なぜ働いていると本が読めなくなるのか 三宅香帆 2025.6.5.
2025.6.5. なぜ働いていると本が読めなくなるのか
著者 三宅香帆 1994年高知県生まれ。文芸評論家。京都大学大学院人間・環境学研究科博士前期課程修了(専門は萬葉集)。著作に『(読んだふりしたけど)ぶっちゃけよく分からん、あの名作小説を面白く読む方法』、『推しの素晴らしさを語りたいのに「やばい!」しかでてこない―自分の言葉でつくるオタク文章術―』、『文芸オタクの私が教える バズる文章教室』、『人生を狂わす名著50』など多数
発行日 2024.4.22. 第1刷発行 2024.5.19. 第3刷発行
発行所 集英社 新書
まえがき 本が読めなかったから、会社をやめました
l 気づけば本を読んでいなかった社会人1年目
好きな本を読むためにIT企業に就職したのに本が読めない
l 本を読む時間はあるのに、スマホを見てしまう
本をじっくり読みたすぎるあまり――その3年半後、会社を辞めた理由
今は批評家として、本や漫画の解説や評論を書く仕事に就いている
l 本を読む余裕のない社会って、おかしくないですか?
本書は、2023年ウェブサイト集英社新書プラスで連載した内容に加筆修正したもの
l AI時代の、人間らしい働き方
私にとっての「本を読むこと」は、あなたにとっての「仕事と両立させたい、仕事以外の時間」である、ということ
私にとっては、読書が人生に不可欠な「文化」。人生に必要不可欠な「文化」は人それぞれに異なる。労働と両立させたい文化とは? 自分の人生にとって大切な文化的な時間は、労働の疲労によって奪われていいものではない
AI時代における、人間らしい働き方。それは「労働」と「文化」を両立させる働き方
l あなたの「文化」は、「労働」に搾取されている
両立の困難に悩むのは、日本の働き方に問題がある
l 労働と文化を両立できる社会のために
キーになるのは、近代以降の日本の働き方と、読書の関係
本書は、日本の近代以降の労働史と読書史を並べて俯瞰することによって、「歴史上、日本人はどうやって働きながら本を読んできたのか? そしてなぜ現代の私たちは、働きながら本を読む事に困難を感じているのか?」という問いについて考えた本
序章 労働と読書は両立しない?
l 速読、情報処理スキル、読書術
「労働」と「読書」の間で悩んでいるのを象徴するのがAmazonの「読書法」ランキングで、読書を娯楽として楽しむよりも、情報処理スキルを上げることが求められているのがわかる
「ファスト教養」が求められる背後にも、現代の労働を取り巻く環境が影響している
l 社会の格差と読書意欲
出身の格差は、労働の対比にも影響をもたらし、「読書の意思の有無が社会的階級によって異なること」にもなっている
l 日本人はいつ本を読んでいたのか
日本人の近代的な読書習慣は、明治以降に始まった。文明国としての文化・教育水準を高めるために政府も読書を推奨していた
第1章 労働を煽る自己啓発書の誕生―明治時代
1. 自分の好きな本を読めるようになった時代
l 日本の長時間労働の幕開け
「労働」と言う言葉が使われ始めたのも明治時代になってから。労働という概念が輸入され、工業化が進み、それに伴い労働時間も増えていった明治時代。恐らく当時の人々はせっかちにならざるを得なかった
l 句読点と黙読によって本が読みやすくなった
明治時代になって読書界に起きた革命が「黙読」の誕生。「自分の読みたいものを読む」ことができるようになり、さらに活版印刷と句読点の普及により読みやすい表記になった
l 「自分のニーズに合った読書をする」図書館文化
図書館の登場で、近代的な読書習慣を獲得するが、利用者の大半は学生に留まる
日露戦争後の地方改良運動によって、各町村に図書館ができ、地方で飛躍的に増える
2. 日本初の男性向け自己啓発書『西国立志編』
l 「仰げば尊し」と立身出世
1884年、小学唱歌集に収録された。江戸時代は武士が立身、町人が出世とそれぞれ身分に合った野心に留められていたのに対し、明治はその2つが重なる所に野心を持つことができる時代
l 明治時代のミリオンセラー
ベストセラーは、時代の空気にベストタイミングで合致した本を出した時にだけ起こる
立身出世主義の加速に合わせてベストセラーになったのが『西国立志編』(マイルズ著、1871)
l “Self-Help(原題)”と自助努力の精神
欧米人300人以上の成功談の大半が、「身分や才能ではなく、自分で努力を重ねたからこそ成功した」という教訓で締め括られている。元ネタは、労働者階級の青年向けの講演
3. 修養ブームの誕生と階級格差
l 「ホモソーシャル」な「自己啓発書」の誕生
同書では「修養」という言葉が初めて使われ、「環境に頼らず自分で修養しよう」という思想が広まる。登場するのはすべて男性で、男性権威主義的な世界観が時代にマッチ
l ビジネス雑誌の流行
明治時代後半、「修養」を説く書籍や雑誌がブームに。『実業之日本』(1897年創刊)、『成功』(1902年創刊)などが、「修養が大切」との価値観を拡散
l 自己啓発書を巡る日本の階級格差
自己啓発書が労働者階級を中心に爆発的に読まれた一方で、エリート層たちはそのブームを冷ややかに見ていた
第2章 「教養」が隔てたサラリーマン階級と労働者階級―大正時代
1. 大正時代の社会不安と宗教・内省ブーム
l 効率重視の教養は、今に始まったことなのか?
『ファスト教養』(2022年刊)が、「インターネットの時代を経て、現在「効率重視の教養」が台頭している」と主張するが、今に始まったことではない
l 読書人口の増加
大正時代、日本の読書人口は爆発的に増加。再販売価格維持制度の導入で、書店が大量に本を仕入れることができるようになった影響が大きい
l 日露戦争後の社会不安
大正時代の3大ベストセラーは、『出家とその弟子』(倉田百三)、『地上』(島田清次郎)、『死線を越えて』(賀川豊彦)だが、社会不安への内省的なものが多い
l スピリチュアルが、社会主義が、売れる!
明治後期のベストセラーは、キリスト教の教えを説いた内村鑑三や、新しい家族小説を描いた徳富蘆花など、ある種理想主義的な本が多く、ポジティブな希望を内包したもの
2. 辛いサラリーマンの誕生
l 「サラリーマン」の登場
大正時代に登場した新中間層が「サラリーマン」で、身分より能力重視の時代への変遷
l 労働が辛いサラリーマン像、誕生
日露戦後の物価高や不景気から、サラリーマンを辛い環境が襲い、社会に定着
l 疲れたサラリーマン諸君へ、『痴人の愛』
大正末期の新聞のターゲットだった新中間層の間でヒットしたのが連載小説
3. 教養の誕生と修養との分離
l 田舎の独学ブーム
l 「社員教育」の元祖としての「修養」
明治時代エリートの間で広まった「修養」は、大正時代には労働者階級の間に根付く
l エリート学生の間に広まる「教養主義」
和辻哲郎や阿部次郎・安倍能成などが新渡戸の影響を受け、「知識を身に着ける教養を通して、人格を磨くことが重要」と語り始め、修養と教養の差が開く
l 総合雑誌が担ったもの
大正時代、「教養」は「修養」から分離し、エリート文化として流行するが、その担い手となったのが雑誌で、『中央公論』など「総合雑誌」と呼ばれる教養系雑誌が中心
l 「教養」と「労働」の距離
現代の「ビジネスに使える、効率重視の教養」の正体とは、大正時代に分岐したはずの「教養」と「修養」が再合流したもの。「修養」=労働者としての自己研鑽と、「教養」=エリートとしてのアイデンティティを保つための自己研鑽、とが、新中間層の登場によって一体化
労働者階級と新中間階級の格差があって初めて、「教養」は「労働」と距離を取ることができるが、現代にあっては「教養」が「労働」に近づいている
ビジネスマンにとっての「教養」の在り方も変わり、「教養」は常に「修養=仕事のための自己啓発」との距離を変え続けている
第3章 戦前サラリーマンはなぜ「円本」を買ったのか?―昭和戦前・戦中
1.
日本で最初の「積読(つんどく)」本
l 円本の成功と驚異の初版部数
関東大震災が出版業界にも、民衆の読書文化にも大打撃を与え、大正末期には出版界もどん底になったが、出版界に革命を起こしたのが、改造社の「円本」
l 改造社の『現代日本文学全集』の大博打
単行本の半額以下だが、全巻予約必須システムにより大成功。全62巻、別冊1巻を6年以上かかって完了。多様なジャンルの全集ブームとなり、サラリーマンが買い集める
l 円本ブーム成功の理由① 「書斎」文化のインテリアとしての機能
改造社の装丁を担当した清水非水は「室内装飾」としての書物というコンセプトを提示
l 円本ブーム成功の理由② サラリーマンの月給に適した「月額払い」メディア
新中間層は恵まれた給与水準にあり、彼等を「読書階級」に押し上げた一因
l 円本ブーム成功の理由③ 新聞広告戦略、大当たり
2.
円本は都市部以外でも読まれていた
l 円本=日本で最初の「積読」セット?
読書に慣れない層まで普及するパッケージ
l 農村部でも読まれていた円本
3. 教養アンチテーゼ・大衆小説
l 「受動的な娯楽」に読書は入るか?
読書は、教養のある階層に許された趣味であり、「勉強」「修養」の一部と思われていたが、円本ブームの後に売れ始めた大衆向け小説は、読書をエリート趣味から解放
l 戦前サラリーマンはいつ本を読んでいたのか?
大正末期から昭和初期にかけて、大衆向け雑誌が立て続けに刊行、多数の小説が連載され、後に「大衆小説」「エンタメ小説」と呼ばれる、「純文学」とは一線を画するジャンルに成長
この時代に、「雑誌や新聞連載で人気が出た小説が、単行本になりベストセラー化する」という流れができた。戦前のサラリーマンは、電車の中や休日の読書以外にも、新聞・雑誌で小説を偶然見かけてそのまま読んでいたということも言える
l 忙殺されるサラリーマンたち
l もはや本を読むどころではない戦時中
日中戦争初期まではベストセラーが存在。海外の翻訳物も多い
第4章 「ビジネスマン」に読まれたベストセラー―1950~60年代
1.1950年代の「教養」を巡る階級差
l ギャンブルブームの戦後サラリーマン
戦後誕生した商業的娯楽としてギャンブルがある。競馬に加えて、競輪とパチンコ
l 「教養」を求める勤労青年
書籍はサラリーマンのものだったが、戦後は労働者階級にも「教養」が広がる
l 紙の高騰は「全集」と「文庫」を普及させた
1951年、用紙の割当制が廃止され、全集ブ-ム到来。紙が自由化で高騰、経営難に追い込まれた出版社が夢よ再びで全集に賭けた
2.サラリーマン小説の流行
l 源氏鶏太のエンタメサラリーマン小説
「教養」一辺倒だったサラリーマンの読書に、「サラリーマンが読む会社小説」が加わる
l 読書術の刊行が示す「読書危機」
片道1時間の通勤時間に本を読めという読書術の本が出る
読書のメリットがどこにあるかとの疑問にこたえるかのように、読書によって自発的な活動をしていこうという、読書の具体的なメリットについて哲学的に語った本が刊行される
l 日本史上もっとも労働時間の長いサラリーマンたち
1960年の労働者1人当たりの年間実労働時間は2426時間と、現在の1.5倍
3.
ビジネスマン向けハウツー本の興隆
l 「役に立つ」新書の登場
1961年刊行のベストセラー『英語に強くなる本―教室では学べない秘法の公開』
インテリ向けの岩波新書に対抗してカッパ・ブックスが、新たな読者層を掘り起こそうと始めたシリーズが現代のビジネス書や自己啓発書の源流となる
l 「本」を階級から解放する
カッパ・ブックスの登場によって、「本」が明日のビジネスに役立つかもしれない知識を授けてくれる存在にもなり、「本」をインテリ階級から解放する契機ともなる
高度成長期の長時間労働が、日本の読書文化を、結果的に大衆に解放
l 勉強法がベストセラーになる時代
成功する一要素として、「勉強ができること」があった
第5章 司馬遼太郎の文庫本を読むサラリーマン―1970年代
1.
司馬遼太郎はなぜ70年代のサラリーマンに読まれたのか?
l なぜみんな『坂の上の雲』を買ったのだろう?
『坂の上の雲』の連載が始まったのは1968年の産経新聞。立身出世の物語で、70年代には文庫版がベストセラーに
l 司馬遼太郎の魅力の源泉
司馬作品は、「歴史という教養」を通した「人格陶冶」が、読書を通して模索された
ビジネスマンにとってある種の手軽な教養主義、つまり「歴史を学ぶことで、ビジネスマンとしても人間としても、優れた存在にのし上がることができる」という感覚の帰結が司馬作品に向かわせた。併せて、乱世に活躍するヒーロー像への陶酔も存在
2.
テレセラーの誕生と週休1日制のサラリーマン
l テレセラー=テレビによって(のお陰で)売れる本
小説がテレビドラマ化され、ドラマ化によって小説が売れるという循環が生まれた
l 土曜8時のテレビと週休1日制
テレセラーはドラマの原作に限らず、「バラエティ番組から出る本」もこの頃生み出された
「土曜8時」が人気になったのは、土曜の夜が唯一の休日前夜だったから
l 「テレビ売れ」に怒る作家、「TikTok売れ」に怒る書評家
テレセラーの筆頭は大河ドラマによる歴史小説売れ。『天と地と』の海音寺潮五郎は、「テレビが栄えて、文学が衰えつつある」の述べて引退宣言
新興メディアの登場によって文学の影響力が後退することを危惧する傾向は、今でも変わっていない。現代の私たちの「休息」の象徴が、小説やテレビからスマホになったのと同様だが、テレビによって小説はむしろ、歴史小説やエンタメ小説といったジャンルのベストセラーを生み出すことに成功。書店に行かなくても本の入り口を得ている
3.
70年代に読む司馬作品のノスタルジー
l 通勤電車と文庫本は相性が良い
70年代は、出版界における文庫創刊ラッシュの時代で、通勤電車の中で文庫本を読むという風景はこの頃根付いた。80年代には首都圏の通勤時間の過半は1時間超に延びている
l 70年代と企業文化の定着
オイルショックを経て、日本型企業の仕組みに自信を持ち、「日本企業的文化」が定着
l 企業の「自己啓発」重視文化の誕生
70年代に入ると、企業内教育において「自己啓発」という言葉が使われ始める。高度成長期の企業の労務管理は、人的能力開発に着眼、ビジネススキルの向上を目指す
l 「国家」と「会社」の相似性
『坂の上の雲』における「国家」を「会社」に変換すれば、そのまま1960年代論となり、会社に入りさえすれば、という夢があった時代で、明治時代の立身出世物語は、高度成長期へのノスタルジーそのものだっただろうか
l 社会不安の時代に読む『竜馬がゆく』
70年代、社会不安を煽るような作品がベストセラーに。乱世を世渡りによって生きて行く竜馬の姿は、70年代の社会に合致したヒーローだった
l 『坂の上の雲』は懐メロだった?
司馬作品の戦国武将や明治の軍人たちの在り方に、サラリーマンが自分の組織論や仕事論を投影して読む在り方は、この時代の「日本人論」と通じるものがある
懐かしさの陶酔する姿は滑稽だが、懐かしさだけが救える感覚もあり、サラリーマンはそれを知って司馬作品を読んでいたのだろう
第6章 女たちのカルチャーセンターとミリオンセラー―1980年代
1.
バブル経済と出版バブル
l 「嫁さんになれよ」だなんて言えない時代になっても
出典の『サラダ記念日』は1987年刊行。当時から変わらないのが「若者の読書離れ」
l ミリオンセラーと長時間労働サラリーマン
1980年代、出版業界の売り上げはピークに。軒並みミリオンセラー。一方で長時間労働が増え、余暇は減っている
2. 「コミュ力」時代の到来
l サラリーマンに読まれた雑誌『BIG Tomorrow』(80年創刊)
80年代の出版バブルを支えていたのは雑誌
『BIG
Tomorrow』は、「職場の処世術」と「女性にもてる術」の2本柱でハウツーを伝える、若いサラリーマン向けに人気を博す。教養主義的な側面はなく、90年代の心理主義に近い
l 70年代の「教養」と80年代の「コミュ力」
サラリーマンの間では「学歴よりも処世術の方が大切」との価値観が広まる
高学歴者が多くなり、労働に教養が貢献しなくなり、コミュ力が重視される
l 「僕」と「私」の物語はなぜ売れた?
80年代のベストセラーは、『窓ぎわのトットちゃん』『サラダ記念日』『ノルウェイの森』、どれも1人称視点の物語。コミュ力重視の裏返しとも言える
l 本をみんな読んでいた?
ミリオンセラー連発とは裏腹に、1世帯当たりの書籍購入額は減少。人口増の恩恵だった
3.
カルチャーセンターを巡る階級の問題
l カルチャーセンターに通う主婦・OLへの蔑視
80年代、企業主催のカルチャーセンターは黄金期を迎える。通うことが一種のステイタスシンボルと化す。聴講生の80%が女性で、暇な主婦の道楽との揶揄もあった
l 「大学ではない場の遊び」
学歴コンプレックスを埋めるために「教養」を求める道が、80年代には女性にも開かれたが、いつの時代も「大学ではない場で学ぼうとする人々」には蔑みの視線が向けられる
l 女性作家の興隆と階級の問題
80年代には、吉本ばなな、山田詠美、俵万智など、少女的な感性が純文学を席巻したのは、大衆が本やカルチャーセンターを通して教養を身につけ、それによって自己表現できる時代の産物。男性専科の「教養」が女性にも開かれ、なによりもそれを読む読者が生まれた
第7章 行動と経済の時代への転換点―1990年代
1.
さくらももこと心理テスト
l 90年代は「そういうふうにできている」
平成を代表する作家は、『ちびまる子ちゃん』のさくらももこ。彼女のエッセイ『そういうふうにできている』は誰でも読めるエッセイの一つ。妊娠・出産という、女性向けに閉じそうな題材を、誰にでも読める文章に開いた
l さくらももこと心理テストの時代
スピリチュアルな感性は奇妙に感じる。心霊現象への関心が広まったのが90年代前半
2.
自己啓発書の誕生と新自由主義の萌芽
l 『脳内革命』と〈行動〉重視の自己啓発書
出版界に「脳」ブーム勃興。自分に対して、何か行動を起こすことによって、自分を好転させる。あくまで〈行動〉を促すことで成功をもたらすという自己啓発書のロジックの原点となったのが『脳内革命』の驚異的なミリオンセラー
l 〈内面〉の時代から〈行動〉の時代へ
90年代の自己啓発書は、読んだ後、読者が何をなすべきなのか、とるべき〈行動〉を明示
l 労働環境の変化と新自由主義の萌芽
〈行動〉が注目され始めた背景には、労働環境の変化がある
バブル崩壊で、就職は氷河期に入り、「自分のキャリアは自己責任で作る」という価値観が広がる。1億総中流時代が終わり、新自由主義的な価値観を内面化した社会に変化
l 〈政治の時代〉から〈経済の時代〉へ
90年代の労働は、神の手によって大きな流れが生まれる経済の波の中で、自分をどうコントロールして波に乗るか、という感覚に支えられた。さくらももこの言う「そういうふうにできている」ものを変えることはできないからこそ、波の乗り方=行動を変えるしかない
3.
読書とはノイズである
l 読書離れと自己啓発書
長時間労働に追われている中で、スマホは見ても「読書」は出来ない。ここにある溝とは何かを知りたくて、近現代日本の読書と労働の歴史を追いかけて来た
バブル経済までは人口増加に伴って本は売れていたし、読まれていたが、90年代以降、書籍購入額は明らかに落ちている。一方で、自己啓発書の市場は伸びている
l 自己啓発書はノイズを除去する
自己啓発書の特徴は「ノイズを除去する」姿勢にある
「片づけ本」はその典型。「部屋」=私的空間を「聖化」することが、自分の「人生」が好転することに直結する、というロジック。そこには、本来「部屋」と「人生」の間にあるべき「社会」が捨て置かれている。コントローラブルな「部屋」をときめかせて、「人生」を社会から守ろうとさせる。自己啓発書とは、社会(労働環境の意を含む)を遠ざけようとするジャンルであり、アンコントローラブルな外部の社会は、ノイズとして除去される
l 読書は、労働のノイズになる
現代の労働環境の中で働いていると、いかに市場に適合できるかを求められる。適合するためには、不要なノイズをなくすことであり、コントロールできないものをノイズとして除去し、コントロールできる行動に注力する。それは大きな波に乗る=市場に適合しようとすれば当然の帰結。自己啓発書に対し、文芸書や人文書といった社会や感情について語る書籍はむしろ、人々にノイズを提示する作用を持っている
知らなかったことを知ることは、世界のアンコントローラブルなものを知る、人生のノイズそのものであり、本を読むことは、働くことのノイズになる
l ノイズのない「パズドラ」、ノイズだらけの読書
読書は、知らないものを取り入れる、アンコントローラブルなエンターテインメントであり、そのノイズ性こそが、読書離れの原因ではないか
90年代以前の「政治の時代」「内面の時代」においては、読書はむしろ「知らなかったことを知ることができる」ツールで、コントロールの欲望ではなく、社会参加や自己探索の欲望だったが、90年代以降の「経済の時代」「行動の時代」では、自分自身でコントロールできるものに注力する。そこにあるのは市場適合や自己管理の欲望。それが新世紀の思想
第8章 仕事がアイデンティティになる社会―2000年代
1.
労働で「自己実現」を果たす時代
l 自己実現の時代
現代の自己実現という言葉には、どこか「仕事で」というニュアンスがつきまとう。それは、日本の社会が「仕事で自己実現すること」を称賛してきたからで、自己実現が果たせる仕事に就けることが最高の生き方という考えが支配
l ゆとり教育と『13歳のハローワーク』(村上龍)
2002年、「生きる力」を重視する教育、通称・ゆとり教育開始。村上龍の、子どもが好きなことに応じて職業が紹介されている職業事典がベストセラーに
競争しなければいけないのに、個性を活かさなければならない――このジレンマが作られた結果、「やりたいことが見つからない」若者が増え、「やりたいことが見つかっても、リスクの高い進路を選んでしまう」若者が増えた。「好き」を活かした「仕事」という幻想が出来た
l 労働者の実存が労働によって埋め合わされる
労働者も「教養」を高めて自分の階級を上げようとしたものが、「労働」によって自己実現を図るべきだという思想を与えられるようになった
新自由主義社会化による労働環境の変化の影響を受けた若者たちは、もはや消費では自己表現することが難しくなり、労働そのものが「自分探し」の舞台になった
l 余暇を楽しむ時間もお金もない
2000年代のフルタイム男性労働者の平均労働時間は長くなっている。「自己実現」という夢が若者を長時間労働にのめり込ませ、仕事への過剰な意味づけが、新しい時代を覆う
2.
本は読めなくても、インターネットは出来るのはなぜか?
l IT革命と読書時間の減少
2009年には、すべての年代で読書時間が前年比減少
その原因は、「情報」の台頭。インターネットが新しい地平を作る
l 『電車男』(2004)とは何だったのか
「2ちゃんねる」への書き込みをそのまま掲載し、掲示板の情報によって恋愛を成就させていく物語は、情報の価値を知らしめる作品。「情報」がモテの階級を飛び越える存在だった
l インターネットの情報の「転覆性」
インターネットの本質は、「リンク、シェア、フラット(無名性)」にある(糸井重里)
インターネットは、ある種の仮面舞踏会でもあり、そのもたらす情報とは、社会的ヒエラルヒーを無効化(=転覆性)し、むしろ現実の階級が低い人にとっての武器になり得る存在
l 本は読めなくても、インターネットはできるのはなぜか?
「読書的人文知」と「インターネット的情報」を隔てるものとは? 求めている情報だけを、ノイズが除去された状態で、読むことができるのが「インターネット的情報」
l 情報も自己啓発書も階級を無効化する
「インターネット的情報」は、現実での階級を仮面で隠し、ただ情報を交わすことに集中できるという特徴を持つ。自己啓発書もまた読者の階級や出自を無効化し、「行動」に集中
3.
本が読めない社会なんておかしい
l 過去はノイズである
過去や歴史はノイズ。文脈や歴史や社会の状況を共有しているという前提が、そもそも貧困に「今」苦しんでいる人にとっては重い。倫理や教養は、常に過去や社会といった、自分の外部への知識を前提とするが、外部への知識を得るには一定の文化資本が必要
一方、情報は「今」ここに差し出されるものであり、「今」の情報を入手する能力こそが情報の感度になる。階級の持つ文化資本を無効化し、「今」の情報が重視されるのは時代の必然
l 情報とは、ノイズの除去された知識
インターネットというテクノロジーによって生まれた「情報」の台頭と入れ替わるようにして、「読書」時間は減少
「情報」と「読書」の最も大きな差異は、知識のノイズ性。文脈や説明の中で、読者が予期しなかった偶然出会う情報を、「知識」と呼ぶが、情報は、読者が知りたかったことそのものを指すので、そこには知識は存在せず、従ってノイズ性がない
インターネットとは、検索したリフォローしたり、自分の欲しい情報を得るための場
l 読書は楽しまれることができるか?
自分の好きな仕事をして、欲しい情報を得て、個人にカスタマイズされた世界を生きる。それが現代の「夢」だとしたら、働いていると本が読めないのは時間だけが問題なのではない。問題は、読書という、偶然性に満ちたノイズありきの趣味を、どうやって楽しむことができるのか、というところにある
第9章 読書は人生の「ノイズ」なのか?―2010年代
1.
働き方改革と労働小説
l 『多動力』(2017)の時代に
「コントローラブルなことに手間をかける、それがビジネスに役立つ」――これこそ「ノイズを排除する」現代的な姿勢を地でいく発言
「行動量を上げることで、仕事の成功を収める」ことを綴ったビジネス書が全盛
l 新自由主義とは何か
新自由主義社会とは、小さい政府で、規制緩和と市場原理重視の社会のこと。そこでは、「行動重視」と併せて、「自分の人生は自分で決め、努力する」という自己決定権が重視
l 働き方改革と時代の変わり目
2015年、電通の過労死事件から「働き方改革」が叫ばれ始め、長時間労働の歴史が変わろうとしている
l ノマド、副業、個で生きる
「やりたいことを仕事にする」幻想は、2010年代にさらに広まる
l 労働小説の勃興
働き方改革の時代性は、読書の世界にも影響。2000年末以降、労働というテーマが小説の世界で脚光を浴びる
2.
「娯楽」が「情報」になる日
l SNSと読書量
2010年代、SNSが本格普及したが、読書量が減った原因は、SNSより仕事や家庭
l 本を早送りで読む人たち?
読書を「娯楽」ではなく、処理すべき「情報」として捉えている人の存在感が増す
映画も「情報」として楽しむ人が増えている。「芸術→鑑賞モード」「娯楽→情報収集モード」という区分が人々の中に存在し、「観る」と「知る」を峻別。早送りは「知る」こと
l 自分と関係がない情報、という「ノイズ」
『ファスト教養』(2022)では、「仕事に役立つ教養」という切り口で、教養を速く手軽に伝える人々を描き、新自由主義の台頭と因果関係があると説明。「ノイズを除去した情報」
一方で、私たちは、他者の文脈に触れながら生きざるを得ず、ノイズ性を完全に除去した情報だけで生きるのはムリ
3.
他者の文脈を知る
l 『推し、燃ゆ(火葬のこと)』(2020)とシリアスレジャー
趣味とそれに伴うSNSでのコミュニケーションの中で人生の実存を埋める女性の物語
「シリアスレジャー」という、お金にならない趣味を生き甲斐とする人々が増えている
l 自分以外の文脈を配置する
「推し」が自分の人生そのものであるはずだったが、自分の骨は自分では拾えないことを知る。他者を人生に引き込みながら、人は生きていかなくてはならない
l 仕事以外の文脈を思い出す
手段は何であれ、情報を得ているうちに、自分から遠く離れた他者の文脈に触れることはある。今の自分には関係のない、ノイズに世界は溢れている
大切なのは、他者の文脈をシャットアウトしないこと。仕事のノイズになるような知識を、あえて受け入れる。それこそが、働きながら本を読む一歩なのではないか
l 半身で働く
「全身全霊で働く」男性の働き方に対し、女性の働き方を「半身で関わる」と表現
現代は、男女ともに、半身で働くものになるべき
読書とは、「文脈」の中で紡ぐもの
地は常に未知であり、私たちは「何を知りたいのか」を知らない。だから本を読むと、他者の文脈に触れることができる。自分から遠く離れた文脈に触れることこそが読書。本が読めない状況とは、新しい文脈を作る余裕がない。離れたところの文脈をノイズだと思ってしまう。それは余裕のなさ故。仕事以外の文脈を取り入れる余裕がなくなるから、働いていると本が読めない
l 「働いていると本が読める」社会
社会の働き方を「半身」に変えることができたら、残りの半身は「別の文脈」を取り入れる余裕ができるはず。新しい文脈というノイズを受け入れられないときは、休もう
最終章 「全身全霊」をやめませんか
l 日本の労働と読書史
l 日本の労働時間はなぜ長い?
労働時間は延びているが、一方で非効率で無駄な時間の存在も指摘されている
l 強制されていないのに、自分で自分を搾取する「疲労社会」
新自由主義は、決して外部から人間を強制しない。自己責任と自己決定を重視するため、自分から望んで闘い続けるから疲れる
l 燃え尽き症候群は、かっこいいですか?
21世紀の今、実は「自由」によって私たちは鬱病を罹患することもある、そんなパラダイムシフトが起こっている。バーンアウトは鬱病に至る病
l トータル・ワーク社会
生活のあらゆる側面が仕事に変容する社会を「トータル・ワーク社会」と呼ぶ
政府は「ワーク・ラーフ・バランス憲章」において、有限の個人の時間をうまく「仕事」と「生活」に振り割ることで、「地域社会への貢献」を果たせと書き、疲労社会を助長している
l 「全身」を求められる私たち
現代社会は、働くことのできる「全員」に、「全身」の仕事へのコミットメントを求める
l 「全身全霊」を褒めるのを、やめませんか
全身のコミットメントは楽だが危うい。過剰な自己搾取はどこかでメンタルヘルスを壊す
l 「半身社会」こそが新時代である
半身のコミットメントこそが、新しい日本社会、「働きながら本を読める社会」を作る
l 半身社会を生きる
あとがき 働きながら本を読むコツをお伝えします
①
自分と趣味が合う読書アカウントをSNSでフォローする
②
iPadを買う――どんな姿勢でも読みやすい
③
帰宅途中のカフェ読書を習慣にする
④
書店へ行く
⑤
今まで読まなかったジャンルに手を出す
⑥
無理をしない
集英社 ホームページ
なぜ働いていると本が読めなくなるのか
著者: 三宅 香帆
☆★新書大賞2025受賞!!30万部突破!!☆★
☆★2024年 年間ベストセラー1位(新書ノンフィクション/日販・トーハン・オリコン調べ)☆★
☆★第2回書店員が選ぶノンフィクション大賞2024 受賞☆★
☆★紀伊國屋じんぶん大賞2025
3位 キノベス!2025 5位☆★
◎テレビ朝日『大下容子!ワイドスクランブル』で特集されました(2024年9月20日)
テレビ、新聞、雑誌、ネットメディア、ラジオ、ポッドキャストなどでのメディア出演、紹介多数!!
【人類の永遠の悩みに挑む!】
「大人になってから、読書を楽しめなくなった」「仕事に追われて、趣味が楽しめない」「疲れていると、スマホを見て時間をつぶしてしまう」……そのような悩みを抱えている人は少なくないのではないか。
「仕事と趣味が両立できない」という苦しみは、いかにして生まれたのか。
自らも兼業での執筆活動をおこなってきた著者が、労働と読書の歴史をひもとき、日本人の「仕事と読書」のあり方の変遷を辿る。
そこから明らかになる、日本の労働の問題点とは?
すべての本好き・趣味人に向けた渾身の作。
三宅香帆さんが語った「新聞の価値」
2025年4月6日 7時00分 朝日新聞
「なぜ働いていると本が読めなくなるのか」の著書・三宅香帆さん
新聞はデジタル版で読むが、気になるニュースを読んだ後は、見方が偏らないように複数の新聞社が配信する同様の記事にも目を通すようにしている。報道のスタイルが各社それぞれ違うし、一つのメディアを信じ過ぎないことが大事だ。
また、新聞記者が実名で公開するSNS(交流サイト)も積極的にフォローしている。「この記者の発言なら信頼できる」と、読む記事を決めることも多い。売り上げや採算にとらわれず記事を書けるのが組織に身を置く新聞記者の強み。記者は会社の主張に沿って記事を書く印象があるが、記者一人一人がもっと前に出て、個人の名前で責任を持って発信した方が伝わりやすいと思う。
インターネット社会は、SNSで一個人がそれぞれの思いを発信することができる。特に若者は、個人が届ける情報を信頼する傾向が強い。そんな若年層を中心に、新聞離れが顕著だとされている。
「地方の声をどんどん届けて」
自分の欲しい情報をインターネットで手軽に得ることができる現代は、その背景にある知識や周辺にある文脈が「ノイズ」として除去される傾向にある。そんな現状を、2024年に刊行した「なぜ働いていると本が読めなくなるのか」(集英社)で、指摘した。
事件、事故、政治、経済、暮らし、文化などあらゆる分野を網羅した新聞も、「ノイズ」を含むコンテンツだと思う。「ノイズ」を排除し、自分が欲しい情報のみを取り入れていては、偶発的な情報との出合いが生まれず、予期せぬ分野への関心が広がらない。
取材網が全国に張り巡らされ、記者が地道に取材するメディアは新聞をおいてほかにない。高知で育ち、就職で東京暮らしを経験したが、現在は大学時代を過ごした京都での生活を満喫している。京都は、書店や喫茶店が近くにあって利用しやすい。そんなコンパクトな街のサイズが気に入っている。地方に住んでいると、「東京が日本のスタンダード」という考えに違和感を覚えることがある。各地にネットワークを持つ新聞には、地方の声をどんどん届けてほしい。
みやけ・かほ 1994年生まれ。高知県出身。京大大学院在学中の2017年に「人生を狂わす名著50」(ライツ社)でデビュー。会社員生活の傍ら執筆活動を続け、22年に独立。24年刊行の「なぜ働いていると本が読めなくなるのか」(集英社)で「書店員が選ぶノンフィクション大賞」受賞。京都市立芸術大非常勤講師も務める。
好書好日
2024.7.9.
三宅香帆「なぜ働いていると本が読めなくなるのか」 労働観の改革、「ノイズ」が鍵
子どものころから本が大好きな文学少女は、好きな本をたくさん買うために就職した――はずが、待っていたのは「労働のせいで本が読めない!」という現実だった。その体験をもとに、タイトルの「なぜ」を深掘りしたのが本書だ。
最初の答えとして、日本に根付く長時間労働がある。しかし、日本で本が右肩上がりに売れた昭和後期は、エコノミックアニマルと呼ばれた日本人が、全力で長時間労働にいそしんだ時代でもある。ゆえにこれは理由の全部ではない。
次に著者は問いの方向を転換する。長時間労働で疲弊する中、本は読めなくても、インターネットにはハマってしまう。なぜ?
答えは、ネットでは「求めている情報だけを、ノイズが除去された状態で、読むことができる」から。対して、読書の特性とは「世界のアンコントローラブルなものを知る」こと。昔は読書による知識の吸収が成功するために必要とされていたが、今では、その知識が情報を濁らせるノイズとみなされてしまう。
新自由主義が覆う競争社会では、ノイズを除いた“純粋な”時間を仕事に捧げることが勝ちにつながる、と私たちは思わされているが、目の前の現実は、逃げ場をふさがれた疲労社会。複雑で遠い文脈にあるノイズこそが、抜け出す鍵なのに。
帯の惹句(じゃっく)「疲れてスマホばかり見てしまうあなたへ」から、流行(はや)りの脳方向の話かと思ったら、「読書と労働」という、ニッチな視点から労働観の改革に切り込んでいくものだった。「働きながら本を読める」とは、好きなことと労働がバランスできること。そんな社会を作ろうよ、という提言にいたる展開がユニーク、スリリングで、読み進めていくと、働く人に必要な価値観がくっきりと見えてくる。=朝日新聞2024年7月6日掲載
◇
集英社新書・1100円。4月刊。6刷13万5千部。「書店では午後6時以降に売り上げが伸びる。仕事帰りの人に、タイトルが刺さっているようだ」と担当編集者。電子版も1万9千部超に達している。
清野由美(キヨノユミ)ジャーナリスト
1960年生まれ。著書に「住む場所を選べば、生き方が変わる」など。
ぜいたくな時間 作家・朱野帰子
交遊抄
2025年5月23日 2:00 [会員限定記事]
数年前、「わたし、定時で帰ります。」という自著のタイトルでウェブ検索したところ、褒めてくれている三宅香帆さんという女性がいた。ウェブメディアを中心に書評を書いているらしい。
連絡を取って、早稲田大学の国際文学館(村上春樹ライブラリー)に一緒に行くことになった。ライブラリーに一歩入ると、三宅さんにエネルギーが満ちた。棚にある村上作品を私が手に取るたびに「その本はおすすめです」と紹介してくれる。「まさか全部読んだのか」と戦慄したが、作品年表の前に立って「この作品と作品のあいだに年数がありますよね」と解説してくれたところを見るに、どうやら全部読んだらしい。本読みは大勢いるが、本について話したいエネルギーがこうまでに高い人も珍しい。「働いていると読む冊数にも限界があって」と話していた三宅さんはその数年後、「なぜ働いていると本が読めなくなるのか」を刊行。その本はベストセラーとなり、三宅さんはメディアに引っ張りだこになっていき、一気に有名人になった。
今思えば、村上ライブラリーで解説してもらったあの時間はとんでもないぜいたくだった。といっても、三宅さんのYouTubeチャンネルを開けば、いつでも本を紹介してもらえるので、寂しくはないのだが。(あけの・かえるこ)
春秋(12月13日)
2024年12月13日 0:00 [会員限定記事]
いまや、読書は「ノイズ」としてとらえられているという。インターネットで自分の欲しい情報に接すれば事足りるのに、書物には余計な知識が紛れ込み、忙しい人々のニーズとずれている。「『情報』と『読書』のトレードオフ」が2000年代に始まっていた――。
▼三宅香帆さんのベストセラー「なぜ働いていると本が読めなくなるのか」は、こんな考察を歴史的に展開していて面白い。エリート層の教養だった読書という営みに昭和期は大衆が参加し、やがて娯楽として消費されるが、昨今はそれも廃れた……。「ノイズ」を本の醍醐味と感じている当方など、どうも時代遅れらしい。
▼最近しばしば唱えられる、社会人のリスキリング(学び直し)でも「ノイズ」は敬遠されようか。経済協力開発機構(OECD)の国際成人力調査では、日本人の「数的思考力」は24歳で頭打ちという。国や企業による「学び」の後押しがもっと必要なのは論をまたないが、実務と実利一辺倒ならいささか寂しい気がする。
▼それも自発的に進めたくなる雰囲気ならまだしも、同調圧力をかけられて学べ、学べでは戸惑うばかりだ。さらに幅を広げて教養を身につける余裕などいよいよ失われる。著書のなかで三宅さんは、働きながら本を読めるように、あえて「半身」で働こうと提案している。急がば回れ。成人力を太くする近道かもしれない。
「なぜ働いていると本が読めなくなるのか」著者に聞く
2024年11月17日 5:00 [会員限定記事] 日本経済新聞
読書離れと言われて久しい。記者が大学生だった1980年代もすでにそんな雰囲気で、さらにデジタル化で活字文化は廃れるばかり。なぜこんなことに? 文芸評論家の三宅香帆さんは「なぜ働いていると本が読めなくなるのか」(集英社)で古くて新しいこの問題に切り込んだ。三宅さんに読書を遠ざける背景や問題点を聞いた。(聞き手は編集委員 中村直文)
――あまりにもストレートな見出しで、「そりゃそうだろう」という感じだったので読むか読まないかを悩みました。しかし読んで見たら、いい意味で裏切られました。社会学的と言いますか。
「実際にそのつもりで書きました」
――1994年生まれなのにまるで時代を見てきたように書いています。すごい読書量なんでしょうね。
「(文芸評論の)専業になってからは1日1冊ぐらい読めるようになりました。大学院とか大学生のときもそんな感じで。(乱読系?)そうですね。フィクションもノンフィクションも好きなので」
――ベンチマークとなる評論家はいますか。
「学生時代から好きなのは斎藤美奈子さんや江藤淳さんです。最近亡くなりましたけど福田和也さんからもすごい影響を受けました。最近だと宇野常寛さんとか」
――この本を書いた動機はなんでしょう。
「読書離れは、若者の話だと思っていました。でも自分の周りを見ていると、学生時代に本好きだった人が社会に出て読めなくなるようで、大人の読書離れが進んでるのではないかと思うようになりました」
「小・中学生だと学校の読書会などで読書量はむしろ増えています。今の働き方のままだと読書だけではなく、文化的なものがなかなかアクセスしづらい。労働と文化的な行為をどうすれば両立できるのかを可視化しようと」
――著書を読むと近代社会以降、人は労働から逃れられないようにも感じます。
「明治時代、あるいは高度経済成長期は日本が外国に追いつかなきゃいけないというコンプレックスがあって、一丸となって頑張った時代でした。今は高度成長期的な働き方が続き、さらに新自由主義みたいなものが入ってきて、余暇も仕事のことを考えないといけないなどと焦る人たちが増え、より読めなくなったのではないでしょうか」
――それは経済構造の問題であり、我々の意識の問題でもあります。どちらの影響が大きいと見ていますか。
「意識の問題だと思います。確かに生産性など経済構造の問題もあると思いますが、本を読む、文化的な趣味をする、仕事以外の勉強をするということの優先順位がすごく下がっていますね。周囲もそうでしたし、色々な会社で起きていることなんじゃないでしょうか」
「今の社会で仕事ができる人とは知識を得たり、勉強したりすることよりも、早くメールを返す人だったり、職場に長く残って仕事する人だったり、目先の仕事をたくさんこなす人になっているように思います。本来は長期的な知識を得た方が将来的にはプラスだろうけど、それを評価する余裕もなくなっています」
――著書ではヒット映画「花束みたいな恋をした」を引き合いに出して、若い世代がコスパ・タイパ的に目先の利益に動き、労働と文化が相いれない姿を描き出しています。
「大学生などZ世代って言われる人たちとしゃべっていると、早いうちに結果を出さなければいけないとか、自分の得意・不得意分野を見極めなければいけないとかの感覚が、自分の学生時代よりさらに強まっています」
――政治への無関心も目先の利益を重視する教育のせいかもしれません。
「政治もそうですが、今は色々なことが経済的な原理にすごく巻き込まれていると思います。政治は外交とか、立法とか、時間がかかる手続きを踏んでいくものだと思います。世の中を経済原理だけで捉えると、すぐ目に見える数字で結果が出るのが大事という話になります。本を読むことなど文化的な行為は、経済では計れない価値がありますから」
――著書内容の大半は同意しますが、司馬遼太郎作品については異論があって。1970年代に会社員らが60年代のノスタルジーとして読んだのでは、と書いていましたが、80年代に読んだ身としては、「まだまだ日本はいける」前提で読んでいました。その頃に人口の増加率の鈍化などを見据えた政治・経済の流れに変われればよかったのですが、逆にイケイケどんどんになってしまい、バブルまっしぐらという感じです。司馬遼太郎作品は読まれますか?
「好きですね。『燃えよ剣』はシンプルに面白いしかっこいい。『竜馬がゆく』や『坂の上の雲』は個人の読み方として、日本や自分を重ねて読むというよりは単純に大河ドラマ感覚で読んでいます」
――自己啓発本が売れることへの分析も鋭いですね。周囲は変われなくてもいいけど、自分は変われるという考え方が強まっていますね。
「長期的な視野よりも短期的な視野を持たないと評価されない社会だと思うので、政治や社会を考えることよりも、自分を変えていこうというのは当然の流れです。それも社会の構造が影響しているのでしょう」
――社会はより内向きになると思いますか。
「家族みたいな小さい共同体が復活するのではないかと思っています。例えばコミュニケーションが苦手な若い世代は親のことはすごく好きなんですよ。今までだったら、国家とか会社とかみたいな大きい組織と自分みたいな感じだったのが、家族や近所、友達とかの共同体の存在感が増すのでは」
――効率性から外れた「ノイズ」や半身の姿勢が重要なキーワードですね。
「ノイズ的なものが今だと切り捨てられがちです。しかしノイズ的なものがあるとアイデアがのちのち浮かびやすいとか、長期的にはやっぱり大事なものだと思います。全身全霊って、短期的な視野で見ると一番早いとは思います。ただ全身全霊の働き方だと持続可能性がありません。半身ぐらいが長く働けて生産性が上がるんじゃないかって思ってます」
(構成は西城彰子)
『中央公論』 2025年3月号
新書大賞――新書通100人が厳選した年間ベスト20のトップ
大賞受賞者に聞く――これからも「名付ける責任」を担いたい
――新書大賞史上、最年少、初の平成生まれの受賞。率直な感想は
元ネタの連載開始時から新書大賞を狙っていた
――受賞作がここまでの反響を得られたのはなぜか
みんな、仕事とスマホだけの生活でいいと思っているわけではない。自分の時間の使い方をもう一度考え直した人が増えた気がする。その中で読書にかける時間も再考されるようになったのでは。コスパやタイパの流行を再考する流れが来ているとは以前から感じていたが、そうした時代の気分に合ったのかもしれない
――タイトルに惹かれて手に取った人も多いと思う
レジ―著『ファスト教養』の刊行記念対談記事を読んで決めた。誰もが日々時間に追われ、教養さえもビジネスで役立つなどファストなものを指すことが多くなりつつあるという話の中で、「働いていると本が読めないのは仕方ない」といったら、共感が寄せられた
――これまで文芸作品の批評や解説が多く、通史を書くのは初めてでは?
長い時間軸を描くドラマが好きで、あの面白さを新書でも表現できないかと考えた結果であり、専業になったおかげでストロークの長い仕事ができるようになった
労働の在り方を問いかけた最終章については受け入れられるか不安はあったが、著者の熱量を感じる結論の方が説得力を持たせられると感じ、思い切って振り切った
――「半身(はんみ)社会」の提案への反応は?
仕事だけを人生の最重要項目とせず、複数の場に自分の文脈を持つという意味を込めたが、反論や批判もあった。私自身の考えも整理されたので、今後も問い続けたい
予想以上に広がったのが「ノイズ」という言葉。マイナスのイメージで使われていたノイズという言葉にプラスの意味合いを見る空気を多方面で感じる。自分の興味の範疇外のものを取り入れようとすることを良しとする機運を作るのに、少しだけ貢献できたのでは
――YouTubeで過去の新書大賞の徹底分析をしているが、具体的に意識した作品は?
斎藤幸平著『人新世の資本論』。『なぜ働』を、歴史の話から入って最後に自分たちに身近な生活圏の話に辿り着くような流れにしたのは、この本の影響
稲田豊史著『映画を早送りで観る人たち』も、テーマについての自分のスタンスを伝え読者の共感を呼びながら、問いを読者と共有していることを参考にした
ヒットした新書は、著者と読者が一緒に身近な問いや謎を解いていくものが多い
――ヒットを相次いで出せた秘訣は?
心掛けているのは、みんながなんとなく、ぼんやり思っている現象を「名付ける」こと
言葉の本、さらにはノンフィクションが読まれる最大の意味は、そこにある
名前を与えることによって、その現象に潜む問題が浮き彫りになり、理解が進む
言語化するとはつまり「細分化」すること。みんなの心に問いかけることを大切にしている
名付けるということは、ノンフィクション作品の1つの存在意義で、社会現象を名付けるだけに留まらず、名付けた上で疑問を提示するのが「批評」というジャンルの役割
――多忙な中、読書や執筆の時間をどうやって確保しているのか?
本書を書いたことで、全身全霊に傾きかけた自分を客観視できるようになった
――これからのテーマは?
次の新書のタイトルは、「なぜ夫は病院に行かないのか」。全身全霊のカッコよさの源泉を探る。連載中の『考察したい若者たち』も新書にまとめたい。「考察」というヒットコンテンツを読み解く若者論
――純文学からマンガ、考察動画まで扱う対象が多岐に及びますね
すべて自分を作ってくれた大切なものなので、ジャンルを限定せずに論じていきたい
いろいろな作品の新しい読み方を提示することで、物語を読み解き、楽しむためのリテラシーを広く読者に提供できたらと願う。説得力・影響力を持つ作品を書き、作品を通して誰かに影響を与える書き手になりたい
コメント
コメントを投稿