同行2人、弦の旅  辻久子  2022.4.4.

 

2022.4.4. 同行2人、弦の旅

 

著者 辻久子 1926年大阪府生まれ。父の指導で6歳からヴァイオリンを学び11歳でデビュー。翌年毎日音楽コンクール第1位、「天才少女現る」と注目。国際ヴァイオリニストとして評価を高める。名楽器の取得に当たり自宅を売却し話題に。後身の育成にも注力、桜宮弦楽塾長や大阪総合医学・教育研究会理事長を務める。文部大臣賞、大阪府芸術賞、毎日音楽賞、紫綬褒章など受賞多数

 

編者 大阪府「なにわ塾」

 

発行日           2001.1.20. 第1刷発行

発行所           ブレーンセンター (なにわ塾叢書 77)

 

まえがき

時は言葉、音は生命

確かな「時」というのは、それ自体が「言葉」になる

一瞬を真剣に繰り返し、厳しい「運命の審判」を経て、ひたすら積み重ねられた確かな「時」は、もう単に年月の単位で計ることはできない。それ自体が、人に語りかけてくる「言葉」になっているのだ

辻が歩む人生の「確かな時」は、まさにそうした鮮烈で不思議な力を持つ「言葉」なのだ

今回の「なにわ塾・辻久子講座」は2.5時間x4回。熟成にとっては大きな実りある確かな「時間」であり、11人の胸に残る「言葉」となって刻み付けられているに違いない

コーディネーター 響敏也(音楽評論家。1952年生まれ。トランペット奏者から、各局の放送番組を手掛ける)

 

第1回講座       厳しかった父との二人三脚 1999.9.20. 大阪府立文化情報センター

l  父・吉之助と西洋音楽との出会い

ロシア生まれのヴァイオリニストのミッシャ・エルマンの来日公演でヴァイオリンに魅せられて始めた父が、ロシア革命から亡命して来日していた演奏家に基礎を習い、宝塚少女歌劇団管弦楽団の楽団員に採用され、コンサートマスターに昇格。

母は京都の商家の出で宝塚のファン、父を見初めて、父が養子に入る形で結婚、母の実家を継ぐが商売に失敗して、松竹座の楽団員になる。そのとき私が生まれ、母は間もなく他界。父は叔母と再婚するが、その養母も私が18のとき死去

 

l  6歳のとき、父から1/4サイズのヴァイオリンを与えられ父の稽古が始まる

'38年の毎日音楽コンクールで第1位に。当時としては唯一の本格的コンクールで登竜門。前年の1位が巌本真理で、次の年が江藤俊哉

山田耕筰が評判を聞きつけて来阪時に演奏を聴き、その推薦で相愛の音楽科に入学。山崎豊子の3年後輩で可愛がってもらった

 

l  '40年、ローゼンシュトック指揮の新響と4大協奏曲を演奏、彼から「悪魔の子」と呼ばれ、世間からも「エルマンの再来」とも言われた

小学校4,5年の頃、サイレンの音の聞き分けから、私が絶対音感を持つことに父が気付く

戦争中は、政府派遣の音楽使節として何度も大陸に行く

 

第2回講座       多くの人たちに支えられて 1999.10.18.

l  戦災で御影の家が全焼、一時村山邸に避難

戦中からだんだん酷評も増えてきたが、’55年オイストラフが来日して高い評価をしてもらい、一気に挽回

l 戦後大阪から安い料金でよい音楽を聴こうという運動が始まり、’49年に勤労者音楽協議会が組織され、全国的に拡大。当初こそクラシックも人気で協力していたが、次第に流行歌に人気が移り、多くの演奏家が労音から離れ、クラシック人気は一気に覚める

'59年、オイストラフの招きで国賓待遇でソ連圏への3か月の演奏旅行が実現

l 貴志康一の作品を日本で最初に演奏。早逝したので面識はなかったが、母上が楽譜を見せてくれて、何回忌かに弾いた。楽譜は彼の母校の甲南学園の記念館にある

l 指使いもボーイングも色々あって、欧米人のものをそのまま真似るわけにはいかない

ヴァイオリンは元々イタリアが本場、戦後ロシアのユダヤ系がロシア奏法を本流に押し上げる

l '64年、札幌の歯科医でクラシック支援者だった家庭の次男坊と実質的に結婚。9歳年下。入籍も披露もしなかったが、'83年町長選立候補の際入籍

l 「純正()」とは、最も自然な音の響きから導き出される音階や音程で、理に適ったもの。ピアノはどんな調性にも転調できるが、本来はそれぞれの調性に合ったピアノがあるべきで、それを1台でカバーするように全部を曖昧にした「平均律」で作られた妥協の産物なので、厳密にいうと和音の響きが悪い

 

第3回講座       生涯の愛器にめぐりあって 1999.10.25.

l 最初の1/41/2は鈴木楽器の特注品

J.B.ガダニーニが6000円で、安宅英一に買ってもらって貸与

バロッティから、'52年にピエトロ・グァルネリウスと出会う。その後がドイツのゴッドロフで40万したが、オイストラフに「楽器が悪すぎる」と言われる

日本のヴァイオリン製作の第一人者峯沢峯三の日竜が気に入って、ゴッドロフと交換、ソヴィエト公演に持っていく

ドイツ領時間の書記官が持っていたシュタイナーを200万で引き取る

丸一商店がドイツのオークションで手に入れたフランス製のヴィヨームに出会い、家を担保に借金して購入

最後が1973年に甲子園の家を売って35百万円で購入したストラディヴァリウス。1703年製のディクソン・ポインダーで、近鉄百貨店の仲介

阪神大震災の時は大阪のロイヤルホテルに泊まっていたが、ヴァイオリンは無事

10年ほど前に軽い脳梗塞。普段の血圧は130140、演奏前になると180まで上がる

 

第4回講座       子供たちに美しい音楽を 1999.11.16.

l 演奏会を柱とした生活リズムを作る

l 幸せと感じる5つの条件――①健康、②人間関係、③感性、④程よい経済、⑤仕事

 

 

 

バイオリニストの辻久子さん死去、95歳 戦前から活躍

2021713 1700分 朝日

 戦前から戦後にかけて、日本のクラシック界を牽引したバイオリニストの辻久子(本名坂田久子〈さかた・ひさこ〉)さんが13日、死去した。95歳だった。

 大阪市生まれ。6歳でバイオリンを始め、宝塚少女歌劇団管弦楽団(当時)のコンサートマスターだった父の吉之助さんに指導を受けた。1938年、12歳のときに第7回音楽コンクール(現・日本音楽コンクール)で優勝。「天才少女」「悪魔の子」と騒がれた。その実力は作曲家の山田耕筰もほれ込むほどで、予選からほかの出場者を圧倒していたという。前年1位だった東京出身の巌本真理さん(故人)とともに、「東の巌本、西の辻」と並び称された。

 吉之助さんの厳しい指導は有名で、織田作之助の小説「道なき道」のモデルにもなった。15歳のころにはプロとして活躍。東京で、「4大バイオリン協奏曲」を2夜連続で弾く演奏会を開くなどした。戦時中は旧満州中国東北部)へ演奏旅行に出かけ、戦後は旧ソ連、ヨーロッパなどでたびたび公演。シベリウスやハチャトゥリアンのバイオリン協奏曲の国内初演を手がけ、日本の音楽史に名を刻んだ。

 73年には自宅を売って名器ストラディバリウスを購入して話題に。84年、半生を描いた毎日放送(大阪市)のテレビドラマ「弦鳴りやまず」が放映され、自身も出演した。

 その収録に際し、「私たちの時代の教育のありようは、何事にも心をこめる、一本の筋が通ったものであることをくみとってほしい」と語っていた辻さん。東京からの再三の誘いを振り払い、生涯関西を拠点とし、後進の育成にも力を注いだ。まさに「一本の筋」を通した生き方だった。

 89年に紫綬褒章兵庫県文化賞なども受賞。88年から96年まで兵庫県教育委員。

 

 

 

Wikipedia

久子(つじ ひさこ、本名:坂田 久子[1]1926316 - 2021713)は、日本のヴァイオリニストである。大阪芸術大学名誉教授。辻久子弦楽塾塾長。

人物[編集]

大阪府大阪市出身[2]相愛高等女学校卒業。

父はヴァイオリニストの辻吉之助

1935にリサイタルデビューし、1938には毎日新聞社主催の音楽コンクールヴァイオリン部門で第1位となる。その後ヴァイオリニストとして長く第一線として活躍した。

1945甘粕正彦がハルビン交響楽団と新京交響楽団を合同し、周囲の音楽家も参加した全満合同交響楽団のソリストとして、満州各地で演奏旅行を行う。全満合同交響楽団は指揮に朝比奈隆、事務局員に加藤幸四郎(加藤登紀子の父)がいた。

1973に、自宅を3500万円で売却し、3000万円の1703年製ストラディバリウス「ディクソン・ポインダー」を購入し、話題となる。

織田作之助の小説『道なき道』の主人公の少女・寿子のモデルとなった[3]

1984、父・吉之助との生活を題材にしたドラマ「弦鳴りやまず」が毎日放送によりテレビシリーズ化され、樋口可南子が主役の久子役を務め、自身も出演をした。

2021713日、大阪府大阪市に於いて死去したことが発表された[1][2]95歳没。

受賞歴[編集]

1949神戸新聞文化賞

1955毎日音楽賞

1956兵庫県文化賞

1966音楽クリッティック賞

1989紫綬褒章

役職[編集]

日本演奏連盟関西委員会委員

脚注[編集]

1.    a b "辻久子さんが死去 バイオリニスト"日経電子版. 日本経済新聞社. 13 July 2021. 2021713日閲覧。

2.    a b バイオリニストの辻久子さん死去、95歳」『産経新聞』、2021713日。2021723日閲覧。

3.    ^ 日本経済新聞(夕刊)2020919()・第8面。

 

 

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ストラディバリウスの愛称一覧【格付けや名前の由来などを紹介】

 kojiii 更新日:20190903 

ストラディバリウスと言えば、類を見ない高額な楽器として有名です。数百年も前に11挺手作りされた名器たちはそれぞれ個性があるといわれています。そしてまるでその楽器を神格化するように「愛称」がつけられたものが現在でも数多く存在しています。

現存しているストラディバリウスのバイオリンの数は600挺ほどですが、その中で演奏に使われているものは半分ほどです。残りは投資目的のバイヤーが持っていたり、博物館で展示されていたりという具合です。由緒あるストラディバリウスには必ず「愛称」が付けられています。

名工が生み出したストラディバリウス。特に1698年から1725年の間の作品が優れているといわれています。中でも1715年前後のものは最高傑作と言われています。ストラディバリウスにも格付けがあり、今回は三大名器やと呼ばれるものや、その他の愛称を見ていきたいと思います。

l  ストラディバリウス三大名器

ストラディバリウスは1698年から1725年までのものが特に優れています。そして1715年前後のものは特別価値が高いといわれています。ストラディバリウスの中でもひときわ格付けの高いものがあり、これをストラディバリウス三大名器と呼んでいます。

この三挺が現在では最も挌が高いものとされています。これらは値段を聞いてはいけない楽器です。いえ、値段が付けられない楽器と言い換えた方が正解です。

ドルフィン【ストラディバリウス三大名器】

1714年製「ドルフィン」は日本音楽財団が所有し、現在は諏訪内晶子に貸与されています。

1800年代後半にこの楽器を所有していたジョージ・ハートは、光沢の美しい裏板のニスが優美なイルカを思わせることから「ドルフィン」という名前を付けました。

ヤッシャ・ハイフェッツが愛用していた事でも知られています。

1715年前後のストラディバリウスは特別の出来だといわれていますが、この「ドルフィン」も例に漏れず、最高の響きを出すといわれています。

三大名器で唯一、現在も演奏に使われている楽器です。ぜひ、諏訪内晶子の演奏会に行ってその音色を確かめてください。

アラード【ストラディバリウス三大名器】

1715年製 「アラード」は保存状態が大変素晴らしく、ネックもオリジナルのままだそうです。フランスのバイオリニストのデルフィン・アラード氏(1815-1888)の名前が付けられました。

現在は個人のコレクターが所有しています。実際にその音色を聴く事が出来ないのが、とても残念です。

個人蔵ですから、我々はどうしようもありませんが、願わくば優秀なバイオリニストに貸与して、その音色を確かめてみたいところです。

良い楽器ほど、使用しないとその本領を発揮するまで時間が掛かるといわれますし、楽器自体の音色も失われるといいます。

メサイア【ストラディバリウス三大名器】

1716年製 「メサイア」は全てのストラディバリウスの原型モデルではないかと言われています。だからこそ、ストラディバリが最後まで手元におき、手放さなかったのではないでしょうか。

イギリスのオックスフォードのアシュモリアン美術館に展示されています。

一時期、楽器商のルイジ・タリシオが保有していましたが、このストラディバリウスの事をヴィヨームなどパリの楽器商に自慢していました。

一度持ってきて見せましょうと約束したのですが、その約束を実行する気配もありませんでした。それでヴィヨームが「それでは、まるでメサイアを待つユダヤ人のようだ」と言ったことが愛称の由来です。

イタリアの国宝「メディチ」

中世ヨーロッパでひときわ反映したメディチ家は、ストラディバリウスの作品を何挺も所持していました。その中にはメディチ家の紋章が入っているストラディバリウスもあるようです。しかし、イタリアの国宝に指定されている1690年製「メディチ」には紋章は入っていません。

イタリアの国宝にもなっている希代のヴァイオリンも値段なんて付けられません。現在ではサンタ・チェチーリア国立アカデミーが所蔵しています。展示はされていませんので、一般の方は見る事が出来ません。国宝ですからね。

ウフィツィ美術館、アカデミア美術館ではメディチ家のコレクションとして紋章入りのストラディバリウスが見られます。どんなものなのか、一度でいいから、見に行きたいものですね。メディチ家関連の楽器(チェンバロなど)の展示もあるそうです。

ストラディバリウスの価値とは


現在、オークションで最も高価な値を付けたのは、約127500万円で落札された1721年製の「レディ・ブラント」です。これにも「愛称」が付いています。ストラディバリが作った楽器の全てに「愛称」が付いているわけではなく、それなりの価値があるものではないと付きません。

楽器商がストラディバリウスを手に入れた場合、または、売ってくれと頼まれた場合には、楽器商は自分がいつも世話しているヴァイオリニストに連絡を取り、価格の折り合いがついた人に楽器を売ります。ですから、値段が公表されることはありません。これが一般的な取引です。

このため、現在値段が公表されているストラディバリウスはオークションの場合と本人が公表した場合だけです。ストラディバリウスも11挺値段が違いますが、本当のところ幾らが正当な値段かはプロでも計り知れないのが歴史的名器ストラディバリウスなのです。

ストラディバリウスの愛称紹介

ストラディバリウスは著名な所有者などの「愛称」がつけられたバイオリンが多くあります。わかる限りその「愛称の由来」も載せたいと思います。製作順に並べ、所有者と価格の分かる物だけはその情報も載せておきます。

1680年製 「パガニーニ」

所有者:日本音楽財団

愛称の由来:作曲家パガニーニが所有していた時期があったため。この楽器は「パガニーニ・カルテット」といって、弦楽四重奏セットの1挺です。

価格:不明

1694年製 「スギチェリ」

所有者:小野グループ(戸田弥生に貸与)

愛称の由来:不明価格:不明

1697年製 「モリター」

所有者:不明愛称の由来:19世紀のヴァイオリニスト、ヨセフ・モリターが使用していたため。

価格:32千万円

1698年製 「トゥーロー」

所有者:海野義男

愛称の由来:不明

価格:不明

1698年製 「テオンヴィル」

所有者:服部豊子

愛称の由来:1934年にグリエルモ・テオンヴィルが所有していたため。

価格:不明

1699年製 「ペトリ」

所有者:イエロー・エンジェル(木嶋真優に貸与)

愛称の由来:不明

価格:10億円

1700年製 「ドラゴネッティ」

所有者:日本音楽財団(ヴェロニカ・エーベルレに貸与)

愛称の由来:著名なイタリアのコントラバス奏者ドメニコ・ドラゴネッティによって所有されていたため。

価格:不明

1702年製 「ロード・ニューランズ」

所有者:日本音楽財団(キム・スーヤンに貸与)

愛称の由来:イギリスのニューランズ卿によって生涯大切にされていたため。

価格:不明

1703年製 「ディクソン・ポインター」

所有者:辻久子

愛称の由来:以前の所有者がジョン・ディクソン=ポインダーだったため。

価格:不明。当時家を売ってこの楽器を買ったとして話題になりました。

辻久子さんは2021713日に亡くなられました。ご冥福をお祈り致します。

1703年製 「エミリアーニ」

所有者:アンネ・ゾフィー・ムター

愛称の由来:イタリアのヴァイオリニスト、チェザーレ・エミリアーニが所有していたため。

価格:不明

1707年製 「ステラ」

所有者:不明

愛称の由来:フランスの貴族である所有者が、カルテットを聴いて、「星(ラテン語:Stella)の様に輝く音色」と評したため。

価格:不明

1708年製 「ハギンス」

所有者:日本音楽財団(ステラ・チェンに貸与)

愛称の由来:イギリスの天文学者ウィリアム・ハギンス卿が所有していたため。

価格:不明

1709年製 「エングルマン」

所有者:日本音楽財団(ベンジャミン・ベイルマンに貸与)

愛称の由来:アメリカの収集家のエフレイム・エングルマンが所有していたため。

価格:不明

1710年製 「カンポセリーチェ」

所有者:日本音楽財団(スヴェトリン・ルセフに貸与)

愛称の由来:1880年代にフランスのカンポセリーチェ公爵が所有していたため。

価格:不明

1710年製 「ロード・ダン=レイブン」

所有者:アンネ・ゾフィー・ムター

愛称の由来:不明

価格:不明

1712年製 「アール・スペンサー」

所有者:二コラ・ベネディッティ

愛称の由来:アール・スペンサー家(ダイアナ元妃の実家)が所有していたため。

価格:不明

1713年製 「レディ・レイ」

所有者:浦川宜也

愛称の由来:不明

価格:不明

1715年製 「エクス・ピエール・ローデ」

所有者:イエロー・エンジェル(五嶋龍に貸与)

愛称の由来:ナポレオンの宮廷音楽家としても活躍したヴァイオリニストで作曲家のピエール・ローデが所有していたため。

価格:不明

1715年製 「フランチェスコ・ルジェーリ」

所有者:大阪芸大(川井郁子に貸与)

愛称の由来:不明

価格:不明

1715年製 「ヨアヒム」

所有者:日本音楽財団(レイ・チェンに貸与)

愛称の由来:有名なハンガリーのヴァイオリン奏者、ヨーゼフ・ヨアヒム(18311907)が所有していたため。

価格:不明

1716年製 「デュランティ」

所有者:千住真理子

愛称の由来:フランス貴族デュランティ家が200年間保有していたため。

価格:3億円

1716年製 「ブース」

所有者:日本音楽財団(アラベラ・美歩・シュタインバッハーに貸与)

愛称の由来:1855年頃にイギリスのブース夫人が所有していたため。

価格:不明

1717年製 「ハンマ1717

所有者:前澤友作

愛称の由来:弦楽器の専門家・コレクターとして著名なフリドリン・ハンマが所有していたため。

価格:不明

1717年製 「ダヴィンチ」

所有者:中澤きみ子

愛称の由来:20世紀のパリの最大楽器商社のひとつ、カレッサ&フランセが発行した証明書の記実にイタリアの巨匠にちなんだ名前(ダヴィンチ)を付けたため。

価格:不明

1717年製 「サセルノ」

所有者:日本音楽財団(イム・ジヨンに貸与)

愛称の由来:1845年からフランスのサセルノ伯爵が所有していたため。

価格:不明

1720年製 「ロチェスター」

所有者:徳永二男

愛称の由来:不明

価格:不明

1721年製 「レディ・ブラント」

所有者:不明

愛称の由来:イギリスの詩人バイロンの娘の名前(ブラント)から。

価格:127000万円。東日本大震災の復興資金に充てるために、日本音楽財団がオークションに掛けた事で有名になりました。

1722年製 「ジュピター」

所有者:日本音楽財団(樫本大進に貸与)

愛称の由来:1800年頃にイギリスの収集家ジェームス・ゴディングが「ジュピター」と名付けため。

価格:不明

1722年製 「デ・アーナ」

所有者:不明

愛称の由来:オーストリアのヴァイオリニスト、ハインリッヒ・カール・ヘルマン・デ・アーナが所有していたため。

価格:不明

1725年製 「ウィルへルミ」

所有者:日本音楽財団(加野景子に貸与)

愛称の由来:著名なドイツのヴァイオリン奏者、アウグスト・ウィルヘルミが使用していたため

価格:不明

1727年製 「パガニーニ」

所有者:日本音楽財団

愛称の由来:作曲家パガニーニが所有していた時期があったため

価格:不明

1727年製 「レカミエ」

所有者:上野製薬(庄司沙矢香に貸与)

愛称の由来:ナポレオン・ボナパルトがレカミエ夫人に譲ったもので、1804年までレカミエ夫人が所有者だったため。

価格:不明

1731年製 「ルビノフ」

所有者:イエロー・エンジェル(神尾真由子に貸与)

愛称の由来:著名なヴァイオリン奏者デビッド・ ルビノフが愛用していたため。

価格:不明

1731年製 「ペイネ」

所有者:不明

愛称の由来:収集家C.Payne氏の名に由来。

価格:不明

1735年製 「サマジィユ」

所有者:日本音楽財団(竹澤恭子に貸与)

愛称の由来:1909年にサマズィユ家が購入し、所有していたため。

価格:不明

1736年製 「ムンツ」

所有者:日本音楽財団(有希・マヌエラ・ヤンケに貸与)

愛称の由来:英国バーミンガムの有名な収集家のH.M.ムンツが所有していたため。

価格:63千万円

1736年製 「ルーシー」

所有者:高嶋ちさ子

愛称の由来:スイスの名家であるルーシー家が所有したため。

価格:2億円

他にも愛称がついているストラディバリウスが存在するかもしれませんが、有名なものを集めてみました。日本音楽財団の所有の多さに驚きます。

また、個人所有の方々も少なからずいて、こちらも凄いです。日本には約40挺のストラディバリウスがあるといわれています。国別ではトップのようです。

まとめ

ストラディバリウスの愛称にも色々あることも分かりました。とかく値段の事が話題に上るストラディバリウスですが、その音色はヴァイオリンとして最高峰のものを聴かせてくれます。今後もストラディバリウスはその価値によって、世間を騒がし続けるでしょう。

値段ではなく、純粋にその音色に話題が集まればいいと思いますが、こればかりは人間のサガで、仕方ありませんね。これを書いている私でさえ、ストラディバリウスと聞くとまずは値段の方が気になります。それほどの名器であるのです。その事を音楽を通して楽しみましょう。

 

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