ヒナギクのお茶の場合 多和田葉子 2025.12.7.
2025.12.7. ヒナギクのお茶の場合 海に落とした名前
著者 多和田葉子 1960・3・23~。小説家、詩人。東京生まれ。早稲田大学第一文学部卒業、チューリッヒ大学博士課程修了。1982年よりドイツに住み、日本語・ドイツ語両言語で小説を書く。91年、「かかとを失くして」で群像新人文学賞受賞。93年、「犬婿入り」で芥川賞受賞。96年、ドイツ語での文学活動に対しシャミッソー文学賞を授与される。2000年、「ヒナギクのお茶の場合」で泉鏡花文学賞を受賞。同年、ドイツの永住権を取得。03年、「容疑者の夜行列車」で伊藤整文学賞及び谷崎潤一郎賞を受賞。05年、ゲーテ・メダル受賞。09年、早稲田大学坪内逍遙大賞受賞。11年、「尼僧とキューピッドの弓」で紫式部文学賞、「雪の練習生」で野間文芸賞、12年、「雲をつかむ話」で読売文学賞及び芸術選奨文部科学大臣賞を受賞。16年、クライスト賞受賞。18年、英訳版「献灯使」で全米図書賞を受賞。20年、朝日賞を受賞
発行日 2020.8.6. 第1刷発行 2020.10.9. 第3刷発行
発行所 講談社 (文芸文庫)
初出
底本 『ヒナギクのお茶の場合』 2000年3月 新潮社刊
枕木 『新潮』1999年1月号
雲を拾う女 『新潮』1995年10月号
ヒナギクのお茶の場合 『新潮』1996年11月号
あやめびと/むかしびと/わたりびと/ほかひびと 『朝日新聞』1999年9月
所有者のパスワード 『新潮』2000年1月号
底本 『海に落とした名前』 2006年11月 新潮社刊
時差 『新潮』2006年1月号
U.S.+S.R. 極東欧のサウナ 『新潮』2005年10月号
土木計画 『新潮』2004年6月号
海に落とした名前(「レシート」改題) 『新潮』2006年9月号
『所有者のパスワード』が、川本三郎著『荷風の昭和』前篇#28に引用されている
『ヒナギクのお茶の場合』
² 枕木
電車に乗っていると、どうして電車なんかに乗っているのだろうと思ってしまう。
小説家というのは、いつも列車の窓から外の景色を無責任に眺めながら、あれこれ考えている人間のことかなあ
どうやら枕木というものはその上に頭を置いて眠り込んでしまうためにあるのではなく、夢から夢へと渡って行くためにあるらしい
² 雲を拾う女
5月のある日、アイスクリーム屋の前で、ひときわ優雅な純白のハイヒールを履いた女が、急に立ち止まり腰をかがめて、そこに落ちていたパリパリに乾ききった灰色に汚れたフランスパンのかけらを拾い上げたのを見る
² ヒナギクのお茶の場合
ハンナのために、わたしは使用済みのティーバッグを集める。紅茶を入れる時にはティーバッグは使わないので、ウィキョウのお茶とヒナギクのお茶のティーバッグを集める
ハンナは舞台美術が専門で、私の書いた戯曲がベルリンで上演された時、舞台を作った
ハンナは舞台装置に使う紙を染めるのにペパーミント茶の色を必要とし、そのために際限なく茶を飲み、出がらしのティーバッグを集めた。自分の部屋で一心に紙を染めながら、初演3日前に自殺未遂
² 目星の花ちろめいて
F あやめびと
本屋の店番をしていると、通りのそそめきも引いてひととき余白の時が来る。そこに恐ろし気なる男が飛び込んできて、棚のショーペンハウエルを取って贈答用の包装を頼んだまま財布を取りに行くと言って店を出たまま帰ってこない。1年後に不審者から手紙が来る。刑務所からで、1年前のことがきっかけで哲学書を読むようになったといい、一度面会に来て欲しいとあった。留置所には毎日、見知らぬ女性たちから山のように恋文が届くものらしく、なかには面会に来るのもいて、終身刑を受けている男に結婚してほしいと懇願する女性も多い、ということを知る。幽閉された殺人犯はこよなき恋人
「そそめき」は、風で草木が揺れるかすかな音や、人の気配・ざわめきを表す言葉で、古語の「そそめく(そそめき-)」が名詞化したもの
F むかしびと
日本から輸入した機械が故障して技師が来て修理しているが、日本語しか話せないので通訳が必要という。専門用語は分からないと言って断ったが、日常会話が通じないというので仕方なく引き受け、謝礼も貰ったが、翌日になって日本から本物の技師が到着したという。この複雑不可思議な事情を所有者と警察、保険会社に説明するのに通訳が必要ですぐ来て欲しいという話
F わたりびと
ユダヤ関係のテーマを扱った学会で受け付けのアルバイト。警戒厳重の中招待状も身分証明もない男が現れ、扱いに困っていると、仲間の助手の知り合いと分かる。1年後にその助手にあって、あの時の男はどうしたと聞いたら、ベルリン一の軽業師で、博士論文の代筆で暮らしているという。暫くしてその男の写真が新聞に載り、ハンガリーを代表する亡命詩人、飛行機事故で夭折とある。この経歴も作り話かもしれない
F ほかひびと
家具の輸出会社でアルバイトしている時の話。課長が鰐の子を欲しい人はいないかと言い、いつの間にか鰐を飼うことになったが、突然無断欠勤して解雇。数カ月後、地下鉄駅で女の乞食が鰐の歌を歌っていた。よく見ると女装した課長だった
² 所有者のパスワード
暇さえあれば本を読んでいる女子高生。すぐ読み終わるので小遣いが持たず、もっと長持ちする本はないかと探し当てたのが題名の漢字4字の内1字しか知っている字がない本。書き出しが「活動写真を見たことがない」とあるが、活動写真というのは何のことかわからない。立ち読みして興味を覚えるが、刺激がはっきりとした映像を結ばないままに体の中でムズムズと動き出す。買って帰って読み直す。題名はボクトーキタンと読むのだろうか。ホンキートンクのようでなかなか洒落た題名だと思った
霧のかかった山道を手探りで歩いて進むように我慢して読み進んでいくと、雨が降り出して、主人公の傘の下に、見知らぬ女が入って来た
エキゾチックな世界で、接吻ひとつしない恋愛、難しい漢字ばかり増えて、「張交」は「はりまぜ」とふりがながふってある
筋のよく理解できない話の途中で、急に珍しい漢字に出会って、身体がかっと熱くなる、その感覚にとりつかれ、すぐに次の本が欲しくなった
本を買う金に困ったという話をしていたら、服や装身具を買う金に困っている友人からいいアルバイトを紹介され、男に会うと3万円くれたが、コンピューターオタクで気味悪く逃げ出した夜道で、「私娼窟」の3つの漢字がネオンのように頭の中に浮かび上がった
『海に落とした名前』
² 時差
ベルリンとニューヨークと東京にいる男友達3人の話
² U.S.+S.R. 極東欧のサウナ
サハリンに向かう船の中で乗客がロシア語混りの会話をしているのを耳にして、早大露文科の私は羨ましく思い、ソ連のアフガニスタン侵攻で、西側諸国がモスクワ・オリンピックをボイコットしたことを思い出す
サハリンを歩く
² 土木計画
35階建てビルのてっぺんの事務所の女性社長の飼いネコの話
² 海に落とした名前(「レシート」改題)
機内で黄色い救命用チョッキを身に着ける。飛行機は急降下した後海に着水。非常口が開いて、荷物を持たずに外に出ろとの指示。救命ゴムボートに乗って上陸
ショックから記憶が飛び、病院で検査。持っていたレシートから記憶を呼び戻そうとするが、とうとう記憶は戻らず
作者から文庫読者のみなさんへ 多和田葉子
小説家としてデビューして数年経った頃、年齢でいえば30代。不思議なことを言葉に置き換えているうちに、頭の中に詰まっているこんがらかった雑多なものが糸になってどんどん外に出て行って気持ちよかった。うまく1本の糸になって出てくるものだけを書いて、糸が切れるまで紡いで、そうして書き上げたテキストを短編小説と読んでいた。テキスタイルとテキストは語源的に繋がっているので、テキストが糸であってもおかしくはない
「不思議」の元の形である「不可思議」は、「怪しい」「いぶかしい」などと比べると結構仰々しい。何處か怪しい、いぶかしく思われてしまう人というのは、社会から少しはみ出した人、カテゴリーに当てはまらない人かもしれない。そういうどこか「ちぐはぐ」なところのある人を見ると、私はその人の後をつけて見たくなる。透明人間になって他人を観察出来たらどんなに楽しいだろう、と『雲を拾う女』を書いた頃の私は時々思った
似た題名の『雲をつかむ話』という小説を15年以上たってから書いたが、その冒頭の同じエピソードが『あやめびと』で語られる。実際に体験した事実でも、違う時期に違う文体で書くと、全く別の話のように感じられる。
不思議な人を見かけるとついていきたくなると書いたが、不思議な人と偶々友達になれればしめたもの。『ヒナギクのお茶の場合』のハンナは、ある友達をモデルにしている。頭の中で構成を考えるとどうしても小説の土台が単純になってしまうので、街を歩きながら、目に入る無数のシーン、耳に入る無数の情報、出逢っては別れる無数の人々の中からとりあえず気になる部分を拾って描いていくと、意外な「かたち」が現れてくる
1982年からドイツで暮らしているが、日本から送られてくる文芸誌や新刊書で、家の中は日本語でいっぱいだが、どういうわけか、内田百閒などの日本語の方が平成の日本語よりしっくりくる。「大正時代の雰囲気がある」として泉鏡花賞を受賞、いよいよ作家としての自分が江戸時代が忘れられず、明治に反発しながら大正の空気を楽しむ辺りに位置されているような気がしてきた。平成人に大正と呼ばれると、「時代遅れ」ではなく立派な幽霊
東欧とドイツにしか関心のなかった私が、アメリカに頻繁に行くようになり、インターネットを使い始めて、ベルリン・ニューヨーク・東京が同時に繋がるようになった。「時差」は時間のずれを指すが、今ここにいる自分と自分がそもそもズレているという感覚が強まっていった。性差以上に時差や文化差にエロスを感じることもある
国際的イベントに頻繁に参加するようになったのは昭和が終わったころから。空の移動の頻度が増すと、雲の上のどこでもない場所で過ごす時間が増え、自分が誰なのか分からなくなってくる。『海に落とした名前』は私の脳の構造を語る物語。私は固有名詞を記憶するのは不得意だが、物語をどこまでも紡いでいく中で、過去の記憶の細部まで詳しく再現することが出来る
『所有者のパスワード』という用語を教えてくれたのはパソコン操作の解説書。新しい世界をどうにか翻訳して取り入れようとしたのに違和感が残ってしまった感じがあって面白い用語だと思う。ネット関係で最近毎日使わざるを得なくなった言葉が「ストリーミング」、それにメインストリームをかけた「メン・ストリーミング」という造語が面白い。男性が世界はこうなっているのだと一方的に説明し、女性は常に聞き手にまわるというジェンダーの構図を表現している
1980年代、ヨーロッパ内のフライトが高かったので、列車の移動が多かった。私が人生で通過した枕木の数はどのくらいだろう。「枕木」という言葉には「枕」が入っている。夜行列車で寝ている間に国境を越えてしまうあの軽やかさに、国境でいつ逮捕されるか分からない時代の記憶の重さが重なる。当時の短編を読み返していて意外なのは、妊娠のイメージが頻繁に出てくること。「枕木」の枕には眠りとは別の意味合いもあったようだ。枕を人と交わせば次の世代が生まれてくる家族小説になる可能性も含まれているが、この小説は小説イコール家族小説ではない、ということをしきりに言っている。若い女性が鬼をさらってその頭をシャンプーする。ドイツ語には「ある人の頭を洗う」という慣用句があり、「こちらの意見をはっきり言って相手の(間違った)考え方を改めさせる」の意。洗脳ではなく啓蒙。鬼の頭には角というファロス(灯台)が生えていて、シャンプーしたくらいでは角はとれないが、女性蔑視の考え方を洗い流すくらいのことは出来たのではないか
解説 世界中の読者が何かを語りたがっている 木村朗子(日本文学者)
² ヨーロッパの列車は国境をまたぐ
かつては、国境をまたぐたびに、どんな夜中でもパスポートコントロールがあった。検札というより、入国審査のためで、突然犯罪者枠に突き落とされる危険もあった
厳しいコントロール下の'82年にハンブルクに渡った多和田のその頃を記憶する肌感覚は、いかにグローバル化が進もうと境界を越えることを決して楽観視はしてこなかったし、この感覚は、最新作に至るまで多和田の小説に潜在恐怖のようにして繰り返し描かれる
『枕木』はそうした潜在恐怖の極みのような作品
『U.S.+S.R. 極東欧のサウナ』でも、初めてパスポート審査を経験した話やニューヨークでの不快な記憶を思い起こす
列車内での経験の描写と同時に、主人公が繰り返す抗弁から見えてくるのは、社会の女性に対する抗い
² クイア文学あるいは文学としてのクイア
『枕木』で主人公が「それは誤解だ」と抗弁したのは、女性主人公と女性車掌との裸の関係
クイアとは、性的マイノリティ全般を示す総称であると同時に、如何なる範疇にも属さない名づけ得ぬ欲望を指すが、多和田文学のクイア性とは後者の「名づけ得ぬ欲望」を描くことにある。『時差』では3人の男性同士の恋愛模様を描き、『雲を拾う女』ではゲイ男性と偽装結婚している女性が出て来る
多和田文学は、クアイな欲望を描いているだけでなく、文体のクイア化とでもいう方法によって、同一性を揺るがす、クイアな文学なのだ。「多和田の、言葉たちの間の、全てが誤訳であり、全ての言葉が外国語である目眩する空間でものを書こうとする執拗さと能力とが、彼女の作品をとてもクイアなものにする。先ずそのクイアさとは、内容よりも形態に関係するもので、読むことと書くことの一種の実践を指している」ともいわれる
本書の短編群は、様々な書き方が試された文体の実験場のよう
2019年暮、アメリカで多和田葉子文学論集刊行。世界中の研究者が多和田文学について論じている。読んでいると心がざわつくのに、それがいったい何だったのか、掴もうとするとすり抜けていく。多和田作品を読んでいると、何かを語りたくなってくるのはそういう訳なのかもしれない
新潮社 ホームページ
緑の髪の舞台美術家ハンナと小説家のわたし。ティーバッグを絆に結ばれた女ふたりの交友を描き、えもいわれぬ可笑しみを湛えた表題作ほか、恋愛小説ぐるいの少女が《ボクトーキタン》を追体験する「所有者のパスワード」など全八篇。覚醒した《日本語》が火花を散らし、日常と異界の境を揺るがすスリリングな短篇集。
講談社 ホームページ
いま最もノーベル文学賞に近い日本人作家の一人といわれる多和田葉子。その魅力のエッセンスが詰まった短篇集『ヒナギクのお茶の場合』『海に落とした名前』を初文庫化。
「女には無理」と断られた照明係の仕事を、重いコードを毎日百回引きずって獲得したパンクな舞台美術家と作家の交流を描く「ヒナギクのお茶の場合」(泉鏡花文学賞)、飛行機事故に遭い名前も記憶も失った「わたし」が、ポケットに残るレシートの束を手掛かりに自分を探す「海に落とした名前」、男性三人の遠距離恋愛のずれを描く「時差」など、言葉とユーモアで境を超える全米図書賞作家の傑作9篇。
Wikipedia
多和田 葉子(たわだ ようこ、英語: Yoko Tawada、1960年〈昭和35年〉3月23日[1] - )は、日本の小説家、詩人。
ドイツに住み、日本語・独語で小説を執筆。日本語作品では『かかとを失くして』で群像新人文学賞、『犬婿入り』(1993年)で芥川賞を受賞。ほかに『球形時間』(2002年)、『雲をつかむ話』(2012年)、『献灯使』(2014年)など。日本芸術院会員。
略歴
東京都中野区生まれ[2]。父は東京・神保町のエルベ洋書店を経営する多和田栄治[3]。国立市で育つ[4]。東京都立立川高等学校[5]、早稲田大学第一文学部ロシア文学科卒業[6]。西ドイツ・ハンブルクの書籍取次会社に入社し、ハンブルク大学大学院の修士課程を修了[1]。1982年から2006年までハンブルク、2006年よりベルリン在住[7]。1987年、ドイツにて2か国語の詩集を出版してデビュー[8]。2001年、ドイツの永住権を取得。チューリッヒ大学大学院博士課程修了。博士号(ドイツ文学)を取得[9]。著作はドイツ語でも20冊以上出版されており、フランス語、英語、イタリア語、スペイン語、中国語、韓国語、ロシア語、スウェーデン語、ノルウェー語、デンマーク語、オランダ語などの翻訳も出ている[10]。ドイツの作曲家イザベル・ムンドリー[11]、オーストリアの作曲家ペーター・アブリンガー[12]とのコラボレーションでも知られる。ごく近年では村上春樹に次いでノーベル文学賞候補の一人としてヨーロッパのブックメーカーで名前が挙げられる作家である。2023年のドイツの日めくりカレンダーにも登場している[13]。
受賞歴
- 1991年 第34回群像新人文学賞(『かかとを失くして』)[14]
- 1993年 第108回芥川龍之介賞(『犬婿入り』)[15]
- 1996年 シャミッソー文学賞(ドイツ)[16]
- 2000年 第28回泉鏡花文学賞(『ヒナギクのお茶の場合』)[17]
- 2002年 第12回Bunkamuraドゥマゴ文学賞(『球形時間』)[18]
- 2003年 第14回伊藤整文学賞(『容疑者の夜行列車』)[19]
- 2003年 第38回谷崎潤一郎賞(『容疑者の夜行列車』)[20]
- 2005年 ゲーテ・メダル(ドイツ)[21]
- 2009年 第2回早稲田大学坪内逍遙大賞[22]
- 2011年 第21回紫式部文学賞(『尼僧とキューピッドの弓』)[23]
- 2011年 第64回野間文芸賞(『雪の練習生』)[24]
- 2013年 第64回読売文学賞(『雲をつかむ話』)[25]
- 2013年 芸術選奨文部科学大臣賞(『雲をつかむ話』)[26]
- 2016年 クライスト賞(ドイツ)[27]
- 2018年 国際交流基金賞[28]
- 2018年 全米図書賞翻訳部門(『献灯使』)[29]
- 2020年 2019年度朝日賞[30]
- 2020年 紫綬褒章[31][32][33]
- 2022年 ロンドン大学東洋アフリカ研究学院名誉博士号(イギリス)
- 2023年 第77回毎日出版文化賞(『太陽諸島』)
- 2023年 Prix Fragonard de littérature
étrangère(フランス)
- 2024年 第80回日本芸術院賞・恩賜賞
- 2025年 ネリー・ザックス賞[34]
コメント
コメントを投稿