いい子のあくび 高瀬隼子 2023.9.12.
2023.9.12. いい子のあくび
著者 高瀬隼子 1988年愛媛県生まれ。東京都在住。立命館大文卒。2019年『犬のかたちをしているもの』で第43回すばる文学賞、2022年『おいしいごはんが食べられますように』で第167回芥川賞受賞
発行日 2023.7.10. 第1刷発行
発行所 集英社
帯
芥川賞受賞第1作
ぶつかったる。
スマホを見ながら歩いている人は、存在しないっていうことにした。
社会がどうとかではなく、わたしがわたしのために正しいことをした。
不合理な偏りだらけの世の中に生きる女性たちの、静かな心の叫びを描く、全3話
ぶつかったるって思ってぶつかった。だけど、ぶつかられたのはわたしだ。よけてあげなかったから、結果としてぶつかった。よけてあげる。スマートフォンに顔面から吸い込まれていたあの中学生に、わたしが何かしてあげるのは、なんか、おかしい。だからよけなくて良かった。怪我をしてでも、あの子のためにわたしが何かしてあげたりしなくて良かった。
だっておかしい。割に合わない。
第1話 『いい子のあくび』 初出『スバル』 2020年5月号
自転車でながらスマホの中学生男子と対面、右腕を前に横を向き、カバンでガードしながらわざとよけずにいたら、中学生が当たる直前気づいてハンドルを切って倒れたところにおばさんの運転する車が来てちょっと当たる。あたしも腕にかすり傷
中学生は、ひび割れた画面のスマホを拾ってそのまま行こうとするので、わたしは「謝らないのか」と呼び止める。ツイッターで中学生のことを検索すると、すぐに本人のサイトに加えて部活のグループトークも出てきてすぐに中学も名前も特定でき、そのうち中学生は、婚約者の勤め先の担任の生徒であることも判明する
衝突して中学生が怪我したことはグループラインでひき逃げ事件扱いとして騒がれるが、結局本人が自分の不注意を告白してケリがつく
婚約者と早朝一緒に出勤した際、電車のホームでながらスマホの男性が来るのを、相手が避けるのが当然と思って自分は避けずに衝突したはずみで、男性はホームのガード板に当たって怪我、婚約者も男性の手から離れたスマホが当たり、救急車で病院へ。周りにいた女子高生が、わたしがぶつかったので男性が飛ばされたと言ったため、私は警察官に呼び止められ交番で4時間質問攻めに遭い、何とか防犯カメラの映像から、自分から当たりにいったのではないことが分かって釈放される
第2話 『お供え』 初出『スバル』 2022年4号
勤務先の創業100周年記念で作られた創業者のフィギュアは、1年も経つ頃には忘れ去られて誇りを被っていたが、15年経って倉庫を整理した際出てきたフィギュアを捨てようとしたら、1人の男性社員が引き取って自分の机の上に置く
出張などで土産を買ってきた社員たちが、フィギュアにお供えをして頼みごとをすると、願いが叶うという噂が広まりエスカレート
隣の出来の入社3年目の女子社員と、その入社時の研修担当だった入社15年目の私はその後も何となくランチなどを一緒にする間柄だったが、その女子社員が隣の席のフィギュアと目が会うので怖いと漏らす
自分も自身のメンターとその後次第に疎遠になっていったのと同じように、後輩との人間関係も疎遠になっていくのかなと思っている時に、夜になって帰社すると後輩がフィギュアに向かって「遠くへ異動しますように」と祈っているのを聞いて、なぜか自分のことだと確信し、後輩が退社した後、フィギュアを後輩の机の方に向けて置き直す
第3話 『末永い幸せ』 初出『スバル』 2023年1月号
幼馴染の女子が3人、出身の田舎町で毎年2回居酒屋で顔を合わせる。一番できた子は東京の有名女子大を出た後故郷に戻ってアルバイトなどをやったり辞めたり。もう一人は故郷を出る。私も東京で1人暮らし。35歳になって突然地元にいた子が結婚すると宣言し、他の2人に結婚式に出てほしいという。私は結婚式そのものに表象される人身売買臭さに嫌気して今は出ないことに決めている。もう1人に、他でもない友達の結婚式なのにと言って責められるが、地元の子からはわかっているから無理しなくていいといわれる
結婚式当日、式場のホテルに泊まって、上階から階下の偽チャペルで行われる式に向かう花嫁を見下ろす。上階を見上げた花嫁と一瞬目が合った気がして、誰もいなくなった中庭に降りて花嫁がいたと思われる位置から上階を見上げるが、どこに自分がいたのかはわからない
高瀬隼子さん 芥川賞受賞第一作「いい子のあくび」
優等生のいらだちに共感
2023年8月18日 日本経済新聞
2022年の芥川賞受賞後、第一作となる小説集「いい子のあくび」(集英社)を刊行した。のどかな語感の表題作だが、物語は不穏だ。主人公の若い女性・直子は自他ともに認める「いい子」。よく気のつくタイプで誰の話でも熱心に聞き、割に合わないと感じつつも、こみ上げるあくびを喉で殺して生きてきた。「私も小学生のとき、大人にいい顔をしなきゃと、人前であくびができない時期があった」
自身と登場人物はもちろん別人格だが「100%別ですか、と聞かれたら『100』ではない」。生身の感覚に裏打ちされた主人公のいらだちには、共感する人も多いだろう。どうしていつも、自分がやってあげなきゃならないのか。直子の怒りの矛先は歩きスマホへと向かう。目を伏せて向かってくる人はもうよけてあげない、と決意した先に思わぬ展開が待ち受ける。
短編「お供え」では、好きでもないのに続く職場の人間関係に焦点を当て、「末永い幸せ」では結婚式への違和感を描いた。めでたい席での様々な演出に引っかかりをおぼえる主人公の考え方には「親近感があります」と話す。作者の意見が「ちょっとずつ、全部(の作品)に入っている」のだ。
19年のデビュー時から、日常で遭遇する「むかつき」が書く原動力だと語っていた。「むかつくことを書こうと思っているわけではなくて、作中で勝手に出てくるんです。書いても解決はしないけれど、書くことでこれがつらかったんだと自覚できる。書かなければもっとしんどかった」。22年の芥川賞贈呈式では、小説を読むことが自身の救いになってきたとスピーチした。小説を書くことには「救われていたい」という。
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