日本型リーダーはなぜ失敗するのか  半藤一利  2012.12.14.


2012.12.14. 日本型リーダーはなぜ失敗するのか

著者 半藤一利 1930東京生まれ。東大文卒。文藝春秋入社。『週刊文春』『文藝春秋』編集長、取締役を経て作家に。『日本のいちばん長い日』、『漱石先生ぞな、もし』(新田次郎文学賞)、『ノモンハンの夏』(山本七平賞)、『昭和史 1926-45』『昭和史 戦後篇 1945-
89(毎日出版文化賞特別賞)

発行日           2012.10.20. 第1刷発行
発行所           文藝春秋(文春新書)

花井君に拝借

決断できない、責任を取らないリーダーはなぜ生まれてしまったのか。エリート参謀の暴走を許したものは何か。ご存知歴史探偵が日本のリーダーの源流を辿り、太平洋戦争での実際の指揮ぶりをつぶさに点検、今こそ歴史に学ぶ姿勢が問われている

前口上
日本の歴史における2大転換期
   戦国時代 ⇒ 身分に基づく秩序が崩れていく中で、独自の世界観をもってリーダーシップを発揮したのが戦国の武将
   幕末・維新 ⇒ 強固な幕藩体制に対し、天皇を担いで一か八かの命がけで突き崩した
現在は、ずばり戦国時代

第1章     「リーダーシップ」の成立した時
「リーダーシップ」という言葉は元々軍事用語
戦国武将が読んだ文献 ⇒ 『孫子』の兵法、『六韜(りくとう:弓を入れる袋のこと)・三略』
『孫子』の兵法によれば、将の将たる人間は「智信仁勇厳」を持てという
智 ⇒ 敵に優る智慧。敵に手を読まれず、しかも敵の手の内を読み取る力
信 ⇒ 心正しく偽りがなく、部下の信頼を集めること
仁 ⇒ 思い遣り、労り。人を慈しむ心
勇 ⇒ ことに臨んでよく忍耐し、危険を恐れず為すべきことを行う力
厳 ⇒ けじめをハッキリする厳しさ
山鹿素行は、「智信仁勇厳」のうち1つでも欠ける時は武将の実に非ざると言い切る
『六韜・三略』 ⇒ 将には五材十過あり
周の国を建てた武王が、軍師の太公望呂尚(りょしょう)から聞く兵法書
「虎の巻」とは、『六韜』の1つ「虎韜」からきている
五材 ⇒ 将たるものの持つべき資格で、勇・智・仁・信・忠を指す
十過 ⇒ 将たるものやってはいけないこと
勇敢過ぎて死を軽んじてはいけない
性急に、前後をわきまえず即断してはならない
強欲で自分の利益のみを考え、部下のものまでとりあげてはならない
思い遣りの心強く、決断が出来なくてはいけない
知略戦略を心得ているが、いざという時に臆して実行できないのはダメ
軽々しく誰でも信用してしまうことはいけない
潔癖であるが、包容力がなくて人を許せず、侮辱されるとすぐ怒り出す者もダメ
智慧はあるが頼りがいも責任感も感じられないのはダメ
自信過剰で何でも自分でやらないと気が済まないのもダメ
何でも人任せにしてしまうのもダメ
明治以後の教科書はクラウゼヴィッツの『戦争論』 ⇒ 鷗外の小倉行きは左遷ということになっているが、参謀本部第1部長だった田村恰与造(いよぞう)大佐(後に参謀次長として日露戦争の作戦を考えた中心人物)がドイツ留学時代に鷗外に『戦争論』のさわりを講義してもらったことを思いだして鷗外に翻訳のための時間を作らせた可能性が強い
『戦争論』の根底には、そもそも人間とは何か、という人間そのものに対する鋭い洞察、戦いを巡る人間的ないろいろな問題についての冷徹な分析が秘められている
戦争とは、「危険、形体上の労苦、不確実、偶然」の組み合わせが複雑に絡み合ったもの
それゆえ、この4つの要素を凌駕して勝利を確実にすることのできる人物こそ育てなければならない人材であるとする ⇒ リーダー論
   勇気 ⇒ 個人の危険に対する勇気と責任に対する勇気
   知力 ⇒ きちんと事態を理解し判断できる能力
   果断 ⇒ 微弱なる光明に頼りて進ましむる力
   沈着 ⇒ 不期の事に処する力の亢上(高ぶり)。平常心
   堅忍不抜 ⇒ 責任に押し潰されない精神力
   感情の強さ ⇒ 強く感奮せるに拘らず激情の風波の起こりたるに拘らず、猶能く智に随ひて動作することができる
   性格の強さ ⇒ 信念を十分持続することのできる強さ
鷗外の小説『護持院原の敵討』は、実話だが『戦争論』の精神を踏まえている
帝国陸海軍は、『戦争論』に示された重要な命題を読み誤る ⇒ 「戦争は防備から始まる」とあるにも拘らず、「攻撃から始まる」と思い込んでいた
日本型リーダー像の源流は西南戦争にあり ⇒ 当時最強の西郷軍にたいし、装備は近代化していたものの寄せ集めの軍隊でいかに勝つか、参謀の役割が大きかったところから、参謀さえしっかりしていれば大将はどうでも戦に勝てるという考えが定着し、参謀養成のための上級機関として陸海軍大学校を創立
西南戦争の翌年(1878) 参謀本部の創設 ⇒ 政府機関から独立し、「統帥権」を確立
日露戦争でも、参謀の力がいかんなく発揮された

第2章     「参謀とは何か」を考える
昭和の陸海軍のリーダーの責任との関係におけるタイプ
   権限発揮せず責任もとらない ⇒ 冨永恭次陸軍中将(東條の腰巾着、陸軍次官、実戦経験もないままマニラの第4航空軍司令官となり、多くの若者を特攻に駆り出したうえ、勝手に台湾に撤退、病気療養する、満州に左遷され戦後はシベリア抑留後帰還)
   権限発揮せず責任だけ取る ⇒ 南雲忠一海軍中将(水雷屋が開戦時第1航空艦隊司令長官となり、参謀に助けられて指揮を執るが、見識も統率力もなく優柔不断、ミッドウェイでは山本長官の温情で責任がうやむやに。44.7.自決
   権限発揮して責任取らず ⇒ 牟田口廉也陸軍中将(盧溝橋事件を引き起こした張本人、汚名挽回を狙ってビルマ方面軍司令官になった時、反対する部下を更迭しインパール作戦を強行。失敗の責任を師団長に押し付け、自らは予備役に。戦犯となるが無罪
陸軍には「大本営派遣参謀」という参謀総長の身代わりがいて、現場での作戦指示の全権を与えた ⇒ 権限乱用の典型が辻正信中佐
陸海軍大学校における参謀教育の実態 ⇒ 選抜された中堅幹部を対象に、軍略教育を重点的に教え、国際情勢や国際法といった軍政に関する内容は少なく、ましてや一般教養は殆どない
あくまで軍の行動計画を立案し命令を起案するためのスタッフにて、責任は一切負わない
アメリカの人事制度に負けた海軍 ⇒ アメリカ海軍の最高階級は少将で、特別なポストに就く場合にのみ中将や大将となった。少将の中から戦局に応じて最適な人材を選択したが、一方日本海軍は常にハンモック・ナンバーに拘束された硬直的人事しかできなかった

第3章     日本の参謀のタイプ
    書記官型 ⇒ 優秀な事務方。代表は瀬島龍三。参謀総長の杉山大将より重用されたが、戦場を全く知らず、「小才子、大局の明を欠く」との評価、点数主義の日本陸軍の誤りを象徴
    分身型 ⇒ 代理指導型。草分けは秋山真之(日露戦争海戦を指揮)。次いで黒島亀人海軍大佐(真珠湾作戦を大西・源田の案を基に徹底研究)
    独立型 ⇒ 最後は自分の信念を通すタイプ。筆頭は石原莞爾(満州事変を策謀)、八原博通陸軍大佐(沖縄持久戦を策定、沖縄で捕虜になり生き延びる)
    準指揮官型 ⇒ 指揮権を行使してしまう参謀。典型が辻正信(中央の意思に反してノモンハン紛争を拡大、周囲に嫌われながら東條の肝煎りで動き回る)。神重徳海軍大佐(大和の沖縄特攻作戦)
    長期構想型 ⇒ 戦略家タイプ。永田鉄山陸軍軍務局長(統制派のリーダー、暗殺されるが、永田の「中国一撃論」はその後も陸軍を支配
    政略担当型 ⇒ 各界との折衝に特殊の才能を持つ参謀。石川信吾海軍軍務局第2課長(開戦時の南部仏印進駐を策謀、アメリカに開戦の口実を与える)

第4章     太平洋戦争に見るリーダーシップI
リーダーの条件
    最大の仕事は決断にあり
    明確な目標を示せ ⇒ 示したうえで、目的に向かうための価値観を部下と共有し集団を引っ張る(京セラ/稲盛氏)。リーダーシップとは、人を共通の目的に団結させる能力と意思であり、人に信頼の念を起こさせる人格の力(イギリス/2次大戦/モンゴメリー大将)
    焦点に位置せよ ⇒ 権威を明らかにする。自分がどこにいるかを絶えず明確にする
    情報は確実に捉えよ ⇒ 開戦前夜、東條が如何に情報を軽んじたか。根拠もなしに近衛首相に対し、「アメリカにも弱点はあるはず」と言ったという。「あるはず」「あろうはずがない」が帝国陸海軍で幅を利かせる
    規格化された理論にすがるな ⇒ 1回の成功体験に頼るな
    部下には最大限の任務の遂行を求めよ ⇒ 仕事の方向性と明確な目的を示したうえで、なぜ全力を傾けねばならないのかを理解させ、納得させて指揮を執る


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