堕ちたバンカー 國重惇史の告白  児玉博  2021.6.11.

 

2021.6.11. 堕ちたバンカー 國重惇史の告白

 

著者 児玉博 1959年生まれ。早大卒。フリーランスとして取材、執筆活動。16年『堤清二 罪と業 最後の「告白」』で第47回大宅壮一ノンフィクション賞。主な著書に『日本株式会社の顧問弁護士 村瀬二郎の「二つの祖国」』など

 

発行日           2021.2.3. 初版第1刷発行

発行所           小学館

 

軽井沢図書館の新刊本より

 

序章 転げ落ちた寵児

転落のきっかけは女性問題

『住友銀行秘史』発刊の1年後、離婚訴訟で億単位の慰謝料を請求されていた

住友銀行と法務・検察主流派OBの会を「花月会」と称し、事務局は住友銀行。会場だった大阪ミナミの「花月」は千代の山が妻にやらせた料亭で、現在のオーナーは安藤英雄、パチンコやゲーム関連の業界のフィクサー。その長男の結婚式の主賓が國重で、肩書はDLJディレクトSFG証券(現・楽天証券)社長。いきなりアカペラで《夫婦春秋》を歌う

 

第1章     将来の頭取候補

2014年の不倫騒動のきっかけは週刊誌報道、楽天を辞任

報道の契機となったのは、不倫相手に流産させた際、買春相手との交際をフェイスブックに公表され、不倫相手に露見、両者の間の揉め事を週刊誌にリークされ、國重は自己保身から不倫相手のことを精神病といったことから、相手がすべてを週刊誌に話したため、自らのフェイスブックに事の全貌を告白。家族も家も肩書も名誉もすべて失う

94年、丸の内支店長となり、頭取への道をほぼ確定させていた國重が、日本橋支店長に格下げされ、住友キャピタル証券副社長に飛ばされたのは、磯田の寵愛した秘書の女性で巽頭取も知っていた女性と不倫し子どもまでいることが露見したから。辞表を書かせるという頭取に対し西川善文が庇って傍系会社に飛ばした

國重と安藤の付き合いは87年渋谷東口支店長就任以来。同支店は元平和相互の支店で、安藤から千代の富士部屋の建設資金融資の紹介があり3億円融資実行したのが契機

大学紛争の時、安田講堂の封鎖解除を指揮した機動隊長の警察庁キャリアの池田勉の相手は、平相創業者小宮山英蔵の長女で、結婚を機に平相入行

MIT留学は、三和の友人が留学するというのを聞いて決断

72年、入行4年目に結婚、相手は高校時代の家庭教師の生徒。中堅ゼネコン創業者の娘で聖心女子大生。工業倶楽部で、仲人が樋口廣太郎、主賓は堀田会長、新婦側は江戸英雄

 

第2章     伝説のMOF

75年、企画部長代理に異動、以後MOF担を10年続ける

77年、磯田頭取就任とともに、翌年6総本部制に移行するが、それを建議したのは三和から聞いてマッキンゼーに相談した國重

取材時点で、進行性格上性麻痺の指定難病が発覚

 

第3章     平和相互銀行事件のメモ

34年前、平和相互の名が金融界から消えたが政官財が暗躍した疑惑は手付かずのまま残る

78年、頭取になって2年目の磯田に銀行局長・徳田博美から持ち込まれた関西相互の合併話が相手社内の反対運動に遭って、大蔵から撤退を指示され煮え湯を飲まされた後、子飼いの河村から持ち込まれたのが平和相互の合併話、首都圏進出を狙う磯田にとって悲願達成の絶好機

平和相互は、クズ徹夜で大儲けした小宮山が、49年前身となる平和財蓄殖産無尽設立、一時はグループ企業152社を数え、影響力が政財界の中枢にも及ぶ

小宮山の長女を池田に紹介したのは警察庁長官・後藤田正晴

79年、小宮山英蔵死去後、一家の内紛が始まり、最初は長男一派が東京地検特捜でならした伊坂監査役を筆頭とする4人組の暗躍で勝利するが、一族企業への貸付3000億が不良化し、経営悪化

次いで4人組が創業家に対し、一族企業への貸付返済を迫り、創業家が泣きついたのがイトマンの河村。河村は、暴力団関連取引の存在を知って、創業家の株33.5%を旧川崎財閥の資産管理会社・川崎定徳(社長・佐藤茂)にファイナンスをつけて持たせる。4人組は創業家を追い出したが、株式の処分までは気付かず

85年、金融自由化の進捗で金融機関の検査を強化していた日銀が目を付けたのが問題含みの平和相互。日銀は合併しかないと見做し、住友、三和、東海に打診

住友では、松下武義秘書室長のもとで國重が担当。松下は竹下蔵相に根回し

太平洋クラブの会社更生法申請を機に、当局も住友による合併へと急旋回。竹下も磯田に、「総理になったら借りを返す」と確約

平和相互の乱脈経営を犯罪行為として告発する動きが出て、検察が動き出したのを見て、4人組は川崎定徳の株買戻しを画策。そのために神戸の屏風と呼ばれる地域の土地取引で、担保掛け目を大幅に上回る貸し出しで資金捻出を図る

 

第4章     金屏風事件の謎

《金蒔絵時代行列》と呼ばれる金屏風を40億円で平和相互が買い取り、売り手の八重洲画廊社長・真部俊生が川崎定徳の佐藤から株式買戻しを仲介する

真部を4人組に紹介したのは、平和相互の会長・田代一正で、大蔵省審議官から防衛庁事務次官を経て平和相互に天下り、当然創業家の株が佐藤にわたっていたのを知った上で紹介

真部は、大蔵省出入りの画商で、大平正芳蔵相と親しく、住友の河村とも銀座支店長時代の顧客として繋がっていた

一方で、「屏風」と呼ばれた土地でも、開発業者に116億を融資、大半が不良化していた

平和相互の救済は、告発で監督責任を問われることを恐れる大蔵と日銀が特別顧問団を作り、内容が腐っていることを知らしめたうえで最終的に多額の支援金を提供し住友に引き取ってもらう方向で動き出す。竹下が住友の単独支援を打ち出したことで動き出す

 

第5章     4人組、追放

平和相互の社長に田代が就任、大蔵と日銀から顧問が入り、検査データが住友に開示

862月、住友と平和相互の合併に向けての覚書。合併は10

7月に4人組が特別背任で逮捕

 

第6章     真説・イトマン事件

國重がイトマンに関わったきっかけは、松下武義の紹介といってヤマ検・土屋東一から伊藤寿永光を知っているかとの問い合わせ。伊藤がイトマンの役員で迎えられる時で、平和相互を実質所有していた関係でイトマンに出入りしていた國重は、役員秘書との不倫を通じて伊藤の入社のことも知っていた

90年、役員秘書から入手したイトマンのロゴ入り便箋を使って、國重が従業員名で大蔵省銀行局長・土田正顕宛てに、6000億の不良融資を告発。第2弾には伊藤の名前も入れる

國重は、本店に戻って磯田の寵愛する秘書と不倫、2人目の子どもが出来て、正式に離婚し籍を入れる

伊藤らに食い物にされ、巨額な赤字を垂れ流し続けるイトマンに磯田の言うがままに資金を提供し続ける住友銀行。見て見ぬ振りをする銀行幹部のあり方が気に入らなかった國重は、本当に銀行が潰れるかもしれないという危機感から大蔵省に告発文を送り、メディアに内部情報を流し、特捜部に接触。この男がいいたからこそイトマンに巣くった魑魅魍魎を追い詰めることが出来た

 

終章 ラストバンカーになれなかった男

西川を住友に誘ったのは磯田であり、西川は終生磯田を尊敬し続けた。14年アルツハイマー罹患、前年妻を亡くしたのが契機

西川は國重の最大の庇護者。楽天証券に移籍後も社外取締役として毎月顔を合わせた

04年、楽天が國重のいたDLJディレクトSFG証券(住友証券とクレディスイス・ファーストボストンと合弁のネット証券)を買収、金融分野に進出すると同時に、國重の背後にいる西川も手に入れたことが、その後の楽天によるプロ野球機構参入に設置が義務付けられている経営諮問委員会のメンバーを集める際に役立つ

平和相互合併で企画部長だったのが西川。不良債権の山を見て反対した西川は國重に手を引けと脅すが、國重も磯田の所で決着をつけようとやり返して緊密な関係が始まる

湾岸戦争で日本が90億ドル負担すると決まった際も、すぐに國重はその送金を扱わせろと大蔵や外務省に働きかけ、1/2を扱うことに成功

 

 

あとがき

20年、西川逝去、享年82

西川はイトマン事件で男を挙げ、頭取になったが、國重は逆に危険な人物と思われ追い出された

 

 

 

小学館 ホームページ

堕ちたバンカー 國重惇史の告白

著/児玉 博 定価 1980円(税込) 発売日 2021/1/29

書籍の内容

住友銀行の救世主はなぜ追放"されたのか
住友銀行元取締役、國重惇史。若手行員時代から「伝説のMOF担」として名を馳せ、平和相互銀行事件での活躍で「将来の頭取候補」と目される。そしてイトマン事件を内部告発し、「住友銀行の救世主」に。だが、あることから銀行を追われ、「楽天副会長」に転身。スキャンダルで辞任し、『住友銀行秘史』を著す。これは、ある天才バンカーの半生を通して、日本のバブル時代の熱狂とその終焉を描くビジネスノンフィクションである。
〈ある意味、國重は時代の寵児だったのかもしれない。バブル経済の勃興期に起きた平和相互銀行事件、そしてバブル経済真っ只中のイトマン事件とまさに日本中が狂乱の渦の中にあったとき、國重はもっとも異彩を放った。しかし、時代は虚ろだ。かつて日本中が、そして國重が身を任せた圧倒的な熱量は、日本社会から見事なまでに消え去った。それとともに、國重の輝きは失せていった。〉(本文より)

編集者からのおすすめ情報

ベストセラー『住友銀行秘史』を著した國重氏のバンカー人生は、過激というほかありません。とりわけ、平和相互銀行事件のメモで浮かび上がる、バブル当時の銀行、政治家、官僚、財界、裏社会の密接な繋がり、そのうねりを扇動していく國重氏の姿は、痛快です。その一方、過激なバンカー人生の末に訪れた國重氏の今。その哀切は、すべてのビジネスマンの胸に、深い余韻を残すことでしょう。

 

 

 

『堕ちたバンカー 國重惇史の告白』児玉博著 銀行、バブルの闇白日に

2021/4/11 08:45  産経新聞書評

 元銀行員として言わせてもらうと、国内の支店で100万円の預金を獲得するのはなかなか大変なことである。仮にそれを1%の利ざやで運用しても、もうけは年に1万円にすぎない。

 ところが、本書に登場する住友銀行(現・三井住友銀行)の経営者たちは、買収予定の旧平和相互銀行の2千億円もの資産償却を平然と話し、買収から逃れようとする同行の経営者たちは、株の買い戻しを仲介してやるという八重洲の画廊主の言葉を信じ、謝礼に時価5億円の金屏風(びょうぶ)を40億円で買ったりする。まさにバブルの乱脈経営だ。

 本書の主人公は、元住銀取締役で元楽天副会長の國重惇史。東大経済学部を出て、マサチューセッツ工科大学大学院に社費留学し、29歳でMOF(旧大蔵省)担当者に任命され、頭角を現した。

 本書は、國重が克明につけていたメモをもとに、一民間金融機関にすぎない住友銀行が、大蔵省、日銀、検察庁など、権力の中枢に食い込み、彼らを操って平和相銀を手に入れる様子を克明に再現する。中曽根康弘首相(当時)と平和相銀株を握った旧川崎財閥の資産管理会社、川崎定徳社長、佐藤茂の極秘会談の内容も明らかにされている。

 最前線で工作を主導していたのが、39歳の企画部次長にすぎない國重だった。発想や行動力が常人離れしているだけでなく、血気盛んで愛嬌もあった彼の人間的魅力は本書を読むとよく伝わってくる。

 この國重を見守り、楽天へ転出した後も面倒を見ていたのが、後に三井住友銀行頭取となる7年先輩の西川善文だった。國重同様、銀行業の「けもの道」を歩んだ男だ。平和相銀買収の4年後、経営破綻した総合商社イトマンの処理方法をめぐって、当時の巽外夫頭取の方針に異を唱え、会議の席を蹴って廊下に飛び出した國重を常務だった西川が「國重、戻ってこい」と追いかける場面は印象的だ。

 その西川は後に、平和相銀には立地の悪い店舗が多く、間もなく大蔵省の新店舗出店規制も緩くなったので、買収はあまり意味がなかったように思うと、むなしく回想している。

 銀行業とバブルの闇を白日の下にさらした本書の読後感は、どんよりと重く、複雑である。(小学館・1980円)

 

 

 

 

Wikipedia

國重 惇史(くにしげ あつし、19451223 - )は、日本実業家楽天証券社長、同社会長、楽天銀行社長、同社会長、楽天副会長などを歴任した。

人物・経歴[編集]

山口県生まれ。教育大付属高を経て1968東京大学経済学部卒業、住友銀行(現三井住友銀行)入行。渋谷東口支店長、審議役などを経て、1991年本店営業第一部長に就任。1993丸の内支店長。1994取締役に昇格。1995日本橋支店長。1997年本店支配人東京駐在。同年住友キャピタル証券副社長。

1999年からディーエルジェイディレクト・エスエフジー証券(現楽天証券)社長を務め、楽天三木谷浩史会長に同社の売却を提案し西川善文三井住友銀行頭取との間を仲介。

売却に伴い楽天グループ入りし、2005年楽天副社長に就任。2006楽天証券会長。2008イーバンク銀行(現楽天銀行)社長。2012年楽天銀行会長。楽天グループのM&Aなどを担った。2014年楽天副会長に就任も、同年「一身上の都合」で退任。2015リミックスポイント社長。

著書[編集]

『住友銀行秘史』講談社 2016

 

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