引き裂かれた大地  Scott Anderson  2018.10.15.


2018.10.15. 引き裂かれた大地 ~ 中東に生きる6人の物語
Fractured Lands       2017

著者 Scott Anderson レバノン、イスラエル、エジプト、北アイルランド、チェチェン、スーダン、ボスニア、エルサルバドルなど、戦乱に引き裂かれた多くの国々から報道を続けて来た、経験豊富な戦場特派員。The New York Times Magazineほかに寄稿。著書には小説やノンフィクションが多くある

訳者 貫洞欣寛(かんどうよしひろ) 1970年広島市生まれ。94年朝日新聞社入社。カイロへのアラビア語留学を経て、0407年と1012年の2回、中東特派員としてカイロ勤務。記者として米軍のアフガン空爆、イラク戦争、パレスチナ問題、米軍占領下のイラクの混乱、アラブの春、シリア内戦などを現場で取材。1416年ニューデリー支局長を務めたのち、16年退社。18BuzzFeed Japan入社、ニュースエディターに就任

発行日           2018.6.30. 印刷      7.20. 発行
発行所           白水社

経験豊富な戦場ジャーナリストが、戦渦に巻き込まれた6人のストーリーを通して、現在の中東を動かす陰の原理と市井の人々の息遣いを浮き彫りにした渾身のルポ


はじめに
6人の人生は、2003年の米軍イラク侵攻で始まった大激動の中で永遠に変わり、欧米でまとめて「アラブの春」と呼ばれる一連の革命と暴動によって、加速させられていった。その変化はISISによる略奪とテロ攻撃、国家破綻によって、今日も続いている
l  イラクの医師アザール・ミルハン(42歳、男)には、シンジャルに向かう道の途中、恐れていた最悪の結果を目の当たりにした時にやってきた
l  エジプトのライラ・スウェイフ(61歳、女)には、通りを走る反政府デモ隊から若者が飛び出してきて、彼女を抱きしめた時のことだった
l  リビアのマジュディ・エル=マングーシュ(86年生、男)には、荒れ果てた無人の地を歩いていて突然、幸福感に包まれた時のことだった
l  イラクのフルード・アッザイーディ(23歳、女)には、かつての友人から脅すような言葉を投げかけられ、自分が目指していたことがすべて失われたと悟った時のこと
l  シリアのマジド・イブラヒム(92年生、男)には、尋問官がマジドの「上官」を探すため携帯電話を調べるのを見ながら、自分の処刑が刻々と迫っていると感じた時のこと
l  イラクの若者ワカーズ・ハサン(23歳、男)には、それは銃を手にしたISISの男たちが街に現れ、ISISに加わるかどうかを選ばせたときにやってきた
それぞれの瞬間は後戻りできない場所への分岐点であり、それは多くの人々を通じて増幅され、彼らの故郷を、中東地域全体を、そして世界を変えつつある
アラブの春のきっかけは、野菜を売るチュニジアの貧しい露天商が、政府の嫌がらせに抗議して焼身自殺したことで、そのやけどがもとで11年に亡くなった時、当初は経済改革を訴えるため通りに出たデモ隊が、国を23年にわたり強権支配してきたベンアリ大統領の辞任を求めるようになっていた。その後デモ隊は国境を越え、アルジェリア、エジプト、オマーン、ヨルダンで反政府デモが噴出、僅か10か月後には中東で4つの長期独裁政権が倒れ、6か国の政権が大揺れとなり、モーリタニアからバーレーン迄拡散
何に反対するかで不平不満を言う文化こそがアラブに最も特徴的で、またこの社会を弱体化させているものの1つ。彼らは反シオニスト、反欧米、反帝国主義で、長い間この地域の独裁者らは大衆の不満を巧みに外部の「敵」に向けさせ、自らの失政から目を逸らさせるようにしてきたが、アラブの春により、こうした昔のやり方は突然通用しなくなり、代わって大規模に、人々は政権そのものに真正面から怒りをぶつけた
その後とんでもなく間違った方向に進み始める ⇒ 12年夏には2つの「解放国」であるリビアとイエメンは無政府状態と党派対立に傾き、シリアでのバシャール・アル=アサド政権との戦いは、残酷な内戦に陥る。エジプトでは翌夏初めて民主的な選挙で選ばれた政権が軍部によって転覆されたが、2年前に民主化を求めて街頭に出た青年活動家の多くが今度はクーデターに喝采。アラブの春が起きた国々でたった1つ輝きを保ったのは、その発祥の地チュニジア。それでもテロ攻撃や反目しあう政治家らが、弱々しい新政府への脅威となり続けた。混乱の中でアルカイダの生き残りが勢いを取り戻し、イラクでの戦争を激化させ、「イスラム国」/ISISと呼ばれる分家を生み出した
間違った方向に進んだ原因は1つではない ⇒ いくつかの国が激しく変わっても隣国はほとんど影響受けなかった。危機にあった国のうち、リビアは比較的豊かだがイエメンは壊滅的に貧しかったし、チュニジアのように比較的穏健な独裁の国が、シリアのように最も残忍な独裁国とともに爆発。安定を維持する国々でも、同様に幅広い政治的、経済的不平等が存在する
アラブ圏の多くで、古代からの部族の引力、血の引力が、今も内面に残っていることが、アラブの春を考える上での出発点となり、ある種の組織原則を提供する
アラブを構成する22か国のほとんどが、アラブの春による一定程度の打撃を受けたが、6か国は最も深い影響を受けた。そのエジプト、イラク、リビア、シリア、チュニジア、イエメンはいずれも君主制ではなく共和制。ということは、アラブの共和国の構造には固有の断層があるということなのか? 他方君主制国家の多くも腐敗して抑圧的なのにアラブの春の圧力に耐えたのはある種の部族的な盟約があったからなのか?
特にイラク、シリア、リビアのように再び国家として機能するかも疑わしい共和制国家を考えるとき、これらの疑問はさらに顕著 ⇒ 3か国とも20世紀初頭に西欧の帝国主義勢力によって作られた人工国家であり、国家の統合とか部族や宗派の分断についても全く注意が払われなかった。固有の国家アイデンティティ意識の欠如と、伝統的な社会統合の原則に取って代わった政府の形態という2つの要素が同時に働き、変化の嵐に対する脆弱さを見せた
リビアのようなアラブ「人工」国家において、アラブの春は、最も基礎的な社会秩序への復帰を意味し、古代からの忠誠心が、カダフィが植え付けようとしたナショナリズムそのものを吹き飛ばした
11年の露天商の焼身自殺は、アラブの春の引き金というよりも、アラブの社会の表面化で煮えたぎっていた緊張と矛盾が頂点に達したことの象徴であり、アラブ圏のどこでも分解のプロセスが始まったのは、03年の米国のイラク侵略と言われ、フセインの銅像が引き摺り倒された場面こそが激変を象徴していた
独裁者たちがいなくなると、部族主義や宗派主義という古代の力が、その遠心力を発揮し始め、こうした力がいかに米国を引きつけ、そして追い払い、米国の中東での力と威信を、二度と回復しないレベルにまで損なわせた
米国によるイラク侵攻の前年、カダフィにイラク侵攻が起きた場合利益を得るのは誰かと尋ねたら、「ビン・ラディンだ」と即答、「サダムの政権が崩壊すれば、無政府状態となり、反米行動はすべてジハードと見做されるようになるところから、イラクはアルカイダの拠点に成り下がる」
1部は、現在の危機を理解する上で欠かせない3つの歴史的要素について焦点を当てる。それは中東の人工国家の先天的な不安定さと、米国と同盟するアラブ政権が国民に強く反対された政策を行わねばならないときに置かれる危険な立場、そして当時もその後もアラブ国民国家の正統性に疑問を投げかけることになるという意義をほとんど気づかれなかった25年前に行われたイラクの事実上の分割への米国の関与の3
2部は、主に米国によるイラク侵略と、それがどのような形でアラブの春の反乱の土台となっていったかについて
3部は、エジプト、リビア、シリアで起きた反乱の結果について
4部は、ISISの勃興の記録
5部は、その結果として起きた、現在も続く中東からの大移動を追う
ある意味で、アラブ世界の混乱は、第1次大戦にルーツがあるというのは妥当。なぜなら、それは第1次大戦のように、目に見える理由や論理も乏しいまま、地球の隅々の出来事にまで素早く、広範囲に影響を与えた、地域的な危機だから

第1部        起源 19722003
1919年夏までの400年間のほとんど、中東のアラブ人地域はオスマン帝国の支配下にあり、納税と徴兵に応じる限り、広い自治権を認め、少数派宗教共同体が事実上の自治を行い、オスマン法の代わりにそれぞれの宗教法廷が秩序を維持
1次大戦でのオスマン帝国の敗戦により、地域は英仏の支配下になろうとしたが、ウィルソンの理想主義により、キング=クレーン委員会が現地に派遣され、各民族、宗教団体に要望を聞いたところ、独立か米国による委任統治が圧倒的だった
ウィルソンは、米国が国外で統治の責任を負うことには消極的で、委員会の報告書をお蔵に放り込み、人工的な国境線が創造され、併せて、アラブ圏の期待を高めた挙句に打ち砕くという、次の世紀で何度も繰り返された米国の無定見さの先例もこのときに作られた
欧米列強の支配下となった国々では、19世紀後半にサハラ以南のアフリカで成功を収めた分割統治の戦略をとり、少数派は決して逆らわないと考え、民族的、宗教的少数派に権限を与え、地元の管理者層とした ⇒ ある勢力に武器や食料、名目だけの肩書を与え、他の勢力と互いに戦わせ、宗派的、部族的分裂を煽った
すべては第2次大戦の終結で、急速に変わり始める。中東各地の民族主義グループが世界の他の発展途上地域と同様に、独立を求めて叫び始めた。同時にサウジとイラクで膨大な石油の発見が中東を経済的な僻地から地政学上で極めて重要な地域に変えた。更なる政治意識の目覚めが48年のイスラエル建国でもたらされた。アラブ圏中で憤激を呼び起こした。50年代初頭には、アラブの人々の願いと不満に訴えるカリスマ的指導者が登場すれば、アラブ民族主義が全盛を迎える準備は整っていた。それがナセル中佐

エジプトのライラ・スウェイフ61歳、カイロ大数学科教授。街頭の反政府デモにいつも顔を出す。78年共産主義学生地下組織のリーダーと結婚
52年に西側の手で据えられた王政を転覆した若手将校の集団、自由将校団の中で最も力強い個性の持ち主として早くから頭角を現したナセルは、「アラブ社会主義」と汎アラブの団結の大義の擁護者となり、外国人たちに支配されてきた人々の代弁者としてアラブ世界の象徴となる。この独裁者は何かに反対することでその人気を決定的にした。それは植民地主義、帝国主義、西側による地域介入の最新例であるイスラエル
冷戦に入って米国はアメとムチでナセルを引きつけようとしたが、アスワン・ダム計画への資金供与を西側が拒否したことで、ナセルは反西側姿勢を強め、更に56年のスエズ運河国有化の契機となったスエズ危機を乗り切って英雄視されるとともに、68年までにイラクとシリア、リビアでも軍事クーデターが成功
エジプトは、民族的なアイデンティティが存在するため、社会が引き裂かれる危険性は全くなく、エジプト民族の誇りと、70年に及ぶ過酷な英国支配の名残である西側への反感を鼓舞することで、バラバラな政治勢力をまとめて国民的なコンセンサスを作り上げた
78年米国の仲介でイスラエルとの和平条約にサダトが署名したことで、エジプトの政治風景はひっくり返り、81年後継者のサダトは裏切り者として暗殺
その跡を継いだムバラクは、外敵の脅威を使った国民の団結を作り出せなくなって、世俗左派とイスラーム主義右派を争わせる仕組みを作り出すが、スウェイフ夫妻は司法制度改革のために闘うことを決意、政府のイデオロギー的な分断政策に向かって立つ

リビアのミスラタは、古来サハラ横断交易路の終点、サハラ以南アフリカから地中海を越えて輸出するために黄金と奴隷を運ぶラクダの隊商たちの中継地。マングーシュ家はこの地方の旧家で、86年に誕生したのがマジュディ
カダフィの統治下にあり、ナセル同様石油権益を西側から国有化し、イスラエルに激しい敵意を抱くことでアラブ人としての誇りを燃え立たせたが、徐々にイラクのサダムやシリアのアサドによるバース党政権に近づき、個人崇拝体制を作り上げていった
反帝国主義でソ連に接近、労働人口の半分以上が政府から給与の支払いを受ける
マジュディの母方の親戚2人が75年にカダフィに対するクーデター未遂事件で処刑され、現在でもマングーシュ家は政府の監視下にあった
イラク、シリア、リビアでは、90年代には、指導者が個人崇拝を強めるほど、人前から離れるようになっていった ⇒ マジュディも直にカダフィを見たことはない

イランが米国の援助を受け、イラクと国境を争って戦っている間、イラク・クルドもCIAから兵器の供給を受け、イランの支援を得てイラクとゲリラ戦を展開、休戦状態に持ち込むことに成功したが、75年突然両国が和平条約を締結、アメリカはクルドへの援助を即時停止したため、クルドはイラン側に逃げ込む。その際路上で生まれたのがアザール・ミルハン
トルコを含む4か国に散らばるクルドは、それぞれ方言や政治志向、服装すらも異なり、共通点は長く続く戦士としての伝統だけで、ミルハンは「死を恐れない者」という意味のペシュメルガの一族として知られる家系
イランに反米的なシーア派原理主義のホメイニ政権が樹立されると、ワシントンは新たなパートナーとしてフセインを見出し、イラクがホメイニのイランに戦いを挑むと、武器を送って支援、8年にわたり100万以上の犠牲者となる戦いを続けさせた
88年にはフセインがクルド人に対しアンファル作戦を始めると、米軍は見て見ぬふりをする
90年フセインがクウェートを侵攻するに及んで、ようやく米国とフセインの談合は終わり、フセイン政権を崩壊の瀬戸際に追い込んで、イラク人に政権に対して立ち上がるよう呼び掛け、虐げられてきた南部のシーア派と北部のクルドは立ち上がったが、米国はフセイン政権の終焉がイランを利しかねないと判断しフセインを残そうとしたため、フセインが反乱勢力に逆襲、皆殺しを防止するために米国がクルディスタンに緩衝地帯を作ってイラクの北部と南部に飛行禁止区域を設定、フセインをクルディスタン全土から力づくで撤退させてクルドによる自治政府KRGを設立したため、1919年人工的に引かれた国境線が初めて解体。非アラブ・クルド人の独立でイラクのシーア派の多数派としての比率が上がり、スンニ派支配層がさらに少数派に転落
KRGの設立で国外に離散していたクルド人が故郷に戻り始めるが、アザール・ミルハンもその1人で、イランでの難民生活から戻る

シリアのホムスは内陸の中欧盆地にある、宗教的に特に多様な都市で、マジド・イブラヒムも両親はイスラム教だったが息子をカトリック系学校に入れ、マジドは欧米にこそ母国の未来があると憧れて育つ
宗教的少数派であるアラウィ派(シーア派の分派)に属するアサドは、独裁を形成する過程で、世俗的リベラリズムをとる ⇒ 2000年に跡を継いだ息子バシャールも、隣国レバノンの民兵組織ヒズボラへの支援を緩め、欧米からも好意的にみられていた

第2部        イラク戦争 20032011
03年イラクのクウェート侵攻、米国主導の連合国暫定当局(CPA)ができる
フルード・アッザイーディは、父親が進歩的だったお陰で大学に進学し、学資取得の直前
CPAの女性の地位向上プロジェクトを担当する米国人女性弁護士の話を聞いて、人生を変えたのがフルード。新憲法起草のための訪米女性代表団に若者代表として選ばれ、ワシントンを訪問するが、ブッシュの上の空をした目を見て新しい支配者として不安を覚える

フセインの故郷ティクリート出身のワカーズ・ハサンは、退屈な農村で楽しい少年時代を過ごしたが、ティクリートは03年米軍の初期攻略目標として激しい空爆の対象となり、スンニ派武装勢力と連合軍部隊の戦闘に巻き込まれる

CPAはまず最初に、バース党幹部らを公職追放とし、フセインによって強制的に入党させられていた専門職らも含めて追放され、更にはイラク軍の解体で、数十万人が職務から放り出され、04年以降イラクで起こる内戦の尖兵となる
10年足らずのうちに、排除されたスンニ派の人々が、ISISの下に集まる
03年夏のバグダッドの国連本部でのトラック弾によるテロにより、連合軍への攻撃が激化
CPAの女性弁護士がイラク警察車両により殺害される
バグダッドの急進的なシーア派宗教指導者も連合軍にイラク撤退を要求
CPA機構はすべてバグダッドの新政府に引き継がれるが、各宗派の武装勢力による対立は激化し、キリスト教徒を迫害
フルードは、殺された弁護士の遺志を引き継いで女性の権利に関する仕事を続けるが、殺害を予告され、同僚からもアメリカ大使館のために働らいていると非難される

05ライラはムバラク独裁への反対運動を強めていき、国内でもっとも著名な反体制派カップルとして知られる
97年代中盤、過激なイスラーム主義組織「イスラーム集団」がテロ作戦を開始、ルクソールでのテロで62人が死亡したのを契機に、エジプトの治安当局はイスラーム集団に対し焦土作戦を開始
00年に始まるイスラエルに対するパレスチナの第2次インティファーダ(民衆蜂起)を起爆剤に、ムバラクはパレスチナ支援デモを押さえつける力を失い、米軍のイラク侵攻が重なって、アラブ圏で最大規模の反戦デモが続く
05年ムバラクは、大統領選で対立候補を逮捕し、89%の支持を得て5選を果たすが、同年の人民議会選で選挙干渉を減らすと、非合法のムスリム同胞団が20%の議席を占める
米国は、ムバラクのイスラエルとの友好関係を評価して、エジプトをアラブ圏で最も信頼できる同盟国と見做していたが、イスラエルとの和平条約を支持するエジプト人は1人もおらず、米国からの毎年20億ドルを超える援助を国辱ではないと思わない人もいなかった(ママ)
05年反政府抗議デモに初めてライラの息子が参加した時、体制側に雇われた暴漢によって暴力が振るわれ、以後暴力沙汰が繰り返されるが、ライラの子供達が怯むことはなかった

米国内では、フセインの次の標的はカダフィだと言われ始めたことを察知したカダフィは、大量破壊兵器を破棄して国際社会の最前線に戻ろうと画策、自らのポスターを剥がし始めたが、米国がイラクでの失策で泥沼にはまり込むと、カダフィにとっては米国の攻撃の脅威がなくなることを意味していた

命を狙われていたフルードは、UNHCRに難民申請をし、サンフランシスコに逃れたが、父親の再定住許可が却下されたため、ヨルダンに戻って申請手続きをしようとしたため、永住権を得ようとする難民資格を喪失してしまい、立ち往生

08年リビアのマジュディは、空軍士官学校の幹部候補生となる

10年マジドが大学に進学するころ、米国はシーア派主導のマリキ政権が、イラク在留米兵がイラク司法の訴追免除の対象外とすることを拒否した(ママ)ため、11年までの3年間で全戦闘部隊の撤退を発表しており、その悲惨な結果は14年に少数のISIS戦闘員がイラク西部を瞬く間に占拠し、イラク軍を敗走させる明白にはならなかった
一方、米国のイラク介入は、地域を動揺させる効果を持ち続け、欧米を支持する指導者たちへの失望が広がり、伝統的イスラーム主義者の間で武装闘争を目指す動きが目立つようになり、11年の焼身自殺を機に爆発、中東全体に抗議の動きが広がる

第3部        アラブの春 20112014
11年チュニジアでの焼身自殺後に起きた街頭での抗議活動が、長年チュニジアを強権支配してきたベンアリを政権から引きずり降ろし、アラブ圏全体に造反の空気が広がる
直後にエジプトで思った抗議デモには1000人も来れば成功と予測していたところに15千人集まり、エジプト各地でも同様の民衆蜂起に発展、3日間続いたデモは革命に発展
ライラは、「デモ隊の中から青年が飛び出してきて私を抱きしめた時、本当に革命が起きて私たちが勝利することを知った瞬間だった」と回顧
デモ隊と陸軍部隊や暴漢との衝突が始まってから18日後、ムバラクは辞表を提出し、紅海のリゾートの別荘に退避したが、反政府勢力がまとまる前に、軍高官で構成された軍最高評議会が、選挙が行われるまで暫定政権として権限を代行すると発表

チュニジアとエジプトの余波がリビアにも及び、大衆と政府軍との間で衝突が始まる。マジュディたち士官候補生は隔離されたまま、ただカダフィが言う外国勢力が国を破壊するという説明を信じて、政府軍の情報収集の手先として故郷の反体制派動向を探るために向かう途中、無人地帯で幸福感に溢れる

シリアでは、アサド政権が改革者としてのイメージを打ち出し、国民も穏やかな改革を期待していたが、秘密警察による統制は何ら変わることはなく、4月の抗議デモの参加者の射殺を機に、一気に数万人のデモに発展、治安部隊との衝突がエスカレート、宗派対立の形で迫害が進み、翌年には無差別な戦闘に発展、マジドの故郷の街は「革命の首都」のあだ名で呼ばれるようになったため、ダマスカスに避難する

マジュディは故郷の街に戻り、政権軍と反政府側との衝突や西側連合軍の空爆で破壊されたのを見るとともに、反政府軍がカダフィの言った事とは反して外国人ではなく国内の一般民衆だったことを知り、街を包囲した政権側の指導者逮捕に協力した後、身を守るためにチュニジアに出国するが、すぐに戦いに参加するために戻り、カダフィを追い詰める部隊で働き、カダフィの死を確認
革命後のリビアの将来については楽観的だったが、暫定政権のリビア国民評議会がカダフィと戦ったすべての国民に恩給を支給するとしたため、対象は膨大な数に膨れ上がり、それぞれがその資金をもとに新たに武装組織を結成し、暫定政府の統制下に入らないまま、それぞれの領地を切り刻んで敵対。12年には米国領事館が攻撃され大使らが殺害された
マジュディは士官学校から卒業証書を受領したが、授業もなしに卒業させてエンジニアを名乗るというのは嘘と腐敗にまみれていることで、革命が裏切られたことを見て取り、リビアが失敗国家に転落したと落胆

故郷に戻ったマジドは、自由シリア軍への入隊を進められるが、ドラッグに浸った日和見主義者が多く、むしろイスラーム主義グループのほうが信条と規律があるように思えた

12年エジプトの中央選管がエジプト史上初の民主的大統領選の決選投票に進んだ候補者を発表した時こそ最悪。1人はムスリム同胞団の指導者ムルシで、もう1人はムバラク政権の元首相 ⇒ ムルシが過半数をとって大統領となったが、軍最高評議会は大統領権限のほとんどを軍に移管、イスラム系政党が多数を占めた議会を解散させたため、ムルシは議会を再招集し、軍上層部を一掃して大統領権限を強めようとしたため、大衆の反発を招き、伝統的な軍への敬意が復活、1年でムルシは辞任し、軍政が復活
ライラは、ムルシでもない、軍でもない、と声を上げたが、圧倒的に少数派
軍による暫定政権は、衝突するムスリム同胞団を虐殺、ライラの息子も逮捕

シリア内戦の不可解な特徴の1つは、様々な民兵組織の間で繰り広げられる休戦や同盟が複雑に錯綜していたことだったが、13年自由シリア軍が政権軍に殲滅され終焉を迎えようとし、マジド一家もその中にあって孤立、マジドは自由シリア軍に拘束され、政府側のスパイと疑われ処刑されそうになったが、友人のお陰で免れ、ダマスカスに避難
13年政府軍による化学兵器の使用で多数の反政府軍が死亡したが、1年前オバマは化学兵器使用を「レッドライン」と宣言していたにもかかわらず、報復のための空爆開始の可否を議会の判断に委ねている間に、ロシアがシリアの化学兵器廃棄を監督すると提案。米国の「レッドライン」が無意味だということが確認され、米国の敵を勇気づけ、味方を怯えさせる、イラク侵攻以降中東における最も深刻な米国の外交失策となった

0914フルードは、日本の人道支援団体「国境なき子供たち」で働くが、労働許可書がないために解雇

エジプトでは軍事政権の締め付けが以前にも増してきつくなり、ライラの息子に次いで娘もデモに参加して逮捕され、14年夫が昏睡状態に陥る

14マジドは再び故郷に帰り停戦となるが、無数の新興武装勢力のなかで、ISISが急進性と残虐性で際立った存在として目立ち始め、シリアの砂漠地帯を再び過酷な戦場に変えたことで世界中で知られるようになる

第4部        ISISの台頭 20142015
14年初めISISがイラクのファルージャを制圧、勢いに乗ってティクリートに入る。現代史で最も驚くべき成功を収めた軍事作戦となるが、1週間足らずで5000人程度の軽武装のゲリラ兵が20倍を上回る重武装の正規軍を潰走させ、数十億ドル相当の最新兵器や装備と5百万の人口集中地帯を手中に収めた
ワカーズISISの勧誘ビラを見て、ISISの進撃に合わせて市内で呼応して立ち上がる態勢の中に加わる。諜報担当官だった兄の勧誘と東部油田地帯を掌握したために高額の報酬を提供されたのが参加の動機。すぐに訓練と称して処刑を手伝わされる

父と兄が全クルディスタンの英雄だったアザールは、ISISの侵攻と戦い、クルド人の国家を創設するため前線を巡回し指揮官に助言していた。それはクルディスタンから歴史的な敵であるアラブ人を追い出すことを意味した。92年の創設から24年間KRGは比較的安定して平和であり続け、バグダッドとの関係は単なる理論的なものとなっていったが、米軍によるイラク侵攻の際、KRGは公然と侵略者の側に立ち、後方支援基地と飛行場を与え、連合軍の兵士は誰一人KRG領内では命を落としていない
14ISISがイラク中央部に進出した際、次の攻撃目標がクルドでありまずはシンジャルの宗教的少数派になるヤズディ教徒が襲われることを予測、本気にしない人々を何とか説得して防衛陣地を築こうとしたが1日遅く、シンジャルではISISによる大量処刑が行われていた

マジドの故郷では停戦で静けさが戻りすべてが好転していたが、弟が通う小学校が自爆テロの対象となり、多くの子供が犠牲となる

ワカーズは、制圧した製油所の守備隊として検問所に配置、外国人戦闘員と接触する機会が出来て、その敬虔な宗教観に親近感を覚え、コーランの持つ力を知る

クルド人国家創設のためにISISと戦うアザールはイラク領の奪回のためにアメリカ軍からバグダッド経由で支援をもらうことに不満
クルド内部も2つの政治的勢力が対立するが、それは部族間の対立で、北部のミルハン一族を含むバルザニ一族と、南部のタラバニ一族であり、互いに連携していなかった

ワカーズISISとの1年契約を終えて人生のリセットを考えていた。時の流れがISISに不利になっていたこともあり、クルド地域で宗派と民族の坩堝だったキルクークに戻ったのが自然の隠れ家となった

15マジドはようやく学士号を取得したが、それは同時にシリア軍の徴兵対象となったことを意味した。両親から資金援助を得てトルコ経由欧州に避難することを計画、ギリシャに脱出して欧州で移動を続けるための登録文書を手にする

第5部        エクソダス 20152016
ワカーズは兄とともにISISを抜けて、トルコ経由キルクークに戻り仕事を見つけるが、私服に見つかり身分証明書の提示を求められる

マジドは、難民認定を受けやすいスウェーデンを目指したが、ドイツ警察に見つかり、難民収容所をたらいまわしにされた後ドレスデンに辿り着き、在住資格を得るために小さなアパートに滞在し、ドイツ語の講座に通う。母国の状況について調べることには時間をあまり割かなかったのは、過去何度も明るい見通しを持っても戦闘再燃で打ち砕かれたため、希望を持つこと自体を拒否するようになったから
武装勢力はアサドが権力にとどまる限り、和平協議を拒否するが、アサドが退陣してもアラウィ派の命運が尽きるだけに留まらず、スンニ派以外すべてが終わる。であれば最悪の選択肢が並ぶ中でアサドはまだまし。他の誰が権力をとってもシリアは永遠に破壊される
シリアには「血が血を呼ぶ」という諺がある。今は誰もが過去に受けた仕打ちに復讐する機会を狙っている。これからも続く、銃をとった全員が死に絶える迄戦争が続く。殺戮がスピードアップしたとしてもあと10年はかかる
マジドにようやく在住資格が下りて今後3年はドイツで暮らせることが確実に

フルードは再定住のための嘆願書の成果がないと知ると15年末に姉妹2人でイスタンブールに飛び、そこから船で欧州へ向かう決断をしてゴム筏に乗る。定員の3倍という過積載の筏は3時間かけてギリシャのサモス島に向かうが、島を直前にして暗礁に乗り上げるなか何とか上陸、ギリシャ当局で登録作業を済ませて本土に向かい、さらに2週間かけて、次々と国境の取り締まりが厳しくなるなか5つの国境を越えてドイツ南部にまで到達
ドイツで拘束され、オーストリアに送り返されたが、難民施設が満杯で雪の中を野宿しながらフェイスブックに状況を載せると、小規模な国際的活動家グループが動いて受け入れ家庭を斡旋してくれて、漸くクリスマスに暖をとることができた

15年末ワカーズは、KRGの秘密刑務所に元ISIS戦闘員として拘束され3か月がたつ
インタビューに対し、良心が咎めたことを吐露していて、やり直す機会があれば、決してISISには加わらないと断言し、罪滅ぼしとしてKRGのためにISIS戦闘員の同定を手助けしている。キルクークはイラクとクルドの共同管理となったが、クルドはイラクを全く信用せず、ワカーズはイラクに身柄を引き渡されれば確実に裁判で死刑となるが、クルドの手助けをしている限り命は保証される

マジュディは、トリポリの環境団体に参加、花や灌木を中央分離帯に植え、リビアの僅かな緑を保護する重要性を訴える活動をしながら本物の学位をとることに再挑戦
ポスト・カダフィのリビアは、イスラーム勢力が多数を握り、米国や西側の支援する政府はカーフェリーの中に閉じ込められていた。権力の空白が中東の過激派武装勢力を引き寄せ、ISIS系の勢力が広い範囲を掌握、新たな「国際テロの根拠地」に変えようとしていた
リビアは、過去数年の混乱の中でも、カダフィ時代からの国民の50%に対する給料や年金の支払いを続けており、更に幅広い補助金制度によって物価が極端に安く、ガソリンも1ガロン7セントだったため、世界最大の特売市場と化し、膨大な量の物品が隣国のチュニジアやエジプトに密輸され、13年に1,100億ドルあった外貨準備は17年中にゼロになるとみられている。それでも対立する武装組織や政治派閥は収奪を続けようとし、改善を阻むことになる

エジプトでは、かつては人権問題を訴えると米国や西側の人権団体が強い圧力をかけて、政治犯が釈放されたりしたが、現政権はムバラクが西側の言いなりになって大衆から離反した教訓から、外圧の言いなりになることがなくなった。米国からの援助は減ったが、サウジを始めとする湾岸諸国から推計30億ドルの援助を受ける。サウジ自ら人権問題を抱えているため、従属国に表現の自由などの要求をすることは考えらえない
ライラの子供たちも拘束されたままで、反体制運動が芽生えつつあるとはいうものの、現政権に動揺した様子は今のところ見られない

アザールたちは、米軍の大規模な空爆支援を得て、ヤズディの街シンジャルを奪還したが、ISISが民族浄化を行った街は瓦礫の山、大量埋葬地から一部が流れ出している
中東でバラバラになった国家を再統合するためのアプローチを探るなかで、多くの外交官や政策立案者らがアザールの主張する民族的、宗教的分離を考えるようになってきた
その際の正しいモデルと考えるのがKRGで、イラクに留まり安定した準民主主義として存続してきた ⇒ イラクに当てはめるとすれば、スンニ地域政府を作った三つ股国家となり、うまく機能すれば、リビアやシリアでも将来の解決策となるかもしれない
ただ、分離は容易ではない ⇒ 完全に交じり合った大都市の人々をどうするか。インド・パキスタン分離や、東欧での「脱ドイツ化」政策などから、どこまで学べるか
部族と宗派、故郷のどれを選ぶのか、細分化が始まればどこまで進むか分からない
KRGといえど、内部は2つの対立部族があって、全てのものが2つある。それが対ISISということで1つになっているに過ぎない。さらにヤズディは2つの派閥の外にあったためISISの虐殺に遭った。今の危機が落ち着けば部族間の対立が再燃しかねなi

エピローグ
16か月の間に状況は確実に悪化、地図上で明るい点があるとすれば、ISISがゆっくりとだが、確実に敗北に向かっていること
どれだけ悪化するとしても米国の新政権が中東の出来事にどう反応するかにかかっている
オバマの最大の成果は、ISISに対抗する国際的な軍事同盟を築いたことで、この同盟が将来も続き、より幅広い政治的、人道的な役割も果たしていけば、新しい危機にもより早く、効果的に対処できるようになるのではないか
ISIS戦闘員に聞くと、イスラームへの信仰が理由で加わったものはほとんどおらず、お金や地位、友人からの誘いといったありふれた理由が多く、米国やメキシコで不満を抱いた若者たちがギャングや麻薬組織に加わったりする理由とよく似ている
ということであれば、こうした脅威と戦うためには、イデオロギー的な面より、社会学的、経済的なアプローチが必要
この地域の文明の構造がいかに繊細で、その保護のために常に用心が必要であり、一度壊れたら修復するのにいかに時間がかかり骨が折れるかということを改めて認識した


訳者解説 ~ 原著出版以降の動き
l  イラク政府は、17年モスルの解放を発表、ISISは急速に弱体化したが、元々「思想」なので、戦闘員を生み出すのはイスラームの特定の思想ではなく、貧困や差別、希望の欠如といった若者を絶望に追い込む社会・経済状況なので、それが世界からなくならない限り、アルカイダの力が衰えても、代わりにISISと似たような行動様式を持つ組織が勃興する
l  ISIS討伐で自信を深めたバルザニ大統領率いるKRGは、クルド地域で独立をめぐる住民投票を行い、90%の支持を得たが、イラクの強い反対のほか、自国内のクルド勢力を刺激することを恐れたトルコなど周辺国を含む国際社会はクルド独立意背を向ける。トランプも「どちらの味方に付くこともない」と語る
l  イラク政府は、クルドの掌握していたキルクークに大軍を向けてKRGを追い出し、バルザニは辞任、以後KRGの大統領職は空位のまま。対立するタラバニ大統領も死去
l  シリアでは、ロシアとイランの支援を受けたアサド政権が勢力を盛り返し、反体制派への攻撃を強める。ISIS以外のイスラーム過激派もめまぐるしい合従連衡を繰り返す。
今のシリアで全国を平定するとすれば、アサド政権がロシアとイランから更なる軍事援助を受けるというシナリオだろうが、逆らうものをすべて叩き潰したうえでの国家再興を支持する人がどれだけいるか未知数。米ソが関わる以上、交渉による講和への道筋は見えない
l  レバノンでは、内戦の終結に15年かかり、シリア軍による平定で終わる
l  トランプが中東情勢をどう見ているのか読めない中、エルサレムをイスラエルの首都と認めるという、全アラブ人を敵に回すような決定が唐突に飛び出して、唖然とさせる
l  リビアの混乱は続く。統一政府の再興をめぐる交渉は難航し、民兵組織の乱立も変わっていない。経済危機も目前に迫る
l  エジプトの現政権による弾圧と経済的な苦境、北部砂漠地帯を中心とするISIS系組織によるテロ攻撃が続く。民主化活動家も多くが拘束され、いつか再び不満が爆発するだろう




引き裂かれた大地 スコット・アンダーソン著 中東の動乱生きる人の心理
2018/9/15付 日本経済新聞
読後に疲労感が残ったと語るのは誉め言葉だろうか。しかし、そうなのである。読書に疲れたのではない。本書を読むと中東の現代史の激流を疑似体験できる。だが精神的に本当に疲労困憊(ひろうこんぱい)した感覚が身体に残る。
原題=FRACTURED LANDS
(貫洞欣寛訳、白水社・2400円)
▼著者は米国の各誌に寄稿している戦場記者。著書に『ロレンスがいたアラビア』など、共著書に『インサイド・ザ・リーグ』がある。
※書籍の価格は税抜きで表記しています
著者は米国の各誌に寄稿している戦場記者。著書に『ロレンスがいたアラビア』など、共著書に『インサイド・ザ・リーグ』がある。
イラク、シリア、エジプト、リビアでの取材で知り合った6人の人生に、著者が密着する。そして、この6人がイラク戦争、アラブの春、IS(イスラム国)の台頭などの中東の現代史の荒波を、いかに生き抜いてきたかを描く。その波乱の人生の流転を文章に転写して飽きさせることはない。ただ中東の現代史を6回生き抜いたような気分にさせられるのである。その気分の重さが、深い疲労感の説明である。
本書の語りを支えるのは、その詳細な記述である。それは、ISが支払っていた給料の額であり、処刑の方法であり、米国入国手続きの煩雑さである。実際に中東の動乱を経験したような気分にさせられる。評者自身、暑いではなく熱い空気が肌に触れる感覚や、耳から神経に触る都市の騒々しさや、砂をかむような舌ざわりを思い出した。
活動家であったり、医師であったりする6人の登場人物たちは、被害者ばかりではない。時には加害者でもある。ISの兵士として市民の処刑を実行した男もいる。また、ISと戦ったクルド人も出てくる。
こうした6人の人物に影のように従って、著者はデモの街頭へ戦場へテロの現場へ難民キャンプへ密航船へと読者を誘ってくれる。良いとか悪いとかの議論の以前に、これでもか、これでもかとばかりに、血の臭いの漂う現実を読者の目前に突き出してくる。
著者が語るように、6人の話は例外ではなく、戦禍と動乱に翻弄された多くの人生の代表例である。恐らく何百万、いや何千万単位の人々が、同様の経験をしているだろう。
本書の記述の中でもひときわ絶望感を誘うのは、心理風景である。著者は、執拗な問いかけで、固く閉ざされた心の殻を砕いて、中東の動乱を生き抜いた人々の心理の深層までも見せてくれる。そこに広がっているのは、傷つき憎しみに燃え恐怖に震えながら砂漠を歩いているような索漠とした光景である。そのどこにも平安はない。
《評》国際政治学者 高橋 和夫



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