ハンチバック  市川沙央  2023.8.12.

 2023.8.12. ハンチバック (せむし)

 

著者 市川沙央(さおう) 1979年生まれ。本書で第169回芥川賞、文學界新人賞。10歳で先天性ミオパチーの一種ミオチュブラー・ミオパチー発症。7歳上の姉も同病。読書バリアフリーを訴えたのが本書。早大通信教育で人間科学部卒。本書が卒論の元に。クルドソーシングでこたつ記事を書くバイト。WEBライター。ライトノベル投稿。幼少から構音障碍があって小説の世界にのめり込む

 

発行日           20235月号

発行所           『文學界』

 

2023年にもなって障碍者である当事者の作家がほとんどいなかったことを問題視し、読書バリアフリーを訴えようとした作品

小説や映画など様々なジャンルの作品で、クリティカルマス(ある物事が急速に影響力を持つようになる分岐点)である30%の割合で障碍者が描かれることになればステレオタイプというのはなくなるだろう。だが当事者だけでは30%に到達は出来ないので、当事者も非当事者も自由に障碍者を描く、その実践を増やすことが大事

当事者作家が描けば有意義だろうテーマの1例が、障碍女性のリプロ(リプロダクティブ・ヘルス/ライツ、性や身体に関することを自分自身で決められる権利)やインターセクショナリティ(人種やジェンダーなど複数の要素が互いに影響を与え合うこと)で、ブルーオーシャンだと思って書き始めたのが本書

 

いきなりハプバ(ハプニングバー)2カップルがプレイルームで遊び始めるところから始まる

厚みが3,4センチもある本を両手で押さえて没頭する読書は、他のどんな行為よりも背骨に負荷をかける。紙の本を憎む。目が見えること、本が持てること、ページがめくれること、読書姿勢が保てること、書店へ自由に買いに行けること――5つの健常性を満たすことを要求する読書文化のマチズモを憎んでいた。その特権性に気付かない「本好き」たちの無知な傲慢さを憎んでいた

出来の悪い周囲の同級生を見ながら、能力は低くてもせめて彼らと同じように子どもができて、堕ろして、別れて、くっついて、出来て、そういう人生の真似事がしたい

定期的にシフトに入るヘルパー2人のうち、1人は年配の女性で明るいが、もう1人は弱者を自認する男性。何気ない会話に蔑むように見下ろされていることに気付く。苛立ちや蔑みというものは、遥か遠く離れたものには向かない。紙の本に感じる憎しみも同じで、公園の鉄棒のように運動能力のない私の体がいくら疎外されていても憎しみは感じない

妊娠して中絶するまでならできると、ある日コロナで人繰りがつかないまま弱者を自認する男性に入浴の世話をしてもらったのを機会に、この男の子どもなら堕ろせると思っていくら欲しいかと誘いをかけると、1億円と言われたので逆に155百万円でどうかと返事し小切手を切る。男の155㎝の身長の1㎝を100万円で買ったことに

約束の本番の日、最初に精液だけ飲ませてと頼み、それが終わると男は出ていく

自分は精液が痰に絡んでむせ、救急で入院、誤嚥性肺炎と診断され、危うく命を落とすところだった。グループホームの中ではばれなかったが、男は入院中に退職

最後の段落は、主人公が娼婦のような生活を送っている描写、何の意味か脈絡も理解不能

 

 

障害者文学か、当事者小説か 芥川賞「ハンチバック」を読む

2023828 500分 朝日

芥川賞の受賞会見で記者の質問に答える市川沙央さん=いずれも7月19日、諫山卓弥撮影 

 重度障害者が主人公の小説「ハンチバック」(文芸春秋)が先月、芥川賞に選ばれた。著者の市川沙央さんも主人公と同じく、全身の筋力が低下する難病の先天性ミオパチーを患う重度障害者だ。障害のある当事者が書いた小説として注目された本作を、識者2人に読み解いてもらった。

 ■健常者優位、気づかぬ社会に摩擦を起こす

 先天性の障害により寝たきり同然の生活を送る40代女性の井沢釈華(しゃか)は、背骨の曲がった自らの姿を〈せむし(ハンチバック)の怪物〉とあざけりながら、社会の〈健常者優位主義(マチズモ)〉に対して皮肉を吐き続ける。小説は、そんな彼女が〈妊娠と中絶がしてみたい〉と望み、介助者の男性に大金を支払って実現させようとするまでを描く。

 「初読の際は、どのように受け止めればよいのか大きく戸惑いました」

 そう話すのは、二松学舎大学の荒井裕樹准教授(障害者文化論)だ。本作には〈『モナ・リザ』スプレー事件の米津知子〉や〈安積遊歩(あさかゆうほ)のカイロ演説〉など過去の障害者運動に絡む固有名詞が出てくる。だが、障害者女性のリプロダクティブ・ライツを巡り、彼女たちが単純に「中絶したい」と主張したことはない。

 「主人公の女性には、かつてあった運動の流れのなかに何とか自分を置こうとして、けれどもそうはなれないみたいな葛藤がある。こじれた感じ、ねじれた受け止めかたの背景には何があるのか、最初はつかみかねるところがあった」

 だが、何度も読み返すうちに「非常に複雑で多面的な要素を抱えた小説で、登場人物だ」と感じるようになったという。「ユーモアもあるし、毒もあるし、ヒューマニズムもある。そういった人間像が読者を試すかのように示されている」

 複雑に折りたたまれた屈託が、露悪的とも取れる表現で書かれたのはなぜなのか。荒井さんは「重度障害者が社会との軋轢(あつれき)のなかでルサンチマンを抱えても、それを知らずに生きていける健常者たちには伝わらない」。わざと摩擦を起こすことの是非はあるが、「摩擦を起こさないと、そもそも社会が気がつかないという構造は確かにある。『ハンチバック』は、その摩擦を起こしにいった小説だろうと思います」と言う。

 著者の市川さんは、受賞会見で「重度障害者の受賞がどうして“初”なのか考えてもらいたい」と言い、話題を呼んだ。過去にも文学作品を書く障害者はいたが、荒井さんは「障害者が書いた文学は、文学研究の領域からも福祉学の領域からも対象外とされ、谷間に置かれてきたようなところがあった」と指摘する。

 障害者にとっては、読んだり書いたりする営み自体に多くの困難がある。「そういったバリアーを一つ一つ取り払いながら、障害者たちが表現することを積み上げてきた歴史がある。その積み重ねの上に、いま市川沙央がいるというふうに捉えたい」と話す。

 ■様々な仕掛け、読み手の情はねのける強さ

 こうした障害者文学としての位置付けとは別に、本作は障害者が自らをモデルにした当事者小説としても注目を浴びた。主人公が社会に求める「読書バリアフリー」を、著者の市川さん自身が訴えたことも、その流れを加速させている。

 一方で、「当事者小説という枠内にはめてしまうことには疑問がある」と話すのが、詩人で文芸評論家の山崎修平さんだ。「この小説がきっかけとなって障害がある方への理解が進むのはいいこと」とした上で、「ただ、それと小説としての評価は分けて考えなければいけない」と言う。

 本作には障害のある当事者が書いた小説としての側面が確かにあり、著者の市川さん自身もそうした読み方を引き受ける発言をしているが、「あくまで文学作品として評価されたという前提を踏まえないと、属性や境遇によってしか小説が成立しなくなってしまう」と山崎さんは危ぶむ。

 小説は生身の人間が書いたものだが、「作中の要素を作者の属性や境遇に引き付けてしまうと、結局は作者に重い十字架を背負わせることになる」。すぐれた小説が読者に対して真実性を持つことはあっても、「フィクションである小説というかたちで出された以上は、ひとまずテクストを丹念に読んでいかなければいけない」。

 その上で、本作は「創作上の仕掛けとして極めてフィクショナブルな構成を取っている」と指摘。主人公の女性がコタツ記事ライターとして書いた架空のハプニングバー潜入ルポで始まり、風俗店で働く女子大生〈紗花(しゃか)〉のモノローグで終わる。このことによって、「自身をモチーフにしながらも小説の世界を仮構し、読み手の情をはねのけるような非常にパワフルな作品になった」とみる。

 小説という多面的で割り切れない表現に対して、当事者性はその一面でしかない。「一つの見方や考えで押し通そうとするのは非常に乱暴。せっかく様々な工夫が凝らされた作品なのだから、そうした見方をしたほうがより豊かに読めるのではないかと思います」(山崎聡)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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