スーザン・ソンタグ  波戸岡景太  2024.2.9.

 92024.2.9. スーザン・ソンタグ 「脆さ」にあらがう思想

 

著者 波戸岡景太 1977年神奈川県生まれ。専門はアメリカ文学・文化。博士(文学、慶應大)。現在明大教授

 

発行日           2023.10.22. 第1刷発行     

発行所           集英社 (集英社新書)

 

カバー袖裏

反解釈・反写真・反隠喩で戦争やジェンダーといった多岐にわたる事象を喝破した、批評家スーザン・ソンタグ。あらゆる脆さにあらがう、その「カッコよさ」は、しかし生誕から90年を迎え、忘れかけられている

本書は、『「キャンプ」についてのノート』で60年代アメリカの若きカリスマとなったデビューから、「9.11事件」への発言で強烈なバッシングの対象になった晩年までの生涯とともに、ソンタグという知性がなぜ読者を挑発し続けるのかを鮮やかに描き出す。自身のマイノリティ性や病にあらがい到達した思想の本質とは

 

 

はじめに

現代の様々な問題に対し、「不安」が節操をなくして拡散し続ける現代社会をどう読むべきなのか、その知的方法論がソンタグの著作の中に語り尽くされている

ソンタグとは、現代アメリカ社会を代表する知識人の1人。写真や映画など映像文化に造詣が深く、ジェンダーやセクシュアリティの問題にも敏感で、結核やがんといった病のイメージにも熱心な議論をし、ベトナム戦以後ずっと社会問題に反応し政治的な発言を続けた

作家、批評家、映画監督、活動家などの肩書を持つが、自身の輝かしい学歴に背を向け、刺激的な内容を絶妙な文章に磨き上げ、メディアを利用しても決してメディアに踊らされることのなかった人は珍しい

死後20年、世界的な再評価の高まりとは裏腹に、日本ではその名を耳にすることが減ってきたようだが、類稀なる知性と文才をもって生まれたソンタグ自身の、若者から成熟した大人へと変わる精神的成長の記録とでもいうべき著作群は、混迷を深めていくばかりの世界と対峙しなければならない私たちにとって、明日を生き抜くための最高のツールとなるはず

本書のサブタイトルについて:

ソンタグの仕事を再評価する上での最も注目すべきは、「脆さ」=ヴァルネラビリティに対する彼女の思想だろう。今日、ヴァルネラビリティという概念は、人権や支援のあり方を考えるうえでも欠かせないし、自己啓発書などでも、相手の信頼を得るために自らのヴァルネラビリティをさらけ出すことが推奨されたりもする。写真論を筆頭とするソンタグの文化批評は、その中心いつでも「脆さ」についての思想があり、その着想と実践は、現在でも十二分に斬新

一方的で権力的な解釈行為にあらがうソンタグは、いわゆる「逆張り」的な主張をしていると誤解されがちだが、ソンタグにとっての「あらがい」とは、自らの知的対象物に対する慎重さの表明でもある。本書を通じて、ソンタグの挑発する知性とあらがいの思想が、厳しく慈愛に満ちたものであることに気付けば幸い

 

第1章      誰がソンタグを叩くのか

l  知性とバッシング

生前後を通じ、誤解と偏見を一身に受けざるを得なかった知識人

l  知識人ソンタグの履歴

20代半ば、離婚して1人息子とニューヨークに戻ってから、批評家/作家として快進撃開始

『反解釈』(1966)、『写真論』(1977)、『隠喩としての病』(1978)など、他の追随を許さない明晰さとアクロバティクな論法を発揮した批評書で一世を風靡、他方『夢の賜物』(1963)、『イン・アメリカ』(1999)へと至る純文学作品で健筆を振るい、さらには、ベトナム戦下のハノイや、ボスニア紛争下のサラエボを訪れるなど、行動する書き手としても長く活躍

l  意見製造機への苛立ち

晩年、「物書きたるもの、意見製造機opinion machineになってはならない」と言って、場当たり的な意見を流布させるだけの文化人に対して苛立ちを隠さず、自らは現場を訪れ、自らの発言に責任を持とうと努めた

自らの政治的態度に付随するまっとうさと、そうしたものにあらがおうとする文筆家としてのまっとうさ、複数化される正義と倫理の狭間で紡ぎ出されたソンタグの言葉は刺激的

マシンガンのように繰り出される挑発的な意見とアイディアは、マスメディアを介して単純化されることが少なくなく、一たびアメリカそのものに対するパッシングであると見做されるや、世間はソンタグのオピニオンリーダーとしての資質を疑い、物書きとしての資質にすらも否定的な評価を浴びせた

l  生身の人間としてのテロリスト

彼女へのバッシングのピークは、死の3年前で、9.11の直後の『ニューヨーカー』での発言

「もし仮に「臆病」という言葉を使うのであれば、他人を殺すために自らの死を厭わない人間に対してではなく、報復の及ばぬ高みから殺害を行う人々に対しての方が相応しいと言えるのではないだろうか」

「報復の及ばぬ高みから殺害を行う」国家の暴挙を、あたかも「生身の人間」の行為であるかのように見做して批判するソンタグ流のアメリカ・バッシングは、もう一方の側のテロリストの勇気を称賛しているかのようにも解釈され、結果アメリカ国内ではかつてないほどのソンタグ・バッシングが巻き起こったが、その後も物書きとしての限界と責任に向き合い続けた

l  伝説の舞台裏へ

ソンタグ・バッシングは、死後も形を変えて復活し、激化する

一方で、「知性」の部分だけが抜き取られ、元の文脈とは無関係に引用され、拡散している

本書が語ってみたいのは、知性とバッシングの交錯のあわいで何を考え、どのような人生の指針を打ち立てて来たのか、その「挑発する知性」の成り立ちについてである

 

第2章      「キャンプ」と利己的な批評家

l  脆さと苦痛を考える

機械と人間といった二項対立は、ソンタグの批評活動においても重要な意味を持つ

ソンタグが生涯かけて探求してきたテーマは、人間存在が抱える「脆さ」と、それが表出する際に身体と精神を襲う「苦痛(pain, suffering)」で、それは機械と人間という二項対立が揺らぎを見せる場所ではっきり観察されるものだからこそ、メディア空間を生きる私たちの「生」を論じてきた

l  カッコいい、だから叩かれる

ソンタグへの非難は、戦場で実際に命の危険に向き合わなきゃ物を書いてはだめとか、闘病中の姿をパートナーの写真家に撮影させ続けたとか、なんでそんなことを? というもの

ソンタグのような高度な知性が低俗なバッシングの対象になるのは、自信ありげな佇まいや、隙がないのにアクロバティックな文体が、どうしようもなく「カッコいい」からだ

l  ヒップな文化の「やんちゃな甥っ子」

60年代のアメリカで「カッコいい」とされてものはめまぐるしく変わったが、そのなかでも後世にまで影響を与えたのはヒップ(クール)“と呼ばれたポップ、ロック、フォーク、ドラッグと、「ヒップのやんちゃな甥っ子」と呼ばれたキャンプ(あまりに不自然・時代遅れだったりしたためにおもしろいと見做される事柄のこと)

ポップの代表がウォーホル、ロックではヴェルヴェット・アンダーグラウンド、フォークではボブ・ディラン、ドラッグではアンダーグラウンドの《ヘロイン》など

l  「カッコ悪い」から「カッコいい」を発見する感性

ソンタグが1964年発表した論考『《キャンプ》についてのノート』は世界中の知的な若者たちをしびれさせた――未だ名づけられていないものが、《キャンプ》の感性、ハイ・カルチャー的な感性ばかりが洗練ではなく、この発見は極めて解放的なものになるだろうと予言

ソンタグ自身、強く惹かれてはいるが、同時に反発も感じているもので、キャンプ趣味というのは、「価値判断の流儀ではなく、享受し鑑賞する際の流儀」だとする

l  教科書化するキャンプ

キャンプ趣味は性的マイノリティの文化、中でもクイア文化と深い関わりを持つ

クィア(Queer)とは、LGBTに当てはまらない性的マイノリティや、性的マイノリティを広範的に包括する概念。もともと英語で「不思議な」「風変わりな」「奇妙な」という意味を持つ語である。かつて男女以外の性自認や異性愛以外の恋愛に理解がなかった時代に、同性愛者への蔑称として使われていたが、現在では性的マイノリティ当事者が、ポジティブな意味で用いることが増えている。性的マイノリティについて述べるとき、LGBTQ+などといわれることがあるが、この「Q」はクエスチョニング(Questioning)またはクィアを指す。なお、クエスチョニングとは性自認・性的指向が定まっていなかったり決めていないこと。

l  キャンプを裏切る

キャンプについて批評すること自体、キャンプそのものに対する「裏切り」だと自ら認めながらも、自己啓発を目的とするものであって、自己の感性に内在するする鋭い葛藤に突き動かされたことだから許されると断じる

l  「反」=「アゲインスト」は利己的である

ソンタグは、日本語圏でも「カッコいい」批評家/作家として認知され続けているが、日本における「カッコいい」感じは、知的な「趣味のよさ」と結びついていたので、死後のネット上には彼女の仕事を貶めるスキャンダルやゴシップが溢れかえり「カッコ悪さ」が高まる

ベンジャミン・モーザーの評伝『ソンタグ――その生涯と仕事』の刊行(2019)と同書のピュリッツァー賞受賞により評価が高まる

ソンタグの「カッコよさ」は、キャンプ的なるものを裏切るという戦略的な「カッコ悪さ」によって打ち立てられた。だからこそ、彼女の「カッコよさはいつでも、あの「反」という訳語に込められた対抗的な批評的態度によって象徴されてきた。批評書デビュー作『反解釈』で言おうとしたのも、「既存の解釈にあらがう新しい解釈」の提示である

既存の価値観を捨てて新しい世代に奉仕する、というのがソンタグの「カッコよさ」ではなく、たとえ新世代の価値観であっても「私」以外の人間のものであるならば「私」がそれをジャッジして新たな解釈を施してみせるという、まさしく「利己的」な批評活動こそが、ソンタグその人の魅力なのだ

 

第3章      ソンタグの生涯はどのように語られるべきか

l  これからのソンタグの話をしよう

『《キャンプ》についてのノート』は、大衆文化の中に見出された特殊な美を意味する言葉「キャンプ」を巡る文化批評。高尚と低俗な文化を峻別する当時の知識人に大きな衝撃を与える

次いで、『夢の賜物』(1963)と『死の装束』(1967)という前衛的で濃密な長編小説を発表

さらに、批評集『反解釈』(1966)は異例のベストセラーとなり、アメリカを代表する知識人に

行動する知識人でもあり、68年には戦時下のベトナムを訪問、エッセイ『ハノイへの旅』をまとめ、さらに93年には戦地のサラエボに滞在し、現地の役者と共に現代劇を上演

映像の世界でも活躍、映画《食人種のためのデュエット》(69)、《ブラザー・カール》(71)を監督

1974年、ステージ4の乳がん宣告、『隠喩としての病い』を書き、奇跡的な回復の後、白いメッシュのような前髪にした特別なヘアスタイルでメディアに再登場

198789年、アメリカ・ペンクラブ会長

1992年、歴史小説『火山に恋して』、2000年には長篇小説『イン・アメリカ』で全米図書賞

2001年、9.11から日をおかずして、テロリストに対する非難に先んじて、イラクへの爆撃を止めない合衆国への率直な批判を書く

l  評価を二分するソンタグ像

l  「才女」とは誰か?

批評家ソンタグのデビューした1966年のアメリカでは、後にアメリカ最大のフェミニスト団体となる全米女性組織NOW誕生し、サンフランシスコではトランスジェンダー差別への反発が暴動になったコンプトンズ・カフェテリアの反乱が起こった

『反解釈』の論旨は、「意味も知らないし、解釈もしない、感じちゃえ、触っちゃえ、見ろ、聞け」ということで、それまで権威だとされていた言説を否定し、若者文化の現場から声を上げるという、反体制的な姿勢を示すもの

ソンタグを論じる上で重要になる要素は3つ――「ラディカル」「ユダヤ人」「才女」

ただし、60年代に彼女をイメージした「ラディカルな才女」というタイトルは外す

l  ソンタグのアフォリズム(警句/箴言)

ソンタグの批評はいずれも、緊張感を孕んだ断定的かつ挑発的な口調を保ちつつ、想定される多くの異論に対して執拗かつ多角的に自らの主張を展開していくのが特徴であり、「才女」にイメージする「みずみずしさ」「しなやかさ」「爽やかさ」とは必ずしも一致しないが、それらは彼女が絶妙なタイミングで繰り出すアフォリズムに対する感覚だったのだろう

かくしてモーザーも、「不屈の思想家、社会にコミットする市民、パワフルな女性」といったポジティブな評価と、「性的倒錯者、知性の崩壊の徴候、アメリカの裏切り者」というネガティブな評価(というよりも誹謗中傷)の両方のバランスを取るような評伝を書いた

ソンタグの仕事と生涯はどのような関係性の下に語られるべきか? 次章では、そのための重要な概念となるヴァルネラビリティについて迫る

 

第4章      暴かれるソンタグの過去

l  漱石を読むソンタグ

日本文学にも強い関心を抱いていたソンタグは、漱石について「世界文学のヨーロッパ中心主義が周縁に追いやってきた天才作家」としているが、欧米における男性中心主義によって周縁に追いやられた我が身を重ね合わせていただろうことは想像に難くない

l  翻訳としての解釈

写真と動画と活字によって徹底的に情報化され、逸話化され、結果として産み落とされた「モンスター」としてのソンタグ像は、批評家としての彼女の評価を高めると同時に、それを貶めるゴシップやスキャンダルの源泉としても流用されてきた

ソンタグは『反解釈』の中で、「解釈の仕事とは、実質的に翻訳の仕事なのである」という

l  ソンタグの中のヴァルネラブルな子ども

70年代の終わりにソンタグは自らのモンスター性をやんわり拒絶するようなコメントを残している。「有名人はいつだって、自分は本当はヴァルネラブルな小さな子どもだと言いたがる」、ここでいうヴァルネラブルとは、「脆弱性」というより、誰かに依存している存在を指す

常に正論を吐く強い女性、といったソンタグのイメージは、死後ますます強まった

l  他者の「脆さ」に関与すること

写真を撮ることは、他の誰かが抱える死すべき運命、ヴァルネラビリティ、移ろいやすさといったものに関与すること、とソンタグは書く

l  ()誠実な鑑賞者

若いころからテレビ嫌いを公言してきたソンタグだが、一方で批評界でもシネフィル(映画愛好家)として有名。テレビは、無秩序に流れる映像だから嫌う

 

第5章      「写真論」とヴァルネラビリティ

l  写真にあらがう

全米批評家協会賞を受賞した『写真論On Photography』には、被写体のヴァルネラビリティへの関与がある――交通事故の現場に居合わせたとき、不介入で写真を撮るか、救助という形で事故に介入するか

l  惨劇と絶滅を撮ること

カメラは、他者のヴァルネラビリティへの関与を止めない、それ自体が暴力と密接なつながりを持つという意味では、銃と等価とされる――環境保護の名のもとに撮られた写真であっても、それを批評的に考察する場合には、対象のヴァルネラビリティに対する撮影者側の「関与」の姿勢もまた徹底的に問われなければならない

l  プラトンの洞窟で

プラトンが『国家』で書いた比喩――洞窟で何も見ないで育ってきた子どもたちに、外の世界の光=善を見られるように促すことが教育であり、教育を得たものが再び闇=惨めな人間界に戻るのは責務だとし、その際の苦悩を説いた

l  批評家ソンタグの「暗順応」

明るい戸外から真っ暗な劇場に入ると、暫くは何も見えないが、やがて目が慣れてくることを「暗順応」という。これを比喩として、教育を受けた者が再び俗世に戻る際の苦悩を説いたプラトンに対し、ソンタグは文字の世界の明るさに慣れた彼女が、写真によって表現される世界の「暗さ」に改めて目を眩まされるさまを記録したのが『写真論』

l  ダイアン・アーバスの暗いアメリカ

ソンタグは現代アメリカにおいて、ウォーホル(192787)と写真家アーバス(192371)を検証すべきと考える。アーバスは孤高の写真家で、現代の洞窟たる「暗いアメリカ」を写し出した作品のトーンは暗く、不穏なものばかり、彼女の自殺によって一層人々の印象に残る

 

第6章      意志の強さとファシストの美学

l  「意志」の両義性

「愚か者たちの村、その名はアメリカ」と痛烈に批判するソンタグの起点にある「意志」に魅了されるが、それこそがソンタグの思想のバックボーン

l  「意志の勝利」を断罪する

1965年にソンタグは、レニ・リーフェンシュタールの監督作品《意志の勝利》と《オリンピア》を、ナチのプロパガンダを超えた、知性と気品と官能の複雑な動きを投影した作品と評価しながら、74年には論考『ファシズムの魅力』で、《意志の勝利》のような作品を弁護することに意味のある時代は終わったと告げる。曰く、「趣味とは文脈であり、文脈は変化してしまった」

l  ファシストの美学

リーフェンシュタールの仕事を、文脈の変化という観点から全面的に批判した論考『ファシズムの魅力』は、アフリカのヌバ族を撮影した写真集(73年刊行)でも、「肉体的な技術と勇気を誇示し、強者が弱者を打ち負かすことが共同体を結束させるシンボルとなる社会」を嬉々として撮影する態度を、「ナチス映画の着想から何ら変わっていない」といって断罪する

l  三島由紀夫とバタイユの美学

さらに、三島の『仮面の告白』(1949)や『太陽と鉄』(1968)をファシズムのエロス化の一例として挙げながらも、「人を虜にする熱烈な態度表明」として評価。三島が死の直前篠山に撮影させた「聖セバスチャンの殉教」に模した写真は、フランスの思想家ジョルジュ・バタイユに啓発されて身につけたという死に隣接したところから漂うエロティシズムの発露ゆえにソンタグを魅了したが、2003年の『他者の苦痛へのまなざし』では、同じバタイユの写真に言及しつつ、バタイユがその写真に見出したのは宗教的な高揚感に近いものであって、そのような苦痛を崇高なものへと結びつけるような感性は、現代人にはどうしようもなく時代錯誤と断定

l  大真面目なことを大真面目に

1970年代にあって、ソンタグが三島の「美」を評価した理屈は、三島のファシスト的意匠が、徹頭徹尾ファシズムをパロディ化する同時代の戯れと、性質を異にしていたところにあり、「不真面目なことを大真面目に」といったキャンプ趣味を称揚したソンタグは、時を経て、「大真面目なことを大真面目に」といった三島の過剰な美学を評価するに至る

 

第7章      反隠喩は言葉狩りだったのか

l  ヴァルネラビリティを安易に語らないための準備

ソンタグ自身、すでに『反解釈』で、「解釈は世界を貧しくし、消耗させる」とし、「悪意ある解釈の垂れ流しが私たちの感受性を汚染する」と警鐘を鳴らす。「世界」を「ソンタグ」に置き換えれば自己防衛ともとれる

自らのがんに際し『隠喩としての病い』を書いて言いたかったのも、「がんは隠喩だ」と主張するためではなく、むしろ「がんは隠喩ではない」ことを立証し、「がん」という病名から連想されるあらゆる悪しきイメージの、その根拠のなさを暴露することにあった。つまり、『隠喩としての病い』とは、「がん」という表現そのものの脅威に晒された現実の患者たちを励まし、奮い立たせ、彼らを現実的な治療に向かわせることを目的としたソンタグ流の「言葉狩り」といえる

l  隠喩のコレクション

「がんは生物としてのエネルギーの萎縮であり希望の放棄である」「フロイトのがんは性生活上の不満によるものだ」「中国のがん(4人組のこと)」など、いずれも現実の「がん」とは無関係であり、イメージの精度においても杜撰なものばかりだが、こうした隠喩の集積が常識となり、医師の診断をも左右するようになった挙げ句、患者にとっても悪影響を及ぼす

すべての思考は解釈だが、ときとして解釈にあらがうこともあっていい

l  大江健三郎に向けた「反隠喩」

1999年、ソンタグは大江との往復書簡で、大江の「この国に柔らかなファシズムの網がかけられる時」といったのに対し、自らの「反隠喩」の姿勢を説明して、「現実を隠喩として語るほとんどの実例に対しもっと懐疑的になるべき。ファシズムは現在隠喩になったと思うが、私は隠喩として、あるいは厳密さを欠いた形では使いたくない」

それを聞いた内田樹は、「私たちは知性を計算するとき、その人が自分の知っていることをどれくらい疑っているか、自分が見たものをどれくらい信じていないか、自分の善意に紛れ込んでいる欲望をどれくらい意識化できるか、を基準にして判断する。その基準に照らすと、ソンタグの知性はかなり低いと断じてかまわない。だがそれはソンタグ1人の責任ではない」といったが、その批判自体、ソンタグの知性はかなり高いという大前提が共有されている

l  利己と利他と9.11

「がん」や「ファシズム」など不正確なイメージを流布するようになった言葉に対し、ソンタグは「言葉狩り」ともいえる主張をしたが、それはあくまでも、テクストの外で苦しむ人々を救うために、「反隠喩」という解釈行為を試みたという事実を忘れてはならず、それもまた彼女なりのやんわりとした「優しい」批評の実践だった。利己的であることと利他的であることが表裏一体となったソンタグの批評の大前提は「正義」だが、「正義」自体についても疑ってかかることを忘れていない。良き市民としての役割に対し授賞しても、そうした役割には不信感を抱く

ソンタグが9.11でアメリカ政府を批判した一文も、ソンタグにとっては、テロリストを臆病者と見做したがるアメリカ人の劣等感が、「害をなすばかりか独我論の一形態」のように思えていたのであり、そのように自らの負い目を直視しようとするソンタグの批評は、なにをおいても、現実に死にゆく他者を思うがゆえに実践されるべきものだった

l  ソンタグの二重のフラストレーション

ソンタグは、たとえ自国に敵対する者であっても、死にゆく他者への敬意を忘れることはなかったが、死者たちは生きている者達に露ほども関心を抱いてはいないという感慨にも浸る

そこにはソンタグを苛み続ける二重のフラストレーションの存在が読み取れる

1つは、写真というものに見られる困った特質で、道義的な熱狂を煽りながらも政治的にはある種の思考停止をもたらすこと。もう1つは、世の中の矛盾に特権的な知識人として臨むことの欺瞞

 

第8章      ソンタグの肖像と履歴

l  『人間失格』とベンヤミンの写真

太宰の『人間失格』が主人公の時間の「残酷」な経過を示す3枚の写真から始めたのとよく似た導入方法で、ソンタグもドイツの批評家ヴァルター・ベンヤミン論を書く

l  「女性」が被写体になるとき

肖像写真のようなビジュアル素材がメディアで使用されるのは、その外観こそが当人の内面を写し出しているとの解釈を鑑賞者に促すためだが、女性の場合は「魅力的」であることを保証されて配置されるし、紹介文があれば読み手の「常識的な判断」を当てにしたイメージ補正が期待される

l  「夫」フィリップ・リーフとの生活

ソンタグは、17歳のシカゴ大学生の時出会った講師とすぐに結婚する

2人の間のエピソードが事実であったとしても、私たちが問うべきは、その並べ方にある

l  研究者としてのキャリア

1962年、出版社と称せる出版の契約を結び、翌年小説刊行、64年にはコロンビア大を辞職

l  「強さ」の解釈にあらがう

年表を編み、それが読み解かれる際の偏見を、私たちはどうすれば拭い去れるのだろうか

「耐える強さ」と「行動する強さ」の対比は、ソンタグのどの履歴を採用するかによって、解釈を大きく変える

 

第9章      「ソンタグの苦痛」へのまなざし

l  ある写真家の人生

妊娠中のデミ・ムーアが腹部を抱えているヌード写真を発表したアニー・リーボヴィッツは、晩年のソンタグのパートナー。ソンタグの晩年の闘病する姿を写真に遺す

「写真を撮ることは、他の誰かが抱える死すべき運命、ヴァルネラビリティ、移ろいやすさといったものに関与すること」といったソンタグの仕事は、ここにいたってパートナーとの「2人の仕事」に結実

l  ソンタグの1人芝居?

だが、リーボヴィッツの撮った最晩年のソンタグの写真はスキャンダル以外のなにものでもなかった。かつてソンタグが、自殺した写真家ダイアン・アーバスを多層的に批評したことを顧みると、当時のソンタグは瀕死のソンタグを撮る今のリーボヴィッツだともいえる

l  ハラスメント疑惑と隠喩

晩年の2人の関係は円満とはいえなかった。リーボヴィッツは生活の面倒を見ながら、ソンタグから「頭が悪い」など言葉による攻撃を受けていた

l  息子デイヴィッドの「ケアラーの経験」

デイヴィッドも『回想録』で、晩年のケアラーとしての体験を綴る

l  反比喩、ふたたび

デイヴィッドとアニー、2人の内面を、私たちは決して、隠喩によって結びつけることだけはしてはならない。それぞれ独自のヴァルネラビリティによるものであり、ソンタグの苦痛に向けられた近親者たちの眼差し、その類似性と相違点を指摘することは重要かもしれないが、その大いなる前提として、2つのテクストが互いに「反隠喩」的な関係のうちに成り立っていることを忘れてはならない

 

第10章   故人のセクシュアリティとは何か

l  追悼文への苦言

『ニューヨーク・タイムズ』と『ロサンゼルス・タイムズ』は、ソンタグの訃報を1面で取り上げ、詳細な記事を掲載したが、女性関係については言及しなかった。それを批判したジャーナリストのパトリック・ムーアは、ソンタグがセクシュアルな存在としての自己イメージを戦略的に利用してきただけでなく、同性愛者としての交友関係が彼女の著作に多大な影響を与えているとして、ソンタグのセクシュアリティを紹介すべきだったと主張

l  「大きなお世話ですよ!

2005年、日本で開催された追悼シンポジウムで浅田彰が、新聞の追悼文を例にソンタグの生涯を語ることの難しさを論じ、ソンタグのセクシュアリティを限定的に語る(どれかに決めつける)ことについては、「大きなお世話」だと非難

l  「好色」という隠喩

ソンタグの文章において、セクシュアリティと肉欲はほとんど交換可能なものとして書かれているが、これらはいずれも個人に完全に委ねられるべきものとされる。好色な目つきでどんな写真を見つめようと、それ自体が性差別を増長しているのだとはソンタグも決して非難しない。ただ、性差別が前提となっているこの社会において、「好色な目つき」は偽装に過ぎないことをソンタグは問題視する。「好色」という言葉が「男尊女卑な態度」の隠喩であり続けている限り、被写体の純然たるセクシュアリティが写真に表現されることはないと彼女は主張

l  鑑賞者の側のセクシュアリティ

写真に向き合う人間の「欲望」について、ソンタグは扇情的なポルノグラフィックな写真と、戦争をテーマとするような人道的な報道写真の違いを述べる。前者は単なる快楽の追求なので被写体であるモデルに「歴史」は不要だが、後者では被写体が誰で背景がどこかといったことが分からなければ、被写体に同情することは難しい。だが、「裸の身体」と「苦痛の身体」という2種類の写真を見る人間はあくまで1種類(同一人物)

l  誰かを愛する、とはどういうことか

こうした理屈を、「誰かを愛する」という現象に応用してみると、「愛」には「誰かをエロティックに欲望する」ことと「誰かを良心に従って求めること」という2通りの作業が同時に存在していることに気付く。「これまでのソンタグの性的欲望」が何であれ、それをもとに「これからのソンタグの性的欲望」を決定することは誰にもできない。そして、「過去」のセクシュアリティがそのまま「未来」に持ち越されるとは、たとえ当事者であっても予見は出来ない

 

第11章   ソンタグの誕生

l  「仮面の告白」と「訪中計画」

三島初の長篇小説『仮面の告白』が出生の秘密を扱ったように、ソンタグも短篇『訪中計画』(1973)で、自らの出生を、当時両親が上海租界にいて中国で受胎されたと書く

l  ギャッツビーを語るニックの『反批評』

成金のギャッツビーが、今は人妻の元恋人を取り戻そうとする物語の語り手が、それまで批評から距離を置いてきた隣人のニック

l  過去の中に予見された未来

ソンタグにとっての中国は、前年ニクソンが訪れて米中の行き来が始まった未知の土地でありながら、受胎を通じて既知の土地でもあるという、両義的な場所

l  自殺した「もう1人のスーザン」

2007年、出版社がソンタグの短篇集を発刊、その表題作に選ばれたのが『事情報告』で、スーザン・タウベスという友人の自死を題材としている。69年長篇小説を発表した直後に40そこそこで入水自殺、ソンタグはそれを反面教師として生きる意志を高めた

l  未来の苦痛は誰のもの?

ソンタグの最後の批評書が『他者の苦痛へのまなざし』だったように、苦痛とはソンタグの言論活動の重要なテーマ。他者の苦痛について、自らの苦痛について、いつでもどこでも創意工夫を凝らしてきたソンタグは、「未来の苦痛に苛まれないで」と、ヴァルネラブルな小さな子どもたる自分を必死に鼓舞し続けながら、あの「カッコいい」文章を私たちに送り届けてくれた

 

終章 脆さへの思想

l  批評家としての覚悟

なぜソンタグという知性が、かつても今も私たちを挑発し続けるのか

ソンタグがことさら注目してみせたのは、ピップの影に隠れながらも都会の一部に広がりつつあった、「カッコ悪い」ものこそ「カッコいい」という「キャンプ」なる感性で、「既存の解釈にあらがう」ことを是としたソンタグの「反解釈」な議論は、批評家生命を賭す覚悟の上になされた

l  反知性主義的な知性の闘い

ソンタグの「あらがい」は、反解釈、反写真、反隠喩であり、「汚染」に対峙するが、これら知的な人間の営みに対し、「知性の越権行為をチェックする」かのような、反知性主義的な知性の闘いだったと言える

l  テクノロジーの恩恵にあらがう

ソンタグの知性は、反知性主義との高度な緊張関係の中で育まれ、成熟していった

彼女が命を懸けて取り組んできたのは、テクノロジーの恩恵による「進歩」という名の暴力に対する、人間の知性を用いた「あらがい」だった

l  ヴァルネラブルであること

ソンタグにとっては、文学も映画も写真も、あらゆる表現行為は、その対象物が隠し持つヴァルネラビリティを顕在化させてしまうものとして説明される。そこに潜む暴力を暴き立てるという真理の探究めいた議論より、死すべき運命にあるもの同士の関係性を明らかにする議論を好む

l  盾としての批評

ソンタグの「脆さへのあらがい」は、ヒップな文化がまとった攻撃性と、キャンプな文化がまとった諧謔性の、その両方の「カkッコよさ」をたっぷりと吸収しながら熟成し、テクノロジーという攻撃的な「矛」に抵抗するための「盾」となっている

 

 

おわりに

ソンタグの生涯が、モーザーの評伝を原作として映画化されるという

 

 

 

 

 

(書評)『スーザン・ソンタグ 「脆さ」にあらがう思想』 波戸岡景太〈著〉

2024113日 あさひ

 決めつけ排し思索を丹念に辿る

 1日に数十億もの写真がネットに飛び交い、戦場の生々しい写真が瞬時に届く現在。だが、私たちの人間理解は豊かになっているのか。刺激的な画像の氾濫で、いよいよ他者の苦痛に鈍感になっていないか。

 『反解釈』『写真論』『他者の苦痛へのまなざし』等を著し、挑発的な議論を続けたスーザン・ソンタグは、今こそ顧みられるべき人物だ。しかしその主張の断片は知っていても、全体像を掴めない人は多いのではないか。ソンタグは「解釈」によって対象を理解したつもりになることを何より嫌った。本書はソンタグの「反解釈」の意思を汲み、「本当のソンタグ」なる決めつけを拒否して、その思索に誠実に迫る。

 著者が注目するのが、ソンタグの「ヴァルネラビリティ(脆さ)」に関する思考だ。ソンタグによれば、撮影とは被写体のヴァルネラビリティに関与することである。この姿勢なしに苦しむ被写体を見ても、その苦痛は決して理解できない。ソンタグは、苦しむ体に興味を抱くのと同じ人間が裸体の写真を見たいという欲求を持つ以上、「苦痛の身体」のイメージは簡単に「ポルノ的な身体」に変わりうると看破していた。ソンタグの写真論は、苦しむ他者に興味や同情は寄せても、写真を鑑賞する特権的な立場にいる自分がその苦しみに関わっている可能性には無自覚な私たちへの痛烈な批判に満ちている。

 ヴァルネラビリティという概念は、スキャンダラスに語られてきたソンタグの私生活にも新たな理解を提示する。がんを患ったソンタグは、パートナーに死の瞬間まで撮影させた。ソンタグ最後の仕事にも、「ヴァルネラビリティへの関与」という姿勢は貫かれていたと著者は見る。

 写真や映像で苦痛を伝えることの限界を見据え、だからこそ言葉を尽くして語り続けたソンタグ。その思索を丹念に辿った本書は、私たちの人間理解を確実に豊かにしてくれるはずだ。

 評・三牧聖子(同志社大学准教授・国際政治)

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 『スーザン・ソンタグ 「脆(もろ)さ」にあらがう思想』 波戸岡景太〈著〉 集英社新書 1210円 電子版あり

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 はとおか・けいた 77年生まれ。明治大教授(米文学・文化)。著書に『映画ノベライゼーションの世界』など。

 

 

 

Wikipedia

スーザン・ソンタグ(Susan Sontag, 1933116 - 20041228)は、アメリカ合衆国作家小説家エッセイスト批評家)、映画製作者社会運動家

生涯を通じ、アメリカを代表するリベラル派の知識人として、ベトナム戦争イラク戦争に反対するなど、人権問題についての活発な著述と発言でオピニオンリーダーとして注目を浴びた。

生涯[ソースを編集]

東欧ユダヤ系移民の父ジャック・ローゼンブラット(Jack Rosenblatt)と母ミルドレッド・ヤコブセン(Mildred Jacobsen)の間に、アメリカ国籍者としてニューヨーク市で誕生した。父親は中国で毛皮の貿易会社を経営していたが、スーザンが5歳の時に結核で死去した。その7年後、母は同じ東欧ユダヤ系のネイサン・ソンタグ(Nathan Sontag)と親密関係になった。正式には結婚はしなかったが、スーザンとその妹のジュディスはその義父のソンタグ姓を名乗るようになった。

ソンタグはアリゾナ州ツーソンをへてカリフォルニア州ロサンゼルスで育ち、15歳でノースハリウッド高等学校英語版)を卒業後は、学部生としてカリフォルニア大学バークレー校で学び始めたのちシカゴ大学に転校し、学士号を得て卒業。ハーバード大学大学院、オックスフォード大学のセント・アンズ・カレッジ、パリ大学の大学院でそれぞれ哲学文学神学を専攻した。

大学院修了後、アメリカユダヤ人委員会の機関誌『コメンタリー英語版)』の編集者となったのち、コロンビア大学などで哲学講師となる。そのかたわら、1963年に小説『恩恵者 The Benefactor』で作家デビュー。1966年には、初の評論集『反解釈 Against Interpretation』を出版。同作における、写真家ピーター・ヒュージャー英語版)が撮影した印象的なカバー写真は、ソンタグが「the Dark Lady of American Letters」としての名声を得るのを後押しした。

20041228日、骨髄異形成症候群合併症から急性骨髄性白血病を併発し、ニューヨークで死去。71歳没。彼女は30年間、進行性乳癌子宮癌を患っていた。遺体はパリモンパルナスの共同墓地に埋葬された。

親族[ソースを編集]

シカゴ時代の17歳のとき、ソンタグは社会学者フィリップ・リーフ英語版)からの熱烈な求婚を受け、結婚。8年の結婚生活を経て、1958年に離婚した。ソンタグは晩年、1989年に出会った写真家のアニー・リーボヴィッツと交際していた。

息子のデイヴィッド・リーフ英語版)はアメリカの出版社Farrar, Straus and GirouxFSG)でソンタグの担当編集者となったのち、作家、政策アナリストに転身した。

主な著書(邦訳)[ソースを編集]

小説

『死の装具』1967斎藤数衛 早川書房 1970年)

『わたしエトセトラ』(行方昭夫 新潮社 1981年)

『火山に恋して』(冨山太佳夫 みすず書房 2001年)

『夢の賜物』(木幡和枝 河出書房新社 2012年)

『イン・アメリカ』(木幡和枝訳 河出書房新社 2016年)

評論、エッセイ、手稿、講演集

『ハノイで考えたこと』(邦高忠二 晶文社 1969年)

『反解釈』(高橋康也由良君美ほか訳 竹内書店 1971年)

ちくま学芸文庫 1996

『ラディカルな意志のスタイル』(川口喬一 晶文社 1974年)

【改訳・改題】「ラディカルな意志のスタイルズ」(管啓次郎波戸岡景太 河出書房新社 2018年)

アントナン・アルトー論』(岩崎力 コーベブックス 1976年)

【改題】「アルトーへのアプローチ」(みすず書房・みすずライブラリー 1998年)

『写真論』(近藤耕人 晶文社 1979年) 新版 2018

『隠喩としての病い』(冨山太佳夫訳 みすず書房 1982年)

【改題】「隠喩としての病い エイズとその隠喩」(みすず書房 1992年) 新版 2006

『土星の徴しの下に』(冨山太佳夫訳 晶文社 1982年)

新版 みすず書房 2007

『この時代に想う テロへの眼差し』(木幡和枝訳 NTT出版 2002年)

『他者の苦痛へのまなざし』(北條文緒 みすず書房 2003年)

『良心の領界』(木幡和枝訳 NTT出版 2004年)

『エッセイ集 1 文学・映画・絵画 書くこと、ロラン・バルトについて』(冨山太佳夫訳 みすず書房 2009年)

『同じ時のなかで』(木幡和枝訳 NTT出版 2009年)

『私は生まれなおしている 日記とノート1947-1963』(デイヴィッド・リーフ編 木幡和枝訳 河出書房新社 2010年)

『エッセイ集 2 写真・演劇・文学 サラエボで、ゴドーを待ちながら』(冨山太佳夫訳 みすず書房 2012年)

『こころは体につられて 日記とノート 1964-1980』上下(デイヴィッド・リーフ編 木幡和枝訳 河出書房新社 2013-14年)

インタビュー集

『スーザン・ソンタグの『ローリング・ストーン』インタヴュー』(ジョナサン・コット著 木幡和枝訳 河出書房新社 2016年)

 

公式ホームページ

http://www.susansontag.com/

 

 

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