美術品はなぜ盗まれるのか  Sandy Nairne  2013.4.10.


2013.4.10.  美術品はなぜ盗まれるのか ターナーをとり戻した学芸
員の静かなる闘い

著者    サンディ・ネアンSandy Nairne 1953年生まれ。オックスフォード近代美術館及びテート・ギャラリーに勤務。先進的な現代美術展で知られるロンドンの現代美術研究所ICAや英国アート・カウンシルの展覧会企画を手掛ける。テートの展覧会及びプログラムの責任者を務めていた。94年にターナー盗難事件が起こり、以後8年半にわたりその解決に尽力。02年よりナショナル・ポートレート・ギャラリー館長

訳者 中山ゆかり 翻訳家。慶大法卒。英国イースト・アングリア大で美術・建築史学科大学院ディプロマ取得

発行日           2013.2.5. 印刷                2.25. 発行
発行所           白水社

1994.7.30. ガーディアン紙 ⇒ テート・ギャラリー所蔵のターナーの絵画2点が、貸し出し中のフランクフルトのシルン美術館から強奪。保険金はそれぞれ12百万ポンド。国際的捜査が開始され保険損害査定人Loss Adjusterは情報提供に対し数十万ポンドの懸賞金を出す
盗難品は、ターナーの後期作として高く評価される、作品番号531《影と闇》と同532《光と色彩》
美術品窃盗は大きなビジネスになっている ⇒ 美術品や古代遺物の盗品の国際市場は50億ドルとも言われる
美術品の盗難の場合、真にプロの仕事かどうかを決めるのは、盗んだ作品を処分できるかどうかの能力にある
まず美術館に連絡があったのは、2枚の絵の警備をしているという男からの電話で、手数料を要求 ⇒ 結局単なる便乗詐欺師の犯行で、囮を使って逮捕したが、微罪で処理され、8か月の交流の後釈放され、1年後の逮捕の記念日に脅迫の電話で脅された
BBCが美術品盗難操作のドキュメンタリーを企画して割り込んできて、囮による逮捕劇を収録していた
捜査は警察と保険損害査定人のチームで進められる ⇒ 警察は犯人逮捕が第1だが保険損害査定人は盗品の奪還が優先。損害査定人は25万ポンドの懸賞金をかける
美術館の評議員会が作品貸与の削減を検討したが、削減は美術館にとって自滅行為 ⇒ 野心的な展覧会を企画すれば必然的に他の公的コレクションからの寛大な作品借用に依存せざるを得ない
美術館に残された指紋から、1年後に常習犯グループとその故売屋が逮捕され、実行犯と目された男は11年の禁固刑になったが、美術品の在処とは結びつかなかった
損害査定人へのコンタクト ⇒ 向こう5年にわたって来たもののうち、犯罪者グループからの懸賞金目当てのものが大半、いずれも前金を必要とするというもの
情報選別の唯一の方法は、生存証明Proof of Life”を得ること
保険会社に対する恐喝未遂事件もあって、犯人が逮捕されたが、犯人は絵にアクセスする方法すら知らなかった
95年 保険会社から保険金全額が支払われたが、テートにとっての喫緊の課題だったのはターナーを取り戻すことより、テートの現代美術館「テート・モダン」の誕生と現在のテートのリニューアルで総額130百万ポンドのプロジェクトであり、そのための資金捻出として保険金に目が付けられた ⇒ 保険金支払いで一旦保険会社に移った絵の所有権が現物が発見されないまま買い戻されたケースは皆無であり、絵が戻ってこない場合や戻ってきても破損している場合のリスクをどうディスカウントするかも難問だったが、98年に既に損失処理を終えていた保険引受人団と8百万ポンドで買戻しに合意、差額を喫緊のプロジェクトに流用したが、買戻しによって絵の追跡は保険会社から美術館の責任に移る
保険引受人は、「自分たちが間違っていることは分かっていたが、政府がテートを助けるよう支援することは正しかったし、美術館のために14百万ポンドの金が残ったことに満足している」と語る(24-8=16百万ポンドのはず)
ドイツ連邦刑事局は捜査を終了したが、フランクフルト検察局は、政治的配慮から行動を継続 ⇒ 刑務所から1日外出を許された軽犯罪者からドイツの弁護士経由でもたらされた情報の信憑性が最も高かった
99.7. テートによる独自捜索スタート、独自に同額の懸賞金を設定
ドイツの弁護士は、絵を取り戻すための情報提供料として10百万マルクを要求、1百万マルクを支払ったところでポラロイド写真が提供され、現物が状態よく保存されているとの確信を持つ
00.7. 1点ごとに返還が決まりまず《影と闇》を残額4百万マルクで取り戻すことに合意したが、持ち主が気紛れで、ほとんど諦めかけていたときに弁護士から連絡があって、支払いよりも先に現物が弁護士の元に届けられ、取戻しに成功
保存修復士が何年も前にテートで撮影した参照用のモノクロ写真と比較参照して贋作でないことを確認
引き続き第2作の奪還の手配がなされたが、動き始めたのは013月。1年後に交渉再開、ユーロで5百万マルクと同額の2.56百万ユーロを用意
02.12. 《光と色彩》も無事に良好な保存状態で戻る ⇒ 03.1. 2点が一般公開
記者会見では、取戻しにかかった総費用を3.5百万ポンドと公表

Ø  美術館の倫理観
英国では、1990年代に上院議員のノーラン卿が、「公的生活の倫理基準の原則」という議員の行為規範を確立 ⇒ 基準となるのは、「無私性」「廉潔性」「客観性」「説明責任」「公開性」「誠実性」及び「率先性」であり、これらの諸基準は特に優れた「率先性」によって促進されるべきとされる
全ての公共機関はこの原則を順守することによって国民の信頼を生むことが期待される
美術館の管理運営も同じ基準に基づく「信頼」の問題であり、そこには価値の高い美術品を所蔵する館への問いかけ、さらにまたその作品を国際間で貸し借りする際に生じる問いかけも含まれる ⇒ 作品を奪還するための金銭的な支払いに関する倫理的な問題もその一環であり、明確な説明責任が問われる
テートの運営管理に対する潜在的な信頼の不足から、失われた絵画が正しい方法で追跡されたかどうかという疑問が、最終的に残った保険金の利用の仕方への疑念と共に付きまとう ⇒ 後者については、美術館の業務全般に供されるという法的回答が出された
Ø  略奪品の返還問題
02.12. 欧米18の美術館の館長による共同声明『普遍的美術館の重要性と価値に関する宣言』 ⇒ 美術館はある1つの国の市民のためだけでなく、すべての国の人々のために奉仕しなくてはならない。美術館は文化の発展における仲介者であり、その使命は文化財を解釈し直すという継続的なプロセスによって知識を育むことにある
侵略的な軍事政策の一部として、例えばナポレオンやヒトラーが行ったような略奪行為と、他国で発掘ないし得られた作品を法的に取得することとは異なるという考えもある
ただし、大英博物館のエルギン・マーブルのように、何を「法的な取得」とするかにも疑問の声はある
03.4. バグダッド国立博物館で行われた略奪は現代におけるおぞましい例 ⇒ 15千点が盗難、9千ほどしか回収されていない
アメリカでは、収蔵する古代遺物に関する経緯や正当な所有権を巡って論争に巻き込まれた美術館が幾つかある ⇒ ポール・ゲッティ美術館は05年古代遺物の盗品取引に関与したとして関係者が刑事告発を受け起訴されるとともに、07年多くの所蔵品がギリシア当局からの告発を受けて返還されたし、06年にはメトロポリタンとボストン美術館が7090年代に取得したギリシアとローマの古代遺物をイタリアに返還したのもこれらの作品が略奪され不法に輸出されたという証拠を認めた結果
Ø  テートは「身代金」を支払ったのか
裁判所の公認の下での支出であることが明らかにされて倫理的な非難は回避された
英国では、「身代金」の支払いは犯罪 ⇒ テートの払った金の性格をどう位置付けるか
Ø  美術品をめぐる価値
窃盗犯は、盗品を現金化する取引の場として独自のネットワークを使う ⇒ 他の違法な品物との物々交換としたり、担保として使用
美術品の価格が急増したことが、リスクの大きい美術品窃盗が増加した背景にある
Ø  動機から見た美術品盗難事件の歴史
1876年 トマス・ゲインズバラ()《デヴォンシャー公爵夫人》盗難事件 ⇒ 直前のオークションで高額で落札されたばかりの作品を画廊から盗む。逮捕された弟の保釈金を稼ぐ目的だったが、弟が釈放された後も現物を保持、逮捕され4年の刑期終了後、懸賞金と引き換えに画廊に絵を戻す。J.P.モルガンの所有となった後、90年後にデヴォンシャー家が買い取り、94年遂に公爵の大邸宅チャッツワースの壁に戻る
1911年 《モナ・リザ》盗難事件 ⇒ ルーヴル出入りのペンキ職人による犯行。2年後に罠にかかって簡単におびき出されて逮捕されたのは、捜査陣が思ってもみなかった人物像で、犯行の動機もナポレオンによって略奪されたと思い込んだ挙句愛国心から祖国イタリアに作品を取り戻すと言っていた
高価値・高リスクの美術品窃盗の動機は最大級の謎 ⇒ 60年代以降ますます増加、成功が顕著に見えるようになる。拡大した美術品の価値と犯罪者の関心との間には明らかな相関関係がある
1974年、86年、01年、02年 アイルランドのラスボローハウスは4回にわたって全く別の組織によって襲撃され、フェルメールの《手紙を書く婦人と召使い》など43点が盗難、2点を除いて回収 ⇒ 共通して犯罪者の「虚勢」が根底にある
1988年 ルシアン・フロイド()による《フランシス・ベーコン肖像画》 ⇒ テートからベルリン・ナショナルギャラリーへの貸し出し中に盗難。動機不明、迷宮入り
1990年 史上最高額の盗難事件で、フェルメールの《合奏》他多数(13)の美術品がイザベラ・スチュワート・ガードナー美術館から盗難、迷宮入りとなり、今でも空の額が架けられている
1994年、04年 ムンクの《叫び》の2つのヴァージョン ⇒ 94年はオスロ国立美術館からの盗難で、金銭目的。リレハンメル・オリンピック開会式の日であり、ノルウェー政府に最大の宣伝効果と恥辱をもたらした。犯人は懸賞金でおびき出されて逮捕。04年はムンク美術館からの盗難で、実際に銃を用いた最初の美術品強盗、他の武装強盗事件の捜査から警察の注意をそらすための陽動事件。いずれも犯人は逮捕されたが、作品は幾らか損傷を受け、後に全面的な修復処置がとられた
2001年 ステファン・ブライトウィーザー事件 ⇒ 自分の所有欲という喜びのための窃盗で、北フランスとスイスの国境沿いの比較的小規模の美術館・博物館が標的。逮捕までの6年間に139のコレクションから232点を窃盗。確信犯
2003年 ルネサンスの傑作ベンヴェヌート・チェッリーニの唯一黄金の彫刻《サリエラ》がウィーン美術史美術館から盗すまれた事件 ⇒ 美術品盗難にしては珍しく原料自体が大きな価値を持つところから金に解かされる恐れもあったが、3年後に懸賞金につられて名乗り出た犯人が逮捕され、彫刻はほとんど無傷で戻る。犯人は警報装置の専門家で、身代金の要求はしたが真の動機は美術館のセキュリティを試すという自身の専門的好奇心
2003年 レオナルド・ダ・ヴィンチの《糸車の聖母》がドラムランリグ城(スコットランド)から白昼城のツアーガイドを襲って強奪。4年後に絵は良好な保存状態で発見されたが、その時逮捕された5人は、裏社会から絵を受け取ったものとみられていたが、盗品を所持する者と当局に協力する私立探偵との交渉がどこまで合法的に認められるかの立証ができないまま無罪に
2010年マティス、モディリアニ、ピカソなど5点がパリ市立近代美術館から盗難 ⇒ 警備システムが故障している間の犯行で、美術館のセキュリティに対する批判が強い。現時点では未解決
2012年 ピカソ、モネ等7点がロッテルダムのクンストハル美術館から強奪

美術品盗難をどう防ぐか
美術館は、自館のコレクションを来館者に近づきやすいものにしたいと望んでいる
コレクションを保護するという中心的目的を怠っているとの批判も
懸賞金を巡る問題 ⇒ 犯罪者は盗品を売り戻すために懸賞金を利用するので、支払いには細心の注意が必要。人質の場合はさらなる拘束に繋がるところからいかなる身代金支払いも正しくないとされるが、美術品の場合も同じかどうか
盗品に懸るデータベースの整備は急務



美術品はなぜ盗まれるのか サンディ・ネアン著 作品奪還までを詳細につづる 
日本経済新聞朝刊2013年3月24
フォームの終わり
 1994年7月28日、フランクフルトのシルン美術館で、英国ロマン派の巨匠・ターナーの「影と闇」「光と色彩」という2点の傑作が盗まれた。2つの作品の所有者である英国のテイト・ギャラリー(現テイト・ブリテン)は総力を挙げて奪還作戦を展開し、その甲斐あって前者は2000年、後者は02年に無事ロンドンに帰還する。本書の第1部には、当事者である学芸員の立場から、事件発生から帰還までの詳細なプロセスが綴られている。
(中山ゆかり訳、白水社・2600円 ※書籍の価格は税抜きで表記しています)

(中山ゆかり訳、白水社・2600円 書籍の価格は税抜きで表記しています)
 盗品の捜索と言えば、誰しも警察の派手な立ち回りを連想するだろう。しかし本書にそうした描写は一切ない。代わりにクローズアップされているのが、保険損害査定人という奇異な肩書の人間の活躍や、ツイントラック・アプローチと呼ばれる警察との共同作業など、事件解決に当たって重要な役割を果たした保険会社の存在だ。著者にとって作品の奪還が最優先であったことは、事件の全容を説明するには相関図が必要なほど多くの人々が関わっていること、高額な情報提供料が設定されていること、実行犯の逮捕のくだりがごく素っ気ないことなどからもうかがい知れる。
 第2部は、美術館の倫理観や美術品の価値など、この事件に触発された著者の様々な考察によって構成されており、なかでも市場での売却が難しい高額美術品の盗難が後を絶たないのは、裏社会における「通貨」や「担保」としての役割を果たしているからだとの指摘には切迫感が感じられた。ここには、盗難事件の続発を人一倍憂える一方で、高額落札が相次ぎ、美術の価値が価格によってのみ決定される風潮に強い抵抗を感じてもいる、学者である著者の複雑な心境も反映されているようだ。
 ホームズやルパンの昔から、名画泥棒は探偵小説の華である。大胆不敵に犯行を予告し、厳重な警備を掻い潜り、見事名画を盗み出す怪盗の華麗な活躍は確かに颯爽としてカッコいい。だが名画を盗み出せば終りの小説とは対照的に、名画の行方や美術館の奪還作戦など、本書のハイライトはもっぱら「事後」の部分にあり、しかもそれが面白い。「事実は小説より奇なり」とはよくぞ言ったものである。
(美術評論家 暮沢剛巳)


敏腕学芸員のターナー奪還作戦
『美術品はなぜ盗まれるのか』 (サンディ・ネアン 著/中山ゆかり 訳)
評者山内 宏泰 プロフィール
文春図書館 2013.04.01 07:00
1953年生まれ。オックスフォード近代美術館およびテート・ギャラリーに勤務。94年にターナー盗難事件が起こり、以後、8年半にわたり、解決に尽力した。2002年よりナショナル・ポートレート・ギャラリー館長を務める。 白水社 2730円(税込)
この三月に限っても、ラファエロからルーベンス、エル・グレコにルノワールまで……。日本の美術館では、海外から名画を招聘した大型美術展が目白押し。巨匠の作品が異様なまでに集結していて、観る側としては楽しいかぎり。
でも、大丈夫なんだろうか。もし自分が絵画盗難を企む者だったら、ここぞとばかりに狙いを定め、東京へ乗り込むと思うのだが。
一読、そんな心配が頭から離れなくなってしまうのが本書。タイトルの通り、美術品盗難の実態が詳細に記されている。その筆致はあまりに真に迫っていて、いや、ちょっと内情に分け入り過ぎでなんだか怖いほど。それで、日本に来た名画の安全性をつい問いたくなるのだ。
焦点が当てられるのは、1994年にフランクフルト・シルン美術館で起きた、ターナー作品二点の盗難事件。ターナーといえば十九世紀ロマン主義の大家。英国人が最も誇りとする芸術家の一人だ。盗まれた作はいずれも代表作だから、保険総額は約37億円に及ぶ。ロンドンにあるテート・ギャラリーの所蔵品で、フランクフルトに貸し出されていた折り犯行に遭った。
テートの主導で奪還作戦が始まる。英独の捜査当局と協力しつつ、情報提供者と接触を試み、粘り強い交渉が続く。最終的に絵画は館に戻るが、それまでに要した期間は八年超。
姿を見せない絵画保有グループとの折衝はハードだ。代理人と面会する時刻や場所は、足取りをつかまれぬためか頻繁に変更される。絵画が本物であるかどうかのチェックと金銭受け渡しのタイミングは、双方の思惑がぶつかりなかなか決まらない。描かれるディテールの一つひとつが何とリアルなことか。
それもそのはず、何しろ著者こそが奪還の中心人物だった。当時のテート・ギャラリー学芸員にして、作戦の責任者。現在はナショナル・ポートレート・ギャラリー館長を務める。同館はロンドン中心部にあるが、彼がトップに就いているなら、さぞセキュリティは万全なことだろう。
当事者ならではの筆致によるドキュメンタリーは、この本の第一部を成す。第二部では、美術品盗難の歴史と対策、美術品の価値などを考察する。こちらも徹底的に問題点を調べ上げた労作。美術史を盗難という側面から見た場合のデータベースとして貴重だし、そこから盗難の傾向や館側の注意すべき点も読み取れる。
ああそうか、と第二部を読んでいて気づく。著者のこの緻密さと熱意が、ターナー奪還劇を成功に導いたのだな。至極納得である。


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