漢文スタイル  斎藤希史  2013.8.28.

2013.8.28. 漢文スタイル

著者 斎藤希史 1963年生。京大大学院文学研究科博士課程中退。京大人文科学研究所助手、奈良女子大文学部助教授、国文学研究資料館文献資料部助教授を経て、現在東大大学院総合文化研究科准教授

発行日           2010.4.7. 初版
発行所           羽鳥書店

東大出版会の『UP』誌上に連載している「漢文ノート」の3年分12回を芯にして、一般向けの文章を集めたもの

I 詩想の力
1.   隠者の読書、あるいは田園の宇宙
「晴耕雨読」から浮かぶイメージは、悠々自適に繋がるが、漢籍には見当たらない
類語に「昼耕夜読」があるが、こちらは「昼耕夜誦」とも言って出典がある ⇒ 「読」も「誦」も声に出して読むこと
雨の日に読書するということは有名な出典がある ⇒ 「読書百遍」の出典と同じ
中国の伝統社会で「書を読む」と言えば、まず経書を読むこと
隠者の読書はしばしば弾琴と並べられ、隠者に必ずあるべき行為として考えられた
隠者の伝統に革命的な変化を与えたのが、六朝時代の陶淵明(365427) ⇒ 『帰去来の辞』や『飲酒』、『山海経を読む』で読む本はリアリティを持ったもので、読書によって喜怒哀楽を激しくしている
「帰りなんいざ、田園将(まさ)に蕪()れなんとす」(帰去来の辞)
陶淵明の作り上げた世界への共感は、600年余りのちに新たな文学を生む ⇒ 蘇軾(そしょく、蘇東坡:10361101)の『和陶詩』(陶淵明に唱和する詩)。北宋を代表する文人、唐宋八大家に数えられる文豪だが、流謫(りゅうたく)と復権を繰り返す
「晴耕雨読」が隠者の読書だとすれば、どんな本を読むのか ⇒ 漫然と別天地にいざなう優雅な本では決してなく、実は勤勉な読書よりも人生を左右しかねない、安逸と自足からは最も遠い本かもしれない

2.   自然を楽しむ詩
漢詩の中でも自然描写に特徴の見られる詩を、後漢から北宋までに見る
曹操(155220)『碣石篇』の第1章「観滄海」
王維(70161)『山居秋瞑』
白居易(772846)『銭塘湖春行(せんとうこしゅんこう)
蘇軾『湖の上(ほとり)に飲む 初め晴れて後に雨ふる』
自然を楽しむことが生を楽しむことであること、自然を楽しむ詩を読むことで、私たちもまた自然を楽しみ生を楽しむことができる。漢詩を読む幸福の1つだ

3.   詩人の運命
(しん)とは予言。前漢末から後漢にかけて「緯」と併せて「讖緯」と呼ばれる書物が大流行、その根幹は神秘思想。後世迷信として排除されるが、道家思想とも結びついて、中国思想の根底の1つとなっている
六朝期においても讖の力は強かった
謝霊運(385433) ⇒ 「山水詩人」と呼ばれるが、美の過剰、生の横溢が悲劇を生む

4.   詩讖(ししん)――詩と預言
詩讖とは、詩の言葉が讖となったもの ⇒ 古典における詩讖を見ながら言葉の持つ力について考える
経書が経(たていと)の書であるのに対し、緯(よこいと)の書が讖緯 ⇒ 予言とその解釈のための書物
史書の『五行志』にも「詩妖」という項目がある ⇒ 「五事」(貌、言、視、聴、思)の内「言」の災いとして挙げられ、民間の流行り歌や童謡のうち、政変を予言したと見做されるものを列挙。詩讖との違いは読み手に名があるか否か、その歌が雅か俗かの差

5.   天上の庭――「玄圃」
文明の中心に据えられた建築と庭園も、文明のいわば象徴として古典にも匹敵する意味を持つ ⇒ 人々の思考や感覚に、ある枠組みを与え続けるという点でも建築や庭園が古典たりうるし、古典からの引用によって命名されていることからも古典の一部と見做せる
「玄圃」 ⇒ 皇太子の庭園として西晋期(265316)に作られたが、名前の起源は周の穆王の旅行記とされる『穆天子伝』で、天井の楽園を模して作られたのだろうが、いずれも灰燼に帰したのは遙か昔

II 境域の言葉
1.   北京八景――記憶された町
芥川龍之介『支那游記』 ⇒ 1921年大阪毎日新聞海外視察員として中国へ行った時の紀行文

2.   訓読の自由
日本で読み書きされた漢詩を「国語による教養」として見直そうという試みの1
日本の漢詩・漢文に付きまとう問題として、直読と訓読という「二重性」がある ⇒ 荻生徂徠が漢文を「中華の言語」(他者の言語)として規定した結果、自他の境界が言葉の中に見出され、2項対立的に捉えられるようになってしまったが、本来直読は詩の音声を担い、訓読は詩の意味を担うという相互補完的なもの
訓読が訳読なら、読み下しは何通りもあり得るはずだが、訓読にも音声的優位性を認めるために少なくとも教室では統一が必要
「忠ナラント欲スレバ孝ナラズ」も、明治初期は「忠ヲ欲スレバ孝ナラズ」が結構あった
東アジアの多言語世界では、漢字もそれぞれに読み方が違うところから、読み下しを強制するのは如何なものか ⇒ 訓読も「二重性」も日本だけに存在する問題ではない

3.   来たるべき国語
『易』に、「書は言を尽くさず、言は意を尽くさず」
近代日本における国語の確立が、漢字仮名交じり文語体の明治普通文を核として行われたことは、特に書き言葉の面においては明白。明治普通文が漢文的要素を大量に消費し、通俗化し、さらに否定していくことで、いまに至る国語へと変貌していく
現代の国語は、規範たりうる文体()を生み出したのだろうか ⇒ 成熟した型を生み出さないまま、それを生み出した初発のエネルギーを失なってしまったかのように見える

4.   思惟する主体
明治初期、思想の担い手たちは、いわゆる漢学の素養を蓄えた人々で、彼等が思惟し行動する主体として自らを立ち上げていくときに、漢詩文の読み書きがどのような作用を致したか。漢文脈の読み書きによって形成される主体とは何か。近代的個人なるものとそれはどのように異なっているのか重なっているのか

5.   旅人の自画像
海外に渡った旅人の視線をそれぞれの旅行記に辿ってみると、それが近代日本の自意識として次第に形成されてきたものであったことが見えてくる

III 漢文ノート
1.   下宿の娘
下宿の娘と地方から出てきた青年の恋は定番だが、その元を辿れば、下宿の娘は仙女であり、不思議な力を持ち、誘惑し、生命を奪う

2.   詩のレッスン
古に模擬して詩を作ることは、作詩の伝統
近世日本の人々にとって、漢詩を読んだり作ったりすることは、日常に埋没しがちな感覚を拡張していくためのレッスンでもあった

3.   恋する皇帝
806年 白居易『長恨歌』 ⇒ 漢皇重色思傾国

4.   緑陰読書
「緑陰」も「読書」も古くからある漢語だが、「緑陰読書」となると唐宋以前の古典詩文にはないが、「冬夜読書」は古くからあり、繙くべきは経世の書
夏休みの読書を緑陰読書と称するのは、些かでも世事を離れた愉悦の空間を確保せんとしてのこと

5.   風立ちぬ

6.   黄色い鶴
長江の中流、今の武漢辺りに黄鶴楼という地名がある ⇒ 仙人が黄色い鶴に乗って飛び去ったところ

7.   花に嘯(うそぶ)
「うそぶく」とは、ウソをふくとも言って、口をすぼめてヒューッと息を吐く、口笛を吹くの意。ウソという鳥の名も、その鳴き声が口笛のようであることに由来し、虚言という意味のうそも、「口をすぼめて発する作為的な偽り声」から生まれたもの
本来うそは、「真面目らしくない作り声」で虚言とは違い、虚言の意味になったのは東国方言に始まる。関東人はお人好しでソラゴトを知らなかったか、もしくは頭が緻密でなくて二者の区別を感じなかったのか、「偽り」もうそといった。嘘は端から嘘と分かるから嘘なのであって、それを真面目に受けとめて嘘だと騒ぐのは関東の野暮ということらしい
「うそぶく」は詩歌を吟じるという意味でも用いられるので、「花に嘯く」と言えば、花を賞でつつ吟詠するということ

8.   不如帰
徳富蘆花が『不如帰』を「ふじょき」と読ませたかったことは蘆花研究では常識
ホトトギスを漢字で書けば、子規や時鳥、漢詩では杜鵑、万葉集では霍(かく)公、霍公鳥。霍公は後に郭公が普通となった(「目には青葉山ほととぎす初鰹」では「郭公」が平安朝以来の伝統的な表記)
夏を告げる鳥として好んで歌われた
子規が89年の喀血を機に子規と号したのは、和歌ではなく漢詩文の世界で、血を吐いて鳴くホトトギスをイメージ
蘆花が「ふじょき」と読み直そうとした理由 ⇒ ホトトギスという和名もホトトギ()と鳴く鳥に由来、漢語としても不如帰は声であって名ではない。和歌の相聞と漢詩の悲愁と近代の病が組み合わさって、ホトトギスの新しいイメージが「不如帰」という語によって作られた

9.   窈窕(ようちょう)たる淑女
出典は『詩経』⇒ たおやか、しとやか、ものしずかと訳されるが、妖艶との意もある
山水などの幽遠な様にも使われる ⇒ 谷の奥深さを「窈窕」、山の険しさを「崎嶇」で表す

10.    日下の唱和
江戸末期、漢詩文を事とする学者たちは、長崎に向かい、オランダ人からは外部の情報を得ようとし、清国人との接触では世界の共有を求めた
1818年 頼山陽も長崎で清国の著名な学者と交流、詩を唱和し合った
「日下」とは都の意

11.    天朗気清
出典は王羲之『蘭亭序』⇒ 1つの集いの場を言祝ぐものとして、得難い機会を示すものの1つの要素として天候の良さが描写されたもの、その場を包むうるわしい「かぜ」と「ひかり」を表す常套表現で、互文であるところから順序を入れ替えて「天気朗清」「天気清朗」「天気晴朗」と使われた(「天長地久」→「天地長久」と同様)

12.    赤壁の月
蘇軾『赤壁賦』⇒ 赤壁に上った月をよすがに900年前の英雄に想いを馳せた。賦は人口に膾炙し、月を見れば赤壁を思うまでになった
樋口夏子(一葉)が中島歌子の歌塾萩の舎に入門したのは15歳の時。姉弟子の前で『赤壁賦』を口にして生意気と思われた
赤壁は、曹操が劉備と戦った古戦場



朝日 201308190018
「天声人語」
 職場から出て日陰に入り、東京湾からの海風に吹かれると、心なしか多少過ごしやすくなったと感じる。空が高く、雲の表情も以前と違うように思える。ベンチに腰掛け、本でも読もうかという気になった「緑陰読書」という言葉がある。夏休みの読書をそう称することが多い。中国文学者、斎藤希史(まれし)さんの『漢文スタイル』によると、それほど古い言葉ではない。日本では、江戸後期の頼山陽(らいさんよう)の漢詩にその典拠らしき句が見られるという詩人の雅(みやび)な境地にはほど遠いが、「積(つ)ん読(どく)」にしていた本を樹下で開く。脳研究者で東大准教授の池谷裕二(いけがやゆうじ)さんと、作家の中村うさぎさんによる『脳はこんなに悩ましい』。驚くような脳の不思議を縦横に語り合い、巻(かん)をおくことができない最新の知見が次々と繰り出される。例えば笑い。楽しいから笑うのだと普通は思う。実は笑うから楽しくなるのだという。からだの動きに脳がついていく。そんな仕組みにできている。池谷さんの説明を裏付ける専門文献が257も掲げてあるかなり深刻な話もある。脳の中も人間社会も、世界は冷徹な不平等の法則に貫かれている。出版界でいえば、一握りのベストセラーと、大多数の売れない本にわかれるように。また、人の自由な意志などというものは存在しない。幻想だ、と常識破りの連続に目が回るようだ。その先が知りたいが、ひとまず力尽きた。そういえば斎藤さんが書いていた。木陰の読書に疲れたら「まずは冷たいビール、だな」


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