決戦!株主総会  秋場大輔  2022.9.15.

 

2022.9.15.  決戦!株主総会 ドキュメントLIXIL死闘の8カ月

 

著者 秋場大輔 1966年東京生まれ。日本経済新聞で電力、商社、ゼネコンなど各界を取材。編集委員、日経ビジネス副編集長などを経て独立。

 

発行日           2022.6.10. 第1刷発行

発行所           文藝春秋

 

 

登場人物

瀬戸欣哉――LIXIL

潮田洋一郎――取締役会議長、指名委員、トステム創業家出身、瀬戸退任後CEO

伊奈啓一郎――取締役、INAX創業家出身

川本隆一――取締役、INAX最後の社長

山梨広一――社外取締役、指名委員会委員長、コンサルタント会社出身、瀬戸退任後COO

吉村博人――社外取締役、指名委員、元警察庁長官

幸田真音――社外取締役、指名委員、作家

バーバラ・ジャッジ――社外取締役、指名委員、英国経営者協会元会長

川口勉――社外取締役、公認会計士

松本佐千夫――CFO

金澤祐悟――CDO(最高デジタル責任者)

ジン・モンテサーノ――広報担当役員

藤森義明――元LIXILグループ社長兼CEO 瀬戸の前任者

高野雅永――機関投資家マラソン・アセット・マネジメント日本株調査担当

小松雅彦――機関投資家ポーラー・キャピタルのアナリスト

鬼丸かおる――元最高裁判事、社外取締役候補

西浦裕二――経営コンサルタント、社外取締役候補、

吉野正己――弁護士、瀬戸の友人(武蔵中高同期)

村上世彰――投資家、瀬戸の友人(東大クラスメイト)

 

 

はじめに

コーポレート・ガバナンスが具体的に何を指すか、理解が深まっていないが、重要性は増すばかり

実例で学ぶのが分かりやすいと考え採り上げたのがLIXIL3%の株式しか保有しない創業家が、わざわざ外部から呼んできたプロの経営者を追い出し、追い出された経営者が戦いを挑み、株主総会で勝利を収めたのは、日本の企業社会では初めての展開

 

第1章        霹靂――LIXILグループの社長兼CEO瀬戸のスマホが突然鳴った。「急な話だけれど、あなたには辞めてもらうことになりました」

201810月、瀬戸はイタリアのカーテンウォールを手掛ける子会社ペルマスティリーザ訪問中に、突然LIXILグループの取締役会議長潮田からの電話でCEO解任を告げられる

指名委員会の総意で、4日後には公表されるという。後任は社外取締役の山梨

瀬戸も潮田も東大経済土屋守章ゼミのOB

LIXILは、2011年トステムとINAX、新日軽、サンウェーブ工業、東洋エクステリアが合併して誕生した巨大住設機器メーカーだが、前身は2001年トステムとINAXが経営統合した会社で、2004年住生活グループと社名変更。母体は1949年潮田の父親健次郎が創業した日本建具工業と、常滑の名門企業INAXで、INAXの創業家出身の2代目社長が突然トステムに経営統合を持ち掛けた。獰猛な営業のトステムにお公家集団のようなINAXが吸収され現在の経営陣が出き上がっている

日本でコーポレート・ガバナンスが最も機能する仕組みは指名委員会等設置会社だと言われ、LIXIL'15年コーポレート・ガバナンス・コードを東京証券取引所と金融庁が導入する前の’11年から指名委員会等設置会社となり、コーポレート・ガバナンスの優等生といわれた

4日後の取締役会で潮田は解任の理由を、持ち株会社と事業体に分離して、自らは持ち株会社のトップに返り咲いて、企業グループの方向性を明確にしたいと語る

INAXの会長が、突然の辞任劇に対し、藤森に続く突然の交代は好ましくないと反対

指名委員会では、潮田も山梨も退席せず、新任の妥当性も議論せずに決まったのはお手盛りの典型

新たな経営陣を選任するのに、幸田もジャッジも他の会議があると言って退席した中で、採決が行われるという異様な事態

 

第2章        齟齬――なぜ瀬戸は辞任させられたのか。取締役会議長で、事実上のオーナーである潮田とはいくつかの点で経営への考え方が違っていた

潮田と瀬戸の経営上の対立の1つはカーテンウォール事業を手掛けるペルマスティリーザ社の扱い。2011630億円で買収後、収益計上基準を巡って採算度外視して受注する芸術家集団は、完成基準で大きな赤字計上するのを回避するため進行基準で利益を計上して赤字受注を糊塗しようとしていたのを見て、瀬戸はお荷物視したが、それに異を唱えたのが芸術家肌の潮田で、ペルマ社には特別の思い入れがあった

潮田の一流好きは経営にも及ぶ――'13年買収のアメリカン・スタンダードは北米市場で衛生陶器業界1位、’14年買収のドイツ・グローエも高級水栓金具市場では有名。ペルマも宝と言って憚らないが、ペルマが宝だったのはデジタル技術が発達する前、今では優位性を喪失、さらに買収後はペルマ社がより強い自治権を要求し潮田が容認

瀬戸はペルマを中国企業へ売却しようとしたが、対米外国投資委員会CFIUSに待ったをかけられる――米国の安全保障上、重要施設のカーテンウォールを施工している会社の中国への売却にストップをかけたもの

会計の形態でも両者は対立――LIXILグループとLIXIL'20年合併してLIXILとなったが、従前はLIXILグループという持株会社とLIXILという事業会社は別物、LIXILの売上が8割以上を占めているので区別する意味は薄いが、潮田は持株会社を株式保有会社として長期戦略を見るべきと主張

3点目は、瀬戸が導入した取引制度を巡る対立――長い取引関係に伴う悪弊を断つため、取次業者への卸売価格を前年実績とサービスレベルの評価によって自動的に決める仕組みを導入したが、古い取引先からの反発が多く、潮田はそれを支援した

4点目がM&Aに対する考え方の違いで、潮田は父親の経営に対しM&Aを繰り返せば間接費用が減って利益を確保できるとして父親の死後積極的にM&Aにのめり込んだが、買った会社の合理化が出来ないままに資産のみが膨らんで株価純資産倍率PBR1倍割れを起こしている。瀬戸は買収先を含めたリストラで対応しようとして対立を深める

 

第3章        真相――電話での「通告」から4日後、CEO交代を発表する記者会見は異様な雰囲気。その日の晩、瀬戸の事実上の解任の経緯が明らかに

CEO交代の記者会見で瀬戸は、交代の理由を経営の方向性の違いと説明したが、質疑応答では、潮田と瀬戸の諍い人事であるかのような異様な雰囲気が醸し出された

アナリスト向けの説明会では、潮田が積極的なM&A戦略で再成長を目指すと強気の発言

会見が終わった後で、指名委員に確認すると、瀬戸が辞意を漏らしたことから後任選びが始まったことを知るが、既に取締役会の決議があって交代の発表も済んでいる

武蔵中高同期で弁護士の吉野に相談

瀬戸は、少なくとも真実だけは解明しようと、真実を語ってくれた指名委員の幸田、吉村とコンタクトと取ったが、なぜか2人とも距離を置く

 

第4章        波紋――瀬戸の辞任劇を異様なことと感じ、LIXILグループの幹部、マスメディア、機関投資家など、社内外の関係者が動き出した

交代劇を不審に思った『日経ビジネス』の記者大竹剛が電子版の記事にしたのがきっかけとなって、メディアがLIXILグループ問題をしつこく取り上げるようになる

社内からも行動を起こして正常化を計ろうとする動きが出る――CFO松本とCDO金澤

松本は'13年富士ゼロックスからグループ入り、経理・財務に加えて経営企画も担当、潮田の会社分離論に不安を覚えていた時、瀬戸が来て分離に反対したため、一緒にやろうという気になっていた

金澤は、'99年東工大を出て住商入社。瀬戸が'00年間接資材販売の米グレンジャ-と合弁で住商グレンジャーを(現モノタロウ)を設立した際、eコマース立ち上げのために出向したが、起業の魅力に惹かれて住商を退社、自費で米国留学しMBAを取ってモノタロウに復帰。瀬戸のLIXIL社長就任後誘われてLIXIL

松本と金沢は、社外取締役兼監査委員会委員長の川口に取締役会の無効を調査すべきと要請、'15年不正会計発覚の際も監査委員長だったが、当時の潮田と藤森がお茶を濁す形で幕引きしたことから、今回も結果は変わらないと思って要請を引き受ける

機関投資家からも激しい疑問の声が上がり、広報は振り回される――'14年藤森の誘いでLIXILの世界戦略PRのためベルギーからスカウトされたジン・モンテサーノは新体制のスタートにあたり社内外のステークホルダーの反響分析のレポートを作成、従業員の離職を危惧するとの意見を書いたところ、潮田が激怒して以後仕事から外される

潮田は、森・濱田松本法律事務所に取締役会に関する適法意見書を作成させたが、瀬戸の辞意を客観的事実として位置付けたもので、瀬戸は反論を会社と取締役に送ったが黙殺

 

第5章        決断――LIXILグループに自浄作用が働いていないと知ってしまった以上、無視することはできない。そう考える人々の声に瀬戸は戦うことを決意

潮田家と付き合いのあった村上世彰が潮田に「偽計をもって経営者の交代を図り株価を下げたとなると、株主代表訴訟の対象になるので、CEOは辞めるべき」と電話したことから、潮田は村上が瀬戸と組んで買収を仕掛けてくるのではと考え、会社の顧問法律事務所とは別に西村あさひの太田を取締役会に連れてきた。太田は村上の天敵で、企業に買収防衛策を伝授している。取締役会では、瀬戸の辞意が発端だったことが明らかにされ、第三者委員会が調査することになった

LIXIL騒動を無視できなかった投資家の1つが'03LIXIL株を取得し長期運用してきたマラソン・アセット・マネジメント社長が瀬戸の話を聞いて、事実を確かめた上で行動するしかないと決断

瀬戸も臨時総会で潮田と山梨の解任を動議すると決断

 

第6章        蜜月――瀬戸の解任には、前任者の藤森の退任劇が影を落としている。そこにはグループの中国の子会社の不正会計問題が影響

'15年中国子会社の不正会計問題――中国の同業者のドイツにある持株会社ジョウユウの巨額簿外債務と債務超過が露見。元々グローエが中国同業者との業務提携からジョウユウの大株主になっていたため、グローエを4000億円で買収したLIXILの連結対象となったものだが、ジョウユウが破産しても中国での業務は正常に動いているという。LIXILはまともな決算が出来ない状態で、CFOの松本が実態把握に奔走。藤森は任せっきり

藤森は、'75年東大工学部卒、日商岩井から’86GEに転じ、'08年代表になり、’11年潮田に請われてLIXILCEO

グローエの買収は藤森時代だが、藤森には潮田の意向に沿っただけとの思いがあり、ジョウユウの後始末は他人事。特別委員会の調査を行ったが、結論は経営陣は不正を知らなかったという結論で、処分も役員報酬の減額だけに留まる

その直後に瀬戸への交代があり、世間は藤森の引責辞任とみたが、実際は潮田が’11年にCEOを打診したのはゼミ後輩の瀬戸だったが、起業で多忙だったため、次善の策で藤森をスカウトしたが、派手な振る舞いの藤森に嫌気した潮田が、再度瀬戸を口説き落としたのが真相。同時に藤森は住生活グループの社外取締役で東電会長の数土文夫の後任に浮上

‘18年第三者委員会の報告は、瀬戸の辞意を改めて認めたものだったので、瀬戸が反論するが、依然として取締役会に自浄作用が働きそうもないことから、瀬戸は強硬手段に出て、機関投資家に臨時総会開催を呼びかけるが、3%の適格な株主を集めるのは容易ではないのみならず、アクティブ投資家でもアクティビストと同視されるのを嫌って動かない

 

第7章        反骨――幼い頃から反骨精神が旺盛だった瀬戸は、私立武蔵高、東大を出て住商に入社、eコマース事業を立ち上げ名を成していく

瀬戸は、’94年ダートマスへ留学、そこでインターネット革命を目撃、中でもアマゾンの検索システムに注目。’96年帰国して新興国向けの製鉄技術開発を担当するが、アジア通貨危機で仕事がなくなり、eコマース事業を提案。米グレンジャ―の対日進出に企業版アマゾンを当てはめる。3年でようやく利益を上げるまでになり、‘06年モノタロウに社名変更してマザーズに上場、本社復帰を命じられた瀬戸が拒否したため住商は40%の持株を売却するとしたが、自社株買いで切り抜ける。その後株価は100倍以上に上昇

瀬戸が起業成功の経営理念としたのはジュースバー理論――誰がボタンを押しても同じ飲み物が出てくるように、誰がやっても同じ結果が出るのが理想の組織、年功序列の排除

瀬戸が挙げたLIXIL3つの問題点

   財務上のリスク――巨額買収を続けた結果、巨額の有利子負債が積み上がる

   国内事業の利益率を上げる方法が確立されていない

   海外事業のリスク管理体制――ポスト・マージャー・インテグレーションも不十分

 

第8章        仰天――動揺するLIXILグループをスクープ記事が直撃。MBOを実行し日本の株式市場から脱出する計画が瀬戸辞任の背景にあるというのだ

COOの山梨は、’78年東大卒後富士写真フィルムに入社、’90年マッキンゼーに転職してディレクターとなり、'16年から潮田に誘われてLIXILの社外取締役に

社内の業務執行上の最重要意思決定機関をビジネスボードと呼ぶが、そこで山梨は指導力や決断力のなさを露呈

‘19年初『日経ビジネス電子版』に「LIXILMBOを検討、日本脱出も」とのスクープ記事が掲載され仰天

潮田がシンガポール移転に拘ったのは、日本が早晩滅びるという持論のほかに個人的な事情もあった

潮田の妹敦子はフランス人映画監督と結婚、芸術家のパトロンとして知られ、相続の際LIXILグループ株を資産管理会社に評価額を下げて譲渡したため、60億の追徴課税をされた。洋一郎は、高垣佑の次女正子と結婚したが、敦子の課税を見て自分の相続の時のために居住地をシンガポールに移していた

 

第9章        秘密――瀬戸の辞任は偽計によるものではなかったか。第三者による調査報告書が作成されたが、決議を有効にしようと、裏で巧妙な工作が行われた

3者による調査報告では、新経営陣を選任する権限は取締役会にあり、適法に決議されており問題はない、との結論で、何人かの取締役が異議を唱え再調査に

事実上の筆頭株主のブラックロックが一連の人事の過程の透明化を要求

社内SNSの「ワークプレイス」にメディア報道に対する解説の書き込みが始まる

激論の末、潮田の意向で西村あさひが作成した調査報告書要旨を会社名で公表する

 

第10章     共闘――機関投資家、伊奈家、取引先、信託銀行…・。共同戦線が広がり、遂に臨時総会開催を請求するのに必要な株数をまとめることに成功

臨時株主総会開催要求に向けて機関投資家たちが動き出す――信託銀行名義の株がネックで、実質株主の意向を代弁するには特別の契約が必要であり、名義を変えても臨時総会要求には6か月間の保有が必要

瀬戸の依頼に伊奈家が動く。潮田のやりたい放題が目に余ってきたことも影響

伊奈啓一郎は創業者の孫、中興の祖輝三は叔父。旧財閥の森村グループが世界最大のセラミックグループと呼ばれ、その一角を担っていた伊奈製陶だったが、輝三はぬるま湯を嫌ってグループから独立、社外に刺激を期待してLIXILに経営統合を申し入れたが、社員からは「見捨てるのか」との声が聞こえていた

創業者は株を一族に分け与え一部は常滑市に寄付していたので、それを取りまとめる

信託銀行も、実質株主が動き出そうとするときに拒否すればレピュテーションリスクを負うことになりかねないので、態度を変え始める

 

第11章     布告――臨時総会で潮田と山梨を解任する――。機関投資家と伊奈家の宣戦布告に事態は大きく動いたが、解任後の体制は見通せなかった

‘193月機関投資家4社が連名で「臨時総会招集請求について」とのプレスリリースを出す。伊奈啓一郎も共同提案者になったとの声明を発出。トステムとINAXの対立ではないと念を押す

取締役の解任が決議されても、後釜を選任するのはあくまで会社の取締役会なので、会社の自浄能力に期待するしかない

瀬戸は3月末までは形式的には取締役兼代表執行役社長だったため、41日になってから、CEOに復帰する株主提案をするとともに、次期総会で退任を予定していた伊奈と川本を取締役候補として提案することに

 

第12章     集結――瀬戸が新たな経営体制を構築しようと社外取締役候補を探すと、名うての経営コンサルタントや元最高裁判事など想像を超えるメンバーが次々と集まる

瀬戸が考えた新たな株主提案の取締役候補は9人、社内が4人に社外が5

社内は瀬戸、伊奈、川本のほかにトステムの出身を入れ、INAXvsトステムの形を回避しようと、トステム系事業のトップの吉田聡を説得

社外も、お友達は避ける――友人の紹介でブーズ・アレンの西浦、法曹関係者は会社との利益相反の関係で探すのが難しかったが、吉野の研修所時代の教官で最高裁を退任したばかりの鬼丸かおる、コーポレート・ガバナンスを正しく根付かせなければならないと使命感を持つようになって人材紹介会社に登録して社外取締役のオファーを待っていた企業年金連合会理事の濱口大輔、モノタロウの社外取締役で公認会計士の喜多村からの紹介であずさ監査法人の鈴木輝夫、最後の1人は時間切れ

4月瀬戸は取締役候補を発表

 

第13章     正義――瀬戸を支えようとかつての職場の仲間も集まる。遂に潮田と山梨の解任を求める臨時総会が請求された

以降の各章の詳細は後述の『文春オンライン』に

瀬戸の記者会見の後、指名委員会が社外取締役候補との面談を要求してきたこともあって、初めて8人の取締役候補が顔合わせ

指名委員会は、株主提案の候補4人に個別に、会社提案の候補に乗り換えるつもりがあるかを打診してきたのは、会社提案の取締役候補の選定が難航していてる証拠

 

第14章     援軍――潮田は奇襲に出た。突如、取締役の辞任を表明、臨時総会を開く根拠を失わせた。衝撃を受ける瀬戸だったが…・

会社側は、業績の下方修正を発表すると同時に、臨時総会での劣勢が予想された潮田・山梨は、LIXILから手を引いた西村あさひに代わって再度前面に出てきた森・濱田松本の入れ知恵に従って、定時総会での辞任という奇襲にうってでる。臨時総会請求の根拠をなくそうという作戦だが、潮田らの論法はそうではなく、巨額赤字の責任を負うべき瀬戸をCEOに持ってきた任命責任を取るという勝手な主張を展開

直後に、潮田らのやり方に嫌気のさしたCFOの松本が遂に堪忍袋の緒が切れて意を翻す

『週刊文春』では潮田のパワハラメールをスクープ――潮田が瀬戸を非難する社員向けメールに対し一部社員が修正案を進言したことに対する潮田のパワハラをすっぱ抜いた

 

第15章     混沌――取締役会の混乱に、執行に携わる経営幹部が立ち上がる。連判状を作成して指名委員に送付。潮田の院政を否定し、瀬戸のCEO復帰を求めた

ビジネスボードのメンバーの有志10人による連判状(BBレター)が指名委員会に届く

潮田・山梨が執行側に残るのであれば意味がないとし、その上で瀬戸の復帰を求める内容

後を追うように、大株主からも取締役会に対し、会社側取締役候補とCEO候補を示し、BBレターの内容を尊重することを要求

会社側の狙いは、潮田・山梨とは無関係に見える社外取締役を選任しておいて、実権は自分たちで握ろうという従来の日本型の形式だけで誤魔化そうとするもの

指名委員長はバーバラ・ジャッジ。ニューヨーク生まれの弁護士、33歳で米証券取引等監視委員会の委員となり、英国人と結婚してイギリスに移住、英原子力公社会長や英国経営者協会会長、日本の原子力改革監視委員会委員などを務めたが、’18年経営者協会で人種差別的な発言をしたと告発され謝罪に追い込まれ会長を辞任している

ジャッジは当初潮田寄りだったが、BBレターで疑いを持ち始め、瀬戸に会って勝ち馬を確信し、元幹部の助言もあって、会社側と瀬戸側から同数の取締役候補を出し、自分からも何人か推薦して、会社側候補として総会に出すことを瀬戸に提案、瀬戸も苦慮の末その提案に従うこととして根回しをしたが、健次郎時代からの番頭格で人事を握ってきた取締役の菊地義信が猛然と巻き返し。元々トステムはよく言えば信賞必罰の人事をする会社、悪く言えば不満分子を監視する会社といわれてきたが、その仕組みを作り上げたのが菊地で、瀬戸が候補に入るバーバラ案には絶対反対。そのまま指名委員会を強行突破して、新たな布陣の会社側候補を発表

ジャッジが折れた背景には、この間文春がジャッジの過去の人種差別発言のスキャンダルをすっぱ抜いたことが考えられ、瀬戸のリークによるものと勘違いしたジャッジが瀬戸支援を放棄したのではないか

 

第16章     深謀――6月の定時総会に向け事態は加速。会社側も取締役候補を発表し、瀬戸の復帰をあからさまに防ごうとした

会社側提案の取締役候補は8人、社長う候補1人の他はすべて社外、さらにコニカミノルタの松崎と米国務省東アジア・太平洋担当国務次官補だったカート・キャンベルを追加

瀬戸側も、個人投資家へのアプローチ手段としてウェブサイトsavelixil.comを社員の手弁当で立ち上げ

 

第17章     激突――株主提案の取締役候補が会見を開催。対する会社提案の取締役候補もメディアや投資家に正統性を訴えた。プロの目には会社側有利と映る

会社側提案の取締役候補が記者会見で一様に言ったのは「喧嘩両成敗」と「人心一新」。会社から独立して会社の執行を監督しなければならないはずの社外取締役が、会社側の論理を主張するという異様な状況は、従前と全く変わらないことの証明でもある

ただでさえ日本では株主提案が勝つことはほとんどないのに、今回の会社提案は形の上では完璧であり、形勢は瀬戸にとって不利――会社提案は8人の候補者中7人までが社外で、会社との間に過去何の関係もなく、経営の経験が豊富

 

第18章     敗北――互いに取締役候補の資質を問うネガディブキャンペーンの合間に、週刊誌への告発も。株主提案チームの疲弊が深まる中、あるレポートが衝撃を与える

総会の招集通知には、1号議案が会社提案の取締役候補8人の選任、2号議案が会社提案として鬼丸と鈴木(2人とも会社に対し推薦してくれるなとの声明をだしたが、無視された)の選任、3号議案が株主提案の内鬼丸と鈴木を除く6人の選任

通知の中で、株主提案の候補者の独立性に関する疑義を一方的な基準で記載したのに対し、瀬戸も会社提案の候補者の独立性への疑義を訴える

両者によるネガティブキャンペーンが続き、さらに記者会見/説明会でも激しくやり合う

 

第19章     不屈――天王山と考えた議決権行使助言会社のレポートでの敗北に、「勝負はまだこれから」と強がる瀬戸。粘り強い株主の説得に微かな希望が見える

最後に瀬戸は議決権行使助言会社の米インスティテューショナル・シェアホルダー・サービシーズなどとの面談に臨むが、結果は株主候補8人に対し瀬戸を含む4人に反対との回答があり、パッシブ投資家への影響が懸念されたが、推奨/反対理由には事実誤認や判断基準に関して矛盾が多く、一部の米投資銀行は疑念を表明

議決権行使書と委任状がセットになっていて両方に意思表示をするようになっているが、会社は勧誘と異なる意思表示の委任状は扱わないとし、議決権行使書は未記入が望ましいとしているため、会社案に反対する株主でも、せっかく委任状に反対の意思表示をしても議決権行使書を未記入のままにしておくと、両者を切り離され、委任状は無視されたうえに、議決権行使書は未記入なので会社案に賛成したものとして扱われる。一種の罠で、裁判所に訴えると、会社側弁護士から委任状の意思表示を尊重するとの回答が来る

 

第20章     奇跡――遂に運命の日。'19625日、LIXILグループ定時株主総会で待っていたのは信じられないような大逆転劇

あらかじめ議決権を行使した株主でも総会当日出席した場合は会場で再投票しなければ棄権として扱われる

総会前夜にバーバラから瀬戸に電話が入り、「全員が選任されるようだが、瀬戸がCEOで松崎が取締役会議長ではどうか」という

総会当日、事前に松崎が瀬戸に会いに来て同じ話をする

元々松崎はバーバラの説得に負けて議長を引き受けた途端、マスコミなどの対応の最前線に立たされ会社の対応に不満を持っていたが、総会での両者拮抗状況を感じ取って、瀬戸をCEOにするよう会社側に働きかけ、受け入れられなければ自分も降りると言っていた

瀬戸は、西浦を議長にしたかったが、松崎の申し出を承諾、ただし指名委員会は株主提案の取締役が多数となることを条件にした

投票結果は候補者16人中会社提案の2人を除く14人が選任され、瀬戸の完全勝利となり、約束通り松崎を議長とし、各委員会は株主側が過半数を占める

機関投資家の多くが株主提案に賛成してくれたことは、日本の企業社会の悪しき習慣を変えるという大義が少しは果たせたし、大株主で持ち合い株を保有する日本生命も会社提案と株主提案の両方に賛成してくれている

 

あとがきに代えて 「そしてLIXILはどうなったのか」

指名委員会は毎年末にCEOを再任するかどうかを決め、その結果を取締役会に諮問

新しいCEOを選ぶ場合には、現CEOが毎年更新するリストの中から指名委員会が候補を選び、取締役会に諮問、取締役会が選任する

同時に、指名委員会の規則も見直し、曖昧で勝手な解釈を許さない内容に改正

社外取締役の候補者リストが80名に及ぶ

ガバナンス委員会を設け、指名委員会や社外取締役の行動をチェック

僅か2年でガバナンス改革が出来た背景には;

   潮田に連なる取締役が一掃されたことで、過去のしがらみにとらわれることなくゼロから作り直すことができた

   社外取締役の力量――取締役11人がガバナンス改革に真正面から取り組み、役割を正しく理解し、自ら手足を動かす人材ばかりで社外取締役が構成されるようになった

BBレターなどを通じてガバナンスの正常化が求められ、執行側に強い期待があっただけに、取締役は労力のかかるガバナンス改革に取り組まざるを得なかった

   指名委員会や社外取締役を、執行部を含む従業員が信頼している――指名委員会が執行約10人と面談し、取締役会について評価してもらっているが、執行と取締役の間の相互牽制と信頼関係が正常に働いていることが重要

指名委員会のみならず報酬委員会、監査委員会もすべてアクティブな社外取締役で構成されているというのも珍しい

執行がガバナンスの重要性を理解して、監督に正しい判断をしてもらう。それを引き受ける人材は自身の役割と責任を把握して職責を全うする。さらに執行と監督の双方が信頼関係を築く。この3つが揃って初めてガバナンスの健全化は担保される。ガバナンスの実効性を高めるのは社外取締役の数ではなく、社内外の人材の意識だということが分かる

‘20年ペルマは米投資会社アトラスに売却が決まる

ガバナンスの強化は骨の折れる作業だが、それが企業価値の向上につながることをLIXILは体現している

 

 

 

 

「今回の社長交代には納得できない」リクシルを追われたプロ経営者が創業家と全面戦争へ…CEO復帰を明言した逆襲の記者会見

『決戦!株主総会 ドキュメントLIXIL死闘の8カ月』より #3

秋場 大輔

2022/06/24 source : 週刊文春出版部

 20181031日、LIXILグループ(現LIXIL)は突如として瀬戸欣哉社長兼CEOの退任と、創業家出身の潮田洋一郎取締役の会長兼CEO復帰を発表。外部から招聘した「プロ経営者」の瀬戸氏を創業家が追い出す形となった。しかし2019625日、会社側に戦いを挑んだ瀬戸氏が株主総会で勝利し、社長兼CEO復活する。

 ここでは、一連の社長交代劇の裏側に迫ったジャーナリスト・秋場大輔氏の著書『決戦!株主総会 ドキュメントLIXIL死闘の8カ月』(文藝春秋)から一部を抜粋。201945日、東京・大手町のオフィスビルで記者会見を開いた瀬戸氏は、CEOに復帰してLIXILグループを立て直すことを表明する。(全4回の3回目/4回目に続く

号砲を鳴らす日

 201945日の東京は、雲の切れ間から時折日差しが地面に届くような天気だった。この時期にしては少々蒸し暑い日に、東京・日本橋にある吉野の事務所には朝から続々と人が入ってきて、「久しぶり」「元気だった?」などと声を掛け合った。

 声の主は瀬戸が立ち上げたモノタロウのOBOGである。モノタロウは本社を兵庫県尼崎市に置いていて、社員のほとんどは関西に住んでいる。吉野の事務所に集まった面々は前日に東京へやってきてビジネスホテルに宿泊し、この日の朝、地図を頼りに地下鉄の日本橋駅から少し離れたところにある吉野の事務所へやってきたのだ。

「最近は何してんの?」

「家の近くに畑を借りて、きゅうりやらトマトやらを植えてんねん。この歳やから、体がきつくてかなわんわ」

 OBOGが、まるで同窓会が開かれているかのような会話を関西弁でしているところに瀬戸が現れた。

「急なお願いで本当に悪かったね。東京へは昨日来たんでしょ。よく休めた?」

 瀬戸がお礼と労いの言葉をかけると、1人が答えた。

「いや、電話をくれて嬉しかったわ。新聞やテレビで瀬戸さんが大変な目に遭うていることは知ってましたから。こんな時にお役に立てることがあるなんて、ありがたいお話ですわ」

LIXILグループ(現LIXIL)社長兼CEO(最高経営責任者)の瀬戸欣哉氏 

 瀬戸は20181031日に開かれた記者会見の冒頭で「皆さんにお会いするのもこれで最後になると思いますけれど……」と、表舞台に立つのはこれが最後であるかのようなことを言った。

 しかしその後、潮田と山梨を解任し、CEOに復帰してLIXILグループを立て直そうと考えを改めた。それがDo The Right Thingだと思ったからだ。もっともこの試みが正義であることは、指名委員会や株主からの賛同を得て初めて証明できるものでもあった。それには公の場に立ち、世間に訴える必要がある。45日はその号砲を鳴らす日だ。

 瀬戸はこの日に備えてAというPR会社と契約を結んでいた。会見場の設営や記者会見の司会進行はもちろんのこと、当日、メディアに配る資料を作成したり、質疑応答に備えて想定問答を作ったりするのがAの仕事だった。

 しかしAは記者会見の直前になって突然、契約の解除を申し入れてきた。瀬戸が理由を尋ねると、担当者はこう言った。

瀬戸が激怒した担当者の言葉

「うちがPRの業務委託を受けている先にLIXILグループと関係の深いところがあります。瀬戸さんの依頼を受けると、ともすれば利益相反行為になってしまいます。それで誠に申し訳ありませんがお断りしようということです」

 瀬戸は激怒した。契約を結ぶ時、Aの担当者は「弊社が業務委託を受けている先には瀬戸さんと利益相反が生じる可能性があるところもあります」と確かに言った。しかし「しかし社内では完全にファイアーウォールを敷いておりますのでご安心下さい」とも語った。それが記者会見の直前になって利益相反を理由に契約の解除を申し入れてきたのだ。おまけに契約を結んでからその日までの委託料を当然のように請求してきた。

 いずれにせよ関係を継続するわけにはいかない。契約はその場で打ち切った。それからしばらく「利益相反が生じる可能性がある相手」とは誰なのかを考えたが、最重要課題は目前に控えている記者会見をどう乗り切るかだと思い直し、善後策を考えた。

 

記者会見には瀬戸の妻、陽子の姿も

 Aが予約した会見場は大手町のオフィスビルの2階にある会議室である。記者会見に使えそうな近隣の会議室に比べると使用料は手頃だったが、その分、エントランスから会見場までの動線が少し分かりにくかった。

 記者会見に参加するメディアは迷うかもしれないから会場まで案内をする人が3人必要だ。そのほか受付にも3人いるだろう。司会が1人、質疑応答の際に記者の元へマイクを運ぶ人が2……。瀬戸は自ら会場へ足を運び、記者会見を開くのに必要な人数を割り出し、モノタロウのOBOGに直接電話をかけた。瀬戸からの突然の電話に誰もが一様に驚いたが、事情を聞き、ほとんどが2つ返事で東京行きを決めた。

 記者会見の開催を決めてから実際に開くまでの時間はわずかだったにも拘わらず、吉野の事務所に10人近くが顔を揃えた。その中にモノタロウのOBOG一人ひとりに頭を下げ、お礼を言っている瀬戸の妻、陽子の姿もあった。同じ部屋にいた瀬戸が人数を数え、「マイクを運ぶ人がどうしても1人足りないなあ」と言うと、陽子は「それ、私がやるわ」と買って出た。

 受付は陽子が営む会社で働く岩根静江が、司会はモノタロウでIRを担当していたOGの山崎知子が請け負った。記者会見で配布するプレスリリースは当日の朝までかかって瀬戸と吉野が作成した。徹夜になったのは、株主に海外の機関投資家もいて、日本語版だけでなく、英語版も2人で手分けして作ったことに加え、記者会見で出そうな質問に対する回答集も作ったからだ。

 難儀だったのは取締役候補者の略歴書作りだった。社外取締役候補となった西浦や鬼丸、濱口、鈴木はさまざまな経験をして現在に至っている。これを寸分間違えることなく経歴書に落とし込む作業は、間違いがあってはいけないため意外と手間がかかる。それを瀬戸に西浦を紹介した岸田が仕事の合間を縫ってまとめた。

 約20年前の2000年、瀬戸はわずかばかりの仲間と大阪の阿波座にあるペンシルビルに事務所を借りてモノタロウを創業した。当時、eコマースと呼ばれたビジネスの肝である情報システムですら自前で構築し、家賃5万円のマンションを借りて、そこにサーバーと冷却用のクーラーを何台も置いて商売を始めた。45日午後1時から始まった記者会見は、裏方にその道のプロが1人としていない何から何まで手作りの舞台だったが、それはモノタロウが産声を上げたころの様子をどこか彷彿とさせた。

 司会の山崎に促される形で登壇した瀬戸は、自分を含む取締役候補を紹介した上で2つの話をした。1つは6月の定時株主総会に株主として瀬戸を含む8人を取締役候補として提案、選任を求めるが、今後指名委員会に対し、この8人を会社提案の取締役候補にするよう働きかけていくということである。

「お友達内閣を作ろうとしているのではない」

 もう1つは、この取締役候補が選任されれば自分はCEOに戻るつもりであり、復帰後には昨年スタートさせた中期経営計画を復活させると話した。

 瀬戸は4人の社外取締役候補について説明し、「いずれも立派で実績もある方ばかりですが、もう1つ候補者には共通項があります。いずれも信頼できる第三者からの紹介で出会った人ということです。かねてからの友人ではなく、私を監督し、𠮟り、必要によっては交代させられる方々であり、誰の私利私欲も退けられる人ばかりです」と強調した。それは指名委員会や株主に対するメッセージで、「お友達内閣を作ろうとしているのではない」という意思表示である。

 もう1つ語気を強めたのは吉田がトステム出身者であることだった。自分たちの提案にトステムもINAXもないということを伝えたかったからだ。その上で今の自分の心境を語った。

「昨年1031日にCEOを退任してから何をすべきかをずっと考えました。正直申し上げて他の仕事をしようかと思ったこともあります。でも私の行動規範の最後の拠りどころは『Do The Right Thing』です。虚心坦懐に自分がすべきことを考えた時、LIXILグループに戻って仕事を全うすることが正しいことだと結論づけました」

「今回の経営者交代は明らかに正しい事ではなかったと思います。これを許したら、LIXILグループは正しい事をしない会社と思われてしまう。それでは従業員や株主に迷惑がかかるし、そもそも従業員に対して『正しいことをしよう』と言い続けてきた自分自身がそこから逃げたことになる。だから復帰を目指すことにしました」

 

 質疑応答に移ると、メディアからの質問は退任の経緯に集中した。すでに『日経ビジネス』や『FACTA』、『日本経済新聞』などが報じていたことに加え、公表された調査報告書要旨にも書かれていることではあったが、瀬戸が公の場に出たのは昨年1031日以来のこと。メディアは本人の口から聞きたいと思ったのか、さかんにこれまでの経緯を問いただした。

 次に多くの質問が寄せられたのは瀬戸の潮田に対する思いだった。瀬戸は「LIXILグループを経営する機会を与えてくれたことは感謝したい」と前置きした上で、国内事業でシェアと利益率のどちらを重視するか、ペルマをどう捉えるかといった点で潮田とは考えが違ったことを指摘した。さらにシンガポールに住みながら経営が出来るのかなどと潮田の経営スタイルに疑問を投げかけ、事実上、潮田の一存で人事が決まってしまうLIXILグループのコーポレートガバナンスは正さざるを得ないと語った。

 一般的に記者会見の所要時間は40分から50分程度で、長くても1時間というのが目安である。しかし、少しでも多くの世間や株主に自分たちの行動は正義であると認識してもらう必要があると考えた瀬戸は吉野と相談して会見時間を1時間半と設定し、さらに質疑応答が終わった後に発表者をメディアが囲んで追加の質問をする、いわゆる「ぶら下がり」にも応じた。会見が終わったのは午後3時を過ぎていた。

2通りのプロセス

 320日に機関投資家4社と伊奈が、潮田と山梨の解任を議案とする臨時株主総会の開催を請求した。これが賛成多数で可決されたとして、LIXILグループのその後の経営をどうするか。瀬戸が45日に発表したのは自身を含む8人の取締役が選任され、自分がCEOに復帰して舵取りをするというものだった。

 復帰は2通りのプロセスが考えられた。株主提案で8人の選任を求めて定時株主総会に臨み、株主の審判を仰ぐというものが1つで、もう1つは指名委員会や取締役会が瀬戸を含む8人を会社提案の候補者にするという方法である。それを45日の記者会見で話した瀬戸は、後者のプロセスの可能性が10分にあるのではないかと考えていた。この時点でLIXILグループは定時株主総会に諮る会社提案の取締役候補を決めていないからばかりではない。他にも理由があった。

 1つはメディアの報道が概ね瀬戸に好意的だったことだ。記者会見で可能な限り丁寧に対応し、その後、続々と申し込まれた単独インタビューに全て対応したことも奏功したのかもしれない。瀬戸が記者会見を開いている間にLIXILグループの株価が急騰し、45日は前日比90円高の1654円で引けたことも好材料だった。

瀬戸の追い風となる2つの動き

 さらに瀬戸には追い風となる2つの動きがあった。1つは豪ファンド運用会社のプラチナム・アセット・マネジメントが潮田と山梨の解任に賛成すると表明し、「瀬戸氏主導の事業再生が道半ばで、経営首脳の交代に納得できない」というコメントを出したことである。プラチナムはLIXILグループの株式を議決権ベースで442%保有する2位株主。それが解任に賛成すると表明したことは、他の株主にも少なからず影響を及ぼすことが予想された。

 もう1つは会見当日と偶然重なった朝日新聞の報道だった。年明け以降、西村あさひ法律事務所がまとめた調査報告書の内容と開示方法を巡ってLIXILグループの取締役会はもめた。侃々諤々の議論の末、225日に報告書を編集した「報告書要旨」が会社名で公表され、それが機関投資家らの反発をさらに増幅させたが、朝日は「要旨」ではなく、「調査報告書」の内容を報じ、会社が意図的に公表を避けた点を明らかにしたのだ。少々長くなるが記事を引用する。

 住宅設備大手、LIXIL(リクシル)グループの首脳人事の経緯が不透明だと機関投資家が疑問視している問題で、第三者の弁護士がまとめた首脳人事に関する調査報告書の全容が明らかになった。CEO(最高経営責任者)に復帰した創業家の潮田洋一郎氏に対する遠慮が多くの取締役にあったことがガバナンス(企業統治)上の問題を招いた原因だと報告書は指摘していたが、LIXILはこうした部分を伏せて公表していた。

 LIXILは、首脳人事の手続きの透明性について調査・検証が必要だとする意見が一部の取締役から出たことを受け、第三者の弁護士に調査を依頼した。225日に調査報告書の簡略版を自社ホームページで公表したが、全文公開はしなかった。首脳人事を疑問視する機関投資家が情報開示が不十分だとして反発。全文公開を求めているが、LIXILは応じていない。

 朝日新聞は218日付の調査報告書の全文を入手した。LIXILの監査委員会から調査を委嘱された弁護士がまとめた報告書は全17ページ。取締役全員に聞き取り調査を実施し、関連資料を精査してまとめたものだ。一方、LIXILが公表した簡略版は8ページ。社長を退任した瀬戸欣哉氏と潮田氏の対立の詳しい経緯や背景、聞き取り調査での取締役の発言など多くの記述が省略されていた。

 調査に至った経緯や報告された事実をまとめ、今後の対応を記す体裁をとっており、報告書全文の章立てにも修正が施されていた。全文には「一連の手続きにおけるガバナンス上の問題点」と題する4ページにわたる章があるが、その大半が削られ、「調査結果を踏まえた当社の対応」の章が加えられており、全文に沿った要約とは言い難い内容に修正されていた。(中略)

 簡略版では伏せられているが、首脳人事の「ガバナンス上の問題点」の検証結果も盛り込まれていた。指名委の議論が潮田氏主導で行われ、指名委が瀬戸氏の辞意を確認していなかったと指摘し、手続きの客観性・透明性の観点から望ましくないとの見解を示していた。

 さらに、「創業家である潮田氏が自分でCEOをやると言っている状況で、それに異を唱えることのできる者はおらず、誰も反対のしようがない状況だった」という調査対象者の発言を記し、「社外取締役を含めた多くの取締役に潮田氏に対する遠慮があったことが認められる」と分析。「このことが潮田氏が提案する人事に対して、ガバナンスを効かせた議論をすることができなかった原因・背景の1つになった」と指摘していた。(朝日新聞201945日)

 機関投資家と伊奈が臨時株主総会の開催を請求した時点で、指名委員会にその結果を見通すことは難しく、取りうる選択肢はいくつもあった。しかしプラチナムの発表や朝日のスッパ抜き、記者会見後の一連の報道や株価の値動きで、潮田サイドは不利な状況に追い込まれているといえた。おまけに会社は朝日新聞の報道で観念したのか、シンガポール移転のくだりなどを黒塗りにした報告書を9日に全文開示している。潮田と山梨が解任される可能性は俄然高まった。

 それでも指名委員会が潮田の意向に沿った取締役候補を立てれば、今度は批判の矛先が指名委員会に向かいかねない。さらに瀬戸は記者会見で、「現在の社外取締役で、私たちの候補者チームに参加して頂ける方がいれば、それは経営の連続性の観点からも前向きに検討したい」と語り、社外取締役の中で再任に意欲を見せていた指名委員長のバーバラ・ジャッジがなびきやすい状態も作っていた。だから指名委員会は自身を含む8人、もしくはバーバラを含む9人を会社提案の取締役候補にすることもあり得る。瀬戸はそう考えた。

 

 

 

文春オンライン

「これで『100倍返し』をしてやった」お家騒動中のリクシルが取締役辞任を電撃発表プロ経営者を追い込む創業家のシナリオ(秋場 大輔/週刊文春出版部)『決戦!株主総会 ドキュメントLIXIL死闘の8カ月』より #4

突然の潮田辞任表明

瀬戸が記者会見を開いたのは201945日だった。その4日後の9日に、潮田は『読売新聞』と経済誌『週刊東洋経済』のインタビューに応じている。そこで20181031日に開いた記者会見の時と同じように、瀬戸の経営は拙かったという趣旨の発言を繰り返したが、同時に今後の経営に対して意欲的とも取れることを語った。

例えば臨時株主総会で解任を求められていることについては、「希望があれば株主様には会います。分かってもらえるはずですよ」と発言。今後の経営計画を問われると、「連休明けの513日に決算発表を予定しています。その時に20203月期決算の見通しと、今後35年の新しい計画を発表する予定です」とも答えた。しかし10日も経たずに態度を180度変えた。

418日午後4時半、東京・六本木にある会議場「ベルサール六本木」でLIXILグループが緊急記者会見を開いた。ペルマの減損損失を計上したことなどで、3月期の最終損益が当初見込んでいた15億円の黒字から一転、530億円の赤字になる見通しだという業績下方修正を発表した。

この会見には潮田と山梨、CFOの松本が出席。そこで潮田は520日付で取締役を退任し、6月の定時株主総会でCEOも辞めると表明した。山梨は定時株主総会までは取締役とCOOを続けるが、総会後は取締役には残らないと言った。

潮田の取締役辞任表明は奇襲といえた。臨時株主総会が開かれれば潮田と山梨は解任される可能性がかなり高まっていたが、その臨時株主総会を開く根拠を失くすものだったからだ。しかし潮田は会見で、そうした目論見があって退任するのではないと強調した。巨額の赤字を計上することになったのは瀬戸がCEOとして手を打たなかったからで、退任するのはその瀬戸をCEOにした任命責任を取るからだという論理を展開した。

「取締役退任は臨時株主総会を回避するためではありません。今回の巨額損失の責任は瀬戸さんにありますが、彼をCEOに任命したのは当時の指名委員会のメンバーで、取締役会議長だった私の責任です。だから辞めるんです。私は38年間取締役をやってきましたが、(瀬戸の任命は)大変な、最大の失敗でした」

会見での潮田は瀬戸の退任を発表した20181031日の時と同様、言いたい放題だった。

潮田の過激な発言は瀬戸に向けられ……

「ペルマの買収を決めたのは私です。窓(カーテンウォール)については世界一の技術を持つ会社を手に入れるのは夢でしたからねえ。うまく経営できるはずだったんです。しかし瀬戸さんの3年間の経営が宝石のようだったペルマを石ころにしてしまった。経営がおかしくなっているのなら、せめて取締役会で報告して欲しかったが、それもなかった」

「瀬戸さんは定時株主総会に株主提案をして、自らCEOへの復帰を目指しているようですけれど、この赤字を招いた責任をどう思っているんですかねえ。訝しく感じます」

一般的に会見に出席する記者は、発表者が口にする刺激的な発言をわざと取り上げる傾向がある。発表者が会見後に「一部が切り取られて報道された」と怒ったりするのはこのためだ。その意味で418日の会見は報道する材料にとって、いわば「撮れ高」の多いものだったが、ほとんどのメディアは潮田の過激な発言をカットして報じた。瀬戸への強烈な私怨を感じ取り、さすがにこれを報道するわけにはいかないと思ったからだろう。

業績下方修正を発表して、全ての責任を瀬戸に負わせる。臨時株主総会を前に潮田が辞任する。瀬戸にとって2つのシナリオは予想の範囲内ではあったが、いざ発表となると、さすがに驚き、聞き捨てならないと思った。

ペルマは確かに優れた会社だったかもしれない。しかしデジタル技術の革新で優位性は失われ、買収した時点ですでに「宝」どころではなかった。無理に受注したのは藤森時代で、そのツケが今回の決算に出たのに、潮田は会見で瀬戸の責任だと言った。

瀬戸は潮田の説明が明らかに間違いだと証明することができた。CEO就任が決まってすぐに作成したLIXILグループの経営に関する報告書では、かなりのページを割いてペルマのリスクを説明していた。正式にCEOになったのは20166月の株主総会後だが、その翌月の取締役会でペルマにどれくらいの損失が発生する可能性があるのか、具体的な数字を盛り込んだ資料も提出していた。取締役会の議事録を見れば、その後も報告を続けていたことは明らかだ。「取締役会への報告がなかった」という発言は、瀬戸の退任劇で偽計を使った潮田らしいと言えばそれまでだが、およそ容認できるものではなかった。

潮田に反論するために瀬戸が取った行動

潮田の会見が終われば、メディアは当然、瀬戸にコメントを求めてくることが予想された。どこで応じ、どう反論するか。瀬戸がそれを考え始めた時に吉野から電話が入った。

「瀬戸、すぐに反論しよう。しかし、今から記者会見を設営するのは無理だ。20人くらいしか入れないけれど、俺の事務所でぶら下がり取材に応じるしかない」

「潮田さんの発言を聞いたけれど、よくあそこまで噓が言えるな。頭にきたからぶら下がりは霞が関ビルのエントランス前にして、時折、36階を見上げてやるパフォーマンスをしようと思ったくらいだが、吉野の事務所に集まってもらうのが現実的だな」

瀬戸は続けた。

「吉野、もちろん反論するよ。でも潮田さんと水掛け論になるのは避けたい。だからぶら下がりでは説得力を持たせることが大事だと思うんだ。LIXILグループの経営分析をした時の報告書とか、ペルマのリスクを数字で示すために作った資料が手元にあるんだけれど、これを持って話をするのはどうかなあ」

「でも、それは内部文書だろ。メディアに見せるわけにはいかないよな」

「だから『中身を見せるわけにはいかないが、証拠はここにある』と言うつもりだ」

「それならメディアは潮田さんの噓を理解するかも知れないね」

418日午後7時過ぎ。吉野の事務所は20人を超えるメディアで溢れかえった。「急に呼び立てたのに、広い部屋じゃなくて申し訳ないですね」。吉野が殺到するメディアに何度も詫びているところへ、瀬戸が予定よりも少し遅れて現れた。

すかさず取り囲んだ記者に潮田の取締役退任について「臨時株主総会を回避するためではないですかね」と感想を述べるなどしていると、案の定、「潮田さんは『瀬戸さんからペルマの経営状態について報告がなかった』と言っていましたが……」という質問が出た。

「そうおっしゃったみたいですが、事実と違います。私が手に持っているのがその証拠で、当時の報告書の一部です。皆さんにお見せしたいところですけれど、内部情報が含まれているから見せられない。残念です」

瀬戸はそう言いながら、数十枚に及ぶA4サイズの紙の束をくしゃくしゃに握りしめ、「悔しさ」を演出した。

潮田が10日足らずで退任を表明した理由

潮田がメディアの取材に応じてから10日足らずで退任を表明することにしたのはなぜか。瀬戸は調査報告書をまとめて以降、LIXILグループからは手を引いた西村あさひ法律事務所に代わって再び前面に出てきた森・濱田松本法律事務所か、株主総会をどう乗り切るべきかというアドバイスなどをするコンサルタント会社のアイ・アールジャパン(IRJ)ホールディングスの入れ知恵だろうと考えた。

機関投資家と伊奈は320日に臨時株主総会の開催を請求し、そこでの潮田と山梨の解任を求めたが、潮田は当初、実際に開いたところで賛成は少数にとどまると踏んでいたフシがある。しかし時間が経つにつれて雰囲気は変わり、解任が現実味を帯びてきた。瀬戸は、潮田にそうした情勢変化を伝えたのも、取締役を退任するという「ウルトラC」を考えたのも森・濱田松本法律事務所かIRJと考えた。

会見で潮田は「6月の株主総会で会長兼CEOも辞めるが、その後、アドバイザーをやってくれと言われれば考える」と言い、山梨は「株主総会以降は取締役にはならないが、許されるのであれば執行に専念したい」と含みをもたせた。つまり山梨は潮田の後任となる会長兼CEOに就く用意があり、潮田は山梨の相談に乗るのはやぶさかでないと言った。

潮田は大掛かりなことは考えるが、細かなことには関心を持たない。一方の山梨は前年11月以降、LIXILグループのCOOとして日常的なオペレーションの舵取りをするようになったが、大事なことは必ず潮田に相談していると聞いていた。2人が会見で断定的な物言いをしていないから決めつけるわけにはいかないが、取締役ではないCEOと相談役が経営する、極論すれば「6月以降、肩書きは変わるが業務執行体制は変わらない」という前代未聞の人事を2人が考えつくとは思えない。

いずれにせよ418日の記者会見は事態を大きく変えた。潮田や山梨にとって臨時株主総会を開く必要がなくなったことはプラスの局面転換だっただろうが、一方、その時の2人が予想できなかったマイナスの局面転換もあった。その1つはCFOの松本が態度を一変させたことだ。

説明が必要だろう。瀬戸を陰に陽に支えたLIXILグループの経営幹部は何人もいたが、潮田や山梨にとって明確な敵は株主提案の取締役候補になった吉田と広報担当役員のジン、それに瀬戸チルドレンともいえる金澤ぐらいだった。

株主提案の取締役候補となった吉田は言うまでもない。広報担当役員のジンは昨年10月に瀬戸が事実上解任されたことについてメディアや株式市場の反応をレポートにまとめて取締役会に提出、潮田の逆鱗に触れた。その後、広報業務は潮田や山梨がIRJと同じタイミングで雇った危機管理広報コンサル会社のパスファインドが担うようになるという憂き目も見た。潮田や山梨はLIXILグループのデジタル戦略を支えるCDOの金澤に業務上では頼ったものの、瀬戸に誘われてLIXILグループ入りしている以上、潮田や山梨にとって味方とは言えない。

やや脱線するが、金澤については余談がある。瀬戸は45日に記者会見を開いて以降、メディアからの取材依頼を積極的に受けたが、窓口となったのは森明美という女性だった。瀬戸や吉野が作ったプレスリリースの最後には連絡先として必ずこの森の名前と携帯電話の番号が記されていた。

「森明美とは何者か」

「森明美とは何者か」。PR業界ではそれがちょっとした話題になった。この業界は横のつながりが強く、ライバル会社に所属する人であっても同業者ならば名前ぐらいは知っている。しかし森明美は聞いたことがなかったからだ。それもそのはずで、森はモノタロウOGであると同時に金澤の妻である。「金澤」を名乗れば会社側に勘ぐられかねないと考え、旧姓を名乗った。金澤は夫婦ともども瀬戸シンパだった。

しかし松本は吉田やジン、金澤とは違った。瀬戸に同情的ではあったが、瀬戸が退任し、潮田山梨体制になってからもCFOとしての職務も忠実にこなしていた。本人は決して瀬戸と潮田山梨を両天秤にかけていたつもりではなかった。自分の感情はひとまず横に置き、肩書きに相応しい仕事をすることが自分にとっての「正しいこと」だったと思ったからそうしたに過ぎない。

しかし潮田が退任会見を終えて、松本の堪忍袋の緒は切れた。肩書きはCFOだが、事実上、経営企画も担当しているのに直前まで潮田と山梨の人事を知らされていなかった。「ジンは知っていたの?」と聞くと、ジンは「そんなわけないじゃない」と言った。潮田と山梨は重要事項を決めるのに本来は関わらせるべき松本とジンらを外し、危機を乗り切るために雇ったIRJとパスファインド、それと森・濱田松本法律事務所に相談して物事を決めている。松本にはそう見えた。

株主から解任を突きつけられ、その流れが大勢となりそうな情勢になって潮田と山梨が多少なりとも動揺したことは間違いない。社内を見渡せば、誰と断定することはできないにしても瀬戸シンパの幹部は確実にいる。次第に猜疑心が強まって社内の人を信用せず、外部の専門家にしか頼らなくなった。それはそれで異常だが、「プロ」を名乗り、カネを渡す限りは忠実な人材で脇を固めるという心境は分からないでもない。しかし松本は会見でのペルマについての潮田の説明がどうしても許せなかった。

20161月に初めて出会ってから、時をおかずして瀬戸は「松本さん、ペルマを子会社として持ち続けることはリスク以外の何物でもないですよね」と言った。「最初からLIXILグループの急所を見抜いてくるとは。瀬戸という人はただ者ではないな」と思ったことを松本は鮮明に覚えている。その後、瀬戸が取締役会で具体的な数字を元にペルマ売却に言及し、それを潮田は表情にこそ出さないが、明らかに不満な様子で聞いていたことも見ている。

最終的にCFIUSが待ったをかけたため、ペルマのLIXILグループへの出戻りが決まったことが報告された取締役会で、松本は潮田が嬉しそうな顔をして会議室を飛び出して行ったことも目撃した。ところが退任を発表した会見場で隣に座った潮田は真顔で延々と「悪いのは瀬戸だ」と語った。松本はCFOの仕事を忠実にこなすことは決して「正しいこと」ではないと悟った。

〈このままでは会社がダメになる。もういい。これからは肩書ではなく、自分の気持ちに正直に行動しよう〉

松本が反旗を翻そうと決心をしたころ、ジンは金澤に相談を持ちかけていた。

「臨時株主総会が開かれれば、潮田さんと山梨さんは解任される。そうしたらキンヤがCEOに復帰する可能性が一気に高まると思っていたけれど、記者会見で情勢が分からなくなった。2人は取締役にはならない。でも代わりの取締役は潮田さんの息のかかった人を据え、CEOを山梨さんにする。そして潮田さんが裏で糸を引くというのが、彼らの狙っているシナリオでしょう。そうなれば私達は間違いなくクビだけれど、考えてみたらもうクビになっているようなものじゃない。お互い次の道を歩むことになるだろうけれど、その前に『正しいこと』をしない?」

ジンが金澤に言ったアイデアはビジネスボードを活用するというものだった。前年12月にドイツのデュッセルドルフで開かれたビジネスボードのミーティングでの振る舞いを見て、メンバーのほとんどは山梨にはリーダーの資格がないと判断した。そのメンバーで「潮田山梨体制では会社が持たない」という一種の連判状を作成し、指名委員会や主な機関投資家に送りつけて賛同を得るのはどうか。ジンはそう言った。

金澤はジンの言う「どっちにしろクビになるのだから、次の道を歩む前に自分たちができることをしよう」という考えには賛成した。しかし金澤は連判状に名を連ねるのが確実なのは自分とジン、吉田の3人しかいないと考え、「連判状を出すのなら、有志の数が多くないと意味がないよね。問題はどうやって仲間を増やすかだ」と言った。どうしたら金澤の懸念を払拭できるのか、ジンが自席に戻ってその方法を考えているところへ、松本がふと現れた。

「ジン、先日の記者会見で、このままではうちは持たないと確信したよ。もう行動しなければダメだと思う」

松本の話に驚いたジンは、松本が旗幟を鮮明にしたのは「あの場面」ではないかと思った。

「『倍返し』、いや『100倍返し』かな」

取締役辞任という電撃発表を終えて控室に戻ってきた潮田は、メディアに対して瀬戸への思いを語ることができたという満足感からか、山梨にこんなことを言った。

「山梨さん、会見はどうだった? 臨時株主総会を請求されて、瀬戸さんには株主提案の取締役候補を発表されてと、向こうのやりたい放題だったけれど、赤字決算の原因であるペルマの責任は彼にあると言ってやった。これで『倍返し』だろう。いや『100倍返し』かな」

山梨はぼそっと答えた。

「潮田さん、ちょっと喋りすぎですよ」

2人の会話を横目で見ていた松本とジンはやり取りの意味が分かった。巨額の赤字決算を計上することになったのはペルマが主因で、それは瀬戸の経営が無策だったからである。瀬戸をCEOに招き入れたのは自分だから、その任命責任を取って自分は取締役もCEOも辞める。会見で潮田はそう言ったが、IRJは事前の打ち合わせで「ペルマを瀬戸さんのせいにするのは無理がありますね」と釘を刺しているのを2人は見た。

しかし潮田は忠告を無視して持論を展開し、「100倍返しをしてやった」と満足気に話した。

会見での潮田発言は致命的で、何としても止めなければならなかったはずだ。案の定、同日夜のぶら下がりで瀬戸は反撃している。もっともあの場面で潮田を止められたのは山梨だけで、自分たちはどうしようもなかった。

その山梨は会見中、潮田の話を黙って聞くばかりで、今度も「喋りすぎですよ」と窘めるだけ。肝心の場面でも山梨の振る舞いは昨年10月の会見やビジネスボードミーティングと同じで、潮田が経営を誤った方向に持っていった時の抑止力にはならない。これではLIXILグループの未来はないだろう。

〈松本さんはあの時、自分と同じ思いを抱いたのだろう〉

ジンに「もう行動しなければならない」と言った松本はこう続けた。

「さてどういう活動をするかね」

「松本さん遅いよ。4人目だよ」

ジンはそう言って高笑いをしながら松本にビジネスボードレターの構想を語った。松本は黙って頷いた。

 

 

Wikipedia

株式会社LIXIL(リクシル、: LIXIL Corporation)は、東京都江東区に本社を置く建築材料・住宅設備機器業界最大手の企業。

本項では2010年に設立され、2011年に法人格が消滅した初代法人、2011年に初代法人を含む事業会社5社が合併して発足した2代目法人、旧称が株式会社LIXILグループで、2020年に2代目法人を吸収合併した3代目法人について、まとめて解説する。

概説

LIXIL CORE(企業理念)

「私たちは、優れた製品とサービスを通じて、世界中の人びとの豊かで快適な住生活の未来に貢献します。」[2]

LIXIL Behaviors3つの行動)

DO THE RIGHT THING[2]

WORK WITH RESPECT[2]

EXPERIMENT AND LEARN[2]

概要

LIXIL」とは、「住」(LIVING)と「生活」(LIFE)から作られた造語である。

初代の株式会社LIXILは、住生活グループ(後のLIXILグループ)の統合的な営業戦略の立案を目的とする会社として、20104月に設立。東京都中央区トルナーレ日本橋浜町に本社を置き、初代社長に三洋電機元社長(創業家である井植家出身)の井植敏雅が就任している(のち社内カンパニーのグローバルカンパニー社長を兼務し、2017年にLIXILグループおよびLIXIL副社長を退任[3])。

GE出身の藤森義明会長(当時)の下、海外M&Aを推進。20166月、瀬戸欣哉社長就任[4]

その後、住生活グループ(現・LIXILグループ)の業務運営を効率化するため、商材ごとに分散していた事業子会社を、国内・海外・金属建材・水回りの機能別に統合・再編する方針となり、20114月にトステムを存続会社として、INAX新日軽東洋エクステリア、(初代)LIXIL4社を吸収合併し、サンウエーブ工業の開発・管理部門を統合して(2代目)株式会社LIXILに商号変更した。さらに201541日には、当社の製造子会社として存続していたサンウエーブ工業も吸収合併した。

登記上の本店はトステムの本社があった東京都江東区に置かれている。20201130日までは、本社は千代田区霞が関霞が関ビルディングに置かれていた。また、愛知県常滑市の旧INAX本社は「常滑本社」となっている。

2020121日に(2代目)株式会社LIXILが親会社のLIXILグループへ吸収合併され、事業会社となったLIXILグループが(3代目)株式会社LIXILへ商号変更、新体制へ移行した[5]

LIXIL発足後の対応

旧社名のブランド化

これまで各社が展開していた「トステム」「INAX」「新日軽」「TOEX」「サンウエーブ」はLIXILが商品ブランド名として引き続き使用している。

20128月からはLIXILに統合後もブランドロゴとしてそのまま使用していた各社のロゴマークに替え、「LIXIL」ロゴの下にグレーの背景色と白文字で各ブランドのロゴ(INAX、サンウエーブはシンボルマークなし)を配したコンポジットロゴマーク(表記上は「LIXIL TOSTEM」「LIXIL INAX」「LIXIL SHINNIKKEI」「LIXIL sunwave」「LIXIL TOEX」)の使用を開始し、20132月からはカタログや広告プロモーションに加え、梱包や梱包ラベル、マニュアル類(取扱説明書・施工説明書など)、浴室や洗面化粧台・ビルサッシの一部製品にもコンポジットロゴマークが表記される(ただし、トイレの本体表示に関しては「LIXIL」ロゴと従来からのシンボルマーク付「INAX」ロゴが併記される)。

ショールーム

ショールームについてはこれまで各社別でショールーム展開を行って来たが、合併に伴い再編や共同のショールームが置かれるようになっている。

20101212日にトステム株式会社、株式会社INAX、サンウエーブ工業株式会社の3社共同で「LIXIL京都ショールーム」(京都府京都市中京区)を開設[6]しており、20114月からは既存のショールームを統合・集約して「LIXILショールーム」に名称変更。これにより、当社が展開する5ブランドを複合的に展開できるようになった。

なお、ショールームの名称は「LIXIL京都ショールーム」のように地名のみ表記するのが基本だが、同一地名に複数のショールームが点在する場合は分野名が追加される場合がある。合併後初の新設ショールームとして20111126日に開館した「LIXILショールーム金沢(石川県金沢市)」以降に新設(既存ショールームからの移転や統合による新設を含む)したショールームは「LIXILショールーム(地名)」という名義となっている。

また、旧・INAXの基幹ショールームでギャラリースペースを併設した「INAXGINZA(東京都中央区京橋)」についても、2011818日付で「LIXILGINZA」に名称を改めたが、ショールームの営業は2013412日をもって終了。その2日後の同年414日からは「LIXILギャラリー」も改装に伴って休業に入り、「LIXILブックギャラリー」のみ継続営業していた。同年92日に1Fをレセプションフロアとして一新したLIXILの情報発信拠点としてリニューアルオープンし、「LIXILギャラリー」も同日から営業を再開した。なお2020年でLIXILギャラリーは閉廊し、LIXIL出版も書籍刊行を停止(販売は2022年まで継続)することが発表されている[7]

20128住友不動産新宿グランドタワー(東京都新宿区西新宿)に「LIXILショールーム東京」をオープンした。約5,280平方メートルという広いスペースに、リフォーム後のイメージをしやすいモデルルームを設けたほか、洗面やキッチンから省エネルギー関連製品まで、LIXILグループの豊富な商品やサービスを一カ所で体感できるのが特徴。

袖看板

全国各地の工務店や販売店に設置されている袖看板は20118月から旧社名(トステム、INAX、新日軽、サンウエーブ、TOEX)の看板から「LIXIL」の看板に順次更新されている。デザインは上半分にオレンジの背景色と白字で「LIXIL」のブランドロゴ(向きは旧ブランドの時と同じく左横向き)を、下半分は白の背景色に上からトステム、INAX、新日軽、サンウエーブ、TOEXの各ロゴが配置されている。

チェーンの再編・再構築

当社ではリフォーム向け商品の拡充とともにユーザーがリフォームを依頼できる環境整備を進めており、その一環として、当社を本部とする住宅リフォームのフランチャイズ及びボランタリー・チェーンを展開しているが、各法人が行っていた名称をそのまま引き継いだため、フランチャイズが2つ、ボランタリー・チェーンが4つ存在していた。そこで、このフランチャイズ並びにボランタリー・チェーンの再編を順次行うこととなった[8]

まず、20124月に「トステムリフォームマジック」「INAXリフォーム」「TOEX自然浴deくらす」「サンウェーブリフォームショップR&B」の4つのボランタリー・チェーンを「LIXILリフォームネット」に再編・統合。開始当初、ボランタリー・チェーン加盟店は9,400店舗となり、国内最大規模となる。

20127月には「トステムホームウェル」と「INAXリフォームLIFA」の2つのフランチャイズを再編し、「LIXILリフォームチェーン」を発足。こちらは異なるコンセプトを明確化するため統合は行わず、「トステムホームウェル」は新築時の性能・機能を上回る全面リフォームを提供する「住まいプロ ホームウェル」に、「INAXリフォームLIFA」はライフスタイルに合わせた提案を行う"コトリフォーム"を提供する「住まいコンシェル LIFA」にそれぞれ改称。そして、20154月に「LIXILリフォームショップ」に再編・統合して1つの組織となった[9]。統合前の20153月末日時点での加盟店は425店舗で、リフォーム系のフランチャイズチェーンでは国内最大規模となった[10]

また、サッシ販売店向けに経営サポートを中心としたフランチャイズチェーンとして1973年に発足した「トステムフランチャイズチェーン(TFC)」についても、建材や設備の流通販売店に範囲を広げ、当社が扱う製品やサービスをトータルに提案する販売パートナーとなるべく、「LIXIL FC マドリエ」に改め、20124月に本格展開を開始した[11]。開始当初は従来の「トステムフランチャイズチェーン」からの移行店舗を中心に、約350店舗を展開する。

沿革

初代

2010

118 - 株式会社住生活グループが、新しいグループブランドとして「LIXIL」を発表し、使用開始。

41 - 株式会社LIXIL(初代)設立。

2代目

2010111 - 株式会社住生活グループが、子会社5社の合併方針について、取締役会決議を行い、公式に発表。

2011

1 - 子会社各社で、5社合併の取締役会決議を行い、合併契約を締結。

2 - 子会社各社で、5社合併の株主総会決議を行い、合併が正式決定。

41 - トステム株式会社を存続会社として、株式会社INAX、新日軽株式会社、東洋エクステリア株式会社、株式会社LIXIL(初代)を吸収合併し、株式会社LIXIL2代目)に商号変更。併せて、サンウエーブ工業株式会社の開発・管理部門を統合。

6三洋ホームズの株式を取得。

71 - オリジナルオーダーカーテン「ブランシェ(トステムブランド)」を発売し、インテリアファブリック事業に進出。

2012

3三和シヤッター工業株式会社から当社へ一部の軽量シャッター及び軽量ドアのOEM供給を開始。

41

グループ会社の株式会社LIXILビバが運営していた「建デポ」事業を譲り受け、プロユースを対象とした会員制建築資材卸売り店舗事業を当社に統合。これにより、当社が旧トステム時代から展開している「建デポプロ」とサービス内容を統一化した。

株式会社住生活グループとセコム株式会社との包括的業務提携の一環として、当社子会社の株式会社LIXILニッタンの全株式をセコム株式会社に譲渡(株式会社LIXILニッタンはニッタン株式会社に商号を戻した)。

628ソニー銀行株式会社と新築・リフォームローン分野で業務提携。これにより、同年71日より自社のリフォーム向けフランチャイズチェーンで扱う物件において、同社の住宅ローン(当社向けの優遇条件付)が扱えるようになる。

930 - 子会社のサンウエーブ水戸株式会社(設立当初はトステム水戸株式会社、グループ会社内のブランド統合により、201010月に現社名に変更)が担っていたシステムキッチンの生産を当社がもつ3つの工場に移管し、同社工場を閉鎖。

2013

41 - 組織再編により、従来の「金属・建材カンパニー」と「住設・建材カンパニー」が統合し、「LIXILプロダクトカンパニー」を新設。

918 - シャープ株式会社と業務提携契約を締結するとともに、同社の第三者割当増資による新株式の発行に応じ、約50億円を同社に出資する資本提携も併せて行われた。

1031 - JX日鉱日石エネルギー株式会社(現・ENEOS株式会社)と業務提携契約を締結。

2015

41 -

LIXIL Water Technology」・「LIXIL Housing Technology」・「LIXIL Building Technology」・「LIXIL Kitchen Technology」の4つのテクノロジー事業と日本国内での販売・サービスを担う「LIXIL Japan Company」で構成された新事業モデルを開始。

子会社のサンウエーブ工業株式会社を吸収合併。

626 - 子会社のジャパンホームシールド株式会社を株式会社LIXIL住生活ソリューションへ株式移管(同時に親会社の株式会社LIXILグループからも同社の子会社だった株式会社LIXIL住宅研究所、株式会社クラシス、株式会社LIXILリアルティ3社の株式を株式会社LIXIL住生活ソリューションへ株式移管された)。

101 - プロユース限定の会員制総合建材店「建デポ」事業を分社化し、当社とユニゾン・キャピタル株式会社がアドバイザーを務めるファンドとの共同出資により、株式会社建デポを設立。

1126東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会との間で、住宅設備建材及び水回り備品カテゴリーで初となる「東京2020ゴールドパートナー」契約を締結[12]

2016

41 - 株式会社可児LIXILサンウエーブ製作所と株式会社LIXIL小山製作所を吸収合併。

8ハイビック株式会社の全株式をポラリス・キャピタル・グループ株式会社傘下のファンドへ譲渡[13]

2017

41 - 株式会社LIXILインフォメーションシステムズを吸収合併。

91東京電力エナジーパートナー株式会社との合弁により、ZEH向け建材を採用するユーザー向けに太陽光発電システムと施工後の電力販売をセットにしたサービスを展開する株式会社LIXIL TEPCO スマートパートナーズを設立[14]

2018

322 - 子会社のGraceA株式会社が親会社の株式会社LIXILグループへ吸収合併される[15]

41 - テクノロジー事業のうち、「LIXIL Kitchen Technology」を「LIXIL Water Technology」へ統合。

2019

63 - 株式会社建デポの当社保有分の株式全てを「ホームセンター コーナン」などを展開するコーナン商事株式会社へ譲渡(ファンドが保有していた分などを含めて発行済み株式全て及び新株予約権をコーナン商事株式会社が取得したことで、株式会社建デポはコーナン商事株式会社の100%子会社となる)[16][17]

930 - 株式会社LIXIL鈴木シャッターの全株式を三和ホールディングス株式会社へ譲渡(株式会社LIXIL鈴木シャッターは株式会社鈴木シャッターに商号変更される)[18]

1111 - 親会社の株式会社LIXILグループと共に本社を東京都千代田区霞が関ビルディングから東京都江東区のLIXIL WINGビルへ移転し、本社機能を集約[19]

2020

41 - 日本国内における事業の組織再編を実施。

LIXIL Japan Company」を廃止し、営業活動並びにソリューション提案活動の機能と株式会社LIXILグループの住宅・サービス事業が新設の「営業事業本部」へ移管・統合される。

支社への統括は水回り事業の「LIXIL Water Technology Japan」と建材事業の「LIXIL Housing Technology Japan」が担い、ビル事業の「LIXIL Building Technology Japan」は「LIXIL Housing Technology Japan」の「ビル事業本部」として統合。

121 - 親会社の株式会社LIXILグループと合併し、持株会社体制を解消。事業会社となった株式会社LIXILグループは(3代目)株式会社LIXILへ商号変更[5]

3代目

2021

11 - 子会社の株式会社LIXIL住生活ソリューションが営んでいた住宅関連機器のオンライン販売事業(LIXILオンライン事業)を会社分割(簡易吸収分割)により承継[20]

16 - 経営陣によるMBOを受け、株式会社川島織物セルコンの全株式を同社へ譲渡[21]

グループ会社

詳細は「LIXILグループ」を参照

関連組織

一般財団法人 住環境財団 - 住宅・建材産業への助成・支援を目的としたもので、理事長は高畑久明男が務めている[22]

取扱製品

キッチン

システムキッチン(リシェルSI、リシェルPLAT、アレスタ、シエラ、ウエルライフ)

コンパクトキッチン(ティオ)

取り替えキッチン(パッとりくん)

セクショナルキッチン(エクシィ)

バスルーム(スパージュ、アライズ、リノビオV、ソレオ)

玄関ドア・引戸

インテリア建材

洗面化粧室

トイレ

エクステリア

屋根・外壁材

ビル・店舗用建材

公共向けエクステリア・トイレ

建築関連を中心とした書籍 - LIXIL出版(2020年で新刊の発行を終了し、2022年秋を目途に書籍の販売を終了の予定。)

脚注

1.    ^ ガバナンス体制 - 株式会社LIXIL

2.    a b c d “LIXIL COREBehaviors”. LIXIL. 2020327日閲覧。

3.    ^ “LIXIL、井植副社長が6月退任 三洋電の創業家出身”. 日本経済新聞 (201758). 2020327日閲覧。

4.    ^ “進化する「プロ経営者」LIXIL瀬戸欣哉社長”. 日経ビジネス (2018913). 2020327日閲覧。

5.    a b 完全子会社(株式会社 LIXIL)の吸収合併(簡易合併・略式合併)、商号変更および定款の一部変更に関するお知らせ (PDF) (プレスリリース), 株式会社LIXILグループ, (2020323)

6.    ^ ニュースリリース (2010128). “INAX・サンウエーブ・トステム共同 全国初の新設統合型『LIXIL(リクシル)京都ショールーム』1212()グランドオープン”. 株式会社INAX. 2020327日閲覧。

7.    ^ LIXILギャラリー閉廊とLIXIL出版終了のお知らせ LIXIL文化活動(2020515日)2020519日閲覧

8.    ^ ニュースリリース (2012322). “国内最大級の住宅リフォームフランチャイズ・ボランタリーチェーンを構築 LIXILリフォームチェーン(FC)」と「LIXILリフォームネット(VC)」をスタート”. 株式会社LIXIL. 2020327日閲覧。

9.    ^ ニュースリリース (20141119). “業界最大級、全国の工務店さま、リフォーム事業者さまをつなぐ新リフォームFC組織「LIXILリフォームショップ」誕生”. 株式会社LIXIL. 2020327日閲覧。

10. ^ ニュースリリース (201541). “国内最大級、全国の工務店さま、リフォーム事業者さまをつなぐ新リフォームFC組織「LIXILリフォームショップ」本日スタート”. 株式会社LIXIL. 2020327日閲覧。

11. ^ ニュースリリース (2012411). “流通販売店様向けの新しいLIXILのフランチャイズチェーン「LIXIL FC マドリエ」 本格スタート”. 株式会社LIXIL. 2020327日閲覧。

12. ^ 「東京2020オリンピック・パラリンピック競技大会」ゴールドパートナーに決定~初の「住宅設備部材&水回り備品」カテゴリースポンサーとして、大会の成功に貢献~ (プレスリリース), 株式会社LIXIL, (20151126) 2020327日閲覧。

13. ^ 連結子会社(ハイビック株式会社)の異動に関するお知らせ (PDF) (プレスリリース), 株式会社LIXILグループ, (2016720) 2020327日閲覧。

14. ^ “LIXILと東京電力エナジーパートナーが環境に負荷をかけないZEHの普及促進を目的とした合弁会社「株式会社 LIXIL TEPCO スマートパートナーズ」を設立~国内初の新サービスを提供開始~ (プレスリリース), LIXIL、東京電力エナジーパートナー(2社連名), (2017921) 2021321日閲覧。

15. ^ 完全子会社の吸収合併(簡易合併・略式合併)に関するお知らせ (PDF) (プレスリリース), 株式会社LIXILグループ, (20171222) 2020327日閲覧。

16. ^ 株式会社建デポ株式の取得(子会社化)に関するお知らせ (PDF) (プレスリリース), コーナン商事株式会社, (2019423) 2020327日閲覧。

17. ^ 持分法適用関連会社の株式の譲渡のお知らせ (PDF) (プレスリリース), 株式会社LIXILグループ, (2019423) 2020327日閲覧。

18. ^ 株式会社LIXIL鈴木シャッターの株式譲渡を完了 (PDF) (プレスリリース), (2019930) 2020327日閲覧。

19. ^ “LIXILが本社を移転 新棟「HOSHI」が竣工し、来春のグランドオープンに向けて本社機能を集約 (PDF) (プレスリリース), (2019930) 2021327日閲覧。

20. ^ 完全子会社(株式会社LIXIL住生活ソリューション)との会社分割(簡易吸収分割)に関するお知らせ (PDF) (プレスリリース), 株式会社LIXILグループ, (20201023) 2021321日閲覧。

21. ^ 川島織物セルコンの株式譲渡を決定 (PDF) (プレスリリース), 株式会社LIXIL, (20201124) 2021321日閲覧。

22. ^ “一般財団法人 住環境財団 に社名変更 (PDF)”. 住環境財団 (2018626). 2020327日閲覧。

 

 

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