ネイビーシールズ  William H. McRaven  2023.1.10..

 2023.1.10. ネイビーシールズ 特殊作戦に捧げた人生

SEA STORIES My Life in Special Operations             2019

 

著者 William H. McRaven 1955年テキサス州生まれ。空軍将校の息子。テキサス大の予備役将校訓練課程から’77年海軍に入隊。過酷な訓練課程を経てSEALSの一員となる。その後特殊作戦の分野で活躍し、統合特殊作戦コマンドJSOC在任中にビン・ラーディンを殺害する作戦を指揮した功績により、特殊作戦コマンドSOCOM司令官に就任。37年勤務で、最終階級は海軍大将。海軍退役後、201518年テキサス大システムで学長を務める。著書『11つ、なしとげる! 米海軍特殊部隊SEALsの教え』(2017)は、『ニューヨーク・タイムズ』ベストセラー1

 

訳者 伏見威蕃 1951年生まれ。早大商卒。英米文学翻訳家

 

発行日           2021.10.20. 初版印刷         10.25. 発行

発行所           早川書房

 

1.    もっとも偉大な世代          フランス、フォンテヌブロー 1960

5歳の時、フランスの米軍将校クラブに潜り込んで遊んでいた

祖父が陸軍軍医、父もプロ・フットボーラーから陸軍航空隊に入営。現在はNATOの軍事部門である欧州連合軍司令部配属されたが、軽い脳卒中を起こし、テキサス州サンアントニオのララックランド空軍基地に異動

 

2.    ヴォルケーノ作戦             テキサス州サンアントニオ 1966

冷戦の最盛期を基地の官舎で過ごす

仲間と一緒に砦を作って、近くの弾薬庫の探検をヴォルケーノ作戦と呼んで遊ぶ

 

3.    素晴らしき哉、人生          テキサス州サンアントニオ 1973

高校の陸上競技部に入って1マイルランナーとなり、校内記録を破る

いちばん好きな映画《素晴らしき哉、人生》の主人公のように、激励してくれる人のお陰で記録を達成できた

 

4.    楽な日はきのうだけだった           カリフォルニア州コロナード 1977

少尉としてコロナードの海軍水陸両用戦学校に配属され、SEAL訓練が始まって3週間

2次大戦の海軍の潜水工作兵(フロッグマン)の伝統は受け継がれてきたが、フロッグマンからベトナム戦争時代のSEALへの進化は一般にはあまり知られていない

クラス95に配属されたのは、士官9人、下士官146

過酷な訓練を経て合格するのは、士官で50%、下士官で25%。その後SEALか水中破壊工作チームUDTに配属され、さらに6か月の訓練を受け、漸くSEALの三つ叉の矛徽章を受領

地獄の1週間hell weekに残ったのは55人、全員が協力して乗り越えなければならない

過酷な訓練をやり通したのは33人、最後はヘリコプターからの降下訓練でヘリの墜落事故に巻き込まれかねない危険を体験

 

5.    神の手?                         フィリピン、スービック湾海軍基地 1981

フィリピンのジャングルに潜行。イスラム系テロ組織のモロ民族解放戦線に拉致された基地司令の大佐の救出作戦という想定の訓練を行う

脱出予定の輸送機が延着して、大佐とともに作戦から降りた直後、輸送機が搭乗した隊員を乗せたまま水面に激突、演習に参加した各国の兵士24人が死亡

その犠牲を糧に、その後の特殊作戦任務のすべてで、リスクに見合った行動をとっているかを自問することで、任務に加わった多くの将兵の命を救ったに違いない

 

6.    バーにゴリラがやってくる            テキサス州サンアントニオ 1986

リビアのカダフィが、西ベルリンのディスコ爆破を含めたテロ行為を支援していたことが発覚、カダフィ政権を打倒する大掛かりな作戦の一環として、リビア沿岸沖の海上油田を使用不能にするための作戦が計画された

母が亡くなり埋葬した翌日、失意の父を残して任務に戻る

実物を模した形の訓練で不具合が発見され、SEALの潜水艇の発見が遅れ、何時間も漂流したまま海水の寒さに晒された。その間ゴリラのジョークで何とか繋ぎ漸く救出されたが、その間の潜水艦内の会話は裏方の人たちにすべて聞かれていた。作戦は航空攻撃に変更、出動せずに終わる

 

7.    トフィーノの幽霊             カリフォルニア州コロナード 1989

大統領の署名入りでTeam 1宛に、1948年に消息を絶った海軍哨戒機捜索支援要請が届く。カナダBC州トフィーノ(ヴァンクーヴァ―島の太平洋岸)の標高2400mの急峻な山並にある火口湖に破片らしきものが発見されたので、遺体を回収して欲しいという内容。早速5人のチームを組んで出発。雪解けの2週間を選び、ヘリで機材を上げ野営。氷原の下の空洞部から機体の残骸と9人の遺骨の一部を発見。遺族に現場を見せ、正式な軍の儀式に繋げる

 

8.    アメリカ人海賊                インド洋、ドック型輸送揚陸艦(オグデン)の艦内 1990

フセインのクウェ-ト侵攻により砂漠の楯作戦開始。オグデンに乗ってインド洋を航行中のイラク・タンカーを臨検。撃沈せずに海上で停船させるには、航行しながら乗り込む以外に手はなく、それが出来るのは特殊部隊しかいない

強襲揚陸艦(オキナワ)でSEALの最先任将校だった私は、戦隊幕僚の1人であるとともに、海軍特殊船戦任務隊隊長を兼任

ヘリ2機で海兵隊と共にタンカーに降下、異常なものは見つからずにイラクへ向け解放したが、後にフセインが原油を積んだタンカーをアラビア湾で沈没させ、経済混乱を引き起こすつもりでいたことが判明、原油を積む前に撃沈された

他にも、アラビア湾の小島多数を解放、クウェートの島も奪回してイラク兵を捕虜にした

 

9.    立ち直る機会                  カリフォルニア州モロベイ 1995

SEALの若い士官が飲酒運転中に警官から逃げようとして捕まった事件の責任を取って士官に有罪を宣告したが、その後立ち直る機会が与えられ、昇級していった

モロベイでの演習を視察した際、膨張式硬式船体艇が荒波で転覆、九死に一生を得る

 

10. 空挺カエルちゃん             カリフォルニア州サンディエゴ 2001

海軍大佐として海軍特殊戦グループ1指令を務め、西海岸のSEALチームすべてを指揮

ティファナでの降下訓練中にパラシュートが絡まって骨盤剥離の大怪我を負い、身体の前面にプレートを入れる手術を受ける。1週間は幻覚症状に悩まされたが回復

国防総省の海軍作戦部参謀への異動手続き中に9.11勃発、国家安全保障会議内に新設されたテロとの戦いのための事務局勤務となり、対テロ活動の調整を行う

 

11. ペンシルヴェニア・アヴェニュー1600          ホワイトハウス 2001

テロと戦うための事務局の戦略および軍事ディレクターとしてホワイトハウスに勤務(大佐)

上司は特殊作戦の世界では伝説的な存在だったダウニング退役大将、ベトナムと砂漠の嵐作戦に出征、銀星章2度、名誉戦死傷章1度授与、特殊作戦の全てを指揮

省庁間人質対策調整グループの責任者となり、世界各地で窮地に陥っているアメリカ人を見つけて各省庁の活動を調整し、アメリカ市民を安全な場所に連れ出す責任を負う

最初の仕事が、6か月間放置されていたフィリピンでのイスラム過激派によるアメリカ人宣教師ら3人の人質救出。大統領を説得してグリーンベレーを派遣、イスラム過激派の根絶を図り、フィリピン軍を訓練、最終的に1人の救出に成功

 

12. スペードのエース              イラク、バグダッド 2003

2003年、フセイン政権の幹部50人の捕縛を目標とした特殊作戦タスク・フォースを指揮。

フセインの知人を頼りに居所を探し、バグダッド陥落から9カ月後に漸く潜んでいたところに踏み込み逮捕に成功。1214日朝に連合国暫定当局代表が捕縛を宣言

'06年フセインは公判で絞首刑に処せられたが、13年後もなお紛争国家であり続ける

 

13. 指名手配・生死不問           イラク、バグダッド 2008

三ツ星の提督(海軍中将)として駐屯。バグダッドの市場でアルジェリア人の自爆テロによりイラク人21人が死亡、今年80件目の自爆テロで死者は200人以上。大量殺戮の張本人はシリアからテロを指示している最重要指名手配者のアブー・ガーディヤー

追い詰めたところで、大統領のGOサインを取る。ブラックホークのヘリ2機でシリアとの国境を越え隠れ家を急襲、ジャックポットを仕留めてイラクに戻ったのは17分後

支持者が墓を聖地にするのを防ぐために、イラクの砂漠のどこかにある墓に墓標はない

 

14. 公海の人質                     アフガニスタン、バグラム 2009

私のタスク・フォースのアフガニスタン司令部は、2004年に海軍設営部隊が建てた合板宮殿で木造2階建て、20部屋ほどがあり、指揮所の9mの壁はすべての活動を映す薄型モニターに覆われている。2009年には、イエメンとソマリアでアルカイダと戦い、マリとナイジェリアでテロリストを追討。そんな中でアメリカ貨物船「マークス・アラバマ」がソマリアの海賊に乗っ取られる事件が発生。海賊根絶のため、大掛かりな包囲網を敷いて船長の救出に成功――トム・ハンクス主演の映画《キャプテン・フィリップス》のモデル

 

15. 人間狩り                        ワシントンDC 2009

サレーフ・アリ・サレーフ・ナブハーンは、FBいの最重要指名手配者No.3で、1998年タンザニアとケニアのアメリカ大使館爆破と、2002年にはモンバサのホテル自爆テロを実行

政権が代わってクリントンの時代になり、改めて攻撃作戦を説明すると、1993年ソマリアのモガディシュとの戦いでヘリ使って大勢の犠牲者を出したトラウマが再び出てきて決断が鈍る

計画通りの大統領命令が出て任務実行となり、リトルバード(ヘリ)4機を使って15分の制限時間内に、ミサイルからミニガンに切り替えて逃走する車を仕留めることに成功、4人の死体を回収した結果本人と確認。その後3年、タスクフォースは毎年2000人以上のイラクやアフガニスタンでの中程度もしくは重要な指名手配者を捕縛か殺害したが、同時に特殊部隊の300人以上が犠牲となり、数千人が負傷。彼ら犠牲者のためにも平和が訪れることを願う

 

16. つぎのもっとも偉大な世代           名もなき歩兵

ドイツのラントシュトゥールにはヨーロッパでも最高の軍病院施設群がある

'07年当時、私は海軍上級少将として、ヨーロッパとアフリカの特殊作戦部隊をシュトゥットガルトの司令部から指揮していたが、負傷して入院中の将兵を見舞う

彼らが全快して前線に復帰してくれることを信じる、信じる以外の選択肢はない

 

17. ネプチューンの3つ叉矛              アメリカ国内の秘密の場所 2011

ウサーマ・ビン・ラーディン捕縛の作戦名をネプチューンの3つ叉矛と名付ける。ネプチューンのとアポストロフィ付きにしたのは、SEAL強襲部隊の海における起源を象徴するような名称にしたかったから

パキスタンの首都の北郊外に車で2時間行ったアボッタバードの隠れ家をCIAの軍補助工作部門である特殊活動部SADが突き止め、私が指揮する統合特殊作戦コマンドJSOCに支援を要請。オプションは3つ、大規模な空爆、特殊工作員数名がパキスタン経由侵入して拉致、特殊作戦部隊SOFによる強襲。SADの全面的な同意も得て強襲作戦に落ち着く

ノースカロライナ州フォート・ブラッグに実物大の隠れ家の模型を建てて予行演習を行う

アフガニスタンの国境から260㎞離れた目標に向かってブラックホーク・ヘリで20人ほどの部隊をパキスタンの防空探知システムに検知されずに搬送、隠れ家内に強行着陸すると同時に周辺の守りを固める。現地での活動は30分で、目標を確保して元に戻る

アフガニスタンで国際治安支援部隊司令官のペトレイアスの指揮下に入り、中央軍の新司令官ジム・マティスの協力も取り付ける

52日、作戦開始、ヘリが隠れ家に迫るころ、大統領以下国家安全保障チーム全員が危機管理室の控室に来てモニターを見ている。強襲開始15分でジェロニモを殺害、併せて大量の電子機器を回収、パキスタン軍の交信が騒がしくなり、戦闘機をスクランブル発進させる中、ヘリ1機を爆破放棄しただけで全員無事に帰路に着く

直前の3月、ゲーツ国防長官がオバマ大統領にマクレイヴンをSOCOM司令官に推薦、議会の承認を経て8月就任

 

18. 最後の敬礼           フロリダ州タンパ 2014

退役式が700人の観衆を集めてタンパ・コンベンション・センターで挙行

挨拶で、大学4年で海軍予備将校訓練課程にいたときから40年以上を振り返った

人の命は儚く、生きていることを感謝しなければいけない

自分の成功は他人のお陰、人生はいたって単純で、できるだけ数多くの人々に力を貸す、できるだけ数多くの友人をこしらえる、精いっぱい働く、何があろうと絶対にやめない

 

 

 

訳者あとがき

トランプ政権で国家安全保障問題担当大統領補佐官に推薦されたことがあるが実現せず

トランプが、ジョン・ブレナン元CIA長官の保全適格性認定資格Security Clearanceを取り消した時、マクレイヴンが公開状で非難すると、トランプはヒラリーのファンと反撃、ビン・ラーディンをもっと早く捕らえるべきだったと仄めかす

マクレイヴンは、「自分が仕えたオバマ大統領とブッシュ大統領のファンだ。2人は党こそ違うが大統領という職務の尊厳を守り、厳しい時期に国民を団結させた」と応じた。その後も言論弾圧などに関しトランプ批判を続け、気骨のある所を示す

 

 

 

 

ネイビーシールズ ウィリアム・H・マクレイヴン著

米特殊作戦をトップが回顧

2022129 日本経済新聞

世界最強の米軍でも特殊作戦部隊は別格の存在である。隊員は知力、体力、精神力において厳しい選抜を経て選ばれ、常人には思いも及ばない過酷な任務に派遣される。それゆえ、特殊作戦部隊の華々しい活躍がニュースを飾り、その出身者が映画や小説の主人公として取り上げられることも少なくない。

原題=SEA STORIES(伏見威蕃訳、早川書房・3410円) 著者は55年米テキサス州生まれ。特殊作戦コマンド司令官などを歴任。最終階級は海軍大将。

だが、その活動の多くは秘密のベールに包まれており、一部の部隊については存在すら政府が認めていない場合もある。だからこそ、その実態を知るには元隊員の手記や回顧録が手掛かりとなる。

その中でも本書は、米軍の特殊作戦部隊のトップに上り詰めた軍人の半生記であり、類書とは一線を画している。著者は米海軍で急襲作戦や破壊工作などを行う「シールズ」の一員として長く活躍し、訓練で重傷を負いながらも軍務を全うした。

本書で明らかになるのは、著者が世界各地で重要な任務に関わってきたことである。フィリピンではイスラム過激派からの人質奪還作戦を立案し、イラク戦争後に潜伏していたフセイン大統領の捕縛作戦にも深く関与している。

さらには、ソマリアの海賊に捕らわれていたアメリカ人船長を海上で救出する作戦でも手腕を発揮した。いずれも、わずかなミスでも人質や隊員に危害が及ぶ紙一重の任務であった。

その最たるものが、2001年の米同時多発テロ事件の首謀者である、ウサマ・ビンラディンに対する急襲作戦であろう。米国にとって彼の捕捉は最重要目標であったが、長らくその行方は知れなかった。ついにパキスタンにいることが判明すると、その拘束・殺害を目指してあらゆる事態を想定した綿密な計画が立てられた。

だが、現実の作戦では特殊作戦部隊を運ぶヘリコプターが不時着するなど、予期せぬトラブルもあった。それでもビンラディンの殺害に成功すると、オバマ大統領はすぐさまテレビで全米にその成果を公表したのである。

本書が赤裸々に描くのは、生死を分ける高度な判断が必要な任務は、特殊な訓練を受けた生身の人間にしか委ねられないという事実である。軍事分野におけるドローンや人工知能の重要性は高まるものの、その事実は当面の間変わらないであろうことを思い知らされる。

《評》防衛研究所社会・経済研究室長 塚本 勝也

 

 

ネイビーシールズ:特殊作戦に捧げた人生 (単行本)―2022/10/05 ブログ

本書は、米海軍特殊部隊SEALの叩き上げで提督にまで上り詰め、果てはホワイトハウスで湾岸戦争など重要なミッションに携わるに至った、エリート軍人による回顧録だ。

まずは幼い頃の武勇伝といった自身の生い立ちから始まり、訓練の過酷さや、特殊任務の内容と変遷(昇進)、組織の精神や構造、それらが有機的に関わって、政治の場面でどう機能しているのかまで、広範に書かれている。

エリート軍人の手記らしく、まるで戦場での報告の如く、正確に、漏れなく、最小限の言葉で伝えるスタイルがベースだ。しかし、読み物故の配慮もされていて、ストーリーに気を使い、ユーモアたっぷりに、不要に緊迫感を高めないよう、配慮されている。(これがまたカッコイイ。)

フィジカルもメンタルも、何度も潰されかかっている。そんな過酷な任務の連続なのに、爽やかに、時にクスッと笑いながら、読めてしまう。

今や、少し古いタイプの軍人さんだ。考える前に、判断力と行動力で解決する、マッチョな正義感が芯にある。物事を多面的に捉えたり、複眼で見直すことに時間をかけたり、一点にこだわって深堀するうタイプとは対極にある。

当たり前だ。突如現れる想定外の危険に反射的に対処すべく、鍛え抜かれた人物だ。それは才能であり、適性でもある。

突然の危険に苛まれるような状況は、我々とて常にありうる。そう思えば、著者のドライな緊迫感にも共感は可能だ。そうなると本書は、優劣のような上下や、左右などの区別(差別?)を超えた次元で、物事の真実の一面を伝え始める。

とはいえ、上記のように、著者の視野はあまり広くない。安全な環境に居て、周りを見回す余裕がある、頭の良い読者にとって、ホントか?、そんなに簡単か?、と感じることもありそうだ。だが、そうとは思いつつも、スピード感と迫力に追われつつ、半ば微笑みながら読み進めることになる。

私のような古い人間にとっては、この古き米国軍人魂は、大昔の戦争ドラマなどから馴染みがあり、懐かしくもある。ある程度の年配なら、楽しく読める読者も多かろうと思う。

著者の活躍が、複数の政権を通して続いていることからもわかるように、この感性や価値観、組織と機能は、米国が独自に作り上げた伝統であり、一定の期間、その屋台骨を支える根幹を成していた。しかし、残念ながら、今やそれは確実に劣化の途にあり(劣化しているのは軍人だけでなく政権側もだが)、トランプの登場に見られるように、綻びは明確に、既に外部に露呈するに至っている。

今後は、同種の本に接するのは難しくなろう。

本書が、米国文化の回顧録として読まれかねないのは、残念でもある。

その意味でも、貴重な本と言えるかもしれない。

 

 

Wikipedia

Navy SEALs(ネイビーシールズ,英語: United States Navy SEALs)は、アメリカ海軍特殊部隊である。アメリカ海軍特殊戦コマンドの管轄部隊であり、2つの特殊戦グループ、8つのチームに分かれて編成されている。

概要[編集]

ベトナム戦争における南ベトナム解放民族戦線掃討を目的として196211に結成された。前身として第二次世界大戦中に活躍した水中破壊工作部隊英語版 (英語: UDT / Underwater Demolition Team) があり、その歴史は米軍の近代特殊部隊の中で最も古い。本部はバージニア州バージニアビーチリトルクリーク。

SEALsという名称は、SESEA(海)、AAIR(空)、LLAND(陸)と、陸海空のアルファベットの頭文字から取られており、アザラシ: seals)に意味合いを掛けたものである。陸軍特殊部隊同様、どこでも活動可能を意味する。個々のチームは単数形の「SEAL」であり(SEAL Team 1から10まで)、その名の通り陸海空問わずに偵察監視不正規戦等の特殊作戦に対応出来る能力を持つ。20115月にはウサーマ・ビン・ラーディン殺害作戦を遂行している。

高度な水泳と潜水スキルを持っており、危機的状況において「水のある所へ逃げる」ことで難を逃れた事例も多い。SEALs輸送チームなどを除きパラシュート訓練が必須となっているため、空挺作戦も可能である。パラシュート降下時にゴムボートも降下させて海に着水し、空から水上作戦を展開することができる。また、イラクアフガニスタンソマリアなど海や河川が存在しない地域でも活動している。極限的な環境である北極圏の水中でも作業できるため、陸上の過酷な環境での作戦従事も多い。

任務は通常2名から4名で行動する(場合によっては2の倍数で増員される)。一個小隊14 - 16人で編成。士官2人、兵曹長・先任下士官各1人、下士官・水兵10 - 12人の編成とされる。武器・装備は、任務内容や役割に応じて適意自由に選択される。

隊員は、退役後も従事した作戦や任務の内容を外部に公表することを良しとしない伝統があるとされてきたが、近年は退役後に自らが関わった作戦や任務の一部を公表する者もいる。

l  部隊編成[編集]

海軍特殊戦グループ1

チーム1 … 極東アジアを除くアジア太平洋全域担当

チーム3 … 中東地域担当

チーム5 … 極東アジア担当(北朝鮮関連問題等で、韓国に駐留している。)

チーム7 … アメリカ西海岸担当

SEAL輸送チーム1 … ハワイ パールハーバーに拠点を置く。SDVSEAL Delivery Vehicle SEAL専用小型潜水艦)専門部隊

海軍特殊戦グループ2

チーム2 … ヨーロッパ地中海担当

チーム4 … アメリカ本土担当

チーム8 … アフリカ地中海担当

チーム10 … アメリカ東海岸担当

SEAL輸送チーム2 … SDVSEALs Delivery Vehicle SEAL専用小型潜水艦)専門部隊

SEALs輸送チームはSEAL輸送潜水艇 (SEAL Delivery Vehicle:SDV) と呼ばれる6人乗りの小型潜水艇を操作する部隊。潜水艇は密閉されておらず、長時間水に浸かるため、SEALsのような専門職でなければ搭乗できない。2003年のイラク戦争では海岸油田の偵察任務に従事し、そのまま強襲部隊に参加した。

チーム6 - 特殊戦開発グループ(JSOC隷下の対テロ部隊として独立)

チーム9 … 欠番

チーム17 … 予備役

チーム18 … 予備役

l  入隊資格[編集]

軍務所属アメリカ海軍アメリカ沿岸警備隊のいずれかに属している事。性別不問。2014までは男性限定だった。

国籍アメリカ合衆国の市民権を保有していること。

年齢制限 - 17歳以上28歳以下であること。

試験 - ASVABテストをクリアすること。

ASVABテスト:資質テスト、数学科学語学・暗号化能力・その他10項目におよぶ試験。

l  訓練課程[編集]

Navy SEALsの選抜訓練」も参照

基礎教育課程 (5週間)[編集]

志願者は、肉体と精神力の両面を評価され、SEALs勤務の条件を説明される。

SEAL体力審査テスト(PST)

このPSTでは、志願者がSEALsへ入隊するにあたって、肉体的条件を満たしているか審査する。その審査の中に、1500フィート (457 m) 1230秒以内で横泳ぎまたは平泳ぎで泳ぐことや、2分以内で腕立て伏せ42回、同じく2分以内で腹筋運動50回、1.5マイル (2.4 km) をブーツを履いて1130秒以内で走るなどが入っている。

基礎水中爆破訓練[編集]

SEALsに入隊するには米軍の中でもっとも過酷とされる基礎水中爆破訓練(Basic Underwater Demolition/SEAL:通称BUD/S)を経なければならないが、約6か月の訓練過程を耐えぬくことができるのは入隊志願者の15 %から20 %である[5]

1段階:基礎訓練課程 (8週間)

最初の4週間は、ブーツを履いて4マイル走、フィンを付けての2マイル水泳、櫓登りや綱登りなどで構成される障害走、丸太担ぎ、ゴムボートでの訓練などの体力や精神力を極限まで追い詰める体力訓練を行う。多少の水中工作や船舶操縦術も訓練されるが、主なこの訓練の意味は、志願者のやる気や身体的・精神的な強靭さ、他の志願者とのチームワークを計ることである。さらに、「水中順応訓練」(「溺死防止訓練」と呼ばれることもある)では、両手首両足首を縛られた状態でプールに投げ込まれる。この状態で20分間水面に浮いており、さらに、プールの底に落ちているフェイスマスクを取ってこなければならない。

また、部屋の整頓や装備品の整備も厳しくチェックされる。

この訓練の4週間目に「地獄週間 (ヘル・ウィーク)」というものが行われる。志願者たちは5名から7名のチームを作らされ、5日間で体力を限界まで追い込まれ、寒さ・空腹・寝不足や湿潤の環境に絶えず襲われる中で進められる。その訓練内容には何度もずぶ濡れにされて低体温症の瀬戸際まで立たされたり、腰まである泥の中を進みボートを数マイル運んだりもする。しかもこの地獄週間中の合計睡眠時間はわずか4時間しか与えられない。しかし各訓練はチーム対抗戦となっており、課題を1位でクリアしたチームにはボーナス睡眠時間が1時間ほど与えられる。この地獄週間の主な意味はあまりの過酷さに醜態を晒させ、仲間よりも自分を優先させる志願者を暴くためである。202224にはこの訓練中に死亡者が発生している。

地獄週間を見事に突破した者は、少しの休息が与えられた後に水路学4週間かけて学ぶ。

2段階

潜水訓練課程 (8週間)

潜水技術や水中工作技術の向上を図る。この8週間で水中工作の基礎を教え込まれる。主に、開放式潜水器(圧縮空気を使用)や閉鎖式潜水器(100%の酸素使用)の訓練を受け、水中からの潜入のためスクーバダイビング術を学ぶ。なお、酸素濃度100%の気体を使用する場合、酸素中毒の関係から5メートル程しか潜水できない為、上陸作戦等の一部の作戦でしか使用できない。

3段階

地上戦訓練課程 (9週間)

この段階に入ると、主に地上での戦闘訓練を行う。銃器爆発物の取扱、精密射撃、長距離偵察ロッククライミング航法、隠密潜入および離脱、小部隊戦術などが訓練される。この訓練の合間もほぼぎりぎりの制限時間が与えられた長距離走や長距離水泳が行われる。

この訓練の最後の3週間半は、カリフォルニア州サン・クレメンテ島で、今まで教わってきたことを活かし、広範囲な演習を行う。

訓練の間、担当教官らによる審議会(段階審査会と専門審査会)が行われ、能力不足のものに失格が言い渡される場合もある。また、残留が決定したとしても、1つ後のクラスに再履修生として廻される事もある。この一連の訓練が終了すればBUD/Sを卒業したと看做され、卒業式が行われるが、SEALの訓練はまだ続けられる。

最終訓練[編集]

空挺降下訓練 (3週間)

BUD/Sが終了した後も、SEAL入隊のための訓練が続けられる。SEAL候補生は、元SEAL隊員が運営する民間訓練施設(かつては長年ジョージア州ベニング基地の陸軍空挺学校で行われていた)空挺降下訓練に励む。

訓練コースは3週間続き、第1週間は地上訓練で、降下と着地の基本技術を学ぶ。2週間目は高さ10.4mの塔からの降下着地訓練や、ブランコ式の着地訓練を装置を使っての訓練が行われる。3週目になると兵士たちはだんだん難易度を上げながら、夜間1回を含む5回のパラシュート降下を行う。無事に降下を終えた者たちは「空挺降下資格者」となる。

SEAL資格訓練 (SQT)(15週間)

この訓練を受けるため、海軍特殊戦センターに戻り、15週間の訓練を行う。通信技術や舟艇操縦技術、近接戦闘狙撃空挺降下などを訓練する。この訓練の意味は、SEAL候補生を実際にSEALsとしての作戦に従事できる水準までに引き上げる事である。このSQTに合格すれば、海軍特殊戦章「三又鉾」を授与され、SEAL海軍下士官兵適性区分(NEC)コードを与えられる。

基礎寒冷地海洋訓練 (3週間)

SQTの後、最初の作戦部隊の配属される前の3週間は、アラスカ州コディアック島で寒中訓練を受ける。

その後は、SEALs隊員として作戦に従事するが、常時行われる実行訓練プログラムでは、外国語や30週間の衛生コースなどの技能を学ぶ。ここまでおよそ26か月かかるといわれている。

l  主な参加作戦[編集]

1962年、キューバミサイル危機 初代チーム2指揮官ロイ・ボーム海軍大尉によるキューバ偵察任務。

1965年、ドミニカ共和国内戦に参加。

1964年〜1973年、 ベトナム戦争 メコン川流域における偵察任務。ベトコン北ベトナム軍の要人暗殺・誘拐、捕虜救出作戦に従事。後にPRU(地方偵察隊)アドバイザーとして北ベトナム軍・ベトコンの体制を突き崩したフェニックス作戦に参加。

1983年、レバノン内戦でチーム4が駐留する。チャック・ファーラーの著作によると日中のベイルートでのパトロール任務の他、フランスによるシリア空爆の作戦で被撃墜パイロット救出に備えてシリアに潜入していた。

198310月、グレナダ侵攻 チーム6(DEVGRU)がスクーン総督救出作戦と通信破壊作戦に参加する。その前に行われた飛行場へ発信機を取り付ける作戦は暴風雨の中の強行のため、パラシュート着水したチーム6の隊員中4名が溺死して失敗に終わる。通信基地破壊を果たしたキム・アースキン大尉12名は本部との通信が途絶え、グレナダ・キューバ軍の追撃に遭いながらも海へ飛び込んで逃げ切って全員生還する。スクーン総督邸へヘリコプターで到着したウェリントン・レナード大尉の小隊はグレナダ・キューバ軍に包囲されるも24時間にわたる攻防でスクーン総督とその家族を守りきり、自身の部隊も全員生還する。

198510月、豪華客船アキレ・ラウロ号シージャック事件 旅客機で逃亡した犯人グループを追跡した先のシチリアでイタリアの警察部隊と指揮権を巡って口論、犯人強襲には至らなかった。

1987年、ペルシャ湾を航行する民間及び軍事船舶の安全確保のための作戦プライムチャンス作戦160特殊作戦航空連隊と共に参加。

198912月、パナマ侵攻 マヌエル・ノリエガ将軍追討作戦。チーム2の指揮官、ノーム・カーリー中佐と護衛隊員1人が運河河口にボートを乗りつけ、4名の隊員が潜水してノリエガ所有船舶のエンジンに爆薬を仕掛けた。設置後45分に船は大破する。チーム44小隊(推定48名)がパティーヤ飛行場のノリエガ所有航空機の破壊を実行する。事前までの計画立案不足と、敵側の情報が錯綜した中で実行される。格納庫付近でパナマ軍に待ち伏せされ、4名が死亡、8名が負傷する。航空機破壊は成功するものの、この時の指揮官は後年まで批判を受けることになる。チーム4でパナマ駐留経験があったマイケル・ウォルシュ少佐は、隊員の安全を考え航空機のタイヤを遠距離から狙撃する作戦を主張したが指揮官と対立し、実行前に作戦から外された。

詳細は「ニフティ・パッケージ作戦」を参照

1991年、湾岸戦争 イラク軍陽動作戦、被撃墜友軍パイロットの救出作戦など。

1993年、ソマリア紛争でチーム64名がモガディシュの戦闘に参加。

1998ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争において、紛争地域の治安維持活動に従事。

1998年、リベリアの首都・モンロビアの米国大使館で発生した銃撃戦で、大使館内に立て篭もった米国人を救出する作戦シャドウ・エクスプレス作戦に参加。

200111月、アフガニスタンにおける不朽の自由作戦に参加。

20023月、アフガニスタンにおけるアナコンダ作戦に参加する。陸軍のデルタフォースと共にタスクフォース11を結成し、ターリバーン政権打倒とアルカーイダ撲滅作戦に従事。CH-47ヘリより転落し、ターリバーンに射殺されたDEVGRUのニール・ロバーツ一曹の遺体を巡って、SEALs隊員や75レンジャー連隊隊員らが激戦を繰り広げる。

2003年〜2011年、「イラクの自由作戦」に参加。

2004年、イラクでの「ファルージャの戦闘」に参加。

20056月、アフガニスタンの北東部山岳地帯で決行されたレッド・ウィング作戦でチーム10隊員がターリバーン拠点に潜入する。ターリバーンの主要メンバーの偵察作戦だったが、4名のSEALs隊員が150名前後(諸説あり)のターリバーン勢の攻撃を受け、マイケル・マーフィ大尉他2名が戦死、マーカス・ラトレル一等兵曹が唯一人生還する。救出に向かったCH-47ヘリもターリバーン勢に撃墜され、チーム10指揮官含む8人のSEALs隊員と8人の160特殊作戦航空連隊隊員が死亡する、Navy SEALs創設以来最悪の出来事となった。

200512月、米陸海空軍特殊部隊の混成部隊によるサッダーム・フセインの捜索・捕縛作戦であるレッド・ドーン作戦英語版)に参加。

20152021年、「確固たる支援任務」「自由の番人作戦」。

20115月、パキスタンアボッターバードの豪邸に潜伏中だった国際テロ組織、アルカーイダの指導者ウサーマ・ビン・ラーディン容疑者の殺害作戦に参加。チーム6の隊員ら25名を乗せた4機のステルスヘリコプターで容疑者を急襲、約40分の銃撃戦の末、邸宅を制圧した。その際同容疑者とその20歳の息子ら計5名を射殺した。同容疑者は武器を携行していなかったが、「抵抗した」ため射殺されたとされる。

詳細は「ウサーマ・ビン・ラーディンの殺害」を参照

201185日夜、アフガニスタンで米軍のCH47チヌークが撃墜され、22人のSEALs隊員が死亡した。これはタリバンが仕掛けた罠によるものであった。タリバンのカリ・タヒル司令官が、タリバンの会合があるとの偽情報を米軍に流し、米軍部隊を現地におびき出した。タリバンは現地までの唯一の飛行ルート上にある谷の両側の山に陣取り、誘き出されたヘリをロケット弾や現代兵器で攻撃して撃墜した。これにより、米軍兵士30人を含む38人が死亡し、このうち22人がSEALs隊員(うち15人がDEVGRU所属)で3人が空軍特殊部隊員であった。カルザイ政権は5月のウサマ・ビンラディン殺害に対する報復とみている。

詳細は「2011年のアフガニスタンにおけるチヌーク撃墜事件」を参照

2012126日、ソマリアの武装勢力を急襲し、3か月にわたって人質となっていた人道支援団体職員2名を救出した。

2013105日、SEALsはソマリア南部ブラバにあるイスラム過激派組織アルシャバーブの重要人物(氏名不詳)の自宅を急襲した。しかし拘束に失敗した上、負傷させた「重要人物」の生死を確認することもなく撤収したため詳しい内容については不明。米当局者によるとアルシャバーブ側に数人の死者が出たが、米軍に死傷者はなかったという。

201310日、リビアのトリポリにて1998年の米大使館爆破事件に関与したアルカイダ幹部のナジ・アブドゥルハメド・ルカイの拘束作戦を実施し成功。

2014316日、キプロス南東沖の公海上において、リビア反政府勢力が支配する同国東部シドラの港において3人の武装したリビア人に積み荷の原油ごと占拠されていたタンカーに突入し制圧した。

2014年〜進行中、ISIL掃討等を目的とした「生来の決意作戦」。

2017128日、イエメンで急襲作戦を実施。激しい銃撃戦となり、SEALs側は隊員1人が撃たれて死亡、3人負傷。更に救出に向かったヘリコプターが着陸に失敗し、数名の負傷者が出た。イエメン側は民兵と民間人にそれぞれ死傷者が出た。

201754日、ソマリアで地元政府軍を輸送していた米軍ヘリコプターが攻撃を受け、隊員1人が死亡、所属不明の複数が負傷。ソマリアでの米軍兵士の死亡は1993年のモガディシュの戦闘以来初。

不祥事・事故[編集]

20176月、マリ共和国の大使館内で陸軍特殊部隊の隊員ローガン・メルガー(38)英語版窒息死しているのが発見された。2019517日、シール6隊員2名と海兵隊の特殊部隊員英語版)2名が殺人容疑で起訴され有罪判決を受けました。動機は横領の口封じまたはいじめだと見られている。

202224日にカリフォルニア州サンディエゴで行われていた新人隊員選抜訓練で1人が死亡し、別の1人が負傷し病院へ搬送された。この訓練は5日間で寒さ・空腹・寝不足や湿潤の環境に絶えず襲われる中で進められていた。

l  人物[編集]

マイケル・モンスーア2等兵曹。彼はアフガニスタンでの作戦中、仲間を守るために敵が使用した手榴弾に覆いかぶさり戦死し、911後の戦争では数人しか居ない名誉勲章受章者の1人となった。ズムウォルト級ミサイル駆逐艦2番艦には彼の名前が付けられている。

マイケル・マーフィー大尉 4名で約100名のタリバン兵と交戦し、戦死。彼は名誉勲章を受章し、アーレイ・バーク級ミサイル駆逐艦艦名にもなっている。

エリック・オルソン

特殊作戦軍司令官・海軍大将SEALs出身で中将以上になった初の人物。

ドレイパー・カウフマン

退役海軍少将。

第二次世界大戦中にSEAL前身の水中爆破チームを編成。ジョージ・HW・ブッシュ元大統領の兄、プレスコットの義兄にあたる。

ジェシー・ベンチュラ

元プロレスラー、元ミネソタ州知事。ベトナム戦争中、SEALの原組織、UDT(水中爆破チーム)の隊員として南シナ海の作戦に従事。後にUDTSEALに吸収されたため、UDT/SEALOBに位置づけられる。

リチャード・マルシンコ

退役海軍中佐。

DEVGRUの前身(あるいは同一組織とも)SEAL TEAM SIXの発足者。SEALsで対テロ対策を本格的に手がけた最初の人物。自伝『Rogue Warrior』で有名になる。

ハリー・ハンフリーズ

ベトナム期のSEAL隊員でリチャード・マルシンコの元部下。映画『ブラックホーク・ダウン』、『ティアーズ・オブ・ザ・サン』、『ザ・ロック』で俳優らを指導。『ザ・ロック』では海軍将官として出演している。ベトナム戦争ではテト攻勢のさなかでアメリカ人看護婦の救出で一役買ったことで知られている。その時同じ救出劇に関わった陸軍のドリュー・ディックス軍曹は名誉勲章を受章している。

チャック・ファーラー

元チーム4、チーム6隊員。映画『ネイビー・シールズ』、『ジャッカル』の脚本家。

トーマス・ノリス

ベトナム戦争中の19724月の被撃墜パイロット救出作戦の功績により名誉勲章を受章。

マイケル・ソーントン

ベトナム戦争中の197210月作戦中重傷を負ったトーマス・ノリス大尉の救出が功績として認められ、名誉勲章を受章。20081月時点では名誉勲章受章者中、生きて受章した最後の米国軍人といわれる。

ボブ・ケリー

アメリカ上院議員でベトナム戦争期の隊員。作戦中の爆発で片足を失いながらも小隊を指揮して作戦を遂行した功績が認められ、名誉勲章を受章する。

しかしベトナム戦争中の1969年、彼が指揮するチームがサンポン村で起こった虐殺事件に関与したことが2001年、元部下によって暴露される。

ジェームス・ワトソン

ベトナム戦争期の隊員で現在UDT/SEAL博物館の館長をつとめる。

ウィリアム・シェパード

退役海軍大尉。

宇宙飛行士に転身した元SEAL隊員。スペースシャトル国際宇宙ステーション任務で宇宙へ飛んでいる。

デニス・チョーカー

元チーム6の隊員でグレナダ侵攻ではスクーン提督救出作戦に参加している。リチャード・マルシンコ中佐の元部下。SEAL教官在任中にザ・ロックSEAL隊員として出演している。自伝を出版している。ベストに装着したスリングと銃を連結する「チョーカースリング」は彼が考案した製品である。

ルディー・ボッシュ

サバイバー』の最年長出演者で、SEAL創設以来1990年まで最上級伍長を勤めた大ベテラン隊員。チーム2で数知れぬ隊員に体力訓練をほどこした。

エリック・プリンス

チーム8に属しハイチボスニアなどに赴任していた元SEAL隊員。

最大手民間軍事会社であったブラックウォーターUSA(現アカデミ社)の創設者。

スコット・ヘルベンストン

17歳でSEALに入隊し、退役後は「クロオビキッズ」「G.I.ジェーン」「フェイス/オフ」のスタント・コーディネイトや人気テレビ番組「コンバット・ミッションズ」の出演者として活動していたが、経済的に困窮しブラックウォータUSAのオペレーターとして活動することになる。しかし、2003330イラクファルージャにて、警護業務中にイスラム過激派に襲撃され戦死。遺体は燃やされ、橋の上にロープで吊るされファルージャの戦闘の要因になる。

マーク・アラン・リー英語版

海軍二等兵曹。SEAL・チーム3所属。

200682日ラマディでの武装勢力掃討作戦中に戦死。イラクの自由作戦で命を落とした最初のSEAL隊員。

死後、コロラド海軍水陸両用基地のマークA.リートレーニングセンターに彼の名前が付けられた。

マイケル・モンスーア英語版

海軍二等兵曹。SEAL・チーム3所属。

アフガニスタンで戦闘中に仲間を守るため敵の投げた手榴弾に覆いかぶさり戦死。その功績から名誉勲章を受勲。

ズムウォルト級ミサイル駆逐艦2番艦に彼の名前が付けられた。

クリス・カイル

海軍上等兵曹。

1999年に海軍入隊。その後SEALsチーム3に配属。第二次湾岸戦線のファルージャの戦闘では海兵隊の市街掃討作戦にも随行するなどし、狙撃手として活躍。公式発表では160人を数える敵を射殺、「ラマディの悪魔」と呼ばれ恐れられた。銅・銀星勲章他受勲多数。

2009年に除隊した後は、妻子が待つ地元テキサスへ帰り、PTSDに悩む帰還兵の社会復帰のためのNPO団体を設立し、支援活動に精力的に取り組んでいた。この他、自伝の執筆・出版、講演活動、クラフト・インターナショナル社の代表として民兵や個人警護などの訓練員としても活動した。

2013年、PTSDを患う元兵士に射撃をさせていた最中、彼により射殺。

ケビン・ラーチ英語版

退役海軍一等兵曹。2003年にBUD/Sを卒業。その後SEALsチーム3に配属。Marc Alan LeeChris Kyle とともにイラク戦争を経験。

2010年海軍を退役。退役後、コネチカット大学に入学し2011年に政治学の学位を取得して卒業。

2014年にウェイクフォレスト大学で医学の修士号を取得し医師助手として従事中。

マイケル・パトリック・マーフィー英語版

海軍大尉。SEALSDVチーム所属。

レッドウィング作戦に偵察狙撃班として参加中。多数のタリバン兵と交戦し戦死。その際、敵に包囲された状況で、自らの命を犠牲としながらも、救援を求めるため本部との無線連絡を確立し要請した功績から名誉勲章を受勲。

アーレイ・バーク級ミサイル駆逐艦62番艦に彼の名前が付けられた。

マーカス・ラトレル英語版

退役海軍一等兵曹。SEALSDVチーム所属。

2005レッドウィング作戦に偵察狙撃班として参加。多数のタリバン兵と交戦しチームは全滅。多数の骨折と榴散弾による重傷を負いながらも敵の追跡を回避し地元の村民Mohammed Gulabの助けを借りて、6日後にアメリカ軍に救出され、同作戦唯一の生存者となる。その功績が称えられ、海軍十字章と名誉負傷章が贈られ、2007年に海軍を医療除隊。

2010年、ローン・サバイバー財団を設立。

2012年、自叙伝「Lone Survivor」を出版。その後『ローン・サバイバー』として映画化。

ジョニー・キム英語版

海軍予備役中尉。

宇宙飛行士に転身した元SEAL隊員。

エリック・グライテンズ英語版

ミズーリ州出身。

デューク大学では倫理、哲学、社会政策を専攻。ローズ奨学制度で オックスフォード大学に進学。在学中は人道支援活動を精力的に参加。

2001年、海軍に入隊。幹部候補生学校を卒業し、BUD/Sをクラス237で修了。

SEALs士官として、アフガニスタン、東南アジア、ソマリア、イラクへ4度の派遣を経験。2005 - 2006年には、当時のジョージ・W・ブッシュ大統領の下、「ホワイトハウス・フェロー(政府高官のアシスタント)」を務めていた。この間に、ブロンズスター章およびパープルハート章の勲章が授与されている。

2007年にイラクから帰還した後、自らの危険特別手当(combat pay)を寄付し、退役軍人に関する活動を行う非営利団体「The Mission Continues」を創設。この団体では、退役軍人の社会生活支援として奨学金など資源の提供をおこなっている。

2017年にはミズーリ州知事選挙に出馬し当選。第56代ミズーリ州知事として1年間務めた。

スコット・テイラー (政治家)英語版

共和党のアメリカ下院議員。バージニア州出身。

1997年にBUD/Sを卒業。中南米の麻薬対策や防諜部門に勤務後、イラク戦争スナイパーとして参加。

2005年、海軍を退役。退役後、2017年から2019年までバージニア州の第2議会地区の米国下院議員を務め2020年に再選された。

ダン・クレンショー英語

退役海軍少佐。

アメリカ下院議員。テキサス州ヒューストン出身。

2008年にBUD/Sを卒業。

2012年アフガニスタン ヘルマンド州での任務中にIEDの爆発より右目を負傷し失明。

2016年海軍を退役。

201811月の中間選挙で共和党員として初当選。

ライアン・ジンキ

退役海軍中佐。

共和党のアメリカ下院議員。モンタナ州ボーズマン出身。

1986 - 2008年、SEALsに所属。

2008年に共和党からモンタナ州上院議員に当選。

2014年に共和党から下院議員に当選し、2016年には再選された。

2016 - 2018年、ドナルド・トランプ政権で52代目アメリカ合衆国内務長官を歴任。

Mike Day

退役海軍上級上等兵曹。

1986年、海軍に入隊。

2003年、イラクの自由作戦に参加。

200746日、イラクのアンバル州の市街地で重傷を負いパープルハート章を受勲。

2010年、海軍を退役。

退役後、自身のPTSD治療の傍ら、負傷した特殊部隊員の非医療ケアマネージャーとして7年間勤務。2015412日にはフロリダ州で開催されたトライアスロンレースに参加している。

現在は、危険に晒されている若者を支援する非営利団体設立を計画中。

ジョエル・ランバート

1998年、海軍に入隊後、BUD/Sを修了。チーム248年間所属。

その後、フロリダ州ペンサコーラの航空条例学校に通い、その後海軍水陸両用に行きました。カリフォルニア州コロナド島に拠点を置く。その間、アフガニスタンやコソボに20回ほどの戦闘任務に従事。最後の2年間、彼はBUD/S教官として、後進の育成に貢献。

退役後、俳優へ転身。

2014年からはディスカバリーチャンネルのドキュメンタリー番組『ザ・マンハント』のホストでもある。

ローク・デンバー英語版

退役海軍少佐。カリフォルニア州出身。

1996年、シラキュース大学に卒業。その後、サンティアゴ大学に進学し、卒業後に海軍に入隊。

1999年、BUD/Sを修了。

2006年、クリス・カイルらと共にチーム3に所属し、B小隊指揮官及び狙撃手としてイラク戦争190以上の任務を遂行。

2009年、BUD/Sの第一段階の教官を勤務。

2012年、映画『ネイビーシールズ』にローク大尉として主演。

2013年、海軍を退役。

退役後、全国の会議やコンベンションで講演。

201412月、米国ラクロス大会の基調講演者。

20184月、フロリダ州デスティンで開催されたアラバマトラック協会大会で講演。

Tyrone Snowden Woods

海軍上級上等兵曹。オレゴン州出身。

1990年、海軍に入隊。

1991年、BUD/S課程を修了し、衛生兵資格課程と空挺降下課程を修了し、チーム5に配属。

2000年、海軍のパラシュートチーム『Leap Frogs』のメンバーとして活動。

2001年、NSWCでのSEAL訓練課程医療および海法の教官として勤務。

2004年、チーム1に配属。イラクの自由作戦や不朽の自由作戦に参加し、イラクとアフガニスタンへの派遣任務を経験。

その後、サンディエゴにある海軍医療センターの正看護師として勤務。

2010年、海軍を退役してCIA等の政府機関の保安業務の代行している民間企業へ転職。中東、中央アフリカ等で勤務。

20129月、当時アラブの春により政情が不安定なリビアにおいて、特別行動部 (中央情報局)隷下で、CIAの秘密基地などを警備担当する契約職員GRS (Global Response Staff) として局員の護衛及び携帯式地対空ミサイル等の非合法兵器を捜索・破壊する工作活動に従事。その際に、リビア在外公館襲撃事件が発生し、クリストファー・スティーブンス大使ら4人の領事館員を救出するため奔走。籠城したCIA基地の防衛戦闘中に、武装勢力の放った迫撃砲弾が炸裂し戦死。

Glen Anthony Doherty

退役海軍上級上等兵曹。マサチューセッツ州出身。

プロのスキー講師や飛行訓練学校の指導員。また経験豊富な救急医療士として勤務。

1995年、BUD/S課程を修了し、衛生兵資格課程と狙撃課程を修了し、チーム3に配属。

911テロ事件後、イラクの自由作戦に狙撃手として複数の任務に従事。

2005年、CIA等の政府機関の保安業務の代行している民間企業へ転職し、アフガニスタン、パキスタン、イエメンなどで勤務。特別行動部 (中央情報局)隷下のGRSとしてトリポリ大使館で、政府職員の警護や携帯式地対空ミサイル等の非合法兵器を捜索・破壊する工作活動等に従事。その際、リビア在外公館襲撃事件が発生し、クリストファー・スティーブンス大使ら4人の領事館員を救出するためトリポリの大使館からデルタ・フォース隊員と共に救援に駆けつけ、CIA基地の防衛戦闘中に、武装勢力の放った迫撃砲弾が炸裂し戦死。

エディ・ギャラガー英語版

退役海軍上等兵曹。

1999年、米国海軍に入隊。

2005年、BUD/S課程を修了。

海兵隊以外の軍人として初めてスカウトスナイパースクールを卒業。

20175月、チーム7の小隊長としてISILからのイラク北部モスル奪還作戦に参加。その際の戦争犯罪容疑により軍法会議にかけられ、捕虜殺害と民間人殺害未遂は無罪、殺害された捕虜の遺体と写真を撮ったことで有罪となり、上等兵曹から一等兵曹へと降格された。後にドナルド・トランプ大統領により降格処分は取り消された。

2019年、海軍を名誉除隊。

エドワード・バイヤーズ英語版

退役海軍指揮最上級上等兵曹。

1979年、オハイオ州出身。

1998年、米国海軍に入隊し病院の衛生兵としてグレート レイクス海軍病院に勤務。

1999年、USSオースティンの第26海兵遠征部隊(第2海兵師団 第2海兵隊 第2大隊所属)に配属。

2002年、BUD/S課程を修了し、その後DEVGRUに配属。

中近東へ11回派遣され、9度の戦闘任務に従事。

2016年、201212月に決行されたディリップ・ジョセフ医師救出を目的とした「エンデュアリング・フリーダム作戦」での功績により名誉勲章を受勲。

2016年、バーモント州のノリッジ大学を卒業。

2019年、海軍を退役。

2021 年、ペンシルバニア大学ウォートン スクールで経営学修士号を取得しました。

関連のある特殊部隊[編集]

大韓民国海軍特殊戦旅団 - 韓国版SEALsNavy SEALsと共同訓練を行い、同じ訓練課程を行っている。

レバノン陸軍海兵コマンド旅団英語版 - レバノン海兵隊(便宜的に陸軍に所属)であるが、SEALsから一定の訓練を受けており、編成など部隊自体がSEALsの影響を受けている。

特殊舟艇部隊 (SBS) - イギリス海兵隊の特殊部隊。

特別警備隊 (SBU) - 海上自衛隊特殊部隊。定期的にSEALsと共同訓練を行っている。

特殊警備隊 (SST) - 海上保安庁特殊部隊。1992フランスから日本プルトニウムを輸送した運搬船あかつき丸にSSTの前身部隊が乗り組み、警戒警備に従事した際に、外国の武装組織によるプルトニウム略奪を想定した高度な警備技術が必要となることから、SEALsから射撃から狙撃接近格闘術リペリング降下ファストロープ降下など特殊部隊として必要な指導を受けたことが判明している。

海軍コマンド - フランス海軍特殊部隊。

海軍スペツナズ - ロシア海軍に所属するスペツナズはSEALs同様に水中・水上での作戦能力を持つものと考えられる。

シンガポール軍特殊部隊 - シンガポール陸軍は、多くの元特殊部隊隊員が所持している空挺降下の記念バッジから、Navy SEALsから訓練を受けていることが判明している。また、海軍にも特殊部隊がある。2000年にはSEALsの養成訓練において、シンガポールの訓練生が首席となった。

 

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