零落の賦 四方田犬彦 2025.12.19.
2025.12.19. 零落の賦
著者 四方田犬彦 1953年、大阪箕面に生まれる。東京大学で宗教学を、同大学院で比較文学を学ぶ。長らく明治学院大学教授として映画学を講じ、コロンビア大学、ボローニャ大学、清華大学、中央大学(ソウル)などで客員教授・客員研究員を歴任。現在は映画、文学、漫画、演劇、料理と、幅広い文化現象をめぐり著述に専念。学問的著作から身辺雑記をめぐるエッセイまでを執筆。『月島物語』で斎藤緑雨文学賞を、『映画史への招待』でサントリー学芸賞を、『モロッコ流謫』で伊藤整文学賞を、『ルイス・ブニュエル』で芸術選奨文部科学大臣賞を、『詩の約束』で鮎川信夫賞を受けた
発行日 2025.8.25. 第1刷印刷 8.30. 発行
発行所 作品社
初出 『文學界』2023年10月号~25年1月号
² 天上人間(じんかん)
「たとえ死者の世界であろうとも、生者の俗世であろうとも」の意
1.
よしや うらぶれて異土の乞食(かたゐ)となるとても 犀星
中原中也と小林秀雄を手玉に取った女優長谷川泰子が、1970年代末、神田の画廊のビルでトイレの掃除をしていた。彼女が主演した映画《眠れ蜜》(1976)の脚本を書いたのが、後に中也の全集を編集する詩人佐々木幹郎(偶然にも、25.12.寛子ちゃんが佐々木の詩「明日」を歌う)
零落した女性は生涯の終りまで、自分の過去の栄光を繰り返し語り、かつ演じる。彼女たちはそれを期待されているが、考えようによっては、残酷なことではないか
2.
零落とは何か。ひとたび栄光の座から失墜した時、その姿は見えなくなる
アグネス・ラム、北尾、右翼的言動で一世を風靡した無頼派の評論家など
3.
高みに立たない限り、低所に赴くことはない
これまで3人の作品論を含んだ評伝を書いた。内田吐夢、大泉黒石、由良君美の3人
内田は、映画監督協会の重鎮だったが、製作会社と喧嘩して引退を強いられ、最後に1本撮ったが、癌に蝕まれ、死去した時には2000円の現金しかなかった
大泉は、ロシアの外交官と旧士族の娘との混血児。大正時代の文壇で活躍するが、虚言壁から文壇を追放され、酒乱のうちに生涯を終える
由良は、大泉の全集の編纂者。女と酒に溺れ、大学を去り晩年は荒廃。私の指導教官
溢れんばかりの才能を持ちながらも、不幸な晩年を強いられた者たちはどのように思っていたのか、私に書くことを促したのは、こうした問いだった
4.
ヴィスコンティの《ヴェネツィアに死す》(1970)の美少年アンドレセンは、日本で熱狂的なファンを持ったが、監督から性的に搾取されたあと身長が伸びて見捨てられた美少年は、映画界から消え、結婚にも失敗して酒に溺れ、晩年自らの生涯を演じたドキュメンタリーで復活するが昔の面影は全くない(2025.10.死去。享年70)
5.
堕落とは、零落と真逆の倫理を意味し、過去へのノスタルジアを振り切り、混沌とした現実に身を投げ込んで強く生きること
仏教において衰亡は否定的な零落ではない。死の後に約束されている再生への期待である
零落に類型はなく千差万別だが、あえて零落に陥る原因として考え得るのは、①政治的変動、②病気と老い、③社会的制裁、④セレブリティからの転落
6.
セレブリティとは、匿名的な視線によって醸成される著名性。ルソーとヴォルテールが世界最初のセレブ。セレブは零落の極めてポピュラーな要因
7.
樋口一葉の場合は、生涯を貧窮のままに過ごす。父と兄を相次いで亡くした後の周囲の自分を見る目の変わり方を嘆き、辛辣で懐疑的な眼差しを持つに至る。唯一評価したのが斎藤緑雨。1890年代小説家に最も恐れられていた批評家で、権力者の富裕と傲慢を諫める一方で、貧乏人の卑屈と偽善を嘲笑。正義の虚妄を説き、恋愛の神秘を嘲笑った。緑雨もまた貧困に喘ぎ、36で夭折。2人とも、零落こそが認識への道であると考え、人は落ちぶれることによって世間の虚名から離れ、人間の本質を見極めることが出来るとした
² 神々の流竄(りゅうざん、島流し)
1.
古代ギリシャの文献学者として出発したニーチェは、神々の複数性という問題を深く認識
神々は存在する。しかし唯一の神など存在しない。それでこそ神聖なのではないかと説く
ニーチェが処女作『悲劇の誕生』を著した時夢中になってそれを献呈したリヒャルト・ワーグナーこそは、壮大な規模の混合神話を創造し、その中で「神々の終焉」を崇高に物語った楽劇作者だが、ニーチェも晩年はワーグナーと離反し、狂気の発作の後零落していく
2.
中世全体を通してローマ教会は古代の神々の記憶を抑圧し、それを携えて生きる者たちに激しい抗議と警告を発してきたが、ギリシャ・ローマの神々も随所に生き残っているし、異教世界も偉大なる真理を表象する寓意として存在
3.
ハイネは、ユダヤ人でドイツ生まれだが、きわめて尖鋭な政治意識を持った文学者で、パリの七月革命を知るや、フランスへと自発的に亡命。ドイツではあらゆる著作の発表を禁止され、病苦と孤独のうちに晩年を迎えたが、同じく亡命者のマルクスと親交を結び、革命と共産主義の未来を予言する詩を執筆
4.
ニーチェは、古代ギリシャ世界の没落を論じ、一神教であるキリスト教が多神教の神々を追放し、ために人間は「やましい良心」と禁欲的理想によって支配されるに至ったと説き、神々の流謫(るたく、島流し)を巡ってハイネとの間に深く共鳴し合うものがあった
5.
西洋の神々の流謫の物語が日本の文化芸術に与えた影響としては、柳田國男が、「近代に到って虚言の持つ芸術的効用が衰退し、道徳的偽善ばかりが横行するようになった」と嘆く
6.
柳田に共感を示しつつ、生涯を通して人間の世俗世界の側に帰属しようとしなかった作家泉鏡花に注目。怪異と幻想に魅惑された自分を生涯にわたって肯定し、妖怪を受け入れた
柳田の『遠野物語』(1910)をいち早く賞賛し、「遠野の奇聞」と評価したのが泉鏡花で、柳田が神秘体験などすべて断念し官僚になった時、その挫折したロマン主義的情熱を継承して、怪異幻想小説に結実させ、神々の零落という観念に深く魅惑された
7.
水木しげるは、柳田の『妖怪談義』を熟読することで日本の漫画に一ジャンルを築く
「妖怪とは、零落した神々である」という水木の説は、柳田からきている
² 不死という劫罰
1.
ラブレーは、死者たちの零落ぶりを列挙する。冥界では生前の栄光の一切を剝ぎ取られ、汚穢に塗れながら生き永らえる
2.
ラブレーの描き出した羅列は、西洋の古典文学を見渡すと、こうしたカタログ化による権力者や歴史的英雄の風刺嘲笑は決して珍しい手法ではないと判明する。古代ローマに端を発する文学的様式であり、歴史的に一つのジャンルを構成してきた
冥界で出会った人々と対話を重ねるのは、ヨーロッパ文学の定石ともいうべき主題で、冥界とは地上の生者たちの行為の卑小を批判するために設定された、修辞的空間であり、キリスト教では冥界を地獄という懲罰空間に変えた。ダンテの『神曲』では、地獄という非日常的空間から地上を批判的に眺めるという視座を創造している
3.
古代ギリシャの叙事詩に始まって、ダンテ、ラブレーと、冥界地獄での対話という主題を辿りながらヨーロッパ文学を読んでいくと、この伝統が近代に入って大きな屈曲を体験していることが判明。笑いは無垢であることをやめ、時にひどく攻撃的なものへと変化
スウィフトが匿名で発表した『ガリヴァー旅行記』では、矮小国、巨人国の後の第3の航海は古代中世冥府の変奏で、そこで数多くの死者との邂逅を通し、深い絶望に突き落とされる。人間は時間とともに本質的に零落するという悲観的な世界観が強く説かれる
4.
近代人は古代人よりも衰退した。世界は時代が下がるほどに退廃し、再生の契機を見失ったが、絶望的な状態でも死によって最後の慰めがあったが、その死すら奪われたのが不死
その悲惨さを書いたスウィフトの晩年は、メニエル病が嵩じて意思の疎通が出来なくなり、暴力を振るい、最後3年は完全痴呆で、埋葬後は狂人説確認のため墓所が掘り起こされる
5.
冥界廻りと不死という主題は、現代文学においても定石として認識され、数多くのラディカルな作品を生む。戦後日本文学においても結実。筒井康隆の『日本以外全部沈没』ほか
² わが隣人 シャルリュス
1.
筆者の友人平岡千之モロッコ大使がラオス大使館にいたとき、兄三島由紀夫とラオス国王との面会をアレンジ(1967年)。プルーストの『失われた時を求めて』を好きだという国王に三島が、小説中のどの人物が好きかと尋ねたのに対する答えが「シャルリュス」だった
平岡は、皇太子妃美智子が、アイルランドに親善旅行に向かった際は随行員の一人で、美智子妃にスウィフトについての要約を伝える役を担った
2.
シャルリュス男爵は、主人公を惑わす性の倒錯者
3.
シャルリュスは社交界の花形。主人公は社交界の煩わしさからの逃れるためにシャルリュスとの訣別を決意するが、なかなか離れられない
4.
社交界の人々の性的倒錯が明らかにされ、シャルリュスもそれを隠そうともしなくなる
シャルリュスの没落が決定的なものになる
5.
プルースト(1871~1922)は、最晩年に破局に直面したシャルリュスを通し、人間の零落の極致を描く。悪徳の体現者として描かれるが、特定のモデルはいたのか?
² 世紀末の貴公子たち
1.
モデルはモンテスキュー伯爵(1855~1921、唯美主義者、象徴派詩人、美術収集家、そしてダンディズムの体現者)といわれる
2.
オスカー・ワイルド(1854~1900)は、人気の絶頂期に、死法化していた男色禁止法によって懲役刑に処せられ、ロンドンのメディア界は手のひらを返したように彼を糾弾。出所後は国外に亡命、酒と少年への愛に溺れる中で死去
ワイルドの後半生を見て考えたいのは、栄光の絶頂にあって突然に零落するという生涯を送ったこの作家にあって、そもそも零落という事態が文学的想像力によって強烈に夢見られ、様々な作品を貫く基調音的な主題であったという事実。美と栄光からの転落という主題がいくつかの小説で共通してみられ、道徳的マゾヒズムと自己処罰への憧れ、栄光と幸福を巡る逆説とが語られていることに注目すべき。彼は「自然は芸術を模倣する」という警句によって知られるが、実生活においても、自らが語った虚構物語を模倣する形で零落を遂げた。入牢を免れようとすれば容易に可能だったにもかかわらず、あえてロンドンに留まり獄舎に繋がれることによって真の零落に到達。そこに道徳的マゾヒズムを見る
3.
プルーストとワイルドの交渉史では、1894年晩餐の席をともにしている
若き日のジッドがワイルドとの対話を通して、同性愛と虚言について道徳的影響を受けたようには、プルーストはワイルドから本質的なレッスンを受けたわけではなかったが、『失われた時を求めて』にはワイルドを仄めかす箇所が散見
² メリエスとキートン
1.
映画とは残酷なもの。スターという大衆の欲望を凝縮した存在を人工的に創造するが、ひとたび大衆の匿名的な熱狂の外側に出てしまった時、見事に忘れ去られる。他のいかなるメディアよりも零落という現象を意気揚々と、より残酷に語り得た表象体系なのだ
《スター誕生》(1954、4回製作の2回目、ジュディ・ガーランド主演)
《市民ケーン》(1941)や《紙の花》(1959、インド)
2.
映画人全般を見ても、運命の悪戯に翻弄される例は枚挙に暇がない
世界最初の映画監督ジョルジュ・メリエス(1861~1938)こそその原型。映画を世界最初に制作、興行として成功させるが、映画の進歩について行けず、第1次大戦で破産宣告
3.
無声映画の喜劇王バスター・キートンも、トーキー時代になると突然凋落し銀幕から姿を消したことになっているが、没落神話の真相は?
4. k
映画の世界にはキートンの法則がある。何をやらせても失敗ばかりしている青二才が、最後の最後に絶望的な場所に追い詰められた瞬間、突如として超人的な能力を発揮し、並みいる人々を驚嘆させるような活躍をして、ハッピーエンドに持ち込む物語原理である
同時代のチャップリンのメロドラマにある、人間がこうあって生きてほしいという不可能な願望を一所に集めた人格を表象しているのとは対照的
キートンは、MGMの帝王を怒らせて干され零落するが、より小さな映像メディアで復活
5.
大手から追い出されたキートンが目を付けたのは、ハリウッドと対照的な勃興当時のTV
50年代のキートンは、TVドラマの枠を借りて、自分がいるべき場所にキチンと踏みとどまることが大事だというモラルを実践
キートンの没落を知って心を痛めていた絶頂期のチャップリンは、《ライムライト》(1952)でキートンを自分の相手役に誘う。TVの存在を理解しないチャップリンは、キートンの姿勢がシャンとしていることに驚き、その理由を尋ねる。キートンにとってこの対話は意味深いものだったが、『チャップリン自伝』にその記述はない。チャップリンの政治的発言を苦々しく思っていたアメリカ政府は、彼がこの作品のロンドン・プレミアムのため渡欧した時、アメリカへの再入国を認めず、チャップリンはそのままスイスで亡命生活を送る
キートンは、60年代にも活躍するが、《ライムライト》はチャップリンの最後の作品
6.
《フィルム》(1963)は短篇モノクロ映画。完全無声の作品。中核に、自己の分身と向き合うことの恐怖という主題がある。キートン的宇宙は、本来的に恐怖が不在の世界だったが、ここでは主人公が自分とは何かという問いから逃れ続け、最後に挫折して分身の映像を受け容れる。死の恐怖のあまり、ほとんど死と区別がつかなくなった雰囲気を持つ老人
7.
1965年、カナダの国立映画制作庁が自国を世界に喧伝するための観光映画の作成を企図した際、主演に選んだのがキートンで、題名は《キートンの線路工夫》。全編にわたって、キートンの勝利宣言。さらに新しい仕事に挑戦しようとしながら癌で逝去
² ルイズ・ブルックス(1906~85)の転落と復活
1.
生涯を通してハリウッドに服従を誓わず、豪奢な条件の企画を蹴飛ばし、ベルリンやパリの撮影所で「作家の映画」に出演していた女優。ハリウッドに育てられながら、ハリウッドを怒らせ、半永久的に追放され、晩年は零落
第1次大戦で出征した男性に代わって労働力として駆り出された女性のために考案された髪型のボブヘアを漆黒にして強く印象付けたのがルイズで、旧大陸で活躍
2.
彼女が主演した《パンドラの箱》(1929)は、零落を主題としたベルリンの映画
3.
その後パリに移り、ハリウッドに戻った時は映画が退廃し切った大衆娯楽に堕落し、女優は映画制作者に生殺与奪の権を握られる存在。それに堪えきれずに’39年ハリウッドと訣別。その後はスターの傷ついたプライドが邪魔をして悲惨な晩年となる
4.
ルイズを零落のどん底から救い出したのは書くこと。’49年自伝の執筆を決断、栄光と挫折のすべてを曝け出す積りで、その時は実現しなかったが、'53年には受洗、パリで復活を遂げ、'78年に発表したエッセイでは見事復活に成功した姿を回顧している
² 能の鎮魂
1.
日本的な零落のあり方として、①中世に洗練に達した能楽、②路上の簓者(ささらもの)の賤民芸を出自とし江戸初期に発展した説教節、③映画を取り上げる。これらの根底にあるのは、幼神(おさながみ)の受難、象徴的な死と再生を語る「貴種流離譚」の物語構造
駐日仏大使クローデルの評言、「西洋の演劇では何かが起きる。能では何者かがやってくる」
亡霊と化した魂が、自らの物語を語り、それを舞踏として表現することで、救済の機会を待ち望む。そこに旅人が現れ、亡霊の鎮魂を行い、亡霊は怨恨を解消すると往生を遂げる
2.
小野小町は容色と歌才にとびぬけたが性傲慢で男を寄せ付けず、深草少将を悲恋に陥れ生命を奪うが、高齢になって身は衰亡し、乞食として生き延び、流転の人生を送る
3.
小町ものは謡曲で7曲ある。零落したものが昔日を懐かしみ、未知なる旅人を前に自らの物語を開示するという筋立ては、謡曲では枚挙にいとまがない
4.
《蝉丸》は謎めいた曲。天皇の第4皇子で琵琶法師の職祖
² 貴種流離
1.
「貴種流離譚」は、日本文学が産み出した最も美しい物語の類型で、高貴な生まれだが、不条理な受難を体験し、零落に至るが、神仏の加護を得て見事に転生を遂げ、より崇高な存在へと変身していく。この物語定型を古代的なるものの発現として深く愛し、自らの文学観の根底に置いたのが折口信夫。まずは『源氏物語』の「須磨」「明石」や『竹取物語』
幼神信仰の物語は、「海部」(海に生きる者)によって、宗教的な形で伝承
2.
《安寿と厨子王》は、日本の古典文学芸能の中で「説教節」と呼ばれるジャンルに属する
説教節は、中世の芸能で、各地を放浪して歩く聖、巫女、芸人が民衆に向って聞かせたのが始まり。近江國蝉丸神社を祖神とし全国を歩くが、江戸時代には浄瑠璃に取り込まれた
《山椒大夫》(《安寿と厨子王》はこの子供版)、《小栗判官》などみなこの系譜
3.
折口は、「餓鬼阿弥」に強く拘泥
餓鬼阿弥(がきあみ)とは、小栗判官伝説に登場する、ハンセン病患者の姿をモデルにした、痩せ衰え、耳鼻も欠け落ちた生気のない姿を指し、時宗の僧侶が「阿弥(あみ)」の称号を与え、世捨て人のように「餓鬼」の姿で世を渡ることを意味します。この伝説は、病んだ小栗判官が熊野本宮の湯で蘇生する物語を通じて、病者をも受け入れる慈悲と救済の教えを広めるために、説経節や歌舞伎などで語り継がれました
² 残菊大輪
1.
溝口健二(1898~1956)は生涯を通して人間の業を描いた。阿修羅の如きという表現は彼の人生にこそ相応しい。常に男性の社会的出世欲と栄光への渇望、女性の零落と破滅の物語に囚われて来た
2.
溝口の最高傑作《残菊物語》(原作村松梢風1937,映画化は'39年、文部大臣賞)
菊五郎の養子になった菊之助が、その後生れた菊五郎の実子の乳母と、道ならぬ恋に堕ちて勘当され、大阪に行って名を成した後、乳母が死んで菊五郎の元に戻る
3.
勘当で零落した菊之助が、大阪で成功し東京に戻って名声を回復するが、零落の様子を詳細に描き込んだのが溝口
4.
『伊豆の踊子』も旅役者がわが身の零落を語る筋書き
5.
菊之助が旅回りの途中田舎の芝居小屋で対決したのが、当時縁日の見世物として人気のあった女相撲。そのため芝居小屋を追放され路頭に迷う
6.
日本演劇史上、新派とは歌舞妓の改革運動。昭和期に入って、明治期の歌舞伎界を素材とし、それを新派特有のメロドラマ的想像力で染め上げることで、メタ演劇として仕立てて見せるまでに成熟。《残菊物語》の舞台上演を通して、曲がりなりにも歌舞伎界を外側から眺める視線を獲得する
映画は新派芝居よりもさらに新興であり、それゆえ一段低いジャンルと見做され、観客の社会階層においてもより下層であると認識されたが、それ故やすやすと他ジャンルの上演形態を包摂
『残菊物語』の原作では、主人公の零落はきわめて抽象的な形でしか言及されていないが、溝口のフィルムでは、当時の演劇ジャンルにあって最も下層にあった旅芝居の役者まで身を落とす場面が描かれ、さらに下層の女相撲の一行との対決までが、生々しい形で登場
『残菊物語』は日本映画史において貴種流離譚の最高の表現であり、溝口は戦後さらにその主題を一層残酷に凝縮していく。《西鶴一代女》から《山椒大夫》、遺作の《赤線地帯》まで、映画監督としての情熱の最後の一滴までをも、女性の零落の表象に拘泥し続けた
² 隠岐、黒海
1.
隠岐には至る所に神社がある。後鳥羽院(1180~1239)はここで生涯を終える。流刑のうちに17年余りを過ごした。歴史の遺恨とは無関係に、今は花が咲き乱れる
2.
流謫の身となった詩人がわが身の不遇を詠うというのは、洋の東西を問わず、文学的動機として根源的なもの。本朝でも、小野篁、菅原道真など。こうした不運の詩人たちの神話的原型となったのは、東洋では屈原、西洋ではオウィディウス
『史記』によれば、屈原はBC4~3世紀に楚国で国事に関わっていたが、讒言にあって追放され、汨羅の淵に身を投げるが、官を辞するや詩篇『離騒』を執筆
オウィディウスは、古代ローマの人気詩人だったが、皇帝の怒りを買って黒海沿岸の蛮族の地へと送られ、帰還が叶わないまま10年後に没する。詩とは志を歌い上げるとともに、配所にあって志の挫折を嘆くものであるという真理を、彼ほど体現した詩人もいない
「べきらのふち(汨羅の淵)」とは、中国の戦国時代に愛国詩人・政治家の屈原(くつげん)が、祖国の衰退を嘆き身を投げた川、汨羅江(べきらこう)(中国・湖南省)のほとりの淵(ふち)を指し、端午の節句(柏餅、粽)の由来となった歴史的な場所
オウィディウスは、帝政ローマ時代最初期の詩人の一人。共和政末期に生まれ、アウグストゥス帝治下で平和を享受し繁栄するローマにて詩作を行った。アウグストゥス帝によって黒海の僻地に追放
3.
後鳥羽院は、歴代天皇上皇のなかでも、最も毀誉褒貶の喧しい人物。『愚管抄』や『吾妻鏡』では批判的だったが、死後一世紀経って後醍醐天皇の討幕失敗と北条氏滅亡の後には評価が一変。本居宣長の尊王斥覇の教えに影響された幕末の知識人は、承久の乱を大化の改新と並ぶ「聖挙」と見做し、院を「聖帝」と呼ぶ。戦後は見事忘れられたが、丸谷才一によって再評価の兆が生じたのは'70年代に入ってから
4.
後鳥羽院は、壇ノ浦に沈んだ安徳帝の弟。19歳で譲位後に快楽と芸術の世界に耽溺。熊野参詣に病みつきとなり、琵琶に打ち込み、和歌に開眼。定家に深く魅惑されながらやがて2人は離反。『新古今和歌集』の編纂に打ち込む。平安京の大内裏が焼失し、その修復のための重税賦課が仇となって北条義時との関係が拗れ、承久の乱へと発展
5.
隠岐は貴人の流刑地。後醍醐天皇も2度の倒幕に失敗して隠岐に流されたが、翌年脱出に成功し、尊氏の力を借りて討幕に成功
6.
後鳥羽院の隠岐での楽しみは仏道精進と作歌
帰還の望みが一切断たれていても、自分が歌道において帝王であり、勅撰歌集を巡って最後の言葉を発する権能を手にしていると確信していたのは間違いない
7.
わが身の没落にも拘らず、離島にあって決して誇りを失うことはなかった
8.
後鳥羽院は、死の直前に遺言書を書く。年号が変わっていたにもかかわらず、旧来の元号で日付を付している。時間の秩序から排除されたまま孤独な死を迎えた
9.
敗北した権力者が、隠岐の島で17年余り生き延びた事実は、三島由紀夫の美学にそぐわない。日本が敗戦を迎えて間もなく、坂口安吾は『堕落論』を発表、日本人は国が敗れたから堕ちるのではなく、人間であるから堕ちるのであって、さらにもっと徹底して堕ちなければならないと説く。虚脱状態にあった少なからぬ日本人は、この安吾の逆説的言辞を、新しい倫理的認識を呼び掛けたものとして受け入れる。安吾はたちまちのうちに時の人となり、多忙と薬物摂取の果てに急逝
三島は、作家としての全重量を賭けて零落という観念を拒絶し、それを蛇蝎の如く嫌悪してきた
² 乱
一方に西鶴の世話物から蒲原有明、永井荷風、矢野目源一、太宰治、久生十蘭まで、好んで零落した者たちに眼差しを向け続けた作家たちがいて、もう一方に戦後の没落華族を描いた一連の劇映画がある。零落者のリストはどこまでも続く
蒲原 有明(1875-1952年)は、詩人。東京生まれ。平河小学校(現・千代田区立麹町小学校)、東京府尋常中学校(現・都立日比谷高校)を卒業し、第一高等中学校(のちの一高)を受験したが失敗。
D・G・ロセッティに傾倒し、複雑な語彙やリズムを駆使した象徴派詩人として、『独絃哀歌』『春鳥集』『有明集』などを発表。薄田泣菫と併称され、北原白秋、三木露風らに影響を与えた
矢野目 源一(1896-1970)は、詩人、作家、翻訳家。陸軍中将矢野目孫一の長男として東京に生まれる。慶應義塾大学仏文科卒。フランソワ・ヴィヨンの詩に現れる娼婦の詩を「玉造小町」になぞらえて「兜屋小町」として訳出し、鈴木信太郎に絶賛された。1920年詩集『光の処女』を刊行する。慶大では奥野信太郎と同期で、戦後は艶笑小噺などを書いたほか、ハウザー式と称する健康法などの講演・執筆活動を行い、奇人とされている
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天界の神々、文武に長けた皇帝、社交界の貴公子から、ハリウッド映画の女優まで、名誉と栄光を欲しいがまま生きた者たちは、なぜにかくも見捨てられ、忘れられ、悲惨な終末を遂げるのか。
文学、演劇、映画を横断し、人間存在の本質に宿る〈零落〉を論じる長編エッセイ。
『磨滅の賦』、『愚行の賦』に続く三部作、ここに完結!
2023.10.03 『文學界』2023年10月号 コラム・エッセイ
零落の賦
よしや うらぶれて異土の乞食(かたゐ)となるとても 犀星
1
一九七〇年代も半ばを過ぎたころのことだった。学位論文を執筆するため映画にも芝居にも出かけず、髪も髭も伸ばしっぱなしで、昼も夜も部屋に閉じこもり、案前に積み上げた英語の書物を相手に唸っていた時分のことである。
もうすぐロンドンに行くからちょっと出てこないと、元同級生の女性がわたしを誘った。親には一週間で帰るっていってあるのだけど、本当のことをいうと、もう二度と帰るつもりはないのよという。わたしは彼女に会いに、久しぶりに外出した。待ち合わせの場所は神田にある某画廊。知り合いでちょっと面白い絵描きさんが個展を開くから、そこで落ち合おうという段取りになった。
画廊は神田の駅から大通りを南に少し歩き、しばらくして路地を左に曲がり、高速道路を越したところにあった。現代美術には疎い学生には見当もつかなかったが、その筋では著名な人物の経営する画廊らしい。建物の一階、倉庫のように薄暗い廊下を突き抜けると、何やら賑やかな気配がしている。ヴェルニサージュの日だというので、大勢の人が詰めかけている。すっと入って行くと、何も頼んでいないのにワインが出た。約束をした元同級生はこちらの知らない西洋人たちと愉しそうに談笑している。こりゃいいわとワインのお代わりをしているうちに、自然の欲求が身を擡げてきた。
ふたたび薄暗い廊下に戻り、人気のない階段のわきを抜ける。用を足して明るい場所に帰ってくると、どことなく海象を思わせる巨体の画廊主と目が合った。初対面なので挨拶をしたところ、彼はぶっきら棒な口調で話しかけてきた。あそこに婆あがいただろう。気が付いたかい。
そういえば誰か人がいて、トイレを掃除していた。女性にしては大柄だなあとは思ったが、別に気にも留めていなかった。
知ってるか。あれは長谷川泰子といって、もうずっと前からここでトイレ掃除をしている婆あなんだ。
長谷川町子なら知っている。『サザエさん』の漫画家だ。だけど長谷川泰子? 誰だったかなあ。
何だ、長谷川泰子も知らないのか。近頃の学生さんは文学を読まないのかね。教えてやるよ。昔、中原中也と小林秀雄を手玉に取った女だよ。
わたしは一瞬、聞き間違えたのかと思った。中也は好きだ。小林秀雄は読みかけたが、何だかわからないうちに放り出してしまった。憶えているのは「女は俺の成熟する場所だった」という名文句だけだ。
そう、それだよ。その成熟する場所の女が、もう二十年近くこのビルで掃除婦をやってるんだ。驚いたかね。
わたしは慌てて、戻って来たばかりの廊下へと引き返した。トイレにはもう誰もいなかった。
しかし、そんな文学史に記憶されるような女性が、どうして選りによってこんなところでトイレ掃除をしているのだろう。しかも二十年近くにわたって。だって天下の美女だといわれた人じゃなかったのか。
ふと小野小町のことが連想された。美人で歌を詠むにあたっては才気煥発、貴族の男たちの尽きせぬ憧れの的であった小町は、年老いてすっかり落ちぶれてしまったという。長生きはしたものの往年の美貌は見る影もなく、死んで死骸が腐乱し散逸するまでが、世の無常を示す絵画として遺されている。晩年の小町の本当のところについては確かめる術がない。とはいえ、そうした伝説が語り継がれてきたことの道徳思想的な意味は、理解できなくはない。それは西洋中世の師父たちがいくどとなく説いたように、現世の肉体の美と虚栄のはかなさである。
話はそれで終わりである。わたしを誘った女友だちは、その言葉通り、ロンドンに渡ると日本に戻ることはなかった。彼女は彼の地でパンクロックのバンドを結成し、イギリスのTV局で最初のレギュラー番組をもった日本人となった。
長谷川泰子は一九〇四年、広島に生まれ、十九歳のときに女優を志して上京した。関東大震災の後に京都に移り、マキノ映画制作所に入社。そこで中学三年生の中原中也と出逢った。二人は同棲を始め、やがて手を取り合って東京に移る。泰子は中也を捨て小林秀雄のもとに走り、極度の潔癖症に陥ってしまう。彼らは転々と住まいを変え、疲れ切った小林は奈良へ出奔。泰子は中也と再会したり、松竹蒲田で映画に出演をしたりするうちに、「グレタ・ガルボに似た女性」コンテストでみごとに優勝。青山二郎の紹介で、京橋や銀座の酒場に勤めるようになる。中也が三十歳で夭折したとき、彼女は富裕な実業家と結婚して田園調布の豪邸にいた。かつての恋人の名を不朽にしたいという思いから夫を説き伏せ、中原中也賞を設立し、第一回の受賞者は立原道造である。
だが栄華の時期はそこまでである。長谷川泰子は戦後離婚し、世界救世教に入ってその本部にしばらく滞在した後、東京に戻ってビルの管理人となった。一九七四年七十歳になったときには、『ゆきてかへらぬ 中原中也との愛』という自伝を口述し刊行している。わたしが神田の画廊のトイレで見かけたのは、その四年後のことである。彼女はその後も生きて、一九九三年、湯河原の老人ホームで八十八年の生涯を閉じた。
自伝に掲載されている写真を見ると、斜め向こうをきっと睨みつけている視線が印象的な美人である。いかにも激しそうな性格のように見えるが、写真だけで人格を判断するのは軽率だろう。とはいうものの、本人が気に入り、わざわざ自著に掲げたのであるから、やはりこの映像に彼女は在りし日の自分の、理想とすべき自我を投影していたのだろう。グレタ・ガルボの向こうを張ってやろうという意志と誇りの強さが、そこからは感じられる。
長谷川泰子との接近遭遇からだいぶ経って、わたしは『眠れ蜜』(一九七六)という映画に彼女が出演していることを知った。後に中原中也全集を編集することになる詩人、佐々木幹郎が若き日に脚本を担当し、岩佐寿弥が監督したフィルムである。そのなかで長谷川泰子は遠き日に体験した恋愛を振り返り、フランス語でシャンソンを歌っている。かつて小林秀雄の親友ではあったが、やはり彼に離反された青山二郎といっしょに伊豆の海を見つめ、誰もいない舞台でステップを踏んでみせる。頭巾のように黒布を頭に巻きつけたその姿は、女子修道院の老院長といった雰囲気がしなくもない。
わたしの印象に残ったのは、彼女が過去の人生を熟考したあげくに吐いた、数々の言葉だった。彼女は無人の舞台に椅子を出して坐り、独り語りを始めた。背景には「グレタ・ガルボに似た女性」コンテストに応募したときの写真が、大きく引き伸ばされて展示されていた。小林に去られた夜のことは、下駄の足音が聞こえてまた帰って来ると思っていたのに、夜明けまで帰ってこなかったと語る。彼女はそのときの心境を、あたかもメロドラマの一場面であるかのように淀みなく語った。人生が頂点を極めた瞬間のひとつだった。
長谷川泰子はこの話を、たぶんもし求められれば人に語って聞かせていたのだろうし、彼女にあえて会おうとする者は、誰もがこの手の話を期待していたはずである。わたしは『歴史は女で作られる』というフィルムを思い出した。オフュルスの手になるこのフィルムの主人公、ローラ・モンテスは、諸国を渡り歩いて男性遍歴を重ねたあげく、最後にはすっかり落ちぶれてしまい、自分の悪名高い物語をどさ回りの見世物芝居にして演じるまでになる。またこれはちょっと極端な例だから不用意に並べるのはどうかと思わなくもないが、大島渚の『愛のコリーダ』(一九七六)で有名な阿部定も同様だった。彼女は獄舎から出ると、戦後は全国を廻り、「阿部定ショー」なる舞台でみずからを演じ続けた。
零落した女性は生涯の終りまで、自分の過去の栄光を繰り返し語る。かつ演じる。彼女たちはそれを期待されているのだ。考えようによっては、これは残酷なことではないだろうか。
ヴェルレーヌは書いている。
君、過ぎし日に何をかなせし。
君今こゝに唯だ嘆く。
語れや、君、そもわかき折
なにをかなせし。
(永井荷風訳「偶成」)
『眠れ蜜』に登場したとき、長谷川泰子は七十二歳だった。わたしが神田のトイレですれ違う二年ほど前のことである。映像を観てわたしは、女性にしては大柄な人という印象が間違っていなかったことを確認した。
一瞬であったとはいえ、長谷川泰子をその人と知らず見てしまったという体験は、後々までわたしに奇妙な残滓として残った。長きにわたって画廊のあるビルの掃除を生業としていること自体が人間にとって零落だといいたいわけではない。とはいえ大正という年号が昭和に切り替わる時期の日本文学にあって、後にもっとも重要な存在だと見なされることになる詩人と批評家の間に立ち、彼らに文学的霊感を与えて余りあった女性が、戦後になって誰にも知られることなく、モップとバケツを手にビルの薄暗い廊下を歩いているという光景は、何か適当な文学理論さえ発見できれば文学作品の分析など容易にできるはずだと高を括って学位論文の執筆に勤しんでいた当時のわたしには理解を絶したものであった。「祝祭」やら「異化作用」といった当時の流行語、小林秀雄の『モオツァルト』の言葉を借りるならば、「自分でもよく意味のわからぬやくざな言葉」で頭がいっぱいになっていたわたしがかろうじて到達できたのは、「零落」という言葉だけだった。だが零落とは何か。それを思考することは、無限の宇宙に眼差しを寄せることよりも困難なように思われた。わたしがこの観念に真に到達するには、さらに長い時間が必要だったのである。
2
零落とは何か。人はいかにして零落し、その零落を生きるのだろうか。
高みにあって衆人の注目を浴びているとき、人の姿は容易に確かめることができる。誰もが彼について、彼女について語っている。どこで何をしたか。誰と会ったか。何を書き、どのような行動をとったか。その一挙一動が伝えられ、噂され、毀誉褒貶の話題となる。
とはいうものの、ひとたび栄光の玉座から失墜してしまったとき、その姿はたちまち見えなくなってしまう。どこで何をしているのか、誰も知らない。いや、知っていても知らないふりをしたり、曖昧に口を濁らせたりする。
その人物が高みにあったとき、人々はその姿を正確に見ていたのだろうか。実はそのときでもよく目を凝らしてみると、微かにではあるがすでに失墜の予兆が認められていたのではなかったか。だが誰もそれに気が付かなかった。いや、より正確にいうならば、認めようとはしなかった。本人もまた例外ではない。いつまでもこうして絶頂を極めていることはできまい。破局が接近して来る気配は確かにあったのだ。ただそれを正面から認識することに、なぜか心が向かなかっただけなのだ。とはいえ不吉な予兆はやがて無視しがたいばかりに巨大となり、脅威の存在と化して行く。どうすればいいのか。
零落が開始される。零落は恐るべき速度で彼を、また彼女を蝕み……。誰もが去っていく。つい今しがたまで、あれほど親し気に付き合い、心を許し合ったはずの者たちが、示し合わせたかのように姿を見せなくなってしまう。いったい何が起こったのか、誰も何も説明してくれない。彼は、そして彼女はこうして置き去りにされていく。忘れ去られていく。
そういえば……と、あるとき誰かが想い出そうとするのだが、切れ切れの噂が声を殺して、かそけく伝えられるばかりだ。驚いたよ、あんな場所であおうとはね。最初見たときはわからないくらい変わっていた。まさか、まだ生きているとは思ってもみなかったなあ。
どんな気がする
どんな気がする
自分だけになってしまい
帰り道もなくなって
もう誰にも知られていない
石が転がっていくのと同じだなんて
ボブ・ディラン
枯葉のように風に飛ばされ、わたしの手元に吹き寄せられてくる、切れ切れの噂。
今から半世紀前に国民的人気を博していた女性アイドルが、その後忘れられ、経済的苦境に追い込まれてしまう。彼女は起死回生を狙ってスクリーンで裸になったり、ヌード写真集を刊行したりするが、一度失ってしまった大衆の関心を引くことは二度とできない。インタヴューで知るかぎり、彼女は現在高齢者施設に住み、生活保護を受ける身である。施設の滞在費はかつてのファンクラブの面々が分担して払っているが、彼女の浪費癖はいっこうに止むことがない。
ノーベル文学賞候補になった小説家が自作自演した短編映画で、割腹自殺する夫を見取り、みずからも自刃して死ぬという大役を演じた女優が、出演体験のあまりの壮絶さと崇高さにそれ以後、女優をやめてしまう。しばらくは服飾誌のモデルをしていたが、精神の均衡を崩して入退院を繰り返し、最後には新宿歌舞伎町のピンク・キャバレーでフロアに登ると、乳房も露わに踊るまでに落ちぶれる。源氏名は「アグネス・ラム」であった(岡山典弘『三島由紀夫外伝』、彩流社)。
かつては横綱にまで上り詰めた力士が、暴力事件を引き起こして相撲部屋から逃走する。鳴り物入りで悪役レスラーとしてデビューしたものの、ほどなくして追放処分。総合格闘技へと移るが、ここでは負け戦となる。糖尿病に苦しみ、医師からは両膝下切断を提案されたが拒否。見る影もなく痩せ衰えて死を迎える(樋口毅宏「失われた東京を求めて」六十九回「『横綱』は金看板か足枷か」『散歩の達人』二〇二二年三月号)。
いったいこうした風評は、どこまでが真実でどこまでが虚偽であるのか。人は眉を顰めながら、こっそりと醜聞を語り合う。ねえ、お聞きになって。ちょっと信じられない話ですけど、あのスワンさんがご結婚なさる相手の方って……。ピエル・パオロがどうして故郷を捨ててローマに出てきたかですって? あの方が大学であんなに立派な地位にまで上り詰めたのに息子さんに自殺されたのには、ここではちょっといえないようなわけがありましてね……。そう、どこまでが真実の話なのか。誰もが真剣に耳を傾ける。いや、傾けるといったふりをする。というのも、すべてがまったくどうでもいい話だからだ。とはいえ人々は熱中して耳を傾けている。わたしたちは関係ない。わたしたちには考えられない。そうやって肩を窄めてみせるだけの理由から、誰もが夢中になって話している。
3
だが……と、わたしはいまだに逡巡している。はたして自分は零落について書くことができるのだろうかと。わたしはまだ零落について何も知らないのだ。
何年か前に、わたしは愚行について一冊の書物を書いた。それは自分の愚行に気付いたことが原因だった。「愚行というのはどうも苦手だ」(ポール・ヴァレリー)。わたしはこれまで自分がいつか愚行を犯してしまうのではないかという恐怖の念に取り憑かれて生きてきたのだが、そうした観念がそもそも愚行に他ならないという事実に思い当たったのである。だが愚行と零落とはまったく違う。人はまだ充分に失墜していないときにかぎって、自分がいつ失墜するのだろうかという不安に襲われるものだからだ。
わたしはまだ零落を体験したことがない。破産して路頭に迷うこともなかったし、政治的受難によって、「査証なき惑星」として亡命の途に就いたこともない。凶悪な冤罪事件に巻き込まれ、知人友人のいっさいに見捨てられるという体験もないし、アルコールや薬物、新宗教に耽溺して家庭を崩壊させたこともない。息子に同性愛者だと告白されて、思わず手を上げてしまったということもない。わたしほど旧約のヨブから遠いところにいる人間もいないのかもしれない。そう、わたしとは冒険も勇気も欠いた、人生の凡庸さそのものである。
思うに零落をするために人が必要としているのは、ひとたび栄光の頂点に立ち、栄華の巷を睥睨するといった体験ではないだろうか。高みに立たないかぎり、人は低所に赴くことはできない。とはいえわたしのこれまでの道のりはひどく平板であり、道筋が微かに歪んでいたり、わずかばかりの坂の傾きがあったとしても、全体としてはきわめて凡庸なものだ。わたしは若くして突然の脚光を浴びるといった幸運とは無縁であったし、思いがけない恩寵に恵まれて名声の頂点に立ったという思い出もない。わが身の低落を嘆くにはすべてにおいて卑小で退屈な人生を生きてきた。いったいそのような人間に、零落を語る資格があるのだろうか。
だが、それにしても……と、わたしはふたたび留保の口調に戻る。それならばわたしはどうしてこれまで零落してきた人々に心魅かれてきたのだろうか。どうして失意と窮乏の果てに世を身罷った者たちのことが気になってしかたがなく、何年もかけて資料を蒐集し、彼らの評伝を執筆してきたのだろうか。
この二十年の間にわたしは三人の人物について、作品論を含んだ評伝を書いている。内田吐夢と大泉黒石、それに由良君美である。わたしは若い時分からずっと彼らの晩年が気になって仕方がなかった。
内田は戦前戦後を通し、日本映画界においてもっとも偉大な映画監督の一人だった。戦前には悲惨な農村の現実を描いた意欲作で高く評価され、戦時下では国策的な歴史大作を手掛けた。戦後には仏教的な無常観の漂う時代劇を次々と発表し、日本映画監督協会の重鎮として活動した。とはいうものの映画産業が斜陽となり大掛かりな映画制作が困難となったとき、彼は製作会社と喧嘩をし、監督の機会を奪われ、引退を強いられた。京都の邸宅を引き払い、小田原に四畳半一間の部屋を借りると、海岸を散歩して流木や小石を拾い、細工物を拵えるだけが愉しみという、倹しい生活となった。いくたびか監督として復帰する話が出かけたが、そのたびに立ち消えとなった。それでも最後に一本を撮る企画が実現し、癌に蝕まれながら撮り終えた。逝去したとき銀行預金はなく、二千円あまりの現金が遺されていただけだった。
わたしが評伝を執筆した二人目の人物、大泉黒石は、さらに悲惨な晩年を過ごした。彼はロシアの外交官と旧士族の娘との間に生まれ、亡父の遺産のおかげで、幼少時からモスクワやパリを転々として学業を修めた。混血児ゆえにどこへ赴こうとも奇異の目で見られたが、奇抜なる人生体験を得意の饒舌体で記すことで大正時代の文壇に輝かしく出現した。古代中国の哲学者を主人公とした小説がベストセラーとなり、異国情緒と怪奇趣味の混じった短編小説が話題を呼んだ。ドイツ表現派映画の向こうを張り、若き溝口健二と組んで日本でも同様の実験映画を試みた。とはいうものの彼は虚言癖が災いし、著名作家たちの妬みもあって文壇を追放されてしまった。自嘲的に小説の筆を折り、戦時下の日本にあって窮乏生活を強いられた。戦後は進駐軍の通訳となり、もっぱら富裕層の住居の接収と補償の交渉を担当した。世間からは完全に忘れ去られたまま、米軍基地横流しのウイスキーに耽溺し、六十四歳で生涯を終えた。
わたしがその零落の記をものした三番目の人物、由良君美は、大泉黒石の愛読者であり、その全集の編纂者であった。彼は西脇順三郎門下の秀才としてロマン主義を専攻し、若き日に英文学者として目覚ましい活躍を見せた。哲学、美術、日本文学について博識を誇り、東京大学で教鞭を執りつつ、文化ジャーナリズムにあって名声を得た。だが煩雑なる女性関係とアルコール依存症に苦しみ、しだいに奇矯な言動が目立つようになった。大学の研究室と精神病院とを往復する日々のなかで友人たちに見捨てられ、弟子たちに愛想尽かしされた。大学を去ると、六十一歳で逝去。彼はわたしの大学と大学院時代の指導教官であった。わたしは傷ましい思いを抱きながら、彼の晩年の荒廃を『先生とわたし』という書物に記した。
内田吐夢、大泉黒石、由良君美。彼らはいずれも晩年に到って深い零落に陥った芸術家である。三人の生と作品について論じながら、わたしは老いたる彼らに襲いかかった不運と絶望の深さに同情せざるをえなかった。映画界にあって、また文学界に、アカデミズムにあって、彼らはいずれも若き日に栄光を享受した。斬新な手法と主題で注目され、衆人の期待を集めた俊英であった。
内田吐夢は『土』で一九三九年の『キネマ旬報』ベストワンに選出され、戦後も『大菩薩峠』三部作、『宮本武蔵』五部作といった大作を堂々と完成させた。日本映画の黄金時代を満喫したといっても過言ではない。それが一転して世捨て人同然の生活へと転落してしまう。乃木大将の伝記映画を監督してから死にたいという望みは、結局実現できないままになった。
大泉黒石は幼くしてトルストイの薫陶を受けるという、大正教養人なら誰もが羨むような体験をエッセーに記すことから文筆業に入った。西洋の数か国語に通じ、博識と奇想に裏打ちされたその作品は、洛陽の紙価を充分に高めた。だが凋落の後には、戦時下の食糧難解決のために野草料理のレシピ本を執筆して糊口を凌いだ。彼は老子哲学に倣った「黒石」という筆名を用いることを恥じ、それを無名の本名のもとに刊行した。
由良君美は戦後の日本英文学会では一大権威であったT・S・エリオットを、その根底にある文化観において批判し、コールリッジに範を得て、イギリス詩学とドイツ哲学、ロマン主義とマニエリスムを統合的に理解することを提唱した。だが鬱病とアルコール依存症によって頭脳の明晰を失い、多くの研究計画を放棄したまま逝去した。
溢れんばかりの才能をもちながらも、こうして不幸な晩年を強いられた者たちは、最後にどのような言葉を遺したのか。彼らははたして自分の人生を悔いていたのか。自分をきれいに忘れ去った世界を憎んでいたのか。それともすべては時間の虚しい過ぎ行きにすぎないという境地に達し、わが身の凋落を達観して眺めるまでに到っていたのか。わたしに書くことを促したのは、こうした問いであった。
(書評)『零落の賦』 四方田犬彦〈著〉
2025年10月11日 朝日新聞
■落差の経験から見えてくる世界
一世を風靡していた者が些細なきっかけで転落し、見向きもされなくなって人生を終える。どの世界にもそんな凋落の物語が転がっている。どうして転落してしまったのか? 転落した後には復権を願っていたのか? あるいは達観していたのか? そして、なぜ人はそのような他人の零落に魅せられるのだろうか? 「他人の不幸は蜜の味」というわけだけでもないだろう。
本書で著者は、その該博な知識によって、古今東西の文学や映画、古典芸能を零落という切り口から解剖する。取り上げられる人々の一端だけを紹介しても、樋口一葉、ニーチェ、柳田國男、泉鏡花、オスカー・ワイルド、ジョルジュ・メリエス、バスター・キートン、ルイズ・ブルックス、後鳥羽院と実に幅広い。その者たちの作品が論じられることもあれば、その者たち自身の凋落が語られることもある。神々の零落すら分析される。これだけ話が広がると、ともすれば脈絡が無くなりそうなものだが、その縦横無尽な展開が不思議と心地よい。酒場に誘われて次第に酩酊してゆくような気分だ。
救済不可能な零落もあれば、新境地を切り開く契機となる零落もある。日本文学には、高貴な者が零落を経験することで、霊験によって崇高な存在へと転生するという「貴種流離譚(きしゅりゅうりたん)」という類型があることを恥ずかしながら知らなかった。溝口健二の『残菊物語』を最高の「貴種流離譚」として論じる章は圧巻である。
著者の多方面にわたる交流から知りえた挿話の数々も、本書に千夜一夜物語の趣を添えている。やがて再教育キャンプに送られて末路を迎えることになる最後のラオス国王が、三島由紀夫とプルーストの『失われた時を求めて』を巡って語り合ったという逸話は心に沁みた(著者が親しかった三島の実弟が、当時、ラオス大使館に勤めていた)。
現代のアテンション・エコノミー(人々の注意を奪い合うことが目的となった経済)は毀誉褒貶を激しくする一方で、零落を受け入れがたいものとして規範づけてしまっているように感じる。落差の経験からしか見えない世界がある。落ちぶれることで虚名から解放されてこそ、静謐な創造性が育まれることもあると思うのだが。零落は全ての存在にとって根源的であるにもかかわらず、それを直視しようとしない社会は画竜点睛を欠いているのではないだろうか。そこでは、零落を拒むために自裁するという選択肢しか残されていないようにさえ思う。人間は本質的に零落を生きなければならない。そうだとすれば、本書ほど示唆に富む一冊はない。
評・酒井正(法政大学教授・労働経済学)
*
『零落の賦』 四方田犬彦〈著〉 作品社 3740円
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よもた・いぬひこ 53年生まれ。批評家、比較文化学者。著書に『映画史への招待』『モロッコ流謫(るたく)』『ルイス・ブニュエル』など。本書は『摩滅の賦』『愚行の賦』に続く三部作の完結編。
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