはできない
内燃機関自動車では、ほぼどんな化石燃料でも自動的に走行できる車の到来を予想しており、現状最も効率が良いのは、スパークプラグではなく圧縮により燃料に着火するディーゼルエンジン車  使用燃料のうち45%が車の推進に費やされるのに対し、ガソリンの場合は18%しかタイヤを動かしていないため、燃料価格の高いヨーロッパではディーゼル車が好まれる
アメリカ政府の要求は54マイル/ガロンなので、電気自動車を作らざるを得ない  「オバマカー」と呼ばれた
1回の充電で300マイル走行を可能にするには、極端に分厚い正極材料にリチウムを高密度で詰め込む必要
アップル製品での使用も検討  それまでのアップルは耐久性の高いコバルト酸リチウム電池を使用、容量は1グラム当たり140ミリアンペア時だが時間とともに劣化するので実際にはその半分しか使えないが、NMC2.0190ミリアンペア時で、作動電圧が高いので大きなエネルギーが供給できる。さらには、電気自動車の生産増加に伴い世界のコバルト供給が逼迫、価格の高騰が予想されるが、車載用電池の場合コバルトは正極材料の30%しか占めないのに対しアップル製品では正極材料の100%がコバルト酸だったので影響が大きい
2012年 アルゴンヌの材料を使って開発を進めていたエンビアの技術を認めて、GM1年の開発期限を区切って契約を結ぼうとしたが、すべてを自社製品としていたエンビアに対し、高性能のシリコン炭素負極材料が信越化学社製の物だと判明して契約が流れる
アルゴンヌを訪れたオバマは、エネルギー研究を対象とした新たな長期的資金について明らかにるすとともに、「エネルギー、ナノテクノロジー、バイオ・・・・・いずれの分野にしても、雇用を創出する次のブレークスルーがこのアメリカで誕生してほしいと思う」と発言、「我々はただじっと立っているのではなく、未来に目を向け、世界中の人の暮らしを変えている。人間を月に送り、インターネットを発明した。無理だという人がいたらこう答えます。『Yes we can』」といい、大歓声を浴びる
中国における電気自動車も、開発途上を抜け出せていない
アメリカでは、新たにテスラモーターズが競争に加わって、航続距離を200マイルにまで伸ばす競争が続いている
予断を持たずに電池の物理学を奥深くまで探索し、原子レベルのロードマップを描くことができれば、アメリカはきっと勝てる





バッテリーウォーズ スティーヴ・レヴィン著 米蓄電池ビジネスの過剰な熱気
2016/1/17 日本経済新聞
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 2008年のリーマン・ショックで世界経済がメルトダウンしたとき、人類は次世代電池に夢をみた。電池の進歩で、20年に電気自動車とハイブリッド車の市場規模は780億ドル(約10兆円)になると予言された。太陽光発電をそこに貯蔵できれば、売り上げはさらに数百億ドル増える。石油が不要になり、都市の大気汚染が消え、世界が地政学的に揺らぐとも伝えられた。その後、どうなったかに答えるのが本書である。
(田沢恭子訳、日経BP社・2000円 ※書籍の価格は税抜きで表記しています)
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(田沢恭子訳、日経BP社・2000円 書籍の価格は税抜きで表記しています)
 蓄電池の原理は至って単純。放電のときに正電荷を持つリチウム原子が、負極から正極へと移動する。だから、リチウム原子を反対に正極から負極へ移動させれば蓄電ができる。基本的に電池の性能は、電極に使う素材、リチウム原子が通る電解質の種類の組み合わせで決まる。開発競争では、容量を増やし、安全性・安定性を高め、量産コストを下げることを目指した。 米アルゴンヌ国立研究所は、ニッケル・マンガン・コバルトを組み合わせた複合素材を突破口に、次世代電池に挑む。その技術に着目した新興企業エンビアは、同研究所とライセンス契約を結び、商業化に動き出した。エンビアは、電池の経済性を1年半で半分以下のコストにする野心的な目標を掲げる。多数のベンチャーがエンビアを買収して将来、高値でさやを抜こうと活動した。オバマ政権が15年までに米国内で100万台の電気自動車を走らせると宣言したことも、熱気を後押しした。
 ところが、技術進歩は早々に壁に突き当たる。充電を繰り返すと、電圧が下がる放電電圧の劣化が起こったのだ。課題は時間が経過しても十分に解決されなかった。この種の停滞は例外ではない。電気自動車には原油下落で燃費の節約分だけでは高価な車体価格を回収できないというハードルも立ちはだかった。多くのベンチャー投資が、研究開発の次の段階に移行できずに資金不足に陥って頓挫する。
 物語はアルゴンヌ研究所が曲折を経て、米エネルギー省のコンペで勝利し、共同開発のパートナーになって一歩を踏み出すところで終わる。まだ次世代電池は発展途上だとしても、開発への期待は過剰だった。リーマン・ショック直後の電池開発の熱狂には、従業員、サプライヤー、株主、政府、市民に対し、前向きなモチベーションを持たせる建前があったという。翻って、わが国でも経済停滞を抜け出す便法のようにイノベーションが多用されているからこそ、私たちは反面教師としてこの事例に学ぶ意義がある。
(第一生命経済研究所首席エコノミスト 熊野 英生)


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