ブーイングの作法  佐藤亜紀  2013.3.4.


2013.3.4. ブーイングの作法

著者 佐藤亜紀 1962年新潟県栃尾市生まれ。成城大大学院修士課程修了。9905年早大文学部文芸専修で講師。91年『バルタザールの遍歴』で日本ファンタジーノベル大賞、03年『天使』で芸術選奨新人賞、07年『ミノタウロス』で第29回吉川英治文学新人賞及び「本の雑誌が選ぶノンジャンルのベストテン」1位受賞
著者については、別ファイル『13-01 金の仔牛』参照

発行日           1999.12.8. 第1刷発行
発行所           四谷ラウンド
初出一覧 『新潟日報』『文學界』『太陽』『週刊文春』他

13-01 金の仔牛』を読んで、興味を惹かれた

絶叫の心得 ⇒ 歌舞伎の掛け声はよく通って、発声に無理がない。歌劇界における「ブラヴォー」もあそこまで洗練する術はないものか知らん
これを真に受けたら確実に道を誤る! 正しいオペラの遊び方 ⇒ オペラとはまず第1に楽譜、楽譜で書かれたフィクション。楽譜にあることを変えない限りで何をやっても構わない。開幕時間の遅いところは夕食の時間も遅い。開宴時間とレストランの営業時間はなぜか一致
ワーグナーと私 ⇒ 著者は生粋のワグネリアン。中でも《トリスタンとイゾルデ》がお気に入り
老人を舐めてはいかん ⇒ スペインの生んだ名歌手の1人アルフレード・クラウスは、バルセロナ五輪にお呼びがかからなかったことにいささか腹を立てていたらしいが、デビュー40周年を久しぶりに聴いて、69歳とは言え衰えていないのを知った
バリトンやバスなら多少はもつかもしれないが、テノールの盛りは40代。大カルーソーも45歳で引退
古典芸能の奥は本当に深いのか ⇒ 古典芸能で問題なのは、したり顔で御託を並べる古典芸能スノッブ。御託を並べてさも奥が深そうに思わせ、古典芸能鑑賞を「鑑賞道」に化けさせてしまうために、そういう悪臭芬々たる連中に囲まれてそれ自体悪臭を放つかの如く見え始める「古典芸能」こそ不幸
音楽と言葉は対話する ⇒ オペラと小説は同じ時代の同じメンタリティが産み落とした双生児的ジャンルではないかとおもう。古代以来の叙事詩が、作中で起きた出来事を単一の視点から線的に語る、いわば独白(モノローグ)型のフィクションであるのに対し、近世以降に固有のジャンルと言っても過言ではない小説の特徴は、話題となっている出来事を複数の視点から、時には対立する解釈をもって語ることにある。小説とは本質的に対話(ディアローグ)型のフィクション。オペラもまた、線的な物語を独白するジャンルには属さない。でなければ、圧倒的な美声を誇る堂々たるプリマドンナ体型のソプラノが、病に蝕まれて余命幾許もない薄幸の美女を演ずる舞台があんなにも狂躁的な喜びを呼び覚ますはずがない。にもかかわらず、近頃のオペラは台本のト書きそのままの演出に終始し、オペラが本来持つはずの対話的な、祝祭的な、カルヴァナーレ的な喜びを抹殺して、何やら抹香臭い退屈な代物に変えてしまうのは何とも嘆かわしい

エンパイア劇場のプリマドンナ ⇒ 月1回の外国映画評より
『美女と野獣』(91年アメリカ) ⇒ ジャン・マレーは上手に歳を取った。コクトーのこの映画に出た若い頃よりずっと良くなっている。ディズニーの同名のアニメでは、コクトー版の不出来な狼男擬いがジャン・マレーになったってそれほどではないが、不思議な獣が王子様に戻ってしまったりすると、幾らか失望を覚えざるを得ない
『遙かなる帰郷』(96年伊仏独スイス合作)⇒ 職業欄の記載に違和感。チェコのビザを申請した際、「作家」と書いたら「どこの会社に属しているか」と聞かれ、「独立している」と答えたら、それで食えるはずがないとして「主婦」に書き直された。カフカなら「団体職員」とでも書いたろう。収容所という地獄の狭間の束の間の晴れやかな祝祭の日々の物語では、主人公の作家が、奇跡のような休暇を返上して、地獄の日々を書き始める。作家という肩書がこれ以上重いものであることは滅多にあるまい
『インディペンデンス・デイ』(96年アメリカ) ⇒ フランス映画の十八番ともいうべき、辛気臭い恋愛映画と辛気臭い犯罪映画とちゃらちゃらした小娘映画が嫌い。アメリカの楽しいファミリームービーがいい。ロスの知人が、周囲のアメリカ人のあまりの盛り上がり振りに「ニュルンベルク大会に潜り込んだユダヤ人みたいな気がした」と蒼褪めた顔で告白した代物
アンソニー・ホプキンス ⇒ 『冬のライオン』(66年イギリス)というイギリス王室の王位継承を巡る壮大な家庭争議の中で、獅子王リチャードを演じる若き日のホプキンスの目の輝きは狂気の目。その後の映画でも目だけが印象に残っている。役者とは何よりもまず、目の楽しみでなければならない。彼の魅力は、どことなくおっさんぽい外見と危ない目つきのコントラストにある。目が告げていたことを手が成し遂げる
セルゲイ・エイゼンシュタイン ⇒ 久しぶりにエイゼンシュタイン監督作品『ストライキ』(25年ソ連)を見て、個々の映像のインパクトの凄さに圧倒、トーキー以降の映画ではほとんど見受けられなくなってしまったくらい強烈、緩急自在にリズムを刻みながら次第にテンポを速めていく画面は、映像の繋ぎ方だけでも十分音楽的で、このリズムを純粋に楽しむためには音楽は不要


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