ひみつのしつもん 岸本佐知子 2021.4.7.
2021.4.7. ひみつのしつもん
著者 岸本佐知子 上智大学文学部英文学科卒。洋酒メーカー宣伝部勤務(四半世紀前)
を経て翻訳家に。主な訳書にルシア・ベルリン『掃除婦のための手引き書』、ミランダ・ジュライ『最初の悪い男』、リディア・デイヴィス『話の終わり』、ショーン・タン『セミ』、ジョージ・ソーンダーズ『短くて恐ろしいフィルの時代』、ニコルソン・ベイカー『中二階』、ジャネット・ウィンターソン『灯台守の話』など多数。編訳書に『変愛小説集』『居心地の悪い部屋』『コドモノセカイ』『楽しい夜』など。著書に『気になる部分』『ねにもつタイプ』『なんらかの事情』などがある。『ねにもつタイプ』で第23 回講談社エッセイ賞を受賞。
発行日 2019.10.10. 初版第1刷発行
発行所 筑摩書房
運動
私が何かの王になれるとすれば、運動不足王
今では歩くことさえほとんどしないが、中学時代は軟式テニス部で、休むと球拾いが1日課せられ、未来が球拾いで埋め尽くされて退部
大学では球を見たくなかったのでアーチェリー部。学年ごと、男女ごとに対立、殺傷力を持った武器を手にして気の休まる時がなく、心が折れて退部
スキー部にも入ったが、女子力を期待され、打ち上げでサラダを取り分ける力のないままに退部
カブキ
前の方の席に若い白人男性が2人。どういう話か分かっているのかと心配になる
花魁や身請けは英語でどういうのか、ためしに2人に説明を試みるが難しい。舞台よりもそちらが気になって舞台に集中できない。劇場を出てから何カ月経ってもずっと2人が頭の中から去らないのには困った
体操
何か運動していますか、と訊かれることほどつらいことはない
私の運動不足ぶりときたらすごい
このままではまずいとラジオ体操をしてみる、第2は第1より難しい。第3もあるのかと思ったらもっと難しいのがあった
数字が上がるにつれて何度が上がるということは、数字を小さくしていけば易しくなるのか
ラジオ体操第-3なら、大きく深呼吸、そのまま目を閉じて入眠
これなら私でも楽勝で、何か運動しているかと訊かれても怖くない
名は体を
名前とその人の関係がいつも気になる
食べ物の名前が含まれていたりすると、その人がその食べ物にどういう感情を持っているのか訊いてみたくてしかたがない
名前が先か、人間が先か問題についてもよく考える
星出さん問題。スペースシャトルに乗っているが、田中という名前でも宇宙に行っていただろうか
ハンマー投げのドーピング疑惑で日本人が繰り上げで1位になったが、メダルを剥奪された選手は尿検査の際カプセルに入れた他人の尿を肛門に隠していたという。その選手の名はアヌシュ。オリンピックは嫌いだが、このエピソードだけはちょっと好きだ
ひみつのしつもん
カード会社のホームページにログインしようとした
前にログインしたのがずいぶん前だったせいか、いつもとはちがう画面が出た
「身元確認のため、秘密の質問の答え」を要求され、「子供のころの親友の名前(ひらがな4文字以上)」とあったので、ユリチンとエンターしたらエラー
小学校のころ一番仲良かったのに、と動揺
小学校よりもっと前かと思って、とし子ちゃんを思い出したが、またもエラー
額に汗がにじむ。幼稚園時代のサキちゃんを思い出して入力するが、これもエラー
動悸が激しくなる。自分で選んだ質問なので、答えは自明のはず
ようやく、いつのころなのかはっきりしないが、よく遊んだ親友がいたが、名前を思い出せない
そのうちモニターは次の質問に変わっていた
画面をそっと閉じた
とてつもなく大切な何かに永遠にログインし損ねたことだけがはっきりと分かった
「ひみつのしつもん」書評 常識吹き飛ばす「ごっつい」やつ
評者: 出口治明 / 朝⽇新聞掲載:2019年12月07日
ひみつのしつもん著者:岸本佐知子出版社:筑摩書房ジャンル:エッセイ
私は私のことを監視しているかもしれない何者かの目を欺くために、見かけ上仕事をしているふりをしていることが往々にしてあるのだ−。奇想天外、抱腹絶倒、キシモトワールド全開のエ…
気分転換を図りたい時や疲れを感じた時、ページを開くのは『よりぬきサザエさん』か『いじわるばあさん』と相場が決まっていた。それが最近では岸本佐知子のエッセーにその座を脅かされつつある。もう師走なのに、僕の机の上には遅々として進まない5月27日締切りの校正原稿がのっている。「できる遅刻はすべてし、破れる締切りはすべて破ってきた」と本書が喝破してくれるので、随分と気持ちが楽になる。
キシモトワールドがどれほど「ごっつい」か紹介してみよう。ラジオ体操第マイナス1、第マイナス2、皆さん知っていますか。不治の病には「カードの磁気が必ず弱い病」というやっかいなものがある。宇宙を構成するダークマターは、星と星の間をみっしりと埋め尽くしている羊羹(ようかん)みたいなものらしい。敵味方の間に芽生える友情とは、銀座の横断歩道を並んで歩く私とゴキブリ、なるほどわかったような気になる。僕も桃は大好きだが、ついぞ「桃をご神体にした桃教」という発想が浮かんだことはなかった。いかに頭が硬いかということだ。「いつか『グズな人には理由がある、ただしグズは魂と直結しているのでグズを矯正すれば魂も死ぬ』というタイトルの本を書くのが夢だ」。もう最高ではないか。
「キハヌジ語」というすばらしく面白い言語があるらしい。「いかに嫌いな人間をひとまとめにして頭の中で巨大な臼に放り込み、杵(きね)で何度も何度もついて真っ赤な血の餅に変えるか」、ダンテが知ったらきっと『神曲』の中に取り入れたに違いない。聖人と凡人の境目はどこにあるのか、守護聖人と守護凡人、列聖と列凡、めちゃいいではないか。すべてが「ごっつい」。
著者の父君は、煮物が柔らかすぎる時に「ずやずやしとる」という言葉を使っていたそうだ。そういえば僕の母も「ごういらす」(苦労させる)という言葉をよく使っていた。懐かしさがこみ上げてくる。
◇
きしもと・さちこ 1960年生まれ。翻訳家。M・ジュライなど訳書多数。『ねにもつタイプ』で講談社エッセイ賞。
出口治明(デグチハルアキ)立命館アジア太平洋大学(APU)学長
1948年、三重県生まれ。日本生命保険を経て、ライフネット生命保険を創業、同代表取締役社長、会長を務めた。2018年1月から現職。著書に『人生を面白くする本物の教養』『「全世界史」講義』など。
筑摩書房HP
今年18年目を迎えたPR誌「ちくま」の名物連載「ネにもつタイプ」から、既刊の『ねにもつタイプ』『なんらかの事情』につづいて、7年ぶりとなる3冊めの単行本を刊行します。著者は、文芸界隈で話題となっている『掃除婦のための手引き書 ルシア・ベルリン作品集』(ルシア・ベルリン著/講談社)をはじめ、海外文学の訳者として圧倒的な人気を持つ岸本佐知子さん。各回のイラストと単行本の装幀は、前2冊につづきクラフト・エヴィング商會。一度読めばくせになる“キシモトワールド” 最新作、多くのファン待望の一冊となります。いっそうぼんやりとしかし軽やかに現実をはぐらかし、机の上から宇宙の果てまで自在にひろがるキシモト流妄想術の技の冴えをとくとご覧ください!
鷲田清一
2019年12月13日 5時00分 朝日
グズは魂と直結しているのでグズを矯正すれば魂も死ぬ
岸本佐知子
鷲田さんのことば
『グズな人には理由がある』みたいな題名の本があるらしいけど、自分ならこう但(ただ)し書きをつけると翻訳家は言う。情報に条件反射のように反応し、反応したこともすぐに忘れる、そんな滑りのよすぎる情報社会。でも人生の意味は問うてもすぐに見えない。むしろそう問い続けるのが人生。だから納得ゆくまでグズグズしている権利もある。随筆集『ひみつのしつもん』から。(鷲田清一)
翻訳家・岸本佐知子さんインタビュー 違う中にも「同じ」が見つかる。言葉の壁越えて繋がる瞬間が海外文学の醍醐味
文:岩本恵美、写真:有村蓮
筑摩書房が発行するPR誌『ちくま』の名物連載「ネにもつタイプ」。翻訳家の岸本佐知子さんの脳内を覗き見ては笑えるエッセイから、3巻目となる『ひみつのしつもん』(筑摩書房)が刊行されました。長期連載を振り返っての思いに始まり、妄想のこと、海外文学との出会いやその魅力、本の装丁のことなど、岸本さんに聞いてみたかったことをアレコレ伺いました。
岸本さんの妄想力の素
――連載「ネにもつタイプ」が18年目に突入とのことで、振り返ってみていかがですか?
自分でも驚きました。10年くらいはやっている気はしていたんですけど、まさかそんなに長いことやっているとは……。17年間、月末が来るたびに夏休みの宿題が終わらない子供の気分でしたね(笑)。
――これだけの長期連載で、しかも読むたびに「岸本さんの頭の中ってどうなっているんだろう」と思わずにはいられない内容です。毎回エッセイのネタというのはどうやって考えているんでしょうか?
「ネにもつタイプ」の前にもエッセイを書いていて、エッセイ自体を書き始めて10年くらいは、会社員時代にみんなが言ったりやったりした面白いことや、子供時代のできごとなどを思い出して書いていたんです。だから、最初のうちはわりとストックがあったんですね。でも、会社を辞めて翻訳の仕事をし始めると、家の中で引きこもっていることがほとんど。話す相手がほぼ自分しかいないような状態だと、ネタを「考える」というよりは、自分はただのラジオで、そのアンテナにふとした言葉などが入ってくるのをきっかけに書くということが多いです。たまにしか人と喋らなくなると、だんだん半径1メートルくらいの出来事、それこそ自分の体くらいしか元手がないような状況で、「体のここがときどき勝手にピクピクするよね」みたいなことを書くことが増えましたね。
――『ねにもつタイプ』『なんらかの事情』に続いて、7年ぶりの書籍化となる3巻目の『ひみつのしつもん』ですが、この中で特に印象深い回は?
「ふるさと」ですかね。自分は横浜の日赤病院で生まれたと信じ込んでいたら、実は寿町産院、ドヤ街の病院生まれだったっていう話を書いたら、母からものすごく抗議されて。あとがきに書いたんですけど、本当は長者町産院だったんですよね。「本には入れないから」と、その時は言ったんですけど、うっかり入れてしまったという……。
――(笑)。寿町も長者町も、めでたいイメージで記憶されていたんでしょうね。いまのところ、お母さんにはバレていないんですか?
バレました。バレたんだけど「あとがきで訂正したから」と、言いくるめました(笑)。
あと、苦しまずに書けたという意味で気に入っているのは「洗濯日和」。これは経験をそのまま書いて、一気に書けたので。
――物干し竿からドロドロした謎の液体が出てきた話ですね。自分の意識が、「私」と謎の液体と物干し竿との3つに分かれて、それぞれの気持ちで語り出す。
……斜めに落ちた物干し竿の私は深く恥じていた。 ああなんてこと。自分の中からこんなものが出てきたなんて。こんな茶色くて汚くてドロドロしたものを身内に隠していたなんて。銀色メタルの直線の硬質の輝くボディのこの私が。あああ恥ずかしい。死んでしまいたい。(『ひみつのしつもん』「洗濯日和」より)
岸本さんは日常の出来事や身の回りのものを面白い視点で捉えて、そこからの思考の広がりがすごいですよね。昔から妄想好きだったんでしょうか?
自分ではそんなに妄想しているつもりはないんです。考えのレールがちょっと変な方向に行くだけで、あんまり“妄想”と思ったことはない。でも、実はみんなも変なことって、絶対考えていると思うんですよ。その証拠に、エッセイを出すたびに「同じこと考えてた!」という感想をよくいただくんです。
ただ、きっとみんなは考えても10秒くらいでやめるとか、すぐに忘れるとかしているんだと思います。私はその辺のストッパーがないので、変な考えをずっと考えて最後まで考えてしまうんですね。人類全員がそういう変なことばっかり考えていると種として滅びてしまうので、私みたいな人間は人口の何パーセントかいればちょうどいい。みんなが考えるアホ思考を、私が“外付けのアホ脳”として代わりに考えている、ということでどうでしょう。
――働きアリの法則みたいです(笑)。岸本さんが妄想力を掻き立てられるような作家さんはいますか?
妄想というか、自分の上をいく思考回路の作家さんはいますよね。やっぱりそういう人を尊敬するし、翻訳したい。ミランダ・ジュライやリディア・デイヴィスなど、一見すごくパワフルで社会的にも勝ち組に見える人なのに、けっこうしょうもないことをちまちま考えていて、親近感がわきます。たぶん、自分自身の脳内に住んでいるような人が好きなんでしょうね。
岩波フェチの父が引き合わせてくれた名訳の数々
――そもそも岸本さんと海外文学との出会いは何だったんでしょうか?
幼稚園のころに父親が『クマのプーさん』(岩波書店)を読み聞かせしてくれたのが最初ですね。父は岩波フェチで、いまにして思うと買い与えられた絵本もすべて岩波のものだったんですよ。わりと最近読み直してみたんですが、石井桃子さんの翻訳がとてつもない名訳なんです。まず、『クマのプーさん』の「プーさん」っていうのがすでにすごい。原書のタイトルは“Winnie-the-Pooh”なので、「さん」なんてどこにもついてないんですけど、プーさんの「さん」は「寅さん」や「おいなりさん」「お豆さん」の「さん」であって、「山田さん」の「さん」ではないんですよ。「プーさん」としたことで、愛くるしくてちょっと抜けているけれど憎めない、あのキャラが一瞬のうちにできあがっているんですよね。
それと、人生で何度も読み返しているのは、ルナアルの『にんじん』(岩波文庫)です。小学校低学年のころに父の本棚で見つけて、タイトルが平仮名だから読めるだろうと思ったら、旧仮名遣いで漢字だらけ。大人に聞くなどして、自分でふりがなを振って書き込んでいたんですけど、途中から大人にうるさいって言われたか、自分が面倒くさくなったのか、当てずっぽうで間違ったふりがなを振っています。
――それは立派な妄想ですね(笑)。
だから、お話もこんな感じかなって半分くらい想像するしかなくて。舞台はフランスだし、100年以上前の話なので風俗が現代とは全然違う。子供でもぶどう酒を飲むとか、頭にシラミがわくとか。自分とまったくかけ離れた世界なんだけれど、ものすごく引きつけられたのは、岸田国士さんの翻訳が素晴らしかったからということがあります。わからないながらに、言葉のリズムのよさや陰影、奥深さがすごいというのが子供にもわかったんだと思います。
海外文学を読んで「同じ」って思えることが面白い
――海外文学を好きな人は大好きですが、一方でとっつきにくい、手にしづらいという人もいます。岸本さんが考える、海外文学の魅力ってなんでしょう?
いまいる世界とは別のところの話であるという“遠さ”が憧れになるか、逆に障壁になるか。その違いですね。
でも、私は海外文学の“遠さ”が好きというよりは、「あ、同じなんだ」って思えるところが魅力なんだと思っています。もちろん、国や地域によって生活の習慣や社会とか、いろいろ違うところも面白いんですけど、言葉の壁を越えて繋がる瞬間があるのがいいんですよね。
以前翻訳したニコルソン・ベイカーの『中二階』(白水Uブックス)は、まさに「同じじゃん!」の連続。アメリカのとある会社員の昼休みを軸に描いた話で、オフィスにまつわるいろんなこまごまとしたことを主人公が語るんです。ホチキスは机の上に出しておくとよっぽど気をつけないと絶対なくなるとか、ほうきで掃いてちりとりをずらした時にできる埃の線が限りなくゼロに近くなっていくのが好きだとか。アメリカ人でもこんなに細かいことを考えている人がいるんだなっていうのが衝撃でした。いろんな違いがあるなかでも、「同じこと考えている」って思えることが翻訳物の醍醐味なんじゃないかなって思います。
本は見た目も大事
――岸本さんは、普段どんな時に本を読まれますか?
それが本当にいまの悩みで、昔だったら通勤などで電車に乗っている時やちょっとした隙間時間、寝る前などに読んでいたんですけど、いまは電車にもほとんど乗らないし、寝る前に読もうとすると3秒で寝てしまうんです(笑)。
それと、昔から積読は多いんですが、積読も読書だと思うんですよね。背表紙だけ見えている状態でも、それがサムネイルというか、窓みたいなもので、「この中に何か面白いことが書かれている」「この先に面白い世界が広がっている」ということを、毎日背表紙を見ているだけでも考えますよね。それも絶対、ひとつの読書だと思うんです。
――背表紙といえば、本のジャケ買いをけっこうするとお聞きしました。
英語の原書を選ぶときは、ほぼジャケ買いです。とにかく装丁がいいと無条件で買ってしまいます。私が好きで訳しているリディア・デイヴィスも、実は表紙の装画が大好きなルネ・マグリットだから買ってみたら、大当たりだったんです。
原書に限らず、どんな本でも装丁ってすべてがあらわれていると思うんですよ。人間の顔と同じです。だから本を選ぶ目安として私はすごく信頼しているし、実際かなり打率はいいと思います。自分がジャケ買い野郎なんで、翻訳した本の装丁にはけっこう意見を言うんですよ。そういう翻訳者って少数派らしいんですけどね。
――以前、トークイベントで、日本でまだ紹介されていない海外の作家について一番詳しい存在は翻訳家なのだから、装丁からあとがきまで一貫してプロデュースするのも翻訳家の仕事だとおっしゃっていたのが記憶に残っています。紹介のされ方次第で、日本でのその作家のイメージが左右されるとも。いま話題のアメリカの作家、ルシア・ベルリン(1936〜2004年)も岸本さんが日本に初めて紹介した一人です。
ルシア・ベルリンの『掃除婦のための手引き書』(講談社)の装丁は、『ひみつのしつもん』をはじめ、エッセイ集の挿絵と装丁を手がけてくださっているクラフト・エヴィング商會のお二人にお願いしました。
最初、自分のなかに漠然とルシア・ベルリンの写真が表紙にある本っていうイメージがあったんです。でも、写真の彼女があまりにも美人すぎて、本人だってわかってもらえない可能性があると言われて。映像化された時の主演女優だとか、イメージ写真だって思われる、と。
それで、一度は象徴的なイラストを使ってスタイリッシュな感じにしようか、とも話し合いました。でも、初めて本格的に日本で紹介する作家でもあるので、「この人が書いています」とわかってもらいたかったということもあり、やっぱり彼女の写真を使うことにしたんです。
というのも、彼女は3回の結婚と離婚をし、シングルマザーとして4人の息子を育てながら掃除婦や電話交換手、看護師などをして働いていたという、紆余曲折の人生を送った人で、生涯に短編を76作書いているんですけど、基本的にすべて実人生がもとになっているんですね。作品から聞こえてくる彼女の“声”が非常に独特かつ魅力的で、どうしようもなくこの人そのものなんですよ。
表紙で使っている写真は彼女の三番目の夫が撮ったスナップ写真で、もとはカラー。素人写真なので画質があまりよくなくて、それを下半分の黒で締めるなど、いろいろと工夫していただいて、本当に素晴らしい装丁にしていただきました。
自分でもこんな感触は初めてだったんですけど、出る前からものすごくみんなに待たれているという感じがありました。
――岸本さんは十数年前にリディア・デイヴィスがルシア・ベルリンを絶賛していた文章を読んで彼女を知ったとのことですが、いまというこのタイミングで岸本さんが訳されたのには何か理由があるんでしょうか?
本当は、老後の楽しみにちびちび訳そうと思っていたんです。過去に出ていた作品集はすべて絶版になっていたし、まさに“ライターズ・ライター”で、作家の間では評価が高かったものの一般読者にはほとんど知られていなかったということもあって。でも、『掃除婦のための手引き書』の底本となる “A Manual for Cleaning Women”という作品集が2015年にアメリカで出版されて話題になって、これはいま訳すべきだと考えを変えました。
彼女はずっと書いていたし、本も出していた。でも、生きている間には話題にならなかったのに、このタイミングで「こんなすごい作家がいたとは!」と驚きとともに再発見され、すごく読まれている。彼女の時が巡ってきたとしか言いようがないですよね。
岩本恵美(いわもとえみ)ライター/エディター/Webディレクター
東京・下町生まれの下町育ち。Webメディアや新聞記事の執筆・編集を経て、フリーランサーに。食においても読書においても何においても、気になったら手を出す雑食系。最近は日本美術や落語、講談など“和”な方向に興味あり。読書傾向は、エッセー、マンガが多め。GREEN GHOST LLC.所属。
有村蓮(ありむられん)フォトグラファー
1990年鹿児島生まれ。2年間渡豪した後、2016年d’Arc入社。趣味はビックリマンシール集め。
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