東京都同情塔  九段理江  2024.2.27.

 2024.2.27. 東京都同情塔

 

著者 九段理江 90年浦和市生まれ。2021年『悪い音楽』で文学界新人賞を受賞しデビュー。23年『しをかくうま』で野間文芸新人賞を受賞。2002年「優秀な作文を書いた埼玉県の6年生」の1人として表彰

 

発行日           『新潮』202312月号

発行所           新潮社

 

 

各々の勝手な感性で言葉を濫用し、捏造し、拡大し、排除した、その当然の帰結として、互いの言っていることが分からなくなる。喋った先から言葉はすべて、他人には理解不能な独り言になる。独り言が世界を席巻。大独り言時代の到来

ホモ・ミゼラビリス=同情されるべき人々。ホセ・フェリシタトス=幸せな/祝福された人々

あなたが犯罪者でないのは、素晴らしい人格をもって生まれたからではなく、生まれた環境が素晴らしい人格を育むことが可能な環境だったから。犯罪と関わりを持たずとも幸福な人生を歩むことができると信じさせてくれる大人が周囲にいたからで、幸福な未来への意識が働くと、罪を犯したらどうなるかという予測を立てられるようになる。未来への想像力は、道を踏み外そうになった時の強力な抑止力に繋がる

一方、世の中には特権を持たずに生まれてくる人がたくさんいて、生まれてきたことを否定されながら大人になる人々にとって、「幸福」とはどのような状態かが分からない

そんな彼らとあなたが同じ世界の同じ法律、ルールの下で、同じ人間として生きていかねばならないというのはアンフェアで、残酷な仕打ち

そこで、犯罪者を同情されるべき人として高層マンションに収容、互いに相手と比較せず、相手を貶める言葉の使用を禁止、SNSなどの使用も禁止、無期限に居続けることができるようにしたところ、犯罪者はタワーから外に出て来ずに幸福に暮らす

 

 

 

選評

小川洋子――『迷彩色の男』を推す。ある事柄に名前が付く。フェミズム、多様性・・・・。するとそれまでぼんやりしていた世界の一部が不意に輪郭を持ち存在を意識できるようになり、その言葉を便利な道具として使う。やがて言葉は膨張し、それを共有できる者と出来ない者を容赦なく分断してゆく。『東京都同情塔』は、そうした言葉のいびつさが招く恐ろしさを描いている。共感の行き着く先には、犯罪者に同情を寄せるための塔が建設される。しかもザハ・ハディドが設計した国立競技場から産み落とされる、という形で。ただ、どうしても主人公に人間的な息遣いを感じることができなかった。思考のための言葉ではなく、心から滲み出てくる声なき声を聞きたかった

島田雅彦――生成AIとその基盤である大規模言語モデルに対する批評意識を中心に据え、現実を大いに反映した脳化社会のディストピアに生きる憂鬱を語った作品。並列的に独自のターミノロジーを持つ建築家への言及もあり、語り手の過剰な批評が大半を占める印象。とりわけゴシック体で書かれた部分は人間や社会の方がAI化していくような逆転現象が示唆されている。作者は実際に生成AIを創作に活用したそうだが、AIにユニークなコマンドを出しさえすれば、生成されたテキストは人並みになる。ただ、私が思うに、このディストピアに生きる当事者たちの狂気や抵抗をもっとアクションとして作品に盛り込んでいたら、より多くの読者のシンパシーを獲得できたはず

松浦寿輝―― 一種の奇想小説でもあり、フィクションの物語を思考実験の器として利用。「人間」以外の「他者」との言語的コミュニケーションの主題が前景化する意欲的な野心作。生成AIの言語は、徹頭徹尾「人間そっくり」だが、同時に徹頭徹尾「非人間的」でもあるという怖さがある。主人公の名前自体が牧名=マキナ=機械であるこの小説の、「地」の文そのものにそもそも何やら不穏な「非人間性」が漂っており、人間と人間が建造したこの世界に対する作者の冷めた批評的自意識が感知される。ここ2,30年、PC的言説が全面化し、弱者や少数者の擁護が声高に提唱され、ひいては動物の権利擁護までも主張され、世界はどんどん「優しく」なってきている。その行き着く先には、犯罪者を「同情されるべき人々」と見做し、都心にそびえる塔に集めて優雅な暮らしをさせようという極端な発想であろう。フーコーが分析した「一望監視システム」の刑務所の真逆の異常空間を構想し、現代社会を諷刺的に撃とうとしている。詰め込まれた観念の重量に比して、リアリティのある細部が希薄なのが物足りないが、そのこと自体がしかし、九段氏の小説作法の個性的な持ち味なのかもしれない

山田詠美――硬質でAIっぽい文章が続く中、時折、叙情的なパートが魅力的に浮き上がる。「葉の11枚の音が、翻訳されるのを待っている秘密のメッセージに聞こえる」とか。世界的建築家のサラ・マキナさん、哀しくて憐れでチャーミング。東京都知事にも読んでもらいたいこの発想。同情塔へのパス、欲しいです

平野啓一郎――『東京都同情塔』を推す。バベルの塔の神話を主題に、言葉と物との関係の混乱とあるべき理想とを、自ら構想中の塔と同化するように倒錯的に模索する女性建築家の造形が冴えており、また、彼女が、まさに政治的に正しく、明確で冗長な言葉で現実の「全地の表」を覆い尽くそうとする「文章構築AI」と呼応し合う構造は犀利だった。前回候補作が太宰作品を更新したように、本作は三島の『金閣寺』の影響が顕著で、しかもそれをほとんど感じさせないほど、荒唐無稽ながら力強い斬新な世界を構築している。ザハ・ハディッドの新国立競技場が建っていた世界というパラレル・ワールドの設定も蠱(こく)惑的で、さらにはバベルの塔と「同情塔」という、全てが現実にはアンビルトである3つの建築が、この虚構世界を支えている光景には、幻惑的な構造計算がある。新しい才能による圧倒的な受賞作

奥泉光――「バベルの塔の再現。シンパシータワートーキョーの建設は、やがて我々の言葉を乱し、世界をバラバラする」と九段『東京都同情塔』は書き出される。旧約聖書に即して考えれば、言葉が乱された状態は人間存在の条件であり、異なる言語を持つからこそ、互いが「対話」を通じて世界を創造していくことが可能になるわけだが、東京都同情塔に象徴されるこの日本では、生成AIがなすような言語の平準化が押し広がり、人間は対話性を失い、まさに世界がバラバラになりつつある、これは現実に起こっている事柄であり、作者の批評性が光る。ただ近未来のSF風の枠組みを用いつつこの文体で書くなら、犯罪者が「幸福に」暮らすという党の具体的な成り立ち、仕組みについても描いてほしいとの、些かないものねだり的な感想を抱いたものの、受賞作に相応しい緊密な質感を備えた作品だと評価した

吉田修一 ――アンビルトの女王と呼ばれた建築家ザハ・ハディドの国立競技場が完成し、理想主義者の塔が立つ東京が舞台。ある意味、傷つかなかった東京を描くことで、現実の傷ついた東京を浮かび上がらせる。作者の考えや思いを一方的に押しつけてくるようなものが多い新人作品の中にあって、本作はキャッチ―な舞台設定や登場人物たちといったエンターテイメント性と批評性とのバランスが大変良く、作品の中に読者の遊び場がきちんと用意されている。おそらくこれは作者と登場人物(特に主人公の建築家)との距離感のバランスがよいためで、何かを押しつけられるような感覚なく、読者は自身の思いや声が作品の中にも届くような気がするのだと思う。さらに一方で鋭い批評性もあり、主人公がコンクリートの像となって後世に残るという壮絶な叫びのようなラストでは、近づきすぎたその読者たちの立ち入りを冷たく拒むような印象も残す。今後も様々な題材を貪欲に吸収して、多様な世界を書いていける作家だと思う

川上弘美――選評をするときに、この作者は小説を書き続けてくれるだろうかということを考える。ずっと書き続けている身近な作家たちを見ると、どうしてもこうしても小説を書くのだという欲望にまみれているという気がする。さらに、たいがいの作家たちには「伝えたいこと」という結論めいたものはなく、小説で何かを伝えるのではなく、小説を書いている間に何かを考え、その考えによって小説が進み、小説が進むとまた違うことを考え、何が何だか分からなくなりながらも、分かったふりはせず、慎重に書いてゆく、というようなすっきりしない時間に堪えて、みんな小説を書いているのではないか。『東京都同情塔』の作者も、書きながら、いろいろ考えたのだろうな、と思う。なぜなら、小説の言葉が、文章が、読者である私に、よかったらいろいろ考えてみて、と語りかけてくるから。その先に正解があるわけではなく、ただ、考えてほしいのだ。すっきりしない時間に耐えて、この小説を結実させた、作者の小説完成欲の強さに、大変惹かれ、一番に押した

堀江敏幸――作品自体の構造計算と建築を巡る発語をAIという機械(machina/牧名)に委ねる着想に支えられている。ザハ・ハディドの国立競技場と東京都同情塔。二重の仮定の上に立つ一対の世界には、鉄筋コンクリートの重さがない。紋切り型の言葉の牢獄を前に、「私自身が外部と内部を形成する建築」だとする建築家の自己認識が鈍い光を放つ。近未来ではなく、現代日本を地上百数十メートルから見下ろした虚ろな緊張感が読後に残る

 

受賞者インタビュー

趣味の筋トレは三島がきっかけ  九段理江「小説家になろうと思ったことはないんです」

小説を書く前に最低100冊は資料を読む。今回建築の話を書くにあたって一番参考になったのは、丹下や隈など建築家が描いた本。書き進めていると、絶対的にこの小説が求めている言葉がふっと出てくる。「バベルの塔の再現」という言葉も、急に出て来て、必ず入れなきゃいけないとなり、その言葉に応じて、人物や設定を変えていくというのが私の小説の生成過程。「アンビルトをモチーフにした小説」としたが「アンビルト」にはずっと関心があり、それは小説そのもので、小説で「建っている」と書けば本当に存在することになる

AIが出てくる場面は、小説の構想はオリジナルで、AIの言葉とリアルを使い分けている。最終的には自分の言葉で語りたいと思うようになる気持ちと対比する意味でも、無機質なAIの文章を作為的に用いているということ

選考過程で「批評性」が高く評価されたが、意識的に批評性のある小説にしようとは思わず、自分の問題意識がそのまま表れた

「言葉」に拘る原点は、実体を持たないものなのに、こんなにも人間や世界を変えてしまうのだろうと不思議に思い、言葉でどこまで行けるのかを見てみたいという衝動

三島が一番好きで、学生時代には特に影響を受けた。大学卒業後研究室の助手になって、周囲から勧められて新人賞に応募

音楽が好きで、音楽と小説の間に境がなく、音楽を聴いているみたいにさらさらと読める文章を理想とする

 

 

 

東京都同情塔 九段理江著

近未来ニッポンの思考実験

2024217 2:00 [会員限定記事] 日本経済新聞

170回芥川賞受賞作。執筆の一部にChatGPTなどの生成AIが使用されたことが話題になっているが、架空の文章構築AIが生成した(という設定の)文章をそれらしくするために使われたのであって、AIに丸ごと書かせたわけではない。とはいえこの作家は最初の芥川賞候補作「Schoolgirl」にもAIアシスタントを登場させていた。テクノロジーの進化に敏感な書き手なのである。

物語の舞台は、現実世界とは異なった過去を持つ近未来の東京。変更点は大きく2つ。国立競技場がザハ・ハディドの設計案のまま建設されたこと(周知のように実際には世間の批判を浴びて白紙撤回され隈研吾の案に変更された)。2020年に東京オリンピックが予定通り開催されたこと。社会学者で幸福学者のマサキ・セトの提唱によって「犯罪者」「受刑者」を「ホモ・ミゼラビリス=同情されるべき人々」と呼ぶ動きが広がり、新宿御苑にホモ・ミゼラビリスが収容ならぬ入居する高層ビル「シンパシータワートーキョー」が建設される。主要登場人物は3人。横文字による意味の中和を嫌い、タワーを「東京都同情塔」と敢えて呼ぶ女性建築家の牧名沙羅。不幸な生まれ育ちでありながら、牧名との運命的な出会いによってタワーのスタッフになる青年拓人。トーキョートドージョートーにかんする記事を書くべく来日した三流ジャーナリストのマックス・クライン。物語は最終的にタワー建設後の2030年に至る。

一種の歴史改変SFと言ってよいだろう。だが、この小説が描く「もうひとつの東京」は、リアルなトーキョー、リアルなニッポンを透視している。日本語の特殊性、特にカタカナ英語の使用による奇妙な効果への着目は、シンパシー同情ドージョーと変換されることで日本人独特のメンタリティを映し出す。こんにちのポリティカル・コレクトネス(政治的な正しさ)を踏まえた、他者/弱者への共感と同情の称揚に潜在する矛盾や逆説が思考実験のように提示される、ある種のディスカッション小説として読むこともできる。

なかなか手強い小説である。明確な主張や結論を導き出すよりも、読者に問いを投げかける。むろん、それこそが「文学」の役割なのだ。

《評》批評家 佐々木 敦

(新潮社・1870円)

くだん・りえ 90年埼玉県生まれ。2021年「悪い音楽」で文学界新人賞、23年「しをかくうま」で野間文芸新人賞を受賞。

 

 

芥川賞に九段氏、直木賞に河﨑氏と万城目氏

2024117 17:51 (2024117 21:49更新) 日経

記念撮影に応じる(左から)第170回直木賞に決まった万城目学氏、河﨑秋子氏、芥川賞に決まった九段理江氏(17日、都内)

170回芥川賞・直木賞(日本文学振興会主催)の選考会が17日、東京・築地の料亭「新喜楽」で開かれ、芥川賞は九段理江氏(33)の小説「東京都同情塔」(「新潮」202312月号)に、直木賞は河﨑秋子氏(44)の「ともぐい」(新潮社刊)と万城目学氏(47)の「八月の御所グラウンド」(文芸春秋刊)に決まった。贈呈式は2月下旬に都内で開かれ、受賞者には正賞の時計と副賞100万円が贈られる。

「東京都同情塔」は、現実には白紙撤回されたはずのザハ・ハディド案で新国立競技場が造られた、別世界の東京が舞台。作中には主人公が人工知能(AI)と対話する場面が出てくる。九段氏によると執筆で実際に生成AIを使い、全体の5%程度はAIの文章を採用している。「AIを利用しながら自分の創造性を発揮できるよう、うまく付き合っていきたい」と語った。

河﨑氏はニュージーランドで綿羊飼育を学んだ後、酪農を営む北海道の実家で羊飼いをしながら小説執筆を始めた。「ともぐい」は明治後期の北海道に生きる山の猟師が主人公だ。日露戦争に向かう社会の変化を絡めながら、凶暴化した熊に挑む猟師の死闘を生々しく活写した。記者会見では「もとは30歳ぐらいのころ書いたもの。新しい世界を作り直してできあがった」と力強く話した。

万城目氏の「八月の御所グラウンド」は京都を舞台にした青春小説2編を収める。表題作は早朝の京都御所で行われる草野球大会を描き、個性豊かな人物たちと先の戦争の時代を交差させて重層的な世界を立ち上げた。直木賞は6回目の候補入りで、初めて候補になったのは2007年。「今回もすれ違っていくのかと思っ

 

芥川賞の九段理江さん 生成AI時代に「言葉を大切に」 

2024118 12:00 [会員限定記事] 日本経済新聞

170回芥川賞に決まり、記者会見する九段理江さん(17日、都内)

言葉と建築をテーマにした小説「東京都同情塔」で芥川賞に選ばれた33歳。文章を生成するAIが登場し言葉が氾濫する時代に「言葉を大切にしたい」との思いが強い。受賞決定会見でも質問に対してじっくり考え込み、返答を一つ一つ丁寧に紡ぐ姿勢が見られた。

受賞作の舞台は近未来の東京。現実では白紙撤回されたはずのザハ・ハディド案で新国立競技場が造られている。主人公の女性建築家は、犯罪者が幸せに暮らせる新たな刑務所「シンパシータワートーキョー」のコンペに参加する。

建てられなかった建築を意味する「アンビルト」がテーマの一つだ。「今作も書き上げられず、アンビルトになってしまうのではと不安だったが、そんな不安定さも含めて評価していただいたのがうれしい」

建築的な構造の小説を狙い、様々な文体を用いた。「小説の約5%AIの文章そのまま」と述べるように、作中ではAIが主人公と対話する。「AIが期待した答えを返してくれない実体験も反映させた」

主人公には「言葉があふれ新たな価値観についていけない自分」も投影する。「言葉」にはずっと関心を持ってきた。小学生の時に書いた作文のタイトルは「美しい日本語を使おう」。初めて文学界新人賞の最終候補に残った作品も言語を扱った。「言葉を使って何ができるのか考えることがライフワーク」と明かす。

小説という手法を選んだのは、純文学が持つ「器の広さ」がやりたいことと合致するから。目指すのは多くの要素を内包して読者に内省を促すような作品だ。「言葉で解決できないことは他のどんな手段でも解決しない」。そう信じて小説を書き続ける。

(伊得友翔)

 

 

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