道程 オリヴァー・サックス自伝  Oliver Sacks  2016.2.16.

2016.2.16. 道程 オリヴァー・サックス自伝
On the Move / A life  2015

著者 Oliver Sacks Wikipedia参照 1966年ロンドン生まれ。オックスフォード大卒後、渡米。脳神経科医として診療を行う傍ら、精力的に作家活動を展開し、優れた医学エッセイを数多く発表。0712年コロンビア大メディカルセンター神経学・精神学教授。12年ニューヨーク大スクール・オブ・メディシン教授。15年没

訳者 大田直子 翻訳家。東大文学部社会心理学科卒

発行日           2015.12.20. 初版印刷        12.25. 初版発行
発行所          早川書房

「幼いころ、閉じ込められている気がして、動きたい、力がほしいと願った。その願いは空を飛ぶ夢で一瞬かなえられ、乗馬をしたときにも実現した。しかし何より好きだったのはバイクだ」
モーターサイクルのツーリングに熱中した学生/インターン時代に始まり、世界的なベストセラー医学エッセイの著者になったいきさつ、そしてがん宣告を受けた晩年まで、形を変えながらも「走り続け」た波瀾の生涯を赤裸々に綴る
脳神経科医サックス生前最後の著作となった初めての本格的自叙伝

27歳の時、カナダ大旅行をして、サンフランシスコに辿り着き、そのまま定住を決意

『タングステンおじさん』に、統合失調症だった兄マイケルについて、最初の精神病の発症経緯を書く  1944年、16歳の時入院しインスリンのショック療法を受ける。意識を失うくらい血糖値を下げ、そのあとグルコースの点滴で元に戻す。必要に応じて電気けいれん治療やロボトミー(前頭葉を脳から切り離す術)が行われる。いったんは普通の生活に戻って2人の兄と同じ寄宿生活を送ったが、何の前触れもなく厳格状態に陥って激しく興奮し暴れまわる。8年後、初の精神安定剤が発見(英国ではラーガクティル、米国ではソラジン)され、失調症の興奮状態である「陽性症状」は鎮められたが、ひどいパーキンソン症候群に陥って、腰が曲がり足を引きずって歩くようになる
51年、母が著者を激しく罵って、「お前など生まれてこなければよかった」といったのも、マイケルに続いてオリヴァーまでもが当時まだ社会的に厳しく非難されている同性愛者だと知って、単なる非難にとどまらない、母の苦悩の声でもあった
57年、医学生になった後、主治医に面談し、安定剤は引きこもりや感情鈍麻などの「陰性状態」には全く効果がなく、知らないうちに長期にわたって人を衰弱させ、生活を蝕む恐れがあることを知り、取り組まなければならないのは投薬の問題ではなく、患者の人間性を取り戻すための社会的な問題であることを悟る
次第にマイケルは、興奮状態は収まったものの、絶望と無気力の状態に沈み込むようになっていく
著者が27歳でイギリスを離れた理由の1つが、間違った扱いをされて望みを失った痛ましい兄から逃げることだったが、別の角度から考えると、そのことが患者の統合失調症や同様の脳と心の障碍を私なりにやり方で探る試みにつながったのかもしれない

サンフランシスコでは、グリーンカードが取れるまで、無給の医局員として、定位脳手術のパイオニアだった精神外科医の手術を手伝う
YMCAの宿舎に滞在し、同性愛に耽る
イギリスの厳しい階級社会から初めて解放され、アメリカの民主主義、平等主義を垣間見る
61年、グリーンカードを取得、マウントザイオン病院で2年間のインターンシップ
1年後にUCLAへ。南カリフォルニアの生活の大部分を占めたのはジム通いで、スクワット270㎏というカリフォルニア記録をたてる
62年 UCLAの卒後研修で出会った患者がミオクローヌス(筋肉の不随意の素早い収縮)。一定の周波数の点滅光に反応して突然体が痙攣し、時には本格的な発作を起こす。5世代にわたって遺伝
ハラーフォンデン=シュパッツ病は、運動を制御する部位の神経軸索が損傷されたために若い時に運動の異常として始まるが、進行すると様々な神経症状、認知症、そして最終的に死につながる
60年代初期、向精神薬とそれが脳の神経伝達物質に与える影響について新たな知識が急速に蓄積されつつあった  自分自身で体験しようとして、アーテンという抗パーキンソン病薬を服用、明確な幻覚作用が出てショックを受けただけでなく恐怖も覚えた
ロス時代一緒に住んだジム仲間に性的な興奮を覚え、別れた後に一種の補償作用として薬物に頼るようになる
研修終了後、趣味の写真を活かして、神経病理学の体内風景を撮り始め、軸索ジストロフィーの写真を学会に発表。それが契機となって65年にはニューヨークのアルベルト・アインシュタイン医科大学からの誘いがあり、神経病理学と神経化学を密接に結び付ける研究を始めるが、臨床に回らされる
65年 アンフェタミン(麻薬の一種)を大量に常用、同棲した同性愛者にも服用させ、薬のとてつもない催淫力に圧倒されながら激しいセックスに耽ったが、疑念と肯定の間を行ったり来たりしながら急速に冷め、罪の意識だけが残る。さらに幻覚症状が出るに及んで、66年は薬物をやめようとあがく1年を過ごす
71年 自らの薬物体験も含めた『偏頭痛大全』を上梓、『タイムズ』の書評でも好意的に迎えられ、次第に医学雑誌でもよい批評記事が出る
嗜眠(しみん)性脳炎(別名眠り病)を診たのは66年。伝達物質のドーパミン不足が原因だとしてLドーパ(ドーパミンの前駆物質)を与えると症状が改善するが、加減が非常に難しく過剰か過少になり、純粋な医学的アプローチや薬物療法ではどうしようもない限界がわかる。実際の患者を丸ごと見て現実に直面すると、神経外科医であるのと同じくらい精神科医でなくてはならないと思うようになる  神経学と精神医学の結合に思い至る
69年 母親逝去。両親とも医者だったが、父親も亡くなった後にイギリスのチーフ・ラビからユダヤ教で言う真に有徳の人(ツアディーク)”であり、世界を支える善性を持つ36人の「隠れた有徳の人」の一人だったと教えられたし、母親の時も葬儀で多勢の教え子に会って、多くの学生が医学校に通うのを、経済面も含め支援していたことを知る
母の死の直後に仕上げたのが『レナードの朝』  最終出版したのは73
ブロンクス精神医療センター(通称ブロンクス・ステート)で、統合失調症や躁鬱病患者と神経学的な疾患の関係を研究
『妻を帽子とまちがえた男』に所収された「機知溢れるチック症のレイ」(80)は、複雑な神経疾患があっても充実した生活を送れることについて書いた初めての本格的な症例記録
『左足をとりもどすまで』(84)は、牛の角にひっかけられて左足を失いかけた自らの闘病記録を書いたもの。好意的な書評に勇気づけられる
1982年 『レナードの朝』から着想を得たという新作戯曲『いわばアラスカ』のロンドンの国立劇場での初演に立ち会う。脳炎後遺症患者に会ったこともないのに、迫真の演技をしているのに感心
86年には、『妻を帽子とまちがえた男』のオペラ化が実現
89年には、『レナードの朝』の映画化。10年前に初めて話があり、2年前に一旦却下していたがロバート・デ・ニーロが患者に、ロビン・ウィリアムズがオリヴァーとなりかなり脚色した形で実現。両俳優は僅かに生存していた脳炎後遺症患者を視察・観察し役作りをした。アカデミー賞3部門にノミネート
90年 父が94歳で逝去。同居していたマイケルは近くにある心の病を抱える高齢のユダヤ人のために作られた居住施設に移る
92年 兄デイヴィッドが肺がんで死去
06年 マイケルも、過剰な喫煙が原因となった動脈瘤の手術を待つ間に倒れて死亡
様々な神経の病気や「欠陥」を乗り越え、巧みに適応しようと闘っている人たちにとっては、その「病気」は生活の根本であり、しばしば独自性や創造性の源になる。患者のかなりの人たちが自分の障碍に思いがけない適応をしているし、様々な形で障碍を補う能力を持っている
著者自身も右目の視力を失い始め、05年にはその目に黒色腫(メラノーマ)ができ、3年半の治療の末、09年には完全に失明。目の損傷が知覚に及ぼした影響は、感覚からの入力の不足や異常がある場合に脳がどう働くかを概観する格好の研究材料となり、新しい著書『心の視力』を出版
05年 悲惨な脳炎に襲われて20年たつ類稀な健忘症の音楽家が、成人後の人生をほとんど何も思い出せないし、新しい出来事をほんの数秒しか覚えていられないにもかかわらず、オルガンの演奏やコーラスの指揮は、かつてプロの音楽家としてやっていたのと同じようにできる、そういう音楽と音楽記憶が持つ特別な力を体現する患者のことを書きたいと思ったのが『音楽嗜好症』を書く契機だったが、書き始めてみると、音楽の共感覚を持つ人々、どんな音楽も認識できない失音楽症の人々、思いがけず突然音楽の才能を発揮したり音楽への情熱を燃やしたりする前頭側頭認知症の人々、音楽発作あるいは音楽誘発性癲癇を起こす人々、「耳の虫」や頭の中で繰り返される音楽や明らかな音楽幻聴にとり憑かれた人々などのことも含めて書いたし、脳炎後遺症患者で観察したり、その他さまざまな疾患の患者を助ける音楽の持つ治癒力にも言及
08年 女王誕生記念叙勲
失明と同時に左膝の全置換手術を受け、そのリハビリ中に坐骨神経痛が再発、モルヒネも脊髄神経の損傷に典型的な神経痛性の痛みにはほとんど役に立たず、立ったままの生活が続く。膝の痛みは局部的なもので、手術を受けて収縮した組織をどれだけ伸ばすかで決まり、痛みの程度を10点方式で簡単に数量化できたが、坐骨神経痛は質が全く違って、突然発作的に全身に起こり、その激しさは計り知れず、数量化できないほど物凄い
痛みを癒してくれたのが、共通の興味と活動をする作家との出会い、そして恋に落ちたことであり、日記や手紙やメモ、物語を書くという行為が、他では得られない満足と喜びを与えてくれ、書いていると文字通り無我夢中となって別世界に引き込まれる。生涯にわたって無数の言葉を紡いできたが、書くという行為は、70年近く前に始めた時と同じくらい新鮮で、そして楽しい



道程 オリヴァー・サックス著 患者と共に 波瀾万丈の人生
日本経済新聞朝刊2016年1月31
 本書は、脳神経外科医として神経疾患に悩む人々を診察する一方、医療ドキュメンタリー作家として人間の複雑さと多様さを教えてくれたオリヴァー・サックスが、末期がんを宣告されて遺書代わりに書き残した回想記である。彼の著作が原作となって、ロバート・デ・ニーロが熱演した映画『レナードの朝』をご覧になった方も多いのではないだろうか。
(大田直子訳、早川書房・2700円 ※書籍の価格は税抜きで表記しています)
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(大田直子訳、早川書房・2700円 書籍の価格は税抜きで表記しています)
 サックスは、最初神経病理学の統計的研究から出発したのだが、実際の患者と向かい合って総合的に病状を診る方が適していると覚(さと)って臨床医に転向した。詩や小説が好きで、モーターバイクですっ飛ばすことに夢中になり、ウェイトリフティングでカリフォルニア州記録を更新し、覚醒剤に溺れたこともあり、同性愛者でもあった。そんな波瀾万丈(はらんばんじょう)の経験がある彼だからこそ、精神を病み神経症を患う人々に寄り添い続けることができたのだろう。前著の『タングステンおじさん』が幼い頃のナイーブな自叙伝とすれば、本書の前半部は青年期の体験の赤裸々な告白の記となっている。
 後半部では、脳神経外科の医師として取り組んだ数々の難病にどのように対処したかを淡々と語っている。おずおずと患者に接しつつ科学の目で病因を見抜き、そして患者をやさしく包み込み最善の治療法を提案する。閉じ込めたり縛り付けたりせず、そのまま何もしないで自然の成り行きに任せる、という処方も含め彼は急がない。病気も個性だとして励まし続けたのである。その間の経緯の一部始終を書き続け、愛すべき人間の記録を私たちに残してくれたのだ。
 彼は死がすぐ傍(そば)にやってきていることを強く意識したのだろう、本書の締めくくりとして、思い出を交え関係のあった数多くの人々に熱いオマージュを捧(ささ)げている。中でも、詩人のトム・ガンとは1958年に出会ってからの45年間、主として手紙を通じての交流でありながら、互いの作品に率直な意見を述べ合える仲であった。本書の原題“On the Move”は、トムに初めて会ったときに読んだ彼の詩の題名で、まさにサックスの人生は「止まらず進んで」であり、止まることなく駆け抜けた82年の人生であったと言える。
 科学を巡るスティーヴン・ジェイ・グールドとの議論、貴重な助言と励ましを送り続けてくれたレニーおばさんなど、豊かな人間関係も彼の活動の源泉となったのは確かだろう。
 優れた医師であり作家であり人間観察家であったサックス先生、ありがとう、さようなら。
(名古屋大学名誉教授 池内 了)


(書評)『道程 オリヴァー・サックス自伝』 オリヴァー・サックス〈著〉
メモする2016.2.21. 朝日
 徹底した自己批評、これぞ偉人
 『レナードの朝』や『妻を帽子とまちがえた男』などの著作で知られる著者は豊富な臨床経験と繊細な観察眼を持つ優れた生理、神経学者だったが、同時に自己顕示欲の強い野心的表現者でもあった。晩年の仕事として自伝を書くにあたり、感情に溺れやすい性向を含め、冷徹に自身の臨床報告を行っている。戦後から六十年代にかけての、英国、アメリカの青春群像を背景に、スピード狂のバイク乗り、スーパーヘビー級のウエイトリフターにして、同性愛者である自分を包み隠さず披瀝(ひれき)していて、微笑を誘われる。自伝、回想録というジャンルは武勇伝の度合いが高い方が面白い。その一方で、世の少なからぬ「偉人」は役職や利権にしがみつき、「メンツ」を気にするあまり、不祥事や失敗を隠蔽(いんぺい)し、堕落してゆく。誰も読まない栄光の自分史に陶酔する類は所詮(しょせん)「小物」に過ぎず、おのが愚行や妄想を赤裸々に告白し、自己批評を徹底する者こそが「偉人」にふさわしいのである。
 島田雅彦(作家・法政大学教授)

Wikipedia
オリバー・サックス Oliver Sacks193379 - 2015830)は、イギリス[1][2]神経学者。20077月よりコロンビア大学医科大学院教授。自身の扱った患者について記した一般啓蒙書を多く記している。サックスはこれら著作について、19世紀の医学秘話(文芸的筆致の非公式な傷病録)的な性質のものであると考えている。サックスが好んで挙げる例としてアレクサンドル・ルリヤの『偉大な記憶力の物語』がある。
概要[編集]
サックスは1933年にロンドンで生まれ、総合診療医の父と外科医の母に育てられた[3]1958年にオックスフォード大学クイーンズ・カレッジで医学の学位を取得し、1962年にカリフォルニア大学ロサンゼルス校で神経医学の研修医となった。サックスは1965年以来ニューヨークに居住している。1966年からニューヨークのブロンクスにあるベス・アブラハム病院の顧問神経科医をつとめた。アルバート・アインシュタイン医科大学の神経科臨床医学の教授であり、ニューヨーク大学医学部の非常勤の教授でもあった。また、サックスは貧民救済修道女会の顧問神経学者でもあった。ニューヨーク市内で開業している。 2007年から2012年までコロンビア大学メディカルセンターの教授だった。
2008大英帝国勲章(CBE)を受賞した[4]
著作にはサックスの担当した患者について、その詳細までが記されており、特に患者の体験に主眼が置かれている。そのうち一例では、サックス自身の例を挙げている。多くの場合、患者は完治することはないが、その代わりに自身の状況に新たな手段で対応している。
1916年から1927年にかけて世界中で流行した睡眠病による意識障害者を、実験用医薬品であったレボドパ(L-ドーパ)を使って覚醒させることに成功した。
これは後にハロルド・ピンターにより 「いわばアラスカ(A Kind of Alaska)」(1982年)になった。
レナードの朝』(同名の映画の原著、映画は実話である原著に基づく創作)では、1920年代生まれの嗜眠性障害の患者にL-ドーパを投与した経験について書かれていた。これは、イギリスで制作されたテレビ番組「ディスカバリー」の題材にもなっている。
妻を帽子とまちがえた男」(1985年)でサックスはトゥレット障害自閉症アルツハイマーなどと闘う人々を描いた。(これは1986マイケル・ナイマンによってオペラ化された)

火星の人類学者」(1995年)は、高機能自閉症と診断された学者のテンプル・グランディンについて語っていた。全米大ベストセラーになった。
著書は全米大ベストセラーになり、日本語を含む21か国語に翻訳されている。
サックスは視覚障害者であり、片目が失明しているという。この為、幾何学模様の幻覚が見えると話している(オリバー・サックス 「幻覚が解き明かす人間のマインド」)。
週刊文春627日号(2013年)、67頁によれば、2013年のルイス・トマス賞授賞式にサックスが過去の受賞者として出席した際、福岡伸一氏の隣席であった。
2015830日にがんのため死去した。82歳没[5]
著書[編集]
『サックス博士の片頭痛大全』(Migraine 1970年、ISBN 4-15-050243-9
レナードの朝』(Awakenings 1973年、ISBN 4-15-050237-4
『左足をとりもどすまで』(A leg to stand on 1984年、ISBN 4-79-492522-0
『妻を帽子とまちがえた男』(The Man Who Mistook His Wife for a Hat 1985年、ISBN 4-79-492522-0
『手話の世界へ』(Seeing Voices 1989年、ISBN 4-79-492525-5
『火星の人類学者』(An Anthropologist on Mars 1995年、ISBN 4-15-050251-X
『色のない島へ』(The Island of the Colorblind 1997年、ISBN 4-15-050237-4
タングステンおじさん』(Uncle Tungsten: Memories of a Chemical Boyhood 2002年、ISBN 4-15-208517-7
『オアハカ日誌 メキシコに広がるシダの楽園(ナショナルジオグラフィック・ディレクションズ)』(Oaxaca Journal 2002年、ISBN 4-15-208547-9
『音楽嗜好症(ミュージコフィリア)』(Musicophilia: Tales of Music and the Brain 2007年、ISBN 4-15-209147-9
『心の視力』(The Mind's Eye 2011年、ISBN 978-4-15-209255-7
『見てしまう人びと 幻覚の脳科学』(Hallucinations 2014年、ISBN 978-4-15-209496-4)
テレビ番組[編集]
ETV特集 神経科医 オリバー・サックス (1) めざめ
放送日:19931124日、内容:『レナードの朝』について[1]
ETV特集 神経科医 オリバー・サックス (2) 出会い
放送日:19931125日、内容:『妻を帽子とまちがえた男』に登場した四人の患者について[2]
脚注[編集]
1.    ^ Anthony, Andrew Oliver Sacks: The visionary who can't recognise faces The Guardian, 17 October 2010
2.    ^ Brown, Andrew Seeing double The Guardian, 5 March 2005
3.    ^1126日放送”. スーパープレゼンテーション. 日本放送協会. 2014121日閲覧。
4.    ^ Oliver Sacks dies in New York aged 82BBC 30 August 2015
5.    ^ オリバー・サックスさん死去 読売新聞 2015830


著名な神経科医で作家のオリバー・サックス氏が、830日にがんで亡くなった。82歳。
2015
年の2月にニューヨーク・タイムズ紙で、サックス氏は眼にできた早期のメラノーマが肝臓に転移し、末期がんの後期段階にあることを明らかにしていた。
生前、サックス氏は
「残された月日をどのように生きるかは自分次第です。恐怖心がないとは言いません。しかし、私が感じている一番大きな気持ちは感謝です。私は愛し、愛されてきました。多くのものを与えていただき、お礼に何かを返してきたと思います。本を読み、旅をし、考え、そして本を書いてきました。世界、特に作家や読者の方たちと深く関わってきました」


コメント

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