悪態の科学  Emma Byrne  2018.11.22.


2018.11.22.  悪態の科学 あなたはなぜ口にしてしまうのか
Swearing Is Good for You ~ The Amazing Science of Bad Language  2017

著者 Emma Byrne 科学者。ロボット工学者として、人工知能の開発に携わる。BBCラジオでAIやロボット工学を解説する番組を持ち、フォーブス誌やグローバル・ビジネス・マガジン、フィナンシャル・タイムズ紙にも寄稿。神経科学への興味が昂じて本書を書き上げた。日本での勤務経験もある

訳者 黒木章人 翻訳家。立命館大産業社会学部卒

発行日           2018.8.21. 第1
発行所           原書房

世界のどの言語にも存在するのに、辞書にも論文にも載らない汚い言葉(タブー)たち
しかし、失語症患者が罵倒語だけ忘れなのはなぜか
悪態の鎮痛効果を実証した実験から、罵倒語を習得したチンパンジーの研究まで
「悪態」がいかに人類にとって重要な意味を持つのかを、神経科学、言語学、行動心理学など、貴重な実験・研究結果から解き明かす

はじめに
悪態や罵倒語とは、暴力的でありながら愉快で、ショッキングで滑稽で、日常的なものなのに我慢ならない、驚くほど多種多様な言葉の総称。宗教やセックス、狂気、排泄物、国籍などのパワフルかつ不条理な要素と共鳴し、その威力を増大させる(ジェフリー・ヒューズ、英語史研究家)
悪態や罵倒語は、単なる冗談やからかいの言葉や冒涜的な言葉と違い、それ以上のもの
どうして私たちは悪態をついたり罵倒したり汚い言葉を吐いたりするのか? どうやって悪態をつくのか? 悪態や罵倒語から私たちの何がわかるのか?
悪態・罵倒語や汚い言葉には刺激的で知的好奇心をくすぐるところがあるのに、その知識を享受できる場は、今のところ学術誌や専門書にほぼ限られている
罵倒語を利用するストレス管理術は、職場でのチーム作りで何よりも役立つという結果が出ている
悪態・罵倒語や汚い言葉は神経科学の発展にも役立っているし、人間の脳の中でも興味深い機能を持つ部位の発見にも一役買っている
悪態・罵倒語や汚い言葉は時代とともに変わる ⇒ fuckですらクソ嬉しいなどと言う
本書の目的は、人類史の中で罵倒語などの汚い言葉がどのように変化してきたのかを確認すること
世界中で差別的な表現を避ける傾向が強まっている ⇒ Political Correctness

悪態や罵倒語の定義 ⇒ 汚い言葉は3種に分類:①罵倒語、②神の名の乱用などの冒涜表現、③呪いの言葉。 タブー(禁忌)こそが魔力の源泉
感情を剥き出しにした状態の時に使われ、何らかのタブーに言及する
悪態や罵倒語は、感情の面から見ても文化的な面から見ても非常に大きな意味を持つ、社会に向けて発信する複雑なシグナル
『オックスフォード英語大辞典』には、20世紀に入ってもなおfuckcunt(オマンコ)the curse(月経)などは除外したが、宗教的・人種差別的な罵倒語は掲載
どんな言葉が猥褻極まりない言葉になるのか? 誰が決めるのか? ⇒ 私たち全員で、それぞれが属している社会集団や仲間の中で決めること。時代や価値観とともに変わる
シェイクスピアの『オセロ』と『ハムレット』の第1版にはちくしょうという罵りの言葉の”sblood(ズブラッド)”God’s blood”zounds(ゾウンズ)”God’s wounds(傷口)が載っていたが、祝典局長の命令によりのちの版では削除
悪態や罵倒語の進化は今でも続いている。その中心は"口にしてはいけない不敬な言葉"から人種やセクシュアリティにまつわる言葉へと移り、そこに身体障碍に関する言葉が続く
進化が続く1つの理由は、「他人化」という人間の本能で、自分自身と他人の違いを無意識に判別し、力のあるグループは力の劣るグループを迫害し、搾取してきたが、服従させていることを強調するある種の言葉を劣るグループにあてる傾向がある ⇒ niggerなど
悪態や罵倒語には力と効用が認められ、人間という人種全体にとっても有益なもので、誰かが罵りの言葉を発しているときは、何か大切なことを伝えている場合が多いので耳を傾けるべきであり、その意味でしかるべき敬意を払ってはどうか

1章       汚い言葉を吐き出す脳――神経科学と罵倒語
神経科学と汚い言葉の研究の中で一番有名なのは1848年の鉄道建設の現場監督のケースで、エネルギッシュで不撓不屈の男と評判だった監督が、岩盤に発破をかける作業のミスで鉄の棒が脳を貫通するという大怪我を負った結果左前頭葉が損傷し、これまで見られなかった汚い言葉を吐きたいという衝動脅迫が後遺症として現れ12年後に死亡
19世紀前半に始まった神経科学分野の研究は、脳に損傷を負った失語症患者の症状の規則性の観察が発端だったが、その後1世紀ほどは手付かずの状態で、1999年カリフォルニアの調査では、失語症患者が口癖のように何度でも繰り返す言葉としてwell I know(まあね)wait a minutedon’t be sad(落ち込むなよ)と並んでbloody hell(ちくしょう)bloody hell bugger(このクソ野郎)fuckfuckfuck, fuck off(ふざけんなクソ野郎、失せやがれ)を挙げた
脳の左半分を失った患者に対しても、簡単な単語を言えなかったり間違えたりしたが、汚い言葉は何も問題なく言えた ⇒ 悪態や罵倒語は脳の様々な部位と深い結びつきがあって、特に感情を生み出す部位とは密接な関係にあると言える
右脳に損傷を負った人は無感動になり、想像力の欠如が顕著になるが、罵倒語も忘れる
脳における感情の処理は、右脳と左脳の協調作業が必要 ⇒ 右目を隠して左目だけに感情に訴える画像を見せる(右脳だけで見ている)と、同じ画像を右目だけに見せた場合よりも早く、より感情的になる、ということは右脳が早期警戒システムの役割を果たす
扁桃核の役割 ⇒ 全ての哺乳類が持っていて、左右の耳を結んだ線と両目を水平に貫く線が交わるところに左右1つづつあり、心を激しく揺さぶる感情が沸き起こってきたときに知らせるのが一番の役目

2章       クソッ! 痛いじゃないか!  ――痛みと罵倒語
痛みを感じた時、思わずクソッ!”とかちくしょう!”と毒づく
痛みを感じている間、罵倒語を言いながらの方が、他の言葉を言いながらより、1.5倍も長く耐えられたが、罵倒語を発している間心拍数が上昇し、痛みの知覚度が下がった
痛みは純然たる生物学的現象だと考えられてきたが、実際には心理学的な側面もかなりある ⇒ 状況が違えば、感じる痛みのレベルも違う
身体的苦痛と感情の関係は複雑 ⇒ 差別されたりしたときに感じる社会的苦痛が原因

3章       トゥレット症候群
(Wikipedia) チックという一群の神経精神疾患のうち、音声や行動の症状を主体とし慢性の経過をたどるものを指す。小児期に発症し、軽快・増悪を繰り返しながら慢性に経過する。トゥレット症候群の約半数は18歳までにチックが消失、または予後は良いとされている。チックの症状のひとつに汚言症があり、意図せずに卑猥なまたは冒涜的な言葉を発する事から社会的に受け入れられず二次的に自己評価が低下したり抑うつ的になったりすることがある。ただし、この症状が発症することは稀で子供や軽症例では殆ど見られない
(アメリカの定義)不随意運動=チックが2例以上頻繁に発生し、1年以上継続、18歳未満で発症するが、薬剤の服用や癲癇などの他の疾患を原因とするものではない
トゥレット症候群の汚言症では、汚い言葉を繰り返し発したり、猥褻な言葉をわめきたてる衝動を抑えられない ⇒ 文化ごとに極端に違う

4章       仕事の場での罵倒語
職場でのからかいの言葉や冗談にはほぼ例外なく汚い言葉や罵倒語が混じっているが、そうした言葉は仲間意識を育み、高い仲間意識は生産性の高い労働力を生み出す

5章       この汚いサル野郎! ――悪態をつく(人間以外の)霊長類
汚い言葉や罵倒語の進化の過程を直接確認することはできないが、チンパンジーに教え込み、手話で罵倒語を禁止言葉にしたら、感情的になったときに使うようになる

6章       女には向かない言葉――ジェンダーと罵倒語
圧倒的に男性優位の分野で働く女性の便利な能力の1つが、汚い言葉や罵倒語を臆することなく吐くことが出来る力で、すぐに仲間入りができる
同じタブー語を使っても、男性より女性の方がずっと厳しい目で見られてしまうのは、一般社会ではどうしようもないこと ⇒ 18世紀前半に生まれたダブルスタンダード
男は強くあるべし、女は清くあるべしという価値観が言葉に反映
礼儀正しいとされる言葉は、社会集団と世代、そしてジェンダーで異なる
どれほどの礼儀正しさが求められるのか判断する基準の1つが、相手とどれほど率直に言い合える関係なのか見極めること

7章       さまざまな言語の汚い言葉や罵倒語
外国語は何歳までに習得すれば、知性の面でも感情の面でも母国語と同じように使いこなせるようになるのか? 汚い言葉や罵倒語が外国語を話す人たちに与える影響を調べると、言葉と感情はいつ、どのようにして結びつくのかがわかる
本能的に備わっている感情を理解する能力を、そのまま別言語に当てはめて使うことはできない。母語と第2言語では、感情の感じ方が違い、特に言葉に込められた感情的な意味は成人になってからだとしっかり理解することはかなり難しい




(書評)『悪態の科学 あなたはなぜ口にしてしまうのか』 エマ・バーン〈著〉
2018.10.27. 朝日
 バグではなく人間らしさの本質
 全員で下品な隠語を使うチームのほうが、使わないチームよりも労働効率がよく、メンバー同士の結びつきが強く生産性が高い。しかもこれは特殊な事例ではなく、さまざまな労働環境で普遍的に見られる現象であることは、さまざまな研究が明らかにしている。また、冷たい氷水に手を入れて耐えるとき、汚い言葉を使ったほうが、汚い言葉を使わないときよりも1・5倍も長く耐えられる。チンパンジーは言葉を獲得すると同時に罵倒語も身につけた。事故で左前頭葉が吹っ飛んでしまった人はその後、人が変わったように罵倒語をわめき続けるようになった。罵詈雑言(ばりぞうごん)、罵倒語、悪態、クソおもしろエピソードのオンパレードだ。
 学問の良いところはタブーがないところにある。社会的には悪、醜い、考えるに値しない、などの理由で忌み嫌われているものでも善悪の価値判断の前に、フラットになにが起こっているのかを明らかにする。人はなぜそうした行動を嫌うのか、なぜ嫌がられても続けるのか、といったことを知るためにも学問にタブーは必要ない。
 汚い言葉とされるものは、全世界中の人が日々口にしながらあまり顧みられることのない領域だ。権威のある辞典には、言葉自体掲載されていなかったり用法を認められていなかったり、社会からは「ないもの」とされているものばかり。だが、ロボット工学者にして人工知能開発に携わる著者は、言語学、神経科学、心理学などあらゆる学問の研究成果から横断的に「悪態」を調査・研究した。そうしたことから考えさせられるのは、人間の「バグ」のように思われて思考から排除されてきたこのような言葉たちが、実はロボットと人間の境目にある人間のアイデンティティにすらなっているという可能性だ。思考の過程を経ず、反射的に出てくる言葉だからこそ本質的なのだ。タブーから目を背けてばかりはいられないね。
 評・サンキュータツオ(学者芸人)
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 『悪態の科学 あなたはなぜ口にしてしまうのか』 エマ・バーン〈著〉 黒木章人訳 原書房 2376円
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 Emma Byrne 74年生まれ。科学者、ジャーナリスト。英米のメディアでロボット工学や人工知能を解説。


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