送り火  高橋弘希  2018.10.9.


2018.10.9. 送り火

著者 高橋弘希 1979年青森県生まれ。文教大卒。14年『指の骨』で新潮新人賞、17年『日曜日の人々(サンデー・ピープル)』で野間文芸新人賞

発行日          
発行所           文藝春秋

20189月 第159回芥川賞受賞

今年度で廃校の決まっている津軽の中学3年に、3度目の転校できた主人公が、6人の男子生徒の中に入って繰り広げる学校生活での毎日
ガキ大将がいて、その子と仲良くなったものの、6人の仲間で遊ぶうちに、ガキ大将が常に弱い1人を狙って勝負事を仕掛け、いかさま花札によって貧乏くじを引かす
そのうち主人公が、ガキ大将のいかさまを見抜くが黙って決定に従って、被害者の男の子がみんなのジュースを買ってきたり、スーパーでナイフを万引きするのを見ていたりする
お盆に村の昔からの催し物がある日、卒業生の悪ガキに全員が呼び出され、3年生の1人を後ろ手に縛り、大きなボールの上に乗せられて立たされる。転ぶと起き上がらせてまた乗せる、立たないとシャベルで頬をひっぱたかれたり農具で突かれたり、悪ガキ仲間にいたぶられる。被害者を選ぶのにまたいかさま花札が使われ、いつもの弱い子が選ばれ、足腰立たなくなるまでいじめられるが、その子も覚悟していたのか、肉屋をやっている家からなた包丁を持ちだしてきて、縛り上げられた縄がほどけたところで庖丁を振り回して悪がきを刺し、その次に主人公を狙ってくる。主人公は、いかさまを知って仲間のガキ大将を狙うものだとばかり思っていたが、実は主人公こそが最初に会ったときから一番むかついていたというので切り付けてきたという。怪我をしながらも這う這うの体で逃げるが、そのうち森の中で足を踏み外して崖から落ち意識を失う
意識が戻ったところで物語は突然終わる





芥川選評
l  小川洋子 ~ 豊かな沈黙
他の候補作を圧倒する存在感を放つ
ここに現れる暴力はどこにも着地しない。象徴にも手段にもならず、ただ理不尽さだけをまとったありのままの姿で置き去りにされ、底なしの渦を巻いている
転校生が地元少年のねじれた残酷さに出会い、成長していく物語だろうと油断していると、凄まじい力で渦に引きずり込まれる。同時に暴力が持つ根源的な神秘に魅入られることになる。進化の途中で出会った、まだ暴力と名付けられる以前の衝動の前で立ち尽くすかのように、読者は言葉をなくしてしまう
作中、持ち手に"豊かな沈黙と彫られた木槌が出てくる。納屋の奥で長く忘れられていたその一言が、本作についてのすべてを語っていると言ってもいい。語り手の視線には豊かな沈黙が満ちている。あらかじめ用意された言葉ではなく、純粋な無言によって世界があぶり出されてゆく
ラストの暴力シーンでさえ、奥底に潜む沈黙の方がより明らかな響きを持っている。言葉を発することと無言でいることが、この小説では矛盾しない
作者の言葉は、言葉の届かない場所へ読者を運ぶ。そこは小説しかたどり着けない場所

l  山田詠美
全然愛らしくない少年たちが、それぞれのファイトクラブでくすぶっている。この作者は、どんな「穢れ」を描いても、そこに澄んだ空気を運んでくる。陰惨なエピソードの合間にある、自然、人間、食べ物・・・・・などなど、それらの色彩や匂いが印象的でグッとくる
完成度の感嘆しながら、受賞作に押した

l  島田雅彦 ~ 青春5群像
著者の読みにくさには敬意を払わねばならない。それは予定調和の通用しない世界を描こうとしているからであり、段落ごとに油断ならない状況を冷静に見極める必要があるから
ここに描かれているのは、津軽という地名はあるが、どこか別世界、異空間、あるいはタイムスリップして紛れ込んだ別の時代なのだ
理不尽な暴力が突発する場にあって、著者が紡ぐコトバは詩的躍動感にあふれ、陰惨な光景を墓の下から見ているようですらある

l  川上弘美
この作者はどんどん大きくなる。自在になっている
怖い小説だが、自分にひきつけて考えられる物語でもあるところが素晴らしい
ここまで大きくなってきた作者に、次の作品でぜひどこかに連れて行ってもらいたい

l  宮本輝 ~ ディテールの濃密さ
著者は『指の骨』の時から描写力が高く評価されてきたが、作品の主題が見えにくいところがあって受賞を逃してきた
本書も、過去の3作と同じようなわかりにくさがある
最後の場面は残酷で、主人公の少年はこのまま殺されてしまうのかと、その不当さに首をかしげざるを得ない
理屈抜きで、不当な暴力のようなものに惹かれる何かが著者の中にあって、主題は常にその奥に隠されていると読めば、抜きんでた文章力が今後の作品に明確さを加味させていくかもしれない。ディテールの濃密さは誰もが真似できるものではないから

l  高樹のぶ子 ~ 青春と暴力
久しぶりに青春小説の候補作が並んだ、嬉しいこと
自我が確立されていない未成熟な時期の自己確認には暴力が多用されるのも理解できるし、暴力によって覚醒し見えてくるものもあるだろうから、青春小説を読むうえでその覚悟はしていた
こうした外的な力に対してどう身構えるか、反撃するか、屈服するか、屈服して何を得るか。その姿が青春小説だと言っても良いし、青春小説の魅力もそこにある
けれど本作の15歳の少年は、ひたすら理不尽な暴力の被害者でしかない。この少年の肉体的心理的な血祭が、作者によってどんな位置付けと意味を持っているのだろう。それが見いだせなくて、受賞作には反対
しかし、著者の文章力は、鋭利な彫刻刀として見事に機能しているだけに、こんな人間の醜悪な姿をなぜ、と不愉快
文学が読者を不快にしてもかまわない。その必要があるかないかだ。それで何? の答えがなければ、この暴力は文学ではなく警察に任せればいいことになる

l  吉田修一
作者の描写力には文句のつけようがない
今作の転校生の主人公ではないが、この作者はいつもそこから立ち去りたがっているように思う。自分の居場所というものを望んでいないし、信用していないのだろう。その執着のなさが、絶対的な観察者としての目となり、このような狂気じみた描写を可能にしているのではないだろうか
「理不尽な暴力」ということばがとても肚に落ちた

l  堀江敏幸
ユーモアを完全に凍結した語りを守り抜く著者の本書には、21世紀の津軽地方を舞台としつつ、戦時中、学童疎開をした東京の少年の体験を思わせるほの暗さがある
主人公の転校生としての処世術としてよりどころにしていたつかず離れずの適度な距離を保つ姿勢が、弱者にとって最も隠微な暴力になっていたことが明かされる末尾の、フラナリー・オコナーふうの展開はすさまじい
では、主人公の受難と陰惨な場面の先に何があるのか。それを問うことはこの作品においてあまり意味がない。異界の中で索敵を終えた主人公の、血みどろになって遠のいていく意識の中で、シャンシン、シャンシンというチャッパの音を聴きとることができればそれでいいのだ

l  奥泉光
作者は、20世紀零年代に成立した日本語リアリズムの技法・文体をわがものとして、描写・説明のバランスを的確に取りながら奥行きある小説世界を構築できる力量の持ち主であり、本作は一見のどかな地方の時間の流れの中に悪意と暴力がジワリ染み出てくる構成も巧みで、すんなり受賞が決まる
それにしてもリアリズムの技法を磨く著者はどこへ向かおうとしているのか
いかなる「戦略」を持って文業をなしていこうとするのか。なかなか掴みどころがない作家



(書評)『送り火』 高橋弘希〈著〉
2018840500分 朝日
 史上最も激烈な「転校生モノ」
 東北の僻村(へきそん)に転居し、中学校3年に転入した少年・歩。同学年は歩も入れて男子6、女子6の計12人。転校慣れしている歩は男子グループともすぐに打ち解け、学校生活は順調にすべりだしたように見えた。
 しかし、彼はまもなく気づく。男子5人を支配しているのは晃というリーダー格の少年であること。晃は稔という少年をオモチャにしており、他のメンバーも晃に従っていること。
 何度かの「いじめ」の現場に居合わせた歩は、しかし稔を突き放した。
 〈面倒はご免だ。自分は残り少ない中学生活を平穏に過ごし、何事もなくこの土地から離れていきたい〉。高校に入学すれば〈どうせ彼らも渡り鳥のことなど忘れてしまうのだ〉。
 いうならば、裏コペル君ですね。『君たちはどう生きるか』のコペル君が都会を離れ、山間の村に放り込まれたらどうなるか。晃に〈歩も一緒にけじゃ。観客いたほうがおもしれぇはんでな〉などと誘われ、観客気分でいつづけることが、はたして許されるのか。
 舞台は現代だが、村には古い伝承が生きており、遊戯の形をとった暴力も「回転盤」「彼岸様」などの伝承を踏襲する。
 歩の卓越した観察力と洞察力は「渡り鳥」、ないしは「観客」だからこそであり、読者はたちまち異世界に引き込まれるだろう。だけど、歩は(読者も)舐(な)めていた。閉じた共同体の中で生きるしかない少年たちの屈折した感情を。
 デビュー作『指の骨』で南方の野戦病院で死にゆく兵士を描いた高橋弘希自身も観察力の人である。たとえ架空の出来事でも、見てきたように再現する。
 裏コペル君だから、心温まらない物語。学級劇として演じられる宮沢賢治の童話『オツベルと象』を思わせる展開でもあるが、教訓はべつにない。『風の又三郎』以来、転校生の物語は多々書かれてきたけれど、史上もっとも激烈な転校生モノというべきだろう。
 評・斎藤美奈子文芸評論家)
     *
 『送り火』 高橋弘希〈著〉 文芸春秋 1512円
     *
 たかはし・ひろき 79年生まれ。「日曜日の人々(サンデー・ピープル)」で野間文芸新人賞。本作で芥川賞


第159回芥川賞・直木賞 選考会を振り返って ~ 芥川賞、言葉にコストかけている 直木賞、抑制利かせ人間描いた
 4度目の候補で芥川賞に決まった高橋弘希(ひろき)さん(38)。芥川賞と直木賞の候補を行ったり来たりして直木賞に決まった島本理生(りお)さん(35)。いずれも候補回数を重ね、着実に書き続けてきた作家が選ばれた。第159回の選考会を振り返る。
芥川賞 言葉にコストかけている
 芥川賞は、最初の投票で高橋さんの「送り火」(文学界5月号)が過半数を得たという。選考委員の島田雅彦さんが代表して選考経過を語り、「一つ一つの言葉にコストをかけていることがよく伝わる。最も読みにくい小説。しかしその読みにくさが何に由来するか、複数回読んで確かめずにいられない」と評した。
 次点はわずかの差で町屋良平さんの「しき」(文芸夏号)。「好感度が高い。多彩な人物に対する書き手の距離感が絶妙で、すごく新しい青春小説ではないか」と評価されたという。
類似表現 作家への注意喚起の機会に
 複数のノンフィクション作品との類似表現があった北条裕子さんの「美しい顔」(群像6月号)は「五感に訴えるディテールが少ない。出来事との距離が近すぎる」と4番手に。選考の場では盗用か否かなど一連の問題についても意見が交わされたという。「盗用ではないと選考会で確認したが、それで問題がないというわけではない」とし、安置所に並ぶ遺体を「ミノ虫」とする比喩表現が石井光太さんのノンフィクション『遺体』と同じだったことについて「不用意な言葉の使い方をしているので盗用疑惑が出てしまうのではないか」と述べた。
 「美しい顔」を掲載した群像編集部は、参考文献の未表記をおわびした。参考文献の扱いについて島田さんは、自身の見解として「小説は慣例上、発表時から細かく注をつけたり、引用を明示したりしてこなかった。参照した先行著作への敬意は個々の作家の良心に基づき、単行本の刊行時に巻末に載せる、事後承諾でもコメントしたり謝辞を述べたりすることで行われてきた」と説明した。
 被災当事者の視点で描いた「美しい顔」は、作家に震災とどう向き合うかを問うた。「あまりに生々しい被災者の体験に依拠した書き方は難しい。過去に震災を書いた人も、生々しい声を直接引用することは慎重に避けてきたのではないか。フィクション的装置を独自に工夫し、その中で震災に触れたり、震災体験を間接的に書いたりしてきた」と言い、「多くの作家への注意喚起の機会になった。個々の良心にゆだねられるものだが、深い経験となった」と続けた。

 直木賞は島本さんの『ファーストラヴ』(文芸春秋)に。最初の投票では窪美澄(くぼみすみ)さんの『じっと手を見る』(幻冬舎)が最も票を集めていたという。議論を重ね、窪さん、島本さん、3番手の上田早夕里(さゆり)さん『破滅の王』(双葉社)の3作で決選投票を行い、窪さんと島本さんの評価が逆転したという。
 選考委員の北方謙三さんは「ぎりぎりのきわどい勝負でした」と振り返った。「窪さんは文章がうまく、何でもない人間をきちんと書いている。島本さんは文章に抑制が利いていて、人間が描けていた」
 湊かなえさんの『未来』(双葉社)は「読者に受け入れられている方なので慎重に読みました」と前置きした上で「小説として面白いが、深いところに手が伸びているかが疑問。いろいろな事件が起きるが表層的で、小説の力になっているのか」と厳しい評価になった。(中村真理子)


連載(天声人語)消えゆく学舎
20187200500
 芥川賞に決まった高橋弘希さんの小説『送り火』の舞台は青森県の中学校。東京から転校した3年生の男子「歩(あゆむ)」は、同級の男子5人との濃く重い人間関係にからめとられていく6人を結ぶ遊びは暴力といじめだった。その輪のほかに行き場はない。しかも学校は翌春に閉校が決まっている。熱心に床を磨く「歩」に仲間は冷ややかだ。「一生懸命に磨いても、意味ねじゃ」「どせ来年には、ぜんぶ剥がされんだ」僕らの生まれたこの街は寂しい。将来に夢もない――。少年たちの胸にはもともとそんな「あきらめ」があった。それに閉校の決定が拍車をかけたのではないか。読みながらそんなことを考えた文科省によると、日本ではいま小中高合わせて年間500もの学校が消えていく。北海道では年平均で50校という多さだ。これに東京、岩手、熊本、広島が続く。都市圏で多いのは、大規模団地で急速に少子化が進んでいるからだという一方で、廃校を別の道に生かす動きも加速してきた。新潟県では小学校が改築されて人気の宿泊施設となった。京都府の小学校は漫画博物館に、岡山県の中学校は診療所に生まれ変わった。全国の廃校の7割が第二の人生を歩み出した。そう聞くと励まされる思いがするむろん親しんだ学舎(まなびや)が姿を消すのは寂しい。それでも大人たちが打ち沈んでいては、在校生は救われまい。時に笑い、恋をし、涙だってこぼした校舎を失う生徒たちに、「歩」たちの陥った閉塞(へいそく)感を与えたくはない。


私が芥川賞作家になったのは 爺さんと将棋指したから
2018841109分 朝日
 第159回芥川賞に決まった高橋弘希さん(38)に、受賞のエッセーを寄せてもらった。
     
 私がプロ棋士を目指していたのは、二十一歳の頃である。将棋は子供の頃から得意だったが、「ヒカルの碁」に感動した私は、自分もプロになろうと思い立ち、しかし囲碁は全く分からないので、将棋の棋士を目指した。
 二十一歳、年齢的にもぎりぎりの挑戦であった。当時の規定では、二十三歳までに奨励会に入り初段になっていないと、プロ棋士への道はほぼ鎖(とざ)されてしまう。私は将棋関連の書籍を片手に、日々、自分ならではの独自の戦術を編み出そうとしていた。高橋システムの開発である。
 そして半年の研究の末に、私は己の棋力を試そうと、東京の将棋センターを訪れた。自信はあった。子供の頃、将棋ならば誰にも負けたことはない。私は村の名人だったのだ。
 して、将棋センターの一室の座席に座ると、爺(じい)さんが対局を挑んできた。老い先短そうな爺さんだった。腰は曲がっているし、駒を持つ手は震えている。私は指導対局を施してやるつもりで、爺さんと対局した。これより数分後、私は青ざめることになる。
 爺さんは銀を上手(うま)く使い、あれよあれよという間に私は攻め込まれ、我が高橋矢倉は陥落した。あまつさえ、爺さんは手加減をしている節があった。私は爺さんに、指導対局をされていたのだ。こうして私は棋士になる夢を諦めた。
 失意の私は、ならば詰将棋作家になろうと考えた。黒川一郎の再来と呼ばれるような詰将棋作家の大家となり、看寿(かんじゅ)賞を目指そうではないか――、しかし世の中には「誰でも書ける、作家になる方法!」という類いの本は沢山(たくさん)あるのだが、「目指せ、詰将棋作家!」という本は一冊も見当たらない。そんな訳で作家を目指すことにした。
 将棋と小説は似ている。将棋の対局で盤上に起こる事象は、究極的には無意識の産物からなる物語だと思っている。小説と同じだ。あれから十余年――、結果として、看寿賞は無理であったが、芥川賞は受賞できたので、よしとするべきであろうか――
     
 たかはし・ひろき 1979年、青森県生まれ。2014年「指の骨」で新潮新人賞。『日曜日の人々(サンデーピープル)』で昨年の野間文芸新人賞。「送り火」(文学界5月号)で芥川賞


芥川賞「うれしいっちゃうれしい」 受賞の高橋弘希さん
20187182131
芥川賞高橋弘希さんの会見一問一答
 ――今の気持ちを。
 気持ちですか? 気持ちは、とりあえず会見やらないとダメと言われたので、引っ張り出されたので、とりあえず頑張っていこうかなと。
 ――作中に、シンバルに似たチャッパという、あまりなじみのない楽器が出てきます。思い入れは?
 近所のお祭りで使っているのを見たことがあるので、使った。割と変な音がするんでいいかなと。
 ――4回目の候補入り。どんな心境だった?
 期待は特にしてないですが、普通に待ってました。担当の編集の人といました。
 ――自身が受賞する期待は?
 どうなるかわかんないですからね。どうかねえと。
 ――自信は?
 読んだ人がどう思うかはわかんないんで。作品は、まあいいんじゃないかと思うんですがね。
 ――受賞の決定の講評の中に、高橋さんの小説が非常に読みにくいという言葉がありました。
 読みにくくはないと思う。だいぶん読みやすいと思う。
 ――「指の骨」から言われていたが、描写がすごく魅力的だと。今回も少年たちの動きのなか、稲、セミなど意識していたのか?
 別に意識はしていないですけど、舞台が田舎なんで。場所がどういう感じかは書かないとわかんないんで、自然とそうなった。
 ――客観的な自然描写のなかに登場人物の心境を込める?
 まあ何ですかね。描写は作品内では意味はあると思うんで、象徴しているかどうかはわかんないですが、なるべく意味のある描写を心がけてはいる。
 ――先ほど「待ってる時は編集者と」と言っていたが、受賞が決まってからの心境は? ガッツポーズしたり?
 どうだったかな。とりあえず「8時までには帝国ホテルに来い」と言われたので、うれしいっちゃうれしいけど、ガッツポーズはなかったかな。
 ――平熱のまま?
 うれしいですよ。でも小説ってガッツポーズは出ないですよね。短距離走とかならあるでしょうが。
 ――昨年、野間新人賞。芥川賞も含めて、文学賞はどういう目安か。
 評価されるということなんで、なにかしら受賞できればうれしいといえばうれしい。でも、賞が欲しくて書いている人はいないと思うんで。結果的にはよかった。
 ――描写の点で、傍観者的な描写はこれまでの作品でもあったが、どういう風なことで描き方をチョイスしているのか。
 意識してというわけではないけれども、細かく書いていくと傍観者っぽくなるという側面があるのかなと。
 ――衣装というか格好なんですが、何か、ジンクスとか、特にその格好で来ようとした何かは?
 いや、なんか、家にあったんで。
 ――そのズボンは長くはいている?
 家にあったんで。
 ――やる気になるときは書く、ならないときは書かないというが、芥川賞をとられて、どう?
 どうでしょう。出るんですかね。数日様子を見てみようかと。
 ――今回の作品の舞台を青森県にされていますが、その理由と、子供のころ青森県で過ごしたことの影響は?
 とりあえず近所でやってるお祭りを、これでいいかなという感じで題材にしたというところなんですけれども。青森で過ごしたことが作品に与えた影響は……実はあまりないのかもしれないですが、一応まあ、記憶をたどって書いたという感じですね。
 ――青森の読者も喜んでいると思うのですが、ひとこと。
 じゃあ単行本を買ってください。
 ――先ほどの選評の中で、「言葉で別世界を構築する」という評価がありました。その楽しさというか、思いというのが言葉にできるのであれば。
 どうですかね。うーん、あまり意識していないのですが、とりあえず何か、うそっぽくならないように書いていくと、だんだん、なんですかね。とりあえず、うそっぽくならないように書いたことが「言葉で別世界」と解釈されたのかなと思いますが。
 ――そう評価されたことは率直にうれしいですか?
 それは誰ですか?
 ――島田雅彦さんです。
 島田雅彦先生。それはうれしいです。今の選考委員の作品を読んでいる世代なので、ほめられたらうれしいです。
 ――最後にひとこと。
 会見もこのように無事に終わって、こうしておさらばできるぞって、うれしく思います。



毎日新聞2018718
 第159回芥川・直木賞(日本文学振興会主催)の選考会が18日、東京・築地の料亭「新喜楽」で開かれ、芥川賞に高橋弘希さん(38)の「送り火」(文学界5月号)、直木賞に島本理生さん(35)の「ファーストラヴ」(文芸春秋)が選ばれた。高橋さんは4回目、島本さんは2回目の候補での受賞。東日本大震災関連の既刊本との類似表現が指摘された北条裕子さん(32)の「美しい顔」(群像6月号)は受賞を逃した。贈呈式は8月下旬、都内で行われ、正賞の時計と賞金100万円が贈られる。
 高橋さんは文教大卒。2014年に「指の骨」で新潮新人賞を受賞しデビュー。同作は芥川賞と三島由紀夫賞




コメント

このブログの人気の投稿

近代数寄者の茶会記  谷晃  2021.5.1.

新 東京いい店やれる店  ホイチョイ・プロダクションズ  2013.5.26.

自由学園物語  羽仁進  2021.5.21.