P&Gウェイ  David Dyerほか  2013.11.17.

2013.11.17. P&Gウェイ 世界最大の消費財メーカー P&Gのブランディングの奇跡
Rising Tide: Lessons from 165 Years of Brand Building at Proctor & Gamble

著者
David Dyer マサチューセッツ州ケンブリッジに本部を置き、歴史・記録文書の保管サービスを提供したコンサルティング企業であるウィンスロップ・グループの共同創設者兼理事。『ハーバード・ビジネス・レビュー』の元アソシエイトエディターであり、企業戦略について広くコンサルティングを行っている
Frederic Dalzall ウィンスロップ・グループシニアコンサルタント。金融サービス、消費財、製造、教育などの分野で活躍。米国文明の研究によりハーバード大学から博士号を取得。ハーバード・ビジネススクール元研究員
Rowena Olegario オックスフォード大学コーポレート・レピュテーションセンター研究員。イェール大学で歴史学学士、ハーバード大学で歴史学博士を取得。ヴァンダービルト大学の歴史学助教授を経て現職

訳者
足立光 ヘンケル・ビューティーケアコーポレート・ヴァイス・プレジデント兼北東アジア統括ゼネラル・マネージャー。1968年米国テキサス州オースチン生まれ。99年一橋大学商学部卒業。P&Gのマーケティング部に入社し、日本・海外勤務を経て退職。ブース・アレン&ハミルトンとローランド・ベルガーにおいて、マーケティング・販売などを専門とする経営コンサルタントとして、会社成長戦略、新製品導入マーケティング戦略、海外進出戦略、マーケティング能力強化、販売・チャネル戦略などのコンサルティングに携わる。2004年よりヘンケルライオンコスメティクス(現シャワルツコフ・ヘンケル)へ転じ、11年より現職
前平謙二 翻訳家。1959年鹿児島県生まれ。84年関西大学文学部英文学科卒業。テレビCMプロデューサー、広告代理店勤務を経て94P&Gに入社。マーケティング局で15年間北東アジア地域のブランドの宣伝・広告を担当。その後、翻訳家として独立(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)

発行日           2013.7.11. 発行
発行所           東洋経済新報社

まえがき
本書の企画は、90年代にP&Gの経営陣が、過去数十年の成長と変化をまとめた企業としての新しいプロフィールが必要であると考えたことに端を発する
組織に蓄積された記録を保存し、グローバル化した歴史の中で共通の知識を社内に定着させたいと考え、00年ウィンスロップ社と契約し、作業チームが結成された

プロローグ P&Gの進化を支えた3つの時代と5つのテーマ
本書は、P&Gが成長し世界に進出していったその運命的な興隆(Rising Tide)を記す
P&Gの発展の歴史を綿密に検証すると同時に、P&Gがこれまでに開発し学習したブランド構築の原則と実践に関する優れたガイドブックとなることが本書の目的
3つの時代
I.   創業の時代 ⇒ 企業として確立するとともに、成長を開始し、何度かの劇的な転換を迫られる経験を通して、初の差別化されたブランド品の開発に成功
II.   多角化の時代 ⇒ 急速に成長、事業領域の多角化を進め、海外展開も開始
III.  グローバル化の時代 ⇒ 世界史上でライバルと凌ぎ合いを続ける
5つの能力
I.         ブランド消費財への集中 ⇒ 自社のルーツであり、大きく逸れることはない
II.      ブランド構築への多様なアプローチ ⇒ 世界最大の広告主であり続けていることは、広告がP&Gの成功の中核を担う。優れた経営システムの上に乗って、価値観とビジネスの原則が社内で広く共有されている
III.    比類なき探究 ⇒ アイヴォリーを嚆矢として差別化された特性になり得る新たな成分を発見し続ける
IV.   戦略実行の粘り強さ ⇒ 戦略の実行を効果的に行う
IV.     優れたバランス感覚 ⇒ 常にビジネスの全側面において継続的に相反する問題のバランスを取るように努めた。合理的で結果志向であると同時に、従業員を育成して潜在能力を最大限に引き出そうとする面を持つ企業

P&Gホームページ「ロングセラー誕生物語」

I部 黎明期(18371945)
第1章        P&Gの誕生(183790)
ウィリアム・プロクターは、イギリスで店を営むローソク職人
ジェームズ・ギャンブルは、アイルランドの石鹸職人
2人が同じ家族の姉妹と結婚、ローソク職人だった義父でから共同で事業を始めたらと勧められて会社設立
シンシナティは当時、米国最大の輸出品である面の国内最大の輸出港ニューオーリンズとオハイオ川で繋がり、1840年にマイアミ運河の完成によって5大湖の水上運送システムを通じ大西洋岸とも結びついた
シンシナティの別名が「ポークポリス」と言われるように精肉業者が、全米の1/4に匹敵する豚と、ほぼ同数の牛の精肉加工で全米最大の精肉場となっていて、良質の原材料が間近に得られたことが石鹸やローソクの製造業にとっては重要、同時に工業化された最新の「分業生産方式」を目の当たりにして、昔気質の職人技からの脱皮をはかるのに役立つ
1836年鉄道の建設が始まり、安価で大量かつ季節性を問わない輸送手段の確保により商圏はさらに拡大
2代目が大学で化学を専攻、製品への化学的なアプローチが始まり、他社製品との比較・分析から、品質改良や差別化が始まる
186165年の南北戦争が転機 ⇒ 北軍から戦争物資と見做され、原材料確保が優先され、大量の注文に潤い、米国の大企業として社会的地位を確立
単なるコモディティから、ブランド製品としてパッケージ化されて販売される「パッケージ消費財」屁の転換 ⇒ キャンベル・スープ、ハインツのケチャップ、アンハイザー・ブッシュのバドワイザー、ケロッグのシリアル、ヘアズの新飲料ルートビア等の商品の基礎が築かれた

第2章        企業基盤の確立(18901945)
18607年代、スタンダード石油が製油業界を統合、オイルランプが一般化してきたためローソクが下火になる一方、7080年代にアイボリーのブランド化成功により事業拡大の機会が大きく広がり、率先して事業基盤の構築に乗り出す
株式公開 ⇒ 1891年。米国産業界の工業化時代の幕開けに乗って、全国規模に拡大しつつあるマスマーケットに対し、生産力・販売力・配送力を充実させた。世代は2代目に移り、3代目が入社。19073代目ウィリアム・クーパー・プロクターが社長に就任、P&Gで最大かつ不朽の功績を残す
生産能力の拡充 ⇒ 1900年代初期、企業規模と事業領域を大幅に拡大。原材料のメーカーを傘下に収め垂直統合を推進するとともに、商品の多角化を狙って水平統合も進める(洗濯用粉洗剤市場への参入)
研究開発部門の強化 ⇒ 新製品と新技術を開発する能力こそ重要、90年消費財業界としては初の研究書開設
ブランド・マーケティングという術の学習・会得 ⇒ 新分野参入の最初のブランドがショートニング(食用油脂)のクリスコで、P&Gのブランド構築力が成熟の域に差し掛かってきていることを証明。専任の担当広告代理店が採用され、8通りの異なるマーケティングが試行された上で、集中的な広告投下と正確に狙いを定めた大量の販売促進イベントの組み合わせで全米に打って出て、大成功を収める
流通インフラの再構築 ⇒ 卸経由小売という伝統的な方法から、より精密で反応の速い流通の仕組みが必要となり、1920年頃から小売店への直接販売に切り替え。卸売業者の手ひどい抵抗に遭ったが、苦難に満ちた学習と順応の時期を乗り越えるとP&Gのマーケティング力は大いに強化
1925年、市場調査部を独立させる。市場調査をデザイン開発に導入した最初のブランドはキャメイ(石鹸)。初期は女性調査員による戸別訪問での聞き取りが主。社内での消費者理解とブランド理解が進み、経営者の直観に基づくブランド構築から、消費者の嗜好を反映したものへと舵を切る
最先端のメディアとなったラジオに広告を投入 ⇒ 1920年代後半以降のことで、全国ネットワークで放映、特に「ソープオペラ」(昼のメロドラマ)がラジオの定番番組となり、P&Gのマーケティング・キャンペーンの中心となる
ブランド・マネジメントという考え方に基づいた組織の再編成 ⇒ ブランド構築のプロセスを確立することが重要であり、ブランドの開発に始まり、製造、マーケティング、営業、物流に至るまでの一連のプロセスは、お互いの部署が緊密に機能し合うように構築する必要があり、全てが調和する新しい組織=ブランド・マネジメントの考え方が組織内に形成されていく
幾つもの成功・失敗を通じてP&Gがブランドを成功に導く方法を学習
1930年、創業家以外から初の社長誕生 ⇒ 世界大恐慌に見舞われ、在庫の山が積み上がったが、雇用だけは守り抜く。40年には大戦の影響で、まずは陸軍から薬莢に火薬を詰める仕事の要請が来るとともに、在来品に対する大規模な調達契約を果たすために深刻な原材料及び労働力不足と戦わねばならなかった

第3章        伝説的ブランド――アイボリーとタイド
Ivoryの誕生は偶然の為せる業だった ⇒ 自動攪拌機にかけたままで放置しておいたら余分な空気が含まれて石鹸が水に浮くようになったというもの。従来の動物油脂から植物油に変え、大量生産が利いて安価に出来た。商品名は聖書の中の言葉から閃き、1879年商標登録。白い石鹸でパッケージも差別化。卸店を訪問すると同時に、小売店や消費者をターゲットにした広告も出す。化粧用にも使える唯一の石鹸であることをアピール
P&Gの雑誌媒体への本格進出の第1歩は、1882年の『インディペンデント』という宗教関係の週刊誌
P&Gの広告が、企業ではなく製品に焦点が当てられていた点も重要 ⇒ ブランド力でマスマーケットに切り込んでいく手法として定着し、その後の基本的な戦術となる
マーケティング・メッセージの統一(18861900) ⇒ ダイレクトメールの大量投入により消費者との直接の絆を強化するとともに、有名雑誌にフルページの広告枠を確保し雑誌広告を意欲的に展開。マーケティングのコアメッセージを「純度99.44%」と「水に浮く」に凝縮
Tideの研究開発 ⇒ 1931年染色作業の展着剤(農薬緑化資材散布する際に散布対象への付着を容易にするため媒介的に用いられる薬剤)に牛の胆汁を利用していることを聞いてヒントを得、家庭用と衣料用合成洗剤への応用の思いつきから開発された。当初は顆粒状洗濯石鹸とシャンプーに応用。特に中西部からロッキー山脈に至る硬水地域の消費者に重要な便益をもたらす。製品化への紆余曲折を経て1946年にTideと命名して大々的に売り出す。全自動洗濯機の普及とともに爆発的に広がり、消費者の家事のやり方を一変させる

II 部 P&G流マーケティングの確立(194580)
第4章        各種消費財への事業拡大(194580)
石鹸と食用油の会社が消費者向けの紙製品へ参入し、食品とトイレタリー製品を発売し、総合的な家庭用消費財メーカーへと変貌
head & shoulder(フケ用シャンプー)Charmin(トイレットペーパー)Bounty(ペーパータオル)Crest(インディアナ大学と共同でフッ素の可能性について調査した成果として誕生した歯磨き粉)Pampers(子供用紙おむつ)、ラブズ(同高級品)Pringles(ポテトチップス)Scope(マウスウォッシュ)等の新しい製品カテゴリーが登場、医薬品分野においても競争力をつける
テレビ広告にも積極的に取り組み、新製品の導入をサポート ⇒ 広告代理店との強固なパートナーシップ構築
55年、事業部制の導入 ⇒ 既存事業の拡張や新規事業への参入が容易になり、消費者を理解する能力も向上
後の有名ブランドがいくつも登場 ⇒ Dash(泡立ちを抑えた衣料用洗剤)Joy(食器用洗剤)Downy(柔軟剤)Comet(漂白剤入り住居用洗剤)
Downy ⇒ 1987年発売。合成洗剤で洗濯した結果衣類がごわごわとした固い肌触りとなったり、乾燥機に入れるとしわになり静電気がつくのを改良するために開発。界面化学の研究の成果と同時に、不織布のシートに組み込むことにより効果をあげる
Folger’sフォルジャーズ ⇒ 63年全米第2位のコーヒー会社を買収した後、ミシシッピ西側の地元で人気のあった香りと質感をP&Gの技術で改良し、マーケティング力で強化した結果、70年代に全国ブランドとして不朽の必需食品となる
海外進出の成功 ⇒ 第2次大戦後、ユニリーバやヘンケル等の強豪がいたヨーロッパを避け、まずは中南米への進出を考え48年メキシコに拠点、ベネズエラ、キューバへと拡大、ついでイギリスを皮切りにヨーロッパへも進出
日本は、外資参入規制により企業買収が難しかったのと、2大メーカーの花王とライオンの牙城を崩せず、他の外資系企業同様進出を断念していたが、70年代初めの規制緩和でJV設立を再検討
70年代に海外事業が急成長 ⇒ 本社で経験を積み、海外でもP&Gのやり方を貫く。海外向け洗剤ブランドのArielは、Tideを抜く勢い
独占禁止法を含む米国政府による法的規制の強化 ⇒ 1950年セラー・キーフォーバー法により同業種の企業買収や統合を規制。57P&Gのクロロックス買収がクレイトン法(セラー法の本体)違反として訴追、67年敗訴決定し白紙還元。フォルジャーズの買収にもFTCが異議を挟み、和解はしたものの事業拡大の制限という大きな代償を払う。以後は買収に消極的となり過去の買収物件の整理統合に集中、自社開発の新製品に全力を傾け、既存及び関連する事業領域からはみ出ないという自ら課したルールに固執
82年、漸く将来性の高い新分野としてヘルスケアに参入するための買収に着手したが、6070年代に買収に消極的だったお蔭でコングロマリット化することもなく、8090年代初頭までの敵対的TOBの影響を受けることもなかった
人々の環境への関心も事業拡大へのブレーキ役を果たす ⇒ 62年レイチェル・カーソンの『沈黙の春』でDDTや他の殺虫剤による危険が告発されたのが契機。洗剤に含まれる化学物質(酵素、リン酸塩)の有害性が指摘され、州によっては販売差し止めに至り、代替物質の開発によって辛うじて乗り切る
フェミニンケア市場参入を狙って79年発売開始タンポンの新ブランドRelyは、毒素性ショック症候群の発生の余波でPGの品質に対する消費者の信頼を大きく傷つけ、市場からの撤退を余儀なくされる ⇒ 関連性は希薄で研究結果は矛盾に満ちたものばかりだったが、米国疾病管理予防センターCDCのクロ判定により、即刻製品の回収と市場からの撤退を決断。83年に新たなブランドAlwaysWhisperで復活、世界的ヒットにつなげると同時に、97年の買収を通じてタンポンビジネスも復活
80年代は、ヘルスケアと医薬品事業、食品事業へと基盤を拡大
   4580年の位置付け ⇒ 高く展開をする消費財の巨人として、急速に規模を拡大、グローバル化を通じ、ブランド・マネジメント能力を継続的に研ぎ澄ましてきたが、同時に環境保護主義や消費者運動にも直面、従来の伝統的な市場が成熟期を迎え、継続的な成長のためには新たな市場への参入が必要であることが明確に

第5章        伝説的ブランド――クレストとパンパース
Crest ⇒ オーラルケアの革命ブランド。薬品製品カテゴリーの中での最大市場は歯磨き、最大の問題が虫歯予防であり、戦前から有効成分として特定されていたフッ素の商品化にインディアナ大学との共同研究を通じて成功、55年からテストマーケット開始、歯科医の啓蒙(治療から予防へ)を始め食後に歯を磨く生活習慣を定着させ、60年米国歯科医師会ADAの認可取得
Pampers ⇒ 大戦直後のベビーブームに乗ってトイレタリーから紙製品事業部が独立。スウェーデンの発明家によって紹介され、50年代初めジョンソン&ジョンソンが発売開始、P&G61年にテストマーケット開始。製品の技術面では漏れ防止と内側トップシートの透水性がキー、流通では使用後の処理がネックだったが、64年がターニングポイント

III部 世界市場への進出(198090)
第6章        グローバルへの展開(198090)
成長への課題は2
    企業規模 ⇒ 数十億ドル規模の売り上げになると成長が鈍化
    市場構造の変化 ⇒ 新たに量販店が出現し、価格破壊が進む
競合ブランドとの差が縮まり、P&Gの市場シェアが低下 ⇒ 改革の第1弾はチームワーク
Pringles ⇒ 50年代中頃に開発に着手。68年テストマーケット開始するもP&G最大のブランドの1つになるのは開発から数十年後。「チップ型スナック菓子充填方法」に関する特許を取得し、75年には市場シェア15%を達成したが人工的性質が自然食品志向の流れに批判を招き70年代終わりには4.3%に急落、クロスファンクショナル・チームによる改良努力によって数年後にはヒット商品として甦る。「ポテトチップス」から「ポテトクリスプ」に変更するというブランド・ポジショニングの再検討が効果を発揮、
Always/Whisperの成功 ⇒ 綿密な市場調査の結果、サイズよりべたつきの不快感除去が消費者ニーズに合うことを発見して改良を加え、84年の導入直後からヒット
80年、レーガン政権が独占禁止法を緩和したことから企業買収再開 ⇒ 飲料事業、OTC医薬品と処方薬にも参入。リチャードソン・ヴィックスを巡るユニリーバとの買収合戦は壮絶(12億ドルはP&Gにとって史上最大規模の買収劇)
カテゴリー・ビジネスユニットCBUの創設による組織改革 ⇒ 製品事業部とブランド・マネジャーの間にCBUを置いて、同じカテゴリーごとに全てのブランドと製品を統合。米国内には39CBUを置く
企業理念の作成 ⇒ 企業目的、価値観、行動原則の明確化と共有
西ヨーロッパでの躍進と教訓 ⇒ 国別の戦略を止めヨーロッパ体制を統一したのが成功
   8090年代の位置付け ⇒ 成長を追い求め、買収を通じて新規事業に参入、新たな地域へ進出(海外売上シェアが40%に)した時代

第7章        日本市場での教訓
72年日本進出 ⇒ 最後に残された大市場に「成功の方程式」は通用しなかった
日本の消費者の品質に対する高度な要求と、激しい競争が、P&G1つ上のレベルに押し上げる
最大の問題は流通システムの複雑さ
最初の進出形態は合弁 ⇒ 通産の指導の下に第一工業薬品、旭電化、ミツワ石鹸が合併してできた日本3位の石鹸業界3位の日本サンホームとの合弁、P&G50%握り、社名はP&Gサンホーム。P&Gが投入した製品は粉末洗剤のCheer、液体洗剤のBonus、化粧石鹸のCamay
日本側パートナーが戦略の実行能力に欠けていたため、76年独自の現法を設立。Pampersを投入
順調に滑り出したが、すぐに日本のメーカーが追随、シェアを奪われ苦戦
100%子会社を設立してP&GサンホームとP&Gジャパンを吸収して一本化、日本人中心に運営、日本市場に合わせた製品開発や文化を考慮したマーケティングをすることとし、企業イメージの確立に意を注ぐとともに、流通を簡素化
バブル崩壊と共に業績低迷、投入した14ブランドのうち競合製品に対し明確な優位性があるのは口紅とBonusのみ、96年には根本的なリストラと製品の大幅な改良を実施し、持ち前の技術力とマーケティング力によって世界の中でも最も強固な海外拠点の1つとして返り咲く

第8章        伝説的ブランド――パンテーン
買収したリチャードソン・ヴィックスのブランドであるパンテーンは、まだシャンプーとコンディショナーの評判は悪く、流通も限られていたが、革新的な調査と独創的な技術を巧みに連携させた全く新しい手法を用いてブランドを再構築
P&Gのヘルスケア事業は30年代に成功を収めたが、80年代に入ってから危機に直面
参入障壁が低く、大量生産によるコスト削減が重要
BC-18(Beauty Care製品18というコードネーム)の開発 ⇒ 汚れを落としてなお皮脂(髪の天然脂分)を残すという「2in1シャンプー」で、87Pert Plusとして発売、「手間をかけずに美しい髪」にするシャンプーというポジショニングをとって大成功を収めるが、すぐに他社が追随して苦戦を強いられる
85年進出した台湾で高級ブランドとしてパンテーンを導入、新たに「健康で輝く髪」というコンセプトでプロビタミンB-5を配合し、90年「Pantene Pro-V」として発売、ストレートヘアのモデルを使って驚くほど光り輝く髪のビジュアルと髪質の変化を強調した広告によってブランドのマ-ケティング・キャンペーンを行ったところ、台湾のシャンプー市場に旋風を巻き起こし、アジアから世界各地へと事業展開
米国への逆輸入は、ビューティケア事業部では初めてのことだったが、ヘレンカーチスの高級路線に対抗するため投入、立ち上がりこそ低調だったが、徐々にリズムに乗り巨大なブランドに成長、科学と芸術を融合させ美のブランドを作り上げた
パンテーンの成功物語は、P&Gが真にグローバル企業として再評価されるうえで画期的な出来事

IV部 縮小市場での模索(1990年~)
第9章        1990年代の組織改革
90年代初め、中央・東ヨーロッパに進出 ⇒ 複数の国で複数のカテゴリーを同時に展開
88年、中国にJV設立
事業ポートフォリオの見直し ⇒ 中核カテゴリーへの集中と小規模カテゴリーからの撤退
91年、レブロンから「マックスファクター」と「ベトリックス」を買収、その後まばゆいばかりのブランドに成長する「SK-II」を手に入れる
サプライチェーン革命の推進 ⇒ 従来のリベート販売を廃止、バリュープライシング=エブリデー・ロープライシングと切り替え
99年、大規模な組織改革「オーガニゼーション2005」を実施、9505年の売り上げ規模倍増を目指す ⇒ 地域単位の収益管理から、製品別のグローバルなグループと地域別にマーケティングを担当する組織のマトリックス型組織へ移行
ストレッチ(レベルの高い目標設定)、イノベーション、スピードが標語に
99年、Iams(アイムス)買収の成功秘話 ⇒ 50年創業の高級ペットフードの世界的なリーダーを23億ドルで買収
2000年に入って急激な株価低下と業績不振に伴い、組織変更の再見直しと、選択と集中の推進、消費者重視の徹底により、業績回復へ
   1990年以降の位置付け ⇒ グローバルブランドのポートフォリオを拡大すると同時に、ヘルスケアやビューティケアなどの新分野を全社的に主要なブランドとして確立。前進、後退の繰り返しの中で、最終的にはP&Gの長い歴史の中で常にそうであったように、ブランド構築の成功法則、即ち、差別化された製品、個性的な広告、規律あるマネジメント、コストと価値に対する継続的な努力、そして取引先や消費者への深い理解などが基盤となり、成果を生み出した

第10章     サプライチェーン再構築
80年代に入って、オペレーション上のコスト削減を最重要課題とし、物流のあり方や製品の売り方を再検討。消費者との間に存在する卸業者を流通網の間を繋ぐ「必要悪」と見做し、関係改善に乗り出す
62年アーカンソー主に誕生したディスカウントショップのウォルマートが、「良質の製品を安価で提供」を目標に急拡大、非常に高度な物流体制を整えオペレーション費用の削減を継続的に追求、倉庫と店舗間の情報の流れを劇的に改善
98年、P&Gとウォルマートは共同でサプライチェーン・マネジメントの大規模な実験を開始 ⇒ 従来は、P&Gと取引先の接点は営業担当者とバイヤーとの関係だけに留まり、唯一の情報の受け渡し窓口となっていたが、各部門の専門家が相手側の担当者と直接交渉を行うことで情報交換が活発化
ウォルマートと同様の関係を、他のサプライチェーンにも展開
価格の透明性を高める ⇒ 頻繁に販促キャンペーンを行なってディスカウントするハイロー(Hi-Lo)戦略より、EDLP(Every Day Low Pricing)戦略に方が圧倒的に効率であることが判明、91年からバリュープライシング(EDLPによる表示価格の統一)制度へ移行

第11章     ブランドの再生――アイボリー、クレスト、オレイ
成功したブランドをどこまで維持するかは見極めが難しい
Ivory ⇒ 50年代ユニリーバのダブの登場で、P&Gが追求していた純度や品質が時代遅れであることが明確化
Crest ⇒ 80年代に入り、20年間保ったトップの地位を陥落したのは、売り文句の「フッ素入り、虫歯予防」が競合品にも共通のありきたりのものとなっていたためで、引き続き革新的治療効果という見果てぬ夢を追い続けたために、他社が新たに開発した漂白効果ホワイトニングというポジショニングを併せ持ったコルゲートの「トータル」が97年に発売されると水を開けられる
過酸化水素を用いた歯の漂白は19世紀から行われていたが、薄いフィルムをわずか数秒で歯に装着できるという点が、新たにP&GCrest Whitestripsで開発した技術で、2000年から歯科医院での販売をきっかけに全国展開をして巻き返し、ブランド復活のサクセスストーリーとなる
併せて、SpinBrushという電動歯ブラシにも参入 ⇒ 電池式にして価格を抑えたのが成功の秘訣
Olay ⇒ 85年にリチャードソン・ヴィックスを買収した際に獲得した中高年女性用保湿ローションのブランドだったが、スキンケア市場の爆発的拡大期に合せ基礎技術面での革新を加えるとともにその後買収した同種製品とブランドポートフォリオを一貫性のあるものに整理統合してOlay Total Effectが完成、市場調査の結果を踏まえ高級品として従来の価格の3倍以上の値段で売り出して成功
ブランドエクイティの再定義 ⇒ 便益の数だけブランドが必要と考えられていたが、一旦メガブランドとして確立した後でも、核となる要素や解釈を尊重しつつ創造的に拡張していくことが可能。そのためには継続的な製品の革新に加え、常に消費者の声に耳を傾けることが必須

第12章     中国への進出
80年に初の経済特区認可、84年には14区に拡大し、資本誘致のための規制緩和を行ったのに伴い、P&G85年に市場調査を実施
88年、香港拠点の中国系商社とJV設立
ヘルスケアとスキンケア部門から入り、紙製品、洗剤、オーラルケアなどに拡大
中国でも業務拡大の最大のネックは地域ごとに独自の発展を遂げた流通
93年には外資系企業による大規模工場支配の規制が緩和されたのを機に、洗剤の地元8大メーカーのうち3社を傘下に収め、現地供給量の大部分を現地生産とする

エピローグ ブランド構築の原則
P&Gは自らの豊富な過去の経験を学習と競争優位確立の源泉と捉え、過去の事例を詳しく語り継ぎ、時には体系的な過去の事例分析を行っている
P&G流の長期的事業成功の方程式は、消費者に支持されるブランドの構築、つまり消費者に他社製品よりも高い価値を感じさせ、消費者自身との関連を連想させる特徴のある製品を開発し提供すること
ブランド構築とは、組織全体が一体となって取り組む、消費者に卓越した価値を提供するための終わりなき探究
ブランド構築の10原則とは:
1:  正しいことをおこなう ⇒ 高いビジネス倫理観、地域社会を始め公共全体への貢献
2: 
勝利への情熱を高める ⇒ ナンバーワンかツー以外は撤退
3: 
ブランドの持つ力を維持する ⇒ 常に新鮮に保つための努力を怠らない
4: 
消費者がボスである ⇒ ブランド構築進化の源
5: 
社員11人が会社の財産である
6: 
自分を厳しく律する
7: 
常にすべての分野で革新を起こす
8: 
リーダーシップを発揮して改革を推し進める
9: 
提携は競争優位となる
10: 
顧客との間にパートナーシップを構築する
どこの会社でも見受けられる原則だが、世界中で上手に一貫性を持って実行してきたことでP&Gの命運は大きく決定づけられ、これらの原則がP&Gの進化と発展の比喩でもある「Rising Tide (上昇気運)」という波を発生させ、その波を正しい方向に導く大いなる支えとなった

解説・訳者あとがき
本書は、社内文書の閲覧に加え、経営陣や従業員との独占インタビューが許可された史上初の例であり、P&Gが本書編纂に全面的に協力、自ら認めた同社のブランド書
2002年のP&G165周年を記念して03年末までに米国で出版
その後の発展の歴史;
「コネクト&ディベロップメント」 ⇒ 研究開発の自前主義からの決別。SpinBrush
ビリオンダラー・ブランド(年間売上10億ドル超)23に拡大、5億ドル超の20を加えた43のブランドで09年売り上げの85%を占める
買収・売却 ⇒ 03年ウェラ、05年ジレットの買収、12年プリングルズ売却(ケロッグ)






内容説明

1837年創業、ローソクと石鹸の小工場から、180カ国・46億人に届くグローバルカンパニーに至るまで経営学・マーケティングの教科書的企業の画期的なイノベーション、挑戦と失敗のすべてが初めて明かされた唯一の公式記録

出版社内容情報

世界No.1の消費財メーカーP&G2世紀に及ぶマネジメントの歴史。内部資料を使い、多角的に紹介した初の試み。
1837
年創業、ローソクと石鹸の小工場から180カ国・46億人に届くグローバルカンパニーに至るまで――
南北戦争のとき、夜を照らすために連邦軍が使ったローソク。洗濯の苦労から開放した合成洗剤。忙しい両親の助けとなった使い捨てオムツ。これらのすべての画期的な製品の源はすべて同じ会社、消費財において「世界の巨人」であるプロクター&ギャンブル社(P&G)である。本書は、2世紀ほど前から今日、世界中至るところで生活改善のためのトップブランドを次々と生み出すような世界的企業になるまでの歴史を描いたものである。P&Gの社内文書の閲覧に加え、経営陣や従業員との独占インタビューが許可されて、明かされた唯一の公式記録。一社の経営史でありながら、経営学・マーケティングの教科書的な企業の事例として読んでおきたい一冊。

訳者による推薦の辞
本書は、P&Gが石鹸とローソクを販売する小さな家族経営の会社から、世界中で消費者の生活改善に貢献するトップブランドを次々と生み出す世界的企業になるまでの歴史を記録している。
本書は、特にブランド構築の手法、考え方を中心に1837年創業以来170年以上に渡る会社がどのような成功と失敗を経験して消費者に信頼される会社になったかのポイントが参考になる。
353
ページ(3500)におよぶ力作であるが、グローバルビジネスリーダーとしての活躍をめざされる賢明なる読者諸氏には読んでいただきたい内容である。
私はP&G営業本部に1987年から2004年まで18年間勤務させていただいた。
世界最大の消費財メーカーであったP&Gでも当初は日本市場を攻めあぐねていた。その歴史がわかりやすく本書で解説されている。
P&G
の激動の日本支社の歴史を18年間経験させていただいたことに感謝したい。
コンサルタントとして独立できた今の私があるのは、P&Gのおかげである。
P&G
の成功のポイントは、すべての企業経営に参考になる内容である。多くの会社経営者、ビジネスリーダーに読んでいただければ幸いである。


Wikipedia
プロクター・アンド・ギャンブルThe Procter & Gamble Company)は、アメリカ合衆国に本拠を置く世界最大の一般消費財メーカーである。略称はP&G(ピーアンドジー)。日本でもプロクター・アンド・ギャンブル・ジャパンを展開している。
概要[編集]
1837ローソク業者のウィリアム・プロクターと石鹸業者のジェームス・ギャンブルの共同出資により設立。洗剤や化粧品などの一般消費財を製造販売する企業で、世界最大の一般消費財メーカーである。ホームケア製品、ペットフード(アイムス)、紙製品、化粧品マックスファクター)、ヘアケア製品(ヴィダルサスーンパンテーンh&sハーバルエッセンスウエラジャパン)、ヘルスケア製品(歯磨剤 Crestなど)、食品(プリングルズ)など多数の事業を保有し、世界180カ国以上で事業展開している。世界でも収益性の非常に優れた企業として知られている。マーケティングに極めて力を入れる企業として知られ、社内でのブランド・マネジャー相互の競争はきわめて激しいという。ビジネス誌フォーチュンにて、「社員の能力」が業種を超えて世界ランキング第1位に選ばれた、人材輩出企業としても評価が高い。P&Gのブランド戦略は、MBAのケーススタディの題材としてもよく取り上げられる。日本本社は神戸市にある。
紙・パルプ業界でも有名な企業で、2011年現在、紙・パルプ関連売上高において世界第2位の規模を持つ[2]
プロクター・アンド・ギャンブルの評価[編集]
·         米国フォーチュン誌が発表する2008フォーチュン・グローバル500では売上高ランキングで世界79位、純利益ランキングで世界39位。
·         英国フィナンシャル・タイムズ紙が発表する世界の企業の時価総額をランキングする2008フィナンシャル・タイムズ・グローバル500では世界10位。
·         米国フォーブス誌が発表する売上高、利益、資産、時価総額の4つの要素を基にランキングしている2008フォーブス・グローバル2000では世界31位。
これまで買収した企業[編集]
·       リチャードソン・ヴィックスRichardson-Vicks)社(医薬品・日本では日本ヴィックスとして営業していた) - 1985年買収
·       パンテーン(かつてロシュ社の手掛けていた女性向けシャンプー・コンディショナー事業) - 1983年ヴィックスが買収し一部門となる(それまで日本国内では旧日本ロシュ(製造)とシオノギ製薬(発売・販売)がそれぞれ製販を分担して請け負っていた)
·       マックスファクター(化粧品・現在同社の化粧品事業と一部家庭用品事業を担う) - 1991年買収
·       クレイロールClairol)(米医薬品大手ブリストルマイヤーズ・スクイブの化粧品事業。但し、シーブリーズ資生堂に売却された)
·       アイムスカンパニーIams)(ペットフード・日本ではアイムスジャパンとして営業していた) - 1999年買収
·       ウエラ(ヘアケア用品・日本法人はウエラジャパン) - 2003年買収
·       ジレット(替刃式剃刀のジレット、電気式髭剃りのブラウン、乾電池のデュラセル - 2005年買収
これまで売却した事業[編集]
日本市場における事業売却はプロクター・アンド・ギャンブル・ジャパン#歴史を参照。
·       クレアラシル 2000年にブーツ・ヘルスケアに売却後、同社ごと英国レキット・ベンキーザーに買収される)
·       プリングルズ 2012年にシリアル食品大手の米国ケロッグ社に売却)
·       医療用医薬品 2009年に米国ワーナー・チルコット社に売却)
·       一般用医薬品 2011年にイスラエルテヴァ製薬産業OTC事業と統合し、PGTヘルスケアを設立)


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