ファシズムとロシア  Marlene Laruelle  2022.6.14.

 

2022.6.14.  ファシズムとロシア

Is Russia Fascist?  2021

 

著者 Marlene Laruelle フランス出身の研究者。専門は国際政治・政治思想。フランス国立東洋言語文化学院で博士号取得。現在米ジョージ・ワシントン大ヨーロッパ・ロシア・ユーラシア研究所所長、同大学教授。研究対象はロシア及び旧ソ連地域。特にイデオロギーとナショナリズムに詳しい。現在の研究テーマは、ロシア国内のイデオロギー情勢と国外への拡散

 

訳者 浜由樹子 静岡県立大大学院国際関係学研究科准教授。上智大外国語学部ロシア語学科卒、津田塾大大学院国際関係学研究科後期博士課程満期退学の後、博士(国際関係学)

 

発行日           2022.2.25. 初版印刷          3.10. 初版発行

発行所           東京堂出版

 

 

日本語版への序文                 Marlene Laruelle

2006年、北大スラブ・ユーラシア研究センターの外国人研究員として3カ月滞在

日本の出版社が私の著書の翻訳を最初に申し出てくれた事実は、今日の日本にとって、記憶の問題がいかに重要であるかを物語る

数十年をかけて、西ヨーロッパは第2次大戦の記憶を落ち着いた形で構築するに至ったが、中・東欧やアジアはまだ、第2次大戦の記憶を巡る生々しい論争を引き起こす緊張状態に直面している

1990年代以来、活動家のみならず個人や家族たちが率いた記憶ブームは、国境を超えた対話の新しい機会を生み出したが、同時に緊張ももたらした

ヨーロッパのナチズムの記憶におけるドイツの役目と同様に、日本は多くの近隣諸国にとって暴力と戦争の責任を負う国である

日本にとっては、ロシアとの関係も、歴史から影響を受け続けている。ロシアの体制は第2次大戦の勝利を強調しているが、それは1945年に日本から勝ち取った領土の一部を返還することが、争点となっている他のロシアの領土が挑戦を受ける扉を開き、弱さと見做されるかもしれないという、国家にとって基礎をなす神話に基づいている

ロシアは影響力のあるあらゆる地位を使って、海外における第2次大戦戦勝記念碑を冒瀆する行為を、ホロコースト否定論に等しい過激主義的行動として、制裁をもって罰することのできる法律を通そうとしている

ロシアの一般的な記憶の中では、第2次大戦の記憶のアジア側についてはほとんど欠落したまま。クレムリンが中国とのより緊密な協力を望んでいるため、モスクワは中国の第2次大戦観を共有する方向に向かっている。数年のうちにアジアとの協力関係を強化するために、ロシアが92日か3日を国民の記念日に制定する決断をするかもしれない。太平洋御戦争の終結した日を記念日とするのは、第2次大戦の記憶のアジア側を強調することであり、中国とロシアのパートナーシップに新しい道を拓くかもしれないが、日本の敗戦を主張する事も意味するだろう。歴史とナショナル・アイデンティティの強化に対する安部の執着は、ソ連史に対するプライドを強めようというプーチンの試みと否応なく衝突

ヴィシー政権のナチ協力と、ナチの強制収容所にユダヤ人の出自を持つフランス市民を送り込んだ責任について学校で教えるようになったのは1980年代になってからであり、シラク大統領がユダヤ人の国外追放に対するフランス国家の役割を認めたのは、漸く1995年になってからのこと。記憶は哀悼までに時間を必要とする。市民の中に浸透した歴史への誇りと、過去の罪を認めることの間に均衡を見出すのは、日本でもフランスでもロシアでも、時に困難

ロシアにとって、記憶の問題は重要。誰がファシストで、第2次大戦中のナチ協力者なのかを決める行為は、誰が今日のファシストであるのか(プーチン体制なのか、それとも、たとえナチの庇護下で発展したとしても反ソ運動を自由の戦士として復権させる傾向にある中欧諸国なのか)を指し示すことに繋がる。これらの論争の最終目標は、歴史ではなく地政学にある。つまり、ヨーロッパの将来と、誰がヨーロッパに属するのか、そして、誰が、ヨーロッパがどうあるべきかを語る正統性を持つのか、を決めること。ヨーロッパ/西側の価値に対する主敵としてロシアを排除した「ヨーロッパ」観を掲げる中欧諸国なのか、それとも、アメリカと距離をとり、さらに強い大陸アイデンティティを打ち立て、新しいヨーロッパ安全保障の枠組みにロシアを統合する道へと誘うロシアなのか

どんな反リベラル的あるいはポピュリズム的な指導者に対してであれ、「ファシスト」のレッテルを貼ることは、一種の知的降伏である。ファシズム概念は、敵と見做されるものを明確化し、それを絶対悪として「他者化」する最も強力な二分法

COVID-19のパンデミックは、リベラル・デモクラシーにさえ、個人の自由への制限を課すことを余儀なくさせ、リベラルな社会においても反リベラルな実践に関する広範な議論を引き起こした。反リベラルの罠の例としては、安全保障の名のもとに大規模なプライバシーの侵害を可能にする「テロとの戦い」という語りであり、ITとソーシャル・メディアが普及した結果としての公私の関係のより広範でより構造的な変容などがある。パンデミックが立証したことは、今日の大量消費の経済モデル、簡単に途絶されるグローバルなサプライ・チェーン、自然界への過剰な負荷、その持続不可能性である。今日の「リベラリズム」がどれだけ持続可能なのか、可能でなければどれほど「反リベラル」的になり得るのか

西側のリベラル・デモクラシーに起こっている悪いことすべての黒幕としてロシアを責める傾向を、再考する必要性がある

日本の読者が、第2次大戦を巡るロシアの複雑な記憶プロセス、反ファシズム勢力の雄としての立場、準ファシズム、保守主義、ナショナリズムのイデオロギーを掲げる政治集団の持つ両義性、そして、西側との今日のイデオロギー対立を生む歴史に関する根深い誤解に対して、よりニュアンスに富んだ見方を育むことに、本書が役立つことを願う

 

序章 ロシアとファシズムを巡る情景

l  「ファシズム」というレッテル貼りの横行

2020年、アウシュヴィッツ強制収容所解放75周年記念行事は、第2次大戦の解釈をめぐるロシア・ポーランド・ウクライナ間の記憶の紛争化を露呈――ウクライナのゼレンスキー大統領は、戦争の起源にまつわるポーランドの解釈に同調し、「ポーランドとポーランド国民は、全体主義体制の共謀を最初に体験した。これが第2次大戦の勃発に繋がり、ナチが破壊的なホロコーストを実行することを可能にした」と発言し、ナチズムと共産主義によるポーランド分割に言及して、両者を似たようなものと見做す立場を支持し、ロシア国民に大変なショックを与えた。プーチンと政治エリートたちは、「全体主義」のレッテルの下で共産主義とナチズムを等値する発想だけでなく、ロシアとその前身のソ連邦にホロコーストの責任を帰そうという試みを激しく非難

2019年、プーチンは警告を発し、「今日、我々は、多くの国々が如何に戦争の出来事を故意に歪め、名誉と人間の尊厳を忘れてナチに与した人々が如何に賛美され、彼等がどのように、恥知らずにも子供たちに嘘をつき先祖を裏切っているかを目にしている」と述べ、ナチ・ドイツに対する西側の宥和政策を非難しつつ、モロトフ・リッペントロップ協定(独ソ不可侵条約)におけるロシアの立場と、合意に基づくとされるバルト3国の併合について繰り返し述べながら、第2次大戦開戦の背後にある原因に関する自身の見解を明示

2000年代半ばに始まったこの記憶をめぐる戦いは、単に中・東欧の国々とロシアの関係に影響を及ぼしているだけでなく、国際的な諸機構にも入り込んでいる

2019年、欧州議会は「ヨーロッパの将来のための記憶の重要性について」という決議を採択、ナチズムと共産主義を結びつけ、「すべての全体主義」を非難するもので、プーチンはソ連とナチ・ドイツを類比するような「許しがたい噓」を非難する反対意見を表明

議論の焦点は、第2次大戦におけるソ連の役割で、1945年に戦争を勝利に導いた功績を称えるべきなのか、あるいは、ポーランドやバルト3国の占領を可能にした1939年のモロトフ・リッペントロップ協定に調印したことで開戦に加担したのか

こうした記憶をめぐる戦争の中心部分には、「ファシズム」の概念と、以下の2点を明らかにしたいという願望が働いている

   誰が戦時中のファシストだったのか――’39'41年ベルリンと協力関係にあったソ連なのか、全占領地域のナチ協力者たちなのか

   誰が今日、第2次大戦についての修正主義的解釈を進める新たなファシストなのか――プーチンのロシアなのか、中・東欧の国々なのか

大多数のロシア人にとって、「ファシズム」は究極の悪を意味する。ヨーロッパにおけるソ連のファシズムに対する勝利についてのコンセンサスは、ロシアの社会的・文化的凝集力の枢要な要素であり、ロシアのいかなる伝統にとっても全く異質のもの

一方で、ロシア国家、あるいは政治指導者をファシズムとして糾弾する語り(ナラティブ)もアメリカを中心に育ってきている――2014年のクリミア併合以後、ロシア・ウクライナ間では互いをファシズムだと批判し合っているし、ロシア国内では政敵が現政権批判に「ファシズム」のレッテルを使って来た。チェス・チャンピオンで反体制派の主要な論客カスパロフもファシズムのレッテルを使うことにかけてとても雄弁

 

l  政治的戦略の存在

「ファシズム」が敵の正統性を否認するための政治的戦略の一部として名付けの機能を負わされている

 

l  ファシズムとヨーロッパにおけるロシアの立ち位置

ロシアは、ファシズムをめぐる議論において、その概念を精緻化することで、重要な事例研究となる

用語の定義がどうであれ、反ファシズム国家の雄であることに基づいた文化的コンセンサスを持つ国が、同時に、国外の多くの、そして幾らか国内の人々からもファシズムと見做されるという明らかなパラドックスを、ロシアは体現している

 

本書は、政治学、政治哲学、思想史、社会学、文化人類学を組み合わせた方法論をとる

1章は、ファシズム全般についての文献を検討し、「ロシア・ファシズム」や反リベラリズムの台頭について検証する

2章は、ソ連時代のロシアの「ファシズム」概念の構築と、ソ連社会がファシズムという用語に向き合い、これを歴史的にナチ・ドイツに擬人化させる中で生じた両義性について考察

3,4章は、反ファシズムの雄としてのロシアの位置付けを考察――大祖国戦争の記憶の涵養と、記憶をめぐる中・東欧との戦い

57章は、「ロシア・ファシズム」がどこに位置し得るのかを探る

8章は、これらの異なる断片をより大きな議論に総合する

終章では、ロシアが「地位を求める」政策を実現し、ヨーロッパがどうあるべきか、ロシアはその中でどのような位置を占めるべきかを定める「アジェンダ立案国」として正統性を確保するための一助として、鍵となる戦略的な語りの一要素である「ファシズム」に立ち戻る

 

第1章        ロシアはファシズムか、あるいは反リベラリズムか

ロシアのファシズムを非難する傾向は、ウクライナにおける2014年の戦争だけでなく、国際関係においても相手を貶める新しい道具として、所謂「ヒトラーに例える論証」が用いられるようになったという大きな流れによっても強まっている

リベラリズムに対抗する者を、誰であれ新たなファシストだと非難する傾向は、ロシアのみならず国際秩序や西側の内側で現在起こっている変化について、我々の理解を著しく曇らせてしまう

l  ファシズムの定義

ファシズムは社会科学にとって不可解なイデオロギー

最初の理論は、イタリア・ファシズムとドイツ・ナチズムは例外的なので、比較研究は役に立たない、というもの

次いで、ファシズム全般に真のイデオロギー的な中身はなく、反動や「反○○」運動に過ぎない、というもの

さらには、ファシズムを共産主義への応答と見做し、両方に適応可能な全体主義理論に基づいて、ファシズムと共産主義を、互いに映し、影響し合う2つの産物として研究する傾向にあった。普遍主義、合理主義、唯物主義の否定に基づく文化的現象と見做す

1990年代には、新し定義がコンセンサスを得て、それ自体の哲学的一貫性と明確な内容を持つ真のイデオロギーとして理解されている。それは、「保守主義、無政府主義、リベラリズム、あるいはエコロジー主義同様、ファシズムも、理想の社会についての特定の「前向きな」ユートピア的ヴィジョン――核となる原理の組み合わせを保ってはいるものの、その地域の状況によって決まるいくつもの特徴的形態と見做すことができるヴィジョン――を掲げるイデオロギーとして定義が可能」というもの

本書は、ファシズムをナショナリズムの一般的な現象の中に位置付けることに反対――神話の再生こそがその世界観や社会を「ファシズム」に導く原動力だと考え、「暴力的手段によって再構築された、古来の価値に基づく新たな世界を創造することで近代を徹底的に破壊することを呼びかける、メタ政治的イデオロギー」と定義

 

l  「ロシア・ファシズム」論へのアプローチ

ロシアの政治体制に関するほとんどの学術書は、ファシズム研究に依拠していない

ロシア国家は、多様な利益集団を調停する意図を持って、しかし同時に、共創的メカニズムと選挙によって認められる大衆的支持の必要性とのバランスをとりながら、権威主義的実践を遂行していることを示唆しようとしている

研究の周縁部や、政治学者以外からは、ロシアがファシズム国家だという糾弾が高まり、ロシアを他者化する西側の伝統と、糾弾の象徴的な力ゆえに、大きく響いている

 

l  反リベラリズムの台頭と現在のファシズム論争

プーチン体制がファシズム世界に属しているとする新しい傾向は、世界的な極右ポピュリズム運動の急激な台頭の中で説明できる――リベラリズムの正統性を否定する者は誰であれファシストだと非難する行為は空前の規模に拡大してきた。「ヒトラーに例える論証」は人格攻撃法のカテゴリーに属する。歴史が政治的言語であり続けていることの証左

これらは、ファシズムというより反リベラリズムとでもいうべきもので、反リベラリズムとはリベラリズムの反対語ではなく、極右、ポピュリズム、民主主義へのバックラッシュ、ファシストなどという伝統的なカテゴリーでは包摂できない現在のイデオロギー潮流をより適切に把握する概念

 

l  3つの層からロシアのファシズムを読み解く

   古典的ファシズム――ナチやムッソリーニのような歴史的体制とヨーロッパにおけるその協力者の事をさす――は、ロシアではほとんど成功していない

   準ファシズム――より広い一連の極右概念にルーツを持つ政治原理で、ロシアは歴史的により広い層にも訴えかける広範囲にわたる反動的、超保守主義的イデオロギーを生み出してきた。その主要な例として、黒百人組、ユーラシア主義、神秘主義的スターリニズムあるいはナショナル・ボルシェヴィズムなどがあり、ロシアに深いルーツを持つ

   反リベラルの潮流――「新たな反リベラリズム」で、今日のロシアで唯一権力を持つイデオロギーであり、行き過ぎたリベラリズムへの反論とアメリカ主導の世界秩序を過ちとして糾弾

 

第2章        ソ連時代のファシズムを検証する

ソ連の伝統では、ファシスト=ナチ・ドイツであり、資本主義世界との競争における社会主義体制の正統化の手段として、戦争とナチ・ドイツに対する勝利における国民の比類なき優れた貢献について、強力な叙事詩的物語を構築

l  2次大戦の強力な叙事詩の構築

終戦後20年間、戦争当初の数カ月の対応について、あるいはモロトフ・リッペントロップ協定に関するソ連指導部の誤った対応について、公の場で議論することをせず、戦勝記念日も普通の祝日に格下げしたが、'65年のブレジネフになって戦勝記念日を国家の祝日として復活させ、大祖国戦争を人民による人民のための勝利であり、ソ連の聖なるシンボルとして、社会主義システムと人民の団結の強固さを確かめるものとして位置付けた

1985年に始まったペレストロイカは、ソ連の歴史についての支配的な語りに疑問を投げかけ、歴史のページの空白が突如埋められ、公開の場での議論を通じて、長期にわたった聖なる戦争はいくつものレベルで批判され、畏敬の念は失われた。'92年ロシアにとって最初の年の戦勝記念日の赤の広場でのパレードは中止

 

l  政治利用されるファシズム

ソ連時代、ファシズムという用語は感情的な語彙であり、ソ連との同盟を拒否した左派勢力を指すのに「社会的ファシズム」という概念を生み出す

戦後も「ファシスト」という言葉は、共通の侮辱語としてソ連文化の中で独自に生き残る

 

l  ナチ・ドイツへの秘めた魅惑

ソ連の世論が、ファシズムを国家の絶対的脅威として拒絶することによって形成される一方で、ナチ・ドイツへの秘匿された魅惑が並行して存在した

ファシズムに惹きつけられるのは、真のイデオロギー的共感による――ナチのプロパガンダ、犯罪者文化(タトゥーの研究)、映画と文化が隠された魅力の主な源であり続けている

 

l  国家機構におけるナショナリズムの台頭

ソ連のエリートたちも国民と同じポップ・カルチャーを共有し、美化されたナチ・ドイツの姿に共感を覚えていた

非スターリン化の後、ソ連の国家機構と共産党は徐々に帝政期の過去の要素を公的な文化に再統合し始め、スターリン期の末期に広範に広まった反ユダヤ主義によって加速

ナチ文化への魅了は、アーリア主義とその派生物である復興異教主義の振興となって表れ、キリスト教はユダヤ人支配の表現にほかならず、シオニズムの利益に資するだけだと非難

 

第3章        プーチン下で復活した反ファシズム

1970年代以来の国家の神話である「ファシズムとの戦い」は、今日のロシアで依然として重要な位置を占め、勇気と犠牲という至高の人間の価値を具現化しており、第2次大戦は「死に対する生の勝利」であり、ロシアにおける社会的コンセンサスの土台となり続けている。プーチンも、「戦争から得た滅びることのない教訓は、今日でもまだ現実のものであり、重要だ」と言明し、何度も「ファシズムは戻ってくるかもしれない。ロシアはもう一度己自身を、そして世界をこの悪から救うことを求められるだろう」と市民に対して警告

l  戦争叙事詩の改編と新たな伝統の創造

'95年、エリツィンは戦勝記念日のパレードを復活。モンゴル人、ナポレオン、ナチ・ドイツに対するロシアの英雄的勝利を高らかに謳う

2000年、プーチンが大統領に就任、ソ連時代のシンボルを復活させる政策は、国民の記憶の中でも尊い存在として戦争を正統化することに貢献。戦勝記念日をあらゆる形で生まれ変わるロシアと、それらすべてを体現するものとしてのプーチンを称える恒例の行事にしようという流れは、現政権の基本的な特徴となっている

草の根レベルでは、「不滅の連隊」が新たな記憶保存のイニシアティヴの典型で、'07年チュメニでのパレードがスタート。参加者は戦争に関わった家族の写真を持ってくるよう促され、追悼のパレードとなり、このコンセプトが次第に式典の一部として制度化されていく

新たな伝統を創造するプロセスは、国家建設過程にごく普通にみられる現象であり、人々の哀悼と記憶の儀礼は、新たな伝統の創造によって常にアップデートされていく

 

l  ファシズムについての教育と研究――教科書問題と学術的論争

1990年代、中央集権的国家の崩壊に伴い、教師たちはソ連の過去に関する新しい情報の氾濫に直面し混乱、2007年になって政府はより一貫性のある語りの必要性を再認識し、単一の教科書編纂を提案するが、ナチ協力者の名誉回復訴訟とも関連して、進展せず

 

l  ロシア世論におけるファシズム観

世論は概して、公的な言説路線や主要な教科書の語りに同調

3/4のロシア人が、大祖国戦争こそがまさにロシア史における重要な出来事だと考えており、ソ連の勝利というよりもロシアの勝利であるとし、自らの祖国の生き残りのための闘争として解釈される

世界中の自由と民主主義のための、ファシズムの戦いとして捉え、「ファシズム」とは敵/他者を具現化するので、国内で育っている「ロシア・ファシズム」が存在し得るという考えが世論を戸惑わせることはない

今日のロシアにおけるファシズムの危険性に関しては、比較的無頓着な見解を持っている

ロシアにとっての基盤となる記憶の神話として、戦争の役割がもたらすもう1つの帰結は、その意義を保つために常にアップデートしなくてはならないこと――2001年から進められ、定期的に見直されてきた、国家が後援する愛国的プログラムは、戦争の記憶を新しい世代に伝えることに焦点を当てている

 

第4章        記憶をめぐる戦争

ロシア世論の根本原理である、ロシアは反ファシズム国家であるという認識は、2000年代初頭よりロシアと中・東欧諸国の間で繰り広げられている記憶をめぐる戦争によって強まってきている

2005年、終戦60周年記念日にプーチンが「ファシズムの形をとった→板に対する文明の勝利」を祝した同じ頃、リトアニア大統領は、バルトにとっての194559日は「スターリンとヒトラーを交換した」日だと述べ、ナチズムと同じよな全体主義イデオロギーを持つ占領者としてのソ連の語りを登場させ、新たな歴史修正主義を見たロシアのエリート層と世論に深いショックを与えた

l  中・東欧の歴史叙述を作り変える

1989年の鉄のカーテンの消滅と、それに続くヨーロッパの再統一は、西欧が長い間持っていた自己認識と、西欧と東欧・地中海地域の周辺諸国との関係に挑戦状を突き付けた

記憶のヨーロッパ化は、法のヨーロッパ化よりも遥かに達成困難だということが判明。ヨーロッパ大陸はまだ、中・東欧と西欧それぞれの20世紀の記憶を和解させることができていないし、それによって、ヨーロッパにおけるロシアの地位をどう定義するかについての総意にも到達できていない

2次大戦は、平和のパン・ヨーロッパ的記憶の枠組みの創造途上にある大きな躓きの石であり続けている。西欧諸国にとっての終戦は、平和な戦後の再建設と実り多い経済成長に道を拓いたが、中・東欧諸国にとっては、強制的な社会主義ブロックへの編入の始まりであり、バルト3国にとっては国家の独立を失うことも意味し、2000年代のEUNATOへの加盟をもって初めて「正常」への回帰を体感

自分たちはナチからソ連の支配下に受け渡されたと考えてきた中・東欧諸国の記憶は、新たな歴史の表現であり、ソ連を枢軸国に対抗する西側諸国の同盟国と見做す西側・ロシアの語りに真っ向から挑む

記憶の問題は急速に政治化され、チェコやポーランドでは行政機関から旧共産主義体制と過度に強く結びついていた人々を一掃する浄化政策をとり、バルト諸国では民族籍に基づいた制限的な市民権政策によって、'40年以降にバルト諸国に移住してきたソ連移民を周縁化した。自国のかつての共産主義体制を違法で犯罪的だったと認めたり、第2次大戦と関係する共産主義時代の銅像の全てを撤去したり、モスクワの戦勝記念式典への参加を拒否したり、様々な形で具体的な行動となって現れだした

バルト諸国では、ソ連による占領がもたらした被害についても具体的な金額を挙げて声高に主張し始めている

ウクライナが2004年のオレンジ革命後にこの中・東欧の唱和に加わったのは、ホロドモール(大飢饉)が焦点で、農業の集団化によって引き起こされた人災であり、ウクライナ人を標的にしたジェノサイドだと主張

 

l  「共産主義版ニュルンベルク」実現に向けて

中・東欧諸国は、記憶をめぐる各国の政策を追求し、そこにロシアの地位を周縁化させるような国際的性質を与えようと、ヨーロッパの機構を利用

欧州議会などで、ナチズムとスターリニズムに対する批判が噴出。ナチ協力者の処刑に携わった軍人をジェノサイドの罪で起訴する事件も起こる

 

l  ロシアの反応

ロシア当局は、敵対する語りを構築し、この記憶をめぐる計略を攻撃するツールを創り上げることで、新しい歴史叙述に反応してきた――ロシアの国益を害する歴史の歪曲と戦う委員会の立ち上げ

 

l  ウクライナ2014――大祖国戦争の再来

ユーロ・マイダン革命(親ロシア派大統領を追放)とそれに続くクリミア併合、ドンバスの反乱軍へのモスクワの支援は、10年に及び続いていた記憶をめぐる戦争に新たな、唐突な刺激を与える――ロシアを解放者と見做すか占領者と見做すかをめぐる戦い

プーチンは、ポスト・マイダン政権を、ナショナリスト、ネオ・ナチ、ロシア嫌い、反ユダヤの連中によるとし、ロシアは再びウクライナのファシズムと戦うのだと暗示している

 

第5章        プーチン体制の構造を読み解く

プーチン体制は、見る角度によって複数の解釈を与えられるハイブリッドな構造

過去20年間で根底から進化、新たな難しい地政学的環境にも対応する驚くべき能力を示してきた。定期的に自浄し、幅広いイデオロギー的多元性も示す

大統領府内では、2つのグループがファシズムのレパートリーを演じている――軍産複合体と正教で、ロシアのエリートのなかではあくまで傍流

l  ハイブリッドで場当たり的な体制

プーチン体制の本質を読み解く3つの学派

   収奪政治

   ナショナリズム、報復主義、帝国的攻撃性に突き動かされた全体主義的、ネオ・スターリニズム的組織

   大統領府、軍産複合体、正教界(ママ)という3つの生態系(エコ・システム)からなる。それぞれが機構、資金提供者、支援者からなるが、個人的な友情やイデオロギー的忠誠心に基づく関係は不透明

 

l  軍産複合体――ソ連スタイルの教化を求めて

主要人物はほとんど高齢のソ連時代の文官か軍の高官で、社会に対する一定程度のイデオロギー上のコントロールを維持することを求めている

 

l  正教界――ツァーリズム、反革命亡命者、そして黒百人組

モスクワ総主教庁と政治的正教を推進するグループという2つの構成要素があって、何れも正教がロシアの精神的支柱であると主張しているが、正教会には国の再キリスト教化と国家に対して特権を有する立場を確かなものにするという長期的目標があって、とりわけ道徳の分野に関与を深めてきたのに対し、政治的正教グループは正教を政治的イデオロギーと解し、国家機構と対峙することも辞さず、ソ連時代に存在した「ロシア人党」の活動にルーツを持つ

黒百人組は、20世紀ロシアに存在したいくつかの極右集団・反セム主義団体の総称

 

大統領府は明確に定式化された包括的ドクトリンを持っていないが、他の2つの生態系は、広まる保守的な雰囲気を、教義上の実体をもって活気付けようとする中で、信条的にはさらに一貫性があって体系化されたイデオロギーを磨き上げている。それらの内容の特徴の多くが、反動の世界、つまり帝政であれスターリン的様式であれ、社会は以前の状態に戻る必要があるという理念に結び付いている

ただし、ファシズムに属する特徴を見出すことは依然として困難

 

第6章        ロシアのファシズム 思想家たちと実践者たち

反ファシズムを体現しているという公的な語りを共有する一方で、鮮明な極右が存在する

l  ロシアの極右――常に傍流

ポスト・ソヴィエト期のロシアで政治イデオロギーとしてファシズムを復活させた先駆けは、'90年代初頭、ロシアの主要な「黒シャツ」式準軍事組織だった「ロシア民族統一」党

今日、ロシアの極右は大方解体

 

l  武装組織の台頭と美化される自警団文化

体制の目標を支持する草の根サブカルチャーが自警団文化で、非公式な法執行という立場で行動する民間人という理念を間接的に強化

今日の自警団的な活動のうち最も組織化されたものはコサック(辺境の半軍事的共同体)の伝統と繋がり、およそ300万人がコサックとしてのアイデンティティを主張、その特別な地位は'96年以来国家によって認められている

ロシア正教会から発達した自警団が「ソロク・ソロコフ」

 

l  ファシズムを教義として復活させる

少数の知的サークルの中でファシズムを教義として復活させようとする一連の動きがある

ロシア人のアーリア起源というテーマが喧伝され、スラヴ人は最初の人類だとされる言説を公言する集団も存在

 

第7章        ヨーロッパ極右とロシアの蜜月

クレムリンは、国内の草の根ファシズムの流れをコントロールしつつ、西側の極右やポピュリズム政党にグローバルな規模で接触する政策を展開

経済関係、特にエネルギー協力の強化や、それぞれの政府にロビー活動を行う力を持つヨーロッパのビッグ・ビジネスとのネットワーク構築、攻撃的な広報外交の再始動などの攻撃ツールも活用

l  先駆者たち――ヨーロッパ新右翼とのネットワーク開拓

ヨーロッパの極右と個人的な繋がりを築いた最初のロシア人イデオローグはアレクサンドル・ドゥギン(1962)

 

l  2000年代の転換――「ロージナ(祖国」」とモスクワ総主教庁

交流の第2波を担ったのが、①ロシアはヨーロッパの(=白人の)国で、自らを移民から守らなくてはならないとする党(ロージナ)と、②ロシアをキリスト教的価値の砦として進んでブランディングするモスクワ総主教庁の2つの組織で、対話のスケールを個人レベルから政治的エリート層にまで引き上げ

ロージナは、白人のヨーロッパ大陸を移民の到達から防衛するという同じ意思を共有するヨーロッパの盟友を探し求めた初めての主流派政党

 

l  3の波――クレムリンの新たなヨーロッパ同盟者探し

3の波はプーチン大統領第3(201218)と一致――イタリアやオーストリアの政党とロシア政府との公的な協力関係構築は、’19年両連立政権が崩壊したとはいえ、ロシアの最も輝かしい成功。フランスのル・ペンとの接触も濃厚なまま

ヴィシェグラード諸国の中でハンガリーは熱心なロシアより政策で際立つが、モスクワはその他の国々の保守派や極右政党との繋がりも育む

ヴィシェグラード・グループは、中央ヨーロッパ4か国による地域協力機構。1991チェコスロバキアハンガリーポーランド3か国により、ハンガリーの都市ヴィシェグラードでの首脳会議において設立された。これら諸国は、伝統・文化的に近縁であることもあって、各国の友好・協力関係を進めること及びヨーロッパ統合の進展等を目的としている。チェコスロバキア'93年のビロード離婚によって分離したがメンバーに加わり、'04年揃ってEUに加盟

ロシアと国境を接して対立の長い歴史を持つ諸国にのみモスクワに敵意を抱く極右政党が存在しているが、その他の国々では地域に根を張る極右が、自分たちのアジェンダや国家の語りを侵害することなくロシアを受け入れている

アメリカでも多くの「オルト・ライト」たちはプーチンの大ファン

 

第8章        なぜロシアはファシズム国家ではないのか

ロシアの体制がファシズムの特徴を備えていることを指し示す唯一の例が武装組織的サブカルチャー

l  歴史のアナロジーを脱構築する

歴史のアナロジーは、議論のためにいくらか興味深い道を示すかもしれないが、社会科学に基づいた分析の厳密さに耐えることはなく、予言的な力も欠いており、我々が現在の潮流を理解する一助となるような妥当性も限られている

 

l  「プーチンはファシストではない」

ナチ・ドイツを除いて、ファシズム体制の多数は実際のところ全体主義ではなく、個人の生活のあらゆる面を全面的に支配したわけではなく、いくつもの抜け穴があった

全体主義は、大衆を服従させるためにテロルのシステムを使い、世界征服のプレリュードとして生活の全側面を支配しようとする。今日のロシアにはその特徴は微塵もない

プーチン体制は、反対派リベラルの非合法化に注力、反体制の原動力となり得る国民の怒りを回避するために非政治的表現には可能な限りの自由空間を許容しつつ、プライベートで忙しい市民や生活に満足している個人を歓迎。こうした特徴は権威主義体制の典型。自分たちの権利獲得には自制を課し、そうして政治権力を維持し、一定のルール順守を求め、政治的支配に歯向って来ない限り、限定された自由を認める

過去10年間で政治的自由は抑制されてきたし、政党に与えられた選挙上の自由は限られており、反対派がその表現を妨害され、メディアはいよいよコントロールされつつあるが、それでも、求める者にはイデオロギー的多様性はまだ存在している

プーチンはプラグマティスト。新しいタイプの近代国家のユートピア的ヴィジョンなど持たない、「現実政治」の達人であり、専門的に言えばファシストではない

人権や民主主義が切り崩され、攻撃される方法はファシズム以外にもあるので、ファシズムを議論から外して、現代ロシア国家の民主主義の崩壊という特異性と、膨張主義や同盟関係を用いてロシアが世界平和に突き付けている危険性に集中すべき

 

l  ユートピア的思想の欠如

プーチン体制は、ファシズムの要素である「大衆強化と動員」という中核的要素も欠如

現体制は国家公認のドクトリンを基礎にしていない。プーチニズムの基本的ドクトリンといえるテクストはない。統一教科書の企画すら頓挫したことは、ソ連の過去についての解釈に多くの相違があることと、国家機構には教育や学術的コミュニティが歓迎しない何かを強制的に押しつける力がないことを反映している

西側ウォッチャーたちはプーチンの仮定のイデオロギー教祖を探し続けてきた――ユーラシア主義の用語法を広めたドゥギンだとされたが、あまりに神秘主義的で、過激な理論は国家機関からは相手にされなかった

ほとんどの研究者がファシズムの最低限の共通の特徴と考えるもの――暴力の扇動を伴いながら大衆を動員することで動く、変革のユートピア的プロジェクト――を欠いている

ファシズムを反啓蒙主義に根差した他の反動的イデオロギーと区別する中核的要素は、再生の神話と暴力のカルトであり、過去を否定し徹底的に新しい社会の創造を求める

クレムリンによる動員の試みは、2014年のクリミア危機のピーク時に行われ、国内ではヒステリーの雰囲気を作り出し、ドンバス内戦に参加する義勇兵を生み出した。草の根レベルの動員能力を利用することはできたが、ひとたび過激派グループがキエフのみならずクレムリンをも乗っ取る「ロシアの春」を叫び始めると、当局は取り締まりに転じた

世論調査の結果でも、政治とは回避するのが最適な腐敗した世界だと、広範に信じられていることを示しているのと同時に、ファシズム体制に典型的な動員と教化が今日のロシアには欠けていることがわかる

 

l  エスノ・ナショナリズムでもなく、帝国主義でもなく、ポスト・コロニアリズム

ファシズム体制の核と考えられるもう1つの特徴は、しばしばウルトラナショナリズムの一形態と解釈される帝国主義だが、エスノ・ナショナリズム集団に特に顕著に見られるものの、国家当局のレベルでは公的なナショナリズムの教義を掲げているとは言えない

国際社会のグローバル化の進展や冷戦体制の崩壊は、従来国民国家の枠組みの中に封じ込められてきた民族意識の覚醒をもたらし、少数民族の自決の動きや民族紛争の激化を招来させている。そうした既存の国民国家への挑戦として現れている「民族」(エスニシティ)の自己主張の動きのことをいう。ユーゴスラビアや旧ソ連などの旧社会主義諸国に顕著に現れている。カナダのケベック州やインドネシアの東ティモールの分離・独立の動きもそうである。

ロシアは、民族としてのロシア人の優越性というドクトリンを掲げるようなことさえしない――むしろロシアの多民族、多宗教的性格を強く主張し、ナショナリズムへの言及を危険なものとして非難してきた

ロシア語で「ルースキー」という言葉の古い意味では、東スラヴ民族の統合体を指し、3つの民族分類(ロシア人、ウクライナ人、ベラルーシ人)からなる東スラヴ民族が、同一の揺籃の地、キエフ・ルーシから生まれたと規定する古い歴史的テーマに属する

イレデンティズム(領土回復主義)的言説は、ファシズムの繋がりがなくとも、多くの国々や政治文化に存在――ロシアの30年の歴史の中で、クリミアは唯一のイレデンティズムの事例で、ウクライナに対する支配力の喪失と黒海への主要出口を失うことへの恐れに対するクレムリンの反応として説明し得る特殊なケース。マイダン革命がなければ起こらなかったし、南オセチアやアブハジアの場合はグルジアを弱体化させ西側に接近するのを阻むのが主要目的で、領土的な野心はない

 

l  極右とクレムリンの微妙な関係

ロシアがファシズムだとする主張に利用されるもう1つの議論が、ファシズム集団の存在

過激派の存在は、大多数の西側諸国に共通のもの、アメリカ合衆国ではさらに顕著

国家当局と極右の間の相互利用の試みにおいては、クレムリンが常に飴と鞭の政策を使いこなして、こうした草の根運動を利用する主導権を握っている

 

l  ファシズムではロシアは理解できない

ファシズムの要素のうちロシアが持っているのは、国家機関によって直接的に支持される準軍事的文化のみ

政権のバックボーンとして、また国家の主要な公的・私的機関の管理者として、保安機関を制度化した理由は、プーチン体制が国を細かい点に至るまで管理する必要があること、それゆえ、個人的忠誠心で動く信頼できる伝道ベルトが有用であることから、体系的に説明可能

保安機関の台頭と、青少年の軍事教練の復活は、伝統的な男性性の再形成を促す。こうして形成された準軍事的世界は軍や保安機関の言語と、犯罪界の言語の両方を繋ぎ合わせる

ギャング文化は、後期ソヴィエトやポスト・ソヴィエト文化に、特に映画を通して刺激を与えてきたし、法執行機関や保安機関にも浸透、自ら10代のころ「不良少年」だったことを誇らしげに語るプーチンの下で、主要文化の一部となってきた

自警団サブカルチャーは当局との共生関係の中に存在し、多層的な役割を果たしている

最小限の所では、体制とその価値について、特にブルーカラー層の社会的コンセンサスを育てているが、さらに愛国主義的思想を持ち、訓練を受け、潜在的に採用されることが可能な状態にある何十万という市民に対して、有力省庁がアクセスを確保できるようにしている

ファシズムとの比較より、ボナパルティズムやベルルスコーニズムとの比較が示唆的

ド・ゴール主義との比較では、両者とも国民の儚いコンセンサスを再建し、社会的、国内的破砕を回避することに成功。世論形成にあたってのアルジェリアとチェチェンの類比は象徴的で、後者はゼノフォビア(=外国人嫌い)の台頭をもたらす。両国とも植民地主義の過去と折り合いをつけ、新たな形のアイデンティティと、旧植民地や「近い外国」との相互関係を構築しなければならなかった。何れの場合も、過去の暗黒部分を曝け出すことに躊躇、ド・ゴールはナチ協力者問題を避け、プーチンはモロトフ・リッペントロップ協定後の東欧占領問題を棚上げしている。比較的権威主義で検閲的な体制を確立したのも同じで、国家の威光というイデオロギーを推し進めた。ド・ゴールはプーチンの言う「ロシアの世界」理念に通ずる「フランス語圏」概念を掲げ、米英やNATOに統合された機構から距離を置いたソ連に対し比較的に友好的な「諸国家のヨーロッパ」なるものを呼びかけたが、今日の世界に対するロシアの国家的ヴィジョンとの類似性は印象的

プーチニズムとゴーリズム(ド・ゴール主義)の比較は示唆的で、今日のロシア国家を「正常化」の光の下で見ることに役立つ

プーチンは、トラウマを受けた後の社会を強化するために、そして国家の威光や保守主義的価値に対する社会全体の賞揚に基づいて社会的安寧をもたらすために現れた。家父長的指導者の古典的典型。'68’69年のド・ゴールが改革へ向かうフランス社会に取り残されたように、プーチンも近い将来同じ運命に見舞われるかもしれない

 

終章 ロシアの記憶とヨーロッパの将来

歴史上のヨーロッパ・ファシズムに当てはまる古典的ファシズムや、白人至上主義は、ロシア世論では忌み嫌われ続けており、ロシアの国家機関からは概ね抑圧されてきた

準ファシズムともいうべき、ファシズムに関連するいくつかの概念上の特徴を共有する、文化的にロシア化された教義は今後も容易に発達し得るだろう――ロシア・ナショナリズムやロシア保守主義の古典的ストックの一部でもあるが、ロシア政府が進める日常レベルの統治の主流の外にあるに過ぎない

ロシアの思想的主流は、遥かに従来型の、総意による基盤に依拠――ブレジネフ時代へのソ連ノスタルジーと、1990年代への批判と、西側の偽善と道徳的退廃と見做されるものに挑む新しい世界秩序への要求とを組み合わせたもので、反リベラリズムに近い

 

l  ファシズムのレッテル貼りが教えること

「ロシアのファシズム」は、特定のイデオロギー的潮流とは言えない

単純なる二項対立を控えることは、ロシアを西側の根本的他者とする営為を回避することにもなる

アメリカ・ヨーロッパとロシアとの違いは、本質の問題ではなく、共有する地続きの世界の見え方の問題であって、ロシア的な特徴はファシズムとは無関係

世界中で見られる反リベラル政党の台頭は、ファシズムの再来でもなければ、ロシアの支援の結果でもない

明確なのは、ロシアの体制がドクトリン上の一貫性を持っているわけではないということと、プーチニズムとは固定的なカテゴリーではなく常に変容しているということ

 

l  ヨーロッパの名の下で西側に挑む

ロシアはEUに対しても、あまりにアメリカに追従し過ぎており、自分たちの大陸アイデンティティに十分向き合っていないとして批判的

ロシアは多くのヨーロッパの機構や枠組みに入って自分たちの声を響かせたい、聞いてもらいたいという意味で、自分たちを広い意味でのヨーロッパの一部に属すると見做している。文化的遺産という点から自らをヨーロッパの一部だと考えているだけでなく、ヨーロッパの守り手であるとも見做している。ロシアの正常性の判断基準は、ヨーロッパ中心主義的なものであり続けている

ロシアはヨーロッパ中心主義的でありながら、反西側である。ヨーロッパに帰属することを熱望しながらも、西側を否定的基準、拒絶すべき規範の源として批判する。ロシアは、ヨーロッパの名の下に、西側のオルタナティヴを示す

 

l  ヨーロッパ・アイデンティティをめぐるロシアのジレンマと戦略

「誰がファシストか」というレッテルを使い分けることは、理想的なヨーロッパとは何かを定義することでもある

もしロシアがファシストなら、ロシアはヨーロッパから排除されることとなり、アンチテーゼとして、そしてリベラリズム、民主主義、多元主義、大西洋機構への参加といった、ヨーロッパの概念に体現されるあらゆる価値にとっての本質的他者として描かれる

もしも逆に、モスクワが言うようにヨーロッパが再びファシズム化しつつあるのなら、ロシアが、キリスト教、保守主義、地政学的大陸部、国家中心的を意味する「真の」ヨーロッパが復活する道を指し示しているということになる

誰がファシストかを決める現在の争いは、ヨーロッパの将来を定義する闘いであり、分断線を引くキーとなる問題は、ロシアの包摂か排除か、にある

 

 

訳者解説

著者は、ロシアのナショナリズム、思想・イデオロギーを専門とする研究者で、ユーラシア主義の研究で知られる。

本書の特徴の第1は、「ファシズム」を言説として捉え、そこにどのような政治的対立が反映されているかを炙り出すのを目的としていること。「ファシズム」の定義に共通の見解はないところから、「ファシズム」を言説として分析し、ロシアを事例として、歴史的、地域的文脈の中で「ファシズム」がどのような意味で用いられているか、その目的、政治的な意図はどこにあるかを明らかにしようというもの。「ファシズム」に働く「ラベリングの政治」の研究といえる

特徴の第2は、こうした「ファシズム」に対するロシア特有の立ち位置を描き出していることにある――甚大な犠牲を払ったファシズム戦争の経験からロシアにとってのファシストとは絶対的な悪であり、それゆえに反ファシズム国家としてのアイデンティティが社会を束ねる重要な要素になっている一方で、ロシア社会の中にはファシズム/ナチズムに対する微妙な感情が存在する。ファシズムの持つ力、規律、ファッション、オカルティズム等に惹かれる現象があり、政治勢力の中にはファシズム的なものを借用し、賞揚する者もいる

記憶をめぐる国家間の対立、ナチのシンボルを再利用するサブカルチャー、ロシアの極右イデオローグの動向とその人脈、ロシア正教と政治、ヨーロッパ新右翼とロシアの関係といった、従来別々に論じられてきた諸テーマを切り結ぶのがファシズムだということでもある

3に、その解釈が捉える射程の広さ――著者は、現在ロシアで起こっている現象を、グローバルな反リベラリズムの波の中に位置付けて理解している。反リベラリズムはリベラリズムを経験した国で、リベラルへの懐疑や批判から生じているのであり、リベラルな価値を批判し否定するプーチン体制は、決して「他者」などではなく、むしろ、リベラリズムへの幻滅から広がる地続きの世界の一部であって、「西側」世界は多かれ少なかれ同じ問題を共有している。問題の根源が「他者」にあるのではなく、「自己」の内にも存在するという指摘は、トランプ現象の只中に構想された本書の特色の1

最後に、ユーラシア主義の研究者である著者だからこその記述は、ネオ・ユーラシア主義の代表的イデオローグ、ドゥギンの政治的影響力について、明確に否定

 

 

 

(書評)『ファシズムとロシア』 マルレーヌ・ラリュエル〈著〉

2022416日 朝日

 プーチン体制の本丸を見誤るな

 プーチンのマッチョさはムソリーニのようだ。野党を暴力で封じ、国民の表現と言論の自由を奪い、隣国に対する攻撃によって、経済危機で自信を失ったロシア人に大国意識を与えるのはヒトラーに似ている。

 私たちはついプーチン体制をファシズムと呼びたくなる。実際、T・スナイダーなどの著名な歴史家はロシアの現状をファシズムに喩えて論じるのを好む。では、ロシアは21世紀のファシスト国家なのか。

 ロシアのイデオローグや大統領周辺の人々の言動と影響力を詳細に調査した本書の答えは「NO」である。

 たしかに、ファシズム期のドイツで活躍した自警団の如き組織もプーチンの周辺におり、ファシズム支持を公然と唱える思想家も知られている。だが、それは本丸ではない。ファシズムと呼ぶことで、ロシアを西側の理解不能な敵に固定化してはならない。ロシアの政治的展開を問う唯一の正当な方法は、己を知る、つまりプーチン体制の中の西側的部分を知ることだ、と。

 そして著者は、現在のプーチン体制は次の三つの勢力の「生態系」だという。

 第一に大統領府。リベラリズムを排し、国家指導者の無謬性を強調して反対派を威圧する。だが、それは一つの主義の貫徹ではなく、競合する多元的な考えの混在の結果だと分析する。

 第二に軍産複合体。高齢層の文官や軍の高官が国防省や軍需産業の要職の多数を占める。ソ連時代のノスタルジーを中心にした保守主義の傾向が強い。

 第三に正教会関係の諸組織。周縁には反同性愛や君主制主義などが渦巻いているが、ファシズム的性格は部分的であり、むしろ市民と政府を巻き込んだ反リベラルなネットワークの様相を呈している。

 反リベラル勢力の高まりにせよ、軍産複合体の存在感にせよ、反対派の弾圧にせよ、世界的現象であり、現代日本の状況とも似ている。時宜に適った重要な本の翻訳出版に感謝したい。

 評・藤原辰史(京都大学准教授・食農思想史)

     *

 『ファシズムとロシア』 マルレーヌ・ラリュエル〈著〉 浜由樹子訳 東京堂出版 4180

 Marlene Laruelle 米ジョージ・ワシントン大ヨーロッパ・ロシア・ユーラシア研究所所長。

 

 

 

ロシアは「ファシズム」なのか?

現在のヨーロッパやロシアの状況を表わす用語は「反リベラリズム」

【橘玲の日々刻々】2022519

 歴史家マルレーヌ・ラリュエルの『ファシズムとロシア』(翻訳:浜由樹子/東京堂出版)は、原題の“Is Russia Fascist?(ロシアはファシストか?)のとおり、現在のロシアを「ファシズム」と定義できるかを論じている。この問題を考える前段として、ソ連崩壊後に、中東欧やバルト三国から提起された「記憶をめぐる戦争」が、西欧とロシアの「歴史戦」になっていることを前回紹介した。

[参考記事]ウクライナ侵攻の背景にあるロシアと中・東欧・バルト諸国の「記憶をめぐる戦争」 末尾参照

 ロシアはファシズムなのかを問うには、「ファシズムとは何か」を定義しておかなくてはならない。だがラリュエルが述べるように、これは一筋縄ではいかない。

 歴史的に見れば、「ファシズム」はイタリアのベニート・ムッソリーニが1919年に設立した政党「イタリア戦闘ファッシ」から始まる一連のイデオロギーと政治運動、および統治体制をいう。問題は、この「ファシズム」をどこまで拡張できるかで意見の一致が困難なことだ。

 現代史家のなかには、イタリアのファシズムとドイツのナチズムのちがいを厳密に論じる者もいる。その一方で、特定の政党・政治家に「ファシズム」や「ファシスト」のレッテルを貼って批判することがしばしば行なわれている(もちろんこれは日本だけのことではない)。「ファシズム」の定義は、まさに論者の数だけあるのだ。

l  ファシズムはずっと「不可解なイデオロギー」だった

 ファシズムはずっと、社会科学にとって「不可解なイデオロギー」だった。そのため当初の議論では、「イタリア・ファシズムとドイツ・ナチズムは世界史の中で例外的で、この現象を説明するのに比較研究は役に立たない」とされた。こうしてしまえば、ファシズムを定義すること自体が不要になるので、都合がよかったのだ。

 もうひとつの有力な説は、ファシズムに真のイデオロギー的な中身(イズム)があるわけではなく、それは「反共産主義」や「反ユダヤ」のような反動にすぎないというものだった。このような消極的な定義を採用しても、ファシズムを積極的に定義する必要はなくなる。

 マルクス主義学派にとって、ファシズムとは「資本主義の矛盾を通じて説明可能な反動的運動」だった。だがこの理論では、ナチズムの人種主義的な側面は切り捨てられることになってしまう。

 ファシズムを共産主義への応答と見なし、両者を互いに影響し合う二つの産物として論じる者もいた。この立場では、どちらも近代(進歩主義)の行きついた果てに生まれたイデオロギーになるが、それとは逆に、「進歩、普遍主義、ヒューマニズムを否定した反啓蒙主義イデオロギー」としてファシズムを位置づける者もいた。

 ラリュエルによれば、ファシズム研究にはいくつかの流派がある。

 「ウェーバー的見地」では、ファシズムを「社会変革があまりに急速で、全員に平等に利益をもたらすわけではない場合に生じる、近代化の犠牲者の反応」として説明する。それが「失われた確かさを取り戻す新しいユートピアを創造し、スケープゴートを見出す」というのだ。

 フランスのポスト・モダンの思想家ミシェル・フーコーの「統治性」概念では、ファシズムは「社会における私的・公的生活のあらゆる面を支配する統治性の極端な全体主義的事例」だと見なされた。同じくポスト・モダンの精神分析学者ジャク・ラカンは、「全能の支配的男性とみなされる指導者に容易く操られ、暴力に訴える傾向のある大衆の、本能的なパターン」を分析した。ラカン的にいえば、「ファシズムの歓喜は人民のナルシスティックな自我に侵入し、集団的精神病を促す」のだ。

l  ファシズムはなによりも「(ユートピアを目指す)革命運動」

 こうした社会科学の議論とは別に、ファシズムを経済学的に定義しようとする試みもあった。それによればファシズム体制は「経済にまで国家の支配を及ぼし、主要産業を国有化し、巨額の国家投資を行い、計画経済や価格コントロールのいくつもの方法を導入した」国家運営ということになる。またカルチュラル・スタディーズは、視覚的プロパガンダ、審美論、劇場型演出の重要性を探求することで、ファシズムを文化(サブカルチャー)としてとらえる方法を開拓した。

 これらの議論を踏まえ、1990年代に歴史家のロジャー・グリフィンが、より研究上の合意を得られるファシズムの定義を提出した。それは、「保守主義、無政府主義、リベラリズム、あるいはエコロジー主義同様、ファシズムも、理想の社会についての特定の『前向きな』ユートピア的ヴィジョン――核となる原理の組み合わせを保ってはいるものの、その地域の状況によって決まるいくつもの特徴的形態とみなすことができるヴィジョン――を掲げるイデオロギーとして定義が可能である」というものだった。

 急速な文化的衰退は、文化的悲観主義を喚起するのではなく、代わりに「国家・民族の復活についての革命的思考を希求する動き」を促すとグリフィンは考えた。ファシズムは「新生を掲げるウルトラナショナリズム」なのだ。――2012年には、「形成される状況と国家・民族的(ナショナルな)文脈によって独特なイデオロギー的、文化的、政治的、組織的表現を帯びる、ナショナリズムの革命的な形態」というより明快なファシズムの定義を提案している。

 ラリュエルはグリフィンのこの定義を踏まえたうえで、「神話の再生」に重きを置く。ファシズムとは、「暴力的手段によって再構成された、古来の価値に基づく新たな世界を創造することで近代を徹底的に破壊することを呼びかける、メタ政治イデオロギー」なのだ。この場合、重要なのはファシズムの「極端な」ナショナリズムではなく、「ファシズムの黙示録的な特質――再建のために破壊する」になる。

 この見方では、ファシズムはなによりも「(ユートピアを目指す)革命運動」だ。歴史的にこれに当てはまるのは、イタリアのファシズム、ドイツのナチズム、ロシア革命(レーニン主義)とスターリズム、中国の文化大革命、カンボジアのポルポトなどだろう。戦前の日本の国家総動員体制は「全体主義」ではあるものの、そこに「革命」や「ユートピア(八紘一宇)」の要素がどれほどあるかは議論が分かれるのではないだろうか。

l  プーチン体制は「大統領府」「軍産複合体」「正教会」の3つの生態系で説明できる

 ロシアと旧ソ連地域の研究者であるラリュエルは、プーチン体制(クレムリン)を3つの生態系で説明する。

 第一の生態系は「大統領府」で、それは「ハイブリッドで場当たり的な体制」だとされる。大統領府を構成するのはソ連崩壊を体験した優秀な若手で、ウラジスラフ・スルコフがその象徴として挙げられている。

 彼らはプラグマティックで現実政治的なテクノクラートで、目の前の問題をどうにかして解決することだけに注力する(そしておおむねうまくやってきた)。ただし「愛国主義」は絶対で、現代のロシアでは「誰であれ、その愛国的心情を示すことなく、公的な、政治的正統性を手にすることはできない」。だからこそ経済的自由主義は許されても、政治的自由主義は「非愛国的」として拒絶されるのだ。

 第二の生態系は「軍産複合体」で、「劇的に変化することのなかった地政学的、産業的な利益に依存している」とされる。主要人物たちのほとんどは高齢のソ連時代の文官か軍の高官で、彼らにとっての愛国主義はソ連時代をなつかしむノスタルジーでもある。

 第三の生態系は「正教会」で、正教こそがロシアの精神的支柱であると主張する。だがたんなる復古主義でなく、1990年代の市場経済に向かう混乱から生まれた新しい世代のなかに、いわゆる「正教ビジネスマン」が台頭しているという。彼らは成功した個人企業家たちで、正教会に傾倒して献金をするが、その目的は政治的目標に近づき、クレムリンに好意的に見てもらうよう仕向けることなのだ。

 こうした主要プレイヤーに対して、ファシズム=ナチズムが「絶対悪」とされてきたロシアでは、極右はつねに傍流だった。今日のロシアでファシズムの特徴が見られるのは自警団(民兵)のサブカルチャーくらいで、ロシアのファシズムの象徴とされるアレクサンドル・ドゥギンは、欧米で思われているのとはちがい、プーチンとクレムリンにほとんど影響力をもっていないとされる。

 このようにしてラリュエルは、ロシアをファシズム、プーチンをファシストとするティモシー・スナイダーのような歴史家・知識人を批判する。「ロシアをファシストに分類することはしばしば、ロシアを西側にとって他者とし、「我々」にとって望ましくないものすべてを体現させるという単純な役割を果たす」からだ。

 ロシア研究は長い間、「民主主義vs権威主義」「西側vs非西側」「ヨーロッパvsアジア」など、時代遅れの二項対立の型にはめられてきた。近年の西欧諸国ではそれが「西側のリベラリズム」対「ロシアのファシズム」となり、ロシアではこの構図が反転して、「ロシアの反ファシズム」対「西側の新たなファシズム」になる。

 こうした非難の応酬は、双方の立場がまったく逆なので、合意を得られる着地点はどこにもない。「プーチンはファシストではなく、ファシズムではロシアは理解できず、安易な「ファシズム」のレッテル貼りは状況を理解できなくさせるだけだ」というラリュエルの主張には説得力がある。

 とはいえスナイダーは、こうしたことをわかったうえで、アカデミズムの用語としてではなく、プーチンがもっとも嫌がる表現として「ファシズム」という言葉を政治的に使っているようにも思える。だとしたら、両者の主張が交わることはないのではないだろうか。

反リベラリズムは「下級国民の抵抗運動」

 マルレーヌ・ラリュエルは、現在のヨーロッパやロシアの状況を表わす用語は「ファシズム」ではなく「反リベラリズム」だという。

 リベラリズムへの抗議とは、政治や経済、文化の分野で国家の主権やサイレント・マジョリティの権利を訴える「ポストリベラリズムの政治的パラダイム」だ。具体的には、政治では「超国家的で多元的な機関の拒否、国民国家の再生」、経済では「保護主義」、文化では「多文化主義と少数派の権利の否定、誰がその民族・国家(ネイション)に含まれ、誰が民族・国家の真の文化的特徴であるべきかについての本質主義的定義」になる。この現象は、リベラリズムを経験した国々に限って起こっており、また、生じた時期も限定的だともいう。

 ラリュエルの視点では、ヨーロッパの「右傾化」とは新たなファシズムの台頭ではなく、「反リベラル政党」の影響力が強まったことだ。彼らの特徴は、反リベラルであるにもかかわらず、一見するとリベラルな主張をすることで、「アイデンティティにおける『キリスト教主義』、世俗主義的姿勢、ユダヤ人に同情的な立場、ジェンダー平等やゲイの権利、言論の自由等をうわべではリベラルがするように擁護」している。

 フランス大統領選で4割を超える票を獲得したマリーヌ・ルペンは、イスラーム原理主義と差別化するもっとも効果的な方法として、キリスト教(カトリック)の価値観を対置するのではなく、表現の自由や性的マイノリティの権利など、市民社会(世俗)の倫理を強調した。現代のポピュリズムは、社会がエリートに支配されているとして、社会経済的な支配層(金持ち、オリガルヒ、ブルジョワジー)と、制度によって「優遇された」者たち(外国人、移民、国内に潜む裏切り者)を非難するのだ。

 だが反リベラリズムを「右派のポピュリズム」と定義すると、イタリアの「五つ星運動」やフランスの「不服従のフランス」のような左派ポピュリズムを説明できなくなる。だとしたら、右と左のポピュリズムをまとめて「下級国民の抵抗運動」とした方がすっきりするのではないだろうか。

l  ロシアとヨーロッパの極右は、「リベラル」という共通の敵に対して戦っている

 西欧では、モクスワを敵視する極右政党が存在したのは、フィンランド、バルト諸国、ウクライナ、ポーランド、ルーマニアといった、ロシアと国境を接し、その脅威にさらされている国だけだった。それ以外では、すくなくともウクライナに侵攻する前は、ヨーロッパの極右政党はロシアと良好な関係を保っていた。――アメリカの「オルトライト」たちもプーチンの大ファンだった。

 アメリカやヨーロッパの右派・保守派にとって、プーチンは「退廃的なアメリカ・リベラリズムと多文化主義を退け、イスラム過激主義と激しく戦い、キリスト教の価値を守り、西側の「政治的正しさ(PC)」を批判し、グローバル・エリートが普通の人々に対する悪事を企んでいるという思想を支持する、白人世界の指針」だとされてきたのだ。

 だがこれは、プーチン(クレムリン)が欧米社会に大きな影響力を行使してきたということではない。欧米の右派もロシアも、「政治的には、ヨーロッパ統合よりも国民国家と強い指導者を優先する。地政学的には、大西洋をまたぐ多国間組織に否定的な姿勢を示し、「諸国家のヨーロッパ」を擁護する。経済的には、グローバリゼーションよりも保護主義を好み、文化的には移民を拒み、昔ながらの国民的アイデンティティと、いわゆる伝統的価値の保護を求める」という反リベラリズムを共有しているのだ。

 モスクワはずっと、ヨーロッパの極右政党を支援することで、EUを弱体化させようとしてきた。ロシアとヨーロッパの極右は、共通の敵と戦っている。それは「世界のリベラルな秩序、議会制民主主義、超国家的なEU機構、そして、彼らが呼ぶところの文化的マルクス主義――つまり、個人主義と、フェミニズムとマイノリティの権利の保護」だ。

 ロシアがヨーロッパの極右を操っているのではなく、両者は「リベラル」という敵をもつことで、共闘しているにすぎない。右傾化は西欧に固有の問題で、ロシアは「反リベラル・ドクトリンの際立った輸出者」でしかないのだ。

 こうしてラリュエルは、「ロシアは(西欧の)社会変革者として行動しているのではなく、むしろ、ヨーロッパとアメリカ社会の疑念と変質のエコーチェンバーなのである」と述べる。

プーチンのロシアは2000年代のどこかの時点で、西欧に包摂されることを断念した

 ロシアを「ファシズム」と批判する者は、ロシアを「見知らぬ他者」として、「自由で民主的」な西欧社会と比較する。これは典型的な「俺たち/奴ら」の二分論だが、この構図はリベラルな西欧社会を正当化するのに都合がよかった。逆にいえば、だからこそ「リベラルなエリート主義」を嫌悪する勢力は、「反リベラリズム」としてのロシアに接近したのだ。

 だが、西欧とロシアはまったく異なる社会ではなく、むしろ「ロシアは西側の連続体」だとラリュエルはいう。「ソ連ないしポスト・ソヴィエト期のロシアは、様々なかたちで西側の鏡として機能している」のだ。

 ロシア革命以降の1世紀、ロシアは「社会主義、全体主義、民主主義、新自由主義、そして現在は反リベラリズム」の実験によって、西側全体の発展、行き過ぎ、過ち、失敗を増幅してきた。ロシアは例外ではなく、今日ロシアで起こっていることは、「異なる規模で西側でも観察されるより広いグローバルな潮流」に深く結び付いている。

 国際的な場ではロシアは「地位を追い求める国(status-seeker)」の位置にあり、「アジェンダ立案国(agenda-setter)」であることを希求しているが、よくてもせいぜい「ルールに従う国(rule-taker)」、最悪の場合、ならず者国家か簒奪者として位置付けようとするアメリカやヨーロッパに阻まれている。

 19世紀ロシア文学が描いてきたように、ロシアはナポレオン戦争ではじめて西欧近代に触れてから、自虐(自分たちは遅れている)と自尊(だからこそ純粋な精神性=聖なるロシアを保持してきた)とのあいだで大きく揺らいだ。これは西欧の周縁に位置する国の特徴で、もちろん明治維新以降の日本も例外ではない。

 ラリュエルは、ロシア=ソ連の歴史は、社会的動員戦略から、社会的競争との混合戦略、さらには社会的創造へと振れてきたという。

 「社会的動員戦略」とは、西側諸国のような、より高い地位にあるとみなされる国家に加わることを熱望することだ、「社会的競争との混合戦略」では、ランキングを変え、自身の地位を上げるための新しいツールを獲得しようとする。さらに「社会的創造」では、西側諸国との比較を拒み、西側の上位に位置付けるような別のランキングを提案するようになるという。

 プーチンのロシアは2000年代のどこかの時点で、西欧に包摂されることを断念した。ユーラシア主義とは、大西洋から太平洋に至るユーラシアの盟主となることで、ロシアが西欧を包摂するという逆転の発想なのだろう。

 「どんな反リベラルあるいはポピュリズム的な指導者に対してであれ、「ファシスト」のレッテルを貼ることは、一種の知的降伏である」とラリュエルはいう。ロシア=ファシズム論は「レッテルと誹謗の氾濫を、たやすく再利用できる時代遅れの教義・概念へと引き戻すような、我々が生きるイデオロギー的流動性と不確かさの時代の結果」なのだ。

 どのような国家も、アイデンティティとしての神話を必要としている。ロシアにとっての問題は、自分たちは西欧の一員だと思っているにもかかわらず、そのアイデンティティが(中東欧やバルト三国との「記憶をめぐる戦争」によって)西欧から拒絶されていることにあるのだろう。だとしたらこの問題は、たとえウクライナ問題がなんらかのかたちで決着したとしても、これからもずっと続くことになる。

 

玲(たちばな あきら)

 作家。著書に『国家破産はこわくない』(講談社+α文庫)『幸福の「資本」論 -あなたの未来を決める「3つの資本」と「8つの人生パターン」』(ダイヤモンド社刊)、『橘玲の中国私論』の改訂文庫本『言ってはいけない中国の真実』(新潮文庫)、など。最新刊は、裏道を行け ディストピア世界をHACKする (小学館新書)

 

 

 

東京新聞 書評 2022417 0700

理解を諦めぬ知性
[評]菅原琢(政治学者)

 ロシアはファシズム国家かと問われれば、肯定する人は多いだろう。現に欧米では、ウクライナ侵攻前からそう論じられる傾向にあった。

 本書は、そうした安易なレッテル貼りに異を唱える。絶対悪として他者化しては、ロシア、ひいては世界の動きを見誤る。その代わりに本書はファシズムに関わる要素を丁寧に検討しながら、ロシアの体制と現状を紐解(ひもと)いていく。

 ソ連崩壊後のロシア国内では、ファシスト的な極右、極左の思想家や党派が勢いを持ったこともあった。しかしそれらは主流とはならず、政権から遠ざけられた。プーチン政権は欧州の極右勢力と友誼(ゆうぎ)を結ぶこともあった。だがそれはファシズム的な価値への共感からではない。反EU、反リベラルで繋がった戦略的同盟関係であり、主流政党の代替という側面が強い。

 体制を見回しても、ファシズムの要件を満たすものは少ない。プーチンその人が体現する男らしい自警団文化が、威圧的な統治の道具となっていることくらいである。総じて、ファシズムという概念でロシアを理解することは難しい。

 プーチン政権下のロシアの自己規定は、むしろ反ファシズムである。ソ連がナチス・ドイツと戦った「大祖国戦争」は、大国ロシアをまとめられる唯一無二の記憶となっている。ところが、ソ連の影響から脱した中・東欧諸国では、ソ連をナチスと等置するような歴史観が台頭し、公的な記憶の座を占め始めた。

 ロシアにとって中・東欧諸国による歴史の「修正」は、ファシズムに対する勝利者として保証されたはずの、欧州における自らの地位を脅かすものである。ロシアが近隣諸国との「記憶をめぐる戦争」を激化させ、ウクライナ侵攻を反ファシストの「軍事作戦」と主張する背景を本書は浮かび上がらせる。

 無論、それで侵攻が正当化されることはない。だが、得体のしれない悪者の蛮行と捉えるよりは、糸口を感じさせる見方である。本書が示した理解を諦めない知性が、今をおいて重要な時はないだろう。

(浜由樹子訳、東京堂出版・4180円)

フランス出身の国際政治・政治思想研究者。米ジョージ・ワシントン大教授。

 

 

 

ウクライナ侵攻の背景にある
ロシアと中・東欧・バルト諸国の「記憶をめぐる戦争」
【橘玲の日々刻々】 2022.5.13.

 2014年にハンガリーのブダペストを訪れたとき、歴史展が行なわれていたらしく、街じゅうで「Double Occupation(二重占領)」と書かれたポスターを見かけた。最初はなんのことかわからなかったのだが、その後、ハンガリーの現代史を展示する「恐怖の館(House of Terror)」博物館を訪れて、これが20世紀におけるファシズム(ナチスドイツの傀儡政権である矢十字党=国民統一政府)と、その後の共産主義支配(ソ連の衛星国家)という「民族の悲劇」を表わす言葉だと知った。

 59日の(第二次世界大戦)戦勝記念日の演説で、ロシアのプーチン大統領は、「世界からナチスらの居場所をなくすために戦っている」とウクライナ侵攻を正当化した。ところがそのプーチン政権を、歴史家ティモシー・スナイダーは「ポストモダンのファシズム」だとする。

 だとしたら、いったいどちらが「ファシズム」なのだろうか。マルレーヌ・ラリュエルの『ファシズムとロシア』(翻訳: 由樹子/東京堂出版)はまさにこの問題を扱っている。

 ラリュエルはフランス出身の歴史学者で、現在はアメリカのジョージ・ワシントン大学ヨーロッパ・ロシア・ユーラシア研究所長。ロシアおよび旧ソ連地域のイデオロギーとナショナリズムが専門だ。

 ただし、本書の主題である「ロシアとファシズム」を論じるためには、その前提として、日本ではあまり知られていない、ロシアと中・東欧やバルト諸国の「記憶をめぐる戦争」について、その概略だけでも理解しておく必要がある。なぜなら、ロシアのウクライナ侵攻はそれ以前の「歴史戦」の延長だから。なお、本稿はロシアの侵略行為に何らかの正当性があると主張するものではない。

l  中・東欧とバルト諸国が「ヨーロッパ」の一員になったことで「記憶をめぐる戦争」が起こった

 20201月、ウクライナのゼレンスキー大統領は、アウシュヴィッツ強制収容所解放から75周年の記念行事を受けて、「ポーランドとポーランド国民は、全体主義体制の共謀を最初に体感した。これが第二次世界大戦の勃発につながり、ナチが破壊的なホロコーストを実行することを可能にしたのである」と述べた。

 「全体主義体制の共謀」という表現で、ナチズムとスターリニズムを同列に扱うこの発言は、「ロシア国民に大変なショックを与えた」。プーチンは、「ロシアとその前身であるソ連邦に(間接的であっても)ホロコーストの責任を帰そうとする試みを、激しく非難した」とラリュエルは書く。

 ゴルバチョフ政権でソ連が解体をはじめると、1988年から90年にかけてエストニア、ラトヴィア、リトアニアのバルト三国とジョージアが次々と独立を宣言し、9112月には(ソ連から独立したロシア共和国の)ボリス・エリツィン大統領がウクライナとベラルーシの独立を認め、ソ連に代わる独立国家共同体(CIS)を創設した。

 ソ連が解体すると同時に、ポーランド、チェコ、スロバキア、ハンガリーなどの中欧諸国が「民主化」を達成してソ連の影響から離脱した。これらの国々は、ウクライナとベラルーシを除いてEUNATOに加盟し、「ヨーロッパ」の一員になった。

 この大きな動乱が一段落した2000年代はじめから、旧ソ連圏の国のあいだで、これまでとは異なる歴史の語り(ナラティブ)が登場した。それに対してロシアは、これを「歴史修正主義」と見なして強く批判するようになる。

 EU創設によって、第二次世界大戦に関していえば、西ヨーロッパは共通の歴史観の構築に成功した。戦後の経済復興(アメリカの援助)と冷戦(ソ連の核の恐怖)という現実の下、フランスと(西)ドイツが勢力圏を競ったり、戦勝国と敗戦国が賠償問題で争う余地がなくなったからだ。イギリスを含め、西ヨーロッパのひとたちは、ソ連の脅威に対抗するには団結するほかないことを当然の前提として受け入れた。こうして、ユダヤ人へのホロコーストを除いて、さまざまな歴史的対立は解決済みとされた。――その後、2014年のユーロ危機のときにギリシアがドイツに対して第二次世界大戦の賠償を求めた。

 だがこの「平和」は、中・東欧諸国やバルト三国がEUに加入すると揺らぎはじめる。その事情を、ラリュエルはこう述べている。

 西欧諸国にとって終戦は、平和な戦後の再建設と30年間の実り多い経済成長に道を拓いた。中・東欧諸国にとっては、強制的な社会主義ブロックへの編入の始まりであり、バルト三国にとっては国家の独立を失うことをも意味した。

 ヨーロッパの枠組みの「外側」に置かれた40年間を経験したこれらの国々は、1989年のベルリンの壁崩壊と、その後の2000年代のEUNATOへの加盟をもって初めて「正常」への回帰を体感した。

 だから、中・東欧諸国がEUに入ると、その10年間の後半にロシアとの記憶をめぐる戦争がエスカレートしたのは偶然ではない。彼らにとっては、20世紀のナショナル・ヒストリー、特に第二次世界大戦史を書き直すことは、「ヨーロッパの一員としての運命」を再確認し(略)、「ヨーロッパの記憶を助ける地図」に影響を及ぼすことと、密接につながっている。

 

 第二次世界大戦で米英仏の連合軍とソ連が、ドイツとイタリア・日本のファシズムを打ち倒したというのが、戦後の国際社会を支配した「正統な歴史観」だ。(ドイツではなく)ナチズムを「絶対悪」とすることは、西ヨーロッパ諸国にとっては自国内のナチ協力者を不問に付し、ソ連にとってはスターリンが行なった多くの暴虐行為を隠蔽できるため、すべての当事者にとって都合がよかった。

 西側とソ連は冷戦下で対立していたが、「ともにファシズムと戦った」という暗黙の前提を共有していた。だがこの「公式」の歴史観は、ソ連によって独立を奪われたり、衛星国として支配されていた国にとって、とうてい受け入れがたいものだった。

 ソ連が解体して冷戦が終わり、こうした国々が独立すると、「歴史の修正」を突きつけられたロシアだけでなく、中・東欧へと「ヨーロッパ」の境界を拡張したEUにとっても、新たな加盟国の「異議申し立て」をどのように取り扱うかが重大な問題になった。これが「記憶をめぐる戦争」の基本的な構図だ。

l  2004年のオレンジ革命以降、ウクライナも「記憶をめぐる戦争」に参戦

 「記憶をめぐる戦争」で先行したのはバルト三国で、1991年、リトアニア最高会議は「ソヴィエト連邦がリトアニア共和国とその市民たちに負わせた被害に対する補償について」と題した決議を通過させ、翌92年に、ソ連軍だけでもリトアニアの国民、経済、自然、農業に800億ドル以上相当の損害を負わせたという見積もりをモスクワに示した。それより10年以上遅れたが、エストニアおよびラトヴィアも2004年、ソ連による占領下でもたらされた数億ドルにのぼる損害に対する公式要求をモスクワに出した。

 一方、歴史展示で先行したのがラトヴィアで、早くも1993年に「ソ連による違法な占領とみなす1940年から1991年を記念するだけでなく、ナチによる占領経験とも比較する」占領博物館を開館させている。私が訪れたブダペストの「恐怖の館」は2002年開館で、03年にエストニア、06年にはジョージアが独自の占領博物館をオープンした。

 リトアニアはソ連占領下の損害賠償請求に続いて、2000年、首都ヴィリニュスで「共産主義の犯罪を評価する国際会議」を開催し(ポーランドの元大統領レフ・ワレサが出席)、「共産主義犯罪の評価に関するヴィリニュス国際法廷」を立ち上げている。そこでは「ジェノサイド」を拡大解釈し、「ナチスドイツとソ連によってリトアニアが占領、併合された間に行われたリトアニア住民の殺害、拷問、強制移住」と定義された。

 ラトヴィアとエストニア両国はロシア系住民の比率が高い(ラトヴィア人口の40%、エストニア人口の30%)が、独立を達成した際、19406月以降に移住してきた者(その多くがロシア系)に国籍を与えなかったため、膨大な数の「無国籍者」を生み出した。国政選挙の選挙権がなく、パスポートも持てない(ロシアとの往来のみ可能)という無国籍者の存在はEUでも問題視されているが、ロシア系住民に一律に国籍を付与することには反発が強く、いまだ解決できていない。

 「自国民ファースト」の政策は、当然のことながら、ロシア人マイノリティとのあいだに緊張を生みだしている。2007年、エストニアでは第二次世界大戦の勝利を記念する「兵士の像」の移転にともなってロシア系住民とエストニア警察の間に暴力的衝突が起き、ロシア人側に1名の死者が出た。

 こうした歴史の見直しはバルト三国だけでなく、中・東欧諸国も同様だが、2004年のオレンジ革命を経てウクライナがそこに加わった。焦点になったのはスターリン時代の1932年から33年にかけて、およそ700万人から1000万人が犠牲になったとされるホロドモール(大飢饉)だ。

 歴史家の多数意見では、この大飢饉はスターリンが行なった無謀な農業集団化の結果で、その影響はウクライナだけでなく、ロシアを含むソ連の主要な農業生産地域の全域に広がったとされている。だがウクライナの歴史観では、飢饉はウクライナ独立運動を根絶やしにするためにクレムリンが計画したもので、それゆえ殺害の意図によって定義されるジェノサイドに分類されるべきであるとされた。

 2006年、ウクライナ議会はホロドモールを故意のジェノサイドと認める法を可決し、「スターリニズムの時代に行われた犯罪を記録し、ウクライナ国民と文化に対する暴力を伝えるための「国民の記憶研究所」」が設立された。さらに、ホロドモールとホロコーストを否定する行為を犯罪とする法案が国家に提出され、ホロドモールを記念するいくつもの記念碑がウクライナの国内外に建てられた。2010年には、ロシア寄りのヤヌコヴィッチ政権下にもかかわらず、キーウ(キエフ)控訴審はスターリンとその他のソ連の政治指導者をジェノサイドの罪で有罪とした。

 ポーランドでは2018年、ホロコーストに加担したと主張する、あるいはナチの絶滅収容所を「ポーランドのもの」と描写する者には禁錮刑を科すという新しい法律が施行された。こうした傾向は他の国も同じで、ラリュエルは「ナチ体制との協力者の事例に対して、地元当局や住民がホロコーストで果たした役割を減じるというスタンスを生み出している」と指摘している。

l  西ヨーロッパは、「ロシア国民」と「スターリニズム」を分離して加害責任を追及しようとしている

 バルト三国や中・東欧諸国が次々とEUに加盟したことで、ヨーロッパの諸機構は2000年代半ばに、こうした記憶をめぐる戦争に巻き込まれた。

 2006年、バルト諸国の要請により、欧州評議会議員会議(PACE)は決議1481号「全体主義体制による犯罪を国際的に非難する必要性」を採択した。これは共産主義体制によって行なわれた人権侵害を国際的な委員会が調査することを求めるもので、「共産主義の歴史と自国の過去を再評価し、全体主義的共産主義体制が犯した罪から自らを明確に切り離し、それをいかなる曖昧さも持たずに非難する」とした。

 2008年、欧州議会は「ヨーロッパがスターリズムとナチズムの犠牲者を追悼する日」を、ポーランドの分割が決められたモロトフ・リッベントロップ協定が調印された日(823日)に制定するという、もう一つの決議を採択した。これは「スターリズムとナチズムによる侵略行為は、戦争犯罪と人道に対する罪のカテゴリーに属する」とし、共産主義全体ではなくスターリズムに特化した罪をナチズムのそれと等値するものだった。だがこの決議は、ロシアの強硬な抗議を受けたことで数か月後、「すべての全体主義的、権威主義的体制の犠牲者を追悼する日」へと変更された。

 欧州安全保障協力機構(OSCE)は北米、欧州、中央アジアの57か国が加盟する世界最大の地域安全保障機構で、ロシアも加盟している。2009年、OSCE議会は、「20世紀にヨーロッパ諸国は二つの主要な全体主義体制、ナチズムとスターリズムを経験した。それらはジェノサイド、人権と自由の侵害、戦争犯罪、人道に対する犯罪をもたらした」とし、全OSCE加盟国に「いかなるイデオロギー的背景から生じたものであれ、あらゆる全体主義的支配に対抗する統一した立場」を取り、「ナチやスターリズムの過去を賛美するデモを主宰することを含め、全体主義体制を美化する行為」を非難することを促した。この決議はロシアが全力で阻止しようとしたが、20票の賛成、8票の反対、4票の欠席で採択された。

 ラリュエルは言及していないものの、こうした決議を見ると、西ヨーロッパは、「ドイツ」と「ナチス」を分離することでやっかいな歴史問題を抑え込んだ自らの成功体験を、ソ連時代の戦争犯罪や人権侵害にも当てはめようとしたのではないだろうか。すなわち、「悪いのはスターリンとスターリニズムで、ロシア国民はその被害者だが、それでも周辺諸国への加害責任を取らなくてはならない」のだ。

 だがそもそも、敗戦国のドイツと戦勝国のソ連では立場がまったく異なる。独ソ戦はヒトラーが不可侵条約を破って一方的に侵略を開始したもので、この「絶滅戦争」によってソ連は19000万の人口のうち戦闘員・民間人含め2700万人が犠牲になったとされる。そして、この「大祖国戦争」を勝利に導いたのはスターリンなのだ。

 ソ連崩壊後のロシアではスターリンの評価は大きく分かれているが、だからといって他国(とりわけ西欧)が、ヒトラーとスターリンを同一視するような「歴史の修正」をすることをロシアが受け入れるはずはなかった。バルト三国が第二次世界大戦時の「犯罪」に対して金銭的な補償を求めている以上、ロシアがソ連時代の犯罪を謝罪すれば、それは賠償請求への扉を開くことにもなる。

l  ウクライナは、2015年、ソヴィエト体制全体を正式に犯罪化した

 中東欧・バルト三国から始まった「記憶をめぐる戦争」がEUにも飛び火したことで、ロシア国内ではそれに対抗する動きが活発化した。

 2009年には、ロシアの保守派議員のあいだで「国民の記憶保全を監督し、ナチズムを復権させようとする試み、連合軍に対する批判、ニュルンベルク裁判についての虚説を3年から5年の刑期で罰するために、刑法典を修正する民衆法廷の創設を講じる」法案の提出が模索された。

 同年、メドヴェージェフ大統領は、「ロシアの国益を害する歴史の歪曲と戦う委員会」を立ち上げた。14年には刑法3541条「ナチズムの復権について」が採択され、「ヨーロッパの枢軸国の主要な戦争犯罪に判決を下し、罰した、国際軍事裁判が認めた事実を否定すること」を犯罪的攻撃行為と定めた。この規定は、「第二次世界大戦中のソ連の行動についての虚偽の情報の故意の拡散」と、「ロシアの国防に関係する軍事的、記憶・記念の日に関して明らかに社会に対する敬意を欠くような情報を拡散すること、そして、ロシアの軍事的栄光のシンボルを公の場で冒涜すること」を犯罪と定めた。

 この法律が守ろうとしているのは、ナチスドイツの犯罪を裁いたニュルンベルク裁判と、アメリカとソ連の超大国による国際社会の統治を定めたヤルタ会談という「歴史」だった。その枠組みを無視して、ソ連をナチスの戦争犯罪と同列に扱うことは、「犯罪」以外のなにものでもない。とはいえ、国内法でバルト諸国やウクライナの「反動勢力」を処罰することができない以上、こうした法律にほとんど実効性はなかった。

 それに対してウクライナは、2015年、70周年の戦勝記念日の直前、「共産主義と国民社会主義(ナチ)の全体主義体制への非難と、そのシンボルのプロパガンダを禁じる」法を採択。ソヴィエト体制全体を正式に犯罪化し、あらゆるソ連時代のシンボルを撤去することを命じ、違反者は10年以下の禁固刑に処せられることになった。「ほとんど気付かないまま、ウクライナは多くの方法で、2か国間のミラー・ゲームのようにロシアが行っているのと同じ検閲ツールを適用している」とラリュエルはいう。

l  「ヨーロッパの新しい記憶」は、ロシアから見れば「ソヴィエト体制に対する一種のニュルンベルク裁判」

 ロシアの歴史観にとって「喉に刺さった小骨」は、1939年にソ連(スターリン)とドイツ(ヒトラー)がポーランドの分割とソ連によるバルト諸国併合を決めたモロトフ・リッベントロップ協定の存在だった。そのためソ連の公式史観では、第2次世界大戦は1941年のドイツによる侵攻とともに始まったとされた。

 だが「記憶をめぐる戦争」では、1939年のこの出来事を無視することはできない。そこでモスクワ(クレムリン)が持ち出したのは、前年(38年)にイギリス、フランス、ドイツ、イタリアの首脳が集まったミュンヘン会談だ。このとき英仏首脳はヒトラーが求めたチェコスロヴァキアのズデーテン地方の領有権を認め、その代わりにドイツはそれ以上の領土要求を行なわないことで合意した。

 新たなロシア(モスクワ)史観では、英仏はこのとき、西側(自分たち)へのドイツの脅威を逸らすため、すべての問題を東側に押しつけた。これによってソ連(スターリン)は、ナチスドイツから国土を守るために、ヒトラーと協定を結ぶことを余儀なくされた。「モスクワの論理では、中・東欧諸国は、西欧にもその悲劇的運命の部分的な責任があると考えるべきであり、ロシアを唯一の罪人として描き出すべきではない」のだ。

 この歴史観では、「西側諸国こそが先にヒトラーとの戦闘を避けようと試み、ソ連を置き去りにして単独で東方戦線で戦争に直面させた」ことになる。さらには、バルト諸国はナチの侵略からの自衛のためにソ連に自発的に「加わった」ことになっている。

 それに加えてロシアは、ペレストロイカ末期にバルト諸国がソ連を平和裏に離脱することを認めたことや、EUNATOへの加盟を妨害しなかったことに対して「感謝されることもないという、苦い思いを抱いている」という。

 ロシアのナショナリズムにとって、大祖国戦争(ファシズムへの勝利)は国家のアイデンティティそのものだ。それを否定しようとする「ヨーロッパの新しい記憶」は、ロシアから見れば、「ソヴィエト体制に対する一種のニュルンベルク裁判」を行なおうとするもので、「ロシアを歴史的他者に、()非ヨーロッパの長年の敵に仕立てている」のだ。

 それに対して中・東欧では、自分たちをナチズムとスターリズムの「二重の被害者」だとする新しい国家の物語(ナラティブ)が生まれつつある。EUがこの「歴史の修正」に与することは、ロシアにとっては、「西側がヤルタでこの世界秩序を認めたことを無視し、ヨーロッパの分断に対する唯一の、全責任をロシアに押し付けるもの」でしかない。

 ロシアのメディアは、ウクライナの(ゼレンスキーの前の)ポリシェンコ政権を「ファシスト」に、その軍隊を「東部ウクライナの民族的ロシア人へのジェノサイドを執行する死の分遣隊」として描いてきた。「ウクライナ人は何世紀にもわたって大国の傀儡であり続け、自分たちの運命さえ決することができず、「真の」ナショナル・アイデンティティを持っていない」のだという。

 それに対してウクライナのメディアは、「プトラー(プーチンとヒトラーを合わせた造語)」というニックネームと、ロシアとファシズムを合わせた「ラシズム」という用語を造り出した。

 こうした経緯をまとめたうえで、ラリュエルは「記憶は我々に過去よりも現在のことを教えてくれる」という。そしていまわたしたちが目にしているように、「記憶は「本当の」戦争の道具でもある」のだ。

 

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