世界を変えた火薬の歴史  Clive Ponting  2013.8.5.

2013.8.5.  世界を変えた火薬の歴史
Gunpowder             2005

著者 クライヴ・ポンティングClive Ponting 1946年生まれ。行政職、ウェールズ大スウォンジー校准教授を経て、現在スウォンジー大の名誉研究員。著書『緑の世界史』が世界的ベストセラーに。先ごろ早期退職し、現在はギリシアの小島で暮らしながら、地中海式庭園を作りオリーブを栽培している

訳者 伊藤綺(あや) 翻訳家

発行日           2013.4.30. 初版第1刷発行
発行所           原書房

火薬は今から1000年以上前に中国で発明された。
1214世紀の中国では、地雷、ロケット、銃砲などあらゆる型の火薬兵器を開発し尽くしていたという
400年にわたり中国は火薬の製法を門外不出としていたが、宋の時代に敵の女真族とモンゴルに漏れ伝わった
その後イスラム帝国の勃興と、ヨーロッパの支配拡大は歴史に見る通りである
錬丹術(⇒イスラム世界では錬金術となる)師が不老長寿の霊薬を調合する過程で、偶然作られたのであろう小さな火の薬が、皮肉にも破壊兵器となり、戦争のやり方そのものを変えてしまった
世界の転換点に少なからぬ影響を与えてきた火薬の歴史に迫る

プロローグ 1605115日 火薬陰謀事件
ジェームズ国王が開会宣言の日に議事堂を爆破するとの密告があり、爆弾が発見 ⇒ 前年にカトリシズムが「迷信」とされ、弾圧したのが原因。関係者は直ぐに処刑されたが、この事件は火薬の歴史において最大級のエピソード
フランシス・ベーコンは、この頃存命、印刷術、火薬、航海用磁針こそ最大の発明としたが、既に700年前に中国で発明されていたことを知らなかった
火薬は中国の錬丹術師が不老不死の霊薬を求める段階で偶然発見されたことが、20世紀半ばになってようやく認められた
火薬は直ちに軍部に徴用され、各種兵器が開発されたが、ほぼ500年にわたって門外不出。その後イスラムからヨーロッパ西方へと伝わり、社会全体を変容させ、19世紀末から20世紀初頭にかけてダイナマイトやTNTのような遙かに破壊的な高性能爆薬が登場したことで終わりを告げる

第1章        火の薬
火薬の起源は、「儒教」と同じくらい中国で影響力を持つ他の思想の中に見つけられる
「道教」がそれで、紀元前300年頃の老子まで遡る ⇒ 自然とその営みについて瞑想、現実的かつ実際的で、知識は理論ではなく、経験と観察に基づくものとした。精神と物質は分離できないもので、万物は精神と物質からなる有機的統一体だと考える。不老不死とは魂の不滅ではなく、道徳ではなく修練を通じて、自然の変化の周期を支配し調整することによって達成することが可能とされた。様々な霊薬を調合することによって不老不死が達成できると考えられ、危険な金属化合物の混合体が試された。その過程で、全く偶然に、木炭と硫黄、硝石の混合物から人類初の爆発物を発見


第2章        火薬の誕生
紀元800年頃に「火の薬」が発見された時、中国には世界の人口の1/4に相当する65百万人が住み、世界の4大都市のうち3つが中国にあり、紀元前500年頃から鋳鉄を作り、紀元100年頃には紙、その600年後には印刷術、紀元500年頃には鉄鎖の吊り橋もあり、磁気羅針儀も発明、西欧の産業革命の数百年前に中国はその段階に達していた
「火の薬」が火薬に変わり、世界初の火薬兵器が開発された ⇒ 戦争の本質を変える
「ギリシア火」 ⇒ 7世紀、コンスタンティノープルをイスラム軍から守るために使用された兵器で、船に搭載し、可燃性混合物に圧力をかけてホースから噴出させた
1000年頃には、中国では火薬を使用するあらゆる種類の兵器が開発されていたが、同時に花火の製造においても熟達した技術を誇っていた

第3章        発火装置と爆弾
火薬兵器の発明は以下の5段階を経て改良された
   投射物の混合物に加えられ発火装置として機能
   火薬そのものを火炎放射器の主成分として使用
   火薬を詰めた容器を破裂させる兵器として、爆弾が作られた
   容器の一端を密閉して爆発力を後方に向かわせることにより、ロケットを考案
   爆発物を入れる素材を創り出し、投射物を前方に飛ばす ⇒ 大砲や手銃を考案
火薬兵器を最大限活用して攻勢を仕掛けたのはモンゴル軍 ⇒ 1314世紀半ばまで中国全土を支配

第4章        ロケットと砲
11501350年の間にロケットが開発された ⇒ 長弓や弩から発射する火箭の発展形で火薬を先端に仕込んだ焼夷矢か、花火の爆竹の発展形
次に開発したのが「砲」 ⇒ 遠くに飛ばすために相当の圧力をかけなければならず、そのための火薬の爆発に耐えられる素材で砲身を作る必要があった。そこで役立ったのが2000年も前からあった鋳鉄製造の技術

第5章        西方へ伝播した中国の発明
中国は火薬とその重要成分の硝石の輸出を禁じ、国内の取引も規制して、兵器が国外に知られないようにする
女真族が開封を攻略したことで、火薬に関する知識が初めて国外に流出
さらに、女真族がモンゴルに攻略され、火薬兵器に関する知識も広がる
中国から西方に伝播したのはその50年後
モンゴル帝国による西ヨーロッパ侵略を通じて、火薬の知識が初めて西洋にもたらされる
125256年カラコルムでの伝道活動を通じて、中国の科学技術の多くが学習された
伝道師のルブルクはパリに戻ると、仲間のフランシスコ会士ロジャー・ベーコンと会い、ベーコンはその知識を著書で言及
中国から最初に軍事兵器が伝わったのはイスラム ⇒ モンゴルにより征服され多くのムスリムが連れ去られ、彼等がモンゴルで習い覚えた

第6章        火薬とイスラム帝国
イスラム世界では、1240年頃に硝石に関する記述がみられる ⇒ 硝石のことを「中国の雪」と呼んでいたが、火薬の製法を知るのはもう少し後
火薬兵器の技術を吸収したことで、オスマン帝国とムガル帝国の2大「火薬帝国」が何世紀にもわたってそれぞれの地域の歴史を支配
1453年にビザンツ帝国を撃破したのは、オスマンの大砲
ムガール帝国の崩壊を通じてイギリス軍は火薬兵器の威力を知り、自らも活用するようになる ⇒ 181214年の先住民の居住地の帰属を巡る北米植民地戦争では、ロケットで重装備したイギリス軍がアメリカ軍を撃破、ワシントンまで進軍して議事堂や大統領官邸に放火(官邸は、焦げ跡を隠すために再塗装されてホワイトハウスと名付けられた)

第7章        ヨーロッパに伝わった火薬
1300年のヨーロッパは、広大なユーラシア大陸の中で最も遅れた地域で、交易のほとんどは国境を接する優勢なイスラム文明との第1次生産物の取引で、それが知識を得る源でもあった ⇒ 火薬の知識の伝播も同様のルートを辿る
1260年代にベーコンが中国の爆竹について知るが、中身についての知識はなく、初めて火薬を扱った書は1300頃で、硝石についての記述がみられる
14世紀の中頃から火薬を使った兵器の使用が見られる ⇒ 英仏の100年戦争(13371453)でも早い段階から使用されたが、まだ添え物の域を出ず、効果は限られていた
手銃が開発されたのは1418年 ⇒ 攻撃よりも、城壁の防御に使用
ヨーロッパで最も早く火薬兵器が使用されたのは海上 ⇒ 次第に一般化した海戦で1330年代末から砲の使用が見られるが、小型で対人兵器に留まった

第8章        火薬の製造
ヨーロッパの気候が火薬の製造と使用を難しくしている理由 ⇒ 低温だと硝石が土壌に大量に生成されないことと、大気の湿度が高く硝石が水分を吸収して使い物にならなくなるため
ニュルンベルクに最初の人口の作硝丘が1378年に操業を開始したが、効率も悪く品質も改善しなかった
ヨーロッパ各国では、硝石の確保が国の専権事項とされ、硝石と火薬の供給に多大の時間と労力を費やした ⇒ 戦争での勝利と国家の存亡がかかっていた
アメリカが、イギリスからの独立戦争で勝てたのも、フランス、オランダからの火薬の補給があったから
「黒色火薬」の製造法の発見 ⇒ 少量の水を加えて、所定の大きさの顆粒を作り乾燥させることにより、長持ちすると同時に爆発力が増した
粒状の火薬が、ヨーロッパの冶金技術の進歩と相俟って、初めて効果的な手持ち型火薬兵器の開発を可能にした

第9章        新たな火薬兵器
新型兵器の第1号は1420年代末期にブルゴーニュで作られた ⇒ 青銅製のカルヴァリン砲。全長1.2m、口径75㎜。1440年代にフランス軍によって大規模使用が始まる
新型火砲は、主として城攻めの使用に限定されており、完全移動式の攻城砲もブルゴーニュで開発され、何日何か月もかかっていた城の包囲戦は数日で決着がつくようになった
ついで、「粒状」火薬を使用し、小さな鉄の弾丸を高速で発射する、鋳鉄製の長砲身兵器が開発された

第10章     火薬はいかにして近代ヨーロッパをつくったか
15世紀まで、ヨーロッパの戦争は比較的簡単明瞭で小規模、軍隊も数千人程度で、武器の製造も大きな負担にはならなかった
火薬兵器の出現によって、大量の硝石を集めるためのインフラが国家内に多数作られることになったほか、火薬兵器自体にもそれを上回る財源の投資が必要
850年から4世紀にわたり、中国が火薬兵器を開発する原動力となったのは、この地域で戦争がほぼ絶え間なく思っていたこと ⇒ 宋の末期から明確立までの間
ヨーロッパの場合は、それが15世紀からの400年 ⇒ 歩兵兵器の増大する威力がヨーロッパの軍隊に甚大な影響を及ぼす。規模が急拡大し、経費がけた違いに増大

第11章     火薬兵器がヨーロッパへ与えた影響 ミルトンとスウィフト
新しい爆発物が西洋文明の進歩の一部だという者さえいた ⇒ 古代ギリシア・ローマにはなかった兵器だったから。以前より遙かに破壊的兵器だったことから、火薬は悪魔が創造したに違いないというのが主流の見方
ミルトンは、こうした火薬兵器が将来人類にどんな影響を及ぼすか思索
スウィフトも、火薬とその影響を大いに効果的に用いた ⇒ 同時代の身分の高い人々の政治に対する猛攻撃の中で、火薬がその痛烈な風刺小説の中心を占めていた(ガリヴァー旅行記)

第12章     アメリカ大陸とアフリカにおける火薬
ヨーロッパ人が新大陸を征服していく過程で、火薬が大きな力を発揮したことは論を待たない

第13章     東洋の新たな火薬兵器
16世紀にヨーロッパ人が東南アジアに進出してみると、この地域の国々は既に火薬兵器を熟知していた ⇒ オスマン帝国からもたらされた。日本でも同様

第14章     火薬の平和的利用
火薬は発明されて間もなく中国では花火に使用、ヨーロッパでも15世紀から大規模に花火に利用され、すぐに王室の行事(1486年イギリス・ヘンリー7世の結婚式に初めて使われた)や、宗教的祭に欠かせないものとなった
多くの点で花火の基本技術は過去1000年ほとんど変化していない ⇒ 変わったのは、より多くの色彩が使われるようになったことと、複雑な打ち上げが出来るように主配線盤から電気で着火するようになったことくらい
火薬のもう一つの平和的な利用に発破があるが、利用は限定的 ⇒ 鉱物の採掘には火力採掘のようなより安全な方法があったし、土木工事に関しても危険が大きすぎて敬遠
火薬は人間社会に不足していた動力を補うための人工的な動力源として有効だったが、蒸気動力の発明によって代替された

エピローグ 異色火薬時代の終焉
火薬の特性は9-10世紀に中国で発明された頃からほとんど不変であり、錬丹術師も自ら作りだした霊薬の危険性を知っており、火薬はその歴史を通じて極めて危険な物質であり続けた ⇒ 初期のヨーロッパの国々が火薬産業を規制しなかったのも、そんな複雑・危険な任務を引き受けるだけの行政基盤を持たなかったから
火薬技術における最初の重要な変化は、1820年代にチリで硝酸ナトリウムの広大な鉱床が発見されたこと ⇒ 安価だが湿気を吸収しやすい硝酸ナトリウムを改良して工業用に利用したのがデュポン
火薬に変わる爆発物として、ヨーロッパの化学工業の進歩によって1847年発見されたのがニトログリセリン ⇒ アルフレッド・ノーベルによって1860年代に比較的安全で扱いやすい爆発物に変えられた。珪藻土を混ぜて安定化させ、1867年ダイナマイトとして特許を取る
ダイナマイトは、大規模修繕土木事業を飛躍的に進化させたが、兵器製造にはまだ不安定過ぎた ⇒ 綿から得たセルロースにニトロを染み込ませた綿火薬(ニトロセルロース)をベースにした物質が軍用爆発物として開発
火薬時代の終焉 ⇒ 猟銃やモデルガンといった特殊用途に限定されつつあるのは、高性能爆薬や、石油ベース燃料などの使われる化学薬品と、冶金技術の進歩により、火薬より遙かに強力な兵器が開発されたから

訳者あとがき
火薬こそが中世以降の世界を形作ったことがはっきり見て取れる。もし火薬が錬丹術師らによって発見されていなかったら、世界の歴史は全く違ったものになったかもしれない。自然界から入手可能な僅か3成分――木炭、硫黄、硝石――からなる火薬という物質が持つ、恐ろしいまでの力に慄然とする



世界を変えた火薬の歴史 クライヴ・ポンティング著 国家の盛衰を左右した兵器  
日本経済新聞朝刊2013年6月30
 火薬の発明は、羅針盤、印刷術と同様に、ルネサンスの3大発明である。これは、我々の揺るぎない世界史的常識であった。
(伊藤綺訳、原書房・2800円 ※書籍の価格は税抜きで表記しています)
(伊藤綺訳、原書房・2800円 ※書籍の価格は税抜きで表記しています)
 ところが、ほんの50年ほど前にこれに対する反証が挙げられた。
 火薬の発明は、本書によれば、科学技術の先端を突っ走るヨーロッパでなくて、なんと9世紀初頭の中国。しかも、不老不死の霊薬を求めた道教の錬丹術師が偶然発見(発明)したのである。古代中国の時代から医薬品だった木炭、硫黄、そして硝石の混合物が「火の薬」と判明したのだ。今日の黒色火薬である。これが最初に詳述されたのは、『武経総要(ぶけいそうよう)』(1040年)であった。火薬は直ちに軍事機密とされ、その後1214世紀の中国では、例えば、火炎放射器の「火槍(かそう)」、最初の爆弾の「震天雷(しんてんらい)」、軽量爆弾の「群蜂砲」、なんとも奇妙な名称の火薬兵器が作られた。
 ところが13世紀、モンゴルの波状的な西方への軍事遠征に火薬が使われた。制圧されたイスラム世界で硝石は「中国の雪」、ロケットは「中国の矢」と呼ばれた。
 その後、火薬兵器を装備したイスラム勢に対峙したヨーロッパ勢は前代未聞の艱難辛苦を嘗めさせられた。14世紀のイタリアの桂冠詩人ペトラルカが火薬兵器を「地獄から送られてきた道具」と嘆息したのも宜(むべ)なるかなであった。おしなべて低温のヨーロッパにおいて、火薬の製造は難しく、硝石の生成も、また腐敗した有機物の結晶化以外に方法がなく、悪臭と闘わねばならなかった。
 それにしても、火薬や火薬兵器が戦争を根本的に変えただけではなく、新たな国家や帝国の樹立に貢献した。ちなみに、1500年時点でヨーロッパには500を越える小規模の国家群が右顧左眄しながら混在したが、その後4世紀の間に、約25に減ってしまった。果てしない戦争で国家が生き延びるための、大型化した火器兵器を大規模に投入できない場合は消滅せざるを得なかったからだ。
 本書は、火薬と火薬兵器を媒体とするユニークな世界史であるが、平和的と思われている発明品もその軍事可能性をすぐさま見抜かれてしまう、という陥穽を指摘している。
(法政大学名誉教授 川成洋)



コメント

このブログの人気の投稿

昭(あき)―田中角栄と生きた女  佐藤あつ子  2012.7.14.

大戦秘史 リーツェンの桜 肥沼信次  舘澤貢次  2012.10.13.

ヴェルサイユの女たち 愛と欲望の歴史  Alain Baraton  2013.9.26.