破綻 バイオ企業・林原の真実  林原靖  2013.11.25.

2013.11.25. 破綻 バイオ企業・林原の真実

著者 林原靖 1947年岡山市生まれ。父・林原一郎、母・秀子の四男。兄・紘一(長男)、暲(三男)の早世で次男となり、長兄・健(二男)と共に林原グループの経営に当たる。岡山大附中、慶應高、慶応大商卒。69年林原入社。78年取締役経理部長。85年基幹4社の専務。11年会社破綻ですべての役職辞任。13.4.(非営利)グルオーバル・リサーチ・アソシエイツ代表

発行日           2013.7.26. 初版発行         9.14. 第6
発行所           ワック

第1章        優良企業・林原の内実
糖質「トレハロース」は、食品甘味料や保存料だけでなく化粧品や入浴剤にも使われる
「夢の糖」とか「命の糖」と呼ばれ、抽出の難しいトレハロースの量産化に成功(94)、世界市場を一手に独占
インターフェロンの量産化にも成功
細胞センターの開設 ⇒ ニューヨークの医療機関にあった養和田潤博士の細胞コレクションを博士ごと引き受けた世界最大級の生きた人間の細胞を保管
会社の課題 ⇒ 順次公開を目指していた子会社の業績伸び悩みと巨額の借り入れ
穴吹工務店が負債総額1000億円で倒産、中四国の銀行に激震が走る
10年前までのメイン銀行は住信、現在は中国銀行(12%の筆頭株主)
2011.1.経営破綻の報道 ⇒ かつては1300億の借り入れに対し資産総額は3000億と言われたが、資産デフレにより債務超過の懸念ありとされたが、処分後の結果を見ても明らかなように、通常取引であれば債務超過などありえない
過去における架空売り上げ疑惑についても長期で帳尻を合わせており実害はないはず
グループ内で、相互に資金や担保を融通し合っていたことも、破綻処理の段階では「更生会社」と「それ以外」に分けられたため、事後的に法令順守の是非まで問われることになる
貸借対照表も、節税対策もあって資産を極力少なめに計上
09年、突然住信から、借り入れについて、BSと銀行別借入残高の差異を指摘される
1年後、中国銀行と住信が連携して借り入れの差異について質してくる

第2章        バイオ企業・林原の光と影
61年、先代の父・一郎の急逝により、長男・健が後継となったがまだ19歳の学生、本社の実印は母・英子が、子会社の実印は叔父でカバヤ食品社長が預かっていたが、これがのちに大半のグループ企業の離反と遺産相続を巡る親族対立を招く
叔父が周囲から煽られる形でカバヤの独立を実行、数年後には追い出されてカバヤは番頭の手に落ちる
大学を卒業して会社に入った健は、デンプン化学工業への転身を目指し、2年後にデンプンを100%麦芽糖に変える世界初の技術開発に成功、大塚製薬と共同で商品化、点滴用医薬品「マルトース」が誕生
98年、製薬関連の躓きもあって、生産・販売部門の強化を軸にリストラ開始、
トレハロースの開発成功で一息つく

第3章        襲いかかった銀行、弁護士、そしてマスコミ
1011月、銀行が銀行借り入れ残高の差異を理由に「破綻懸念先」への分類をちらつかせ、追加担保を要求。資産価値の下落で融資額に見合う担保がないため、中国銀行から裁判外紛争解決手続きADRを進めるため、西村あさひ法律事務所との打ち合わせを勧められる
銀行団全行一致が前提のADRは、中銀・住信が先を争って担保を徴求した中ではその他行の合意形成は難しく、資料も何者かによって事前にマスコミにリークされる
ADRの全行会議が紛糾、打ち切ろうとしたときに、いきなり西村あさひが会社更生法の申請をしたことが伝えられる。実印を預けられた弁護士事務所がADR不調の際の次善の対策として有無を言わさずに実行したもの
保全管財人には西村あさひの松嶋英機が指名され、経営陣の入れ替え、債権者集会等手続きが進む ⇒ ADRでは会社側の弁護士だったものが、今度は会社側と対立する立場に立つのは公平と言えるのか?
納入先の債権は全額保証 ⇒ 金融取引の不調による黒字倒産で、日常の取引には全く支障がなかったため、業務は通常通り継続された
公平無比(無私?)赤ひげのような弁護士と思っていたが、基本は営利ビジネスだった

第4章        破綻の嵐に翻弄される日々
保全管財人から更生管財人に移行するが、引き続き松嶋が管財人に就任
会社更生のため、比較的大きな金額の私財を提供 ⇒ 50億と発表されたが、時価で言えば倍はある
破綻の原因や責任の所在、法令違反の有無、損害賠償の査定などのための「第三者委員会」の立ち上げ ⇒ 田辺総合法律事務所の藤田弁護士が委員長
スポンサー企業に名乗りを上げたのは80
住信が我々兄弟に対し仮差押えを申請、裁判所によってほとんどの資産が持ち去られる
研究に没頭してきた兄にとっては、寝耳に水の事態で、周囲への不信感や疑心暗鬼が生まれ、著者にも生の言葉となって投げかけられた時には耐え難かった。個人財産差し押さえの直後に脳血栓で倒れ、母も6か月後に心筋梗塞で死去
スポンサーには長瀬産業が決定、落札額は700億円 ⇒ 1回目2回目の入札ではなかった名前だが、銀行の強力な要請で入ってきたのではないか

第5章        林原を巡る騒動とは何だったのか?
第三者委員会の報告とともに更生会社からの損害賠償請求が届く ⇒ あて先は4名のみ
中国銀行は、林原の保有する大量の中銀株を自社株公開買い付けで取得すると発表、市場価格1000円超に対し買い付け価格は867円程度
前年末に中銀が担保設定した岡山駅前の広大な不動産については、詐害行為に当たらないとの認定
住信による個人保証徴求を詐害行為として更生会社が提訴 ⇒ 取り下げ
住信側からは、連帯保証の履行を求める本訴訟提起
最終的に銀行への弁済率は93
11年末、更生計画認可
12.3. 損害賠償請求査定の和解成立

破綻劇の引き金を引いた張本人はメインの中国銀行とサブの住信

著者の言うとおり、経常業務が順調で、一切秘密がないとすれば、粉飾をもとに戻して、実態を正確に把握すれば、いきなりADRだの更生法だのという話にはならないはずで、その辺の事情について詳しい説明がない
銀行借り入れ残高の違算が、長いこと放置されていたことが銀行による追加担保要求の原因だとするが、銀行もお粗末だし、借り手も唯々諾々と従っているのは不自然


破綻 バイオ企業・林原の真実 []林原靖
[]勝見明(ジャーナリスト)  [掲載]朝日 20130922
·         Amazon.co.jp
·         楽天ブックス
·         紀伊國屋書店BookWeb
·         TSUTAYA online
銀行の「保身」的行為を告発
 岡山の同族企業ながら、高い研究開発力を誇った世界的バイオ企業、林原(はやしばら)が会社更生法の適用申請をしたのは一昨年2月。「財産もあり、赤字もなく、利息もきちんと払い続け、債務も確実に減少し続けていた会社」がなぜつぶれたのか。研究畑の兄の社長を専務として支えた著者が雪辱を期し、報道とは異なる「真実」を綴った実録だ。主眼は破綻の誘因となったメーンとサブ、銀行2行の一連の「保身」的行為の告発にある。
 非上場で銀行借入に依存したが、経営者と株主が一体で企業統治が内向きになり、借入金を過小報告しても、資産超過なのだからと軽視するなど、問題があったことは自身も認める。それでも追及するのは「粉飾」に反応した2行の変身ぶりだ。
 銀行団として再建策を進める前に「抜けがけ」的に利益確保に執着。結果、再建策は流れ、会社更生法適用に至る。経営陣は「知らぬ間にベルトコンベアにのせられ、奈落の底に連れていかれ」、仕事も全財産も失う。林原の弁済率は93%と驚異的な数字を記録。「潰す必要があったのか」との声があがった。
 高視聴率テレビドラマ『半澤直樹』の主人公のようなバンカーが実在したら流れは変わったか。これが日本の現実か。「粉飾」を知った銀行支店長の「自分も確実に左遷される」のひと言が目に焼き付く。
    
 ワック・1575円


Wikipedia
株式会社林原(はやしばら、Hayashibara Co., Ltd.)は、岡山県岡山市に本社を置く食品原料・医薬品原料・化学原料製品や試薬を研究・製造・販売するバイオメーカーである。メセナ事業として美術館や博物館などを運営する。
2011会社更生法を申請し、化学専門商社長瀬産業の完全子会社になる。2012326日に会社更生計画は終結している。
概要[編集]
1883、林原克太郎が現在の岡山市北区天瀬に麦芽水飴製造業を営む林原商店として創業する。1932、株式会社林原商店へ改組し、林原一郎が3代目社長に就任して研究開発や経営多角化を推進する。水飴製造は酸糖化法を導入し「太陽印水飴」として日本本土や大陸方面へ販路を拡大する。1943、林原株式会社へ社名変更する。1945岡山空襲で工場を焼失するも終戦直後に復興して水飴生産量が日本一になり、不動産事業ではJR岡山駅南に約2万坪の土地を購入し、1948、同所へ本社を移転する。以後デンプンから各種糖質開発を事業として特許を多数取得し、莫大な収益でさらに新規研究を行う研究開発型企業へ成長する。
1961、林原健の社長就任以降、自社で製造法を確立したブドウ糖の生産をはじめ、マルトースプルランなど生理活性物質の量産化に成功し、林原生物化学研究所などグループ会社を次々と設立する。美術館開館、備中漆復興事業、古生物学(恐竜発掘)調査、類人猿研究などメセナ事業も積極展開を始める。1990年代以降、甘味料などに用いられる糖質トレハロース、抗がん剤用途のインターフェロンを生産し世界市場で販売する。
201122日、林原、林原生物化学研究所、林原商事、のグループ中核3社が会社更生法適用を東京地方裁判所に申請、37日に更生手続開始が決定する。林原健の弟で専務取締役を務めた林原靖は、インターフェロン製造の吉備製薬工場は稼働実績で二割を上回らず経営破綻最大要因の一つで、天然型インターフェロン製造法は後発の遺伝子組み換えインターフェロンに効率で劣り、販売協力関係にある大塚製薬新薬開発汚職事件による社長退任などを破綻要因として挙げている。
201221日、林原生物化学研究所、林原商事の2社が株式会社林原に吸収合併され、23日に合併後の株式会社林原が100%減資して長瀬産業(大阪市)の完全子会社になる。長瀬産業からの出融資やJR岡山駅南土地の売却などにより、負債総額約1400億円に対し弁済原資約1300億円を確保して弁済率約93%と更生法下では異例の高水準で、更生法適用から約12ヶ月後の326日、会社更生計画は終結する。中核事業は株式会社林原が継続し、中核事業以外の資産や負債は太陽殖産が引き継いでいる。
沿革[編集]
·         1883明治16年) - 現在の岡山市北区天瀬に林原克太郎が林原商店を創業する。
·         1932昭和7年) - 株式会社林原商店へ改組し、林原一郎が3代目社長に就任する。
·         1935(昭和10年) - 酸麦2段糖化による水飴製造法を確立し特許申請する。
·         1940(昭和15年)製菓(乳菓)部門に進出する。
·         1943(昭和18年)林原株式会社へ社名変更する。
·         1945(昭和20年) - 岡山空襲により工場を焼失し、翌年1月に水飴製造を再開する。
·         1946(昭和21年) - 日本電気所有の岡山駅南の土地を購入する。株式会社太陽殖産を設立して不動産事業を開始する。。
·         1952(昭和27年)社団法人林原共済会を設立する。
·         1959(昭和34年) - 酵素糖化法によるブドウ糖製造に成功する。
·         1962(昭和37年) - 水飴・ブドウ糖販路拡大のために林原商事株式会社を設立する。
·         1964(昭和39年) - 現在の岡山市北区丸の内岡山城対面所跡に林原美術館を設立する。
·         1968(昭和43年) - マルトースの新製造法と、マルチトールの開発に成功する。
·         1970(昭和45年)株式会社林原生物化学研究所を設立する。
·         1986(昭和61年) - マルトースの量産化に成功する。
·         1988(昭和63年)厚生省からインターフェロンの承認を受け、大塚製薬・持田製薬から発売開始する。
·         1990平成2年)株式会社林原株式会社林原商事へそれぞれ社名変更する。
·         1993(平成5年)モンゴルゴビ砂漠で古生物学調査を開始する。
·         1994(平成6年) - デンプンからトレハロースを大量に生産する技術を開発し翌年に商品化する。
·         1997(平成9年) - 株式会社HBライフサイエンス、株式会社林原基礎合成研究所、株式会社林原美術ミントの3社を設立する。
·         1998(平成10年)チンパンジー研究の「類人猿研究センター」を設立する。
·         2002(平成14年) - JR岡山駅南の自社所有地を再開発する「ザ ハヤシバラシティ」構想を発表し、ザ ハヤシバラシティ株式会社を設立する。
·         2011(平成23年)22東京地方裁判所へ会社更生法適用を申請する。負債総額1300億円超で林原創業家が経営から退く。
·         1226 - 本社をJR岡山駅南の自社所有地から現在地へ移転する。
·         1231 - 林原モータープールを閉鎖する。
·         2012(平成24年)127 - 更生計画認可決定が確定する。
·         130 - JR岡山駅南の自社所有地をイオンモールへ売却する。
·         21 - 株式会社林原が株式会社林原生物化学研究所と株式会社林原商事の2社を吸収合併する。
·         23 - 長瀬産業の100%子会社になる。
·         326 - 負債総額約1400億円に弁済原資約1300億円を確保して弁済率約93%の高水準で、更生法適用から約12ヶ月で更生計画が終結する。
経営[編集]
岡山市北区下石井の2万坪の土地は、長年林原グループの本社および有料駐車場として利用された。
創業家による同族経営[編集]
JR岡山駅南の土地2万坪など大規模な自社所有地の含み益と特許利益により資金調達が容易で、長期間の独自研究開発のために未上場で創業者の林原一族が長年同族経営していた。縁故採用に肯定的で、社員公募せず多くを地元岡山の大学生から採用[11]している。メセナ活動にも積極的に投資し、2002に林原グループ本社や林原自然科学博物館、有料駐車場(林原モータープール)として利用されていたJR岡山駅南の自社所有地を、「 ハヤシバラシティ」として再開発する構想を発表している。
不正経理の発覚と事業再生ADR準備[編集]
2010末に住友信託銀行中国銀行が内部資料突き合わせ、貸借対照表借入金差異を指摘する。2銀行が年末時点で、不渡り処分回避のために林原健および靖の個人保証、関係各社相互の債務保証署名捺印させて不動産を担保したことにより、翌年2月末の融資継続書き換え時に担保不足で資金不足の可能性が高まる。他債権者に先駆ける主要取引2銀行の担保確保は、後に不信感からADR不合意の主因になる。中国銀行が林原に裁判外紛争解決手続き(ADR)を進めるよう指示し、西村あさひ法律事務所を紹介する。
事業再生ADRの申請[編集]
当初、林原は会社更生法ではなく、中国銀行および西村あさひ法律事務所に後押しされる形で事業再生ADRの成立を目指すもADR不成立で会社更生法適用になる。債権者全会一致が原則でハードルが高いADRと、ADR不成立時の最終手段である会社更生法の2択が提示され、民事再生法は提示されず、ADRは西村あさひ法律事務所の松嶋英機弁護士らが日本に紹介しており、本案件で実務を担う森倫洋弁護士らチームはADRの成功事例にしたい思惑があった、と林原グループ前専務取締役の林原靖は語っている。
ADR不成立の原因として債権者の銀行団のうち、メインの中国銀行およびサブの住友信託銀行の2行と、その他の銀行の利害が激しく対立したことがあげられるという。
2011111日のADR1回会合では、席上、代表取締役 林原健が謝罪し、弁護士からは経営責任をとって社長の林原健、専務の林原靖、ほか経理担当役員2人が退任する旨の報告があった。P/L上、業績快調でありながら、弁護士団が全役員の退任を勝手に決めたのは、銀行のADR同意を取りつけるための有効な取引材料にするためだったという。
中国銀行と住友信託銀行を除いた銀行団からは、林原への避難や罵声は全くなく、中国銀行と住友信託銀行への憤懣が激しく噴出したという。JR岡山駅南所有地に中国銀行が、林原美術館に住友信託銀行が、それぞれ抵当権を設定していることが明らかになったこととと昨年末からADR申請まで中国銀行と住友信託銀行の2行のみで情報を独占したことに非難が集中した。 さらに中国銀行と住友信託銀行の間のスタンスの違いも状況を難しくした。銀行がADR成立のためには担保登記の修正について柔軟な姿勢を示したのに対し、住友信託銀行は、「ADR成立を前提」としない限り担保登記の修正に応じないとの姿勢を変えず、この住友信託銀行の態度に他のメガバンクからの非難が集中した。 他の銀行団のうち、三菱東京UFJ銀行は以前から十分な有価証券担保をとっていたので穏健な態度、逆に三井住友銀行には十分な担保が提供されておらず苛立ちを強めていた。みずほ銀行は自身の債権額はそれほどでもなかったが、シンジケート・ローンの幹事銀行として中小銀行を束ねるという役割があったという。1回目の会合の最後に、進行役の西村あさひ法律事務所の森倫洋弁護士から銀行団に第2回目の会合の出席の釘を刺し、初会合は終了した。
事業再生ADRの特徴として、関係者の守秘義務を前提とし秘密裏に話し合いが凭れることで一般債権者の不安を煽らないという点があるにもかかわらず、201122日に第2回目のADR会合の前に新聞各紙に林原のADR申請が報道された。 報道内容は債権者各行に配布したADR説明用の資料を基にしていたこと、現実的に合計300部ほどの製本を銀行団に配ったことから、ADRの秘密保持の実効性はお粗末なものであり、中国銀行と住友信託銀行の思惑に不満であったいずれかの銀行関係者が確信犯的にマスコミに流したのが報道の理由であったと推測されたという。
この時点で秘密保持という事業再生ADRの利点は崩れており、201122日の第2回会議では東京・日本橋の会場まわりに多数の取材陣が駆けつけていた。
会議においては住友信託銀行は相変わらず「出口論」を変えるつもりはなく、さらに他の銀行を前にして、「自行をかつてのメインバンクとかサブメインというふうに考えずに、他の一般メガバンクと同等に扱ってほしい」などと発言し、他行から住友信託銀行のこの態度への不信が大きな焦点となった。住友信託銀行は自行の駆け込み保全処理についての正当性を述べるばかりで、最後まで「出口論」を変えようとはしなかった。当然議論は紛糾し、賛否の大激論が巻き起こった。
会合に参加した林原靖によると、そこに突然、出席者の一人が立ち上がり、「皆さん、皆さん、お静かに願います。当行本部からたったいま、わたしの携帯に連絡が入りました。 西村あさひ法律事務所の弁護士が、東京地方裁判所に林原の会社更生法の申請をおこなったとのことです」 との声が入り、会場からは一斉に「ウオーッ!」という悲鳴に近い叫び声と、銀行団から罵声と怒声の入り交じった会話で、会場は混乱のきわみに陥ったという。
西村あさひ法律事務所の次席の柴原多弁護士および郡谷大輔弁護士が発言を引き継ぐも、銀行団はなおも「われわれは納得できない。なぜこんなことになってしまったのか。いずれハッキリさせてもらうからな。いや、そうしてもらわねば困る。席を改め時間をかけてでも徹底的に追及するぞ」と大声で叫びつづけた。しかし、西村あさひ法律事務所が先走り的に行った会社更生法申請の事実は変えられず、二時間以上にわたる銀行団の大議論は、第一回にして「ADR不成立」の結論をもってここに終結することとなった。
会社更生法の申請[編集]
ADR不成立の実際は、金融機関の同意が得られず、ということではなく上述のように西村あさひ法律事務所の駆け込み的行動によるものだった。負債額は1300億円超と見られ、岡山県内の経営破綻としては過去最大規模の事例となった。 ADR1回会合での発表の通り、社長の林原健と実弟で専務の林原靖が取締役を辞任し、後任の社長には林原生物化学研究所の常務だった福田恵温が就任、創業以来一貫して林原一族が主導してきた同族経営は幕を閉じた。保全管理人、更生管財人にはADR時の顧問弁護士団を束ねていた松嶋英機弁護士が横滑りし、参加の西村あさひ法律事務所の弁護団もADR時のまま継続して会社に常駐した。西村あさひ法律事務所も、管財人横滑りの批判には気を遣っており、林原の更正法申請の第一報の時点での会話として、弁護士団は東京地裁への申請のタイミングが早すぎたことについて、「次の更生法の段階では、われわれはこの案件から退かなければならなくなるかもしれんな」「いや、大丈夫ではないですか。裁判所は認めてくれますよ」などと雑談を交わしていたという。
西村あさひ法律事務所が自らの管財人就任にこだわった理由について、林原靖はおそらく四大法律事務所には、それを頂点として、それぞれに親密な「破綻ビジネス」の果実を分け合う周辺業者があり、その意味で、林原の破綻は、これらの周辺業者にとってはビッグで、しかも実り多いビジネスチャンスになると予想したからだろう、と著書で述べている。
一例として、林原健および靖の私財処分について、本来、公正な資産処分をやろうとするなら専門業者を数社呼び、コンペをやって手数料が少なく売値が一番高い会社に決める、というのが筋だろうが、複数の業者を比較検討したという形跡もなく、まず美術品処分の委託先としてはADRの会計担当業者での会計事務所プライスウォーターハウスクーパースが再登場し、破綻処理ビジネスの中で抜け目なく商売の幅を拡げている同社に一種の崇敬の念さえおぼえたという。
一方、不動産処分の委託先としては岡山とは縁が少ない東急リバブルが採用された。同社は西村あさひ法律事務所の若い弁護士がふと洩らしたところによると、西村あさひ法律事務所とは「とても親密な会社」とのことだったという。西村あさひ法律事務所が管財人に就任することにより、ADR時は林原の弁護を受け持っていた同事務所が、一転会社側を糾弾する側に立ったことになった。この手続きについては、林原靖によると、裁判所に提出した更正法の申請書に事前に目を通す機会は西村あさひ法律事務所から経営陣側に与えられず、手続を委任する時間的猶予もなかったという。その際に西村あさひ法律事務所には社長の林原健および専務の林原靖の実印を預けたままであったので、西村あさひ法律事務所と東京地裁との間でどのようなやりとりがあったのかは不明であったという。中核事業法人のうち、不動産運営の太陽殖産は資産が負債を上回っていたため当初は申請を見送ったものの、更生会社3社の再建計画検討の中で、同社についても3社との同時的・一体的な処理を進めるのが適切と判断され、同年525に改めて東京地裁への会社更生法適用申請を行なった。
スポンサー企業の選定[編集]
再建スポンサーには韓国CJグループ日本たばこ産業など7080社が名乗りを上げ、西村あさひ法律事務所とフィナンシャル・アドバイザーのGCAサヴィアンの音頭によって、スポンサー選定は3回の入札で分けて行われた。スポンサー候補は、第一回の入札で概ね10社くらいに絞られ、三菱商事グループにSBI、群栄化学、明治製菓、大塚製薬グループ、伊藤忠グループなどが含まれていた。入札の金額幅はこの時点で400億円超のレベルと推察されたという。通常の進め方であれば、第二回の入札は第一回に勝ち残った中から、さらに金額の高い順に絞られるはずであるが、本件では変則的な入札が行われたという。第一回の入札に勝ち残った会社を核にして連合を組めば、落ちてしまった会社でも勝ち上がることができる。逆に一回目で上位に残った会社でも、合従連衡に手抜かりやミスがあれば二回目で落ちてしまう。こうした進め方のため、一回戦で勝ち残った組の中からも、「これは二回戦ではなく一・五回戦だ」という悲鳴も上がっていたという。
2011年五月の連休前に行われた第二回の入札では、一回目のトップ当選と見られていた三菱商事と第2位のSBI、それと明治製菓大塚製薬グループは他との連合を嫌ったのか、それともこれ以上の金額は出せないとあきらめたのか落選した。第3回目の入札前に残っていたのは、群栄化学と、韓国の元サムスン傘下のCJグループと、カーギル、長瀬産業であったとみられ、入札の金額はこの時点で600億円前後と報道されていた。共同通信の事前予測報道では、「韓国の財閥CJグループと日本のJT(日本たばこ産業)が、700億円前後で競い合っている模様」との観測が出ていたが、JTはその後すぐ自社のホームページで、「入札の事実はない」と報道内容を否定するコメントを発表した。また、「韓国CJグループは850億円以上出すのでは」との話も伝わっていたという。が、最終的に入札を経て201183日に長瀬産業がスポンサーに決定した。決定金額は約700億円であり、実はCJも同額を提示したが、これはみなの「総合判断」で落としたという。長瀬産業が、もう一社の額を上回る金額で落札したものと報道されたが、これは誤報である。林原の前専務、林原靖は著書で、 長瀬産業にスポンサーが決定した理由として、スポンサー選定の一回戦、二回戦では長瀬産業の名前は出ておらず、債権者である三井住友銀行が同社のメインバンクで、最終的なスポンサー選定はフィナンシャル・アドバイザーの公平な判断ではなく、裏に同銀行の強力な意向があったのではないかとしている。
最後の入札を経て201183長瀬産業がスポンサーに決定し、1231日に東京地方裁判所より更生計画案が認可された。
会社更生計画の終了[編集]
JR岡山駅南の自社所有地は、2011921に入札が行われ、イオンモールに売却されることが決定した。売買契約の決済とイオンモールへの所有地の引き渡しは、2012127に東京地方裁判所の更生計画案の認可決定が確定したのを受け、同年130日付で行われた。これに先だって、株式会社林原・株式会社林原商事・株式会社林原生物化学研究所の3社は、20111226に本社を移転し、20111231には、有料駐車場(林原モータープール)も閉鎖された。
201221付で林原商事・林原生物化学研究所の2社は株式会社林原に吸収合併されて消滅し、同年23日に林原は100%減資のうえ長瀬産業の完全子会社となった。同326日に会社更生計画は終結した。 長瀬産業(大阪市)からの出融資700億円、売却可能の株式などが約300億円、岡山駅前の土地が約200億円強、その他の土地・建物などが約100億円、そして林原健と靖の私財提供分の数10億円を加えると、ほぼ銀行借入のすべてがこれらによって肩代わりできることになった。結果として総額約1400億円の負債に対し、約1300億円の弁済原資を確保。弁済率は約93%と更生法下では異例の高水準、更生法適用から約12ヶ月でのスピード終結となった。
破綻の原因と破綻後の地域への影響[編集]
林原の前専務であった林原靖の著書によると、林原の破綻の原因として一般に流布された内容は更正法の早期終結のためのストーリー的な意味が大きかったという。すなわち「管財人側はあくまで〝戦略〟として誇大宣伝をし、公平・中立な立場ではなく、単なる〝作戦〟として情報を流していた」が、マスコミ各社は「巨額な損害賠償請求、形だけの第三者委員会の諮問内容などを、そのまま事実のごとくセンセーショナルに報道していた」という。また旧経営陣もスポンサーへの高値売却を目的として、不愉快ながらもそのストーリーに乗っていたという。それは「経営者は違法まみれの極悪人だが、会社は殊の外すばらしかった。銀行は完全な被害者で、経営者を丸裸にしておっぽり出してしまえば、残るのはすばらしい会社のみ。巨額を投資しても借金ゼロで、新経営者は驚異的手腕だと高い評価が受けられる……(中略)この三文芝居を理想的な結末までもっていくには、どうしたってわれわれ旧経営陣は一時的に「悪役」を演じきるしかない。しかし、この汚れ役は(旧経営陣にとって)、まことにきびしいものであった。」という内容である。
粉飾決算に先立つ破綻の原因として、研究投資が、専ら借入金やそれに伴う金利の発生の原因であったと述べている。また研究投資は「マスコミや世間が〝モデル・ストーリー〟としての基礎研究をいかに称賛したとしても、株式非公開・銀行借り入れ中心の経営下では、あまりにリスクの高い仕事であった」としている。
その他の原因として、破綻を直接招いたキーとしてメインの中国銀行と、サブの住友信託銀行の一連の対応をあげている[79]
メインバンクの中国銀行は住友信託銀行の岡山支店長に呼び出されたときから、あるいは西村あさひ法律事務所を巻き込んだときから、実現性も少ないADRの掛け違いをし、民事再生の可能性を閉ざし、また債権者のとりまとめに関してもリーダーシップをほとんど発揮できず、結果的に破綻劇の幕を開けてしまったという。また住友信託銀行の対応は、ADR会合で他行が口を揃えて糾弾したとおり、場当たり的でかつ感情的とも思える強引なものであり、現状のサブ・バンクでありながら、土壇場になると他行を尻目に詐害行為におよび、また他行から集中攻撃を受けても〝出口論〟を変えようせず、さらに中国銀行との間で、いったんはADRでいくことを了解しながら、実際はそれを反故にするような行動を行い、結果的に私的整理の可能性を自ら閉ざしてしまったという。
林原靖は同じく著書で、破綻後の影響として、「岡山駅前の広大な土地も県外資本に安く売却されてしまい、海外から岡山をめざした多くの訪問者も消え、技能の伝承と、正社員採用にこだわった独自の創造的な雇用機会も失われた。地域の権益と発進力を守ってきたさまざまな防波堤が、あっという間に壊されてしまったのだ。結局、大山鳴動してネズミ一匹、大騒ぎをした割に得るものは何もなかった」と結んでいる。
株主構成[編集]
·         長瀬産業 100%
201223日減増資
関連事業[編集]
林原はメセナ事業の一環として、林原共済会を通して福祉・文化活動を行っている。また林原美術館、林原自然科学博物館の運営を行っている。
·         社団法人林原共済会(岡山市北区)
·         林原自然科学博物館(岡山市北区)
·         財団法人林原美術館(岡山市北区)
·         林原類人猿研究センター(岡山県玉野市 - 平成253月末で閉鎖[83]
かつてのグループ会社[編集]
2012年の林原グループ合併時点のグループ会社
·         中核事業法人
·         株式会社林原生物化学研究所(岡山市北区:食品・医薬品原料の研究開発及び感光色素の研究・合成)- 201221日付けで林原に吸収合併。
·         株式会社林原商事(岡山市北区:各種食品原料の販売) - 201221日付けで林原に吸収合併。
·         太陽殖産株式会社(岡山市北区:グループの不動産管理)
·         海外事業法人
·         ハヤシバラ インターナショナル(アメリカ合衆国コロラド州デンバー
林原グループ合併以前のグループ会社
·         株式会社昭和倉庫(岡山市北区)
·         株式会社HBライフサイエンス(岡山市北区)
2011621日にハーバー研究所の完全子会社となった[84]
·         株式会社京都センチュリーホテル(京都市下京区
2011725日に同社株式の99.72%京阪電気鉄道が取得し、同社の子会社となった[85]。その後、同年1013日に株式交換により、完全子会社となった。
·         関連会社
·         ハヤシバラシティ株式会社(岡山市北区)
·         株式会社アメニティ ルネサンス(岡山市北区) - 林原グループの事業所の清掃・緑化業務、林原モータープールと林原自然科学博物館の管理運営を行っていた。2011年末で事業停止し、事業は売却された。
·         株式を上場していたグループ会社
·         岡山製紙株式会社(岡山市南区)- 加工紙メーカー中堅。林原グループの事業集約化の一環で王子製紙に売却、同社の関連会社として再出発。
·         三星食品株式会社(兵庫県相生市)飴菓子メーカー。同じく事業集約化の対象企業となったため、上記企業より先にキャドバリー・シュウェップス当時)に売却。なお、これに合わせ販売部門も菓子部門(キャドバリー)の日本法人であるキャドバリー・ジャパン(現・日本クラフトフーズ)に事業移管している。なお同2社の売却は会社更生法の適用以前であり、同法とは関係がない。
テレビCM[編集]
スポンサー番組[編集]
過去[編集]
·         勉強してきましたクイズガリベン!(テレビ朝日系)
·         知っとこ!(毎日放送制作・TBS系)
·         チュー'sDAYコミックス 侍チュート!(毎日放送制作・TBS系)
·         JNN報道特集TBS系全国ネット)
·         イチハチ毎日放送制作・TBS系全国ネット)
·         ナニコレ珍百景テレビ朝日制作・テレビ朝日系全国ネット)
トレハ星人[編集]
20044月から、林原グループの提供番組では、トレハロースの知名度を上げるために、「トレハ星人」なる宇宙人のようなキャラクターを用いた個性的なCMが流されていた。父は赤い一つ目に長い横ヒゲ。娘2人は銀髪の長い頭と横ヒゲが特徴である。トレハロースを紹介する自社Webサイトでは、トレハロースを使用した商品を撮影して送れば、トレハ星人(父)のストラップが当選するキャンペーンを展開した。Webサイト内では、地球の男性と娘が結婚に至った経緯を紹介する紙芝居や宇宙人親子の写真集なども掲載されている。




コメント

このブログの人気の投稿

大戦秘史 リーツェンの桜 肥沼信次  舘澤貢次  2012.10.13.

昭(あき)―田中角栄と生きた女  佐藤あつ子  2012.7.14.

ヴェルサイユの女たち 愛と欲望の歴史  Alain Baraton  2013.9.26.