一四一七年、その一冊がすべてを変えた  Stephen Greenblatt  2013.3.19. 


2013.3.19. 一四一七年、その一冊がすべてを変えた
The Swerve――How the World Became Modern          2011

著者 Stephen Greenblattスティーヴン・グリーンブラット 1943年マサチューセッツ生まれ。ハーバード大教授。シェークスピア関連の著書多数。本書で2012年のピュリッツァー賞(ノンフィクション部門)受賞

訳者 河野準司962年生まれ。明治大法卒。翻訳家。訳書に『ピュリツァー賞受賞写真全記録』(13-03』参照)

発行日           2012.12.10. 第1刷発行
発行所           柏書房

学生時代にイェール大生協でルクレティウスが2000年前に書いた詩『物の本質について』の散文訳を、エロティックな表紙に魅かれて10セントで買ったのが契機
賞賛に値するルネサンスの逸話、即ち、ポッジョ・ブラッチョリーニによる『物の本質について』の再発見の物語を主題とする
再発見の物語の長所は、近代の生活と思想の起源となる文化的転換を指し示すのに用いられる言葉「古代の再生と復活」を地で行くところ ⇒ 世界がいかにして新たな方向へ逸脱したかの物語
600年前に変化が起ったとき、それは背が低く、柔和で、極めて用心深い30代後半の男が、ある日図書館の書棚にあった非常に古い写本を手に取り、自分の発見したものを見て興奮し、それを書き写すよう誰かに命じた。記されていた内容を十分理解できたわけではないし、その影響力を予想できたわけでもなく、影響力はその後何百年もかかって明らかになっていく。写本は、何百年にもわたって人の手によって苦労して書き写されてきたもので、何世代もの間、だれ1人話題にするものはいなかった。紀元49世紀にかけて、正しいラテン語法の手本として、文法書や辞書の例文出典リストにちらほらと載っていた
1000年以上の間忘れ去られていた本を復活させた立役者であるブラッチョリーニは、古代世界の遺産を探索し、発掘することに取り憑かれていた時代の、最も偉大なブックハンターだった
発見の背後に、ローマ教皇の逮捕・投獄、異端者の焚刑、文化全般における古代多神教への関心の爆発的高まりがあった。この発見は1人の才能あふれるブックハンターの人生の情熱を満足させ、全く意図せず無意識のうちに、近代の誕生を手伝う助産師となった

第1章        ブックハンター
1417年冬、ポッジョは古い写本を求めて馬で生地トスカナから南ドイツの修道院へと向かう
当時の腐敗したローマではなく、フォルム(公共広場)があり、元老院があり、ラテン語が話されていた古代ローマ、ラテン語の明晰な美しさは、失われた世界への驚異と憧憬の念をポッジョに抱かせた。そういう時代に辿り着くために、写本によって時代を遡ろうとしていた
ポッジョは、ローマ教皇に仕えたスクリプトールという、教皇庁の官僚組織で働く公文書の書記官で、教皇ヨハネス23世の秘書まで上り詰めた ⇒ 教皇の言葉を優雅なラテン語で書き留めるとともに、その言葉を人々に伝え、人々の伝えたいことを教皇に伝える重要なポストにいたが、教皇が「見苦しい生活」の咎で投獄されたたために主人を失ない、地位も収入もないまま、一人で本探しを始める

第2章        発見の瞬間
1330年頃、詩人にして学者だったペトラルカが古代ローマの歴史家リウィスの記念碑的作品『ローマ史』の断片をまとめ上げ、キケロやプロペルティウス等の忘れられた傑作を発掘して名声を我が物として以来、古典作品の発掘が盛んとなり、発見された文章が書き写され、編集され、注釈を付され、熱心に交換された結果、発見者に名声をもたらし、後に「人文科学」と呼ばれる学問の基礎となる
この学問に身を捧げ、「人文主義者」と呼ばれた人々は、残存する古代ローマの古典を熟読玩味し、たくさんの名作を発掘 ⇒ 古い修道院が猟場だった、それもイタリアはかなり発掘が進んでいたが、スイスやドイツは未踏の地
ポッジョは、古い手書き文書の解読に必要な特殊技能に関して、並外れた修業を積んでいて、優れたラテン語の才能に恵まれ、古典ラテン語の用法を見抜く鋭い眼力を備えていた上、修練を積んだ優秀な筆写人であり、速さ、技能、野心の3拍子揃った完璧なブックハンターだった。唯一ないものがお金で、裕福な後援者から援助を得て探索の旅に出ている
印刷機のない時代、修道院にとって読書の戒律を守るために必要な本を手に入れることは極めて重要かつ困難で、多少なりとも本を集めるためにスクリプトリウム(写本室)と呼ばれる工房を設置し、修道院という共同体の生き残りの鍵となっていたきつい農作業労働の戒律以上に写本が重視、そのための技能の習得が求められた。筆写人は集団礼拝を免除
紙が広く使われるようになる14世紀までの1000年以上の間、筆写用の材料は獣皮(牛、羊、山羊、鹿等)の表面を軽石で滑らかに加工したもので、最上質のものは仔牛の子宮ヴェラム ⇒ 古代の思想がどうにか命脈を保つことが出来たのは、これらの羊皮紙が並外れて丈夫だったお蔭
ポッジョが大発見をしたのは、中部ドイツのベネディクト会フルダ修道院とされる ⇒ 数々の発見を凌ぐ遙かに古い写本が紀元前50年頃にティトゥス・ルクレティウス・カルスの書いた『デ・レルム・ナトゥラ(物の本質について)』で、危険なまでに過激

第3章        ルクレティウスを探して
ルクレティウスの詩は、数百年に渡って多くの人に読み継がれた。同世代のキケロも衝撃を受け、素晴らしい才能と認めていたし、ルクレティウスが死んだときまだ少年だったローマ最大の詩人ウェルギリウスも魅せられた1
伝記らしきものはなく、この有名な詩も本人の経歴共々ほとんどこの世から消えてなくなりそうになったことには驚く ⇒ 僅かに偉大な教父ヒエロニムス(340420年頃)が古い年代記に加えた短い略伝に、「紀元前94年生まれ。媚薬のせいで頭がおかしくなったが、正気に戻った折に本を書く。キケロによって著作が改訂され、44歳で自殺」とあるのみ
本の発見を可能にしたのは、798月のヴェスヴィオ火山の大噴火 ⇒ 18世紀半ばの発掘作業中に埋もれた図書館を発見。1987年著名なパピロロジスト(パピルス解読の専門家)によって、発見された本が『物の本質について』であることが判明したが、わずかな断片だけだったために全世界はこれを無視
『物の本質について』は、数世紀前に生み出された思想を世に広めようとするその信奉者の作品。ルクレティウスの哲学上の救世主エピクロス(紀元前342年エーゲ海のサモス島生まれ)は、社会的業績よりも、彼のものの見方には救いの力があると解されたために、多くの人々が共鳴していた。迷信から解放されれば自由に喜びを追求できる。喜びに満ちた人生とは、「慎重かつ公正に尊敬されるように生き、勇敢かつ寛大に節度を持って生き、友人を作り博愛の心を持つこと」であると説く

第4章        時の試練
古代ギリシア・ローマ世界の写本はほとんど残っていない。物質としての本が消滅するのは主に気候や害虫の影響
古代世界における本の取引は全て書き写すことによって行われていたが、事業としての姿を知る資料はほとんど残っていない
古代の一時期、文化の中心問題は本が無尽蔵に出回っていることだと考えられた。膨大な数の本の運命は、古代世界最大の図書館が辿った運命に典型的に現れている ⇒ 紀元前300年頃プトレマイオス朝のアレクサンドリアに設置された図書館は、無制限に利用が許可され、その中から極めて高度な知的水準を確立(ユークリッド、アルキメデス等)したが、4世紀初頭コンスタンティヌス帝のキリスト教のローマ国教化に伴い、多神教信仰が徹底的に破壊され、図書館を含む知的生活も破滅を迎える。その中にあって、エリートたちの精神生活を形作ってきた一流の文化的伝統は、修道院を建てて多神教時代の古典によって形成された価値観を持つ文化を守ろうと画策
キリスト教徒は特にエピクロス哲学を害をなす脅威だと考える ⇒ もしも魂が死すべきものであるというエピクロスの主張を認めれば、キリスト教理念の基本構造が崩壊するところから、エピクロスやその信奉者を貶める風潮を作ろうとして躍起になる
喜びを追求することへの憎悪と神の怒りの顕現によって、エピクロス学派はキリスト教徒から「狂気」の汚名を着せられた

第5章        誕生と復活
ポッジョは、1380年に生まれ、1390年代の後半フィレンツェにやってきて、持ち前の才能だった美しい手書き文字を武器に身を起こそうと決意。新しい文字を作り上げるために、ゴシック体として知られる角張っていて絡み合うような書体からの脱却を図る。カロリンガ朝風の小文字を取り入れ、小さな改良を加え、さらにイタリック体や「ローマン体」と呼ばれる活字書体の開発の基礎として役立てる。いまでも最もクリアでシンプル、エレガントな表記として思い出させる書体の開発を行った

第6章        嘘の工房にて
ローマに出て教皇庁の官僚機構に職を得る。自ら聖職者には向かないとして、平信徒のまま教皇に仕える道を選ぶ
ラテン語の諺に、「よき教皇補佐役は、人間の中で最も邪悪である」というのがあり、ローマ教皇庁が道徳的に危険な場所であることを簡潔に言い表している

第7章        キツネを捕える落とし穴
やがて教皇に選出されたばかりの卑劣で、狡猾で、無慈悲な、陰謀の達人バルダッサレ・コッサ、後のヨハネス23世に仕える
1410年毒殺とも言われて急逝したアレクサンデル5世の跡を継いでコッサが教皇となったが、既に30年以上にわたって他に2人の教皇を名乗るものが、それぞれヴェネツィアとスペインにいて、本命を争っていた ⇒ 1413年ナポリがローマに侵入したのを機に、神聖ローマ皇帝の提案に基づき公会議で決着をつけることになり、翌年コンスタンツにキリスト教世界全体から15万もの人たちが参集(コッサが、この町の湖を指して、「これが奴らがキツネを捕えるための落とし穴だ」と言った)
会議の最重要課題は、教会の分裂に決着をつけることだったが、それ以外にも教皇統治の改革や異端の弾圧(宗教改革者ヤン・フスの処分)も課題 ⇒ 議論の途中で形勢不利を悟ったコッサはポッジョらを連れて逃亡、公会議によって犯罪者とされ、逮捕・廃位
フスは火刑に処せられ、その擁護者だったヒエロニムスも処刑
1416年夏 ポッジョは、ブックハンティングに飛び出す
1417年にフルダ修道院の図書館で手に取ったのが長編詩『T. Lucreti Cari de Rerum Natura(T. ルクレティウス・カルス 物の本質について)

第8章        物事のありよう
『物の本質について』は、7400行のヘクサメトロス(六歩格詩:1行が6つの強勢音からなる韻を踏まない標準的な詩)で書かれている
ルクレティウスがもたらした疫病の1つが無神論だが、ルクレティウスは無神論者ではなく、神々は存在すると信じていた。しかし、神々は神々であるがゆえに、人間や人間のすることには全く関心がないと信じていたので、神々を崇拝する儀式もその意味を認めない
その主張するところの要点は以下の通り
Ø  万物は目に見えない粒子でできている ⇒ ギリシア哲学用語である「アトム(原子)」を使わないで言い表す
Ø  物質の基本となる粒子――「事物の種子」――は永遠/無限である
Ø  基本となる粒子の数は無限だが、形や大きさには制限がある
Ø  すべての粒子は無限の真空の中で動いている
Ø  万物は逸脱の結果として生まれる
Ø  逸脱は自由意志の源である
Ø  自然は絶えず実験を繰り返している
Ø  人間は唯一無二の特別な存在ではない
Ø  人間社会は平和で豊かな黄金時代に始まったのではなく、生き残りをかけた原始の戦いの中で始まった
Ø  霊魂は滅びる
Ø  死後の世界は存在しない
Ø  我々にとって死は何ものでもない ⇒ 死は粒子がバラバラになるだけのこと
Ø  組織化された宗教は全て迷信的な妄想である
Ø  宗教は常に残酷である
Ø  天使も悪魔も幽霊も存在しない
Ø  人生の最高の目標は、喜びを高め、苦しみを減ずることである ⇒ 自分自身や仲間のために幸福の追求を推進することほど倫理的に高い目的はない
Ø  喜びにとって最大の障碍は苦しみではなく、妄想である ⇒ 人間の幸福の第一の敵は過度の欲求
Ø  物の本質を理解することは、深い驚きを生み出す

第9章        帰還
1419年スイスとドイツで目覚ましい成功を収めたポッジョは、イギリスのウィンチェスター司教ヘンリー・ボオーフォートの秘書に就任。4年の在任中イングランドの修道院図書館での発見に大いなる望みを抱いたが失望に終わる
1422年帰国してヴァチカンの秘書の地位を獲得、教皇エウゲニウス4世に仕え、その死後はニコラウス5世にも仕える
73歳から5年間、フィレンツェの書記官長に就任
退任して1年半後の1459年死去 ⇒ 退任後だったため国葬こそなかったが、然るべき儀式をもってサンタ・クローチェ教会に埋葬され、公会堂に肖像画が飾られた。そのうちにはかも消滅したが、生まれ故郷の町は出身の名士に敬意を表してブラッチョリーナと改名され1959年には没後500年を記念して町の広場に彫像が建てられたが、今では誰の彫像なのかはほとんど知られていない

第10章     逸脱
『物の本質について』の写本は50冊以上が現存
15世紀の終わりに近づいたころ、フィレンツェはドミニコ会修道士ジロラモ・サヴォナローラによって、厳格な「キリスト共和国」として支配され、短期間ではあったが町は熱狂的な悔悛ムードを引き起こし、かの有名な「虚栄のかがり火」によって奢侈品、遊興具、多神教文化を題材とした彫刻や絵画等を巨大な薪の山に投げ込んだ。既に再び世に広まっていたルクレティウスの詩も攻撃・嘲笑の対象となったが、ニッコロ・マキャヴェッリによって密かに筆写され、ヴァチカン図書館に保存されていた
ポッジョも、ルクレティウスの詩的な文体を、その思想から切り離して、思想を支持したり自ら読み解くことはせず、優雅な語法や言い回しだけを拝借していたし、晩年には自らの仇敵を、ルクレティウスの師であったエピクロスに執着する異端者だと非難している
自分自身の発見の影響から慎重に距離を置くことに成功
ルクレティウスの詩の発見の重要性は、最初は敵意ある多神教徒によって、次に敵意あるキリスト教徒によって抑圧されてきたエピクロス主義の主張の流動性にある ⇒ 固定観念を打ち破る危険な思想などの流動性であり、深遠な知的・創造的挑戦といえる
1516年フィレンツェ教会会議は、学校でルクレティウスを読むことを禁止したが、その頃までには出版もされ、キリスト教の禁書目録(1966年に廃止)には入れられていない

第11章     死後の世界
ひとたびルクレティウスの詩が世界に広まると、人類の経験を描くこの幻想詩人の言葉が、ルネサンスの作家や芸術家達の作品の中で激しく反響し始めた ⇒ ボッティチェリやダヴィンチなどに始まり、遠く離れた場所にも及んでいく
モンテーニュは死後の世界の悪夢によって道徳を強制するというやり方を軽蔑するルクレティウスに共感、2人には深い神話性が認められるし、その影響を受けたシェークスピアもその1
異端の取締りが厳しかったスペインでもルクレティウスの詩は読まれていた
全てのものは目に見えない無数の粒子(原子)でできているという考え方は、特別気懸りなものには見えなかったが、他の無数の危険な主張と結び付けられ、道徳、政治、倫理、進学等すべてに影響を与えることが、人々をひどく動揺させた
1509年 ラファエロは『アテナイの学堂』で、古典遺産は全てキリスト教の教義と調和して生きることが可能だと確信し、プラトンとアリストテレスを中心に描きながら、周囲にはエピクロスも含め偉大な思想家をすべて描いている
カトリックの教義に反して、プロテスタントが攻撃を開始した際、ルターもカルヴァンもエピクロス主義ではなかったが、古代の唯物論が大きな武器となったことは疑いがない
ルクレティウス同様、宇宙の万物は観察と理性を等しく正しく活用することによって理解できると主張、天動説に賛同したガリレオは、異端審問所によって有罪とされ、自宅軟禁の終身刑を宣告された

訳者あとがき
600年前、ポッジョが修道院の図書館から、古代ローマの哲学者ルクレティウスの哲学叙事詩『物の本質について』を見つけ出し、その1冊がその後の歴史の流れを変える
そこには極めて危険な思想が美しい詩によって記されていた ⇒ 宇宙は神々の助けなどなしに動いており、神への恐れは人間生活を害するものであり、人間を含む万物は絶えず動き回る極小の粒子でできている
こうした考えがルネサンスを促進し、ボッティチェリに霊感を与え、モンテーニュ、ダーウィン、アインシュタインの思想を形作った
世界屈指のシェークスピア学者による革新的歴史研究

解説  池上俊一(西洋史学者、東京大学総合文化研究科教授)
本書の主人公の2人は、一般にはほとんど知られていない
ルクレティウスは、ラテン詩人だが、生涯はほとんどわかっていない。ギリシアの哲人エピクロスの教えを忠実に伝えようとした長詩『物の本質について』でのみ有名。エピクロスの原子論的な自然学というのは、宇宙に存在する万物はそれ以上分解できない原子と何もない空間からなっており、無限にある原子が無窮の空間を運動しながら互いに衝突・結合することによって物質が構成されると説く
ブラッチョリーニ(13801459)は、フィレンツェ郊外の中層階級に生まれ、アレッツォで法律および人文学を学んだあと、フィレンツェで公証人となり、フィレンツェの書記官長の推薦で教皇庁の秘書官となりローマで勉学を重ね、その後ヨーロッパ各地の修道院等を巡り多くの古代写本を再発見し筆写
本書は、千数百年間すっかり忘却されていたエピクロス主義の紹介者ルクレティウスと、ブックハンターとしてのポッジョとの遭遇がテーマ
世紀の大発見ではないものの、千年に渡る中世キリスト教世界の中で完全に抑圧・忘却されていた、原子論の復活とその流布が、誰も知らないうちに遺伝子情報が書換えられたかのように、それに気づかないまま、ある時代以降皆が別様な考え方をするようになり、その後人類の歴史が一変してしまっていたというようなもの
ルネサンス期の人文主義者や教皇及びその周辺に巣食う者たちの生き様の描写は興味深い
近代世界をもたらした時代としてルネサンスを高く評価し、それとは対照的に、快楽追求を禁じ贖罪のため鞭打ち苦行に励んだ中世を暗鬱なる時代として呪う一方、ルネサンスも手放しで賛美せず、むしろスネサンスの奇怪なる姿を炙り出している
歴史における偶然史観は、今日の歴史家たちの間では失効しているが、本書の話は歴史における「偶然」の役割を再考させる魅力と迫力を備えている



一四一七年、その一冊がすべてを変えた []スティーヴン・グリーンブラット
[評者]荒俣宏(作家)  [掲載] 朝日 20130210   [ジャンル]ノンフィクション・評伝 
教会も受容した死を超える快楽

 イタリア・ルネサンスの大物が活躍する半世紀ほど前の15世紀初頭、教皇秘書として古典写本の蒐集翻訳に携わったポッジョ・ブラッチョリーニが、立場を逸脱してまで救済した一冊の「超奇書」にまつわる歴史物語である。
 込み入った内容だが、逸話やイメージを随所に提示する手法のおかげで、流れの勘所を見失う不安はない。たとえば巨匠ラファエロの大フレスコ画「アテナイの学堂」が出てくる。古代ギリシャからアジアに及ぶ多彩な哲学者たちが、サンピエトロ大聖堂に参集し自由に議論を闘わせる空想的な場面である。この絵が、教皇の書庫兼執務室の壁に飾られた理由は明白だ。カトリックがどんな哲学や思想をも内部に取り込めるという自負を示したものだからだ。この開明性こそは、ルネサンスを推し進めた精神なのである。
 ところが主人公ポッジョは、すこし早く生まれてしまったために、教会はまだ異教弾圧時代であった。そんな時期に彼は、キリスト教どころか、世界の宇宙観を覆すほどの劇薬詩、ルクレティウス作「物の本質について」を、偶然に発見してしまう。が、これは救命薬にもなる可能性があった。
 本書の著者グリーンブラットによる本の発見が、ポッジョと重なる。学生時代のある日、著者は天上界のシュールな性行為が表紙に描かれた本を在庫処分品の山から救いだす。価格10セントの見切り品を、読みだしたら没入した。春になってヴィーナスが訪れると、天候は晴れやかに輝き、全世界が子孫を繁殖させようと狂おしい性的衝動に満たされる。この世は生と死の無限連鎖にすぎず、知的な設計者もいないし、人間の死など宇宙の関心事ですらない。
 著者は激しい衝撃を受けたという。彼の母は若い頃から死への恐れを抱き続け、母の怯えが息子にも重荷を負わせた。あの「死への恐怖」とは、何だったんだ?
 約600年前、ポッジョが抱いた疑念も、教会による「死への恐怖」の植え付けと、その救済法を独占することで権威を保つ体質だった。「快楽主義」の開祖エピクロスは性的な遊戯にふける淫猥な人物に貶められ、その思想を宣伝するルクレティウスの詩をポルノに矮小化され、作者も「媚薬のせいで頭がおかしくなり、四十四歳のとき自殺した」と吹聴され、いったんは抹殺が成功したのである。
 さあ、ポッジョは原典再発見を機に、「死に打ち勝つ快楽」の思想をカトリック教義に同化できるのか? ルネサンスの知られざる暗闘は、やがて詩文を視覚化したボッティチェッリの名画「春」を生み、エピクロスをも加えた「アテナイの学堂」を教皇の書庫に掲げさせるまでになるのだが。
    
 河野純治訳、柏書房・2310円/Stephen Greenblatt 43年米国生まれ。米ハーバード大学教授。世界的なシェイクスピア学者。本書で昨年のピュリッツァー賞ノンフィクション部門受賞。邦訳書に『シェイクスピアの驚異の成功物語』『悪口を習う』など。


一四一七年、その一冊がすべてを変えた スティーヴン・グリーンブラット著古代ローマの叙事詩発見の物語 
日本経済新聞 2013/1/6
 「本には本の運命がある。その運命を決めるのは読者の心である」と喝破したのは、古代ローマの文人マウリスであった。この時代の本は、『グーテンベルク聖書』(1455年頃)が出版されるまで、すべて筆写された「写本」であった。だが、由緒ある修道院の図書館に収蔵されている古代写本の多くが何世紀ものあいだ誰の目にも留まらず、塵芥のごとく放置されていたのだった。
(河野純治訳、柏書房・2200円 ※書籍の価格は税抜きで表記しています)
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(河野純治訳、柏書房・2200円 書籍の価格は税抜きで表記しています)
 本書は、15世紀初頭、ルネサンス黎明期のイタリアで、ポッジョ・ブラッチョリーニという名の熱烈な人文主義者がヨーロッパ各地の修道院の図書館が秘匿する古代ギリシア・ローマの写本を見つけ出し、それを正確に筆写する「ブックハンター」の物語である。
 実は、ポッジョはこの仕事をする前に、ローマの教皇庁で教皇秘書まで上りつめていた。当時、教会の大分裂のために教皇が3人も乱立し、ヴァチカン自体も陰謀、殺害、淫乱、強欲、脅迫、異端狩りと火刑など、まさに偽善の巣窟であった。彼が仕えていた教皇ヨハネス23世は、宗教的な使命感などは微塵も持ち合わせていない「陰謀の達人」だったが、70件もの罪容疑で退位させられ縲絏(るいせつ)の辱しめを受けていた。当然、彼も解雇されるが、再就職せずに、読書と筆写の技能を駆使して、失われた古代文書の発掘に情熱を燃やす。
 ポッジョは幾多の困難を克服し、1417年1月、ついに、古代ローマの詩人ルクレティウスの哲学叙事詩『物の本質について』(紀元前50年頃)を発見する。実に千数百年ぶりの邂逅であった。ギリシアの哲学者エピクロスの思想を伝播するために書かれたこの長篇詩集は、まず「神の摂理の否定と死後の世界の否定」を明示する人間讃歌を謳いあげている。この無神論を基盤とする思想がルネサンス運動の先鋒に立ったのみならず、やがて異端として痛罵されることになる原子論や地動説を先取りし、さらに20世紀のダーウィンやアインシュタインなどにも影響を与えたという。
 本書の醍醐味は、なんといっても、ヴァチカンの狡猾な内部抗争にまみれる人間模様である。
(法政大学教授 川成洋)


Wikipedia
ティトゥス・ルクレティウス・カルスラテン語: Titus Lucretius Carus, 紀元前99 - 紀元前55)は、共和政ローマ期の詩人哲学者エピクロスの宇宙論を詩の形式で解説。説明の付かない自然現象を見て恐怖を感じ、そこに神々の干渉を見ることから人間の不幸が始まったと論じ、死によってすべては消滅するとの立場から、死後の罰への恐怖から人間を解き放とうとした。主著『事物の本性について』で唯物的自然哲学と無神論を説いた。

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