不自然な死因  Dr. Richard Shephard  2022.6.22.

 

2022.6.22. 不自然な死因 イギリス法医学者が見てきた死と人生

Unnatural CausesThe Life and Many Deaths of Britain’s Top Forensic Pathologist

2018

 

著者 Dr. Richard Shephard 西ロンドンで生まれ、イングランド南東部の町ワトフォードで育つ。'77年、ロンドンの聖ジョージ大学医学部で医師資格を取得し、'87年、法病理学者としての卒後研修を修了。ガイズ病院・法医学部でキャリアをスタートさせた。以来、殺人事件から大規模災害に至るまで、国内外で数万件の不自然死の法医学的調査に携わる。ダイアナ元妃の死をめぐる公開調査の法病理学者として、特に有名。国内外の大学や会議で専門的な講義を行う一方で、中等学校等での講演活動も行っている。趣味は養蜂と空を飛ぶこと

 

訳者 長澤あかね 奈良県生まれ。横浜在住。関西学院大学社会学部卒。広告会社に勤務したのち、通訳を経て翻訳者に

 

解説 養老孟司 1937年鎌倉市生まれ。東大名誉教授。幼少時代から親しむ昆虫採集と解剖学者としての視点から、自然環境から文明批評まで幅広く論じる。東大医学部教授時代に発表した『からだの見方』で'89年サントリー学芸賞、'03年刊行の『バカの壁』は450万部を超える大ベストセラーに

 

発行日           2022.4.20. 第1刷発行

発行所           大和(だいわ)書房

 

 

私が最近読んだ本の中で最も魅力的な本の1つである。夢中にさせられ、ページをめくる手が止まらなくなる。途中でやめることができない本だった――タイムズ紙

 

 

1.    予兆

セスナの操縦桿を握っているときに、突然吐き気のような、もっと不吉な思いに捉われた

GPSを見ると、「ハンガーフォード」の文字が見えた

私は60代の法病理学者。検死や解剖の件数は2万件を超えるが、この体験は初めて

 

2.    ハンガーフォード銃乱射事件

法病理学者として初めて担当したのがこの事件

1987年の事件は、連続殺人事件の真っ最中。電話でロンドン警視庁犯罪捜査班から呼び出され現場に向かう。犯人は現場で自殺。現場には何人もの射殺死体が転がる。犯人の状況を見て、一目で自殺とわかる

剖検(=検死と解剖)によって死因を特定

30年ほどたって、ハンガーフォードの上空を飛んでいる最中に、猛然と当時の思い出が蘇ってきたのだろう。銃乱射事件に深刻な影響を受けたと認めるのにこれだけの時間がかかった

 

3.    フラッシュバック

'87年の事件にまつわるおかしな感情のフラッシュバックは時々現れた

‘15年、パリのレストラン、競技場などで同時多発テロが発生、130人が死亡した事件の時も、同じようにショックが蘇った

 

4.    法医学への目覚め

中の下の家庭に育つ。9歳のとき母親が心臓病で死去

友達が持ってきた法医学の本を見て将来を決断

 

5.    初めての解剖の授業

ユニバーシティ・カレッジ・ロンドンで医学を学ぶ

初めての解剖が医学生になるための通過儀式

 

6.    検死と解剖、そして遺族との面談

‘80年にインターンが終わり、病理学の資格へ挑戦

病理学は、病気を細部まで徹底的に研究することで理解する学問。病気に名前を付け、どのように起こるのかを突き止め、どのように進行するのかを学ぶ

故人の医療記録を精査した後、死後間もない心臓疾患の遺体を剖検し、死因を突き止める

 

7.    子どもが教えてくれたこと

看護師と結婚し、3度の流産の後、漸く子宝に恵まれる

 

8.    殺人事件の検死と解剖

ロンドン中の遺体安置所で仕事をこなし、スピードと理解のスキルを高める

以前は、犯罪絡みでない検死にかける時間は15分、死因がはっきりしている場合はその部位しかチェックしなかったが、私は、直接的な死因を突き止めるだけでなく、死因に関わるすべてのことを明らかにすべく徹底的に調べようとした

医学トレーニングを初めて16年後に「法病理学者」の資格を取る

最初の就職先はロンドンのガイズ病院

 

9.    死亡推定時刻を割り出す

死亡推定時刻の割り出しには、あまりあてにはならないが、体温が最善の指標

遺体は死後8時間以内に触ると冷たくなるが、例外もあり、腐敗を始めると体温は上がる

死後硬直もばらつきがあって、温まると硬直は早い。逆に、不自然な体位のまま硬直した遺体は、元の仰向けの形に戻さないと解剖できず大変

 

10.    事実と解釈

犯罪現場と剖検が私の仕事人生になる

 

11.    遺体が分解するプロセス

まずは酸素が無くなるので、筋細胞は弛緩――死後数時間はまだ反応する場合があるが、網膜上に最後に見たものが残ることはあり得ないし、髪の毛も毛包の細胞が残りの皮膚と一緒に死ぬので死後は伸びない。体の様々な穴から液体が漏れ出すことがあるし、胃の内容物の逆流も25%の割合でみられる

次のプロセスは冷却――遺体の体温から死亡時刻を割り出すのは現実離れ

次いで死後硬直として知られる筋肉の硬直――血液の循環が止まり、血液の成分である細胞やたんぱく質は重力の法則を受けやすくなるので赤血球が沈み、身体の低い部分に落ち着く。その部分の皮膚の細い血管は血液で膨張してくるので最初はピンク色に見えるが、56時間の内に青白い皮膚に鮮やかなピンク色がさした炎症を起こしたような色に変わる。これが血液就下(しゅうか)で、次の最終プロセスで消える

最後が分解(腐敗)――腐敗、ミイラ化、死蝋(しろう)3通りがある。最近の活動が活発化し、その結果老廃物としてガスが発生するので、身体は膨らみ始める。体内に菌がなければミイラ化する。死蝋は遺体の飽和脂肪が稀な化学変化を遂げたもので、脂肪が加水分解されて硬くなり、膨らんで蝋状の化合物に変化したもの

 

12.    「真実」の難しさ

法病理学者の傷や損傷に対する解釈は、人によって異なることが普通で、情報の量によっても違う――最初は検察側に立って被告を起訴するための検死報告書を書き、次いで弁護側に立って、最初の報告書の検証を行う。同業者間で見解を異にする恐れがある

法病理学者は、自分の非を認めてはいけない――刑事司法制度の敵対的なあり方には、「恐らく」や「多分」が入り込む余地はない

弁護側は法病理学者の経験の未熟さを陪審に訴えて、暗にその報告書の信憑性に疑問を抱かせることもあるが、真実は1

 

13.    人はいつから「人」になるのか?

存在を証明できる人間がいない新生児は簡単に殺害できる一方、赤ん坊が全くの自然死でも殺害された様に見えることがある

出産による母親の心の混乱(産後鬱や産褥期精神障碍)の可能性を認め、嬰児殺は「故殺(非計画的殺人)」とされ、計画性のある「謀殺」より罪が軽い

嬰児の死体の検死で問題なのは、故殺か謀殺かではなく、そもそも「死んだのかどうか」

臍帯(さいたい)の拍動が生きたことの条件――子宮内で死亡した場合は腐敗の初期兆候を示すので明白

 

14.    女性の絞殺犯

若い女性による若い男性の考察は珍しいので、他に原因がないか調べる

絞殺の死に至るメカニズムは完全に解明されてはいない――窒息死だけではなく、頸動脈を圧迫するとすぐに意識を失うし、副交感神経の圧迫で迷走神経が反射反応を起こして心臓が止まる場合がある

 

15.    遺族に「真実」を

法病理学者の面談を求める遺族が求めていることは真実だけだが、真実が常にシンプルで1つしかないとは限らないし、全てを語ることはできないかもしれない

 

16.    きしみ始めた結婚生活

 

17.    生者は噓をつく

女性の絞殺事件を検察は謀殺で起訴

女性が切り付けられたと供述した自身の傷跡はどれも自傷の典型的特徴を示している

裁判所の証言で剖検した法病理学者に求められるのは、陪審員を納得させること

陪審は、事実には目を向けずに、若くて美しい女性の被告への同情票から無罪とする

 

18.    大規模災害における法医学者の仕事

'80年代後半の英国は大災害に見舞われたが、「事故」と呼ぶのにふさわしい災害はわずかで、ほとんどの災害は大きなシステムの破綻を表していた

'87年のフェリ―の転覆事件は、船首ドアの閉め忘れ(193人死亡)

‘87年のハンガーフォードでの連続殺人事件の犯人が、銃撃後に自殺した事件(31人死亡)や、キングス・クロス駅エスカレーターへの放火殺人事件(31人死亡)

'88年北海油田での掘削・集積施設での爆発事件(167人死亡)

同年、クラバム・ジャンクション駅での信号機故障による電車衝突事故(35人死亡)

同年、パン・アメリカン航空機の爆発(270人死亡)

'89年、ブリティッシュ・ミッドランド航空機の不時着事故(47人死亡)

同年、シェフィールドのサッカースタジアムでの観客圧死事故(96人死亡)

同年、テムズ川でのクルーズ船と浚渫船の衝突事故(51人死亡)

安全確保が経営者の必須事項となる教訓を残す

法病理学も現場に立ち会って、集団災害への対処法を大いに学ぶ ⇒ 2000年代のテロに効果的に対処できた

私が最初に担当した事件はクラバム・ジャンクション事故。当時の身元確認では、指紋と歯形だけ。回収された飛び散った体のパーツを照合するのが一仕事

 

19.    ナイフの専門家

ナイフの傷跡によって自殺か他殺か、どういう状況で傷が出来たか、凡そがわかる

 

20.    警察による「拘束死」

法病理学者は、遺族や国が故人を理解し、正義を見出すサポートをしている

警察のプロ意識と仲間意識はたいていの場合、混乱と血と汚れと悲劇にまみれた殺人事件に関わるのを楽にしてくれるが、警察の別の側面を証言するのは辛い

刑務所に収監中に亡くなった遺体では、時に拘束状態が被疑者の異常な体質を刺激して死に至らしめるケースが起こり得る ⇒ 法病理学が不慮の死をなくし、当局の正義のプロセスを救うために役立つかもしれない

 

21.    刺創は現場を語る

ナイフによる殺人を知的・分析的に研究していくと、「全ての傷跡は語る」

容疑者の証言と傷跡を照らし合わせると、その真偽は直ぐに分かる

 

22.    マーショネス号沈没事件

テムズ川の衝突事故では、巨大な浚渫船にパーティー用の小型クルーズ船が押し潰されるように、あっという間に沈められ多くの人が逃げ遅れた

集団災害のマネジメントで最大の恐怖は、身元確認を誤ること――今ではDNA

集団災害では視覚での身元確認は宛にならない――遺体に外傷があったり、水に長いこと浸されている場合は、生前のイキイキした本人とは大違いで認識できないケースが多い

 

23.    レイチェル・ニッケル殺害事件

奥さんも'91年の医学部を卒業し医者になった

翌年のレイチェル殺人事件は凄惨。23歳の、幼子の母親の刺殺事件

法病理学に基づく知見により現場を再現、数々の疑問を残しながら、捜査での憶測が優先して容疑者が逮捕されたが、後にDNA鑑定の進歩によって別人が逮捕された

 

24.    人種差別が殺人につながるとき

'93年、ロンドン南部での若い黒人男性ローレンスの刺殺事件

次いで、ジャマイカからの不法滞在を咎められて抵抗した女性が口を粘着テープで塞がれ窒息死した事件など

 

25.    真実を追究する闘い

テムズ川の衝突事故の遺族は、'95年になって死因審問の再開を勝ち取り、検死陪審は「犠牲者は不法に殺害された」と認め、さらに遺族は当時の公開調査を要求

黒人の刺殺事件に対する当局の偏光捜査にも反対の声が上がり、'97年には死因審問を勝ち取り、陪審員は「5人の白人の若者によって、いわれのない人種差別の攻撃を受け、不法に殺害された」と結論付けるが、その陰には刺創の正確な調査が役立っている

 

26.    キャリアの転換点

ガイズ病院で8年過ごした後、聖ジョージ病院の教授が退任するので後任に応募し、英国で初めて大学に臨床法医学のポストが設けられた

 

27.    乳幼児の死因

乳幼児突然死症候群SIDSは、'70’80年代徐々に意識され、’90年代前半には最大1000人当たり2件に達したが、診断の基準が変わってあらゆる可能性を排除したあとでないと認められないとなったこともあって急激に減っている

乳幼児死亡の格言: 家で子供が1人突然死するのは悲劇、2人目は疑惑、3人目は反証がない限り殺人

‘97年、マサチューセッツの医師夫妻の赤ん坊の突然死事件――揺さぶられっ子症候群の典型的兆候が見られた

 

28.    裁判所の法病理学者

出廷にまつわるストレスが急加速――法廷弁護士たちが検死報告書を「敵の致命的弱点が見つかるかも」という目で見るようになる

検死法廷は、敵対的でも堅苦しくもなく、検視官が審理をし、真実に導いてゆく

 

29.    憂鬱な事件たち

マンチェスターの医師シップマンが連続殺人を犯す。被害者の遺体を見ていくと、いずれもモルヒネの過剰摂取が死因と判明。20年以上の間に215人を殺し、そのほかにも事実確認できない事件が数百件に上るという。たいていが老女。数年後の'04年に房内で首吊り自殺死したため、全ての真相解明は永久に不可能

裕福な夫婦が幼子の親権を巡って争い、口論の挙句夫が妻を刺殺しようとしたので、妻が逆に夫のナイフをとりあげて刺殺した事件では、ガイズ病院の元上司が夫側に立って妻の供述に基づいて報告書を書いている。妻が故意に夫を刺殺したとして、夫側の親族が民事訴訟の話をしているが、鑑定人としては、合理的疑いの余地なく「夫への致命的な刺創は故意によるものだ」「妻の傷は自傷」とは言えないし、蓋然性から見ても妻に傷を負わせたのは夫であって本人ではないと感じた。検死官も「正当殺人」と結論付けた

 

30.    9.11にはじまるテロ対策

人種が絡むローレンス殺人事件は遺族の熱意が実って公開調査が開始された。裁判官は、「警察の対応について、これまで軽視されてきた少数民族コミュニティの不満や不幸が、地域的・全国的に否応なく公にされたと考える」として、ローレンスの死に対する警察の捜査は「明らかに不備があった」と認める

この事件がきっかけとなって、'05年には「一事不再理の法」が改正され同じ犯罪でも新しい証拠が見つかれば再審査されるようになり、'11年にはDNA鑑定によって容疑者が再び起訴され謀殺容疑で禁固14年となった

ガイズ病院の元上司が急逝。享年57、死因は喫煙による肺癌

'01年の最大の脅威はテロリズム――9.11では、英国に送還された遺体を検死官がヒースローで受け取り死因を特定する。1982年以降、外国で死亡した英国民は英国で死因審問を受ける権利を法律で保障されている

まずはニューヨークの検死局がしていることを評価すべきということになり、920日に私がニューヨークへ飛ぶ。遺体安置所で検死のプロセスを確認。身元確認が済むまで保存することが重要。7万点の遺体の一部や断片が集められ、瓦礫は警察とFBIが率いる人類学者や医師を含む熟練したチームが何度か慎重にふるいにかける。その後約3000人のDNAを調べる長い旅が始まる

英国人の死者は最終的に67人。すべて米国の検死結果を受け入れて「不法な殺人」と結論

'05年、ロンドンでイスラム系テロによる4件の爆破事件で52人が死亡――この時も多くの政府機関を巻き込んだ集団災害対策が奏功して効果的な対応が出来た

テムズ川衝突事故の際、「死因は明白なので剖検は不要」との批判が起き、そのため今回のテロでも身元確認に必要なこと以外は一切するなとの指示だったが、その後救急サービスが遅れたとの批判を浴びた。完全な剖検が行われなかったので、法病理学者も反証のしようがなかった――以後は死因が明らかでも、MRIも含め完全な剖検は不可欠となった

 

31.    流行の死因

'02年、インドネシアでイスラム過激派のテロが発生、202人が死亡した事件の剖検を行う。うち英国人は28

研究評価で知力を判断する時代になり、法医学研究も一流科学雑誌での発表も少ない法病理学を医大から排除され始めた――大学に守られて無償で提供してきた法病理学の知識や経験を、今後は有償で提供しなければならなくなり、法病理学者は自らの食い扶持を自ら稼がなければならない立場に

 

32.    ダイアナ元妃の事故の再検証

1997831日早朝ダイアナ妃は事故に遭遇、病院で手術後に死去。遺体はロンドンのノースホルト空軍基地に運ばれ検死・解剖に付されたが、死をめぐる疑問は消えない

'04年、ロンドン警視庁の調査開始。私も法病理学者として参加し、'97年の証拠を再検証

2人ともシートベルトをしなかったが、助手席のボディガードがベルトをしていたので、その後部座席に座っていたダイアナ妃の衝突エネルギーはやや弱められ、わずか数本の骨折と胸部に小さな傷を負っただけ。救急隊員は、より重症のボディガードを救出して救急車に載せ、その後ダイアナ妃を救出して病院に搬送。彼女の片方の肺の静脈に小さな裂け目が出来てゆっくりと出血していたのを誰も気付かなかった

救出された時はコミュニケーションが取れていたが、静脈の出血が胸部に及び、救急車の中で次第に意識を失う。懸命な蘇生が行われ、病院で手術が始まり、静脈の修復が試みられたが、手遅れだった。初期に意識があり事故後に生存していたことは、重要な静脈に裂傷が出来た時の特徴。ダイアナ妃の怪我は珍しく、傷は小さいが場所が悪かった

シートベルトをしていたら、骨折はあっても公の場に出られただろう

彼女の死は、病理学的に見て、議論の余地はないと思う。だが、肺静脈の致命的な小さな裂傷の周りでは、他の様々な事実が織りなされ、中には不透明なものもあったから、数々の説が盛んに唱えられているのだろう

妊娠を発表し、英国の権力者層を困惑させる予定だったので殺害されたという説が最も有力――妊娠の兆候はなかったと最初に検死した同僚が証言

'06年末に警視庁の調査結果が提出され、「現時点での結論は、車のどの乗員に対しても殺害の陰謀はなく、悲劇的な事故だった」と結論付けた

'07年、相当な圧力を受けて完全な死因審問を行う。私も鑑定人として出席、事件に対する全体的な印象を聞かれ、「単純な、スピードを出し過ぎた、アルコールがらみの、交通事故」と答える

陪審員の最終評決は、多くの人を満足させた。「複数の後続車とメルセデスが極めて不注意な運転をしたことによる不法な殺人。衝突の原因、もしくは一因となったのは、メルセデスのスピードと運転マナー、複数の後続車のスピードと運転マナー、メルセデスのドライバーのアルコールによる判断力の低下」

 

33.    新しい生活

'06年、遺体や原因不明のまだ身元の分からない誰かが常に中心にいる忙しい世界から離れて2年ほどすると退屈を感じ、現場への郷愁が湧いてきて、リバプールで現場に戻る

'80年代の法病理学者の敵はHIVと肝炎だったが、最近では結核が遺体安置所で働く人の職業病になった

'90年代になるとDNAが法医業務に多大な貢献をし始め、科学捜査が法病理学を凌ぐようになる――検察から依頼される事件は綿密な調査や整理がされなくなり、法廷も経験より証拠に基づく証言を重視する

法医学的研究の可能性はほぼ完全に消滅。法医学は医学部の履修課程から除外され、微量のサンプルでも研究目的で使用するなら遺族の承認が必要となった

新しい出会いがあって再婚

 

34.    変わらないもの

60になってSIDSと断定した報告書の件で、家庭裁判所が両親から親権を取り上げる審問を再開、両親の素行に対する情報に流されて両親による謀殺・ネグレクトの蓋然性が高いとされる

内務省に裁判経過は報告され、法病理学者としての登録に影響を及ぼしかねなかったが、英国医事委員会が調査中との断り書きはあったものの、私に対する訴えは却下された

病理学とは、事実と経験と判断の組み合わせ

医事委員会が調査を開始したことを知ってハンガーフォードの上空を飛んだときに初めて起こったパニック発作がぶり返した――生涯をかけて、裁判所、遺族、市民、社会などすべての人たちを代表して、人間の人間に対する残酷さを、じかに証言してきたことで発症したPTSDといえる

'16年から仕事を休む。治療法は話すことと薬。そしてこの本を書く

 

 

解説    養老孟司

本書は、長年イギリスで司法関係の解剖を続けてきた著者の半生の自伝

「法病理学者」と訳されているが、遺体を解剖することでその人の死について、様々な情報を得るもので、自然死を扱う病理解剖に対し、不自然な死を扱う法医学の対象

病理学は遺体を精密に調べて、死因を確定したり病気のあり方を追究するもので、病気で死亡した場合に遺族の同意を得て行われる

正常な人体を研究教育する分野は系統解剖学と呼ばれる――骨格系、筋肉系、循環器系、消化器系など人体を様々な系統に分けて研究する

臨床医学と関係が深いのは病理解剖で、病気で死亡した際、最後に解剖によって病状の原因の詳細を確認する

イギリスの社会は、起きた出来事を克明に記録する――論文は、思考の結果を記すものというよりドキュメントだという

 

 

不自然な死因 リチャード・シェパード著

検死を重ねた解剖医の自伝

2022528 2:00 日本経済新聞

人は、いつかは必ず死ぬ。だから死はどこにでもある当たり前な、自然なことである(はずだ)。しかし、この本で扱っているのは「不自然な死」。著者のDr.リチャード・シェパードは、ロンドンの解剖医で、これまで検死・解剖した遺体は23000人という。「ロンドンは殺人で、いや、少なくとも突然死や変死であふれ返っているようだった」。この本は、自身の人生の大半を死と関わってきたそんな解剖医の自伝である。

原題=UNNATURAL CAUSES(長澤あかね訳、大和書房・2970円) 著者は西ロンドン生まれの法病理学者。ダイアナ元妃の死を巡る調査に関わる。 書籍の価格は税込みで表記しています

著者のシェパードの専門は法病理学。死は自然のものだが、殺人や事故など、自然ではない「不自然な死」もある。著者の仕事は、そんな「不自然な死因」を解明することだ。本書には、さまざまな死の現場が克明に描かれるが、そこで紹介される事例には、テロによる死、沈没した船に取り残された死など、いまもニュースを賑(にぎ)わせているあの事件・あの事故と二重写しにもなり、その光景がリアリティを持って見えてきてしまう。

著者は、駆け出しの解剖医の時から、多くの人体を見ることで、事件・事故による死因の解明だけでなく、人体の素晴らしさにも目覚めていく。特に体の内景に秘められた色彩は、血の赤はもちろん、胆囊は「ジャングルに生い茂る葉っぱ」の緑色、脳は「すばやく動く魚のような銀白色だ」とか例えられ、「人間とは、なんて素晴らしいメカニズムなんだろう」と魅せられる。評者である私は、系統解剖学といって人体の形態や構造を研究・教育する現場にいたことがあるが、そこで解剖する人体はホルマリン漬けで鮮やかな色が無くなったものなので、法病理学での「生の」死体を目にする現場はそうなのかと、思わず惹き込まれて読んでしまう。

この本には専門的な知見が書かれるだけでなく、著者の人生のエピソードとも重ねて綴られる。とても分厚い本なので、読み終える頃には、読書で共にした自分の長い時間と、著者の人生が重なるような感覚になり、ああ、自分は、こんなにも多くの死と出会ってきたのかと、自分が著者の人生を生きてきたかのように錯覚したりもする。

「私たちは知る必要がある。特殊な死について。死、全般について」。本書にはそんな言葉もあるが、まさに死を知るための、格好の一冊だ。

《評》解剖学者 布施 英利

 

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