北の無人駅から  渡辺一史  2013.3.2.

2013.3.2. 北の無人駅から

著者 渡辺一史 フリーライター。1943年名古屋市生まれ。浪人まで豊中で過ごす。87年北大理II入学。キャンパス雑誌の編集にのめり込み中退。道内を中心に活動するライター。03年重度身体障碍者とボランティアの交流を描いたノンフィクション『こんな夜更けにバナナかよ』を刊行、講談社ノンフィクション賞、大宅壮一ノンフィクション賞をダブル受賞。北海道でのライター生活20年の総決算として刊行したのが本書

写真撮影 並木博夫 54年東京生まれ。写真家。日本写真専門学院卒。高校時代からカニ族として全国を旅。北海道に魅せられ、札幌の印刷物企画制作会社にカメラマンとして入社。独特の空気感が特徴。00年オフィス並木を作って独立

発行日           2011.10.31. 初版発行        2012.1.16. 初版2刷発行
発行所           北海道新聞社

13.1.7.AERAの書評で松田哲夫(筑摩書房顧問)が絶賛した壮大なノンフィクション

はじめに
無人駅には、ある種の旅情と郷愁、そして、好奇心を強くそそられる
今では利用客がほとんどなく、列車も日に数本しか停まらないような無人駅にも、そこが「駅」だというだけで、他の空間にはない濃密な空気が漂っている気がする。その駅を利用し、そこを通過した人々の哀歓、そして、まちの歴史が折り重なって堆積した独特のぬくもりがある
199901年特急列車の座席ポケットに差し込まれていた『旅の情報誌The JR
Hokkaido』に連載した中から、特に印象に残った駅を再掲
駅とはまちの玄関であり、出会いと別れの舞台と言われるが、玄関口から繋がる内部は迷路のようでもあり、そこに繰り広げられる出会いも別れも、実に多様で捉えがたかった

第1章        「駅の秘境」と人は呼ぶ――室蘭本線・小幌(こぼろ)
通称「海線」の長万部から2つ目、駅のホームはトンネルとトンネルの間のわずか87mの切れ間にあり、北は山が迫り、南は海を見下ろす断崖。断崖は高いところで412m18(上り5本、下り3)の普通列車が停車。夏の間、ごくたまに釣り客や山菜取りの人が乗り降りする。民家はない。室蘭本線の全線開通は28年。単線のための交換設備を備えた「信号場」として設置。67年の複線化後も保線作業のため87年「駅」に昇格したが無人化されて存続
1666年円空が来て洞窟の中の岩屋観音(通称「首なし観音」)に仏像を安置
1890年頃小幌の岩屋に住み着き始め、漁業で生計を立てる
終戦後、陶文太郎という両足を鉄道で轢断された漁師一家を中心に10軒足らずが住みつき、30年代には釣り客誘致を狙って民宿までできたが、駅の無人化と共に漁師もいなくなった
鉄道でしか行けない駅として、鉄道ファンの間では有名

第2章        タンチョウと私の「ねじれ」――釧網(せんもう)本線・茅沼(かやぬま)
日本でただ1つ、特別天然記念物のタンチョウが飛来する駅として知られる
釧路から6つ目。代々駅員がタンチョウに「給餌(きゅうじ)」してきたが、86年に無人化してからは地元の人が給餌
北海道の3大給餌場 ⇒ 阿寒国際ツルセンター、伊藤タンチョウサンクチュアリ、鶴見台で、タンチョウの飛来地として有名
茅沼は36家族と少ない。北海道に住み続ける「留鳥」(明治以前は「渡り鳥」だった時期もある)。明治の末に姿を消したタンチョウが再発見されたのは24年、52年の大寒波の際絶滅の危機を救ったのは地元の人々の「人工給餌」、阿寒の農家が救世主
元々タンチョウは、北海道全域に生息していたが、人間社会の拡大に押されて釧路湿原に追いやられたもの。トキやコウノトリが戦後の強い農薬によって繁殖機能が失われたのに比べると、農作のできない湿原に追いやられたのは幸いだった
1999年茅沼地区の観光振興のため、駅前に給餌場が作られたが、翼を広げると2m以上もあるタンチョウには金網の張り巡らされた給餌場は動きが取れず廃止
また、冬の限られた時期だけ「SL冬の湿原号」という往年の蒸気機関車を復活させて人気を博しているが、タンチョウには公害が天敵
人工給餌に慣れたタンチョウが、逆にタンチョウを人間なしでは生きられなくしている

第3章        「普通の農家」にできること――札沼(さっしょう)線・新十津川(とつかわ)
札幌から函館本線の西側を北に向かう札沼本線(学園都市線)の終着駅
北海道にコメ革命を起こした「きらら397(コシヒカリ系統のコメに人工交配を重ねて生み出された初の北海道産米)」の発祥の地
北海道は30年代以降日本有数のコメの産地だが、品質基準の最低ランクで、他府県産米にブレンドされる混米原料としてしか使われなかった
品種改良の努力が実って「売れるコメ」へ ⇒ 最新は09年デビューの「ゆめぴりか」
91年全国に先駆けてクリーン農業技術の開発研究をスタート
1889年「世界無比」と形容された集中豪雨によって村を追われた奈良県十津川郷の被災者6002489人が集団移住

第4章        風景を「さいはて」に見つけた――釧網本線・北浜駅
流氷の駅。海岸まで20m、「オホーツクに一番近い駅」
北浜海岸は流氷を見るための絶好のポイント ⇒ 1月末から3月にかけて
84年無人化
オホーツク海に流氷が発生する理由 ⇒ アムール川(全長4400)がオホーツク海に大量の淡水を注ぎ込むためで、表面に50mほどの塩分の薄い層が出来るのとともに、周囲をカムチャッカ半島や千島列島、北海道といった陸地に囲まれているため、日本海や太平洋からの水が入りにくい。凍る海としては地球上の南限

第5章        キネマが愛した「過去のまち」――留萌本線・増毛(ましけ)駅 上
旭川の西の深川から日本海に向かって延びる留萌本線の終着駅
昭和30年ごろまでニシン漁で栄えた町
冬の寒さが緩むころ、群来(くき)といって、産卵のためにニシンが群れを成して来る
海面が銀鱗でひしめき、地鳴りが足元を揺らすこともある。オスの精液で海が乳白色に染まる
北海道のニシンの最盛期は1897年で、「百万石時代」といった(1石が750)
増毛が「千石場所」の名を馳せるようになったのは大正時代で、30年には全道の21%を占める ⇒ 「バクチ魚」と言われ、年によって極端に漁獲量が変動
人口のピークは56年の17千人
鰊は「鯡」とも書かれ、米と同等の価値を持ち、北前船の寄港地だった江差は江戸以上の賑わいだった ⇒ 北前船に代わって輸送の主役となったのが鉄道で、増毛には21年延伸
55年を最後に寄り付かなくなった、理由は今もって不明
84年無人化
「過去のまち」に漂う独特の鄙びた情緒と哀感が、映画の撮影場所として珍重され、49年以降多くの映画のロケに利用
99年増毛にニシン再来。6隻が出漁したが去った後
96年から「日本海ニシン資源増大プロジェクト」開始、年間100tを超える水揚げが出始め、04年には道内日本海沿岸で1345tに増加

第6章        「陸の孤島」に暮らすわけ――留萌本線・増毛(ましけ)駅 下
増毛から南は20㎞いったところが「雄冬(おふゆ)」 ⇒ 急峻な断崖に囲まれた漁村。陸続きなのにまるで孤島のように隔絶された場所で、北海道に数多く存在した「陸の孤島」の典型。「山中の漁場」と呼ばれ、古くから豊かな漁場として知られた。群来の中心地で、現在の住民は殆どニシン場時代の漁業移民の末裔
国道が開通したが、海が時化ると食べ物が手に入らないので、民宿も断られる
国道は、トンネルと覆道の繰り返し、81年全通したが、トンネルの崩落があると通行止め
現在の住民は、70%以上が65歳以上

第7章        村はみんなの「まぼろし」――石北本線・奥白滝信号場
旭川と網走を結ぶ石北本線の中ほど、40年以上も「限界集落」も超えて消えてしまった集落にある無人駅。大雪山系の北部、標高513mの山中に駅舎が建つ、周囲に人家はない
11往復の駅」として鉄道ファンには有名
01年       旅客扱い廃止、無人の信号場に。隣の特急が停車する白滝駅も無人化
白滝村は、村域の88%が森林。林業で栄え最盛期の人口は58年で4955人。現在は農業が中心で人口は当時の1/4。奥白滝には30年代に500人ほどが在住
1891年中央道路(北見道路:札幌→旭川→網走)が囚人のうめきと血を染めて完成、北海道開拓を大きく前進させた ⇒ 1912年奥白滝に最初の開拓団が紀州から入った
32年鉄道の開通により、開拓が飛躍的に進む
60年代後半以降、乱伐と外国産木材に押されて激減、農業も機械化に押されて衰退、73年には無人化
05年の町村合併で「遠軽町白滝」に ⇒ 市町村合併とは何だったのかを考える契機に
ワンマン村長の下、公共投資で放漫財政となり、その象徴だった村庁舎の新築の際の借金で赤字団体に転落する瀬戸際にあったため、国の財政支援に頼らざるを得なくなって合併へ ⇒ 大義なき強制合併
最大の町に吸収されかねないことを懸念した一部住民が合併の賛否を自らの意思で決めるべきと主張したが、村長は拒否、議会も住民投票条例案を否決
地方自治法は直接民主制に力点を置いており、国政と違って、首長も直接選挙で選ぶし、リコールも可能。住民投票や直接民主制をより活発に取り入れることは法の精神に適う
白滝村の場合は、有権者1000で投票率95%以上、村政を巡って12票の僅差で決着がつくという危うさから、村長選のしこりが合併の賛否に繋がるという捻じれに捻じれた現象が起こっていた ⇒ 両派とも合併に伴う補助金でずぶずぶになっていた
合併によって村の人口はさらに減り、1000人を割り込んだ
100年間で、村が出来、消えた


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